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第135話『Back To The Office』オフィスに戻ると

裕貴には気にしてないと言った。

でも……

一度目は聞き間違いかも、と思った。

でも二度目の、あの0.1秒のインターバルは……

美玲さんはリュウジさんのことを “隆二くん” とは呼んでいなかったのだろう。  


「リュウジ」

きっと……そう呼んでいた。


あんな美しい人にそんな風に呼ばれて、リュウジさんは……

二人の中に流れる空気感を想像して、葉月は慌てて首を振った。


三年間も会ってない、って言ってたし。


葉月はひとつ深呼吸をして『|form Fireworks《会社》』へと足を早めた。




会社に戻る途中で、通り道にあたる駅前のスタバに寄って、ダークモカフラペチーノを2つ買い、それを持って6階のオフィスの扉を開けた。


人気ひとけがなく静まり返っているオフィスを見回す。

「あれ? 琉佳ルカさん、どこ行ったんだろ? 食事に出たとか?」


デスクにラベンダーからーのバッグとコーヒーの入った紙袋を置いて、葉月はリラクゼーションコーナーに近づいた。


「うわっ!」

驚いた声を上げた葉月に、寝ぼけた声が返答する。


「ん……あれ……? うわ、やべぇ、寝ちまった! あ……ってゆうかさ、そんなに驚かなくても」

「あ……いえ、このベンチで上半身が隠れてて、足元しか見えなかったので」

「なに? 誰か死んでるとでも思った?」

「死んでるとまでは……思わないですけど」


琉佳は寝転んだまま笑った。

「あはは、そりゃそうだよな。ねぇ白石さん、起こしてよ」

「え?」

「ほら! 手、引っ張って!」

そう言って琉佳は、垂直に両手を上げた。


葉月が一歩近付いて、伸ばした指がその腕に触れる寸前で、琉佳はスッと葉月の手首を取り、 グッと引き寄せた。 


「え? 琉佳さん!」

緊張した面持ちを見せる葉月に、琉佳は笑いかけながら言った。


「ごめんごめん 白石さんの危機管理を試したくてさ」

「何ですか、それ」


琉佳はそっと起き上がって、意味ありげな眼差しで葉月の顔を覗き込んだ。

「ねぇ白石さん。もしここに寝てるのが徹也さんだったら、この後どうなってると?」


「え? 鴻上こうがみさん? えっと……あ!」

「そう! 思い出した? 君がここに初めて来た日、僕が君を救って “犠牲” になったこと」


葉月は笑い出した。

「あはは、 “犠牲”って言います?」

「立派な犠牲だよ。どうして僕が男に唇を奪われなきゃならないんだ? まぁ……徹也さんの唇は……」

「え?」

「あ……いや、そんなことはどうでもいいけど、 とにかく! ここに誰か寝てたら、徹也さんかもしれないと思って近寄らないことだな」

「何ですか、それ。さぼってた言い訳ですか?」

琉佳は眉を寄せる。

「あーあ、白石さんまでいつの間に辛辣しんらつなこと言うようになっちゃったなぁ。僕は優しい女性が好みなんだけど」

「琉佳さんの好みは、よく分かんないです」


琉佳は苦笑いしながらリラクゼーションコーナーから立ち上がると、葉月のデスクに目をやった。

「あれ? あの君のカバンの隣にある紙袋……」

「あ! スタバで買って来たんです。ダークモカフラペチーノ。 あ……溶けちゃう。早く飲んでもらわなきゃ」


そう言って歩走り出そうとする葉月の手を、琉佳は再び掴んだ。

「前言撤回」

「え? 何がですか?」

「白石さん、君はやっぱり優しい子だね。僕と始めてみる気はない?」

「何言ってるんですか!」


葉月は溜め息混じりに琉佳の手を外すとデスクに向かって歩いていった。

その背中に向かって琉佳は微笑みながら言った。

「そう? わりと真面目に考えたんだけどなぁ。僕はいつでもオッケーなんだけど」


葉月が紙袋を持ったまま振り向いた。

「琉佳さん、いい加減にしてください。彩さんに言い付けますよ!」


琉佳が苦い顔をする。

「うわ……そういう攻撃? 手強いなぁ白石さんは。まぁ……でも」


「え、まだなにか?」

そう言いながらいぶかしい表情で自分の顔を覗き込みながら、取り出したカップを手渡す葉月の顔を見て吹き出す。


「なんで笑ってるんですか!」

「いやいや、かわいいなと思って」


そう言って自分の頭の上に手を置く琉佳を、葉月はまた睨んで言った。

「美波さんにも、言っちゃお!」


思わずスッと手を引っ込めた琉佳と目が合う。

二人は同時に笑い出した。




時計の短針が下を向き、オフィスに差し込む 陽の光がオレンジ色を帯びてきた。

琉佳が長い両手をグーんと伸ばし、デスクチェアの背もたれをのけぞらせた。


「う……さすがに目が疲れるな。白石さん、そっちはどう?」

「ええ、もう終わりそうです」

「ホント? 良かった……しかし、優秀だなぁ!」

   

照れ笑いしながらも、葉月は手を止めないまま 琉佳と会話をする。


「マジで助かったよ。ホント、まったく姉ちゃんは忘れ物が多い。人使いが荒いよな? 白石さんを役所にまで行かせておいて、更に書類作成まで頼むなんてさ。全部自分の仕事だろ?」

「いいんですよ、このくらい。まだOLに憧れてる大学生の身ですから。なんだか仕事した実感があって、いい感じです」

「人が良いんだから……そう言ってくれると助かるけどね」


琉佳はそう言いながら立ち上がって、大きなストライドでリラクゼーションコーナーに向かった。

ショーケースのようなドリンククーラーをおもむろに開けると、そこからミルクティーを取り出して葉月のところへ戻って来た。


机の角に腰を掛けて、葉月の手を止めるようにボトルを差し出す。


「ユウキは元気だった?」

「ええ、とっても。ありがとうございます」

葉月はボトルを受けとると、琉佳の方に体を向けた。


「どこ行ってきたの?」

「今日はユウキの行きつけのジャズバーでランチをご馳走になったんです」

「行きつけがジャズバーなのか? 渋いって言うか……ナマイキだな、ユウキのヤツ」

「あはは、もともとリュウジさんが『Blue Stone』を開店する前に通っていたらしくて……なので食事だけじゃなくて、ユウキとそこの店主さんとのセッションも聴かせてもらって……もぉなんだか、最高でした」


顔を輝かせる葉月に琉佳もいっそう笑顔で問いかける。


「そっか。やっぱりユウキもドラム上手いの?」

「ええ、私もユウキがジャズを叩くところは初めて見たんですけど、すごくサマになってるし、もちろん正確だし……ピアニストの店主さんの指導もいいんだと思います」

「やっぱそうだよな、なんてったって『Eternal Boy's Life』のリュウジの付き人なんだもんな。近くでイイ音を聞いてりゃ、自然と感覚もつくんだろうな」

「そうですね。今日はなんか贅沢な気分を味わいました」

「そっか。なんかそんな話ししてたらユウキに会いたくなるな。白石さん、今夜は『Blue Stone』に行くの?」

「ええ、まぁ行くには行くんですが……今日ユウキは楽器店の棚卸しがあって、多分来られないんじゃないかと思います」

「えーそうなの? リュウジさんは?」


葉月が首を振る。

「だよな? まあいい。あの背の高いひょうきんなバスケマンと話すとしよう!」

「あははは」



二人が帰り支度をしていると、琉佳が携帯電話を取り出して言った。


「あれっ? 徹也さんからメールだ」

そう言いながら画面を覗いたまま、親指を動かしたり止めたりし始めた。


支度を終えて、デスクの上にあるカバンに手をかけたまま突っ立っている葉月に向かって、琉佳がいつになく乾いた声で言った。

「白石さん、ちょっと長くなりそうなんだ…… 先に『Blue Stone』に行っといてもらっていいかな?」

「え? あ、はい。わかりました」


"いいですよ、待ってますから" とは言いにくい空気感があったので、葉月はカバンをスッと持ち上げて、オフィスを後にした。

ドアがしまる寸前に「もしもし、徹也さん? どうしたんです?」と言う琉佳の声が聞こえた。

なにか問題でも起きたのではないか、と少し心配な気持ちを残しながらも、葉月はビルの外に出た。

まだうっすらと夕焼け色が残った空を見上げ『Blue Stone』へと足を向けた。


昼間のうだるような暑さとは打って変わって、夜になればほんの少しその風に秋の気配を感じる。

先日まで夜の街灯に止まったセミが鳴いていた通りにも、今ではコロコロという秋の虫たちの声が幾重にも響いている。


後ろを振り返る。

琉佳の姿はない。

彼が折り返したあの電話の相手はボス……

長くなりそうだと言っていたけれど、二人は一体何の話を?

仕事の話……当然、そうなんだろうけど。


葉月は一つ息をついて、また空を見上げた。

一粒の大きな宝石のように、金星が輝いている。


『エタボ』の事務所に向かう日が近付いていることで、自分が少しナーバスになっていると感じた。

誰にもその本心は打ち明けられないけれど……


  香澄さんに会ったら…… 

  ハヤトさんと目が合ったら……


自分が思いがけない態度をしてしまったりしないかと、不安で仕方がなかった。


  いいえ大丈夫、みんな居るのわけだし……


葉月は小さく首を振り、頭を切り替えようとする。

キラにもアレックスにも会えるし、トーマも、そして裕貴も徹也も居てくれる。

何より、隆二が『エタボ』に正式加入するという局面に、自分が立ち会うことが出来る夢のような話なのだと。


葉月は一人大きく頷いて、息を吐きながら、『Blue Stone』の扉をそっと開いた。

いつものように壁にかかったアーティスト達と目配せをしながら、ゆっくりと赤い階段を下っていく。


今日は隆二はいないと、昼間裕貴はそう言っていた。


中扉に手をかけ一気に押し開けると、心地よい華やかな音楽と共に、正面のカウンターで明るい表情が顔を上げた。


第135話 『Back To The Office』 オフィスに戻ると ー終ー

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