一筋縄ではいかない二人のようでした
「スリッパは、外向きではなく内向き、屋内での履物ですからあまり目にされる機会は少ないでしょう。ですが、このスリッパをラクトスを始め、ここランジ村も治める公爵様が気に入っているのです。つまり……」
「こ、公爵様にも信頼されている、という事ですかな?」
「はい。公爵様からの信頼を裏切る事はできません。この村だけでなく、公爵領に住めなくなりますから」
公爵様はあのエッケンハルトさんだし、悪い事をしなければ、住めなくなるなんて事はないと思うが……。
あと、スリッパに関しては確かに気に入っているけど、それは屋敷内で履いているからというだけだ。
確かに足が蒸れないなど、靴よりは動きづらい事を除けば、エッケンハルトさんだけでなくエルケリッヒさんやマリエッタさん、それに使用人さん達なども含めて多くの人が喜んでくれているみたいだけどな。
外と内で履物を分ける事で、屋敷内の床が汚れにくいというのも、使用人さんが喜んでくれている理由の一つだが。
「ふぅむ……公爵様の信頼を得ている商会との取引、繋がりを持つという意味でも失うのは惜しいですな」
貴族との繋がり、特に評判のいい貴族家との繋がりは、商人さんにとっては大事らしく、多少の損を覚悟してでも取引をしたい、という人は多いらしい。
大きな商会を率いるバスティアさんにとって、自分の住む場所とは別の領地の貴族家との繋がりは、もしかしたら喉から手が出る程欲しいものなのかもな。
現在の交渉ではいきなり繋がりを持てるわけではなく、繋がりを持っている商会との繋がりを持ち、徐々に食い込んでいく、といった感じだけど。
ちなみに、こちらの屋敷に越してきてすぐの頃、傷薬を皆に目玉商品として紹介した際にもそうだったけど、公爵家の事を宣伝材料にするというのはエッケンハルトさんから許可を得ている。
まぁ、共同運営でクレアもいるわけで、繋がりがないと言っても嘘にしかならないし、それならむしろ武器にできれば、というわけだ。
「……さすがに、今すぐ信用しろというのは無理な話でしょう。こちらも、費用面など詰めなければいけない事もあります」
「そ、そうですな」
「はい」
「取引をする数なども含めて、ご検討頂ければと思います」
会ったばかりのこの場で全て決めるのは難しいだろうから、とキースさんが話をまとめる。
取引する薬品の数や種類など、輸送だけでなく考えなければいけない事もあるため、今日のところはここまでだな。
契約をするにしても、そのための契約書などを作る必要もあるし。
「畏まりました。では、数も含めて検討させていただきます。もちろん、前向きに。私としては、どうしても傷薬など、こちらの質の良い薬品を仕入れたいと考えておりますので」
輸送に関して、バスティアさんに信じてもらえるかどうかはまだわからないが、公爵家との繋がりを匂わせた事で、契約する方向で検討してくれるみたいだな。
さすがキースさん、俺だったらそれとなく匂わせるのは難しかっただろう。
「わ、私もです! きっとここの薬品は村の人達の役に立ってくれます。何分小さな村で、あまり多くの数と種類の取引を、とはならないかもしれませんが……」
「いえ、構いませんよ。薬品を広める理由は、この国の人達がそれによって助かるならと思っての事ですから。少量であっても、トレンツァさんの村の人達のためになるのであれば、こちらが取引を断る事はありません」
「ありがとうございます」
トレンツァさんの村は小さいとはいえ、薬品が役に立ってくれるのならそれだけで十分だ。
まぁまずは公爵領に行き渡らせてから、という当初の目的から外れてしまうが、遠く離れていても俺達の作った物が人を助けるならそれでいい。
「それでは、契約をするかどうかの検討はしてもらうとして、準備としてはこちらで進めておきます」
「はい、お願いしますキースさん」
準備、契約書の作成とか色々だろうな。
キースさんが準備して、俺も確認しなきゃいけないだろうけど。
バスティアさんとトレンツァさんも頷いた。
「お二人は、村入り口にある宿に?」
「はい。連れの者達と共に」
バスティアさん、連れの人達もいるんだ……商会の会長自ら動いているわけだし、全て一人でってわけでもないから当然か。
トレンツァさんも同様に誰かと一緒らしく、ライ君が手伝っている新しく作られた大きな宿に泊まっているらしい。
遠い場所から旅をしてきているんだから、一人という可能性は少ないか。
ちなみに、商会長自ら見つけたものに関して一人で交渉するのがバスティアさんのポリシーらしい。
俺が呼ばれてレミリクタに入った時、お店部分にいたお客さんの中に連れの人はいたみたいだけど。
トレンツァさんの方は宿で待たせているらしいけど、こちらは大きな商会ではなく商店のため、店長のトレンツァさんが来たという事だった。
「契約の検討もありますが、この村はのんびりしたいい村なので、ゆっくりして下さい」
周囲に兵士さん達がいるため、完全にリラックスしてというのは難しいかもしれないけど、村の人達はいい人ばかりだし、料理などもへレーナさんを筆頭に屋敷の料理人さん達とレシピを共有したりしているので、美味しい物もある。
バスティアさん達がどうかはわからないが、こちらは急いではいないので時間が許す限りのんびりして欲しいと思う。
まぁ、フェンリル達には少し窮屈な思いをさせてしまうかもしれないが……。
フェンリル達は、村の外から人が来た際には少し離れてもらう事にしている。
事情を知らない人が見たら、大量のフェンリルとか怖がってしまうかもしれないからな。
フェンリル達が怖がられるのはかわいそうだし、エッケンハルトさんからも妙な事にならないために、そうして欲しいと頼まれているから。
「それじゃあミリナちゃん、後は頼んだよ」
「はい、お任せください!」
レミリクタの商品を改めて見たい、と希望するバスティアさんとトレンツァさんの案内などをミリナちゃんに任せ、部屋を辞する。
出る前に、奥の扉で様子を窺っている護衛さんには、一応目配せをしておいた。
バスティアさん達が何かをするとは思わないが。
「えーっと、レオとリーザは……」
接客をしている三人娘を見ながら店から出て、子供達と遊んでいるはずのレオやリーザを探す。
あれこれあって俺から離れないようにしているためか、すぐ近くで遊んでいたみたいですぐ見つかった。
向こうもこちらを見つけたみたいで、子供達から離れてこちらへ来た。
「ワフワフ! スンスン……ワフゥ?」
「パパ―! んー? なんか、変な臭いが……」
「な、なんだって!?」
レオはともかく、リーザに変な臭いと言われたらそこはかとないショックが……。
「特に何かあったわけじゃないけど、俺、臭うのか?」
鍛錬の後とか、汗をかいた後とかなら仕方ないとは思うが、話をしていただけなのに。
リーザに臭い、とか思われてしまったらしばらく立ち直れそうにないぞ俺。
緊張や慣れない話で、背中に少し汗をかいていたりはするが、それだけで臭くなるとは思えないんだが……。
「んーん、そうじゃなくて……んー」
「ワフ、ワッフワフワフ!」
なんて言ったらいいのかわからない、という風のリーザに代わってレオが教えてくれた。
レミリクタに入る前、レオ達が言っていた「臭いがするけど臭いがしない」というのを俺から感じたらしい。
「……それって結局、どういう事なんだ?」
「ワフゥ……ワフワウ、ガフワウ」
「むぅ」
レオにもはっきりとよくわからないらしい。
嗅覚の鋭いレオがわからない、というのはよっぽどの事だな。
ただ、気になる臭い、嫌な臭いを感じはするけどそれを消す何かがある、という事でもあるとか。
「臭いを消す、か。消臭剤みたいなものかな……」
そう思って、地球にいた頃よく目にした、というより場合によってはお世話になった事のある、衣類用消臭剤の名前を呟く。
消臭剤には、臭いを消すだけでなく別の臭いでごまかす物も多いけど、レオがいるのでできるだけ無香料の物を使っていたが。
「ワフ……ワッフワフ!」
「お?」
俺が呟いた消臭剤の名前がレオに届いたのか、それだ! というように鳴くレオ、
ふむ……。
レオはあの頃まだマルチーズだったから、消臭剤が何かわかっていなかったと思うが、俺が口にした名称や特徴などを覚えていたのかもしれない。
「つまり、嫌な臭いを消臭剤で消している何かを感じていたって事か……」
「ワフ!」
上書きするなり、そのまま臭いの元を消す何かが使われていたんだろう。
さっきレオやリーザが気づいてから、俺はレミリクタに入って話をしていただけだ。
お店の商品に消臭をする物はなく、ミリナちゃん達もそういった物は使っていない……というか、消臭するための物とかあるのか。
という事は……。
「バスティアさんかトレンツァさん、二人のうちどちらかが使っていた……って事か?」
交渉していた部屋はそれほど広くなく、テーブルをはさんで向かい合っていたとはいえ、距離は近い。
顔を突き合わせる程ではないけど、消臭剤やらなにやらが俺に移ってもおかしくないだろう。
「ライラさんやキースさんはどうだ、レオ。リーザも」
「ワフ……ワッフ!」
「んー、ライラお姉さん達も、パパと一緒!」
「わ、私達もですか……」
「……」
同じく部屋にいたライラさん達からも、同じく臭いがするのに臭いがしないという奇妙な状態らしい。
やっぱりか……。
「あの二人に聞いてみたいけど、だからと言って何かがあるわけでもないし……」
「タクミ様、あの二人とは取引契約の件でまた会う事になります。ひとまずここは、屋敷に戻りましょう」
「……そうですね」
それがなんなのかはわからないが、奇妙な臭いだからってそれがすぐさま悪い物だとは限らない。
単純に、汗臭さを隠すためなどに消臭剤を使った、なんて可能性もあるしな。
頭の片隅には置く事にして、キースさんの提案通り屋敷に戻る事にした。
レオ達と遊んでいた子供達は残念そうだったが、そろそろ日も傾いてきているし、遊びを切り上げる頃合いだろう。
「しかし、あのバスティアという商会長、やり手のようですね」
「そうなんですか? 色々と話してくれましたし、キースさんが唸る程には見えませんでしたけど」
屋敷への道中、難しい表情で唸るようなキースさん。
バスティアさん、大きな商会を持っている事からやり手なのは間違いないだろうし、見た目は悪徳商人っぽかったが、改めてキースさんがいう程のように俺は見えなかった。
正直に最初は製法の買い取りが目的だった、などのように手の内を明かすように話していたしな。
自分の手の内を明かさず交渉を進める、というのが俺のイメージするやり手の商人なんだが。
「出せる薬品の数などでタクミ様が仕掛け、想定していた通りに驚いていたのは間違いないでしょう。その後バスティアさんが言っていた事も、嘘ではないかと。ただ、正直に話す事で印象を悪くさせず、自分を持ち直させたようです」
こちらにやり込められないために、あの話……製法の買い取り契約の話をしたのか。
反撃、というと言い過ぎかもしれないが、それで流れを取り戻そうとしたんだろう。
調合方法も含む契約の話は、キースさん達からある程度聞いてはいたけど、俺自身知らない事もまだまだあって、成る程と感心していた。
「俺も、まだまだ未熟って事ですね」
「おそらく、私達を見てある程度の判断をしたのでしょう。商会長自ら、単独で交渉をするだけの事はあります」
トレンツァさんのように、小さな商店なら話は別だけど、大きな商会だとそういう交渉事に向いている人を向かわせるのが常套手段。
それに、自分で商品を見定めてその場で契約交渉に挑むのは、前準備もできないしな……それだけ、自信や自負があるだろう。
さすが街を代表する商会の長なだけはあるって事か。
まだまだ、勉強しないとな……日本にいた頃から、営業回りとかは多少経験はあるが、交渉は苦手な部類だったし。
まぁ、クラウフェルト商会はこの先、営業や交渉はクレアが担当するから俺がやれる事は少ないのかもしれないが。
今回はランジ村での事と、最初の契約交渉などだったから俺が出たんだが。
……できるだけ、キースさんの手が空いている時は任せた方がいいのかもしれない。
「それから、こちらが隙を見せれば話していたように、あちらに有利な契約をするよう仕向けていたかもしれません。それだけの自信が垣間見えました」
「キースさんの言う通り、こちらから仕掛けて正解だったわけですね」
「はい。向こうが先に仕掛けてきていれば、もしかするとそのまま押されていた可能性もあります。もっとも、そんな事は私やライラさんが付いていましたので、させませんでしたが」
「私は、あぁいった交渉は不得意ですが……話の流れを変えるくらいはできたかもしれません」
ライラさんなら、こちらに悪い流れになりそうならお茶を……とかでいったん止める事ができそうだ。
だからこそ、最初にライラさん達と入室した時、俺のも含めてお茶の用意などをしなかったんだろうし。
いつもなら、まず真っ先にそういった用意をしてくれる人だ。
キースさんは言わずもがな、俺なんかよりよっぽど交渉事に慣れている様子だから、なんとかしてくれただろうな。
「二人がいてくれて、本当に助かりました」
「お役に立てたようで、何よりです」
「私は様子を窺うくらいでしたが……それと、キースさんはバスティアさんが気になったようですが、私はトレンツァさんの方が妙に気になりました」
「トレンツァさんですか?」
ライラさんはバスティアさんよりもトレンツァさんの方が気になったようだけど、何かあっただろうか?
「……確かに、我々も知らないような遠い村から、商店主がここまで来て交渉をというのは少々気になりますか」
「移動だけでも、費用や日数がかかります。バスティアさんは商会を率いているので、そういう事もあるでしょうが……さらに遠くからとなると。ランジ村を見ていればわかると思いますが、村から遠く離れた場所へというのは、事情がない限りあまりありません」
ランジ村に住む人達は、ラクトスに行く事くらいはあるみたいだけど、それより遠くへは行かないと聞いた。
それこそ、村から出た事もないという大人もいるくらいだ。
旅行が気軽にできない世界だろうというのは、魔物もいるから想像できるけど、それだけでなく基本的には村や街、最低でもその周辺地域で生活全般が完結するからなんだろう。
商人さんや何かの事情があって旅をする人、ユートさんのように国内を回っている人などは遠出をする事はあるにしても、商品の仕入れのためにここまで来ないと。
正確な場所はわからないが、トレンツァさんの話を聞く限り片道でも数週間くらいかかりそうだし。
場合によっては月単位……相応の費用が掛かるし、簡単にできる事じゃないのは間違いないだろう――。
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