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夏休み編

雨がしとしとと降り、多量の湿気により人々を暗鬱とさせる六月。先月の誘拐事件以降、今のところ月夜と楓に事件らしい事件は起こらず、平穏な日々を送っていた。しかし、事件はなくとも日常に違和感を感じている者が一人、いた。


「最近、様子が変じゃない月夜?」

いつもの登校路をいつものように歩いている月夜と楓。楓のそんな一言に、月夜はぎくっと身を震わせた。

「何言ってるんだよ、俺のどこが変だって言うんだ・・・変な楓だなぁ」

「月夜は元々変だけど、最近特におかしいような気がする」

楓のさりげなくひどい言葉に、月夜はいつもの子どものような反論をすることはなかった。

「おかしくなんてないって・・・」

あくまで否定する月夜に、楓は心配するような言葉を口にする。

「本当に?すごく疲れてるように見えるよ、大丈夫?」

月夜がいつも通りの子どものような反論をすれば楓もいつも通り怒るが、今日は勝手が違った。いつもと様子の違う月夜を、楓はひどく心配していた。

「疲れてないから、大丈夫だよ」

楓に心配させないようにと微笑む月夜だが、その顔からはありありと疲れが読み取れる。目の下には隈が出来ているし、顔色も良くない、まるで一足遅く五月病になった新入社員のような風体だった。楓としては、自分の知らないところでまた何か事件に巻き込まれているかもしれない月夜が心配で、そしてそれを秘密にされていることが胸を苦しめた。

「最近どこに行ってるの?帰りも遅いし・・・何かあるのなら、私だって力になりたいよ」

最近の月夜は確かにおかしかった。六月が始まった頃から、学校から帰ってすぐに家を出て、大体帰るのは十時過ぎ、遅い時は午前二時をまわっていた。それが週に三回も四回もあれば、楓じゃなくたっておかしいと思う。月夜は言葉を濁すように言う。

「んー・・・まぁ大したことじゃないよ」

「私に言えないことなの?」

辛そうな楓の言葉を聞き、月夜は目を伏せながら言う。

「・・・そうだな、楓には言えない」

「そっか・・・分かった、もう聞かないから」

けんかをしているわけでもないのに、押し黙る二人。色々なものが混ぜ合わさった嫌な雰囲気の中、セミのうるさい声だけが響いていた。



今日の月夜は、いつにもまして授業中ぐだぐだしていた。授業の半分は寝ているし、最初は注意していた先生ももはや諦めていた。体育で走りながら寝ていた時は、さすがに楓もまわりも呆気にとられていた。


「どうしたんだよ月夜、なんかやたらお疲れのようだな」

昼休み、いつものように利樹と紫が月夜と楓の席に来る。うつぶせになっている月夜は、気だるそうに顔を上げて利樹を見た。

「色々な・・・飯食うのも億劫だよ」

「授業中にあれだけ寝てたのに、まだ眠いの?」

紫は呆れ七割心配三割といった感じで、言う。月夜は再度机に突っ伏し、投げやりに言った。

「眠い・・・飯いらないから、三人で行っていいよ」

「おいおい、昼飯もろくに食べないで元気出るわけないだろ?・・・ま、無理強いしても仕方ないか」

「そうね、寝かせておきましょう。・・・どうしたの楓?」

三人が話している中、一人ぼーっとしていた楓はその言葉にはっとなる。

「なんでもないようん、ご飯食べに行こう」

慌てて立ち上がった楓は、その反動で座っていた椅子を盛大に倒し、更に慌てるように椅子を直した。その様子を見ていた利樹が、いやらしい笑みを浮かべながら口を開く。

「ははぁ・・・二人ともお疲れってわけですか、若いねぇ・・・いってぇ!」

「何下品なこと言ってるのよ。それに・・・そ、そんなことは私たちが口出すことじゃないでしょ?」

利樹をはたく紫だが、実際に言っていることは大差なかった。楓はよく分からない、といった感じで口を挟む。

「なんのこと?それより、早く行かないと時間なくなっちゃうよ」

「それもそうだ、行こうぜ」

「そうね・・・うるさくしたら月夜君も眠れないだろうし」

気遣うような紫の言葉に、うつぶせになっている月夜が口を開く。

「全くだ・・・うるさいぞ、利樹」

「俺限定かよ!ったく・・・」

そんな月夜を置いて、利樹と紫は教室を出るために歩き出す。月夜のそばに一人残っている楓を、変に思った紫が振り返って声をかける。

「どうしたの楓?」

「ううん、なんでもないよ・・・先行ってていいから」

「お熱いことで、それじゃ先行ってるぜ」

利樹と紫が教室を出て行くのを見送ってから、楓は月夜に声をかける。

「本当に・・・大丈夫?」

「ん・・・大丈夫、でもないか・・・」

うつぶせになったまま、弱弱しい声を出す月夜。楓はそんな月夜が、とても心配だった。

「そんなに疲れてるなら、学校休めばいいのに・・・」

楓のそんな言葉に、月夜は少し沈黙してから言いにくそうに口を開く。

「学校ぐらいは来ないと・・・その、あれだよ・・・」

楓は頭にハテナマークを浮かべて、月夜の言葉の続きを待つ。

「・・・楓と一緒にいる時間、なくなっちゃうだろ?」

やっと吐き出された月夜の呟きは、楓の顔を赤くさせるには十分すぎるほどだった。言っている月夜本人も、耳が赤くなっているのが分かる。

「でも・・・無理したら嫌だよ」

「大丈夫大丈夫、心配かけてごめんな・・・でも、やっぱり言えないんだ」

いつもはのほほんとしている月夜だが、結構頑固なところがあった。月夜の気持ちを少なからず理解した楓は、それ以上口を出すことをやめた。うつぶせになっている月夜の頭を撫でながら、楓は言う。

「私も心配してばかりでごめんね、おやすみ・・・行ってくるね」

多少の不安を残して、楓は教室を出て行く。一人残された月夜は、すぐに夢の中へと誘われていった。



学校を終えた月夜と楓の二人は、特に何かに巻き込まれることもなく無事家に着いた。下校中も眠そうにしていた月夜だったが、顔色は大分良くなっていた。


「今日は出かけないの?」

部屋で制服から着替えてリビングに来た楓は、同じく自分の部屋で着替えて来て先に椅子に座っている月夜に声をかける。

「ん?今日は出かけないよ」

新聞紙を広げながらテレビをつけている月夜はそう返す。月夜が新聞紙を逆さまに持っていることに、楓は特に何も言わなかった。対面側の椅子に座り、楓はテレビを見ながら口を開く。

「通り魔事件だって、物騒だね・・・この付近じゃないこれ」

「だなぁ、戦争も怖いけど、身近な事件のほうがよっぽど危ない」

新聞をたたんでテーブルに置いてから、月夜もテレビに目を向ける。テレビには、事件があった場所が次々と映し出されている。

「被害者六名、その内の四人が殺されていて犯人は未だ分からず・・・か。楓も気をつけろよ?」

「月夜が一緒なら安全でしょ?」

「そうだけど、一人歩きとか危ないからな」

実際のところ、楓が一人で出歩くことはあまりない。登下校はほぼ月夜と一緒だし、買い物なども荷物持ちとして月夜が一緒にいる。遊びに出歩くこともあまりしないため、楓は帰宅後は大抵家にいる。

「うーん、そうだね・・・気をつけるよ」

特に何もない会話だったが、楓は嫌な不安を少しだけ感じていた。なぜなら、今まで通り魔事件が起きている日に月夜は外出している。しかも時間帯は深夜。事件が起きてないときにも月夜は外へ出ているが、楓は小さな不安を拭えなかった。月夜がそんなことをするわけがないと楓は分かっているが、なんとなく嫌なものが残る夕方のことだった。


「そろそろ、私は部屋に戻るね」

「おー、俺も少しゆっくりしたら戻るかな」

ずっとリビングにいた二人は、そのまま夕飯をそこで済ませた。洗い物を終えた楓は、そう言い残してから部屋に戻る。楓が部屋に戻ったのを確認してから、月夜はリビングにある電話機に手をかけた。覚えている番号を入れて、相手が出るのを待つ。

「どうした?」

「例の件、どんな感じ?」

月夜は少しだけ真剣な表情をして、受話器の向こうにいる相手に問いかける。相手は自身満々に言う。

「最高のステージを見つけといた、後はお前次第だよ」

「恩に着るよ、あまりない機会だからね・・・やれるだけやってやるさ」

「あまり気負いすぎないようにな・・・失敗したら笑わないぞ?」

「ばれないようにやるさ。用件はそれだけ、じゃあまた」

「ああ、またな」

月夜は受話器を置いてから、疲れを滲ませた顔を緩ませ、そして微笑んだ。そんな限りなく怪しいやりとりを、楓は知る由もなかった。



そんなやりとりから早一ヶ月。特に事件も起きないまま、もう夏休み前へと季節は流れていた。相変わらず月夜は疲れ気味のようだったが、そんな月夜を大分見慣れた楓は内心心配しながらも口を挟むことはしなかった。


「そうそう・・・俺昨日見ちゃったんだよ」

唐突にそう切り出す利樹。今は昼休み中で、月夜を除いたいつもの三人がいつものように屋上で昼食をとっている時のことだった。

「何を見たの?」

紙パックのいちご牛乳をストローですすりながら、楓が問いかける。紫も怪訝顔で利樹を見やる。

「見間違いかもしれないんだけど・・・昨日の午後七時ぐらいだったかな?部活終わった後帰ってる時にさ・・・」

言いにくそうに楓のことを盗み見てから、利樹は続ける。

「月夜がパトカーに乗せられてたんだよね」

「え?どうして!?」

利樹に食いかかるように楓は声をあげる。利樹はそれを手で制しながら、

「待て落ち着けって!・・・遠くて暗かったし、はっきり見たわけでもないんだよ。でも月夜っぽかったんだよなぁ」

「嘘・・・」

「本当に月夜君だったの?妄想とか目が曇ってたとかじゃなくて?」

明らかな動揺を見せる楓をなんとかフォローしようと紫がそう言う。利樹は、紫のいつも通りのひどい口調を気にもせずに言う。

「俺視力1.5超えてるんだぞ?というか妄想で月夜を見る意味がわかんねーよ」

利樹もいつものような軽い口調ではあるが、多少の焦りが混じっていた。だから、しっかりと付け足す。

「とはいえ、他人の空似だったのかもしれないしな・・・確証があるわけでもないし、月夜には言わないでおいたほうがいいかもな」

重苦しい雰囲気が辺りに漂う、葬式場でご飯を食べているかのように辛気臭そうにパンを口に入れる紫と利樹。楓は心中穏やかではなく、その後物を口に入れることが出来なかった。



下校時、月夜と楓は一言も喋らなかった。楓は口を開くことをためらっていたし、そんな楓の話しかけにくい雰囲気が月夜も無言にさせた。

家に着き、いつものように各自の部屋に分かれて着替えを済ませる楓。リビングに行くと、先に着替え終わっている月夜が椅子に座ってテレビを見ていた。楓は対面側の椅子に座り、何かを言いたそうにしながらも言えずに、ただテレビを見ていた。

しばらくの間沈黙が続いていたが、痺れを切らしたように月夜が沈黙を破った。

「何かあったの?昼休み終わってから様子が変だよ」

テレビから楓に視線を移し、落ち着いた感じで月夜は言う。楓はとっさに顔を伏せ、月夜と視線を合わせないようにする。

「言いたいことがあるなら言って欲しいんだけど・・・」

落ち着いた口調では言うものの、月夜は内心、ばれたのか?という不安があった。楓は多少の間をあけてから、決意したように顔を上げて口を開いた。

「私に隠していること、あるよね?」

「それは誰だって隠し事の一つや二つは・・・」

「誤魔化さないで!」

当たり前の理屈で言い逃れようとする月夜を、楓が叫んで止める。隠していたことを怒っているのではなく、月夜のことを心配してるからこその焦りだった。

「利樹君がね・・・見たんだって」

そう呟く楓を見ながら、月夜は残念そうな顔をして口を開く。

「ばれちゃったのか・・・上手く隠し通せると思ってたんだけどなぁ」

「どうして・・・?なんのためにそんなことしたの?」

楓は泣きそうな顔をしながら、言う。月夜は頬を人差し指でかきながら、単調に、なおかつ何か決意があるように言った。

「お金が必要なんだよ、隠してたことは謝るけどさ・・・」

「お金のために・・・?やっていいことと悪いことがあるでしょ!?」

そう叫ぶ楓に、月夜は罪悪感に顔を曇らせ、言った。

「だから隠してたことは謝るって・・・でも、仕方なかったんだよ」

「だからって罪を犯してもいいの!?関係のない人を巻き込んで・・・月夜はそんなことしないって信じてたのに!」

月夜は気まずそうに、楓から視線を外す。

「確かにさ・・・年齢偽って深夜バイト入ってたよ、ばれたら周りに迷惑かかることも分かってたさ!」

この月夜の言葉に、楓はハテナマークを浮かべた。そんな楓に気づかない月夜は、一人続ける。

「でもどうしてもお金が必要だったんだよ、特に楓には秘密に・・・って、どうしたんだ楓?」

様子がおかしい楓にやっと気づいた月夜は、怪訝な顔を向ける。楓はハテナマークをつけたまま月夜に聞いた。

「バイト・・・?通り魔とか強盗じゃなくて・・・?」

「ちょっと待て、一体何を勘違いしてるんだ・・・?なんで俺がそんなことしないといけないんだよ」

月夜は気づいた、楓が何かとんでもない勘違いをしていることに。

「え、だってでも・・・昨日利樹君がパトカーに乗せられてる月夜を見たって・・・」

焦って言う楓に、月夜が盛大な溜め息を吐いた。そして、新聞を取って楓に見せる。

「ここ見てみ?」

月夜が指し示したニュース欄を、楓はまじまじと見る。

「十数件もの通り魔事件の犯人を逮捕。田村容疑者は昨日の午後七時頃、女性に襲いかかろうとしているところを通りかかった勇敢な少年に取り押さえられ、現行犯逮捕となった・・・え?通り魔事件の犯人捕まったの?」

新聞の文を読んでいた楓が、驚いて声をあげる。そんな楓を見ながら月夜が付け足すように、言う。

「まぁ通りかかったのは俺なんだけど、その後事情聴取するために近くの交番までパトカーに乗せられた、ってわけ。理解した?」

その言葉を聞いた楓は、体の力が抜けたように椅子の背もたれによりかかり、安堵の溜め息を吐き出した。

「そうだったんだ・・・良かった」

「間が悪いところを見られたとはいえ、そんなに信用ないのか俺は・・・?」

安心した楓とは逆に、月夜は落ち込むようにうな垂れる。

「そんなことないよ!ただ心配しちゃったから・・・でも月夜も悪いんだからね、内緒にしてこそこそバイトなんてしてたんだから」

そんな月夜に楓はフォローを入れつつも、文句を言った。ふと気になったように、楓は月夜に問いかける。

「そういえば、どうしてお金が必要なの?欲しいものがあるとか?」

ぎくり、と動揺の色を見せて月夜は早口で言う。

「いや別に欲しいものがあるとかじゃなくてやっぱりお金は大切だし俺もいつまでも父さんの貯金頼りにしていくのもどうかと思ってだからそういうわけで特に深い意味があるとかないとかそんなことも全くないわけでもないんだけど」

後半は何を言っているのか分からなかった。誰がどう見ても怪しい月夜を、楓は怪訝顔で見る。一息ついてから、月夜は呟く。

「大体から、お金なんてそれを達成するための物にしか過ぎないし・・・俺が欲しいのはお金じゃ買えないものだしなぁ」

と、そこまで言ってから月夜はまずい、といった感じで口を紡ぐ。楓は興味津々で月夜に聞く。

「月夜がそこまで言う欲しい物って何?」

「なんでもない、なんでもなーーい!」

無理やり流そうとする月夜に、楓は意地の悪い笑みを浮かべて追い詰める。

「すごく心配したのになぁ、月夜が秘密でバイトなんかしてたせいで」

「待て待て、顔と台詞が合ってないぞ!そんな顔で切なそうに言うんじゃねーー」

それから小一時間は、楓に振り回され続けた月夜だった。



そんな調子で、ついに夏休みが始まった。結局月夜のバイトの理由ははぐらかされてしまった楓だったが、疲れていても活き活きとしている月夜を楓は見ているのが好きだった。そのバイトの理由が、まさか自分自身にあるとは、楓は思ってもいなかったし、すっかり忘れてもいた。



夏休みが始まってから十数日後、月夜と楓の二人はランスに招待されアメリカに来ていた。

「うわー、すごく広いね・・・海がきれいだし、太陽が熱いー」

ランスの後ろを歩いている月夜と楓。楓は幼い子どもの様にあっちを見たりこっちを見たりとはしゃいだ。

「恥ずかしいってば、楓・・・」

「いいじゃないか、初めて来る場所っていうのはやっぱり心躍るものじゃないか?」

はしゃぐ楓を止めようとする月夜を、ランスが言葉で制した。それもそうか・・・と月夜は呟き、隣の楓を楽しそうに見た。


三人は今、アメリカ国内にあるハワイにいた。現実のハワイは有名なリゾート地で日本人も多いが、未だに日本がアメリカを強く敵視しているこの世界では、日本人がここにいることは珍しいことだった。それ故に、周囲の視線は自然と三人に集まるが、彼らは敵対している者を見る目をしてはいなかった。ただ、珍しいものを見る程度の視線でしかなかった。


「私初めて海見た・・・こんなにきれいで素敵なものだったんだね」

「へぇ、そうなんだ。俺は物心ついた時から何度も見てたからなぁ」

楓は生まれも育ちも近くに海がない場所だった。本やテレビでは見たことがあるが、実際に見たことはこれが初めてだった。だからこそ、それを素直にきれいだと、素敵なものだと思った。一方月夜は、海は好きだったが幼い頃よりよく見ていたので、愛着はあるもののそこまでの感動は感じなかった。

「来て良かっただろ?」

「はい、すごく・・・ありがとうランスさん」

とても嬉しそうにしている楓を見て、最初は嫌悪していた月夜も来て良かったと心から思った。何より、計画もあることだし、ね。

「それにしても兄貴、なんでこんなところに別荘なんて持ってんの?」

「私もそれ気になる・・・ランスさんってお金持ち?」

月夜と楓はそれぞれの疑問を口にした。ランスは困ったように笑い、返答した。

「僕自身はそんなにお金を持ってないよ、ここの別荘は父さんが所有していたものでね・・・実は、僕は父さんが生きている間一度もここに来たことなかったんだけどね」

ランスの事情を知っている月夜は、苦々しくその言葉を聞いていた。楓にもなんとなく分かったのだろう、少しだけ視線を落としてテンションを下げていた。そんな二人を見て、ランスは笑う。

「気にすることはないよ。そろそろ別荘に着くし、荷物置いたら観光にでも行こう」

空港を出てから約二十分、三人は歩き通しでやっとランスの別荘に着いた。その別荘は、外観でも大きいものだと理解することが出来た。最初は車で空港まで迎えに行く予定のランスだったが、歩きながらのんびりと辺りを見るのもいいだろう、と考えたランス、それ故に三人はのんびりと歩いていた。

ランスを先頭に、後に続いて入る二人。楓は驚きの声をあげ、月夜はふーん、といったような顔をしていた。

「ひろーい!?」

「まぁまぁ、だね」

別荘とは言うものの、実際は豪邸に近いレベルのものだった。入り口がある広間は、大きなシャンゼリアがついていて、二階へと上がる階段や一階の各部屋につながるドアがあった。そこから見える範囲でも、部屋が十数個あるのは見て取れる。メイドや執事などがいても不思議ではない空間だった。

「父さんはこういうところにお金を使うのが好きだったからね、僕の実家は平凡なものだけど・・・」

(平凡・・・?)

ランスの家を何回か見たことのある月夜としては、少なくとも日本の一般家屋とは比べようがない気がした。

「すごいなぁ・・・私もこんな広い家に住んでみたい」

首をきょろきょろと動かして辺りを見回す楓。そんな楓に月夜がぽそりと呟く。

「広くても掃除するのめんどくさいだけじゃないか・・・?」

「月夜の言うとおりだね。掃除もそうだけど、維持費も中々お金がかかるものだよ・・・来ないのに」

ランスは軽く頭を抱える。

「まぁそんなことはおいといて、荷物どこに置けばいいんだ?」

楓やランスに任せておいてはいつまでたっても話が進まないので、月夜がそう言った。それを聞いてランスが二人に聞く。

「上の階と下の階どっちの部屋がいい?」

「私は上でお願いします!」

「それじゃ俺も上、かな」

それぞれ答える二人に、ランスが嫌味っ気のない微笑みを見せながら言った。

「どっちも上か、それじゃ二人で仲良く同じ部屋でいいね」

「「なっ!?」」

月夜と楓は次の言葉がつなげず、明らかな動揺を見せて口をぱくぱくさせる。それを見ながら、ランスは残念そうに言う。

「部屋はいっぱいあるんだけど、すぐに使える部屋自体はほとんどなくてね・・・でも二人なら同じ部屋でも平気だろ?」

「待て待て待て、さすがにそれは洒落にならないぞ!」

「そ、そうだよ!一緒の部屋なんて・・・」

お互い顔を赤くし、気まずそうに視線を合わせないようにしている二人にランスがとどめをさす。

「一つ屋根の下で暮らしてるんだから、今更だと思うんだけど」

「そういう言い方すんなーーーー」

明らかな狼狽を見せている二人を前に、ランスが唐突に笑い出す。

「ははは、ちょっとした冗談だよ。ちゃんと部屋はあるから、心配するなよ」

「あーにーきー・・・笑えない冗談はやめてくれ・・・」

「ほんとですよ、もう・・・!」

お互い否定はしているが、まんざらでもない二人を見ながら溜め息をつくランス。

「分かった分かった、全くお前らは・・・」

(本当に何も進展しないやつらだよなぁ、もっと素直になったほうがいいと思うのに・・・高校生なんてそんなもの、か)

ランスはランスなりに、兄貴として月夜の心配をしているわけだが、不器用な恋愛もありか、と一人納得するのであった。



熱い太陽に照らされながら、砂浜にひいたシートに座りながらランスは海ではしゃいで遊んでいる楓と月夜を眺めていた。その様子は、第三者から見たら恋人そのものだった。

「それそれー」

「やったな、このー」

水のかけ合いをしている二人を、ランスはほのぼのと見ながら一人言葉を漏らす。

「青春だねぇ・・・僕も学校行ってればあんな感じだったのかな・・・?」

自分が選んだ道は自分で決めたもの、だから辛くはない。でも・・・やっぱり羨ましいなぁ・・・。と思いつつ、ランスは二人に叫ぶ。

「あんまり沖の方に行くなよ!深くなってるからなー!」

「大丈夫だよ!兄貴もこいよー」

「みんなで遊びましょー!」

離れた場所からランスを呼ぶ二人に、ランスは叫び返す。

「荷物番がいなかったら危ないだろー!僕のことはいいからゆっくり遊んでな!」

えー、と二人は不満気に漏らしたが、ランスはおかまいなしにシートに横たわり、目を細くして熱く光り輝く太陽を眺める。

「暑いな・・・日に焼けそうだ」

こんなことならパラソルでも持って来るべきだった、とランスは虚ろに思いながら、目を閉じて腕で光を遮断する。いけないと思いつつも、遠くで騒いでる二人の声を聞きながらランスの意識は遠のいていった。



「・・・ス・・・ラン・・・ス」

誰かが僕の名前を呼んでいる、うるさいなぁ・・・。

「ランス!授業中に居眠りとはいい度胸だ!」

びくっ、と体を震わせて、ランスは体を起こす。辺りには、見知らぬ風景が広がっていた。

「全く、しっかりと授業を受けたまえ」

「え・・・?」

「いつまで寝ぼけているんだ!それと、よだれを拭きたまえ」

「あ、すいません」

袖で口元を拭ってから、ランスは今まで自分が座っていた椅子に座る。周りからは、くすくすと小さな笑い声が生じた。

(これは・・・夢か?)

授業を再開する教師に気づかれないように、ランスは周りを見渡す。整然と並べられている机や椅子、そこに座っている数十人の生徒たち、黒板や掃除用具入れなどなど。夢に見るほど月夜たちを羨ましいと思っていたのか僕は・・・。と小さく嘆息し、また怒られないうちに授業に集中する。学校など行ったことが無く、見たこともないランスだったが、なぜかその夢の中ではリアルに学校というものが構成されていた。

少ししてから、急に警報のようなものが教室中に響き渡る。周りにいる生徒たちは驚いて立ち上がり、教師も狼狽しておろおろとしている。そして、黒板の上に設置されているスピーカーから声が発せられる。

「空襲警報!空襲警報!教師らの指示に従い、生徒は直ちに避難せよ!」

慌てふためく周囲をよそに、ランスは一人考えていた。

「空襲・・・?戦争、なのか?」

夢の中でもか、と小さく付け足してからランスは立ち上がり、壁に寄り添って窓の外を盗み見る。そしてランスはぎょっとした、夢の中とはいえ、ありえない数の飛行機が空にひしめいていたからだ。窓の外を見やっているランスに、教師から声がかけられる。

「ランス!何をしているんだ、早くお前もみんなと避難するんだ!」

仕方ないのでランスはその指示に従い、先に廊下に出て行っている生徒たちの後を追う。

「月夜も、こんな気分なのかな」

苦笑しながらそう呟くランス。夢の中だから死ぬことはない、そう、現実の月夜も死ぬことはまずない。だからこそ、ランスは落ち着いていることが出来た。生徒たちはみな混乱していた、泣き叫ぶ者、自暴自棄になっている者、狂ったように逃げようとする者・・・各人それぞれの反応だが、思っていることは一つなのだろう。そう、死にたくない、と。

夢の中とはいえ、あまりにもリアルすぎるこの世界で人が死ぬのをランスは見たくなかった。自分が走り過ぎた場所が、次々と破壊され、校舎が崩れていく。まるで、ランスを狙っているかのように。

「きゃぁ!」

ランスがたった今抜かしたばかりの女生徒が、足をもつれさせて倒れてしまった。ランスは不意に立ち止まり、その女生徒に手を貸そうとする。

「大丈夫か?」

その時のランスは、自分が死なないから、などと考えて行動したわけじゃなく、ただ単にとっさの行動だった。

「ありがと・・・」

その女生徒は、言葉を最後まで言えずに、そしてランスの手をつかむことも出来なかった。ランスの目の前で、その女生徒は落ちてきた廊下の天井に潰された。確認するまでもなかった、もちろん即死だろう・・・。

「なんだよ・・・?これ・・・?」

ランスは、瓦礫の下から突き出ている一本の細い手を見る。先ほどまで彼がつかもうとしていた手・・・ランスはその細い手を両手で握り締める。

「夢の中でも・・・僕は人一人救えないのか・・・?」

助けることが出来なかった女生徒のその手にすがりつき、ランスは涙を流す。月夜は死なない、そして強大な力を持っている、だが、今のランスは自分が死なないだけだった。忘れていた自分の力の無さが、今になってはっきりと示されたことがランスに深い傷を負わせる。

「辛いでしょう?苦しいでしょう?力がないということは」

突如響いた声に、ランスははっとして顔をあげる。今まで学校の廊下であったはずの場所が、何もない暗い空間としてそこに存在していた。そして、ランスの前に雪のような白さを持つ少女がいつの間にか立っていた。

「・・・辛いさ、何も出来ないすることが出来ない・・・どんなにがんばったって、僕は人を助けることが出来ない・・・!」

「ならあなたは望むの?誰かを助けられる力を」

あどけなさの残る声だが、その声は凛としていてランスの胸に染み渡る。

「欲しいさ、力が欲しい・・・本当は、月夜が羨ましいんだ僕は・・・!」

夢の中にいるということさえ忘れて、ランスはただ叫ぶ。少女はくすりと含みのある笑みをこぼし、超然と言い放つ。

「今はその時じゃない、時機が来ればあなたは大きな力を手に入れることが出来るわ」

ただし、大切なものと引き換えにね。と、付け足した少女の言葉はランスには届かなかった。

「君は・・・一体?」

「私の名前はクリス、クリス=ステイア。必ず、いつかまた会うことになるわ」

クリスと名乗った少女は、ゆっくりと姿が薄くなっていき、そして消えた。ランスは呆然としたまま、少女がいた空間を凝視していた・・・。



「っ・・・なんなんだ、今の夢は・・・?」

目を覚ましたランスは、変な体の重さと先ほどの変な夢のせいで頭がぼーっとしていた。だから、気づいていなかった。

(それにしても・・・なんか体が重いような気が・・・)

「って、何してるんだ!?」

ようやく気づいたランスは、自分の両隣にいる月夜と楓に叫ぶ。重いはずだった、なぜならランスは首から上以外を砂に埋められていたからだ。

「だって呼んでも起きないから、ちょっとした遊び心?」

「私はこんなことする気なかったんですよ!?月夜がやろうっていうから仕方なく・・・」

なみなみと海水が入っているどこで拾ってきたか分からないバケツを持っている楓は、説得力なしにそう言う。

「起きなかったのは悪かったけど、子どもじゃあるまいし・・・ってまだ子どもか」

はぁ、と溜め息をついて体を起こそうとするランス。しかし体は全く持ち上がらなかった。

「月夜・・・どれだけ積んだんだこの砂?」

「教えてほしい?」

「ああ、ぜひとも」

「しょうがないな」

月夜は一呼吸置いてから、簡潔に述べた。

「覚えてない」


月夜と楓に掘り出され、なんとか砂から出ることが出来たランスは、月夜の頭をはたいた。そして、気になったことを聞く。

「シートどうしたんだ?」

「もちろんどかしたに決まってるだろ、シートが砂まみれになっちゃうだろ!?」

なぜか逆切れっぽく叫ぶ月夜、熱さと楽しさで大分テンションがハイになっているのが分かる。そんな月夜の横で申し訳なさそうにしている楓。

「すいません・・・もう少しで完成だったんですけど」

もはや何に対して謝っているんだか分からない楓、どうやら楓の方も大分ハイになっているようだった。

「お前らなぁ・・・埋めるぞこらぁー!」

珍しく怒っているランスを前に、月夜と楓は一目散に逃げ出した。そんな二人をランスは追いかける。

「まーーてーーーー!!!」

待てと言われて待つ人間は少数派だろう、そして月夜と楓も例外なく待たない多数派だった。そんな調子で、初日の昼は過ぎていったのだった。

殺伐と戦闘もいいですが、やっぱりマッタリが好きなのだなぁ・・・と思う今日この頃です

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