お前の姿も笑顔も声も
季節は秋。冷たくなっていく風が教室のカーテンを揺らす。
朝、周りから声が飛び交っていた。
「おはよう」
「あ、おはよー」
挨拶から始まって、そのまま会話にもつれ込み、教室はがやがやざわざわと音だてる。連休の後の学校は話題が多い。クラブで試合だったとか、家族旅行がどうのこうの。楽しげな話題が列車のように続く。
「リョーイッちゃん、どっか行ったか?」
「行ってない。その調子、お前、どっか行ってきたやろ」
「そう。俺、長野行ってきてん。ええやろ?」
リョーイッちゃんもとい亮一は、かばんを机におろした。教室に入るなり、幼馴染の雄哉があいさつもなく話しかけてくるので、半目で彼を見返す。
「こちとら家出ゲームしてただけや。なんも面白なかった」
「ほぉらほら。そんなことやと思って、優しい優しい俺がミヤゲ買ってきてやったんでぇ」
机に筆箱だけを出し、亮一は雄哉を見る。
「早くくれ」
「お前……現金なやつやな」
雄哉の妙にわざとらしい冷たい言い方に、2人はふきだす。
こうやってたわいもない話しながら笑っていると、クラスメートたちがよってきた。
「何の話してるんなよ。お前ら朝っぱらから元気やなぁ」
「よお、聞いてくれよ! こいつ、自慢しに来るんや!」
雄哉は亮一にそういわれるのを待ってましたといわんばかりに、にこおっと笑った。
「へへーん! 俺、長野いったんやで! もう紅葉始まっててキレエやったでぇ」
いいな、とクラスメートから言われ、雄哉は楽しそうに小さな旅行について語る。
朝のホームルームまでまだ時間がある。亮一はまだまだ終わりそうにないと感じた話に、ただの聞き役から変わって、話に割り込んだ。
「おい雄哉。話もええけど……ミヤゲあるんやろ、早くくれよ」
亮一はにっこりスマイルを浮かべ、手を差し出す。
「あー! お前、先に言うてまうなよ!」
「いいからいいから。俺、腹減ってるねん」
「お前のは食いモンとちゃうわい!」
「お、リョウだけ特別かよ。その言い方からすると」
「うわぁ、おあついねえ、お二人さん」
「もう秋やっていうのに」
「違うー!!」
「お前らなんか、俺らの子と間違った認識しとるやろ!?」
「そんなこと言っても……お前らラブラブやろ?」
「だーも!! アホかァ!」
一瞬で連休話がどこかへ吹っ飛び、雄哉と亮一のからかいに変わってしまった。教室の窓際でわーわー騒いでいると、気付かない間にチャイムが鳴っていたのか、前のドアから担任が入ってきた。4人は、先生の「早く席に着けー」の声であわてて亮一の席から離れていった。
亮一は朝ごはんを食べずに来たので、空腹を感じ――同時に雄哉の言葉を思い出していた。
――お前のは食いモンとちゃうわい!――
いつもはみんなまとめてお菓子なのに?
そうこうして授業は終わり、放課後になった。
雄哉は亮一以外の3人に、いつもどおりお菓子を配り、クラブに向かう。もちろん同じクラブの亮一も後を追った。
「雄哉ぁ、おれにミヤゲは?」
「もー亮一、しつこいぞ。クラブの後やって言うてるやんか」
「畜生、お前も頑固やな。……にしても長野かあ。ええなぁ。冬になったらスキー行きたいな」
「そやなぁ。じゃあ電車乗って行こか」
ポツリ、と雄哉が言ったのを聞き、亮一が楽しそうに手を打った。きらきらりと目を輝かせて笑う。
「それいいな、受験地獄の来年でもええわ。行こう? かなりの遠出になるけど」
「えらい先の話するんやな」
「ええねん。俺、スキー好きやもん」
「それ、ダジャレか? 寒ぅ」
「ちゃうわ!」
部室に入って運動着に着替える。テニスシューズに履き替え、使い込んだラケットを手に取った。
生まれた日はたった3日しか変わらない。
兄弟のように育った二人はずっと一緒だった。互いにスポーツ少年で、互いがよきライバル。勉強となれば雄哉のほうが優勢だが、亮一はそれを頼りにテストに望む。
幼馴染で、親友で、ライバル。そして、同じ初恋。
クラブの帰り。
「亮一、お前、どこも行ってないって嘘やろ」
「相変わらず勘がするどいんやな。よう分かったな」
「付き合い長いんや。それくらいなんとなく分かるわ」
中学校の卒業式、彼女は大阪から四国のほうへ引越した。メールくらいはたまにする程度の中で、女友達の少ない彼らにとっては一番仲のよい子だった。
「事故……やってな?」
「ん。信号無視したトラックがドン、やて」
「また会いたかったのになあ」
「写真、なんかちょっと大人っぽくなってたわ」
好きだとも何も伝えられなかった彼女。連休の前日に彼女はこの世から消えた。
亮一は暇だったこともあって、自腹を切ってまでして四国へ行ってきた。帰り道、2人はどことなく暗い話題になり、ため息をついた。
ずっと好きだった。 優しい優しい笑顔の彼女。
「雄哉、その話はまたあとできくわ。……ミヤゲ」
忘れたくない。それでも引きずることはできない。
「おお、リョーイッちゃん覚えてたねえ」
あたりまえやろ、といって亮一は笑みを浮かべて手を出す。そんな彼の手に、雄哉は小さな紙袋を置いた。
「サンキュ。何が出るかな?」
包みを破って、亮一はへぇ、と声を上げる。
「ちょっと季節はずれになるけど、お前に丁度ええ」
「えらいかわいいモン買ってきたんやな……何々、交通安全か」
がさごそとキーホルダーを出し、しげしげ眺めて、また笑みをふわりと浮かべた。
亮一の絶えない笑みは、ころころ変化し、17年一緒にいた雄哉すら楽しめる。その笑みを雄哉に向けて、キーホルダーを目の前で揺らした。
「雪だるまなんてはじめてもらった」
「出る前にお前からアイツが死んだってメールきたから、丁度ええと思ってん。お前、この前チャリで転んでひかれかけとったし」
「雨の日はよう滑るんや。しょうがない」
「でも俺はこけやんかった。誰が助けてやったと思ってるねん。引っ張ってやらんかったら、お前今頃足ないんちゃうか」
雪だるまが持つ赤いスキー板に『交通安全』と大きく(といっても小さなキーホルダーなので限度がある)かかれている。亮一は肩掛けのかばんにそれをつけ、指ではじいた。
「あの日もアリガトな。気ぃつけるわ」
横を通った車を見て、二人は笑った。
彼女をいつまでも引きずってられない。もう離れてしまったし、もうここにはいないのだから。
「おはよぉ」
雄哉は朝練を終えて教室に入った。先日と何の雰囲気の違いもない明るい朝。また朝の練習に来ない、朝に弱い亮一の空いた席。
「雄哉、亮一また来てないんか」
「おう、来てない。もうすぐ試合やってのに」
昨日と変わりないクラスメート。
「あいつ、いっつも試合4日前なって俺に『明日から朝起こしてくれ!』って言うんや」
いいかげん自分でおきてほしいわ、と雄哉があきれた顔で言った。
そして、この日の朝のHRに亮一はいなかった。
1時間目――数学。
「遅れてすいません!!」
ためらいも恥も何もないほど、ガラリと勢いよく前の扉が開いた。あまりの唐突さと激しさに驚いたのか、教師の手は止まり、教室内も静まる。その静かな視線を浴びる亮一は、照れ隠しにはにかんだ。
「今日に限って母さんも寝過ごして……俺はいつものよーに寝過ごしました」
どっと教室が笑いであふれる。その中心で亮一は少し顔を赤くして席に座った。
まだ笑い声がおさまらない中、教師は授業を開始し、亮一はいつものメンバーに視線でからかわれていた。
「それじゃ、このプリントちゃんと覚えとくこと。次のテストに出るぞ」
その後、別にたいした事も起こらず、授業は終わった。終わるとすぐに亮一の周りには雄哉達が集まり、騒いでいた。
「起きたらもう9時前でさ。また朝メシ抜きや」
「アホやなぁ。しゃーない、お前にこれやるわ」
「え、ホンマ? ありがとーございます」
亮一は友達からお菓子をもらい、一気にぱくつく。もぐもぐと食べている間にも、周りの話題が変わっていく。
と、ふと思い出したのか、雄哉が手をうった。亮一に顔を向け、連絡を告げる。
「今日はセンセの都合でクラブ休みや。お前も暇やろ? 俺、CD買いに行きたいねんけど」
「休みか。ええで、俺もなんか物色しよ」
時々徒歩で来るのだが、今日は自転車できてよかった、と亮一は思った。帰りに店に誘うなら、雄哉も自転車なのだから。それに、晴れている。滑って雄哉に笑われることもないだろう、と。
「いつモン所でいいか?」
「あ、本屋も行こ。マンガの発売日やねん」
放課後、自転車に乗り、二人は道を走っていた。
「それやったらこっち曲がった方がええな」
雄哉が左に進路をかえ、亮一もそれに続く。亮一は少しスピードを上げ、幼馴染に並んだ。
「雄哉、あの雪だるま効いてるみたいやで」
「……お前、また転んだんか」
「なんで『効いてる』って言うたのに、こける話せなあかんねん!」
「あ、そうかそうか。悪ぃ」
「いや、別に謝らんでいいけどさ」
亮一がちらりと雄哉を見て笑う。
「あんな、俺、今日は慌ててガッコ来たやん? そのときバイクと正面衝突しかけてな。――でも、間一髪でぶつからんかったんや。すごいやろ」
「……お前、その性格なおさないつか死ぬぞ」
「はは、気ぃつけるわ」
笑いながら信号を渡る。赤から青になったばかりの信号を。
「――亮一っ!!」
音は聞こえなかった。いや、聞いていなかった。
信号無視のトラックのブレーキの音。
二人の自転車がぶつかり、倒れる音。
ただ――ただ互いの声だけが聞こえて、目の前が暗くなった。
雄哉は悲鳴を上げながら、痛む右足を目に入れた。膝から下が折れているのが目に見えて分かる。
制服は破れ、流れる血に気色悪く染まっている。
「痛っ……くそったれ! そや……亮一は……」
何メートルか離れたそこに、亮一は倒れていた。右足をかばい、前へ――彼のところへ進む。自分も道路を這い蹲りながら、必死に。
「誰か――誰か、助けて……!」
亮一のところにようやくたどり着いて、叫んだ。
「リョーイチ! おい、亮一!!」
「…………ゆう、や……?」
「そうや、俺や! しっかりせぇよ!!」
痛みに悲鳴を上げながら、後ろを振り返った。助けが必要だった。直接ひかれた亮一のほうが重症なら、雄哉がするしかなかった。
ぼやける視界の中で、運転手を探し――
「あん野郎……!」
トラックが走っていくのが見えた。ナンバーを霞んだ目で見るが、すぐに忘れてしまいそうだ。
「そや……携帯」
できることをする。
雄哉は今日に限って人通りの少ない道を走ったことを呪った。
呪いながらも雄哉は近くにある亮一のかばんに手を伸ばした。指先にチェーンのはずれた雪だるまがあたったのを感じる。それをぐっと握り、そのまま携帯をカバンから引き出した。
動かない指で119を押し、必死に叫ぶ。ただ、もう声もかすれたようにしか鳴らない。
「中本亮一と、島崎雄哉……トラックにひかれたんや……! ゼロ、ゴ……ニィナナっ」
涙がこぼれる。
――ゆう、や……?――
亮一の声が頭から離れない。消え入りそうな、細い声が、雄哉の耳に残っていた。
「本屋と――マク○の裏道……。助けて――俺ら、死にたない……!」
手の力が抜け、手から携帯が落ちる。
「俺ら○×高校の生徒や……! ガッコに一番近いマク○や……っ」
最後に叫ぶ。聞こえて、この場所にきてほしかった。
「リョーイッちゃん……亮一! りょういち、りょーいちぃ!」
さっきまでかすかに息をして動いていた亮一の体。心臓マッサージやらいろいろ頭に浮かぶが、できなかった。自分の体も、これ以上動かない。
「死ぬなよ……この雪だるま、きくんやろ……?」
もう起き上がることもできない。
「一人で、アイツんところ――逝ったら許さ、んで……!」
許さない。
「一緒に……スキー、行くんやろ――!?」
これまでずっと一緒だったのだから、これからも。
「リョーイチ……」
次に雄哉が目が覚めたとき、隣に亮一はいなかった。
季節は冬。冷たくなった風が病室のカーテンを揺らす。車椅子生活も終わり、雄哉は松葉杖をついて草の上に立っていた。何も語らない、ただじっと四角の形を保つ石をじっと見つめる。
「亮一……」
時間はかかった。立ち直り、ここに訪れるようになるまで。
しかし、もう引きずるわけにはいかない。
「俺は忘れやんよ。お前の姿も、笑顔も……最後の声も――」
雄哉はかすかに笑ってみせる。四角い石に向けて。
「……アイツによろしく。俺も90年後くらいにいくから、待っとけよ」
なんだかもっとじんわり来るものを書きたかったのですが。
まだまだ技術が足りません。