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第148話『Restlessness』不穏

徹也と部屋の片付けを終えた葉月は、ミニバーにあったアイスペールを片手に、氷を取りに行くために一人廊下へ出た。

自動販売機がそびえ立つ大きな部屋にある氷のコーナーを前に、廊下のはるか向こうに隆二に似た人影が見えて驚く。

瞬時にそのシルエットでそう判断したが、ひょっとしたら隆二の父や兄である可能性も捨てきれず、葉月はスッと自動販売機の影に入り、様子をうかがった。

目に残っているシルエットは耳にスマートフォンを当てていて、だんだん近づく足音と共に発せられる声は間違いなく隆二のものと確信できた。

葉月は心が踊るのを感じる。

ちゃんと落ち着いて話せていない時間が、ずいぶんと長かったような気がしていた。

通話中なので声が掛けられないことを残念に思っていると、隆二は意外にも販売機のコーナーに入ってきた。

なんとなく盗み聞きしてしまったような格好となってしまい、葉月は部が悪くて出ていくタイミングを失う。


「ああ、俺は構わないよ。でも珍しいな、柊馬(トーマ)さん。あんまりそんな急なリテイク(録り直し)しないタイプだろ? 何か事務所サイドで問題でも?」


その内容から通話の相手が『Eternal(人気) Boy's(ロック) Life(バンド)』のリーダーの柊馬であることがわかり、葉月をさらに高揚させた。


いよいよ水嶋隆二の正式加入が決まる。

自分もその局面に立ち会うことができるのだ。

それも数日中に。

なんなら、このまま絢子の(徹也が居る)部屋に隆二を案内して、徹也から『エタボ』の事務所に向かう日程を話してもらってはどうかと、葉月は咄嗟に思い付いて隆二の電話が終わるのを待った。


「ああ、徹也にもそう伝えておくよ」


声が途絶えたと同時に、コインの音と缶が落ちる音がしたので、葉月はいざ姿を現そうと身構えた。


その時、入り口の方から別の声がして、葉月は再び身を隠す。


「隆二!」


女性の声だった。

知らない人の声……

でもどこかで聞いたことがあるような気もした。


隆二がなかなか返答しないことに不審感を抱いた葉月は、自販機の影からそっと覗く。


「あら、ごめんなさい。隆二くんって呼ぶべきなのかしら?」


隆二はそれでも答えなかった。


あの人は……


葉月はハッとする。

今日という葬儀の出で立ちにはそぐわないような胸元のいたブラウスで、長いウェーブがかった髪をかきあげ、妖艶な雰囲気を漂わせてそこに入ってきたのは、別人のようではあったが確かにあの着物姿の女性だった。

隆二の兄嫁。

震撼(しんかん)した美波(みなみ)の表情を思い出す。

自販機の間から僅かに見える隆二の顔も、何故か同じ様に警戒した表情を帯びていた。


「もぉ、まったく! 冷たいわよね。ろくに目も合わせてくれないんだからぁ」

そう言って女性はゆっくりと隆二に近付いていく。


「何の用だ。俺は話す気はない」

そのぞんざいで冷たい声は、これまで隆二の口からは聞いたことのない響きだった。



 ◆ーーー◆ーーー◆ーーー◆



『スカイラウンジ』の最上階のフロアから漆黒の夜空を臨む大きな窓に向かって並んで座る三人は、それぞれに持つグラスを大きく掲げた。


「では改めまして、お疲れ様です!」

そう裕貴が乾杯の音頭をとると、姉弟共にそれぞれに持ち上げたグラスをグビッと一気に飲み干した。


「うわぁ、いい飲みっぷりですね。っていうか、さすが姉弟!」

「なによそれ!」

美波が抗議めいた視線で裕貴を見る。

「いや、『form(フォーム) Fireworks(ファイヤーワークス)』はこの姉弟お二人で成り立ってるんだなって、今日はホントにそう思いましたよ」

「ユウキ君! ありがとう! わかってくれるの、ユウキ君だけよっ!」

そう言って裕貴に抱きつこうとする美波を、琉佳ルカが制した。

「姉ちゃん、一杯しか飲んでないのに絡むなよ!」

「なら、もっと飲んでやるわよ! すみませーん! おかわりを!」

琉佳がやれやれと肩をすくめる。


和やかな雰囲気ながらも、美波が本音を吐露し出すと、いつの間にか琉佳も取引先での愚痴を話し始め、皆のアルコールが更に進んでいった。


「ねぇ、ところで白石さんは?」

美波の質問に琉佳(ルカ)がグラスを持ったまま答える。

「ああ、なんかさ、絢子あやこさんの荷物? それを片付けるのを手伝いに降りたみたいだけど……」

「徹也と? ふーん、そうなの? しかし、絢子さんも忙しい人よね。私、ろくに話せなかったから残念だわ。なんせ今日はもう、色々な事があって……パニック寸前よ」


そう言ってまたグラスをあおった美波に、裕貴は兼ねてから抱いていた疑問を問いかけた。


「一つ気になったことがあるんですけど……」

「え? なあに?」


「美波さん、リュウジさんのお兄さんのお嫁さんとお知り合いなんですよね? 高校時代……ですか?」

「ああ……それは……」

一瞬で彼女の声に緊張が走り、姉弟が目を合わせる。

「ん? なにか……ありそうですね」

美波が俯き加減に、裕貴に向かって尋ねた。

水嶋先輩(隆二)からは?」

「いえ、何も……」

「そう……あの女性は山野先輩……まあ今は水嶋美里になったけど。彼女は隆二さんや徹也と同級生で、私にとっては二つ上の先輩よ。バスケ部のマネージャーで一緒だった時期もあるけど、私がマネージャーで入ってからわりとすぐに辞めてしまったけどね。ほんと、なにもしない人で……」

「やっぱり、高校のお知り合いだったんですね。でも意外だなぁ……同級生が自分の兄貴のお嫁さんだなんて。リュウジさん、どう思ってんだろ? ボクだったらなんか変な気分だと……」

「そうよね」

美波はグラスの縁を指でなぞりながら素っ気なく言った。

裕貴は続ける。

「だってまさか、あのリュウジさんが自分の友達をお兄さんに紹介したりなんて、しないと思いますしね」

「当たり前だよ! ましてあんな女なんて! あっ……」

珍しく荒い口調で横槍を入れた琉佳に、裕貴は驚いた。

そして美波の方に向き直し、静かに切り出す。

「ボクね、若輩者ですけど、リュウジさんの付き人として、これから更に連携して一緒にステップアップする局面に立ってるんです。プライベートをすべて把握しようなんて無粋なことを考えてるつもりはありませんし、過去の事なら尚更、踏み込まない方がいいのかなとも思いましたが……でも今日のリュウジさんはボクの知らない顔をしていて。しかも不穏な空気も感じて……なので、教えてもらえませんか? これはあくまでも直感ですが、知っていた方が……いいような気がするんです」


裕貴の真っ直ぐな視線に、美波は息を呑むと、静かに頷いて伏し目がちにグラスを置いた。

そして今から話すことが、あらゆる先輩や徹也から情報を集めたことだと前置きをしてから話し始めた。


「山野美里……高校の時も目立った存在だったわ。美人で色気もあって、男子にモテてた。だから片っ端から男子は彼女の毒牙にかかった……まぁ本人は只のお遊びだったんだろうけどね。そんな彼女にも全くなびかない男子がいたの。それが水嶋先輩《隆二》よ。バスケ部のエース、そりゃもう、めちゃめちゃカッコよくて、誰もが憧れていたわ。そんな水嶋先輩を自分のものにしたいと思ったのね、山野美里はクラスが一緒で水嶋先輩の親友でもある徹也に先に近付いたの。マネージャーになりたいと相談して、まんまとバスケ部に入り込んで、親しくなろうと。でも水嶋先輩は心開かなかった。そしてある日、重大な話があるからって水嶋先輩を呼び出したの。ナント、鴻上こうがみ徹也に付き合ってほしいと強引に迫られたっていう相談を持ちかけて。しかもまるで徹也に襲われたかのような口ぶりで訴えかけたらしいのよ、ひどいでしょ? ありえないわ! 当時徹也は主力メンバーだったし、チームからも監督からの信頼も熱かった。それを逆手にとるように、大切な大会の前だし、出場停止にもなりかねないから先生にも相談出来ないでしょって、半分脅しのように水嶋先輩に言って、そして公表しないから自分と付き合ってほしいって、言ったそうよ。どう? あきれた話でしょ?」


裕貴は言葉を失う。


「でも水嶋先輩は屈しなかった。そしたらデマが流されたの。部室で水嶋先輩が山野美里に(せま)ったって。いかにも何かあって付き合うみたいだって噂が流れて……でもその日、部室の鍵を持っていたのはマネージャーの私だったから、もう、全力でその火を消して回ったわよ」

琉佳がすかさず言った。

「ま、姉ちゃんも水嶋先輩が好きだったんだもんな」

「コラッ! 無駄な情報をいれなくていいの!」

琉佳は振り上げられた美波の腕をかわしながら、どうぞと話を促す。

「ああ……それで嘘がバレて、山野美里はマネージャーをやめたわ。そこからの引退試合と卒業式までは静かだった。でも……」


美波は新しいグラスに手をかけると、またそれをあおった。


「私の同級生にも水嶋先輩のファンは結構いてね、音楽フリークの友達から、水嶋先輩のライブに毎回山野美里らしき女が来てるって聞いた時は……嫌な予感がしたわ。同性から見るとね、あの手のタイプは相当ややこしいっていうのがわかるのよ。だから心配して徹也に尋ねたこともあった。徹也の話によると、やっぱり付きまとわれてるって。でもリュウジはなびくはずないから大丈夫って、何度聞いてもそう言ってた。それが5年前……」

「そこからなら僕もわかる」

また琉佳が横槍を入れる。

「じゃああんたが説明しなさいよ。もう、思い出すだけで胸が苦しくなるわ!」

そう眉根をよせる美波を見て、裕貴は複雑な表情のまま、琉佳の方を向いた。

「まだ……あるんですか?」

「ああ。徹也さんから聞いたことだけどさ。当時、リュウジさんとあのお兄さんは本当に仲が良かったんだって。リュウジさんが子供の頃にバスケ始めたのも音楽に興味をもったのも、全部お兄さんの影響だったらしいんだ」

「……そんな関係には、見えませんでしたけど……」

「だよね? 水嶋家と鴻上家は家族ぐるみで交流もあったから、徹也さんもリュウジさんのお兄さんと仲良しで、学生の間は一緒に旅行に行ったりする間柄だった。そこにはお兄さんの彼女も来ていて、その人は音楽家だったから、みんなで色々なアーティストのライブなんかにも行ってたんだって。徹也さんが就職してからは、忙しくなったから、そうやって集まることができなくなったんだけど、5年前にお兄さんが結婚することになって、徹也さんも参列したんだ。でも、なんとその高砂たかさご席には……」

「山野美里がいた……ということですね?」

「そう。徹也さん、めちゃめちゃビックリして、式が終わった瞬間にリュウジさんを引きずり出して事情を聴いたんだって。そしたら親に勧められた見合いの相手が山野美里だったって」

美波がゆっくりと頭をもたげた。

「山野家は確かに資産家で、まあ単純に水嶋家とも釣り合っていたの。お兄さんは長男だし跡継ぎでもあるから、前々から音楽家の彼女との交際は親から反対されてたんだって。水嶋先輩は山野美里の本性を知ってるから、お兄さんにもお父さんにも破談にするように言ってたんだけど、妊娠したって美里が言って……それで結婚が早まったみたい。でもおかしいのよ。結婚の日取りが決まってから、流産したって。私にはわかるわ! 絶対に妊娠自体ウソだったのよ! そんな女なの!」

「お、おい姉ちゃん、ちょっと飲みすぎじゃ?」

「うるさい! 私だって今日、いざ本当に山野美里に合ったら、めちゃめちゃビビったけど……でもね、一目で判ったわ! あの女は変わってないって。お兄さんは……魔が差したんでしょうね、どうせ誘惑に負けたんだろうけど。妊娠なんてデマに決まってるわ。そこに漬け込んで結婚をモノにしたのよ! どんな事情にせよ、仲良かった彼女を裏切ったお兄さんのことも許せなかった水嶋先輩は、それからお兄さんとも水嶋家とも疎遠になったみたい……」

裕貴は大きく溜め息をついた。

「そうだったんですか……だからあんなにギクシャクしてたんですね」

「そうね。まぁ、水嶋会長としては、水嶋先輩がミュージシャンだって言うのも気に入らないらしいけど」

「……でしょうね。会社に入れたがってるのを拒んだって、リュウジさんも言ってましたし」

「ええ。あと、これは……女子バスケ部の先輩に聞いたんだけど……その女バスの先輩、結婚式にも呼ばれててね、式の前に控え室で本人がこう言ったそうよ。「これで私はようやく、隆二の家族になれたのよ」って。もう! それ聞いた時はゾッとしたわ」

「え……それはどういう……」

裕貴が不思議そうな顔で美波を見ると、美波は肩を寄せて声を落とした。

「私、思うんだけど山野美里は多分……今も水嶋先輩のことが好きなんだと思う」

裕貴は更に不可解な顔をする。

「え? でもお兄さんと結婚してるんですよね?」

「そうだけど、あの手の女は目的のためなら手段を選ばないの。怖いと思わない?! 自分に迫った女が兄の嫁として家族に割り込んでくるなんて。ああゾッとする」

琉佳は姉に同調して、身震いして見せながら首を振る。


握りしめたグラスに目をやりながら、裕貴は独り言のように言った。

「それで……美波さん、あんなふうに固まって……」

「ああ、あの時? そう! もう……ヘビ女にしか見えなくてね」

美波も肩をすくめた。

裕貴は大きく息をつく。

「それはまた……大変な問題を抱えてるんですね、リュウジさんは……」

「うん……おいえ問題だから、部外者の私たちは何にもできないけど、そこは本当に気の毒に思うわ」


膝を打って、裕貴は顔を上げた。

「わかりました。聞けてよかったです。ありがとうございました」


裕貴は伏し目がちな姉弟に頭を下げた。



第148話 『Restlessness』 不穏 - 終 -




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