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手術

 手野市中心部から少し離れたところにある巨大総合病院、手野中央総合病院に彼女のお父さんが運ばれたという。駅前ということでたくさん並んでいるタクシーを拾う。

「手野中央総合病院へ、できるだけ急ぎで」

「分かりました」

 ポーンポーンと2回、電子音が鳴ると同時に、メータが回りだす。周りの景色が見えなければ、本当に動いている川在らないほどのなめらかな出だしだ。その直後、赤信号で少し止まる。止まるな、止まるな、と心で思っていても、タクシーの運転手さんは気にも留めない。仕事だから、と言ってしまえばそれまでだが、こっちも急ぐ理由がある。

 ただ、いつも通る片側2車線道路ではなく、急ぎ、と最初に言った影響か、くるくると路地裏を通り抜けていく。見知らぬ景色、見知らぬ生活を見ていくに、そのうちの一人にすぎないんだ、と思うようになる。

「お客さん、つきましたよ」

 ただ思っていたより時間は短かった。メーターもきっかり1000円を示している。手野バイパスと呼ばれる国道一号線バイパスの出入り口の直前で左に曲がり、バイパス出入り口の高架をくぐるとすぐに駐車場が広がる。150台収容の手野中央総合病院第一駐車場だ。ちなみに、第2は病院から歩いて3分のところ、第3は病院から歩いて5分のところにそれぞれある。それぞれ100台は収容できる。ただ、今回はタクシーということもあって、玄関そばの専用のタクシー乗り場のところまで連れて行ってくれた。駐車場を横目に路地を走り続け、そして救急車が入り込んでいる救急入り口と赤色で大きく表示されたところへタクシーは横付けしてくれる。本来は止めてはいけないところだ。ただ、救急車の邪魔にならない限りにおいて、黙認されているところでもある。正面玄関そばにあるタクシー降り場からみると、50メートルほどの距離だが、その距離には対面通行の道がはさんでいて、ひっきりなしに車が通る。それをパスできるだけでも少しは時間短縮になるところだ。

「釣りはいらん」

 5千円札をタクシーの助手席に放り投げ、荷物をもってタクシーから降りる。10分足らずで来てくれたお礼もかねての割増支払いだ。


 救急玄関は救急車が横付けできる患者用の入り口と、単純な自動ドアと守衛室がある救急用家族出入口に分かれていた。当然自分は、家族用の出入り口に入る。数家族が処置を待っている。その中の一人が長咲だった。

「どうしたんだ」

 泣きつかれたのか、眠そうな顔をしているが、ただ疲れているだけなのかもしれない。フラッとしてはどうにか意識を保とうとしているように見える。

「お父さんが、急に倒れたって聞いて、それでこの病院に、救急車に乗って、やってきたの」

 言葉の一つ一つに力がない。代わりに息がすっかりと上がっている。ゆっくりと息を吸って、吐いて。彼女がようやく落ちついて、話してくれる。わかったのは、仕事中に突然倒れたこと、お父さんの部下の人から連絡をもらってこの病院に来たこと、今検査中で詳しいのは分からないということのようだ。

「その部下の方はどこに行ったんだ」

「荷物を持ってくるからって言って、いったん会社に戻っていったの」

 それから数分で自分が来たということのようだ。彼女は椅子に座っていて、自分は立っているからか、彼女がとても小さく見える。

「こっから大変だぞ。どうするかを決めないとな」

「どうするって?」

 彼女はひょいと顔を上げて自分に聞く。保険会社でいろいろとしていたから、こういう時、どうすることになるのかは知っている。ただ、知っているのと教えるのとでは、大違いだ。それに、今回は当事者として参加することになる。どうしようか、と考えていると、長咲の名前が呼ばれた。

「検査できましたので、こちらへ来ていただきますか」

 どうやら病名やらなんやらが出てきたようだ。


 個室になっている談話室、とプレートが書かれた部屋へ通されると、少ししてから白衣の医者がやってきた。横には看護師もいる。名札から救急担当医と主任看護師ということは分かった。

「えっと、こちらは娘さんだとは伺いましたが……」

 自分の続柄を気にしているようだ。

「わたくし、手野保険調査課の者です。長咲栄子さんの彼氏、と思っていただければ」

「はあ、彼氏さん」

 ならいいか、という雰囲気で二人で目配せをしてから説明を始めた。タブレットパソコンを持ってきていて、それにレントゲン写真やMRI写真をみせてくれる。ただ、専門外の者からみるとチンプンカンプンだ。事実、横で見せられている彼女は、理解しようと努めているが、理解はできていないようだ。医療大学に通っているから、多少は分かるだろうが。

「結果からお伝えしますと、お父様は、脳梗塞でした」

「脳梗塞……」

 思考を反芻するように、彼女はつぶやいた。頭部の写真をみながら、脳の中心部付近に血栓ができていて、発症から数時間経っていないようだから、薬物投与で何とかなるのではないかという見立てだった。

「お父様は、以前から高血圧ではありませんでしたか?」

 医者の問いかけに、彼女は首をかしげて、少し考えていた。

「うーん、どうだろう。よくわからないです」

「そうですか。では、言葉に詰まることや、表情がこわばっているようなときは」

「気になるようなことは……」

 そうですか、と医者はもう一度答え、それから何枚も承諾書と書かれたものを見せた。ほかにも手術承諾書や入院手続書など複数の書類を看護師が渡してきた。どうやらサインを求めているらしい。手術はまず検査し、それから行うとのこと。薬で効果が出るのはあと数時間だけらしく、今すぐ決断をしてほしいということだった。

「お願いします。それで父が助かる見込みが少しでも上がるのであれば」

 それについては、即答した。彼女の一言で一気にことは動き出す。自分らも部屋から動き、手術室前で待機となった。実際のところ、検査の為に手術室を使うらしい。


 薬の投与後、少しして医師が安心したような顔をしてでてきた。どうやら薬が効いたようだ。しばらくして集中治療室へと搬送されることとなったようで、そちらに付き添いという形で移動した。手術後のお父さんの姿を見た彼女は、しばし言葉を失った。

「……先に帰るが、何か持ってきてほしいものはあるか」

「いえ、大丈夫です」

 彼女は父親を見下ろすような位置で立ち尽くしながら、ぼんやりと答えていた。


 その日、彼女は下宿先へ帰ってくることはなかった。

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