40.俗世への帰還
渡り廊下では細心の注意を払ったものの杞憂に終わる。
何はともあれ、あとは降りて行けば良いのだ、地上へ。
自分で決意してなんだが、今居る場所がなんともわからない。
地獄から帰るために降りていく。
地獄が現実の下にあるという先入観から変に感じてしまうのだろう。
俺はどうでもいいことを考えながらも姫華と共に階段を下りる。
三階から二階への階段は立ち入り禁止のテープで封鎖されていた。
仕方なく病室の間の廊下を通る。
歩く度に床が軋む。嫌な音だ。
ここのフロアの病室はさっきまでと異なり、全てドアが閉まっている。
どこからでも出てこられるのは心臓が休まらない……
電気はついておらず視界を照らすのは一筋の光だけだ。
姫華は先ほどより俺に密着し、腕に絡みついている。
肘のあたりに柔らかいものが当たっていて、俺の心臓は先程とは比にならないほど大きな音をたてる。
「ね、ねぇ、何か聞こえない?」
怯えた姫華の声に思わず混乱する。
まずい、心臓の音聞こえたのか?恥ずかしい。
ドクンと心臓が波打つ。
「ほ、ほら今また」
一層肘の感触が強くなる。
好きな人に密着されたらそりゃドキドキするよ。と口を開く寸前、
ポチャンッ……ポチャンッ……
何かが水面に落ちた音が聞こえた。
音のした方向、病室の中へとさっと光をあてる。
赤く染まったベッドに赤い包帯でぐるぐる巻きになっている人らしきものが横たわっている。ベッドから落ちる真紅の水滴は、真下に黒い血の池が形成されていた。
いきなり赤い包帯は起き上がりこちらを見る。正確には見えていないだろうから頭を向けるというのが正しい。
そのままこちらへ向かおうと立ち上がろうとしている。
「きゃー」
姫華に引っ張られ廊下を駆け抜ける。
その悲鳴を合図に病室のドアが次々と開き、中からは同じ包帯でぐるぐる巻きの人達が出て来る。中にはあと数センチで腕が掴まれそうなほど近付いてくるやつもいた。
廊下の先の階段を急いで降りる。
二階を通り過ぎ一階へと降りようとしたその時、思わぬ光景を目にする。
横たわった警官が階段で血を出して倒れている。
ゴールは一階。階段を半分降り、折り返しのところで手すりからそっと顔を出す。
なにかがいる。そしてそいつはこちらを見ている。直感的に目があったように感じた。
「やばいっ、引き返せ」
姫華に手で合図し急いで戻る。
コツッコツッ
ゆっくりと階段を上る音がする。
仕方なく俺と姫華は二階廊下を駆け抜ける。
今ある体力をフルに使って。
あっという間に一つ前の階段に着くと、下にはやはり立ち入り禁止のテープがある。
とりあえず二人は体力の回復に努める。
隣に姫華がいなければもうとっくに俺はリタイアしていたかもしれない。
それ程に恐ろしい殺気だった。
しかしそれを全力で押さえ込み声をかける。
「もう少しでゴールだな姫華。頑張ろうぜ」
今にも震えそうな声に力を込める。
「ふぅー、そうだね」
ニコリと笑う姫華を見て思わず頭を撫でる。
「よしっ、いこう」
立ち上がった時上から足音が降りてくる。
さっきの奴か?
俺と姫華は立ち入り禁止のテープを飛び越えて気付かれないようそっと階段を降りる。
足音は二階で一度止まった。
「居たぞ、霧崎刃だ!」
二階の廊下を走る警官達の足音がドタバタと聞こえる。
先ほど止まったはずの足跡は再び階段を猛スピードで駆けてくる。
まずい、このままでは鉢合わせる。
「走るぞ、ラストスパートだ」
姫華の手を握り出口への一直線を駆け抜ける。
背後の足音はもうそこまで迫っていた。
出口と書かれたドアへ辿り着く。
やった。
ドアノブに手をかけるが扉はビクともしない。
「嘘だろ……」
後ろを振り返ると奴がナイフを振りかぶっていた。
殺られる。そう思ったが自然と体が動き、姫華を庇う形で前に出る。
目を閉じだ瞬間だった。
「確保ー!!」
複数の警官に抑えられ間一髪助かる。
そして、先程のドアが開いた。
「おめでとうございます!ゴールですよ!お疲れ様です!」
元気一杯の声に迎えられ、俺たちは無事生還したことをやっと認識するのだった。




