第102話『Office form Fireworks』フォーム・ファイヤーワークス
「君の感性で君の思ったこと、君らしい正直な表現を俺にぶつけて! そうすることで俺ももっと、進化できると思うんだ」
徹也はそう言って葉月の頭に手を置いた。
葉月は胸の鼓動を押さえながら、立ち上がる彼の背中を見つめた。
徹也はサッと振り向いて話し出す。
「よし! じゃあ始めよう! 事務所内の事も色々説明しなきゃいけないけど、そうだな……とりあえず個展が明日からだから、そっちだな。物理的にどういったものを出展してるかってことをゲストに対してある程度は説明できるようになってほしいから、メカニズムも覚えてもらう。君は接客は大丈夫そうだしね、大人から子供まで楽しんでもらえるギャラリーにしたいんだ」
「わかりました」
「ああ、しっかり頼むね」
「あの、すみません、私からも一つお願いが……」
「なに?」
「写真、撮らせてもらっていいですか?」
「ん? 写真? なんで?」
「アレックスさんに送りたくて」
「は?」
「アレックスさんの送ってくれたその服もすごく似合ってるし、そのヘアスタイルも多分アレックスさんは絶賛すると思うんで、報告したいなーと思って」
「やけに仲良しなんだな? 男に男の報告するって? どんな感覚なんだ」
「まあまあ! いいじゃないですか! 撮りますよ」
『form Fireworks』のスタイリッシュなオフィスをバッグに、葉月はスマホで徹也の前身の写真を撮って、すぐにアレックスに送った。
アレックスからは すぐに返事が来た。
やだ素敵♡♡♡
今度会ったらホンキで行くわよ!
あ~リュウジ、ごめん♡
葉月がクスクスと笑っていると、徹也が怪訝な顔で聞いた。
「返信、彼から?」
「え……ええ、あ! すごく似合ってて送ってよかったって書いてます、喜んでもらって……光栄だって」
「ふーん、そう?」
原文は絶対に見せられない、とそう思った。
心地いい空調のもと、日差しを背に受けて微睡むようにゆったりとコーヒーを飲んでいる徹也に向かって、葉月は身を乗り出した。
「鴻上さん、そろそろ仕事教えてくださいよ」
「ああ、そうだなあ。下の階の出展作品を実際に見てもらうのは午後からにしよう。まずは……この事務所を早く機能的にしたいんだけどさ、引っ越してきたばかりだから資料が揃ってないんだよなぁ」
徹也は大きな部屋の一角に作られた、重厚な本棚が幾重にも並んでいる図書館のようなコーナーを指差した。
見れば、その本棚はまだスカスカだった。
「あそこに資料をまとめた書類ケースを並べるつもりなんだけどさ、まだダンボールに入ったまま隣の部屋にあるんだよね……後はまあ、アート資料本とか図鑑みたいなものとか、アートグラビア? そんなものを並べるつもりなんだけど……」
「それも全部、隣の部屋にあるんですか?」
「そう」
「あの……」
「なに?」
「個展も明日からだし、時間ないじゃないですか? ここでまったりお茶飲んでないで、早速やりましょうよ。他にスタッフの方はいらっしゃらないんですか?」
「まあ……ウチはわざわざ出社しなくても出来ることが多いからね。なんなら会議すらZoomでやっちまうしさ。テレワークで契約してる社員もいるし。あとは都度都度のフリーランスもいれば、なんなら地方にいるノマドワーカーもいる。まあそれでもここに出社するスタッフも何人かはいるけど、今日は午後から来るんじゃないかな?」
「……じゃあ、こういう事務的な……と言うか、いわゆる力仕事や地道な仕事も鴻上さんがやったりするんですか?」
「まあ……ほとんど事務所に住んでるようなもんだからね。ここに居るついでにちょいちょいやってんだけど、進まなくてさ」
葉月はちょっと溜め息をついた。
「ん? どうした?」
「鴻上さんのマネージャーみたいな人は、いないんですか?」
「近いのは一人いるけど……今はマネージャーじゃないな」
「じゃあセクレタリーは?」
「いや、いない」
「じゃあ、タイムマネージメントしてくれる人 は?」
「いないって」
「じゃあ……鴻上さんがセルフで完璧なタイムマネジメント、出来ますか?」
「出来てたらこうなってないな。納期もいつもギリギリだし。最終、寝ないでやるっていう戦法でやってきてるから」
「戦法って……それじゃあダメですよ! 鴻上さんがもし体でも壊したら、この会社が終わっちゃいますし」
「ま、そりゃそうだな」
「ちゃんと時間の管理をしていかないと!」
そう言って葉月は立ち上がって、側にあるホワイトボードの前に行った。
「ちょっと借りますね。今がもう10時過ぎです から……ここからお昼までの2時間で資料を全部こっちに持ってきてあの棚の中に収めましょう。で、お昼が終われば、そこから下の階に降りて、個展の説明をしてください。これでどうですか?」
「ああ……分かったけど、どうしてボードにわざわざそんな事書くんだ?」
「これは、途中で辛くなってサボりたくなった時に、自分を戒めるために見るんです」
「なんだそれ?」
「自分が決めたんだっていう、誓約書みたいなもんですかね」
「何気に“M”の匂いがするな」
「違いますよ! うちの高校の女バスはそうやって自分に誓約を立てるんです」
「そうか! さすがバスケ最強豪校『麗神学園』だけのことはあるな! だから葉月ちゃんって精神的に長けてるのか」
「いいえ、精神的に長けてなんていませんよ。私、フェスに行って自分の弱さにいっぱい気付いちゃってかなり落ち込みましたし、出来ない事も多いしまだまだだと思うので、それならやれることは精一杯やろうって、そう思ってるだけです」
徹也はばつが悪そうに頭を掻く。
「なんか俺……大人としてヤバいな……君がそんなふうにちゃんとやるなら、大人の俺が立派な背中見せなきゃならないんだよな? よし! ちょっとやる気出てきたぞ。じゃあ、プラン通り動きますか!」
二人は早速隣室から段ボールを運び込み、棚に陳列する作業に取り組んだ。
「あー、疲れた!」
「そうですか? 私まだまだ行けますよ!」
「さすがは麗神学園!」
「そればっかり言わないで下さい! 体育会系女子に対する冒涜ですよ!」
「はいはい、すいません。最近は何言ってもセクハラになるから経営者も大変だって、みんなぼやいてたなぁ」
「そうなんですか? まあ私が体力あるんじゃなくて、鴻上さんはただ単に寝てないから疲れが溜まってるだけですよ。だってここの8階まで私を抱き上げて登れる体力の持ち主ですよ」
「ああ、それは言えてるかもしれないな。なんせ40-50㎏を持ち上げたわけだから!」
「あの。体重の話はさすがにセクハラだと思いますけど」
「えーマジで!」
「ひどいなぁ……やっぱり私、重かったんでしょ?」
「いや、そんなことないよ。フツーの女子の重さ……あ、いや、なんていうか……」
「そんなにしょっちゅう、フツーの女子を持ち上げてるんですね」
「いや、違う! そんなわけないだろ! なんていうか……ってか、俺、なに言ってんだ」
「あははは」
笑いだした葉月に、徹也は困惑の表情を浮かべた。
「おい……笑いすぎだろ!」
「経営者はホント、大変なんですね?」
「ああ、まったくだ……君にまでおちょくられてさ……」
徹也は抗議の眼差しを送った。
「あはは」
「こら、あんまり俺で遊んでたら、お仕置きするぞ!」
徹也は葉月の頬をきゅっと摘まんで顔を近付けた。
至近距離で茶色い瞳にロックオンされて、一瞬たじろぐ。
「とりあえず、それらしくは並んだか?」
「あ……ええ」
茶色い瞳から目をそらして、一瞬止まっていた息を整えた。
「あ……あの、鴻上さん、お借りしたい本が何冊かあるんですけど」
「いいよいいよ、何でも持っていって! なんか興味湧いた?」
「ええ、ちょっとわからない用語もあったりするので……」
そう言って葉月は自分のカバンを手繰り寄せた。
「ん? なにその大荷物。今日は初日だから何もいらないって言わなかったっけ?」
「あ、これは昨日集めた資料なんですけど」
「昨日集めた資料? なに?」
「ちょっといろいろな個展に行って来たんです。私、メディアアートって、実際にどんな作品のことを指すのか、わからなかったので……でも行ってみたら、あらゆるものがありました」
「え……これって、実際に自分で足を運んで集めた資料?」
「あ……はい。昨日1日だけなんですけど、パンフレット買ったのもあります。ご覧になりますか?」
「ああ、見せて」
葉月は大きなカバンを徹也と自分の間に置き、そこからファイルに整理された資料をわっさと机の上に置いた。
「うわ、これは……」
パンフレットには沢山の付箋が貼ってあり、ちょっと大きめのメモ付箋には感想や葉月なりの注約がびっしりと書いてあった。
「すごいじゃん、葉月ちゃん。めちゃめちゃ研究熱心だよな?」
「メディアアートって、本当に色々な種類があるんですね! “縛り” がないというか……結構アイデアを絞れば、面白いコラボレーションができるかなって……」
「どういうこと?」
「そうですねぇ……例えば、スクリーンにプロジェクターを使って森の中を再現するじゃないですか、それを迷路にして色々なコーナーを作るんです。鏡の間みたいな……実際は鏡じゃなくて自分を投影してるんですけど、それが鏡みたいに見えるとか……少し変化を持たせて……服の色が変えられたりとか、そういうダウトを作って間違い探しのコーナーにしたり。他にもクイズとか選択問題を所々に置いて、正しい選択肢の方に進むと迷路が突破できるとか……なんかそんな、色々な楽しい企画が現実できるんじゃないかって思いました。ホント面白いですよね! メディアアートって」
「……ちょっと待って、葉月ちゃん? 今言った事ってさ、実際そういう出し物を展覧会で見てきわけじゃなくて?」
「いいえ、そうではなくって、今私が想像しちゃった事を言っただけで……支離滅裂ですよね」
徹也は空を仰ぎながらつぶやくように言った。
「そうなのか……」
「あ、ごめんなさい。何もわかってないのに……現実にできるのかどうかも分からないのに、無責任なことを……」
「いや! すごくイイ!」
「え?」
「メディアアートの個展に出向いたのは、昨日が初めて?」
「はい」
「そうか! ファーストインプレッションにしてその発想力か……頼もしいな! 君にはきっちり理解してもらった上で仕事をしてもらうのがいいみたいだ」
徹也は立ち上がっているパソコンの方に葉月を誘導した。
カチカチとマウスを動かしながら、幾つかの映像を見せる。
「実際に展覧会で多くの人を惹きつけてるのは、今のところはプロジェクターに映された映像とか、その映画に映った何かが動くみたいな。後はインタラクティブ、あ……わかるかな?」
葉月は頷く。
「下の階でも説明するけど、何かに触れたことを検知できるタッチセンサーがあって、それを検知した信号を受けてアニメーションを動かすんだよ。そうするとその触れたものの下から何か生き物が現れてくるとか……もちろんそれも投影なんだけど、そういったインタラクティブな メディアアートを、今回は個展として発表してるんだ」
「面白いですね! 楽しみです」
「あとで階下の展覧会場に招待するよ。俺も君の反応が楽しみだ」
「さっきフライヤーを見たんですけど、全国開催なんですか?」
「ああ、ここが皮切りだけど、全国5箇所で開催する」
「え? そんなにあるんですか? 期間は?」
「基本的には1都市につき2週間程度かな」
「え! 長期なんですね。終わったら季節が変わってますね」
「あはは。そうかもな」
「鴻上さんは、各都市に行きっぱなしなんですか?」
「いや、そうもいかない。合間にやらなきゃならない仕事は山ほどあるしなぁ……行ったり来たりになるだろうな。ただ、もうそっちの方は大分手配が終わっててね。スタッフまで確保できてる。逆に言うとこのビルが一番最後なんだ。肝心な時にエレベーター使えなかったり、ホント、コイツは手のかかるヤツやつでさ」
徹也は微笑みながらも、また葉月の資料に手を延ばした。
「しかし……ここまでやってくれますか……」
徹也は嬉しそうに、その付箋だらけの資料を パラパラと見た。
「じっくり見せてもらっていい?」
「え? そんなので良かったら是非。あ、私、隣の部屋を少し整理して来ますね。鴻上さんはそれを見ていてください」
「悪いね」
「いえ、全然!」
葉月は隣室の段ボールを片付けて、一ヶ所に集め、今度は社長室と応接室があるという階上に持って上がる資料が入った箱を集め、オフィスの雑貨や在庫品の段ボールと分けてきれいに並べておいた。
オフィスに戻ると、もとの位置に徹也の姿がなかった。
キョロキョロと辺りを見回して探していると、緑色のプレイルームに横たわる徹也を見つけた。
葉月の付箋が貼られたパンフレットを開いたまま、まるで力尽きたように眠っている。
葉月はその手からパンフレットをそっと外して、近くにたたんであったブランケットを、徹也の身体にそっとかけた。
まるで魔法にかけられたかのように、ピクリとも動かず寝入っている徹也の顔をじっと見る。
ぷっくりとした艶やかな唇と、長い睫毛がほんの少しカールしていて、まるで女の子のようだった。
何日もろくに寝てないって言ってたもんね。
疲れてるんだろうな……
このまましばらく、寝かせてあげたい……
葉月はブランケットからはみ出している徹也の手を取り、静かにその中に潜らせた。
その時、その長い指にグッと力が入って、葉月の手首を掴んだ。
「え!」
でも、徹也は依然、健やかな寝顔のままだった。
手首を掴まれたそのままの体勢で、どうしたものかと考えあぐねていると、背後から甲高い声がした。
「ちょっと徹也! どこよ! 徹也! 入り口のドア、鍵が空いてたわよ! もう、徹也ったらぁ!」
第102話 『Office form Fireworks』 フォーム・ファイヤーワークス ー終ー




