サクの目覚め
サクが十四歳になったばかりの頃である。
サクには心を許して話せる相手はいない。巫女が三歳の誕生日を迎えると「遊び相手」として村役の子供などが遣わされるが、とうぜんサクにとっては面白い相手ではなかった。村人に比べれば巫女の命は短く、その分早く成長を為す。また、そうでなければ国を治めることはできない。同年代の子供が遊び相手wをして遣わされるのは、決して巫女を癒すなどの柔な目的ではなく、統治者として必要な情報(巫女とは違う価値観を持つ空人の特徴、各村の子供たちの関係性など)を知るためである。サクとて癒しを求めてはいなかった。
母と祖母は巫女の仕事で忙しい。サク自身もまだ子供とはいえ、巫女としての働きを果たさねばならない。父は「お空さま」である。普通の家族ではない。加えて、ヨウはサクの巫女としての働きに常に監視の目を向け、厳しい制限を強いている。巫女の仕事はサクにとっては簡単なことであったが、本来の力を発揮できないことでふさぎ込むばかりであった。
そんなサクの楽しみは、母も祖母も寝静まった深夜、こっそり竹林の奥に入っていくことであった。竹林は整備され、広い道が作られている。しかし、その奥には大木が並び、蔓や草たちが鬱々とたむろしている。
そこには「生沼」と呼ばれる沼があった。
生沼は、西山で空人が立ち入ることのできる最端である。暗く陰湿な沼であり、昼間でも陽が当たらない。その奥はまさに暗澹とした森であり、やみひとの拠点があると言い伝えられている。
そこでサクは、母や祖母に気づかれないようにやみをおびき出す。
巫女はやみの気配を察知できるが、地中、山奥といった自然の木や土に囲まれている所は、巫女といえどやみに気づきにくい。基本的に陽の当たる場所、つまり開けた里、人がいる場所、でのやみの出現は巫女に察知されやすい。
サクも巫女である。他の巫女達が察知できない場所を選ぶのはたやすいことであった。
いつものように丑の刻限であったろう。
サクは、生沼でやみを呼び出し、「儀式」を行った。
また今日もやみひとをこの手で消す。やみひとが声にならない哀れな悲鳴を上げて、その場から消えていく。その度にやみひとの哀しい念が心の内側に刻み込まれるのを感じる。哀しくて淋しくてたまらなくなる。しかし、震えるような感動であった。
これは殺しか? いや、実体のない浮遊体なのだ。誰に咎められよう。やみひとが消されていけば空人は助かるはずだ。
消してはいけない、祓うのだという掟がある。空の神の啓示によって始祖が決めたらしいが、理由は明記がない。「やみは自然の一部だから勝手に消せないのだ」などという巫女もいたようだ。死ぬか生きるかの瀬戸際にいながら二千年にわたって原因を消去しないなど、まったく巫女とはおめでたい生き物だ。巫女は空の子だから、おめでたいのは空の神か。そして私も空の子だそうだから、おめでたく生きるしかないのだろう。
それにしても、この力は何のためにあるのだろう。母上もおばあさまも歴代の巫女も、もともとはこの力をお持ちのはず。そうでなければそんな掟があるわけがない。
だとすると、空の神はこの力を与えながら、なぜ殺してはいけないといわれるのか。禁じるのであればもともと与えなければいいではないか。空人はやみひとに悩まされている。やみひとを消せばいい。
サクはいつも考えた。
考えに考え、自己満足であるはずの「やみひと殺し」を、巫女としての使命にすり替えるのが常であった。だが、これは決して答えではないことを知っていた。やみと現実の狭間でやみひとをおびき寄せながら一人きり。サクは力を十分に発揮し、深い思索に身を委ねる至福のとき。ただ、それを味わっているだけだと十分承知していた。
さらに思索にふける。
一体、やみひととは何なのであろう。
祓うべき忌むべき存在。
空の国の人も物も飲み込む恐ろしい敵。
だが、本当に恐ろしい敵なのか。呑み込み後、空人は殺されているのか? とうぜん死んでいるものと皆は判断している。しかし、死体を見たものはいない。飲み込まれた空人がやみの中で生きているとしたら? 以前、飲まれた空人を山奥で見かけたという者がいた。その時は見間違いということで終わったが、本当に見間違いであったのか?
それに、やみが出現したときの空気の色が変わったような違和感は何だ? まるで世界が違う。人、動物、物、その位置さえ全く同じなのに? 同次元に異空間が存在する。それは全く別ものでありながら、なんらかの理由でその境界が曖昧になっている。表に空の国があり、裏に「やみの国」があるということか。
逆を考えてみる。
やみひとにとってはあちらが表で、我々空の国が裏だということだ。つまり、やみひとにとって我々こそ忌むべき存在。だから攻撃されているのだ、とは考えられないか?
では空人がやみひとに一体何をした?
もちろん、私のように殺しているのであれば、憎まれて当然であろう。だが、この力は私しか使っていない。私が生まれるはるか以前からやみひととの闘いは繰り返されているのだ。
しかも。
地中や自然の多い所でのやみの出現を、我ら巫女が察知できにくいのはなぜだろう。何代目かの巫女がいったように「自然の一部」なのは間違いなかろうが、まるで自然がやみひとを守っているようではないか。
つまり、異端者は我らではないか? しかし、これは私の推測にしか過ぎない。推測ではなく、事実だけを挙げてみる。
やみひとが空人を呑み込む。だから、やみひとを祓い、空人を守る。その為に巫女が存在する。極めて単純である。
サクはため息をついた。
いつもの結論だ。そう、巫女はその為だけに存在する。空の国の繁栄のためである。
空の国は、やみひとからの呑み込みさえなければ十分に子孫が残せるだけの地理的条件が備わった国である。温暖な気候、海山の幸に恵まれ、実りもある。放っておいても人は繁殖する。
そこに現れたやみひと。殖え過ぎた空人が剪定され、滅亡する前に巫女が現れた、と考えたらどうであろう。
我ら巫女は、空人とは明らかに違う。同じひとの形をしているが、力はさることながら生態が違う。空の国では異物である。その異物がなぜ出現し、二千年にわたって存在し続けるのか。
「空の国」が一つの生命体と考えれば納得がいく。この「クニ」が生き残り、大きくなるためには人間の増殖が必要である。その過程で現れた忌むべきやみひとを祓い、「クニ」の命を守る巫女。遠い昔、まだ小さい「ムラ」であった空の国に、お空さまに導かれてきた若い女の子孫だという。つまり、巫女は「クニ」を守るために存在する。
そして、我ら巫女に繁栄はない。
「ムラ」は生き残り、ムラ人は繁殖し、「クニ」となった。そしてさらなる「クニ」の平和と繁栄のために、我々巫女は直系のみが細く生き続け、「クニ」に一生を捧げる。形の上では「巫女さま」と崇められてはいるが、真実はどうだ?
「クニ」の奴隷。
サクは、ふ、と鼻で笑った。
先祖代々、末代に渡って囚われの身。
サクはいつもそう呟いては自嘲していた。少しの貢ぎ物を与えるだけで飼っておける存在。それを、「クニ」は手放すはずがない。
その「クニ」を脅かす存在、やみひと。どちらかといえば、そっちと話がしたい。
やみひとの存在を消すときに、その思いが心の奥に刻まれるが、彼らはいずれも混沌とした哀しさやせつなさしか伝えない。
やみひとのことを知りたい。
やみの奥に形のないやみひとがひとり、じっとこちらを窺っている。
次の獲物はおまえか。
「いったい、おまえたちは何が目的なのだ? 」
思わずサクは語りかけた。初めてであった。相手が返答するはずもないことはわかっていたが、本音をぶつけることが心地よく、質問を続けた。
「おまえたちはどこに棲んでいるのか? そこはどんな所か? 私がそこに行くことはできるのか? そして」
(何がそんなに哀しいのだ?)
サクはその質問をすることができなかった。哀しいのは自分自身かもしれないと思ったからだった。サクは口を閉じた。ただの慰み相手を求めている自分に嫌気がした。
と、低い嗄れた声が響いた。
「サクさま」
どこから聞こえてきたのかわからなかった。はっとして後ろを振りかえったが、誰もいない。どうやら、私の心に直接話かけているものがいる。
「サクさま、やみひとに興味がおありですか」
そこにいる、やみひとか。
「私の心に入ってきたのは、おまえか」
「さようで」
「やみひとは話をするのか」
やみの奥で形のない何者かが、くくっと笑ったような気配がした。
「やみひとも話をいたします。空人だけが話せるとお思いならば、恐れながら、それは空人の奢りでございましょう。ですが、お互いが異界の存在。お互いを認め、心を開かなければ、話などできませぬ」
うっすらとやみひとが姿を表した。それはずいぶん年を取った老婆のようであった。黒い煙に巻かれているようで、からだのはしばしがはっきりと見えない。
「心を開く・・・? 私が心を開いた、というのか? おまえに?」
「はい。たったいま、ここにいるのは私ひとりでございます。サクさまのお心をしっかりと受け止めました。ですから、私のことばがサクさまに届いたのでございます』
「・・・なんということだ。このようなことが」
サクは、空の国の巫女として取り返しのつかないことをしている、と感じながらも、沸き上がる感動を抑えられなかった。
「なぜ私の名を知っている?」
老婆の形をしたそれが、また笑ったように感じた。
「それはもう。我らの間では、あなたさまは有名でございます」
「なるほど。お前たちにとっては殺戮者だからな」
「はい、確かにやみひとはあなたさまの手によって消されております。しかし、そういう意味ではございません。我らの希望なのでございます」
「希望?」
「はい。空の国の巫女にして、やみの力をお持ちのお方。通常、巫女の内なる力は光。やみは近づけませぬ。しかし、あなたさまは内なる力に光をお持ちでありながら、同時に強大なやみをお持ちでございます。そして、やみの神から常に力を受けておられる。あなたさまこそ、我らをお導きくださるお方。長い間、お待ち申し上げておりました」
「私の内なる力にやみが?」
「はい。さようでございます」
ああ、長い間求めていた答えが、いまそこにある。
「申し遅れました。私はアデと申す者。やみの国を管理しております」
「やみひとには、名前も国もあるというのか」
「はい。そして、あなたさまはやみの国を統べるお方。その運命にあらせられます」
「運命?」
「さようで。サクさまにはやみの国へおいでいただくことになりましょう」
私はやみの国へ行く運命だと?
サクの全身が痺れた。頭の中ではすぐには理解ができなかったが肉体が先に理解したらしく、腰から背中に向かって熱を帯び、顔が火照った。
そう、そのために私は生まれてきた。
そう、そのために。
ああ、この感動をどうしてくれよう?
しかしサクは「運命」だ、などと軽々しく言い放った老婆が浅ましく感じられた。
(このモノ、顔がはっきり見えないが、したり顔をしているに違いない)
そう思うと、感動している自分がいまいましくなった。
「運命といわれて、私がのこのことおまえについていくとでも思ったか。運命とは巡ってくるただの事実だ。選ぶか選ばないかは私次第だ。私の道は私が決める」
アデは平服した。
「これは大変失礼致しました。おっしゃる通りでございます。早く私どもの国へおいでいただきたく、気持ちが焦っておりました。何とぞお許しくださいませ」
平服したように見えて、この老婆は決して許しを乞うてなどいない。が、そういうことはどうでも良かった。
私を利用するならそれもいいだろう。私もおまえを使わせてもらうだけだ。
「アデといったな。やみひとについていろいろと聞きたいことがある」
「どのようなことでもお答えいたしますとも。ただ、今日はここで失礼した方がよろしいでしょう。あまり長くお話をしておりますと、あなたさまに消されるやもしれませぬ故。これから、私の名前をお呼びくださればすぐに参上いたします」
そうことばを残して、老婆は沼に消えいるようにして去った。
こうしてサクの命は目覚めた。