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第146話『Make-up makes a makeover』メイクアップ

頬に真っ赤なルージュの刻印を着けた葉月の手を引いてエレベーターを降りた徹也は、突き当たりの観音開きの大きなドアの前で、その手をそっと離した。

二人はまた何枚ものドアをくぐり、今はもう異国へと旅立つために空港に向かっている絢子(徹也の母)が、ついさきほどまで眠っていた部屋に入る。


「……マジか」

扉を開けた瞬間、徹也はガックリと肩を落とした。


「これを俺に……?」

「鴻上さん、どうしたんですか?」

「ほら、見てよ」

徹也はサイドボードにあったメモを、ひょいと葉月に手渡した。


  Dear Tetsuya☆

  この部屋の荷物、まとめて

  EMS(航空便)で送ってね♡


二枚目には住所のような英文と数字が並び、最後に Milano , ITALA と書かれていた。


「ったく、これだけの荷物をどうしてわざわざ置いていくんだ! 面倒くせぇ」

徹也はドサッとベッドに座った。

「持ってきたなら、置いて行くこともないだろうに! しかも俺には分からない物ばっかりだ。こんな化粧品とか……」


そうぼやいていた徹也が急にハッとした顔をする。

「チッ! そういう……」


辺りを見回していた葉月は、驚いて振り向いた。

「な、なんですか?」

「策略だな……」

「策略?」

「ああ、母さんのな。君に手伝わせようとしたんだ」

「お手伝いは構いませんけど? それが、策略?」


葉月のその質問に、徹也は言葉を詰まらせた。

「それは……あ、いや……な、なんだろうな?」


ぎこちないその言葉に葉月は首をかしげる。

徹也はごまかしつつ、もう一度目をやった葉月の頬を見てプッと吹き出した。


「あのっ! まだ笑いますか?」


上目遣いに睨む葉月に、笑いを堪えながらまた手を合わせて見せる。

「あ、いや、ごめんごめん。じゃあ、その真っ赤なキスマークを落とすとしよう!」


徹也は大きな鏡台の前に葉月を座らせて、その卓上に並んでいる化粧水を一本手に取ると、コットンに含ませてその頬に当てた。

フルーツを彷彿とさせる爽やかな香りが漂う。


「いい香りですね。これ、どこのブランド……え! これランコムじゃないですか! こんな高級な化粧水で。もったいない!」

「かまうもんか。あっちで現地調達なんだろ。母さんに海外コスメの感覚なんてないさ」


そう言いながら徹也はそのコットンを何度か葉月の頬に滑らせた。

すぐ近くでその頬を凝視されていると思うと、葉月の緊張は一気に高まった。

ふと鏡に映る徹也の穏やかな表情に目をやると、さっきまで繋いでいた手のひらの温もりのような安心感が湧いてくる。


そして葉月は、絢子の言葉を思い出した。


「鴻上さん、お話があるんです」

「ん? 何の話?」 


葉月は絢子あやことの二人の会話を忠実に徹也に話した。

絢子の話を一生懸命伝えようとする葉月の頬には幾筋も涙が流れ、徹也は母がしたことと同じ様に、ティッシュを丸めてその頬にそっと押し当てた。


「ほら、もう泣くなよ」

徹也は優しい表情で、葉月の頭に手を置いた。

そしてそっと顔を覗き込む。


「ほっぺたのキスマークは取れたけど……メイクも全部取れちまったぞ。……俺のせいだな」


辺りを見回した徹也は、ふと思い付いたような顔をする。

「ん……おっ、これは」

徹也はその鏡台の上をあさりながら話し始めた。


「専門学校の時にさ、文化祭でアートデザインのコンテストがあって、ボディペイントをやったんだ。その時に人にメイクをしたことがあって。もうずいぶん昔だから忘れてるかもしれないけど、葉月ちゃんはナチュラルメイクだから、大丈夫かな? あ、いいものが見つかった。ほら、こっち向いて座って」


そう言って葉月を自分に向いて座らせると、自分の座る椅子をグッと近付けた。

化粧台に並ぶ化粧品の中からBBクリームをチョイスした徹也は、それを手に取り、葉月の頬に触れる。


「ちょ、ちょっと……鴻上さん、なんか……恥ずかしいです」

「そう? じゃあ、目をつぶってて」

「あ……はぁ……」

葉月は言われた通り、目をつぶった。


ひんやりとした指先が顔全体に広がっていく。

高級化粧品から漂う、南国のイメージの香りにうっとりしながらも、その指先に気持ちが集中してしまう。

優しいタッチでパウダーが叩かれ、目の上にシャドウが置かれた。

唇にルージュを引かれている間、葉月は自分の心臓の音が徹也に聞こえやしないかと気がきじゃなかった。


「ほら出来上がり! 目を開けてみて」

その声にホッとしながらゆっくりと目を開けると、視界いっぱいに徹也の顔があり、その顔がまた瞬時にパッと輝いた。


「おっ! 我ながら上出来! ほら、見てみて」

そう言って徹也は、鏡の方に葉月の視線を促した。


「わぁ……なんか……大人っぽい……」

「そうだな。まあ逆に言うとさ、ナチュラルメイクのほうが難しいんだよな。こういったシャドウを使ったメイクの方が、アーティストとしては作り込みやすいって言うか……ああ、ごめん! まるでキャンパスみたいに言っちまった」

「いいえ、これも鴻上さんにとっては一つのアート作品なんですね。ホントすごいなぁ、男の人なのに女の子のメイクまでできちゃうなんて」


徹也は頭をかきながら笑う。

「そういう繊細な感覚ではないんだけどな。どう? 気に入った?」

「ええとっても! 私にもメイクの仕方、教えてくださいよ」

「そっか、よかった!」


そう言いながら徹也は再度、作品をチェックするかのように、まじまじと角度を変えながら葉月の顔を見た。

「うーん。目は腫れてないな。大丈夫だ!」

「あ……ありがとうございます」


徹也はもう一度、葉月の頭に手をやった。

「こちらこそ、ありがとう。貴重な話が聞けたよ。聞かなきゃいけない話だったと思う。母と会うのは、下手すりゃ何年越しかもしれないからな、こんな風に時々葉月ちゃんと母の話ができたらいいなと思うよ。構わない?」

「もちろん! 喜んで!」

「ありがとう。あ、でももう泣かないでくれよ」

「あ……はい」

「じゃあ行こうか!」

葉月は辺りを見回すと、徹也の腕をとって引き留めた。

「あの鴻上さん、ここの片付けは?」


「あ、そうだな……もし手が空いてるようだったら、夕食後にでもお願いしていい?」

「はい」

「さぁ戻ろう。そろそろ始まる頃だ。探してるかもしれない」

「そうですね」

「それと……前言撤回。泣いても構わないぞ」

「え? それはどういう……」

「ま……かわいかったし……あ、いや! 泣いたらまたメイクしてやるって……そういうこと!」

徹也は、驚いた顔をする葉月の背中を押した。

「ほら、急ごう!」



二人は一つ上の階にある宴会場に向かった。

エレベーターが開くと、目の前のエントランスに待ち受けていたかのように美波と隆二がいた。


「白石さん! どこ行ってたの?  心配したわよ。徹也も! どっか行くんだったらちゃんと言ってからにしてもらわないと、親族の方に尋ねられて困ったじゃない! そう、お母様もどこにもいらっしゃらなくて……」

「ああ、悪りぃ。母さんさ、もうイタリアに帰ったんだ」

首の後ろに手をやって申し訳なさそうに言う徹也に、美波は驚いた顔を向けた。

「ええっ! もう……ここを出られたってこと?」

「ああ。さっきタクシーに乗って空港に向かったよ」

「嘘でしょう! 大丈夫? 倒れたばかりよ」

徹也は葉月をちらりと見ながら言った。

「俺も引き止めたけどさ、俺の言うこと聞く親じゃないだろ?」


横で隆二がおもむろにスマートフォンを耳に当てる。

「ああ、ユウキ? 居た。ああ、宴会場のフロアだ。徹也と一緒に今、戻ってきた」


腕を下ろした隆二は、皮肉な視線を向ける。

「それで? 一体、二人でどこに居たんだか?」


美波が遠慮がちに言った。

「ユウキくん、白石さんを探し回ってたのよ」

「え……そうなんですか。悪いことしちゃった……私、鴻上さんとこの下の階の……」


後ろから声がした。

「葉月!」

葉月は慌てて振り向いて手を合わせる。

「ごめん、ユウキ! 心配かけちゃって。私ね……」

裕貴と同時に時計を見た美波は、その言葉を遮る。

「ああ……もう時間だから、ユウキくんは水嶋家の方々を案内して。私は鴻上家の人を呼びに行くけど、徹也、あなたも来て! お父様が話があるって仰ってたのよ! あ……白石さんは水嶋先輩と会場に入ってて。あ……先輩、ありがとうございました」

申し訳なさそうに言った美波に隆二は首を振った。

「いいや、うちも世話になってるからな。ありがとう。だけど先輩ってのは、ちょっとな……」

「ああっ! すみません! り、隆二さん」

微笑みながら美波を見送る隆二の横顔を見ていると、葉月に視線を戻した隆二の顔が真顔になった。

「で? 話しの続きを聞かせてもらおうか」


大きなストライドに必死で付いていきながら、宴会場に入る。

その広い空間では配膳係が二人を気にも留めず、忙しそうに往き来していた。

隅のテーブルまで突き進んだ隆二は、椅子を引いて葉月に促した。

少し怒っているようにも見えて、緊張した面持ちの葉月の前に、隆二はどかっと腰を下ろして、ネクタイを緩めた。


「あーあ! こういうの、マジで性分に合わねぇ! ここに来てから時間が長げーわ。もう三日間くらい、監禁されてる気分だ」

そう言っておどける隆二の表情はいつも通りのもので、葉月に安堵をもたらせた。


久しぶりに二人になったその空間だけが、普段通り時間を刻んでいるかのような、そんな錯覚に陥る。


「なんか、大変な一日だったな」

「そうですね。鴻上さんも大変そうです。リュウジさんもなんだか……」

「ああ、俺の方は 大変というよりは(わずら)わしいってだけだ」


一瞬、頭の中に隆二の兄の妻のことがよぎった。

美波の態度が気になった事もあり、聞いてもいいのか迷いながら隆二の顔を見上げる。


「なぁ、葉月ちゃんさ、この短時間でずいぶん雰囲気変わってんだけど?」

「え? ああ……メイクのせいですかね」

「そのメイク、どうした?」

「鴻上さんにメイクしてもらったんです。全部取れちゃったから。それで鴻上さんがベースからやり直してくれて……」

「は? メイクが取れたって、なにが……」


宴会場の入り口から、隆二に似たシルエットの男性が二人入ってきた。

隆二はそれを横目で捉えると、小さく舌打ちした。

大きく溜め息をつきながら緩めたネクタイを締め直す。


裕貴がずんずんとやって来て声をかけた。

「リュウジさん」

「ああ、わかった。ご苦労さん」

スッと立ち上がった隆二は葉月をしばらく見つめてから、きびすを返して親族のもとへ歩いていった。

その背中を見送っていると、傍らから今度は裕貴の溜め息が聞こえた。

視線を向けるとギロッと睨まれる。


「葉月! 何やってたんだよ。心配して探しただろ!」

裕貴は隆二が座っていた椅子に、前のめりに腰かけた。

「ごめん……」

「どこに行ってたの? っていうか葉月、その顔はどうしたのさ?」

「顔? ああ、メイクね。変かな?」

「いや、変とかじゃなくて、そんなきっちりメイク、さっきしてなかっただろ?」

「あ……これは」


葉月は絢子あやこに熱烈な別れの挨拶を受けたくだりから裕貴に話し始めた。

ただ一つ、徹也と手を繋いでいた事だけは言わずに。

相槌を打ちながら聞いていた裕貴は、会話もないままぎこちなく親族席に座る隆二に目をやってから言った。

「そっか。鴻上さんのお母さんの思いを伝えられたんだな。良かったじゃん。よくわかった。だけどさ葉月、今リュウジさんにも説明したのか? あまり話す時間もなかっただろうけど?」

「うん、鴻上さんにメイク直してもらった理由とかは話せてない」


葉月が隆二との会話を再現すると、裕貴はまたおもむろに深い溜め息をついた。

「完璧に誤解してる……」

「え、なに?」

裕貴は呆れたように葉月の顔をしばらく見てから、また溜め息混じりに言った。

「いいよ。ボクからリュウジさんに説明しとくから」

「え、鴻上さんのお母さんの事を?」

「はぁ!? なんでそうなるんだよ!」

眉根を寄せた裕貴は葉月のあどけない表情に目を伏せた。

「あ……まあ、その他諸々の事もね。ったく、世話の焼ける……」

そう言いながら両者の顔を交互に眺めた裕貴は、また大きくため息をついた。



第146話 『Make-up makes a makeover』メイクアップ - 終 -

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