第140話『Being Too Dramatic』劇的な登場
袂にハンカチをしまいながら歩き去るその美しい喪服姿の女性を、強ばった表情のまま見送る美波に、葉月は恐る恐る声をかけた。
「あの……」
なにかに捕らわれたように彼女を凝視して言葉を発しない美波のその腕に、葉月はそっと手をかける。
「美波さん?」
美波は我に返ったように、大きく息を吸って葉月に視線を戻した。
「どうしたんです? お知り合いですか?」
彼女の異変を感じ取った裕貴も、心配そうな面持ちを繕うように、美波に明るく声をかける。
「あそこにいる人、リュウジさんのお兄さんですよね? なんか雰囲気が似てて、ボク、二度見しちゃいましたよ」
「あ……ええ、あの人は水嶋先輩……じゃなくて隆二さんのお兄様よ。お会いした事はなかったけど、隆二さんとスタイルもよく似てるわね」
そう言いながらも、まだ様子がおかしい美波を見て、葉月はその原因が隆二の兄のことではないと悟った。
「美波さん、ひょっとしてあの奥様と……」
そう葉月が尋ねた時、裕貴が後ろで微かに声をあげた。
振り向くと先ほどの女性がこちらをじっと見つめたまま、つかつかと歩いてくる。
その視線が挑発的に見えて、なんだか恐怖心が湧いた。
「月城……さんよね?」
その芯のある声に、美波はたじろいだように返事をする。
「は、はい、ご無沙汰してます……山野先輩」
女性は空を見上げながら、フッと笑った。
「あら、懐かしい。そんな風に呼ばれるのは久しぶりだわ。でもね月城……さん、今の私は“水嶋美里”なの。知ってるわよね?」
「あ、はい」
「ならいいわ。あなたはどうしてここへ?」
「あ……鴻上家のお手伝いで」
「ああ! なんか聞いたわ。徹也の会社の役員なんですってね? 隆二がダメなら徹也? いつまでもマネージャー気取りで、さぞ楽しいでしょうね」
「私は、そんな……」
みるみる青ざめる美波に、美里は高らかに笑いながら距離を詰めた。
「やだ、冗談よ! そんな顔しないで。バスケ部、懐かしかったからつい。ごめんなさいね。あ……それじゃ、主人が待ってるから、行くわ」
そう言って水嶋美里は美波ににっこり微笑みかけると、裕貴と葉月には目もくれず、くるりと背を向けてまた会場の入り口に戻って行った。
葉月が上ずった声で、その沈黙を破る。
「あ、美波さんのお知り合いだったんですね。今の人、バスケ部って言ってましたけど……高校の、ですか? あ……」
明らかに青ざめた顔をした美波は視線を泳がせていた。
「美波さん……大丈夫ですか?」
美波は葉月の質問には答えようとせず、取り繕うように言った。
「あ……うん、どうってことないわ。気にしないで。あ、仕事、頼めるかしら」
それっきり、美波はその話に触れようとしなかった。
裕貴といぶかしい顔をしながらも、美波の後に続いて、二人は『form Fireworks』のスタッフと合流し、葬儀のあとの弔問客をもてなす会場の準備をした。
少し手が空いたところで、スタッフから手渡されたお茶のペットボトルを持ったまま、葉月と裕貴は巨大なテーブルの周りに並べられた椅子に座って一息つく。
「……さっきの美波さん、かなりおかしかったよな?」
お互いずっと気になっていたことを、裕貴が切り出す。
「うん……あんな美波さん、今まで一度も見たことないよ。あの着物の人、リュウジさんのお兄さんのお嫁さんよね? その人がたまたまみんなと高校が一緒ってこと?」
「そうだな。美波さんがバスケ部のマネージャーやってたこと知ってて、身内のリュウジさんのことはまだしも、鴻上さんのことも呼び捨てって事は、あの人はリュウジさんと鴻上さんの同級生か……美波さんも山野先輩って呼んでたし」
「でも、リュウジさんのお兄さんのお嫁さんなのよね」
「うーん……偶然、なのかな? そもそもリュウジさんが、兄貴に自分の高校の同級生を紹介するとか、あり得ないし」
「そうね。そんな感じじゃないかも」
「にしても、美波さんの態度はおかしすぎだよ」
「確かに……私、心配だから葬儀が終わったら、お話を窺ってみようかな」
「そうだな。どこまで話してくれるかはわかんないけど、葉月が心配してくれてると思ったら、美波さんもホッとするんじゃない? それでなくても忙しそうでさ、ずっと走り回ってただろ?」
「あ、そう言えば鴻上さんのお母さんって、もう到着したのかな?」
裕貴は時計をみながら応えた。
「本葬まであと一時間か。もし空港なら、間に合うかどうか微妙だな」
「そうそう、さっき美波さんが“帰国”って言ってたよね? 海外に?」
「え、葉月知らないの? ボスからなんも聞いてない?」
「なんのこと?」
「とか言って、ボクもまぁ……リュウジさんに聞いたばっかりなんだけど。知らないか、鴻上さんのお母さんのこと」
「うん。聞いてない」
「お母さん、ファッションデザイナーなんだってさ」
「え?」
「今回亡くなった会長って、元々デザイナーだったらしいんだ。それと、会長は鴻上さんのお母さんの父親なんだって」
「そうなの? じゃあ、お父さんは?」
「ああ、多分婿養子だな。会社の経営は今やお父さんが取り仕切ってるらしいけどね。あ、あの弟さんと」
「じゃあ鴻上さんのセンスは、おじいさんやお母さんからの影響を受けたってことね」
「そうだろうな。小さい時からそういう環境だっただろうから」
「ねぇユウキ、ゆくゆく鴻上さんが『LBフロンティア』を継がなきゃいけないなんてことは……」
「まあ、あそこにいた弟さんが、実質お父さんの右腕みたいだけど……どうだろうなぁ。リュウジさんがずいぶん前に言ってたんだ。“徹也んとこもなかなか複雑で、俺んとこと境遇が似てる”って。その時は意味がわからなかったけど、お家の話とはね」
「ってことは、リュウジさんのお家も複雑ってことなのかな?」
「さあ。リュウジさん、家のことはボクにもあんまり詳しくは話したがらないから」
二人顔を見合わせて、ため息をついた。
葉月のスマホが振動する。
本葬の時間が近づいたので会場前で待つようにと、スタッフメールが入った。
ホールに戻ると、会場の大きな扉が開け放たれており、権力の象徴とも窺えるほど絢爛豪華な祭壇と、大きな遺影が露になっていた。
そしてそこには、先程とは比べ物にならないくらいの大勢の喪服を着た人々がたむろっている。
中には、明らかにマスコミと見てとれる機材を抱えた集団もあった。
葉月と裕貴は弔問客の案内をするべく、その入り口付近で待機した。
すぐ近くに徹也の父と弟が立っている。
そこに徹也の姿がないことも、葉月は少し心配していた。
巨大な吹き抜けの向こう側にあるエレベーターホール付近から、急にざわめきが聞こえてきた。
まるで開かれていく道のように人がかき分けられ、同時にフラッシュがたかれる。
その中心を多くの取り巻きを引き連れた行列が、こちらの会場に向かって歩いてくるのが見えた。
その先頭を歩いている女性は、挨拶する人々に一応会釈はするものの、誰にも目もくれず祭壇の前までまっしぐらに向かってきた。
そして鴻上家の喪主である徹也の父と、そのとなりの弟の前に立つ。
大勢の人が、その様子を見ながら息を潜めた。
「あなた」
女性がそう言ったことで、葉月には彼女が故人の娘であり徹也の母親であることがわかった。
そして彼女は次男の手を取り話しはじめた。
さらにフラッシュがたかれる。
そして彼女は周りを見回した。
彼女が誰を探しているのかは、容易に見当がつく。
女性の視線が扉の前に立っていた葉月にとまった。
目を合わせたまま、彼女は葉月のところまで真っ直ぐにつかつかとやってくる。
「ねえ、そこのあなた。徹也知らない?」
「あ、はい。あ、いえ、えっと、先ほどまでここにいらしたんですが……」
葉月がしどろもどろになりながら答えていると、その後ろから声がした。
「母さん」
「徹也!」
そう言って彼女は、現れた息子に駆け寄ると両手を伸ばして抱き締めた。
日本ではなかなか見ることのないような光景に周囲はざわめき、皆驚きの表情を浮かべている。
フラッシュが瞬く中、母親は泣き崩れ、いつのまにか息子が母親を抱きしめている形になった。
徹也は優しく母親を抱きかかえ、控え室の方向に足を向ける。
徹也がパッと振り返り、その視線で葉月を捉えた。
緊張で立ち尽くしている葉月に向かって、ごく僅かに片方の口角を上げて、空いた左手でコーヒーカップを口に寄せるゼスチャーをした。
ハッとしながら葉月が頷くと、徹也は少し小首を傾げ眉をあげてから表情を戻した。
そしてフラッシュの軍団を引き連れ、母親を支えながら控え室の方向へ歩いていった。
不思議な気持ちのままコーヒーを淹れた葉月は、それらを乗せたトレイを抱えて控え室の前に立った。
ノックをしようと手を上げた途端、中から笑い声が聞こえ、思わず叩くのを躊躇する。
このまま入っていいのか悩みながらも、コーヒーが冷めてしまうことを懸念して、思いきって腕を振り上げたところで、ガチャッとドアが開く音がした。
顔を上げると徹也と至近距離で目があった。
「そんなこったろうと思った。入って」
徹也はにっこり微笑みかけると、大きくドアを開けて、葉月を招き入れた。
第140話 『Being Too Dramatic』劇的な登場 ー終ー




