第105話『Long Time No See』久しぶりの再会
『Form Fireworks』のエントランスに月城琉佳が消えていくと、裕貴がため息をつきながら葉月に言った。
「気をつけろよ……ああいうタイプ、女子をメンヘラにする典型なんだから」
「確か、前にも言ってたよね? メンヘラってなあに?」
「知らなきゃ知らないでいいの!」
「なによそれ! ねぇ、それよりユウキ!」
葉月は裕貴をじっと見た。
「ん? なんだよ」
「久しぶりー!」
二人は微笑み合った。
「確かにそうだな。ボク達が出会って以来、こんなに離れたのは初めてなんだもんな……まあ、なるほど、こんな会話を琉佳さんが聞いたら、なにげに “そういう関係” かと思われてもしょうがないな」
そう言いながらも、裕貴は葉月が “ヒヨコ” に見えて、思わず微笑んだ。
「ごめん葉月、車さぁ、ここにないんだ。リュウジさんのマンションの駐車場まで歩いてもいい?」
「ええ、もちろん。ありがとう!」
「葉月がさ、いつ『Fireworks』から出てくるかわかんなかったから、目の前まで乗ってこなかったんだ」
「ごめんユウキ、ひょっとしてけっこう長い時間待ってくれてた?」
「いや大したことないよ、気にしないで」
二人は並んで歩き始めた。
「毎日会ってるのが当たり前みたいになってたから、ほんのちょっと声聞かなかったら、久しぶりって感じになっちゃうね?」
「そんなこと言うと恋人みたいだぞ!」
「ホント」
裕貴はにこやかな葉月の横顔を、チラリと盗み見る。
そこはおもいっきり茶化すところだろ!
……と思いながら。
「ユウキはどうだったの? 久しぶりの甥っ子姪っ子との再会は?」
「そりゃあ楽しくも、凄まじいものだったよ」
「あはは、だろうね! ちょっと痩せたんじゃない? 逆か、実家に戻って食べちゃった感じ?」
「まあね。何よりの衝撃だったのは、自分の母親が自分の師匠を “推しメン” にしてたことだな。キラさんのポスターの横に、でっかい師匠がいるんだから、どんだけ驚いたか!」
「あははは、そうなんだ! うちのママと気が合うかもね!」
「おかしいな、葉月のママは、ボクを推してくれてたんじゃないの? 娘同様、気が多くて移り気だなぁ!」
「ちょっと! それどういう意味!」
「葉月の濃縮されたフェスでの生活の全貌を知っているボクに、そんな口がきけるのかな?」
葉月は思わずたじろぐ。
「そう言われては太刀打ちできません、ドSの ユウキ様!」
「あ? なんでボクまでドS扱いなんだよ! ほら、乗って」
そう言ってゆうきは Range Roverの助手席のドアを開けた
「あはは、しかし、この4日間はフェスの時とは違って、ホントお互い色々だねぇ」
「確かに」
「そうだ! かれんから連絡あったよ!『Blue Stone』でユウキとリュウジさんと話したって!」
「そうそう! めっちゃ盛り上がったよ。かれんの彼氏がリュウジさんの友達だったなんてな!」
「あ、早速 “呼び捨て戦法” か?」
「ああ、まあね」
「全然知らなかったよ。すごい偶然だよね!」
「かれんと一緒に、葉月のこと弄りまくってたから、くしゃみ止まんなかったんじゃない?」
「何よそれ! 私の悪口大会?」
「そんなこと思ってないくせに! だってさ、 かれんはまるで、葉月の “ママ” だったよ」
葉月は嬉しそうに微笑んだ。
「そうでしょ! もう本当にかれんはめっちゃめちゃしっかりしてる人だから、私にとってももうお姉さんみたいなもんなんだよね」
「かれんはハートがあるよな。愛されてるじゃん、葉月」
葉月が、目をぱちくりして裕貴をじっと見る。
「昨日夜遅くに、かれんからメッセージが来たんだけどさ、そのメッセージにね、今裕貴が言ったのと同じことが、書いてあった。葉月はユウキにもリュウジさんにも愛されてるねって……嬉しかったよ」
裕貴の胸の温度が上がった。
「そっか! だからそんな “ヒヨコ” みたいな顔してるんだ?」
「え? “ヒヨコ”? なんで今 “ヒヨコ”? どういうこと?」
「いやいや、こっちの話! 気にしなくていいから……それより、どう新しい職場は?」
「鴻上さんは、最初思ってたよりはもう少し 天然の人だった」
「え、そのワードを葉月が言うんだ!?」
「どういう意味よ!」
「あはは」
「笑って誤魔化さないの! 鴻上さんはね、仕事熱心っていうか、好きだから勝手に熱が入っちゃうみたいな感じの人なの。だけどあんまり計画性がないから、無理ばっかりしてそうで……」
「ふーん、なるほど。それで葉月は、そんな鴻上さんのことが気になったりするわけだ?」
「気になるとかじゃないって」
「そう? まぁ、ボクはフェス終わりにあの薄暗いPAブースに葉月と居たのをちらっと見ただけなんだけど、確かにカッコいい人だったね。葉月は顔を真っ赤にしてポーッと見とれてたしなぁ」
「別にそういう感じじゃ……」
「じゃあなんだよ?」
「さっきね、実際に個展の内容を、 “初めての観客” として観させてもらったの。すごかった……ワクワクが止まらなかったよ! あれを今度は私が鑑賞者の人々にお勧めできるのかなと思うと、なんか嬉しくて!」
葉月は夢でも見ているかのような顔で微笑む。
「葉月らしい発想だな。じゃあ明日からの仕事は充実しそうだな?」
「うん。かなり期待できる! ねぇユウキもここしばらくは、引っ越し準備とかで忙しいんじゃないの?」
「そうだ! それよりボク、バイト決まったんだ」
「そうなの? どこ?」
「葉月のことも知ってるって言ってたよ」
「えーどこどこ?」
「近藤楽器店!」
「ああ、あのフェスの前日に入ったお店だ!」
「そう、葉月がリュウジさんにおしゃれなスティックケースをプレゼントしたっていう」
「なんかそこ、やたら弄られてるんだけど……そうなんだ! あそこでバイトかぁ、すごくいいじゃない!」
「他のスタッフの人もさ、葉月のこと覚えてたよ。また連れておいでなんて言ってくれてさ」
「ウソ! 嬉しい! え、ユウキは毎日入るの?」
「うん、基本はね。店に出るだけじゃなくて ドラムイベントが結構あるらしくてさ。そのサポートがメイン」
「そっか、忙しくなるけどいい仕事だね! あの店長さん、リュウジさんと信頼し合ってるって感じよね?」
「ああ! すごく雰囲気のある人だよ」
「いいなぁユウキ、そうだ! 私も何か楽器買って練習しちゃおうかな!」
「いいじゃん! とりあえず個展が終わったら考えてみたら?」
「そうね」
「しかもさ、昼休みはその近所の老舗ジャズバーでドラムの練習させてもらえる事になったんだ」
「ええっ! 何それ? すごいじゃない!」
「なんかボクもよく分からないんだけど、リュウジさんが『Blue Stone』を始める前に、ジャズを勉強させてもらったっていう老舗のジャズバーが、センター街の路地裏みたいなとこにあってさ。店の雰囲気もすごくいいし、また 『Blue Stone』とは違った雰囲気があってさ、リュウジさん好みのドラムセットも置いてあったんだ。ちょこっとだしてくれる食べ物がまた美味しくてさ」
「わー、いいね!」
「葉月のことも紹介するよ!」
「うん、行きたい!」
「そうは言っても、葉月もしばらく忙しいよね? 昼間はずっと『Fireworks』でしょ?」
「うん、そうなるね。夜はさっき琉佳さんと言ってたみたいに『Blue Stone』に行けるかもしれないけど、どうだろう? なんか、とにかくすごく忙しそうなの。鴻上さんは個展とは全く別の仕事の打ち合わせもいっぱい入ってるみたいだし」
「そっか、まぁ『Blue Stone』にはボクもいるからさ、葉月だけでもおいでね」
「うん、わかった」
葉月が少し下を向く。
「あ……リュウジさんは?」
「今日は『Blue Stone』に出てるよ。行きたかった?」
「ううん、明日も早いし、帰って調べたいこともあるし」
裕貴はちらりと助手席に目をやる。
「なんかさ」
「うん?」
「葉月、ホントは最初からリュウジさんのこと、聞きたかったんじゃない?」
「え……どうして?」
「なんとなく。まあ……葉月が、あまりにもリュウジさんの名前を口にしないから、かな?」
「……そんな風に言われたら、なんかどう返していいか困っちゃうけど……」
少しうつむくシルエットに投げかける。
「葉月。大変な時についててやれなくてごめんな」
「ええ? なんでそんなこと言うの? 彼と会ったあの日……二人で相談して、それで……リュウジさんが私のこと見ててくれてたんでしょ?」
「うん。ごめん。どうしても心配でほっとけなかったから……」
「ありがとう……実際リュウジさんに助けられたよ。知らない人にちょっと絡まれそうになったりして」
「あれから、大丈夫?」
「うん、もちろん。なんかスッキリしたって言ったら失礼なんだけど、新しいことに向かって全力で進みたいと思ったから、このタイミングでよかったかなって、思う」
「そっか!」
裕貴は運転しながら、右手を葉月の肩に置いた。
「でもね、リュウジさんが見てたってわかった時は、ものすごく恥ずかしかったの。泣いちゃってたし……でもリュウジさんが、 “誰だって恥ずかしいことくらいあるし、難関をクリアしないと次に行けないだろ” って、まるでパパみたいに優しく言ってくれて……」
「パパか……オトコにとっては結構ショックな言葉だな」
「え? そうなの? あ……そういえば、 “それって新手の仕返しか?” って言われたわ。でもリュウジさん、 “そんな仕返しには屈しない。なんなら今から1日限定のお父さんになってあげてもいい” っていってくれたの」
「さすが、師匠」
師匠には叶わないと思った。
オトナの包容力全面で来られては、いくら裕貴が葉月を思いやったとしても、心の奥底まではかすんで到達出来ないような気がした。
「ユウキ、どうかした?」
「え? なんで?」
「なんか、急に声のトーンが落ちたから」
葉月と香澄のことを話した後のリュウジさんは……
頭の中には、そのいたたまれない姿が思い起こされる。
「そんなことないよ。それより、葉月は自分の心配しなよ。相手がいくら酷いヤツでも一応一つの恋が終わった訳だから、あんまり不謹慎にバンザイって訳にもいかないんでしょ?」
自分の言っている言葉の筋が通っているだろうか、支離滅裂な誤魔化しになっていないか?
少し心配になる。
葉月は笑い出した。
「そんなに気を使ってもらわなくても大丈夫よ! だって、かれんにも由夏にもバンザイを連呼されたし」
「は? そうなの? なんだ……女子は強靭だな。メンズの方がよっぽどナイーブかも」
「あはは、そうかも?」
葉月の表情には凛とした強さが見える。
彼女をそうさせたものが、幾つか羅列された。
裕貴は戸惑っていた。
葉月に改革のエネルギーを与えたはずの隆二は、今は落胆の淵にいる。
香澄との事件……
いずれ話さなくてはならなかったとはいえ、この時期で間違いなかったのかと問われれば、それはそれで自信はない。
あれから隆二はいたたまれないほど平常心を失い、珍しく酒の力を借りて眠りについていた。
朝も疲れた表情で起きた隆二の眼下の景色に向けた目には、なにも写っていないようにさえ見えた。
そのかわりに、隆二まだきちんと形取りされていない、 “葉月への思い” が見えたような気がした。
「ユウキ?」
「ん? なに?」
いくぶん緩めにアクセルを踏みながら葉月を見る。
「リュウジさんに、想いは届くのかなと思って……」
「へっ? それって何のこと! 誰の……」
「ああ、柊馬さんとキラさんの……」
「ああ……なんだ、そっち!?」
「ん? そっち? 他にどっちがあるの?」
「いや、ごめんごめん、勘違い。それで?」
「二人とも、リュウジさんに対する大きな思いがあるのを聞いたの。私はそれを聞けて、凄く幸せな気持ちになった。だからリュウジさんも早くそれを知って早く私が感じたように幸せな気分になったらいいなって思ってた。……無責任に……ジョギングスタイルに武装したリュウジさんもすこぶるカッコよかったけど、インスタによって、よりスターになることで奪われる自由や、当たり前に誰もが持っている権利が失われていくのが見えたような気がして……心配になったの」
「それって、『Eternal Boy's Life』への正式加入の話?」
「ユウキは聞いてるのね? リュウジさんは?」
「まだ」
「そう……」
「葉月……あの……」
“香澄”、その名前を口にすることすら出来なかった。
あの、隆二の憤りと落胆ぶりを見てからは、もう更に恐怖と化している。
もはや、誰の顔も曇らせたくなかった。
せっかく前を向いている葉月に、それこそ忘れてしまいたいような後ろ暗い出来事を刻印のように押し直すような行為も、ぶり返してまた悲しませるようなことも、出来るはずもない。
改革において既に血が流れているこの現状を、あらかじめキラには知らせるべきだと思った。
裕貴は話題を変える。
「な、なんかさ、晃さんが、次のバスケの練習に葉月が来るかどうかを、無性に気にしてるんだ!」
「ホント! そう言ってもらえて嬉しい! そういえば、リュウジさんが私に付き添ってくれた日はユウキもいなかったし、『Blue Stone』には晃さんが入ってくれてたみたいなんだけど、晃さんがリュウジさんに出したその条件がね、私をバスケに連れて来る事なんだって、すごく嬉しくて!」
「あはは、晃さんがめっちゃ言いそうなことだな」
「リュウジさんに、 “次に来たら正式に加入させるからな!”って言われて」
「おお! ドM葉月が喜びそうなフレーズだな!」
「ひどい! ユウキ」
「でどうする? しっぽ振って出かける?」
「それがさ……個展の時間とほんの少しだけ被ってるから、行こうと思ったら行けるけど遅れちゃうんだ」
「そうか、だったら遅れて行けばいいじゃん。 ボク、その日空いてるから、葉月に付き合って行ってあげてもいいよ!」
「え! ホント! ユウキもバスケに参加てくれるの? 前は面倒くさそうにしてたのに……興味持った?」
「ああ、そういうわけではないけど、葉月とリュウジさんと晃さんの元気なところを見たいから」
「元気なところ? どうしたの? ユウキもパパになるの?」
「ボクでもパパになれるかな?」
「ふふ、私はユウキは十分なパパの要素を兼ね備えてると思うけど。なんなら師匠のパパですら出来そうよんね?」
そう言って屈託ない笑顔で笑った。
そんな姿を見て、心が泡立ってくるのがわかる。
すぐそばにある葉月の手に延ばそうとする手を、グッと制してハンドルに戻す。
大きく深呼吸した。
「じゃあ、今夜は久しぶりに“智代”の顔でも拝むか」
葉月が笑い出した。
「人の母親を呼び捨てにしないでよ! あはは、もうユウキ、面白すぎる!」
夜のとばりを抜け、純白のRange Roverが定位置に停止した。
第105 『Long Time No See』久しぶりの再会 ー終ー




