やみの国
やみの国
サクは事を慎重に進めた。
その後、ひと月に一度の割合でアデを呼び出し、やみの国についてこと細かに聞いた。それ以外は、丑の刻限に生沼に行くことを一切しなかった。
もちろん、母や祖母に気づかれるということを避けるためであったが、アデというやみひとをすぐさま信じるわけにはいかなかったのである。
しかし、アデの話はまるで忘れていた昨夜の夢を思い出すかのように、いずれも抵抗なく受け入れられた。
やみの国は、空の国よりはるか昔からこの地にあった。その暮らしは自然とともにあり、力の中心は西山の奥深い地中である。
やみひとに肉体はなく、その源が闇であるために、太陽の光に当たるとその力は弱まる。地中、海の底、森の奥など、至る所に存在した。
そこに別の生き物、肉体を持った数人の「人」が海から流れ着いた。どこぞの国同士の戦から逃れてきたのであろう。
空の国は、西・北・南の三方を高い険しい山で囲まれ、東は海に面している国である。そのため、めったに人が来ることはない。ここに棲み着いた人たちは、よほどの事情と決意があり、厳しい旅をしてここにたどり着いたと考えられる。
彼らは漁や狩をして、海の恵み・地の恵みに感謝しながら細々と生きていた。そのころは、夜にやみひとが村に現れることがあっても、やみひとは人を呑み込むことはなかった。人の方でも、やみひとを自然の現象の一部として受け入れていた。もちろん、やみひとという呼称はなく、姿がなく気配だけがするため、「モノノケ」と呼ばれていた。人もモノノケもお互いの領域を知り、お互いに侵すことはなかった。
そういう生活が五百年ほど続き、人は原住民として定着した。
そのころ、異種の人が村にやってきた。その者たちは海からではなく北の山を越えてきた。白い質素な着物をまとっている。いかにも誠実そうな容姿であったが、原住民よりひときわ体の大きな人であった。
その中の指導者である男は「オサ(長)」と呼ばれていた。オサはとりわけ体が大きく力も強かった。
特に、原住民を圧倒させたのは声の大きさであった。ひと声発するだけで地が震えるほどであった。しかし、決して力で略奪することはなく、ただただ、「空の神」を信じ、危険な狩や漁を減らし、田畑を耕して穀物を作ることを説いた。
オサは、体力、知識、人望、すべてにおいて絶対的な力があったため、たいていの原住民は従っていく。もちろん、抵抗する者もいたが、オサは妥協をしなかった。一人一人に時間をかけて、繰り返し、繰り返し、空の神の尊さを伝えた。
オサが村長となって以来、村人の生活は安定し、子孫が増え、村は大きく強くなっていく。今の村役は、その子孫であるという。
それからというもの、山や森は徐々に田畑に開墾され、太陽の光にさらされていく。モノノケは、その棲み家を奪われ、逃げても逃げても追いかけるように浸食されていく。太陽の光の下で、熔けるようにやみひとが消えていく。
あるとき、一体のモノノケがなにを思ったか反撃に出た。空人をとらえ、精神に入り込み、心から侵していくことを試みた。試みる、という余裕のある行動ではなく、狂ったのであった。
しかし、それがうまくいった。
肉体に宿っている意識を閉じこめ、あるいは追い出し、中に入り込む。それはモノノケにとっての革新であったが、肉体の中にいれば意識体を太陽の光から守れる、ということがわかり、他のモノノケも真似をはじめ、その行為は競って繰り返されていく。
肉体を得た後は、そのまま自分たちの棲み家に「引き込む」。そのまま肉体と意識体が同化していけば、その体で生きていくことができる。ただ、「引き込ん」だ肉体は、ある程度の陽光がないと生きていけない。しかし、空の国ほどの地上であれば光を強く受けるため、モノノケの力が弱まる。そこで、「引き込んだ」肉体が生命を維持できるだけの光を調達できる「ムラ」を作った。
西山の奥地には、空人が知らない「やみの国」の拠点がある、と言われている。その場所はモノノケたちが肉体を得て築いた「ムラ」であった。そのムラは地上でありながら地中といえる所である。はたからみると鬱蒼とした山奥の一部であるが、中は空洞であり、はるか下にムラが存在する。
そのころから空人は、モノノケのことを「やみひと」と呼ぶようになった。
やみひとは次々に「呑み込み」、肉体に潜んでその意識体を保とうとした。しかし、もともとは異質の意識体が棲んでいた体に入り込むのである。体と同化できず、体が先に朽ちることが多い。そうなると、肉体を使い捨てるしかない。何度も空人を呑み込み、肉体を新たにしていく必要があった。
ムラといっても、それは悲惨なものであった(あくまでも空人の暮らしに比べれば、ではあるが)。瀕死体が大きな穴放り込まれているかのようであった。まさに、うごめくやみの意識体を形にしたようなもので、「人」の形をしているものが皆無に等しかった。肉体と魂が同化せねば、ただ腐っていくだけである。それでも、やみひとたちは形にすがりつき、腐り続ける肉体に宿り、自らの存在を鼓舞し、「生」を実感した。
やみひとの力は、その小さなムラを築いた頃から強くなっていく。意識体として生きるのではなく、肉体を持って生きることに希望を見いだしたのである。闇でうごめいていただけの、自他の境界さえ曖昧であった存在が、自分という存在を認識する。自己が他者から切り離されると、自分はただ自分のものである。そこには、不安定な自由でありながら、確かな「生」の喜びがある。
新しい肉体に魂が宿ってまもなくの頃は、ねずみやもぐらなどの小動物を捉えて食らうことができる。しかし、すぐに病を患って動けなくなることが多かった。やがて、肉体が弱って倒れ、力なくうごめくだけの物体になると、そのからだの肉を喰らい尽くすやみひとも出てきた。そのやみひとは、自身のからだが滅んでもなお、人肉を喰らうことを好むようになり、そのことで力を得ることを知った。
そうしてやみひとは新たな力を手にしていった。
一方、空の国は「呑み込み」に悩まされ続けるわけだが、やみひとから言わせれば自業自得というものだった。
ところが、空の国に強い光の力を持つ少女が現れる。
それが巫女の始祖であった。
その少女は、光を放つ仙獣を従え、一散に我らを浄化した。空の神の遣い、「巫女」と崇められ、その子孫が空の国を治めていく。巫女の力と仙獣の存在で、もうやみひともここを追われていくしかないと思われたが、そうではなかった。
仙獣はまもなくこの地を離れ、その巫女が産んだ「子」の力は、始祖の半分以下の力しかなかった。そのため、やみひとは意識体、肉体の数を減らしながらも、なんとかここに留まることができた。
その後、始祖ほどの力を持った巫女は現れなかったが、時折、力の強い巫女が現れることがあり、お互いに均衡を保つようにして、やみひとも空人も今まで生き伸びている。
アデは常に慇懃に話した。
「我々は決して空人を滅ぼそうと考えているわけではありません。空人の肉体があって初めて生きていけるのです。少しだけ、肉体を分けていただければ良いのでございます。しかし、空の国の巫女の力が強い時代には、なかなか肉体を引き込むことができず、ましてや・・・」
「どうした」
「はい。やみひとと申しましても、その性は、陰、土、水など様々でございます。そのものたちが、空人の肉体を巡って争うのでございます。ライさまがこの地に生を受けられてからというもの、肉体の確保が極端に難しく、争いが絶えません。
そのうえ、力を得るために、それぞれの性を越え、融合し、邪悪な意識体に変化するものも増えてまいりました。それらは、妖、もしくは魔と呼ばれる意識体となり、妖の性を持つものは肉体を喰い、魔の性を持つものが意識体を喰います。そのため、統率がとれません。まずは空人の肉体を引き込む力をやみひとに与え、同時に肉体や意識体を無駄に喰わないように管理しているのですが。
いま、やみの国に強い指導者が必要なのでございます」
「それを私にやれと?」
「さようで。サクさまの内なる力は、真のやみそのもの。先程申し上げたやみの性の、すべてをお持ちです」
「すべてを?」
「さようでございます。それは絶対的な力でございます。あなたさまに逆らうものなどおりません」
「妖や魔という性もあるというのか」
「はい」
「私は肉体も意識体も喰わない」
「喰う、と申しますのは、自分の中に取り込むことでございます。その行為を肉体あるもので表現すれば、咀嚼して飲み込むことになりましょう。ですが、やみの中ではその行為は表現できません。また、表現する必要もございません。表現ということば自体、肉体を持った人、つまり、自己が露わになった存在の集合体のことば。やみには必要ございません。
サクさまは、やみひとを祓うのではなく、その場でお殺しになる。それは意識体を分解し、別物に変化させ、ご自分の中に取り込まれていらっしゃるのです。その行為をなさると喜びをお感じになりましょう? つまり『喰う』ておられるのです。それから、肉体を喰うことはなさっていませんが、その気になれば、いつでも・・・」
「喰えると?」
「はい。しかもその行為にて力が得られます」
「覚えておこう」
サクは苦笑した。
「で? 喰ったやみひとの意識体は、私の一部になっているのか」
「はい、その中で必要な力だけを取り込まれ、不要なものは消しておられます。つまり、あなたさまの体を通して『浄化』されております」
「浄化?」
「はい。あなたさまはやみの力と光の力をお持ちで、その力はどちらも大変強うございます。その光の力で浄化なさっているのです」
「なるほど」
「通常の巫女もできないわけではございません。しかし、体への負担が大きく病んでしまい、死に至ります。巫女は、やみひとを殺すことは禁じられておりましょう? その理由によるものでございます。巫女の内なる力はほとんどが光。やみの力も存在しますが、大変少のうございますので、やみを体に取り込むと精神が持ちません。また、光の力もサク様に比べれば大変弱い。浄化の力を使うと、内臓に大きな負担がかかります」
「では、私だけができるというのか」
「・・・いえ。始祖には、その力が与えられておりました」
「始祖・・・か」
「はい、始祖は強大な力をお持ちでございました。恐れながら、サクさまでも、始祖の力には及びますまい。しかし、代を重ねるごとに、巫女の力は弱くなり、病む巫女が増え、『祓う』作業に重きをおくようになりました」
「アデ。おまえはなぜ、そのように詳しく知っている?」
「・・・私は、始祖の子でございましたので」
「なんと」
「昔のことでございます」
サクはしばらく茫然としていたが、そのうち、高々と笑い出した。
「なんと皮肉な。なぜ、そうなった」
「・・・大いなる力への未練とでも申しましょうか」
「母への嫉妬、であろう?」
「はい。つまりは、そういうことで」
アデは薄く笑った。
「ではおまえのように、私も意識体となってやみの国に入ることができるのか」
「はい。可能でございます。意識体として存在することも、空人の肉体にお入りになることも。また、サクさまのお力であれば現在の肉体を持ったままでもやみの国を統率できるでしょう。つまり、決意さえなされば、永遠にやみの国の統治者でございます」
これが本当であり、自分自身にやみの国を統べる力が永遠に与えられているとしたら・・・。
サクの脳裏には、自分の将来が描かれていく。
これは、決して偶然ではない。
サクは生まれて初めて「希望」を持った。生きるとはこれほどまでに喜ばしいことか。
やみの国の支配者となる、など小さいことは考えない。そう、この力で空の国もやみの国も支配して生きることが可能なのだ。
それが私の使命なのだ。そうでなければ、私の生きる理由はどこにある? 私の存在理由はそこにある。この力を惜しみなく発揮できる。
その結論はサクにとっては、あまりにも当然の結果であったろう。サクの力は空の国の巫女として生きるには異質すぎた。そして強大すぎた。
注目すべきはやみを呼び出す力、さらにやみひとを消す力である。アデは「浄化」という。
そのような力はいままでの巫女にはなかった。その力でやみの国を支配するのは簡単であろう。空人の呑み込みを制御しながら、双方を存続していけるのだ。
問題は「空の国の巫女」としての縛りである。
一番厄介なのは「受胎」であった。受胎をすれば、子が産まれる。子が産まれれば、その子が次の巫女としてやみを祓う。私の子であれば、相応の力を持つはず。そうすれば浄化の力を持つかもしれない。これ以上、巫女を増やす必要はない。
受胎をしなければ?
そうすれば、巫女の家系は絶える。
サクは笑いがこみ上げてきた。
そう、終わらせる。この哀しい家系を、この私が。
そして、私はこの世界の支配者になる。
後三ヶ月もすれば、私の受胎の日がくる。決着をつけるのはその日。