異変
茜が去ってから一週間、月夜と楓には平穏の日々が流れていた。茜がいなくなってからは物足りなさを感じていた二人だったが、気づけばそれが二人にとっての日常へと戻り始めていた。誘拐や神隠しなどの事件もいまだに起こってはいるが、当事者ではない二人にとっては対岸の火事といったものだった。そう・・・今日、その日が始まるまでは・・・。
「甘いものが食べたい」
今では見慣れた学校への道のりを歩いている時に、楓の隣にいる月夜が、いきなりそう呟いた。楓は、「え?」、とそんな月夜に返す。
「たまぁぁぁーに無性に甘いものが食べたくなる時がある。楓はそういうのないか?」
「あるにはあるけど・・・さすがにそこまで突然食べたくなることはないかな。大体から私は甘いもの好きだから、いつでも食べたいと思ってるよ・・・太らなきゃね」
最後の部分だけは月夜に聞かれないように、ぼそりと呟くように楓は言った。そんな楓に気づかない月夜は、一人続ける。
「こう・・・なんていうのかな、食べなきゃ死ぬってわけでもないんだけど、うん、食べなきゃ死ぬ」
全く矛盾してるようなことを言う月夜。楓は呆れたように口を開く。
「そこまで言うなら、自分で買って食べればいいじゃない・・・お金はあるでしょ?」
二人には、死んでしまった父が残しておいてくれた貯金がかなりあった。実際は残しておいてくれたわけではなく、お金の持ち主がいなくなってしまったので自動的に二人に流れてきただけなのだが・・・。楓の言葉に、それはだめだなぁ、と言うように月夜は口を開く。
「姉さんや兄貴の手作りお菓子に慣れてる俺が、市販品なんて・・・」
かなり贅沢でわがままなやつである。だが実際に、ランスや茜が作るお菓子は絶品だった。楓はもはや溜め息しか出ない。
「市販品だって十分おいしいわよ・・・というか何?お姉ちゃんもランスさんもいないのに、一体どうする気なのよ?」
「そうなんだよなぁ・・・うーん」
変なこだわりを持つ月夜としては、市販品で済ませるということは許せないようだ。考えに考え、月夜は言った。
「楓、作ってくれ」
ぺちーん、という良い音を響かせ、楓が月夜の頭をはたいた。
「どうしてそうなるのよ!しかもそれが人にものを頼む態度なの!?」
言ってることはもっともだが、最近の楓はやたら手が出るのが早かった。月夜ははたかれたところをさすりながら、「じゃあどうすればいいんだ!?」、と逆ギレする。
「そんなの知らないわよ!お姉ちゃんでもランスさんでも、呼び出して勝手に作ってもらえばいいでしょ!!」
もはやお互い言ってることが無茶苦茶だった。
「さすがにそれは無理だって!兄貴はアメリカだし、姉さんは・・・」
危うく続きを口にしそうになった月夜は、焦って言葉を止める。楓は不審顔で、問いただす。
「お姉ちゃんは、何?」
先ほどとは違い、幾分かは落ち着いている楓の声だが、その内に秘められているものは月夜には想像のし難いものだった。月夜は気まずげに呟く。
「姉さんは・・・仕事だし、な?」
茜から月夜宛ての手紙の内容は知らない楓だったが、なんとなく察するものはあっただろう。だからこそ、楓は冷たく言った。
「仕事でもなんでも、月夜が言えば作ってくれるんじゃないの?可愛い弟のためだものね」
さすがにそんな風に言われると、月夜もむっとして言い返す。
「子どもじゃないんだから、仕事が大変なことぐらい分かるだろ?」
何より、あんな手紙をもらった後に、いきなり呼び出してお菓子を作ってもらうなど、茜に対して残酷とも言えるようなまねは月夜には出来なかった。
(そんな風に思うこと自体が・・・残酷なのかもしれないけど)
月夜はやり切れない想いを胸に抱き、拳を握り締めた。そんな月夜に気づかない楓は、子どものように(実際まだ子どもなのだが)月夜に文句を言う。
「そんなの知らないわよ!それなら月夜がお姉ちゃんのところに行けばいいじゃない!!」
「お前・・・分かったよ、もういい、楓には頼まないから」
冷たくもなく、反面怒っているようでもなく、月夜は普通にそう言った。もはや無関心、と言ったような月夜の言葉を聞いて、楓はひどく胸が締め付けられた。その後二人は一緒に歩いているものの、学校に着いても一言もしゃべることはなかった。
「俺の言い方も悪かったと思うよ?でもさぁ・・・そこまで言う必要はないとおもわね?」
「わざわざそんなことを聞かせるために、お前は俺をさぼらせたのかよ」
月夜の隣に座る利樹は、溜め息をつきながら月夜を見る。
「そんなことって言うなよ、俺にとっちゃ大問題なんだよ」
月夜は屋上の柵に寄りかかり、青く晴れ渡っている空を見る。
「ばっか、けんかなんて俺と紫は日常茶飯事だぜ?」
胸を張ってそんなことを言う利樹に、月夜は呆れた顔で言った。
「お前らはな・・・それに小さいけんかはあっても、口をきかなくなる程は今まで一度もないんだよなぁ」
どうすればいいかなぁ、と溜め息と共に月夜は付け足す。利樹は笑いながら、そんな月夜をこづく。
「けんかする程なんとやら、だろ?それによ、そんなにこのままの状況が嫌なら、正直に言っちゃえばいいんじゃねーの?」
利樹の言葉に顔を赤くする月夜は、それを知られないようにそっぽを向いて言う。
「ば、ばかやろう、言えるわけねーだろ!?」
「大体から、言い回しがおかしすぎるんだよ、そんなの誰だってきづかねーよ」
やれやれ、と言った感じで利樹はそう言った。月夜はうつむき、へこんだ様に声を出す。
「だってさぁ・・・俺なりに精一杯考えたつもりなんだよ?」
「それで精一杯考えたとか言ってるようじゃ、小学生でももっとましな答え出してくれるぜ?」
追い討ちをかけられた月夜はただうつむいて黙るしかなかった。さすがにそんな月夜を見て、可哀想に思えてきたのか利樹は口を開く。
「まぁほら、楓ちゃんなら大丈夫だろ、多分。教室に戻ったら、どこ行ってたのよ!とか言うに決まってるぜ」
「それならいいんだけどなぁ・・・素直に感情を出すのは苦手だよ俺は・・・」
護るとは言った。しかし、月夜は一言も楓に好きとは言っていなかった。もちろん楓もそんなことは一言も言ってないわけだが。とにかく、破壊や保護は得意とする月夜だったが、恋愛ごとに関しては今時の小学生にすら負ける月夜だった。
「なるようになるんじゃねーの?簡単に切れるような腐れ縁じゃねーだろ、お前らは」
「壊れるのはあっという間なんだよ・・・どんなものでもな」
絆でも物でも、例え人でも。月夜はそれをよく理解していた。そんな月夜の事情を知らない利樹は、「かっこつけてるんじゃねーよ」、と肩をばしばし叩いた。そんなことをしている間に、一時間目終業のチャイムが流れた。
「やれやれ、完全にさぼっちまったな・・・二時間目からはしっかり出るぞ、つーかホームルームすら出させてもらえなかったからな、学校自体さぼりか休みだと思われてそうだ・・・」
嘆く利樹に月夜は呟く。
「悪かったな・・・今度昼飯おごるからチャラにしてくれよ」
「そいつはいい、精々高いものを食べさせてもらうとするか」
よっ、と立ち上がりながら人の悪い笑みを浮かべ、利樹は言った。
「千円超えたら死刑な」
利樹に続き立ち上がる月夜。笑いながら言っているが、目は全然笑っていなかった。
「任せとけ、しっかり九百九十九円でとめてやるぜ」
「むしろそんなことできる方がすげーっつうの・・・」
利樹は笑いながら、月夜は溜め息をつきながら二人は教室に戻って行った。
「月夜、利樹君、どこいってたのよ!?」
利樹の言ったことは正解だった。教室に戻るなり、二人を見つけた楓がそう叫んでいた。
「な、大丈夫だったろ?」
「お前にはたまーに驚かされるよ、マジで」
楓に聞こえないように呟き合う二人の前に、楓が走ってきた。そして、心底焦っているように口を開く。
「大変なんだよ!紫が・・・紫が・・・」
その動揺ぶりを感じ取った二人は、ただごとじゃないことを悟った。
「紫ちゃんがどうしたって?」
「紫がどうかしたのか?」
「紫が・・・神隠しにあったって!」
楓のその言葉に、二人は口を開くことができなかった。止まっている二人に、楓は口早に伝える。
「今朝ホームルームで・・・って利樹君!?」
楓が言い終える前に、とっさに利樹は動いていた。その速さに呆気にとられていた月夜と楓は、状況の深刻さに気づきすぐに利樹の後を追った。
「待てよ利樹!」
二人が追いついた時には、もう利樹は学校の下駄箱にいた。その速さには陸上選手ですら舌を巻いただろう。それほど、利樹は必死だった。
「ばかやろう!待ってなんていられるか!!」
利樹はそう叫び、靴を履き替えてすぐに外へと走っていく。
「あいつ、我を忘れてやがる・・・俺らも急ごう、楓」
「うん、もちろんだよ!」
先ほどのけんかがなかったことのように、二人は急いで靴を履き替え利樹を追いかけた。
なんとか校門を出る前に利樹に追いついた月夜。本気は出さなかったとはいえ、月夜自身も追いつくのにここまでかかるとは思わなかった。
「落ち着けって!」
「落ち着いてなんかいられるかよ!」
月夜の手を振り払って今すぐにでもまた走り出してしまいそうな利樹、それを止めたのは後から追いついてきた楓だった。
「居場所も分からないのに、どうやって捜すつもりなの!?」
はぁはぁと肩で息をしながら、楓がそう叫ぶ。それを聞いた利樹も叫び返す。
「そんなもん走ってればいつか・・・」
月夜の平手打ちが、利樹のその言葉を遮った。
「何す・・・」
「少しは冷静になれ!心配なのは何もお前だけじゃないんだ!」
利樹はそこで初めて気づいた。月夜も楓も、険しい表情をしていることに。利樹は叩かれた頬をさすりながら、「じゃあどうすればいいんだよ・・・」、と弱弱しく呟いた。
「月夜、なんとか出来ないの?」
「任せろよ、こんな時にこそ使わないと、俺は本当にただの・・・」
兵器、と言いそうになったのを月夜はなんとか止める。事情の知らない利樹がいたし、何より、もう楓の前で自嘲する自分を見られたくはなかった。
「・・・お前ら何を?」
訳が分からず問いかける利樹を、楓が手で制する。
「絶対大丈夫だから、月夜なら・・・」
月夜と楓の間にあるものは信頼という言葉では表せないほどだった。何より、楓は月夜を破壊兵器だと思ったことは一度もないのだから。
「木曽根紫・・・身体条件全て確認、索敵モードオン・・・」
うつむきながらぶつぶつと呟き始める月夜。瞳が闇に染まっていき、纏っている雰囲気が人間味を失っていく月夜を二人は固唾を飲んで見守った。
「いた・・・!」
ぶつぶつと言い始めてから数秒後、月夜は顔を上げてそう叫ぶ。
「ここから走って十分もかからない場所だ、行くよ二人とも」
先頭を走り出す月夜、それについていく二人。後ろの二人を置いていかないように、スピードをうまく調整しながら月夜は駆け出していった。
数分ほど走った三人の前には、数週間前に廃止されて以来使われていない工場があった。
「こんなとこに・・・?」
利樹が不思議そうに呟く。
「ああ、確かにここだ・・・紫ちゃん以外にも何人かの生命反応が感じられる」
「紫は無事なの?」
膝に手をつき、荒い息をなんとか抑えようとしている楓が月夜に聞く。
「どこにも外傷はないよ、ただ眠らされてるみたいだ・・・」
「そんなことはいいから、早く中に入ろうぜ!」
利樹は閉められている工場の扉に手をかける。しかし、鍵がかけられているのか、扉は押しても引いても殴ってもびくともしなかった。
「どいてろ利樹・・・うらぁっ!」
利樹を後ろに下げ、掛け声と共に扉に跳び蹴りを放つ月夜。鉄製の扉がひしゃげて工場内へと飛んでいく。
「だ、誰だよぉ!?」
弱弱しい男の声が、光りの差し込んだ工場内から響いた。奥にいるのか、男の姿は見えなかった。
「奥だ!」
利樹が叫び、全力で声のした方向に走っていく。月夜と楓がそれに続いて走っていく。
「だ、誰なんだよ!?こっちにくるなよぉ!」
叫ぶ声がどんどん近くなっていく。月夜は変な違和感を感じた。
(こんな気の弱そうな声を出す男が犯人なのか?)
月夜は釈然としない気持ちを抱えたまま、三人はいくつかの角を曲がり、工場の最奥に着いた。そこには眼鏡をかけている太った男がいた。誰が見ても、気の弱そうな男だ、と言いそうなその男は、突然やってきた三人に狼狽していた。
「おいお前!お前が誘拐犯か!?」
利樹がそう叫ぶ、利樹もやはり疑問に感じていたのだろう、こんな男が本当に?、と。
「ぼ、ぼ、僕じゃないよぉ!」
否定する男に、月夜が叫ぶ。
「じゃあなんでこんなところにいるんだ!?それに・・・そこのテントの中になんで何人もの女性がいるんだよ!?」
男の横には大きめのテントが張られていた。だが、一般人にはそこに女性がいるなどと分からないだろう。
「な、な、な、な、なんのことかな、僕は何もしらないよぉ」
明らかに狼狽している男、誰が見てもその姿は本当の焦りに見えただろう。月夜ですら、気づかないほどに。
「なめやがって・・・このくそやろう!」
利樹が真っ先に走り出し、その男に飛び掛ろうとした。その瞬間、月夜は悪寒を越える肌寒さを感じ、とっさに叫んだ。
「利樹!危ない!!」
「なんだ・・・え?」
走り出していた利樹の額に、いきなり横一線の切り傷が出来ていた。鋭利な刃物で切られたかのようになっている傷口から、血が滴り落ちる。
「ざぁんねぇん、はずしちゃったぁ」
いつの間にか利樹の目の前に立ち舌ったらずで喋りだす男、先ほどまでの弱弱しさなど微塵も感じられなかった。
「な・・・何が起きたんだ・・・?」
尻餅をつき、自分の額に手を当て何が起きたか分からない、といった風に利樹は声をもらす。
「まぁいいかぁ・・・ひゃひゃひゃぁっ・・・あぁ!?」
「うるせぇんだよてめぇ」
人の目ではとらえられない程の速さで動いた月夜の蹴りが男の顔面にめり込み、男は後ろへと吹っ飛ばされる。
「大丈夫!?利樹君」
今まで固まっていた楓が走って利樹の元に寄る。
「大丈夫だ、傷はそこまで深くない」
混乱して声を出すことが出来ない利樹の代わりに、月夜が楓にそう告げる。楓は安堵の息をもらしながら、常備しているハンカチを利樹の額に当てる。
「問題は・・・こっちだよ」
月夜は微かに闇に包まれた瞳を、先ほど吹っ飛ばした男に向ける。置いてあったいくつかのコンテナを突き破り吹き飛んでいった男、普通の人間ならば、まず死んでいるだろう。
「そぉのとぉりぃ」
月夜にそう返したのは、先ほど吹っ飛ばされた男だった。自分の上に乗っていたコンテナの残骸をなぎ払い、男は超然と立ち上がった。それを見た楓と利樹は、信じられないようなものを見た顔をしていた。
「嘘・・・」
「化け物かてめぇ・・・?」
先ほどの衝撃で眼鏡をなくした男は、その顔を歪め笑った。
「ひゃっひゃっひゃはぁ、化け物?化け物!?違う、僕は神になったんだよぉ!見ろよぉほらぁ、あの程度じゃぁ傷一つつかなぁいんだぁ!」
「だからうるせぇ、って言ってんだろ?」
男の頭上に月夜が跳び上がり、頭を狙って全体重をこめたかかと落とし。それを見ていた楓と利樹、月夜すらも終わりだと思っていた。が、そのかかと落としは狙った頭ではなく、男の腕によって止められていた、ただの一本の腕に。
「なっ・・・」
そして月夜は上に弾き飛ばされた。十メートルはありそうな工場の天井を突き破り、青空の下に晒される月夜。
「はは・・・良い天気じゃないか」
全く焦りのないその言葉。落ちていく感覚すら、月夜には心地の良いものだった。再度天井を突き破り、今度は下に落ちていく月夜。工場の地面に叩きつけられ、地面に小さな穴を開ける。
「月夜ぁ!!」
「ひゃっはっはっはぁぁぁ、よわぁい、弱いなぁ」
楓の叫びを聞き、男は笑いながら、月夜が落ちた地点を見た。
「そう心配すんなって・・・言ったろ?護るって」
小さな穴の中から、月夜の声がした。
「それより、お前ら無事か?」
「こっちは大丈夫だから・・・無理しないで」
天井の破片に巻き込まれないように、楓と利樹は工場の端に移動していた。
「おい、何がどうなってるんだ!?」
全く状況についていけていない利樹は、そう叫ぶ。楓は額にハンカチを当てたまま、「後で」、と呟いた。
「あれでぇ、しななぁいなんてやるじゃないかぁ、でも君はぁしぬんだよぉ!」
男が動く、いまだに動かない月夜がいる小さな穴に飛び込み両腕をたたきつけようとした。が、その瞬間、月夜がいる小さな穴から火柱が立ち昇った。天まで届きそうな炎が男を包み込み、その姿を消し去る。
「ぎゃーぎゃーうるせぇつってんだろうが・・・三回も言わせやがって」
月夜は立ち上がり、ぼろぼろになった制服に目を落とす。
「あちゃあ、こりゃクリーニング出してもだめだな」
「月夜ぁ!」
ぼろぼろの月夜に楓が泣きながらとびつく、とは言っても、ぼろぼろなのは服だけだが。
「楓、怪我ないか?利樹も、浅い傷とはいえ病院は行けよ?」
利樹は、自分を見た月夜を恐怖の目で見た。
「なんなんだよお前ら・・・」
かろうじて、それだけが声に出た。月夜はその利樹の目を見ながら、切なそうに言った。
「単なる兵器さ・・・人の形をしたな」
「そんなのじゃない・・・月夜は兵器なんかじゃない!」
楓が必死に叫ぶが、月夜は続ける。
「いいんだよ、兵器として生まれても、こうして誰かを助けることが出来る。それで嫌われても、恐れられても、俺はかまわない」
凛とした瞳で利樹を見つめる月夜。その瞳は、もういつもの月夜に戻っている。
「さて・・・帰ろうか、紫ちゃんは連れていくとして・・・他の人は警察にでも任せたほうがいいかな?」
「・・・たすけてぇ、しにぃたぁくなぁいよぉ・・・」
弱弱しい声が、三人の間に流れる。月夜は至って普通に、楓と利樹は驚いた顔で声のした方向を見た。そこには、火に焼かれ黒くなっている男がうつぶせになってこちらを見ている。
「月夜・・・あいつまだ生きてる・・・」
楓が月夜にしがみつく。そんな楓に、月夜はなんでもないように口を開く。
「そりゃ殺す手前まで威力抑えたしね、むしろ生きてないと俺が困るよ」
「え?」
月夜の言葉の意味が分からない楓は、ただ月夜を見たまま固まっていた。
「・・・事件の真相、とかか?」
大分冷静さを取り戻してきた利樹が、月夜に言葉を投げる。「んー・・・」、月夜は困ったように後頭部をかく。
「それもあるんだけどさ・・・」
月夜は自分にしがみついている楓の顔をちらっ、と見てから言う。
「楓が言ったこと、だろ?」
ぽんぽん、と楓の頭を軽く叩く。楓は少し考え、そして口を開いた。
「もしかして・・・誰も殺しちゃだめ、って言ったやつ?」
「そうそう、忘れてたのか?結構手加減するの難しいんだよ?」
どうやら楓は忘れてたようだ。その証拠に、申し訳なさそうにうつむいてしまった。
「おまえらぁ・・・むしぃしないでぇ、たぁすけてぇ」
なんとも情けない声で男は言う。その舌ったらずな喋り方が、より一層男を惨めにしていた。
「死にはしねーよ・・・それで、お前は何者なんだ?なんでこんなことをしたんだ?」
月夜は冷たい目で男を見下ろした。男は月夜の声が聞こえてないかのように、一人呟き始める。
「うぅ・・・いたいよぉ・・・あいつぅ、うそついたなぁ・・・何が・・・なにがぁ手をかせばぁ、神にしてくれるだぁ・・・」
「あいつ・・・?手を貸せって、なんのことだよ」
男は独り言を続ける。
「後はぁ好きにしてぇ、いいっていってたのにぃ・・・お前、お前さぇ、殺せばぁ・・・ぎゃぁぁぁぁぁっ!?」
慎重に聞き逃さないように男の声を拾っていた月夜は、突然起きた事態に目を見張った。倒れていた男の背中に、いつの間にか現れた何本もの光の矢が降り注いだのだ。男はもがくように、助けを求めるように、片手を少し上げ、そして絶命した。
「いや・・・いやぁぁぁぁぁぁっ」
「月夜・・・お前が、お前がやったのか!?」
男が無残に死体に変わる姿を目の当たりにし、泣き叫ぶ楓。同様に青ざめた顔をしながら疑問を叫ぶ利樹。月夜自身、何が起きたのか全く分からなかった。
(いつの間にか・・・とんでもない事件に巻き込まれた・・・ってわけか)
月夜は体にまとわりつく嫌な感覚を拭うことが出来ず、しばらくの間そこに立ち尽くした。
「覚せい剤により狂った青年の犯行、発見された女性たちは眠らされていたが、全員怪我もなく無事保護され、帰路に着いた。しかし、その時のことは全員覚えてないという・・・か」
月夜はジュースをすすりながら、一人、学校の屋上で新聞を広げていた。昨日自分の身に起きた事件を、月夜はゆっくりと考えていた。
(最後にあいつが言ってた言葉・・・誰かがあいつに力を与えたのか?手を貸す・・・どういうことだろう)
物事を順序良く並べ、なんとか整理しようと試みる。しかし、どうにも不明な点が多すぎて正確な答えを導き出すことはなかなか出来なかった。
「お前さえ殺せば・・・か、俺を狙った誰かの罠ってことかなぁ」
(必ず残されていた一つの身元を表す品・・・誰かによって力を与えられた男・・・待てよ?最後に誘拐されたのが紫ちゃんだとすると、事件性を見せつけ俺を誘う罠だったのか・・・?)
どうにもうまくまとまらない月夜だったが、一つ分かったのは、月夜の命を狙っているのは、月夜と同じか、もしくはそれに似通った何かであることは間違いなさそうだった。
「あーもー・・・ただ俺は、平和に暮らしたいだけなのにな・・・」
柵に寄りかかり、広々とした青い空を眺める。
(空を飛んでいる鳥は自由なのに、なんで飛べる俺は自由になれないんだろうな・・・)
元より、真の自由なんてないことが分かっていた月夜だったが、今はそれがあると思いたかった。
「月夜!」
「うわっ!?」
不意なことに驚く月夜。いつの間にか側には、楓と紫、そして利樹の三人が立っていた。
「やれやれ・・・またさぼりか?お前は」
「勉強出来ると言っても、授業に出ないと進級できないわよ?月夜君」
「留年したら、ちゃんと楓先輩って呼ぶのよ?」
「って、ここにいるってことはお前らもさぼりじゃないのか?」
各々に好き勝手言う三人に、月夜はぼやく。
「もうお昼休みだもん、私たちがいてもおかしくないんだよ。朝からいなかった月夜と違ってね」
「うぐっ・・・色々考えてたんだよ」
「それなら学校休めばいいだろうが、まぁいい・・・ちょっとこっち来いよ」
利樹は楓と紫に、先に食べててくれ、と言い残し、月夜の腕を引いて二人とは離れた場所に腰を降ろした。
「それで、昨日のこと説明してくれんのか?」
額の部分に包帯を巻いた利樹が、自分の額を指差しながら月夜にそう問いかける。
「言っても信じるかどうか・・・」
「信じる信じないは俺の勝手だろ?」
信じる信じない云々ではなく、月夜自身、自分のことを語るのが嫌だった。
「一言で言うなら・・・そうだな、生物兵器みたいなもんだよ」
一番分かりやすく言うと、その言葉が一番しっくりとくる。
「生物兵器・・・?よくわかんねーけど、要するに人間じゃないってことか?」
さらりと利樹は言うが、つい月夜は反応してしまう。人間じゃない、という言葉に。
「さあね、俺もよく分かってないんだ・・・俺のこと怖いと思うなら、近づかない方がいいよ」
自嘲気味に笑いながら、月夜は言う。
「何やら誤解があるようだな・・・別に怖いなんて思っちゃいないさ」
いつもの飄々とした態度で、利樹は続ける。
「あれから色々考えたが・・・月夜は月夜だしな。本当のところはよ、紫を助けてくれた礼を言おうと思ってたんだよ、それに俺も助けられたしな」
「礼?言われるようなことはしてないさ」
謙遜ではなく、それは月夜の本心だった。自分のせいで巻き込まれたのなら、むしろ非は自分にある。と月夜は思った。
「お前がいなかったら、紫がどうなってたか分からなかったさ・・・あのヘンタイヤローに何されてたか・・・」
月夜はその言葉に激しく同意した。確かにあの男はヘンタイっぽかったからだ。
「だから、助けてくれてありがとう」
丁寧に頭を下げる利樹を見て、月夜は微笑んだ。
「お前にはそーいうのにあわねぇよ、それに、一番必死になってたのはお前だろ?」
「似合わないとはなんだ・・・まぁいいか。もう少し、素直になってみるかと、本気で思ったよ」
月夜と利樹は、横目で楓と紫を見る。
「失ってからじゃ、遅いよな・・・」
「ああ・・・後悔してからじゃ、遅いんだよな」
「戻るか、利樹」
「だな」
今回のことで少し成長した月夜と利樹は、自分たちを待つ二人の元へと帰っていった。
「しかしまぁ、昨日は色々あったよなぁ・・・」
料理を作る楓の後姿を眺めながら、月夜は話しかける。
「そうだねぇ・・・そういえば、利樹君に何か言われた?」
どうやら楓は、ずっとそれを心配していたらしい。今日は帰りも四人一緒だったので、中々言い出せなかったのだろう。
「礼を言われたよ、友達っていいもんだよな・・・」
先ほどの屋上での利樹を思い出し、月夜は微笑む。
「利樹君がお礼を言うなんて・・・柄じゃないね」
楓も、ふふっ、と笑う。
「そういや・・・あいつ病院行ったのかな、なんか聞いてない?」
月夜は思い出したかのように、楓に聞く。
「行ってないらしいよ、お母さんに包帯巻いてもらったらしいし」
「あんな傷親に見せたら、何か言われるだろうに・・・」
とは言いつつも、母親に包帯を巻いてもらっている利樹を想像したら、笑いが出てしまう月夜だった。楓は料理をお皿に盛り付けて、月夜の前に並べていく。
「病院行っても何か聞かれるでしょ?結局一緒だと思うよ」
「それもそうか・・・紫ちゃんには、何も言ってないだろ?」
お皿を並べ終わった楓が月夜の対面側に座り、口を開く。
「もちろん言ってないよ、覚えてない方がいいこともあるしね」
「もっともだ・・・利樹にはばれたけど、知らないほうが安全だと思う」
いただきます、と二人で言ってから食べ始める月夜と楓。
「そういえばさ・・・」
「ん?どうしたの?」
月夜は言いにくそうにしながら、それでもしっかりと口を開いた。
「昨日はごめんな?わがまま言って」
「いきなりどうしたの?悪いものでも食べた?」
みもふたもない楓の物言いに、月夜は言い返すまねはせずに自分の気持ちを伝える。
「いや、楓のこと傷つけたかな・・・ってさ、ほんとごめんな」
「・・・私もひどいこと言っちゃったから、私こそごめんね」
お互いに謝る二人。そして月夜は、回りくどい言い方をしないで、直球で楓に言うことを決めていた。
「本当はさ・・・ただ、楓の作ったお菓子が食べたかっただけなんだ」
言いながら顔を赤くしている月夜。それにつられて、楓も顔を赤くする。
「実はね・・・私お菓子の作り方しらないんだ、クッキーとかケーキとか」
楓も自分が作れないことを告白する。だからこそ、茜やランスの話が出てきたときに楓は気を悪くしたのだった。
「そうだったんだ・・・それなら言ってくれれば良かったのに」
「だって悔しいじゃない・・・お姉ちゃんは、お菓子の作り方だけは教えてくれなかったし」
女としてライバル的存在だった楓に、茜としてそこは譲れないところだったのだろう。
「そんなもんかなぁ・・・でもさ、甘い物食べたいのは本当なんだよね。楓の手作りで」
話がややこしくならないように気をつけながら、月夜は楓に言った。
「うー・・・がんばってみようかな?」
料理自体は好きな楓としては、自分のレパートリーが増えるのも嬉しいし、月夜が喜んでくれるのは嬉しかった。
「じゃあ俺と一緒に作ろうか?一緒に勉強しながらさ」
「楽しそうだね、がんばっておいしいの作れるようになりたいね」
まるで新婚のような二人は、その後も色々な話をして楽しんだ。
これからも、自分を狙った事件が増えるかもしれないと月夜は思ったが、楓を護りながら、ずっと一緒に歩んでいきたいと強く心に誓った月夜だった。
ああ・・・戦闘シーンがへぼい、へぼいよ・・・
人はどれだけ不器用だったら、こんな行動とるのか全く分からない、不可思議な月夜君でした。




