翻訳魔法なんてない
うむ? 異世界に来たはいいが、言葉が通じず苦労している? このままじゃ買い物もできないから、まずは基本の言葉がわかる魔法を教えてくれ? 魔法をかけるのでもアイテムでも構わない?
………………
はぁぁぁ……
おつむの軽そうな奴じゃと思っていたが、これほどとはの……
あのな、言っておくがそんな魔法は存在せん。
『異世界転移では基本じゃないか?』だと? そんなもん知るか。そういうのはお話の都合というものじゃ。
大体、外国語を自動的に翻訳するより、火の玉や稲妻を出すほうがよっぽど簡単じゃぞ。
……ほれ。
いや、それは幻術じゃ。火傷一つないじゃろ? もちろん本物も出せるが。
ええと、それで、魔法で言葉が通じるようにしたい、じゃったの? うむ。無理じゃ。
ええいダダをこねるな。無理なもんは無理じゃ。
……うん? なんでわしが話せているかか?
おぬしと同じようにこっちにやってきた人間から教わったに決まっておるじゃろう。
わかったらおぬしも勉強しろ。
辞書やテキストはあるぞ。先人に感謝することじゃな。
まったく……そこまで勉強嫌いで、よく弟子になるなどと言えたもんじゃの。
魔法の勉強でもないのに、まじめにやる気がでない……じゃと?
……よし、わかった。魔法の勉強をしてやろう。
『なぜ会話魔法は存在しないのか』じゃ。
異世界転移では基本で、てぃーあーるぴーじーでもたびたびある魔法なのに、なぜないのか?
……むしろ、なぜあると思っておる?
通訳や翻訳が職業になっておるのは、なぜじゃと思う。どうやっても自動化できないからじゃぞ。
なに? 人工知能の研究で、自動化翻訳も徐々に精度があがっている?
……ほう。翻訳に『知能』が必要なことはわかっておるのじゃな?
複数言語を操れる人間が、『言語を切り替えるときは、人格を切り替えている』とたまにいうのを聞いたことはないか?
つまり、言語を操るということには『人格』『知能』が密接に関係しているというわけじゃ。
そもそも言語とはなにか、というのを説明するところから始めなくてしいけなくなるのじゃが……
例えば、言語と国民性というのが密接な関係を持っていることとか、おぬしらの国の言葉にある、『言霊』などについても話さなくならなくてはなるのじゃがな。
個体差とは別に、その国の母国語によって個性のいくらかを占める国民性も、ある程度左右される。
堅苦しい言語変化を持つ国の人間は堅苦しくなりやすいし、必要最低限の単語や変化しか持たないものは、そっけなくなりやすい。
もちろん、言語だけがその国の人間を形作るすべてではない。個人差は当然として、風土、情勢、その他諸々あるがその他諸々の一つとして言語があげられるのも当然じゃろう。
……ああ、話がずれたな。
たとえば「おはよう」の場合は「早くから起きていて感心ですね」という言葉が転じたものと言われているから、『朝の挨拶』というひとくくりで翻訳しているだけにすぎん。
この程度ならまだパターン化されているからいいかもしれんが、
さらにいうと、おぬしの世界の外国語の「good morning」を「おはよう」と聞こえるか「おはようございます」と訳するかは相手の立ち位置や性格を理解していないと翻訳できないわけじゃ。
もしそんな魔法が存在していたとしたら、聞いた言葉をおぬしの言葉に翻訳し、それぞれの性格や立ち位置を理解している『誰か』が存在しているということじゃ。
そして、その『誰か』は言葉を理解していないおぬしではない。
耳に入ってきた外国語を自分の意志で吟味もせず理解したとしても、それは言葉を理解したとは言えんぞ。
神か人工精霊かは知らんが、その『誰か』が誤訳ではない範囲で、おぬしの耳に入ってくる外国語を都合よく、もしくは悪く改変していたとしたら、それに気づくことはできんじゃろ?
会話魔法なんてものがあったとしたら、その魔法を作った人間の意図通りに世界を動かすことなんぞ、難しくはないじゃろうな。
さらに言えば、聞き取った言葉は相手の発した音声ではなくなる。言語によって発達する声帯も変わるからの。
つまりどんなにその会話魔法で言葉を交わしても、相手の声を聴いたこともない、という事態になるわけじゃ。
……仮にあったとしても、わしにはそんなもの、呪いとしか思えんの。