ブラッシング講義をしました
「えーっと、どういう状況ですか?」
部屋……エッケンハルトさんに宛がわれている客室、応接も兼ねた客間とは違うお客様用の部屋だ。
別邸で俺が使わせてもらっていた客室よりも、少し広めだからフェンとリルルが転がっても平気なくらいではあるんだけど。
まぁ、なんとなく口を衝いて疑問の言葉が出たけど、部屋の中を見渡せばすぐにわかる状況ではあった。
へそ天状態で仰向けに転がっているフェリーとリルル、それにシェリー。
そのすぐ近くでは、エッケンハルトさんとエルケリッヒさん、それにマリエッタさんが人が持つには大きなブラシを手にしている。
ブラシは人間用ではなく元々馬用の物だけど、レオやフェンリル達をブラッシングするために使われているから、かなり見覚えがある……俺もよく使っているしな。
目に入る状況からは、どう考えてもフェン達をブラッシングしようと、もしくはしていたようにしか見えないしそうなんだろうけど、どうしてエッケンハルトさん達がそうしているのか。
というか、シェリーはここにいたんだな……カールラさんと話している時、クレアと一緒にいなかったからどこにいるのかとは思っていたけど。
レオやリーザが村の方で子供達と遊んでいて、戻って来ないからフェンやリルルと一緒にいたのかもしれない。
「見ての通りの状況だが……父上がな、タクミ殿がレオ様やフェンリルのブラッシングをしているのを見て、やりたいと言い出してな。どうせならと私もやっているわけだ」
「レオやフェンリルのブラッシングは、俺だけじゃないですけど……そうなんですか」
ブラッシングは主にお風呂上りにやるけど、それ以外にもレオやフェンリル達にせがまれてやる事がある。
ただレオにしろフェンリルにしろ体が大きいうえ、数が多い。
そのため、力加減などを教えて大部分を使用人さん達にも手伝ってもらっている。
まぁ、リーザやティルラちゃん、クレアもよくやっているけど……クレアは、シェリーにやるのが主かな?
「うむ。レオ様というシルバーフェンリルに喜んでもらうためにはと考えてな。料理をする事もできないから、食べ物で喜んでもらうわけにもいかんだろう? だからせめてとな」
レオ達に喜んでもらいたいという気持ちは買うし、エルケリッヒさんはエッケンハルトさん以上にレオに対する敬意の気持ちみたいなのが大きいから、そう考えるのもわかる。
あ、いや……そういえばエッケンハルトさんはレオとの初対面の時、いきなり土下座したりしていたっけ。
敬意というより、畏怖に近い感じではあったけど。
その後色々と俺と話したりレオと接したり、乗せてもらったりして、エルケリッヒさんとはまた違った慣れを見せているから、ちょっと親子でも違う感じになっているのかもしれないな。
「レオもそうですけど、フェンリル達もブラッシングが好きなのは多いのでそれはいいんですけど……」
そう言いつつ、転がっているフェン達の方に視線を向けてみると……。
「ガウ……ガウゥ」
「ガウゥガウゥ」
「キャフ……」
へそ天状態で野生をどこかへ放り出してリラックスしているように見えたフェン達は、俺の視線にきづいたからだろうか、どことなく不満げな鳴き声を上げた。
シェリーに至っては、短く溜め息を吐いているようですらある。
レオやリーザ、ティルラちゃんがいないし、クレアもいないからシェリーが何を言っているのかはっきりわからないけど、なんとなく気持ちは鳴き声などから伝わってくる気がするな。
「あんまり、満足していない様子に見えますね」
「そうなのだ。タクミ殿や使用人達がブラッシングをしている時は、尻尾をよく振っているし、気持ち良さそうな鳴き声が漏れている。だが私達がやるとどうしても、不満そうな雰囲気が伝わる鳴き声しかなくてな」
「そうなんですか……うーん……」
というか、カールラさんの話を早く聞きたがっていると思っていたら、こんな事をしていたなんて。
急がないとと思ってなんとなく損した気分だが……まぁ、やきもきしながら待たせてしまうよりはいいか。
「痛くならないようには気を付けているつもりなのだけれどね……やり方も、使用人に聞いてそれを実践しているはずなのよ」
「そうなると……ちょっと待ってくださいね」
マリエッタさんは片手にブラシを持ちつつ、もう片方の手を頬に当て、困ったようにそう言う。
とりあえず、フェンの近くに行って見てみるけど……丁寧にブラッシングされたのがわかるくらい、毛並みは整えられている。
外で過ごす事の多いフェン達は、特に毛が絡まっている事が多くブラシが引っかかるんだが、そこも気を付けて梳かしてあるな。
まぁへそ天状態で仰向けなので、大っぴらにされているお腹は他と比べて毛の量は少ないが。
ただ、レオもそうだけどフェンリル達は少しくらい強めにやっても、ほぼ痛みは感じないくらい強いのでその辺りの力加減が原因かもしれない。
もちろん、ブラシが引っかかっても力任せにやるのはフェンリル達にとっても嫌だろうし、そこまでやる必要はないんだが。
「ちょっと借りますね」
「え、えぇ」
「んーと……この辺りはこうで、こちらはこれくらいかな?」
「ガウ……ガフゥ」
マリエッタさんからブラシを借り、とりあえずフェンのお腹を少しだけ力を入れつつ、毛並みに沿って梳かしていく。
すぐに気持ち良さそうな鳴き声を上げたフェンの尻尾は、バッサバッサと左右に振られた。
「ガウゥ! ガウゥ!」
「キャウ!」
「ははは、リルルとシェリーはもう少し待っててくれな? フェンは少し強めがいいんだったな」
「ガウッ!」
すぐにリルルとシェリーが、ずるい! というように少し強めの鳴き声を上げたが、そちらは後でという事で……俺の手は二本しかないし、ブラシ自体は片手で使えてももう片方の手は添えておかないといけないからな。
ちなみにこの空いている手を添えつつ、場合によっては撫でたりブラシを持つ手の補助をしたり、というのが意外と重要だったりする。
ブラッシングがあまり好きじゃないフェンリルもいるけど、多くは撫でられるのと同じく好きなフェンリルが多く、レオも同様だ。
添える手は撫でるのと同じような効果があり、まぁここからは推測だけどそこから気持ちみたいなのが伝わって、レオやフェンリル達にとって至福の心地よさになるじゃないかと。
「すごいわ、さすがタクミさんね。ツボを心得ているというのかしら……? こんなにすぐフェンが嬉しそうにするなんて」
「コツって言う程かはわかりませんけど、慣れもありますかね。あと、もしかしてですけど……」
ブラッシングで褒められるというのはちょっと妙な気持だけど、ともあれフェンの反応や、リルルとシェリーも続いてブラッシングを軽くやっての反応を見つつ、マリエッタさん達がやっていた時の状況を聞いて行く。
それで気付いたんだけど、特にマリエッタさんは大分慣れてきたとはいえまだ恐る恐るといった感じで、エッケンハルトさんは痛いという程ではないけど力が強い、などの問題があるように思えた。
……エルケリッヒさんは、恐る恐るではないんだけどマリエッタさんと同じく及び腰に近く、ほとんど力を入れない感じみたいだ。
レオをブラッシングするような気持で、と言っていたから自分で言いだした事とは言え、内心畏れ多いなんて考えているのが原因だろう。
「痛くしないように、って気遣いは重要ですけどそれだけじゃなくて……気持ちを込める事も必要で、後は添える手も……」
「ふむ、成る程」
「どちらかというと、フェンリル相手とかって考えるよりも、子供を撫でるとかの方が近いかもしれませんが……」
「むぅ、敬う気持ちだけは負けないつもりだったのだが、それが逆に悪かったのか」
「悪いとは言いませんけど、レオやフェンリル達は敬われるよりも……」
「私も駄目ね。もう少し、フェンリルの気持ちに寄り添わないと……」
等々、フェン達をそれぞれ代わりばんこにブラッシングしつつ、解説していく。
力は強すぎず弱すぎず、ブラッシングを受ける方の反応を見つつ、時には均一の力加減で、時には強めに弱めに強弱を付けて……添える手も、ただ添えるだけでなく……ってところかな。
「フェンリル達にしろレオにしろ、個性というかそれぞれ好きな強さが違いますし、その時の気分でも変わったりします。ですので、反応を見つつというのが一番ですね」
基本は優しくだが、多少強めがいい時や、弱めがいいって時もあるから、この力加減ってはっきりとは言えないんだけどな。
でもとりあえず、三人はある程度理解してくれたようで、すぐに俺の言葉を実践してフェン達から気持ち良さそうな鳴き声を引き出す事に成功していた。
飲み込みが早い……三人とも、フェンリル達に喜んで欲しいという気持ちがあるからだろうと思う。
「さて、と。なぜか ブラッシング講義が始まってしまいましたけど……カールラさんから話を聞いた事の報告です。あ、クレアはもう少しカールラさんと話すようで、まだあちらにいます」
「ガァウ」
「うむ。――む、ここか?」
「こ、こうでいいのか……少し強すぎる気がするが……」
「ガウー」
「クレアには負けるかもしれないけど、気持ちいいかしら?」
「キャウー」
一応ひと段落して、本題を切り出す。
何故かというか、さっきまでの話の名残のせいだろうけど、俺がリルルを、エッケンハルトさんとエルケリッヒさんがフェンを、マリエッタさんはシェリーをブラッシングしながらの会話になってしまっているけど。
ちゃんとそれぞれ、気持ち良さそうな鳴き声を上げているので、ちゃんと反応を見つつ上手くやれているようだ。
……まぁ、深刻という程じゃなくとも真面目な話なので、フェン達がいてくれると肩に力を入れすぎず話せるだろうからいいのかもしれない……緊張感は全くないが、緊張すればいいというものでもないだろうからな。
「とりあえず、俺やクレアの推測などはなしでカールラさんから聞いた話をしますね。とは言っても、ある程度前の事でおぼろげな部分もありますけど……」
「うむ、頼むタクミ殿」
「えーっと……」
リルルの毛をブラシで梳かしながら、カールラさんから聞いた話を部屋にいる人達へとする。
俺やクレアの考えなどを混ぜるとフラットに伝えられないので、カールラさんから聞いた話をそのまま伝える事に注力。
とはいえやっぱり、多少は俺の受け取り方で少しは変わっている部分はあるんだろう……短い一言とかならまだしも、色々あるからそこは仕方ない。
こういう事が得意なわけでもないしな。
「ふむ、成る程な。話を聞く限りでは、やはり関係はありそうだ」
「そうですね。俺とクレアもそう感じました。まぁ、繋がりがあると考えて話を聞いていたって言うのもあるかもしれませんけど……」
「その貴族の使いというのは、間違いなく本物。つまりどこかの貴族を騙った者ではなさそうだな。となるとやはり……」
キリッとした表情でエッケンハルトさんが頷き、エルケリッヒさんが考え込むようにしている。
けど二人の手は休まず動いており、ちゃんとフェンの毛をブラッシングし続けているのが少し面白い。
真面目な雰囲気になり切れないけど、これはこれでさっきも考えた通り深刻になり過ぎなくていいかもしれないな。
まぁ俺がそう思うだけかもしれず、傍から見たら違和感マシマシな状況かもしれないが。
「クレアも言っていましたけど、わざわざラクトスを通らず大きく迂回している事から、北部の貴族の誰かだろうというのも間違いなさそうですね」
「うむ。他にカッフェールの街やその付近に行く道がないとは言わないが、大きく迂回するか、ラクトスを通っての公爵領を横断するように移動するか、というのが多いからな。という事はやはり……父上」
俺の言葉を肯定しつつ、エルケリッヒさんへと視線を向けるエッケンハルトさん。
それを受けて、エルケリッヒさんが頷いて俺へと話し始めた。
「タクミ殿が来るまでの間、ただフェンリル達のブラッシングをしていたわけでなく、ハルトとも話していたのだが……以前話した、クライツ男爵というのは覚えておるかな?」
「えーっと、確か北部の……北西に領地を持つ貴族で、国境に面しているんでしたっけ?」
公爵家を羨んでいる節が見られるうえ、爵位を上げようと躍起になっている貴族だったと思う。
まぁイメージとしては、エルケリッヒさん達から話を聞いて勝手に考えている事で、直接話した事がないから本人がどれだけ陞爵に執着しているかはわからないけど。
あと、人となりとかもか。
「そうだ。そのクライツ男爵の手の者が、どうも公爵領で我々の事を嗅ぎまわっているようでな。貴族であれば、多かれ少なかれ多少は他領の様子を探ったりもするものだが……その数が多いのだ」
「……という事は、やはり何か関係が?」
他領の動きは、物理的に距離が近い程気にしておかないといけないらしい。
遠くてもある程度は様子を窺うくらいの事はしていて、それは暗黙の了解に近いようだけど……その動きがクライツ男爵は活発って事なんだろう。
男爵領は北西の国境付近で、公爵領は南部の東寄り……だったかな?
距離としてはかなり離れているため、多少情報収集するための人を派遣していたとしても、わざわざ公爵家の人達の事を優先して調べる必要性とか重要度は低いはず。
なのに向こうに探りを入れるとエルケリッヒさんが言ってから、そんなに日にちも経っていないのにすぐわかる程、大きく動いているのは何かがあると言われているようなものだ。
「やはりまだ断言はできんが、推測としてはほぼ間違いないと思っている。私の勘としてもな。ラクトスだけでなく、公爵領全体で多かれ少なかれ我々の動向を探る動きが見られるようだ。それだけならまだしも、タクミ殿やレオ様の事もな」
「俺やレオの事ですか」
「タクミ殿の方は、まだラクトス周辺で薬師としての評判程度ではあるが……シルバーフェンリルが公爵領に現れた、というのは一般ではまだしも、貴族間ではほぼ知られているようだからな」
レオの事を隠そうという程の事はしていないから、それは仕方ないか。
あと、ユートさんから王族の人達には伝わっているだろうし、そもそもユートさんがランジ村にシルバーフェンリルが――という噂を聞いて来ていたわけだし。
公爵領、特にラクトス周辺から情報を得ている貴族なら特に、レオの事は知っていておかしくないだろう。
通信設備が整った地球程ではないにしても、情報網というのは侮れないからなぁ。
「まだ向こうに探りを入れ始めたばかりのだが、間違いなく向こうはレオ様が公爵領にいる事を掴んでいるだろう。そこでだ、以前タクミ殿も気にしていたが……妙に北の森で発見される足跡などの痕跡が、村付近を避けられているという考えがあっただろう?」
エルケリッヒさんが言っているのは、森で足跡を発見など誰かが入り込んだ形跡などを調べるうちに、なんとなくそうじゃないか、と気になっていた話だな。
俺達がランジ村に移住する前と思われる痕跡もあったので、最初から知っていたとは限らないが、どこかの段階でその何者かがレオやフェンリル達の事を知った可能性は高いと俺は考えている――。
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