第11話『changes in the relationship』関係性の変化
「ええっ?! 葉月ちゃん?! 一体どうしたんだ?」
戻って来た隆二が、カウンターに突っ伏している葉月の隣であたふたしている徹也に聞いた。
「おい徹也……これはどういう状況?」
徹也はバツが悪そうに頭に手をやりながら椅子に座りなおした。
「いや……なんか、喋ってるうちに寝ちゃって……」
「喋ってる?! さっき近くを通ったら口論してるようだったけど?」
「そ、そんなわけないだろ!」
隆二はやれやれといったように、奥からタオルケットを持ってきて小さく畳むと、葉月の頭を持ち上げて顔の下に敷いてやった。
「慣れてるなぁ、バーテンさん」
「まあね。ひたすら俺の顔を見ながら酔いつぶれる女子なんて、わんさか居るからさ」
「ふっ! 軽薄だな」
隆二はへへっと笑った。
「でもな徹也」
隆二が穏やかな顔で言った。
「なんだよ」
「この子は違うよ。なんかお前、誤解してんだろ?」
「なんだお前……聞いてたんじゃねぇか!」
「いや、そんなガッツリ聞いてたわけじゃねぇけどさ。ただ、この子は……葉月ちゃんは、彼氏がいるのに他の男を漁りに来てるような女じゃないってことさ。お前のこと、待ってたんじやないか? 俺にはそんなこと、一言も言わないけどさ。きっとお前のことを……」
「やめろよ! 別にへんな風に誤解もしてないよ。ただこの子は、義理堅いだけだ」
徹也の表情に、隆二が眉を上げた。
「徹也、ひょっとしてお前、まだ昔を引きずって……」
「やめろって! 俺は暴走したくないんだよ。そういうのに嫌気がさしたんだ。なのに暴走しかけた。まだ会って間もない、こんな純真な子に、なにかを叩きつけようとした」
「わかったから、落ち着けって」
隆二が徹也の肩に触れた。
「……ああ、わりぃ」
「いや、俺も悪いから。実は、酒をさぁ……濃く作り過ぎちまって……」
「え? リュウジ、それはどういう?」
隆二は大きなグラスを2つ並べ、ミネラルウォーターをドクドク入れて二人の前に置くと、再び奥に消えていった。
徹也は首をかしげながらも、そっと葉月の寝顔に視線を落とす。
「ホントに……俺もどうかしてたな。まぁ、この子もこの子で、なんというか……」
徹也はふうっと息をついて、静かにグラスを傾けた。
「ん……? え、ええっ!! 私、寝ちゃった?! あ……すみません!」
彼は肘をついて、こちらを見ていた。
「おはよ」
「あ、ああ……あの……鴻上さんは……何してたんですか?」
「ん? 別に何も」
「え……じゃあ、リュウジさんは?」
「ああ、また奥のバーラウンジの方に駆り出された」
「そうですか……ごめんなさい、退屈だったのでは?」
「ぜーんぜん」
「そうですか……っていうか私、いつから寝てるんだろ?」
「もう1時間くらいかな?」
「ええっ! 1時間も! 起こしてくださいよ!」
「だって気持ち良さそうにスヤスヤ寝てたし」
「もう! 恥ずかしい……ホントすみません」
「謝んなくていいって」
「でも……」
「頭を整理するには、いい時間だったから」
葉月は身なりを整えながら言った。
「何か困ったことでもあったんですか?」
「まあ、あったかな」
「お仕事?」
「いいや」
「じゃあ?」
「君が……」
葉月は目を見開く。
「ええっ!? 私!? なんかしました? どうしよう……記憶ないし! あ、やっぱり慣れないお酒なんて飲まなきゃ良かった。えっと! 何か失礼なことやらかしちゃったなら……ごめんなさい」
徹也は朗らかな表情で笑い出す。
「よくしゃべるなぁ。まだ酔いが覚めてないみたいだ。じゃあさ、責任取ってもらえるのかな?」
「責任?! あ、はい! なんでも!」
「なんでも? ずいぶん安請け合いだな」
「あーどうしよう、怒ってますよね?」
葉月がうなだれる。
一気に喋って、また酔いが回ったようだった。
「ある意味ね。困ってるんで」
「どうしたら……許してくれますか?」
「そうだな……再来週からさ、俺の個展が開催されるんだ」
葉月は顔を上げる。
「え? 個展ですか?」
「ああ、メディアアートのね」
「凄い、観に行きます!」
「うん」
「あ……チケットも、いっぱい買います!」
しばらく葉月の顔を凝視して、徹也は吹き出した。
「あはは、あーもうダメだ。我慢できない。あはは……」
「鴻上さん、どうしたんですか?」
「君は個展に来てくれるの?」
「はい、行きます!」
「チケットは買わなくていいよ」
「どうして?」
「君にはスタッフになってもらいたいんだ」
「え? 私で役に立ちます?」
「もちろん。俺と一緒に成功させてよ!」
「私でいいんでしたら、了解です!」
「バイト代は払うけど結構ハードだよ。いいの?」
「はい、いいです!」
「土日も挟むよ?」
「はい、いいです!」
「君のこと、気になってるんだけどいい?」
「はい、いいです!……ん? え? 今のは……」
「ふふっ、やっぱりだいぶん酔ってるよね? 今のは聞かなかったことに。ねぇ、気分は悪くない?」
「はい……いいです……」
「あははは」
徹也はまた笑った。
「ダメだな。完全に出来上がっちゃったみたいだな」
「はい……」
「あはは、じゃあ今日は帰ろう! おうちはどこ?」
「湊駅のすぐそばで……」
「良かった、近くだ。ちょっと待ってて」
徹也は隆二に声をかけて支払いを済ませ、タクシーを依頼した。
2人して戻ってくると、葉月は再びタオルケットの枕に顔を埋めていた。
「ああ……また寝ちゃってるじゃん」
「リュウジ、これからは彼女にあんまり強い酒飲ますなよ」
隆二が苦笑いしながらこめかみを掻く。
「今日はちょっとしたサービスのつもりだったんだけどな……」
「サービス? 飲めない子にサービスしてどうする!」
「違うよ、お前たちに、だ!」
「は? どういうことだ?」
「酒のお陰で、お前達、ぶっちゃけて話が弾んだろ?」
「マジか! お前、なにやってんだ!」
隆二は軽く笑う。
「確かにちょっと過剰サービスだったか。悪かったな」
そう言いながら隆二は、葉月の寝顔をそっと盗み見た。
その頬にかかる髪に思わず手を伸ばしそうになって、慌ててその動きを止める。
「そろそろタクシー着くな。どうする?」
隆二がそう言うと、徹也は肩にかけたカバンを背中に回した。
「また持ち上げるとするか! 連れて上がるわ」
「はは。花火大会の再現か? じゃあな、王子様。頑張れよ」
隆二に中扉を開けてもらって、徹也はまたあの日のように彼女を抱き上げ、階段を登る。
途中で葉月の目が開いた。
「あれ? あれ! え、鴻上さん……?」
徹也は笑いをかみ殺しながら、すぐ近くにある葉月に微笑みかける。
「今日は花火大会はやってないよ。この階段はどこだかわかる?」
「まさか私……また寝ちゃったんですか?!」
「そうだな。ほらサラヴォーンが君のこと見てるよ」
「やだ! ごめんなさい、降ります!」
「バカだな、こんな狭い階段、途中で降ろす方が危ないよ。じっとしててお姫様」
「……すみません」
徹也はそのままタクシーに乗り込んだ。
座席に座り、ようやく落ち着いた葉月が恐縮する。
「あの、鴻上さん、本当に……」
「ストップ! もう謝るのはやめて。充分だよ。今日はリュウジが飲ませすぎた。反省してるってさ。今度はちゃんと酔わないようにしてくれるそうだよ」
「あの……私、何か……話してました……よね?」
「ふふっ、どこまで覚えてるのかが楽しみだけど?」
「へんなことも……言いました?」
「まあ、君の本音が聞けたかもな」
「本音? それって……」
「大丈夫!」
そう言って徹也は優しく笑った。
その表情に葉月もなんだかほっとして、微笑み返す。
「ご迷惑かけてるのにこんなこと言うのはどうかなって思うんですけど……でも、たまには酔うのも悪くないなって、ちょっと思っちゃいました」
葉月は恥ずかしそうに下を向いた。
「へぇ、進歩だな。ならリュウジもさほど罪深くないってことだ。それはそうとさ、個展の話覚えてるのかな?」
「あ、はい、覚えてます。メディアアートの個展?」
「そう。で? 手伝ってくれるの?」
「もちろん。本番は……再来週!」
「よかった、ちゃんと覚えてるじゃん」
「あ、再来週だったらバスケも行きません? リュウジさんのチーム、みんないい人で……」
「はいはい、わかったよ。その話はまた追々ね」
「私はどうすれば?」
「そうだな……打ち合わせするにしても、今週末はオレも不在で……」
「あ、私もです」
「そっか。じゃあ、来週の中盤辺りに連絡くれるかな?」
そう言って徹也は葉月に名刺を渡した。
「はい。了解です!」
「ってか、まだけっこう酔ってるよね? 二日酔いとか、大丈夫?」
「ああ、それも経験ないんで」
「そうなの!! 二日酔いの経験ないとか……いや、本当にごめんな」
「鴻上さんが謝ることはないですよ」
「いや、それがそうでも……」
「え?」
「ああ、何でもない。もうすぐ湊駅だから、家までの道、説明してね」
「あ、運転手さん、そこのT字路のところで降ろしてください」
先に降りた徹也が手を差し伸べる。
「家の前まで支えようか?」
「いえ、一人で大丈夫です。まっすぐ行った、あれが家なので」
「そう。遅くなってしまって、ごめんね」
「とんでもない、寝ちゃったのは私なんで……付き合ってくださって、ありがとうございました」
「じゃあ、気をつけて」
「おやすみなさい」
少しふらつきながら、家の門に手をかける。
いつもこの門に手をかける時は、自分の後ろにはもう誰も居なかった。
それでも寂しいなんて思っちゃいけないと、ずっと言い聞かせていた。
葉月は一度目をつぶると、息を吸いながら思い切って後ろを振り返る。
そこには、開いたタクシーのドアの前に立ったまま、彼がこっちを向いて手を振っていた。
手を振り返す。
見守っていてくれていたことが、なんとも嬉しかった。
部屋に入ると、耳がキーンと音をたてる。
でも、気だるさの中に温かい気持ちが残っていた。
タクシーの中でもらった『鴻上徹也』と書かれた名刺を眺める。
「今日はたくさん話したのに、それでもやっぱり、自分から連絡先は聞かない人なのね」
葉月は手を振る彼の姿を思い出し、ふわっと微笑んだ。
第11話 『Changes in the relationship』関係性の変化 ー終ー




