第104話『Fusion』融合
葉月は徹也と琉佳と共に、6階のオフィスからエレベーターで階下に降りた。
そして『Fireworks 展覧会』の会場前に立つ。
「君がここでの一人目の観客だ。君のその目と心で、感じたことを俺にすべて伝えて!」
徹也の輝いた目を見つめながら、葉月はしっかりと頷いた。
「心の準備はいい?」
「はい」
「じゃあオープンだ!」
いきなり真っ暗な空間が目の前に広がった。
自分の目が本当に開いているのか何度も確認してしまうほどの錯覚の空間の中で、瞬きをしながら微かに聞こえてくる音に耳を傾ける。
突如大きな流れ星が現れた。
それは隕石に近いような大きさと明るさを帯びた巨大なものだった。
それが見えた瞬間左から右へと大きな音が通り過ぎる。
一瞬顔に熱風も感じた。
「すごい……」
「ここは五感を使って感じてもらうゾーンだ。それが非日常のネイチャー体験だったり、仮想体験の旅だったり、リアル以上の演出をデジタルで創造してここに再現している。もはや展覧会ではなく、インタラクティブなエンターテイメントを体験してもらいたいんだ。そのための、あらゆるテクノロジーを駆使したエキシビジョンなんだ」
どのブースに行っても葉月の目は輝き続け、そしてその口から出てくるインプレッションは、いずれも徹也の予想する回答以上のものだった。
最後の展示を観終わって、興奮冷めやらぬ葉月の横顔を見ながら、徹夜は満足そうな笑みを浮かべて彼女の頭に手を置いた。
「その一番最初に受けた感動を忘れないで。そういった思いを、同じようにゲストが引き継ぐんだということをしっかり思いながら、ゲストがここを去る時に、彼らが本当に満足できるような言葉であったり態度であったり、君なりの演出を施して欲しい。云わば、心の演出だよ」
「はい頑張ります」
「……ふーん」
琉佳は見つめ合う二人の姿を、まじまじと見た。
「あ? 何だお前?」
その顔を見た徹也が、怪訝な顔をする。
「なんかさ、イイ感じだよね? ひょっとして……そういう関係?」
徹也が目を見開いた。
「馬鹿言うな! 自分の女を会社に引き込む社長が、まともに仕事できると思うか?」
悪びれた素振りもなく、琉佳は続ける。
「そういうのはさ、スーツを着た社長のこと言うんでしょ? 今や僕よりも見た目がチャラい社長に、そんなことが言えるかよ?」
「え! 俺お前よりもチャラいの?」
「は? 徹也さん、気付かなかった?……ってか、その顔やめてよ。どんだけ僕のことチャラいと思ってんの!」
「何言ってんだ? お前は “チャラい” の代名詞だろ?」
葉月が笑い転げている。
「ひどいなあ……白石さん、真に受けないでね。今度さ、僕と遊びに行こうよ!」
「コラ! 絶対禁止! お前なあ、会社でまでナンパするなよ」
「何言ってんの徹也さん。女の子を誘わないのは失礼にあたるんだよ! 知らないの?」
「そんな無茶苦茶なセオリー知るかよ!」
後ろから美波の声がした。
「徹也! モニター会議始まるわよ!」
「あ……もうそんな時間? ごめん、俺行かなきゃいけないから……あ、そうだ! 琉佳、はづ……じゃなくて白石くんさ、昼飯食ってないんだ」
「え! そうなの? 女の子にご飯も食べさせないで……」
「だから何か食べさせてやって。それで明日の説明、お前の方でしといてくれる? 俺は会議どんだけかかるかわかんないからさ」
「了解!」
暗い館内から外に出る。
まだ幾分高めの西日がまっすぐに降り注ぎ、その眩しさに思わず目を細めた。
葉月はさっきからにんまりしていた。
「いつもあんな感じなんですか?」
葉月の機嫌良さそうな顔を微笑ましく見ていた琉佳は、その質問に首をかしげる。
「何が?」
「鴻上さんと琉佳さんのやり取りです」
「ん? 別に普通でしょ?」
「なんかあのテンポのいい掛け合いというか……私の知り合いにも同じような二人がいて」
「掛け合いってなあに? そんなつもりはないけど」
「傍から見てると『トムとジェリー』にしか見えないんですよ」
「え? 『トムとジェリー』? 茶番劇ってこと?」
葉月がまた笑った。
「なに? 僕と徹也さんの会話が?」
葉月が頷く。
「まあ確かに僕と徹也さんは幼馴染みで、兄弟みたいなところもあるからね。いつもあんな感じかもな。白石さんさぁ、そんな僕たちが唇を交わすのを見てBLを感じて楽しんでるって訳?」
葉月は不意にその光景を思い出して、黙りこくる。
顔を赤らめる葉月を驚いたように見ていた琉佳は、さっき徹也がしたように葉月の頭に手を置いた。
「白石さんって、面白い子だね。なんか僕も楽しくなってきたわ」
琉佳の案内で、近くのカフェにやってきた。
「彩カフェ? かわいいお店ですね!」
奥からカフェエプロンをつけた女性がにこやかに出てきた。
「琉佳くん、いらっしゃい。久しぶりじゃない?」
少し睨むように言う顔が、とても可愛らしい女性だった。
葉月に目を合わせる。
「あ、こちら、今日からうちの会社でバイトすることになった白石さん。 “徹也さん枠” なんだ」
彼女は急に上機嫌になったように見えた。
「琉佳さん、 “枠”って、どういうことですか?」
「まあまあ、とにかく座ろう! お腹空いてるんでしょ? ねぇ、彩ちゃん、今日のオススメメニューを教えてよ」
にこやかにそう言って葉月を席に促した。
そして手早くいくつかのアラカルトを適当に注文する。
「琉佳さんて、何やってもスマートな人ですね。お店の人との会話もスムーズだし」
「ああ実はね、ここプロデュースしたのオレなの」
「え! そういう空間デザインもやるんですか?」
「うん。『Form Fireworks』にはくくりがないから、やりたいと思った仕事は誰がどのように取ってきてもいいし、ちゃんと会社名の下で責任ある仕事をすれば何をやるのも自由。もちろん信頼の上で成り立つ訳なんだけどね」
琉佳は店内を見回した。
「この『彩カフェと彩ちゃんは“僕の枠”なんだ」
「さっきも“枠”って言ってましたけど、どういう意味ですか?」
「ああ、 “担当”っていう意味だよ。ここの店は 徹也さんのOKももらったし、チェックもしてもらってるけど、90%は僕のアイデアと設計なんだ。ついでに言うと彩ちゃんは僕とそういう関係」
葉月が蒸せた。
「どうした? ほら、水飲んで!」
葉月はあわてて息をととのえる。
「あの……ちょっと待ってください。"そういう関係"って、どういう関係……」
「え? 普通に。寝たってことだよ」
言葉を失っている葉月のことを、パスタを口に放り込みながら、ごく普通の顔で琉佳は見る。
「なんか変なこと言った? 僕」
「いえ……」
琉佳が、手を止める。
「あれっ? 白石さんてもしかして……」
「あ! 違います……」
とっさにそう言ってしまってから、葉月は恥ずかしそうに下を向いた。
「……彼氏と別れたばっかりで」
琉佳は再び手を動かした。
「あーびっくりした! そうなんだ? っていうか、徹也さんとは?」
「えっ? どういう……?」
「あれ? どうしたの。顔真っ赤だけど? あ、なんかいやらしい想像したんじゃない?」
「し、してませんよ! からかわないでください!」
琉佳は笑った。
「いかにもウブそうだよね、白石さん。この業界は男だらけなんだから、気をつけてよ! まあ、ご要望とあらば、僕はいつでも付き合うけど?」
葉月は、美波さんが “ついていっちゃダメ” と言っていた意味が、ようやく分かった。
「さっきの話だと、メディアアートに触れたのも初めてだったんだよね?」
「はい。なので昨日は個展回りをしたんです」
「熱心だね。なるほど徹也さんが気に入るわけだ。君が観てきたのってさ、コンピューターとかセンサーを使って鑑賞者の動きや熱を感知して作品に反映させるって感じだったんじゃない?」
「ええ、そうですね」
「まあ、鑑賞者の動きによって作品が変化するっていう点ではウチも一緒だけどね、それをより鑑賞者と作品の間にインタラクションをもたらせるかってことなんだよね。まあでも君の反応見てたら、鑑賞者が作品と対話できるんじゃないかなって、大いに期待ができた。徹也さんも満足そうだったしね」
さっきとは違って、職人の顔になった琉佳を、葉月はじっと見ながら話を聞いていた。
「明日からはさ、徹也さんの言葉を借りるなら、今度は君がこのインタラクティブアートを鑑賞者に最大限に伝達してもらわなきゃね。忙しいよ、大丈夫?」
「もちろんです! むしろ誰かに伝えたくてうずうずしてる感じで」
「そうなんだ! それは良かった。来場するのは単に鑑賞者だけじゃないからね。新聞社、雑誌社、専門誌、あとはテレビ局も何軒か取材にくるかな」
「え? そうなんですか!」
「そりゃそうさ、もはや鴻上徹也は業界では名の知れたアーティストだよ」
琉佳は誇らしげにそう言って、微笑んだ。
それからは『Eternal Boy's Life』の話になった。
鴻上徹也氏が以前の会社を辞めるまでの話や、 独立してから、美波と琉佳が加わった経緯も話してくれた。
葉月は、徹也が琉佳に花火大会の日を話していないだろうと思い、『Blue Stone』の客として、そこの店主である隆二に『エタボ』のフェスに連れて行ってもらうことになって、そしてそこで徹也とも再会したという話をした。
「ちょっと待って! 白石さん、『エタボ』メンバーと直接話したの?」
「はい、すごく緊張しましたけど、『Blue Stone』のリュウジさんはサポメンなので、なんとか」
「あ、ちょっと待った! サポメンのドラマーって、あのインスタの?」
「ああ、そうです」
「だよね? じゃあ、水嶋隆二?」
「え? どうして知ってるんですか?」
「うちの姉ちゃん、高校も徹也さんと同じなんだ。2学年下だけどね。そしてバスケ部のマネージャーをやってた」
「そうなんですね! ってことはリュウジさんともバスケ部で面識があるんですね」
「そうなんだよ。姉ちゃんさ、インスタ見て盛り上がってたよ」
「なんか、インスタの反響が大きすぎて、今リュウジさん、街歩いてたら囲まれちゃうらしいです」
「そっか、僕も会ってみたいな。うちの社長とはまだタイプが違うけど、イイオトコだよなぁ。本当に親友なの? その二人が話しが合うようには思えないんだけど?」
「あはは確かに。二人で落ち着いたトーンで話ししてるのを聞いたことがありますけど、昔ながらの気の置けない親友って感じで、いい雰囲気ですよ」
「へぇ。今度みんなで『Blue Stone』行きたいな。連れてってよ!」
「ぜひ行きましょう! ただ『Blue Stone』にリュウジさんが出られる状況だったらいいんですけど」
「ああ、ファンに囲まれちゃうとか? マネージャーとかいないの?」
「リュウジさんの付き人のユウキって子がいるんですけどね。いつもその人と心配してるんです」
「そっかー。そのつながりで徹也さんと君は」
「まあ……そんな感じです」
「来週入ったぐらいになったら、きっと仕事も煮詰まり出すだろうからさ、リフレッシュがてら行きたいな!」
「そうですね! じゃあみんなで」
「いや、ボスは無理かな? 忙しいから」
「ボス?」
「本人の前では言ってないけど、仕事ハードになってくると、徹也さん、オニになるんだよ。
だからね、その時は秘密裏に “ボス” って呼んでるの」
「あはは、面白そう! 私も使おう!」
食事を終えて『Fireworks』に戻ってもまだモニター会議は終わっておらず、琉佳と葉月は会場に戻って、明日実際どのように鑑賞者を誘導するか、どのような説明をするかを具体的にシミュレーションした。
会議が長引くのを見越して『彩カフェ』に再度、徹也と美波の分の夕食のケータリングを手配し、二人で事務所の片付けを終わらせた。
明日のコスチュームを葉月に手渡しながら、琉佳が言った。
「もう遅いから送ろうか」
「大丈夫です。まだこんな時間ですし、私は電車で帰れます」
「ダメダメ! 徹也さんに叱られるから」
『Form Fireworks』の正面玄関を琉佳と二人で出る。
かつて徹也が葉月を担いで登った階段のところにある自動販売機の横に、人影があった。
「えっ? ユウキ?」
「葉月、お疲れ様」
驚きながらも笑顔で裕貴に近づこうとした時、琉佳が突然葉月の手を取って強引に引っ張った。
「えっ?」
その勢いで葉月は琉佳の胸にぶち当たる。
すると琉佳はぎゅっと葉月の肩を抱いて、高圧的に言った。
「悪いんだけどさ、今日は彼女、僕ん家に泊まるから。こんなとこで待ち伏せてないで、帰ってもらえるかな?」
「は……」
目を見開いて唖然とする葉月をよそに、琉佳はなおも続ける。
「君もさ、もう別れたんだったら、そんなみじめったらしく待ち伏せなんかしない方がいいんじゃない?」
「琉佳さん……違います」
「僕達フィーリングが合いそうだから、付き合おうかと思って。な? 葉月」
「違うんです、琉佳さん!」
葉月の声に、琉佳は首をひねる。
「琉佳さん! この人は元カレじゃなくって、友人で……さっき話してた水嶋隆二さんの付き人なんです」
琉佳はガクンと肩を落とした。
「えーっ! そうなの! うわ! やっちまったな……ごめん!」
ユウキが笑い出した。
「ボク、元カレに間違えられたんですね?」
「ごめんな、違ったか」
「いいですよ。『Fireworks』の人ですか?」
「ああ、僕は鴻上徹也の下で働いてるエンジニアだよ」
「じゃあボクと同じ立場ですね? 師匠が偉大すぎるって感じの?」
「うんうん、そんな感じ!」
ユウキは葉月の方を向いた。
「葉月、元気そうじゃん! 明日から本格的に仕事なんだって?」
「うん。ユウキ、ずいぶん会ってなかった気がするね。4日も会ってないもんね」
琉佳は二人に訝しい表情を向ける。
「……なんか君達の会話さ、どう聞いてもカップルの会話だけどね。まさかそういう関係?」
「もう! 琉佳さんはすぐそっちに結びつけるんですから! やめてくださいよ!」
「ごめんごめん、それがない関係っていうのが、よくわかんなくてさ」
「え?! 琉佳さんがレアケースだと思いますけど」
葉月の言葉に肩をすくめながら、琉佳は裕貴に言った。
「うちの姉貴もここの社員なんだけど、君の師匠に会いたがってるんだ」
「どういうことですか?」
葉月が補足する。
「同じ高校でバスケ部のマネージャーをしてたんだって。今日その人にもお会いしたけど、鴻上さんの右腕って感じで、バリバリやってらっしゃるすごく綺麗なお姉さんなの。リュウジさんとも面識があるから『Blue Stone』に行きたいねって、話してて」
「へぇ、面白いつながりですね! ボクも『Blue Stone』で仕事させてもらってるので皆さんいらしてください。あと2週間ぐらい個展があるんでしょ? お忙しいんでしょうけど終わった後にちょっと寄れるぐらいの距離ですし」
「絶対行くよ!」
二人は握手を交わした。
「ねぇ君は白石さん迎えに来たの?」
「はい、しばらく会ってなかったし、ボクも今日はこっちにいたので」
「そっか、じゃあ彼に任せていいのかな?」
「はい。では琉佳さん、明日よろしくお願いします」
「こちらこそ、期待してるよ。白石さん!」
さわやかに手を振って、琉佳は中へ入っていった。
「あれはヤバいなあ……」
裕貴はブンブンと首を振る。
「え? 何言ってんのユウキ?」
「絶対、彼に口説かれると思うよ」
「あはは、女の人は誘わないと失礼なんだって。ある意味ものすごくオープンな人だから、逆に話しやすいよ」
裕貴が怪しい顔で葉月を見た。
「それよりユウキ!」
「ん?」
「久しぶり!」
裕貴は葉月のことが突然ヒヨコに見えて、クスッと笑った。
第104話 『Fusion』融合 ー終ー




