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第112話『Unreasonable boss』理不尽な上司

スタッフルームの中に入った徹也は、葉月が眠っているソファーの脇に腰を下ろして彼女の様子をうかがうだけにとどまらず、大きな声で彼女を起こしにかかった。


「おい! このままキスで起こされたいのか? 白雪姫」


「……ん? キス……?」

葉月の目がうっすら開いた。

「あれ? ここは……え? だれ……」


「おい、まだキスしてないぞ。毒のリンゴは食わなかったか。それで? どれくらい飲ませたんだ? リュウジ?」

いきなりそう振られて、隆二は慌てた。

「あ…… いや、2~3杯しか飲んでないぞ。しかも薄めにしてるし」

「そうか。なら、俺のせいだな」

「は? どういうことだ?」

「二日前から社員にアイデアを捻出して来いって、まぁ課題を出してたんだが、アーティストの卵たちと同等に彼女にもダメ出しや注文をつけたから……多分寝てないんだと思う」

「お前……なんでそんなことするんだよ、ホントにドSかよ!」

「いゃ……彼女の感性ってさ、凄いんだ。いいもん持ってるから、つい俺の方が熱くなっちまって思わず……悪かったかもな」

「お前、そう思ってるならもっと優しく起こしてやれよ」

「え? こんな風にか?」


徹也は至近距離まで、葉月に顔を近づけた。


「お、おい! お前、寝込みを襲うなんて犯罪だぞ!」

「あはは、そりゃそうだな」

そう言って葉月の頬をつねった。

 

「しかし、こんだけ無防備なんて、本人にも責任があるんじゃないのか?」

「え?」


徹也は見上げるように、しゃがんだまま隆二を見据えた。

「リュウジ、お前だから……なのか?」


徹也の真っ直ぐな視線に少したじろいだ。

「そんなこと……ないだろうけど。ほら、たまたま “魔王” に睡眠不足にさせられたタイミングってだけだろ?」

「魔王ってなんだよ! たまたま……ホントにそうかねぇ? 全く! なんだ、こんな顔して!」

そう言って、徹也はまた葉月の頬をつねる。


「う……ん……」


「なんか、面白れぇ」


「やめとけよ! この“ドS魔王”が!」


「は! 魔王が昇格した。じゃあそろそろ本気出して起こすか! おい! 白石くん!」


「お前……またそんな……」


葉月が動き出した。

「はい……えっと……ここって……」


「ここは『Blue Stone』だよ。白石くん」


「しらい……? ん? えっ!」


「お目覚めか、白雪姫? 王子のキスの前に起きるってことは、俺は拒否られてるってことか? それとも待ちくたびれた? それなら 今からでも……」


「うわぁ! なんでボスがここに?!」


驚いた顔で目を見開く葉月に向かって、徹也が静かに言った。


「……ちょっと待った。“ボス”って何だ?」

 

葉月は起き上がって、気まずそうに髪を直しながら落ち着きなく言った。

「ええ……いや、なんでしょう? そんなこと言いました?」


腕組みをした徹也が葉月をにらむ。

「確かに聞こえたなあ “ボス” って。そんな呼び方してるわけ?」


「いえ、してませんよ」


「そうかな? なぁ、俺ってそんなにドSな上司なの? しかも何? そのビビリ方は」


「べ、別に、そんなふうに思ってませんよ。 っていうかなんでここにボス……あっ」


徹也が大きく息をついた。

「はい確定! 現行犯逮捕だな」

 

後ろで隆二が笑いだした。  


「リュウジさん……これはどういうことなんでしょうか?」


「葉月ちゃんは疲れてるって事だな。このドSな魔王にキツい仕事を押し付けられて、寝てないんだろ? かわいそうに。少しはいたわってやれよ。ボス!」


「うるせーなー! 今からは俺は “王子様” だ!」


「え?」


そう言って徹也は、ブランケットを剥がして葉月をふわっと抱き上げた。


「ちょっと、……鴻上さん!」


「今また詰まったな “ボス” って言いかけただろう! お仕置きだな。このまま連れて帰るから」


「えっ!」

「えっ!」

葉月と隆二が同時に言った。


「なんだ? 二人ともそんなにビビった顔しないでいいだろ。俺はまだ飲んでないし、今日は車があるからこのまま送っていく」


「でも……」

 

「いいから……ちょっとは言うこと、聞いてくれよ。 こう見えて俺だって反省してるんだ。負担かけすぎたのは悪かったよ。許してくれるだろう? 白雪姫」  


「白雪姫? それって何のことですか?」


隆二と徹也は同時に笑った。


「あの、降ろしてくださいよ」

「ダメ! このまま連行する」

「何でですか?」

「俺が王子さまだからだよ!」

「何言ってるんですか! もう立てます!」

「いや、無理だな。さっき起き上がった時、軽い貧血起こしてたぞ。目は充血してるのに下まぶたは真っ白だ。そんな状態で階段上がってみろ、白雪姫が永遠の眠りについちまうだろ」


葉月は何も言い返せなくなった。

「すみません……」

「静かに俺に身を任せて。いいね?」


葉月は頷いた。


徹也が葉月を抱き上げたまま、隆二の方を向いた。

視線が絡む間、ほんの少しのタイムラグがあった。


「リュウジ、実はお前に話があったが……また今度にする。それと、これからうちの従業員がちょくちょくここに来るだろうから、彼女の分も含め、飲み代は全部俺につけといて」

「ああ、分かった」

隆二はそう言いながら、葉月のカーディガンをその足元にかけ、彼女のカバンを徹也に預けた。


「じゃあな」

徹也はドアチャイムを鳴らして葉月を抱きあげたまま、ドアの向こうに消えていった。



地上に上がると徹也はそっと葉月を下ろした。


「すみません、鴻上さん。なんか……迷惑かけちゃって」

「さっき言っただろ、悪いのは俺の方だって。君の原案さ、何度もやり直しさせたから、確かに “ドSなボス” だと思ったかもしれないが、正直君のアイデアはかなり興味深いものだったよ。だから俺さ、ちょっと嬉しくなっちゃって舞い上がっちまったんだ。社員はみんなクリエイターだ、優秀な人材ばかり集めてる。ついついその彼らと同じように、君を扱ってしまって……なのに君は文句も言わずそれをやっちゃうタイプなんだよな…… ほんと、無理させたな。ごめん」

そう言って徹也は、助手席のドアの前で葉月の頭にポンと手を置いた。


「あのさ、混乱してる顔に見えるけど……」

「いえ別に……」

「嘘つきだな……」


その懐かしいフレーズと声のトーンに、思わず 葉月は徹也の顔を見上げた。


鴻上こうがみさん……」

「そうだよ。思い出した? 俺はあの花火大会の日から何も変わっていないし、君に対する目も変わってないつもりだったんだけどさ……駄目だな、仕事が絡むと。つい目の前のことに夢中になって、君のことも同志のように扱ってしまって……全く、自分の不器用さに呆れるよ」

「それをおっしゃるなら……私もですけど」

「確かにそうだな。君を “白石くん” と呼んだら、途端にカチカチだ。公私混同できないタイプってのも、一見いいようで実は厄介だな」


徹也は一つ大きく息をついた。


「じゃあ、ルールを作ろう!」

「ルールですか?」


助手席に葉月を座らせ、ドアを閉めた徹也は足早に運転席に回り込む。

ドンと座って続きを話し始めた。


「社内は人目もあるから、君を “白石くん” と呼ぶし、あえて特別扱いはしない。理由はさっき言った通り、君には才能があるからだ。ただのバイトだなんて思わないでくれ。そんなポジションに置いておきはしない」


葉月はパッと顔を上げた。

「そんなふうに言ってもらえて……嬉しいです。 私、頑張ります」

「まぁ君がそう言うのも予想できるけど、ルールはここからだ」

「え?」

「会社を出たら、俺は君を “葉月ちゃん” と呼ぶ。一人の女の子として、君を扱う。昼間にどんなに俺が “ドSなボス” だったとしても、 “魔王” に見えたとしても、仕事を離れたら素の俺を見てほしい。俺は今、すごくそれを求めてる。ここ数日でそれが分かったんだ。君に “ボス” って言われて、正直かなりショックだったしね」

「ごめんなさい」

「まあ、かなりショックってのは言い過ぎだけど、そうやって謝られるのもちょっと引っかかるなぁ。まあ、言われてもしょうがないことをやっちまってるわけだけどさ。とにかく、俺のこんなわがままを聞いてって話。ダメかなぁ? 葉月ちゃん」


そう言って徹也は、もう一度手を伸ばして、 葉月の頭の上に置いた。

その優しく柔らかい視線にドキッとしてしながらも、視線を外すことができなかった。


「さあ帰ろうか。遅くなったな」


徹也が葉月から手を離し、ハンドルを握って、ようやく葉月は呼吸を再開した。


「ねぇ、本当に具合悪くなってないよね?」


運転しながらそう言う、その横顔をじっと見た。

鴻上さんだ。

あの時から変わってない、優しくて、頼り甲斐のある……


「うん? どうした?」


ちらりとこっちに向ける視線に、またドキッとしてしまう。


「疲れてるなら、明日は昼から出勤してもいいけど?」


「いえ、大丈夫です。朝から行きます。原稿のブラッシュアップは出来てるので。ああ! なんなら今、渡しましょうか?」


そう言って葉月がカバンの中を探り出すと、徹也はおもむろにハンドルを切って、車を停めた。


「えっ? どうしたんですか?」

そう言って顔をあげると、唇が触れそうな至近距離に、徹也の顔があった。


「コラ、さっき約束したばかりなのに、もうルールを破るつもり? だったらこのままキスするしかないけど?」


葉月は言葉を失ったまま、目を見開いている。

徹也はフッと下を向いて、笑った。


「いい心がけだな。もし目をつぶられでもしたら、俺は本当にキスしちゃったかもな」


そう言って助手席に引っかけていた腕を外し、葉月の方から運転席に体を戻して、車を動かした。

それから家の前に到着するまで、徹也は一言も言葉を発しなかった。

家の前に到着し、エンジンを止める。


「葉月ちゃん」


その声は甘く、いたわりのあるような温かい声色だった。

「君に倒れられたりされると俺も困るからさ、だから無理はしないでね。それと……」

徹也は少し上を見上げた。

葉月はちょっと首をかしげながら、その様子を伺う。


「君に色々思うことがあるんだけどさ、今は 個展の最中で忙しいし、こっちにいられないことも多い。それから、あまり詳しくは言えないんだけど、これから『エタボ』にかなり密に関わることになる。それでさ、そのプロジェクトに君を組み込もうって話が出てるんだ」


「ええっ!」

「お、いい反応だな。話が出てるって言い方をしたのは、()()()()()()()からの要請だということだ」

「クライアント? それって……」

「ああ、『Eternal Boy's Life』のメンバー3人からのオファーだよ」

「3人から……ですか?」

「ああ、そう聞いてる。まあ俺に直接注文かけてくるのは柊馬トーマくんだから、彼からそう聞いたんだけど、君ってさ、柊馬くんと親しいの?」

「え……親しいだなんて、そんなおこがましいことはないですけど、お話はしたことはあります」

「そうなんだ? やたら君の感性を買っててね。あと君がいるとキラのモチベーションが上がるって言ってた。何かあったの?」

「いえ……キラさんは本当に話せる人で。すごい人なのに、すごく近くで話しをしてくれる人なんです。冗談ばかりで面白い人なんですけど、いつも助けてくれてすごく優しくて……信頼しています」

「ふーん、そうか。なんかムカついてきたけど、まぁいいや。それだけ関係性がいいってことだな? 分かったよ。……ということで、君は 今後『Eternal Boys Life』とも関わることになる。だからいちいちあんなふうに、ライブの後のPAブースで骨抜きになって座り込んでたら、体が持たないよ」


葉月はバツの悪い顔をした。

 

「まあいい。それも君の研ぎ澄まされた感性だよな? 俺が潰す必要はないか。じゃあ、存分に骨抜きになってくれ」

「そんな言い方されちゃうと……」

「ははは、冗談だよ。これからは骨抜きになったら、俺が今日みたいに王子さまになって君を 抱き上げてあげるから」


葉月が恥ずかしそうに下を向いた。


「あ、赤くなった! 王子にも脈ありか? 白雪姫の心をゲットできそうかな?」

そう言って徹也は爽やかに笑った。


「今言った『エタボ』の話、隆二はまだ知らないんだ」

「ええ!」

「実は今日、その話をしようと思って『Blue Stone』に行ったんだよ。そしたら思いがけなく白雪姫に出会ったってわけ。そしてしくも、その毒りんごを与えたのが悪い魔女じゃなくて、俺だったと……正直ヘコんだわ、 ねぇ、俺を王子に昇格させてよ。葉月ちゃん」


そう言って見上げるような目線を向ける徹也が 可愛らしくて、思わず微笑んだ。


葉月の頭にまた手をやった徹也は、その手で葉月の頭をクイッと引き寄せ、葉月の額にそっと唇を押し当てた。

呆然とする葉月に柔らかい声で言う。

「目覚めのキスはできなかったからな。これはよく眠れるおまじないだ。さあ行こう」


徹也はさっと運転席から降りてぐるっと回ると、固まっている葉月を助手席から引っ張り出した。

「立てる?」

覗き込むようにそう聞いてくる徹也に向かってなんとか頷くと、徹也はすっとその手を握って、葉月を家の前まで引っ張って行った。

ドアが閉まるまでしっかり見守る徹也の顔を、葉月は玄関ドアの覗き穴から見ていた。


エンジン音が遠ざかるまでそうしていた葉月の背後から、声がした。


「あの人が鴻上こうがみさんでしょ?」

「うわっ、ママ! いつからいたの?」

「いつからかな?」


ふんふんと鼻歌を鳴らしながら階段を上り、後ろ手で手を振りながら “お風呂沸いてるわよ” と言った母の声のトーンは、いつになく 明るく上機嫌だった。


第112話 『Unreasonable boss』理不尽な上司 ー終ー

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