夏休み編2
広いキッチン、広いリビング・・・それを見るだけでも、その家自体がどれだけ豪邸であるか分かるような場所で、月夜と楓とランスの三人は夕食の準備に動いていた。
「今日は僕が作るから、楓ちゃんはゆっくりしていたら?」
「そういうわけにもいきませんよ、色々してもらってますし・・・せめてこれぐらいはお手伝いしないと」
「それじゃ、よろしく頼もうかな」
キッチンで和気藹々と料理をしている二人を、月夜は遠めに眺めながら溜め息をついていた。
「仲のいいことで・・・俺も料理覚えるかなぁ」
リビングにいる月夜は、一人食器出しやテーブル拭きに励んでいた。一人仲間はずれにされたような気分で、どうも落ち着いていない様子だ。
「アメリカの食材もあることだし、日本じゃ作らない物でも作ろうかな・・・」
「勝手が分からないので、指示出してもらえると助かります」
「まずは・・・」
楽しそうにしている二人を寂しそうに見ながら、月夜は自分の仕事をさくさくとこなす。そこまで時間がかかる仕事ではなく、十分そこらで終えた月夜は椅子に座りすることもなくだらーとしている。
「俺がキッチン入っても邪魔になるだけだもんなぁ・・・」
自嘲気味に一人呟きながら、テーブルに突っ伏している月夜だった。
料理が出来たのはそれから約三十分程のことだった。待ちくたびれた月夜は、テーブルと同化しているかのように突っ伏したままだった。
「ほら月夜、危ないぞ」
「熱いからきをつけないとだめだよー」
「おー・・・暇すぎて危うくこの別荘の装飾品の一つになるところだったぜ」
体を起こして、並べた食器に次々と料理が並べていかれる様を見ている月夜。遊びつかれてお腹が減っているせいか、料理の良い匂いにつられてつまみ食いしそうになる。そんな月夜を、ランスが言葉で制した。
「並べ終わるまで待ってろって」
しぶしぶと椅子に寄りかかりながら待つ、程なくして料理が並べ終えられ、ランスと楓が椅子に座り夕食と相成った。
「いただきます」
そう言ってからすぐに食べ始める月夜。ランスと楓の料理の腕は一流なので、もちろんその料理の味も一流だった。
「いっぱいあるからたくさん食べるといい、さて僕も・・・」
「私もいただきまーす」
ゆっくりと食べていくランスと楓を尻目に、一人でぱくぱくと食べていく月夜。小柄な体格に似合わず、月夜は結構大食いなのだ。
「おいしい?月夜」
「うんうん、おいひーよ」
「良かったぁ、作ったことないものだったからうまく手伝えたか分からなかったから・・・」
「十分うまくやれてたと思うよ?・・・それにしても月夜、口に物を入れながら喋るなよ」
口の中の物を飲み込んでから、月夜はランスに言う。
「そう年寄りくさいこと言うなって」
「誰が年寄りだ!マナーとかそういう問題だって」
「だめですよランスさん、月夜にマナーを求めるだけきっと無駄ですよ」
「さりげにひどいこと言うなって・・・」
そんな風に笑いながら料理を食べている三人。実はこの中で一番何も考えていなさそうに食べている月夜が、明日のことを一番悩んでいるとは楓には思いもしなかった。
夕食を終えた三人は、後片付けを終え少し談笑した後、部屋に戻って休むことにした。
「さて、それじゃ各部屋に戻って休むとしようか・・・明日は色々あるし、な、月夜?」
意味ありげにランスがそう言い、月夜の肩をぽんぽんと叩く。そんな二人のやり取りを見て、楓がハテナマークを浮かべる。
「何かあるの?月夜」
「ほら、遊んだりとか観光したりとか・・・色々あるだろ?」
余計なこと言うなよ、とランスにだけ聞こえるように小さく呟く月夜は、なんとか動揺を見せないようにしていた。
「悪い悪い、うまくやれよ?」
ランスも月夜だけに聞こえるようにこっそりと言った後、
「それじゃ解散」
と言って一人さっさと部屋に戻っていってしまった。残された二人、月夜は多少気まずそうに、楓は煮え切らなそうにハテナマークを増やしていた。
「俺らも戻るとしようか」
「うーん・・・気になるけどいっか」
二人は豪華な階段を上り、廊下で自分の部屋へと分かれていく。
「おやすみ、また明日」
「おやすみー」
この後楓と月夜は、自分たちの身に起こる事件を、まだ何一つ知ることがなかった。
月夜と別れて自分の部屋に戻ってきた楓は、部屋の灯りを消してから大きめのベッドに飛び込む。
「んーふかふかー・・・疲れてるしすぐ寝れちゃいそう」
布団をかけて寝ようとする楓だが、部屋に響いた小さな音にびくっと体を震わせた。
「な、何?」
起き上がり周囲を見渡す、うっすらとした暗闇の中、特に変化がおきているような物はなかった。
「気のせい、かな?」
だがそれは気のせいではなかった。こつこつ、と机を爪で叩いているかのような小さな音が、断続的に部屋に響き渡る。楓は飛び起きて、部屋の灯りをつける。
「だ、誰かいるの・・・?」
「しくしくしく・・・」
その楓の言葉に反応するように、部屋にあった鏡台付近から女性のすすり泣くような声が聞こえる。楓は怖くなり、部屋から逃げ出そうとする。その時、楓は背筋に悪寒が走るのを感じた。見てはいけない、見たらだめ・・・と思いつつも、楓はゆっくりと振り返る。
「きゃーーー!!」
部屋の窓の外に、白い少女がぼんやりと浮かび上がっていた。ここは二階であり、外にベランダなどはなく、人が立てるような場所はない。
「しくしくしく・・・」
と部屋に響く小さな声を聞きながら、必死に部屋から逃げ出す楓。部屋から出ると、その声を聞いて来ていた月夜がそこにいた。
「どうした楓!?」
「窓に・・・声が・・・うえーん」
支離滅裂なことを言いながら、楓は月夜に抱きついて泣く。月夜は何が起きているのか分からずに、赤くなりしどろもどろしている。
「落ち着けって!何があったんだ・・・?」
「だからね窓の外に声がいて少女が鏡台で」
早口でまくしたてる楓。全く意味が分からない月夜は、仕方なしに落ち着かせるために楓を抱き上げてそのまま自分の部屋へと運んだ。その間楓は、泣きながら月夜の服にしがみついていた。
「・・・で、少しは落ち着いた?」
月夜の部屋のソファーに二人は隣り合って座っていた。楓は少しの間混乱していて、その間ずっと月夜の服を握り締めていた。
「うん・・・あのね、女の人の泣く声が聞こえたの・・・」
ゆっくりと小さい声で切り出す楓。
「空耳とかじゃなくて?」
「違うよ!ちゃんと聞こえたもん・・・それでね、窓の外に女の子がいたの・・・すごい怖かった」
楓はまたすぐにでも泣き出してしまいそうだった。それもそのはず、楓は幽霊の類がかなり苦手だったのだから。いまだに震えている楓に、月夜は落ち着いた声で言う。
「んー・・・俺が見に行こうか?」
「だめ!私は行きたくないし・・・一人で残るのもやだ!」
「さいですか・・・」
(さてさて、どうしたもんか・・・)
月夜は悩んだ、怯えている楓を部屋に帰すわけにもいかないし、かといって同じ部屋で寝るというのも抵抗がある。
「それで、どうするんだ?」
「・・・ここで寝る」
月夜の悩みなんておかまいなしに、楓がそう言う。
「はぁ・・・仕方ないか、ベッドは楓が使っていいよ、俺はソファーで寝るし」
「・・・やだ」
控えめだが、強く楓は言う。さすがに月夜も焦る。
「まさか一緒に寝るとか言わないよな・・・?」
楓はその言葉に何も言わなかったが、小さく頭を縦に振っている。
「待て待て待て、それはだめだ、さすがにだめだ、色々まずいし・・・やっぱりまずい」
月夜は否定の言葉をあげまくるが、楓は頑なになって譲ろうとしない。月夜は溜め息をついて、楓を抱き上げた。
「全く・・・子どもじゃないんだから」
楓をベッドに降ろし布団をかける、そして月夜はベッドの脇に座りこんだ。
「楓が寝付くまでここにいるから、安心して寝ろよ」
「手・・・握って」
「はいはい」
月夜は布団から出ている楓の手を握り、そういえば前にもこんなことがあったような?と思い出す。
「前にも・・・あったよねこういうの」
月夜と同じことを考えていた楓が、小さくそう呟く。
「ああ、そうだな・・・楓は全く変わってないよな」
「月夜もね・・・いつも私を護ってくれる、ありがとう」
「きにすんなよ、それより早く寝たほうがいい・・・俺も一応疲れてるしね」
「うん・・・ごめんね?おやすみ」
「ああ、おやすみ」
その後はお互い沈黙していた。数分後、楓がちゃんと寝付いたことを確認した月夜は、起こさないように握っていた手を離し、ソファーに横になりそのまま目を閉じた。
夜が明け、当たり前のように朝が来る。しかし一日たりとも同じ日が来ることはない。特に月夜にとって、今日は特別な日だった。
月夜はソファーの上で体を起こし、目をこすりながら考え事をする。
(兄貴のところへ行って一応最終確認だけしておくか・・・朝になったし、楓はもう大丈夫かな?)
いまだにベッドの上から動く気配のない楓をちらりと見てから、
「よし」
と小さく呟いて月夜は部屋をあとにする。
「起きてる?」
月夜はランスの部屋のドアを軽くコンコンとノックしながらそう問いかける、数秒の間をあけてから返事がくる。
「今起きたよ・・・鍵あいてるから、入ってくれ」
その言葉に従い、月夜はドアを開ける。ベッドの上で体を起こし、欠伸をしながら大きく体を伸ばしているランスがいた。
「おはよう、随分と朝早いんじゃないか?」
「おはよう、そう言えば時間見てなかったなぁ・・・今何時?」
ベッドの近くに来た月夜に、ランスはすぐ近くにある時計を見て答える。
「六時半だな、休みの時ぐらい寝かせて欲しいところだよ」
「それは悪かったな・・・とはいえ、目が覚めちゃったんだから仕方ないだろ?二度寝する気にもなれなかったしな」
月夜は立ったままそう答える。そんな月夜の心中を察したのか、ランスは苦笑いしながら言う。
「あんまり気負うなって僕は言ったはずだぞ。で、あれの話かい?」
「そう、場所はあそこでいいんだよな?お金も足りるよな?」
心配そうに聞く月夜に、ランスは溜め息をつきながら答える。
「お前今までで何回確認してるんだよ・・・少しは落ち着けって、気持ちは分かるけど」
「しょうがないだろ、こんなことしたことなかったんだから・・・」
口をとがらせて言う月夜を見て、笑いながらランスは言う。
「僕もしたことはないけどね。月夜も大分成長したんだなぁ・・・あの頃とは比べようがない」
「そりゃまぁ、一応人間だからね。成長もするし変わりもするさ」
「変に真面目なところは変わってないけどな。・・・とにかく、やるからには思いっきり喜ばせてやれよ」
「言われなくたってそうするさ、この日のためにバイト頑張ってきたんだから」
月夜の肩を叩きながら、
「がんばれよ」
と言うランス。この後二人は軽く話をしてから、月夜は部屋を出て行った。それを見送ったランスは、一人呟く。
「ほんと、そんなお前が羨ましいよ、月夜」
小さく、しかし切なさの混じった呟きはすぐに空気に溶けて消えていった。
「今日は用事があるから、二人で遊んでくるといいよ」
朝食時にいきなりそう切り出すランス。楓は、
「えーっ」
と不満気に声をあげる。一方月夜は、
「ふーん、そうなんだ」
と素っ気無く返す。月夜はそれを分かっていたし、理由も理解していたから特に何か言うこともなかった。
「ちゃんと楓ちゃんをエスコートするんだぞ月夜」
意味深にそう言いながら、ランスは月夜にウィンクする。それを横で見ていた楓は、
「二人で隠し事?ずるいずるいー」
と他人事のように声を漏らす。今日のために月夜がバイトをしていたことなど、全く知らない楓は、むー、とふくれる。
「その内分かるさ、な、月夜?」
「もー!教えてよー」
ランスと楓の二人を交互に見ながら、一人でパクパクと食べる手を進める月夜。
「その内ね」
それにしても、なんで忘れてるんだろうなぁ・・・、と小さく呟きながら月夜は、人知れず溜め息をついた。
朝食を終えた月夜と楓は、
「片付けは僕がやるから遊んでおいで」
と、同じく朝食を終えたランスに追い出されるように家を出された。
「なんか変な感じ、何を隠してるの?」
「さーてね、俺には兄貴の意図は分からないなぁ」
わざとらしく言う月夜に、楓は溜め息をつきながら食い下がるのをやめた。
日本の太陽より幾段もじりじりと焦がすように熱いハワイの太陽、それでも不快さはなく、たまに吹く風が心地よい。
「ところで、こんなのあるんだけど」
あてもないようにぶらぶらと歩きながら、ポケットから出した長方形の紙を見せて月夜が突然隣の楓にそう言った。
「何それ?・・・遊園地のチケット?」
まじまじと紙を見ながら呟く楓に、月夜は飄々と言う。
「そ、行ってみる?」
「んー・・・そうだね、ハワイの遊園地なんて滅多に行けなさそうだし、行きたい」
「それじゃ決まり」
楓の返答に、嬉しそうに言う月夜。その遊園地は距離的にそう遠くなく、月夜が意図してそちらの方へ歩いていたのではないかという程だった。
「そういえば、どうしてそんなの持ってるの?」
遊園地を目指し歩いてる最中に、楓が純粋な疑問を月夜にぶつける。月夜は内心に多少の焦りを感じたが、それを顔に出すことはなく平然と答える。
「兄貴がくれたんだよ、観光もいいけどそれだけじゃつまらないだろう、ってね」
実際のところ、初めて来た観光名所なら見て回るだけで一週間ぐらいは潰れそうなものだ。要するに、この月夜の言葉は単なる言い訳にすぎなかった。そんな意図を知る由もない楓は、この場にいないランスを褒める。
「招待してもらっただけでも十分なのに、本当に良い人だね」
「だねぇ、用事がなきゃ兄貴も一緒に来れたのに」
ランスを褒める楓に、月夜は複雑な思いをしながら、心にもない言葉を吐く。
「その分・・・って言ったら失礼かもしれないけど、たくさん楽しまないとね!」
「だな・・・金もかかったしね」
後半の呟きは楓に聞こえないように小さく言う月夜。そんなことを露知らず、楓は笑顔で勇み足に遊園地へと向かっていった。
「ひろーい!」
「まさかここまでとはなぁ・・・」
二人は今遊園地内にいた。入り口でチケットと交換でもらった一日フリーパスの札を首から下げ、きょろきょろと首を動かす二人。
「まずどれに乗る?これだけあると迷う」
「うーん・・・ジェットコースターとか!」(注:現実のハワイの遊園地にはジェットコースターはないそうです、世界観違うのでお察し)
迷っている月夜の手をとって、意気揚々と歩き出す楓。今更手を握るぐらい普通な二人だが、月夜にはデートのような状況になっている今の場合では勝手が違っていた。多少の緊張を感じている月夜に、楓は気づく素振りすら見せない。
「ジェットコースターだけでもたくさん種類があるし、全部乗るしかないよね」
「お化けとか苦手なくせに、ジェットコースターは好きなんだな」
ひきずられないように早足で歩く楓の隣に並びながら、月夜が言う。
「好きかどうかは分からないけど・・・テレビで見て、すごく楽しそうだったから。私遊園地って初めてだもん」
「そうだったんだ・・・じゃあ、今日は遊びまくるか」
月夜は忘れていたわけでもなく、知らないわけでもなかった。孤児として小さい内にひきとられた彼らは、遊園地など遊びに行ったことはなかった。もちろん、月夜自身も初めての遊園地であった。
「あんまり人いないね、テレビとかだと何時間待ち、っていうのもあったのに」
「結構地元に名所とかあっても、あんまり行かないもんじゃないか?もしくは、行き過ぎて飽きた、とかね」
この世界でも観光名所と謳われているハワイだが、実のところそこまで人の出入りが多いわけでもなかった。日本人が滅多にいないのはもちろんのことだし、かといって他の国からの観光客が多いというわけでもない。観光名所というよりは、アメリカ国民の休養と遊びの場、といったような風体だった。しかし、遊ぶ分には人が少ないのは好都合だった。二人は待ちで時間を潰すことなく、色々とまわって遊んだ。
「あー・・・疲れた」
「うん、でもすごく楽しい!ジェットコースター怖いけどすごく良かったー」
昼時まで目一杯遊んだ二人は、今は昼食をとるために売店の前に並んでいる椅子に座りながらパンをつっついている。
「すっごい声あげてた割には、大分気に入ったみたいだね」
「自然と声が出ちゃうんだもん、しょうがないでしょー」
ジェットコースター系をメインに午前を遊び倒した月夜は、心なしか少しぐったりしているように見える。一方、月夜と同じことをした楓は疲れを知らない子どものように、今もまだ元気な状態だ。
「まぁ、昼食後はゆったりとしたの乗ろうよ。ご飯食べたばかりでジェットコースターなんて乗ったら、大変なことになりそうだ」
「えー、まだまだあるのにー・・・でもそうだね、ご飯後はまずいかも」
軽く想像してしまった二人は、苦々しい顔をしながら残りのパンをつついていった。
「なぁ・・・で、なんでこれなんだ?」
対面側に座っている楓に、月夜は問いかける。楓は問題なさそうに平然と返す。
「ジェットコースターじゃないよ?」
二人が乗っているのは、大人四人ぐらいなら座れそうなスペースを持っているカップの形をした乗り物だった。席の真ん中には、太めの皿のようなものがカップの下から突き出ている棒に支えられている。動き出したばかりで、ゆっくりとそのカップは回りだす。
「いやさ、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて・・・」
「質問はうけつけませーんっ」
楓は早々と真ん中にある太い皿のようなものを回し始める。それに比例して、カップの回る速度が上がっていく。
「待て待て、待てー!・・・うっ」
ご飯を食べたばかりの状態で、くるくると高速で回る人間は少数派だろう。もちろん月夜もそんな趣味はなく、多数派だ。しかし、自分の意思とは裏腹にカップは回る速度を速めていく、周りの景色がすごい速さで横に流れては一周してまた回っていく。
「きゃー、まわるー!」
そんな悲鳴じみた言葉をあげながら、それでも回し続ける楓。
「とーめーろー!」
月夜の悲痛な叫びが、カップが止まるまで延々と遊園地にこだましていた。
ぐったりとしながら、月夜はベンチにうなだれていた。なんとか最悪の事態は免れたものの、気持ちの悪さは今までにないものであった。いまだに世界が回っているような嫌な感覚を感じながら、月夜はうめいていた。
「あー・・・うー・・・」
ぐったりとしている月夜に飲み物を飲ませるために、楓は今売店へと行っている。月夜と同じことをしているはずの楓だが、なぜかそれほどぐったりとはしていなかった。むしろいまだに元気だった。
「どうかしたの?お兄ちゃん」
突然走り寄ってきた見知らぬ少女を見て、月夜は弱弱しそうに言葉を発した。
「大丈夫だよ・・・ありがとうね」
やたらぐったりとしている自分を見て心配になったのだろう、と月夜は思い、心配かけまいとなんとか見知らぬ少女に元気な素振りを見せる。
「ほんとに?顔色悪いよ?」
(そんなに見た目で調子悪そうに見えるのか今の俺は・・・だけどなぁ、)
「大丈夫大丈夫、早く戻らないと親御さんが心配するよ?」
「無理はしちゃだめなんだよ、おかーさんがそう言ってたの。分かった?お兄ちゃん」
自分よりは五、六歳は下っぽい子どもに教えられてる自分の不甲斐なさに頭を悩ませながら、月夜は辛いながらも笑顔で答える。
「分かったよ、心配してくれたんだね、ありがとう」
「うん、それじゃ・・・またね、お兄ちゃん」
元気に走り去っていくもう出会う機会のなさそうな少女の背中を見ながら、
「またね、か・・・」
と小さく嘆息した。
「くす、また会おうね、お兄様」
少女は誰に言うまでもなく呟き、十歳そこらの少女が見せるような笑みではない表情をこぼし、さっきまで話していた少年を一度だけちらりと見てから、少女は走り去っていった。雪のように肌が白く、雪のように白く長い髪をし、そして氷のように冷たく尖った瞳をした少女だった。
「お待たせー、ってどうしたの?なんか情けない顔しちゃって」
「いや、別になんでもない・・・」
否定する月夜に、楓はハテナマークを浮かべながら買ってきたジュースを渡した。楓は月夜の隣に座り、自分の分のジュースをストローですする。
「大丈夫?ちょっと無理に振り回しすぎちゃったかな・・・?」
(これは俺を振り回した、もしくはカップを回しすぎた・・・どっちの意味なんだろうな?まさかうまいこと言いました、とかいうオチじゃないだろうな・・・)
なんてことを考えながら、月夜はストローでジュースをすする。そして、口を開いた。
「今日は楓が楽しければいいよ、俺もそれに付き合うし」
「それじゃだめだよ!月夜も楽しまないと意味がないじゃない!」
月夜の言葉に怒るように反論する楓。そんな楓をしばしぽかんと見てから、楽しそうに笑う月夜。
「もー、どうして笑うの!?」
「悪い悪い、そうだな、俺も楽しませてもらうとするよ」
楓のそんな気持ちを嬉しく思いながら、月夜はジュースを一気に飲み干した。
二人はその後も遊園地を遊び倒した。楓は月夜のことを気遣うように、絶叫系を避け、緩やかな乗り物や歩きのアトラクションなどを選んだ。しかしそれも二時間程のことで、気をつかわせていることを理解した月夜が楓の手をとり絶叫系へと誘導し始めた。乗るたびに多少の体調不良を起こしていた月夜だったが、その顔はとても楽しそうだった。無論、楓もだ。
沈む夕日に照らされながら、二人は隣ベンチに座っている。
「んー・・・疲れたね」
全身を伸ばす楓。さすがに疲れを顔に滲ませてはいたが、その顔はとても晴れやかな笑顔だった。
「だなぁ、でも楽しかった」
同じく月夜も、楓と同様の顔をしていた。
「そろそろ、帰る?もう暗くなっちゃいそうだし」
言葉とは裏腹に、まだここにいたい、と思いながら楓は月夜に聞く。
「そうだな・・・でも、遊園地の最後といえばあれに乗らないと」
遊園地に来たこともない月夜は、ある意味間違っているようで間違ってはいないことを言いながらそれを指差す。楓はその指の先にあるものを見て不思議そうに口を開く。
「観覧車?」
「そそ、夕方少し過ぎてるぐらいがちょうどいいらしいよ」
実は利樹からの入れ知恵なのだが、月夜はそれを楓には言わないことにした。
「そう言えば、今日一度も乗ってなかったね、乗ってみたい」
楓は笑顔で言う。月夜はそんな楓を見ながら、立ち上がり手をとった。
「行こうか」
「うん!」
来た時と同じように、人が少ない遊園地を二人は歩いていった。
「少しずつあがっていってるね・・・なんかわくわくする」
楓と月夜の二人を乗せた観覧車は、ゆっくりとゆっくりと高度を上げていく。
「揺らすと結構怖いな、まぁ落ちても俺が助けるけど」
「不吉なこと言わないの!」
月夜は苦笑しながら、怒るように言う楓を見ている。向き合うように座り、狭い個室のようなものなので二人の距離はそこまで離れてはいない。
「そういえば、どうして最後が観覧車じゃないとだめなの?」
景色を見ていた楓が、不意に月夜に質問する。
「外を見てればその内分かるよ」
もちろん、これも利樹から聞いたことだった。高度が上がるにつれて、月夜はなんとなく落ち着かない気持ちになっていった。景色を見ている楓の横顔が、夕日に照らされ輝いている。月夜が楓を好きだということを、再認識するには十分すぎるほどだった。そんな月夜をそよに、楓がいきなり感嘆の声をあげる。
「うわー・・・すごいね」
その言葉につられて、月夜も楓から目を離し外の景色へと目を向ける。
「なるほどね・・・聞いてた以上だ」
月夜は楓に聞こえないように小さく呟きながら、その景色に目を奪われた。沈んでいく夕日が、街や海をオレンジ色に染め上げている。その美しさは言葉では表せないほどだった。
「きれい・・・世界が違って見えるよ」
「だね、こんな世界があるなんて・・・初めて知った」
ちょうど二人は観覧車の頂上部分にいた。そこから見える景色に気をとられ、月夜は自分が為すべきことを危うく忘れそうになっていたことに気づいた。
「そうだった、これ・・・」
月夜は自分のポケットを探り、手のひらほどの大きさの小さな紙袋を取り出す。その紙袋を、楓に手渡した。
「何これ?」
楓は紙袋を開けて、中を覗きこむ。そこには、黄緑色の小さな宝石がついている星の形をしたペンダントが入っていた。
「え?どうしたの、これ?」
月夜の意図を理解できていない楓は、ハテナマークを浮かべて聞く。月夜は小さく溜め息をつきながら、逆に質問する。
「今日は、何月何日?」
「八月八日だよね・・・って、あれ?」
自分で言って楓はやっと気づいた。そう、八月八日は、
「誕生日おめでとう」
照れくさそうに、月夜は言う。顔が少し赤くなっていたが、オレンジ色の夕日がそれを隠していた。楓は自分の誕生日を完全に忘れていたようで、あたふたと慌てる。
「え、え?・・・覚えててくれたんだ」
そして、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。自分でも忘れていたことを、月夜が覚えていてくれたことが楓には何より嬉しかった。
「ありがとう、ありがとう月夜」
星型のペンダントを大事そうに握り締め、楓は目の端に涙を浮かべる。今度は月夜が慌てる番だった。
「な、泣くなって!嫌だったか?」
「ちが・・・だって、すごく嬉しくて・・・」
楓はふるふると首を横に振りながら、小さく呟く。月夜は人差し指で楓の涙を拭い、言う。
「つけてみて」
「うん・・・」
楓はたどたどしい手つきで、星型のペンダントを首に下げる。
「似合う?」
「うん、すごく」
楓はペンダントの宝石部分に指で触れながら、月夜に問いかける。
「この石って、本物なの?」
「一応ね、八月の誕生石はペリドット、太陽の宝石って意味があるんだったかな?」
「こんな高価な物・・・本当にいいの?」
おどおどとそう聞いてくる楓に、月夜は答える。
「なんの為に俺が最近バイトしてたと思ってる?楓にそれを受け取って欲しいからだよ」
「・・・ばか、恥ずかしいよ」
赤くなっている二人を、夕日が静かに赤く照らしていた。
「二人ともおかえり、その様子じゃうまくいったみたいだね月夜」
観覧車から降りた二人は、今までとは違った雰囲気を醸し出しながら手をつないで帰宅した。そして出迎えてくれたランスの第一声がそれだった。
「おかげさまでね」
「やっぱりランスさんも共謀者だったんですね」
「共謀者って・・・ただ僕は良い場所探しをしただけだよ、遊園地のチケットも月夜のお金で買った物だし」
月夜はとっさにランスの頭をぺちんとはたいていた。
「だー!それは言わなくていいんだよ!」
「そうだったんだ・・・本当にありがとう、月夜」
そんな楓を見て、うっ、と顔を赤くする月夜。ランスは笑いながら、
「結果オーライだろ?」
「全く・・・まぁ、いいか、兄貴にも感謝してるしね」
「はは、ついでにもう一つしかけが・・・あ、」
笑顔で言ったランスが、唐突に言葉を止める。そして一気に、まずい、といったような顔になる。
「どうしたんですか?」
楓はそんなランスの言動にハテナマークを浮かべる。一方勘の良い月夜は、何かを理解したかのようにぼそっと呟く。
「幽霊」
「昨日の夜のことなんて僕には分からないな」
即座に返すランス、軽く目が泳いでいる。昨日の夜のことをランスは知らない、だからこそ、その単語に反応するということは・・・
「お前の仕業かぁぁ!!」
月夜は怒鳴る。昨日の夜、何かを楓の部屋に仕掛けて自分の部屋に来るように仕向けたのはランスだった。ランスは全く反省の色を見せずに、笑う。
「ちょっとしたお茶目だよ、砂に埋められた仕返しとかじゃないぞ、二人のことを想ってだなぁ」
よく状況を理解できていなかった楓が、ようやく理解して口を挟む。
「じゃあ女性の声とか白い女の子はランスさんのせいだったんですか!?」
楓の言葉を聞いて、ランスは頭をかしげる。
「白い女の子?僕が仕掛けたのは女性の声だけだったはずだけど・・・」
「え?でも、窓の外に女の子が・・・」
「往生際が悪いぞ兄貴」
月夜と楓の言葉に、ランスは本当に知らない、というように返す。
「それは僕じゃないよ・・・ということは」
「待て待て、それ以上言うな・・・!」
月夜の制止の声も意味を成さずに、楓はふるふると震えている。
「本物・・・?月夜ぁ!」
「しがみつくなって!」
「だってだって、幽霊だよ!?家に戻るまで月夜の部屋で寝るー!!」
「あーもー!!」
そんな二人のやりとりを見ながら、ランスは一人だけ考え込んでいた。
(白い女の子・・・?まさか、な)
ランスはその時感じた不快な感覚を、彼は一生忘れることが出来なかった。
・・・変だな、と気づいた時には色々手遅れになってました。
この話UPする前に、間違えて次の話をあげていたわけで・・・_| ̄|○
いや、ほんとごめんなさい。




