第111話『In Unprotected』無防備
バスケの社会人team『BLACK WALLS』の練習後に行ったファミレスでの食事が終わって、その大所帯は解散となり、 リュウジと晃、月城美波と葉月が、 裕貴の運転で『Blue Stone』の前まで来た。
後部座席で美波が葉月の肩に手を置く。
「この二日間本当に忙しくて、あなたには随分助けられたわ。それで今日バスケまでしちゃうんだもん、かなり疲れてるんじゃない?」
「大丈夫です。いい朝汗かいてなんかスッキリしましたし」
「そう? 体調を整えて、明日からもよろしくね。大丈夫、明日からはさほどハードワークじゃないからね! うちはそんなブラック企業じゃないのよ」
葉月は笑って頷いた。
「じゃあボクは葉月送ってきます」
葉月は『Blue Stone』の前で一旦車から降りてみんなに挨拶をしてから、助手席に乗り込んだ。
少しうつむき加減の葉月を横目で見ながら、車を発車させる。
しばらく走らせたところで、裕貴から切り出した。
「香澄さんのこと、話したのはどっちから? 葉月からなの?」
葉月が小さく頷く。
裕貴は呆れたように言った。
「全くもう……うちの師匠はどうしてその辺、不器用なのかな……もしもキラさんなら上手にリードしてるだろうな」
「私が、そういうの言われたくないっていう雰囲気を出してたのかもしれない」
「ふーん。擁護するってことはリュウジさんを拒否したわけではないんだな?」
葉月が驚いたような表情で、裕貴の方を見た。
「そう言ったら、何があったか白状する気になる?」
葉月は大きく息を吐いた。
「ユウキって、いつからそんな策士なの!」
「リュウジさんの家に転がり込んでから、余計そういう勘が働くようになったかな」
「なんか怖いね」
「何言ってんの! ボクのフォローはピカイチだろ? 葉月のマネージャーのごとくね」
「……確かに」
裕貴は、葉月がこちらを向くのを、視界の端で捉えた。
「いつもありがとうね、ユウキ」
「ふーん、やけに素直じゃん。てことは、何かに戸惑ってるんだなあ……話し、聞いた方がいい?」
そう皮肉めいた口調で言う自分が、一番素直じゃないと思った。
「ううん」
「そっか、結論は出てるの?」
「出てないから、話せない」
「なるほどね」
「これからね、『form Fireworks』での仕事を、大学が始まる前ちゃんとできるようになりたいの」
裕貴は驚いた。
もっと逃げ腰で、自分との話を避けているのだと思っていた。
「そっか、ちゃんとした目標が出来て来たんだな。応援するよ。ルカくんや美波さんもいい人だし、鴻上さんには、今回はまだ会ってないけど、ルカくんがあれほどリスペクトするんだから、きっと凄い人物なんだろう。まあフェスでのあの映像を見て、圧巻だったけどね。そんな中で働けるようになったんだな。葉月の理想通りだ、良かったじゃん!」
「うん」
チラッと助手席を見ると、真っ正面を向いた葉月の顔には凛とした雰囲気が漂っていた。
一歩前に進んだのだと感じた。
「応援するよボクも。葉月の夢へ向かっての第一歩だもんな」
「うん」
そう言う葉月の横顔を見ながら、師匠にはどう対処するかを考えあぐねる。
立ち止まっているのは、リュウジさんの方だから……
全く世話のかかる師匠だ……
そう思いながら眉を上げた。
家に着くと、葉月の母が出迎えた。
「今日の王子はユウキ君か!」
「こんばんは。智代さんは、うちの師匠をご所望ですか? 全く……うちの母と一緒ですね。水嶋隆二、推しですか?」
皮肉っぽく言ったのはずなのに全く通じていなかったようで、葉月の母はパッと明るい顔で言った。
「あら! ユウキくんのお母さんもそうなの! 気が合いそうだわ。だったらあなたたちが結婚すれば 両家で楽しめそうね」
「もうママったら、いい加減なこと言わないでよ!」
『Blue Stone』で、これから仕事なんだと 言って家に上がるのを辞退して車に戻った。
「もしも葉月がリュウジさんと付き合うってなったら、智代ママはどんな顔するんだろうな」
裕貴は身震いする思いでエンジンをかけた。
翌日から連日、葉月は『form Fireworks』での常勤となり、その間も 個展が終わってからの イベント企画などのアイデアとそれに基づ 調べもので毎夜遅くまで机に向かっていた。
裕貴は近藤楽器店の仕事をスタートさせて、昼休憩の際にはBAR『Moon Drops』へバイト仲間と行き、空いた時間で極力ドラムに触れるようにしていた。
葉月も勇気も、仕事に慣れるのはあっという間で、楽しいと思える仕事に充実感を感じていた。
葉月は仕事帰りに、何日かぶりに『Blue Stone』に立ち寄った。
一人で店の前に足を運び、この扉を開けたのは 随分前のような気がする。
一段一段かみしめるように赤い階段を降りて、サラヴォーンやエラフィッツジェラルドの写真を見上げる。
重い中扉に手をかけて一気に開け放つと、洒落た喧騒と洗練された空気に一気に体中が包み込まれる。
カウンターに目をやると、隆二がいつもの白いシャツの袖をまくって立っていた。
「お、葉月ちゃん。いらっしゃい」
そう言って迎え入れられたのは、いつぶりだろう?
胸の中がじわっと温かくなっていくのを感じる。
裕貴と晃の姿がなかった。
「こんばんは! 今夜は隆二さんは一人なんですか?」
「いや、晃は奥にいるよ。ユウキは今日近藤楽器店の歓迎会開いてもらってるらしい、後から来るかもしれないけどな」
そう言いながら、いつもの場所にコースターを置いた。
「いつものでいいの?」
「はい、お願いします」
最初は妙な緊張感に包まれていた葉月も、2杯目に口をつける頃には、少し饒舌になっていた。
「やっぱり変な感じです」
「何が?」
「だって、『Eternal Boy's Life』のドラマーの人にお酒作ってもらってるんですよ! 変じゃありませんか?! FANの人達からすれば、こんなに近くでリュウジさんと向き合ってるだけでも失神モノでしょ!?」
「失神……ってことはないにしても、俺のやってることは不自然になってくるんだろうな……でもまあ、ここにいる時は店主でいたいからさ。失神といえば、柊馬さんや渡辺に失神寸前だったのって、誰だったっけなぁ?」
「また……そんなイジワル言うんですね!」
顔をしかめてベーっと舌を出し、クスッと笑いながらグラスに視線を落とす葉月を隆二はじっと見ていた。
どこかでその顔を見たような気がした。
無反応の隆二に、葉月は首をかしげる。
「ん? なんですか? リュウジさん?」
「あ……いや、そんなかわいい顔されたら……」
ああ……あの時か。
フェスの会場のリハーサル前だった。
水をこぼして、それを拭こうとした彼女が出したハンカチが一番最初に徹也から預かったものだったのを見た時、彼女を徹也の担当か自分の担当かなんて言う妙な思いに囚われた記憶があった。
思えばあの時すでに意識していたのかもしれない。
「どうしたんです? へんなの?」
隆二の思惑に気がつくこともなく、葉月はおかわりを所望した。
「大丈夫か? 二杯で終わらないと」
「大丈夫ですよ! 久しぶりに飲みたいんです。ね! いいでしょう?」
「 まったく……そんな顔して 」
隆二は、アルコール度数を控えた薄いファジーネーブルを、葉月の前に置いた。
「もう一つ変なことがあって」
「今度は何?」
「リュウジさん、ここでドラムを叩かないんですね。……見たいなぁ。それとインスタの曲も……めちゃ見てますけど、生で見たい!」
「おいおい葉月ちゃん、酔ってきただろう?」
「何がですか? 全然大丈夫ですよ!」
「ああ、だめだな、こりゃ」
「リュウジさん!」
「だから、なに?」
「素敵ですよね」
「へっ?!」
「リュウジさんがそれで困ってるのは、知ってますよ、でもそれは………人気が……あるから……仕方がな……」
「あれあれ、葉月ちゃん?」
葉月はカウンターに突っ伏した。
「おーい、葉月ちゃん! やべえ……寝ちまった。まったく……」
隆二は葉月の頭を持ち上げ、以前のように、折り畳んだタオルを彼女の顔の下に敷いた。
「おっと!」
下にだらんと下りた手のせいで、カウンターから滑り落ちそうになる。
「しゃーねーな。奥に寝かしておくか。ほら、葉月ちゃん、ちょっと立ってみ。ん……無理そうだな。 送って行くにしても、ちょっと待ってもらわないとな。とりあえず、寝といてもらうか」
隆二は、葉月を抱き上げた。
すっかり意識を失ったような葉月をなんとか落とさないように持ち上げて、スタッフルームのソファーに寝かせ、クッションを枕にしてブランケットをひらいて体にかけた。
ずり落ちないように、その端をソファーに挟み込みながら、ふと彼女の顔を見る。
疑いを知らないその顔は、ほんの少し疲れた表情を残しながらも、スヤスヤ眠っている。
「あーあー無防備な顔して……俺がもし悪い男だったら、何されるかわかんねーぞ!」
そう言いながら、頬をつついた。
「全然動かねえな」
更にに頬をつつきながら、その指で、唇をなぞる。
心の中で衝動が起こった。
隆二はそっと顔を近づけた。
唇が触れる寸前で我に返る。
隆二はぐっと目をつぶると、舌打ちをした。
そして彼女の額に、そっと口付けた。
すぐさま立ち上がって頭に手をやりながら背を向ける。
「俺は何をしてるんだ。寝込みを襲うなんて趣味じゃねぇだろ! ってか……最近俺、酒弱くなってんのかな?」
首を振りながらカウンターに戻ろうとした時、ドアチャイムが鳴った。
客の来店に顔を上げた時、髪をグレーに染め上げたスタイリッシュな服装で立っている男がいた。
「えっ……徹也だよな?」
「へぇ、そこまでの反応してくれるんだ?」
「だってお前……全然」
「そりゃそうだな!」
「何でまた? お前そんないでたちで」
「その前に一つ質問だ。ここに座っているはずのうちの従業員はどこだ?」
徹也は椅子にかかったカーディガンと、カウンターに置かれたままの飲みかけのファジーネーブルのグラスを指差した。
「ああ……ここに来るって彼女から聞いてたのか?」
「いや」
徹也は短くそう言ってその席の隣に腰掛けた。
「化粧室か?」
そう言って後ろを気にする。
「いや違う。奥で寝てるんだ」
「は? 奥って? どういうことだ」
「いや、完璧に寝ちまってさ。そこ座らせといたら、すり落ちそうなぐらい」
「そうなの。どこ?」
「奥のスタッフルームだけど」
「あっそ」
そう言うと徹也はおもむろに立ち上がった。
奥にどんどん入っていく。
「おい、どうするんだ」
徹也は少し、隆二の方に首を傾けて言った。
「強制連行だ」
そう言ってドアの開いたままの控え室に入っていった。
「おい……お前、強制連行って……」
隆二もその後に続いた。
部屋に入る寸前で足を止める。
スタッフルームの中に入った徹也は、葉月が眠っているソファーの脇に腰を下ろして彼女の様子を窺う。
頬にかかる細い髪の束をそっとよけてやる仕草は、見ていて胸がドキドキするような場面だった。
そう思いながらも、さっきまで自分があの距離で居たことを思い出す。
そして衝動的に吸い寄せられたことも……
徹也がスッと息を吸った音がした。
オトコなら、まぁこの状況は高ぶるのもやむを得ないと思いながら、息を詰まらせて様子を伺う隆二の耳に信じられない言葉が届いた。
「白石くん!」
「え!……お前、なに言って……」
徹也は続ける。
「白石くん、起きろ!」
隆二は目を丸くした。
「お前……そんなドSだっけ……」
隆二の言葉には目もくれず、徹也は今度は葉月の頬に手を伸ばした。
そっと添えたかと思うと、ピタピタと叩き始める。
モソモソと葉月が動き出すと、徹也はそのアゴをグッと掴んで言った。
「おい! このままキスで起こされたいのか? 白雪姫」
第111話 『In Unprotected』 無防備 ー終ー




