ミント
その日の夜、お父さんが入院してから初めて彼女は病院の外へ出た。どこかへ行こう、と自分が誘ったからだ。ただ、自分は今どきの、それも女子大学生が行くようなところは分からない。一応のところ、百貨店巡りをして時間をつぶし、喫茶店で時間をつぶし、そして晩御飯のあと、いつものバーへと向かった。
「いらっしゃいませ」
カランカランとカウベルが鳴ると、いつものようにマスターがいた。今日も、自分ら以外の客はいない。果たして、他の常連がいるのかどうかを考えたくなるが、それについては聞かないほうがよさそうだ。いつものように、自分にはロンググラスのジントニックが差し出される。それと並行して、彼女の注文をうかがっていた。
「では、モヒートを」
「かしこまりました」
男に二言目は不要、といったハードボイルドな雰囲気だ。少し、いつもと違うような感覚が、バーの中に張りつめている。それはきっと、いままで自分は一人で来ていたのに、今日に限って彼女を連れてきたからだろう。ロンググラスに、最後にミントの葉をさし、彼女へと差し出される。
「今回は、さわやかな香りが際立つよう、ペパーミントにしてみました」
「ありがとう」
彼女はにこやかに受け取り、一口飲み、ほっとしたような表情を浮かべる。彼女にとって安心できる味、ということだったのだろう。ちょうどよかった、と思って安心している自分がいた。
少し話、それから次の注文をする。彼女はインペリアルフィズと呼ばれるカクテルを注文した。よく知っているな、とは思うが、彼女も様々な人と出会っているうちに身に着けたのだろう。ちなみに、砂糖は角砂糖1つ分と付け足していた。自分はバカルディを頼む。ピンクダイキリのうち、バカルディ社のラムを使ったもののカクテルの名前がバカルディなのだ。
夜も更け、バーもそろそろ店じまいになる。3杯目を飲み切ると、お勘定を済ませて店を出る。少し酔っちゃった、というように彼女の顔にはわずかに紅がさし。夜の街を歩く自分と彼女は、どう見ても男と女の関係に見えるだろう。足元がふらつく、ただ歩けないほどではない。わずかとは言わないが、少し灰ったアルコールは、理性という鎧を溶かしていく。ただその下には見せてはいけない本能がある。それを覆いつくすようにして、夜の街にさんざんきらびやかな光が満ち溢れていた。
「こう見ると、きれいね」
景色が、ということだろう。
「景色はいつもこんな感じだったぞ」
「じゃあ、宮藤さんがいるからかな」
ドキンとする。ここまで近くになった女性はいなかった。
「帰るか」
「ね」
このままいてはいけない、理性が警鐘を鳴らし続けている。本能は理性の鎧を内側から突き破らんとしているが、どうにか抑え込めている。つまりは、このまま何事もなく家に帰り、朝を迎えることができたということだ。




