第136話『Unexpected visitor』予期せぬ訪問者
事務所での仕事を終えて『Blue Stone』に向かう道を歩きながら、『エタボ』の事務所に向かう日が近付いていることで自分が少しナーバスになっていると感じた。
葉月は小さく首を振り、頭を切り替えようとする。
葉月は一人大きく頷いて、息を吐きながら、『Blue Stone』の扉をそっと開いた。
今日は隆二はいないと、昼間に会ったときにそう裕貴から聞いていた。
扉を開けると、心地よい華やかな音楽と共に、正面のカウンターで、明るい表情が顔を上げた。
「おっ、『|BLACK WALLS』のマスコットガールじゃん、いらっしゃい!」
「こんばんは、アキラさん」
微笑みながらいつもの席につく。
「今日も仕事だったの? フツー大学生ってさ、もっとフラフラ好きなように過ごしてるもんじゃないの? なんか葉月ちゃんはいつも忙しそうだな」
アキラは笑いながら、カウンターにコースターを置いた。
「そうですか? ある意味、やりたいことをやってるって感じに近付きつつあるんですけどね」
その言葉に、リキュールをチョイスしながらアキラは首をかしげる。
「やっぱそういうとこ、真面目でストイックなんだよな。そんなに忙しくしてても疲れを感じてないのは若いからだろうけどさ、気を付けないとドッと来るぞ!」
笑いながらそう言って、葉月の前にスッと飲み物を出した。
「それとさ」
葉月が顔をあげる。
「今日はリュウジは不在だよ」
「あ、ええ。ユウキに聞いてたんで」
「そっか、知ってたんだ? なんか探してるように見えたからさ」
そう言われて少し驚いた。
無意識にきょろきょろと店内を見渡していたんだろうか……
グラスに手をやり、一口流し込む。
刺激的な冷たい一筋が体の奥に流れ込んでいくのを感じながら、下ろしたグラスに視線を戻した。
グラスを持ったその手首に揺れる華奢なブレスレットを見ながら、数日前このカウンターで感じた隆二の指のぬくもりを思い出して、また顔が赤くなるのを感じた。
「葉月ちゃん、これさ、今日の俺の “まかない” なんだけど。割と自信作なんだ。味見してみてよ」
アキラはそう言って、ゴロゴロと野菜の入ったスープを差し出した。
「わぁ美味しそう! いいんですか?」
アキラは頷きながら葉月にスプーンを手渡した。
「だって仕事終わって何も食べてないまま来たんでしょ? そんな状態で飲んだら酔いが一気に回るじゃん。ほら、まだそれだけしか飲んでないのに、顔真っ赤だし」
「いや……あ、えっと、いただきます」
葉月はバツの悪さをごまかすように、受け取ったスプーンからスープをすくった。
「わぁおいしい……すごくまろやかな味!」
「よかった」
アキラは満足そうな笑みを浮かべた。
「ここの人って、みんな料理できるんですよね? すごい」
「今や男だって料理ぐらいできないとね。とか言ってさ、単に一人暮らしが長い男ばっかだってことなんだけど」
しばらくは来客もないまま、二人はバスケの話に花を咲かせた。
『BLACK WALLS』結成秘話やメンバー達との馴れ初めを一通り聞いたところで団体客が入店し、アキラは客たちを奥のボックス席に誘導した。
「ちょっとごめんな、しばらく一人で大丈夫かな?」
「ええ、もちろん」
そう言って小さく手を振って、葉月はアキラを送り出した。
陽気なJAZZが流れる空間でグラスを傾ける。
一人だと妙にただっ広く感じるその空間を見回すと、壁にかかっている額縁に入れられたポスターやネオンを模した絵画もどれにも趣があり、一つ一つの調度品にもこだわりがあることに気が付く。
「本当に素敵な空間よね」
氷がカランと音をたてた。
正面の棚に綺麗に並んだリキュールのボトルに目をやる。
ブルーのライトの放つ光が、まるで海の中に居るような神秘的な空間を演出している。
不意に、ここで隆二とNBAの話をしたことを思い出した。
まだお互いになにも知らなかった夏の日だった。
誰も座っていないカウンターの一番向こう側にあるアンティークシェード。
真っ暗なこの店の中でこのランプに照らされ、浮かび上がった隆二の顔を、綺麗だなと思って見つめた記憶がふとよみがえる。
その表情と、ついこの前ここに立って葉月の手に触れながら視線を上げて、真っ正面から葉月の瞳を見る隆二の表情が重なった。
鼓動が一つ、耳の奥で鳴った。
頬の先が熱を帯びていくのを感じる。
喉が渇いて、思わずグラスを持ち上げた。
再びアンティークシェードに目をやる。
ステンドグラスのようにいくつものカラフルなガラスがはめ込まれたそのシェードには、ひとつだけ際立って赤いガラスがあり、それを囲むように緑色のガラスが並んでいてまるでバラの花のように美しいアクセントになっていた。
「あれ? どこかで……」
無意識にそう口走っていた。
どこか別の場所で見たような、不意にそんな気持ちが湧いてきた。
どこだったのだろう。
こんな洒落た小道具が似合うような場所はそんなにはないはず……
そう思った時、スッとその場面が頭によぎった。
そう。
裕貴がドラムを演奏している時。
ピアノの方に目を向けると、美しい横顔の美玲が華麗な手つきでピアノを奏でていて、その彼女の体の向こう側にあるサイドテーブルに……
葉月はもう一度カウンターの隅のシェードランプを見た。
「間違いない。『Moon Drops』と……美玲さんと同じ……」
「葉月ちゃん! おい、葉月ちゃん? 聞こえてないのか?」
その声に視線を向けると、アキラが心配そうに葉月の顔を覗き込んでいた。
「どうしたの? 変な顔して。凝視するほど珍しいものでもあったか?」
「あ……いえ、別に。ちょっとぼんやりしてただけだから」
「そう? あ、やっぱりカラになってる」
アキラはそう言って葉月のグラスを見つめた。
「どうしようか葉月ちゃん、二杯目からはアルコール抜きになるけど?」
「え?」
「ウチのキャプテンがさ……」
「リュウジさんが?」
「うん。葉月ちゃんが一人で来てる時は、アルコールは一杯だけってのを死守しろって。誰か保護者が居る時はいいって言ってたけどね」
「保護者って……成人してるんですけど!」
「あはは。ホント、それな。でもキャプテンの指令だからさ。今日は徹也もユウキもいないしなぁ。諦めてね」
そういえばもうすぐ琉佳が来る筈だと、そう言いかけた時、ドアのベルが鳴って誰かが入ってきた。
「おお! 噂をすれば」
そのアキラの視線を追って振り向くと、そこには琉佳ではなく、今日はまだ顔を合わせていなかったボスが立っていた。
「鴻上さん?」
「徹也! 久しぶりだな」
「何だ? 噂をすればって。俺、なんかディスられるような事したっけ?」
アキラがコースターを葉月の横に置きながら言った。
「別にディスってねぇよ、社長。保護者が来たおかげで葉月ちゃんが二杯目の酒を飲めるって話」
「なんだそれ?」
そういいながら徹也は、葉月の顔を覗き込んだ。
「なんだ? アキラの話が退屈だったとか?」
「おい! そんなわけないだろ! 徹也、 “ウチのマスコットガール” と約束してたのか?」
「いや」
「だったら珍しいよな? こんな時間に来るなんてさ」
「ああ、しばらく出張続きで “ウチの従業員” としばらく顔を合わせられなかったからな。もうここ2日会ってないから」
「なんだそれ? 恋人に言うみたいなセリフだな。徹也がそんなこと言うなんて意外すぎる」
「そっか? まあ、俺もこのところキラキラした連中の洗礼を受けてるからな」
「そうなの? まさかパリピとつるんでるとか?」
「あはは、そんなところだ。やたら火遊びが好きな連中で、情熱とスピリッツで食ってる」
そう言って葉月に目配せする。
きっと『Eternal Boy's Life』の事を言っているのだと気が付いた葉月が笑顔で返す。
「なにそれ、徹也の交友関係はよくわかんねえよ。昔から落ち着いててさ、チャラい世界とは無縁みたいな顔してたのにな。今はド派手な頭してド派手な世界に取り囲まれてさ、でもそれでいて全然それに染まらないっていうか、なんかそういうイメージだ」
「へえ意外。アキラがそんな風に俺のこと見てたなんてな。でも分かんねえぞ? 俺も影で悪さしてるかもしれないじゃん」
「うわ、徹也からそんな言葉聞くとは! 今日はカメラ回しておきたかった保存映像もいっぱいあったよな、葉月ちゃん?」
「あ、ええ」
アキラが愉快そうに笑いながら、葉月の二杯目のカクテルを出した。
ホールからの内線電話がかかってきた。
「ああ、奥に団体客がいてさ、君ら二人にするけど、構わない?」
「ああ、仕事頑張れよ、アキラ」
「会社のミーティングじゃねぇんだから、ここでは楽しい話しろよな。葉月ちゃんを退屈させんなよ、社長!」
「うっせえな、わかってるよ!」
アキラは笑いながら葉月に手を振って、ホールの奥へ消えていった。
「なんかさ……前もあったよな、このシチュエーション」
「そうですね」
二人とも同じ夜を思い出していた。
第136話 『Unexpected visitor』 予期せぬ訪問者 ー終ー




