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第141話『The secret of the waiting room』控室の秘密

葉月はコーヒーカップを二つのせたトレイを片腕に持ちながら、故人の親族控え室の中から聞こえる笑い声に、ノックを躊躇していた。

コーヒーが冷めてしまうのを懸念して思いきって腕を振り上げたところでドアが開き、徹也と至近距離で目が合う。


「そんなこったろうと思った。入って」


中に招き入れられた葉月は、頭を下げて、緊張しながらコーヒーを二つテーブルに置いた。

先ほど徹也に抱きかかえられながら控え室に向かったその母親は、今はにこやかな笑顔でメイクを直している。

混乱する頭をそのままに、状況がつかめない葉月が静かに立ち去ろうとした時、その母親はスッと立ち上がって葉月のそばに歩み寄ってきた。


「あれ? あなた、さっき私が声かけた子じゃない?」

「え……あ、はい」

「なに? 徹也の知り合いなの?」


その言葉に驚いた徹也が尋ね返す。

「え? 母さんこそ」

「ああ、さっきあなたの居場所を知らないかって、この子に聞いたのよ」


徹也は葉月の肩に、そっと手を置く。

「へぇ、そりゃ偶然だな。白石葉月さん。うちの会社のアルバイトなんだ。今日も手伝いに来てもらってさ」

「そう、バイトなの。でしょうね、社員にしてはやけに若いし」

「ああ、まだ大学生だからね」


葉月は緊張した面持ちのまま、深々とお辞儀をした。

「はじめまして。白石葉月と申します」

鴻上絢子こうがみ あやこです。ほとんど海外にいるから、この子(徹也)の事はなんにもわかんないんだけどね」

母と息子が顔を見合わせて微笑む。


「えっと……この度は、ご愁傷様で……」

「あーあー! そんなの結構よ。もう聞き飽きたもの」

そう言いながら、絢子は葉月に一歩近づいた。

「ねぇ、随分素敵なフォーマルウェアよね。あなたぐらいの年齢の人にしては、少し高価だったんじゃないの?」

絢子はにこやかに葉月の顔を覗き込む。


「ええ。昨年祖父が亡くなって、その時に母が “これから大人になったらちゃんとした席に出ることもあるから” って、新調してくれたものなんです」

「そう。お母様とも気が合いそうだわ」

絢子はふわっと美しい笑みを浮かべた。


「あ……はぁ……」


「このシリーズ、襟の形が気に入ってるのよ。あなたみたいに若くてデコルテがキレイな人に着てもらえると嬉しいわね」

そう言いながら、葉月のスーツの襟に手を伸ばす。


「え……どういうことですか?」

うろたえながら葉月は徹也の方を向いた。

徹也は首を振りながら、伏し目がちに笑っている。


「あら徹也、あなた話してなかったの?」

絢子は葉月の袖をさすりながら、その全貌を眺める。


「この洋服はウチの商品よ。『Attractive(アトラクティブ)Vision(ヴィジョン)』は私のブランドなの」

「え……ええっ!」

驚いた葉月が一歩後ろへ下がったのを見て、絢子は笑いをこらえながら話す。

「しかもこれは私自身のデザインなの。私は『Attractive(アトラクティブ)Vision(ヴィジョン)』の社長だけど、とはいえ、まだデザイナー業もやめてないのよ。まぁ、社員からは煙たがられてると思うけどね」

「す、すごい……そうだったんですか」


なるほどあのフラッシュの嵐も、これで納得がいく。

驚愕の表情のままの葉月とは対照的に、母と息子は笑顔で視線を交わしている。


「ね、とりあえず座らない? あなたも」

「は、はい……」


絢子に腕を持たれたまま、葉月はソファーに連れていかれた。

思ったよりもクッションがふかふかで、座ったとたんバランスを崩しそうになる。

一人掛けのソファーに座った徹也がその様子を見て、笑いを噛み殺していた。

葉月が抗議の視線を送ると、徹也は一つ咳払いをして、母の方に顔を向ける。


「それにしてもさ」

今度は徹也が母親を睨む。


「さっきのパフォーマンスは……ちょっとやりすぎじゃないか?」

「そうかなー? 私はあれぐらいやってもいいと思うんだけど?」

「はたして鴻上絢子が、泣き崩れるほど父親を慕っていたか? ってことだよ」

絢子が笑い出す。

「ああ、あれは半分あの人(主人)のためよ。私の代わりに父の面倒を見てくれてたから、そのお礼ってこと。ただ単に父が死んだってだけなら、会社の株価は落ちてたでしょうね。だけどまぁ私が帰国して協力的な態度を世に知らしめれば、『LBフロンティア』が安泰なのは一目瞭然じゃない?」

「すべては計算通りってことか」

「当然よ。だから今までわざと業務提携せずに、私は私で『Attractive(アトラクティブ)Vision(ヴィジョン)』を大きくしたんだから。言っとくけどね、これ自体、父のアイデアなのよ。遺言みたいなものね。まぁ、ずいぶん前に提案されたわけだけど」

「へぇ、知らなかったな」

「あなたも和也(次男)も子供だったじゃない?」

「まぁそうだけど。じゃあ父さんには?」

「ううん、言わないわよ。彼は真っ直ぐに『LBフロンティア』を育ててくれたから、そんなこざかしい話は耳に入れたくなくてね。私が日本にいられなかった分、あの人が父親の面倒を見てくれたわけだし。まぁ、ああやって恩を返したってことよ!」

「そうなのか。で? 和也()には?」

「当然言ってないわよ。あの子は父親そっくりだから。和也も随分尽力(じんりょく)してくれたみたい、あの子には苦労をかけるわね。私もそうだけど、ここにいる長男(徹也)もこんなだし?」

「あはは、こんなんで悪かったな。だから俺には手の内を話すってわけか?」

「だって、あなたは私寄りの人間でしょ?」

「フッ、血は争えねぇな。まぁ、俺が自由にやれてるのも和也のおかげだしな」

「そうよ! 感謝しなさい! それで? 徹也、あなたあの人(父親)と話したの?」

「ああ、一応挨拶だけはね。相変わらず辛辣な対応だしな」

「まぁ……しょうがないわよね。あの人はあなたに会社を継いでもらいたかったから」

「なんでだろうな? 和也がいるからいいじゃん」

「まぁ結局、妻と長男がフラフラしてるから、体裁が悪いんじゃない?」

「そうかもな」


ホールでのパフォーマンスの裏側を聞かされて、葉月はなんとも居心地の悪い思いをしていた。

そんな葉月の心情に気付いてか、絢子が声をかけた。

「ねぇ、あなた。葉月ちゃんだっけ?」

固まったまま黙ってちょこんと座っていた葉月は、突然絢子に話しかけられて驚いた拍子にバランスを崩し、ソファーの波に飲まれそうになった。

「あっ、あ、はい」


徹也が下を向いて笑いだす。


「なんか身内の話しちゃってごめんなさいね。でも、そんなに緊張しなくてもいいんじゃない?」

「だ、だって、すごいデザイナーが目の前に……」

「あら、そんなことだったんだ? 可愛いわね。いくつ?」

「21歳です」

「うわー! ピチピチだわ! 徹也、まさか……手、出してないでしょうね」

徹也は持ち上げていたコーヒーをこぼしそうになって、慌ててテーブルへ置いた。

「あのな! なんてこと言うんだ!」

「冗談よ。バイトの大学生に手を出したりなんかしたら、センスのいいお母様に謝りにいかなきゃならないわ」

「ったく……変なこと言うなよ」

「うふふ。でも葉月ちゃん、私、なんか気に入っちゃったな、あなたのこと。年の割にはしっかりしてるみたいだし。ねぇ徹也、私、別にいいわよ、あなたたちが付き合っても」

徹也が大きくため息をつく。

「あのな母さん、今日本じゃそういうこと言っちゃダメなの知ってる? コンプライアンスに引っかかるんだぞ」

「ふん。面倒な時代になったわね。ねぇ葉月ちゃん、あなたは恋人がいるの?」

「へっ?」

「だからそういうのもダメなんだって……」


その時ノックが鳴った。

ドアの向こうから声がする。

「喪主の方がお呼びです」


「わかりました。すぐ参ります」

絢子は大きなよそ行きの声を上げてから、一つため息をつく。


「もう時間ね。じゃあ、ここからはテンションを下げて、演じるとしますか!」

「ったく。自分の父親がなくなったんだろ?」

「パパは何年も植物状態だったのよ。これでようやく安らかになれるわ。あの人(主人)も肩の荷が下りるでしょうし」


徹也はお手上げと言わんばかりに、眉を上げながら溜め息をつく。


「記者会見、あんだろ?」

「ええ、今夜になるかしらね」

「随分急だな。会長の葬儀当日だぞ?」

「だって、私も早くフィレンツェに戻りたいし」

徹也は驚いた表情で母を見据える。

「は? 親の葬儀なのに。ってか、イタリアに居たのか?」

「母親がどこに居るのかも知らない息子もどうかと思うけどね。今はドゥオモに拠点をおいて、暇があれば宮殿を見て回ってるわ。インスピレーションの宝庫よ。あなたも来てみたら?」

「俺もあいにく、暇じゃないんでね。なんなら母さんより先に、ここを出るかもしれない」

「そう」


絢子は徹也の前に立って、ネクタイを直しながら言った。

「あなた、またイイ男になったかも!」

「はぁ? こんな時に言うことか?」

「仕事、忙しいんでしょ?」

「それ、どう関係があるんだ?」

「男はね、仕事が充実したら顔が輝いてくるの。だから前の会社は早くやめなさいって、私言ってたじゃない? あの時は顔が死んでたもの」

「あはは、確かに……」

「今は楽しそうよね。こんな可愛いバイトちゃんもいるし!」

そう言って絢子はまた葉月の方を向いた。


「色々、お世話になるわね。息子をよろしく!」   

「あ、はい。あまり……お役に立てるとは思わないですけど……頑張ります」

「あら、もっと自信を持ちなさい! その洋服を着てるのよ。ほら、胸張って! あなたは若いっていう素晴らしいスキルも持ってる。その服だって着こなせてるわ。しっかり前を向いて、自分らしく歩きなさい」

葉月は絢子の顔をまじまじと見た。

その言葉には力があり、温かみも感じた。不思議な気持ちが湧いた。

「はい。ありがとうございます」



二人が退出すると、葉月は食器を片付けてから部屋を後にした。


「葉月」


廊下に出ると、すぐそばの壁に、祐貴がもたれて立っていた。


第141話 『The secret of the waiting room』控室の秘密 ー終ー

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