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それぞれの帰るべき場所

日常・・・それは退屈なものであり、何よりも大切なものだと俺は思う。退屈な今を抜け出して、スリルや夢のある心躍る冒険に身を投じたいと、誰もが一度は思うかもしれない。それでも、やっぱり帰る場所は日常であり、退屈な日々・・・そんな、変わらずに迎えてくれる日常があるからこそ、俺は頑張れるし、笑っていられるんだ。



「あー・・・さみいなちくしょう」

夢から覚めた月夜は、自分の部屋の天井を見ながら呟いた。その顔には、うっすらと涙の跡が残っている。

「今回はどれだけ寝てたんだろうな・・・留年になんてなったら、笑い話にもならないな」

のろのろと体を起こし、大きく伸びをする。色々なことがあったにも関わらず、月夜はなぜかひどく落ち着いていた。修羅場経験が長い月夜だからこそ、全てが終わったことを、どこかで感じたのかもしれない。

「さて・・・腹減った」

のほほんとマイペースに呟きながら、月夜は自分の部屋を後にした。



「おはよー」

月夜がリビングに行くと、今この家に住んでいる月夜以外の四人がご飯を食べているところだった。

「あ、おはよー・・・って、月夜!」

月夜のいつも通りの雰囲気にのまれ、普段通りに挨拶してしまった楓は、すぐに現在の状況に気づいて月夜に飛びついた。

「おわ!」

倒れそうになりながらも、どうにか楓を支える月夜。しかし、

「おにーちゃん!」

更にリミーナの追撃が加わり、月夜は豪快に後ろに倒れた。後頭部を強かに床に打ちつけたものの、気絶は免れた月夜だったが、楓とリミーナに強く抱きつかれ身動きがとれなくなっていた。

「もう・・・!ほんとに心配ばっかりかけるんだからぁ!」

「そうだよお兄ちゃんは!」

「いや・・・ちょ・・・待て・・・首、首しめんな!」

じたばたと暴れるが、二人の心配パワーの前に虚しくもその動きは意味を成さなかった。

「あっはっは、おはよう月夜。相変わらず賑やかだなお前は」

「おはよー、そうだね、両手に花でもてもてだね」

そんな三人を見ながら、のほほんとした声で言うランスと茜を月夜は睨む。

「そこ、ゆったりしてんな!助けろ!」

慌しい月夜の声をよそに、ランスと茜は遠い目で答える。

「僕らはすっかり蚊帳の外だしなぁ・・・」

「そうだねぇ・・・」

もしかしてこの二人、説明すらせずに連れてかなかったこと怒ってるのか・・・?

月夜の中でそんな疑念が浮かんだが、それに突っ込んでる余裕も弁解する余裕も今はなかった。

「月夜ー!」

「おにいちゃーん!」

「分かったから、分かったからいい加減はなせー!」

切なくも虚しく、月夜の声は家に響くだけだった。


落ち着いた楓とリミーナが、月夜を解放したのはそれから数分後のことだった。危うく呼吸困難でまた気絶しそうになった月夜だったが、またやられてはたまらない、という意気込みでそれだけはなんとか避けた。

「で・・・お前らは俺を殺す気ですか?」

いまだにぜぇぜぇと肩で息をしながら、月夜は椅子に座って四人を見る。落ち着いた一行は、各々の席についていた。

「だって・・・月夜倒れてばっかりだし・・・私だって、心配なんだよ?」

そんな風に楓にしおらしく言われては、月夜も怒る気力がなくなってしまった。

「いや、倒れるのは不可抗力っていうか・・・大体から記憶ないし俺のせいじゃないし」

「お兄ちゃんってば、ほんと楓お姉ちゃんには甘いんだから」

言い訳をするように弱弱しく言う月夜に、リミーナの鋭い指摘がとんだ。

「うっせ、やられてばっかの癖に」

「何よー!」

ペチペチと相も変わらず、じゃれあうように叩き合ってる二人の間に、ランスの声が割って入った。

「ほら、そんなことしてる場合じゃないだろう?」

「ん?」

ランスの言葉の意図が分からず、月夜は疑問の眼差しをそちらに向けた。

「うちらにも、分かりやすいように説明して、ってことかな。楓とリミーナちゃんから、全然説明されてないんだよ?」

「そうそう、いきなり帰ってきたと思ったらいきなり出て行って、しまいにはお前が気絶して帰ってきて・・・さっぱりだよ」

仲間外れにされたような含みがあるランスと茜の言葉に、月夜は苦笑した。

「悪い悪い、でも状況が状況だったんだよ。関係のない二人を、危険に巻き込むわけにも行かなかったし」

月夜のそんな言葉に、ランスと茜は切なそうに目を伏せた。

「関係ない、ってことはないだろ?確かに・・・僕らじゃ何も出来ないかもしれないけど」

「うちら姉弟でしょ?関係ないなんて、ちょっと寂しいよ・・・」

二人の言葉に、場が静まった。こんな風に本当に心配してくれる二人だからこそ、月夜は尚更危険に巻き込みたくはなかった。

「そうだな・・・関係ない、なんて言って悪かったよ。でも、兄貴と姉さんが心配してくれるように、俺も二人が心配なんだよ。・・・二人は、かけがえのない、大切な兄弟なんだからさ」

月夜の本気の想いが込められた言葉に、場がしんみりとする。月夜にとって大切なのは何も楓だけじゃない、ここにいる全ての人間が、兄弟が、何ものにも代えがたい大切な人たちなのだから。

「まぁ、だから事後報告って形になっても、許してくれよ、な?」

しょうがないな、とランスと茜は微笑みながら言った。

「んじゃ、どこから説明したもんかねぇ・・・」

悩みながらも、ルシファーに関する一連のことを二人に説明する。その間二人は、信じられないようなことも文句を言わずただ黙って聞いていた。


「・・・まぁ、そういうわけだ」

「天使と悪魔・・・か。本当に存在してたとは、いやはや驚きだね」

「うん、聞いてた限りじゃ・・・やっぱり、人間って何も変わってないんだね」

二人は頷き合いながらそう口にする。

「誰が悪かったなんて、一概には言えないよね」

楓の言葉に、全員が頷いた。特にその中でも、ルシファーの気持ちを自身のことのように感じさせらた月夜の気持ちは、複雑だった。

「何が悪くて何が良いのかなんて、誰にもわからないさ。だから、俺ら人間は、自分が信じるものの為に・・・争い、殺しあうんだ、そうだろ?」

「いつだって戦争戦争・・・ほんと、嫌になるよね」

兵器として人に造り上げられた月夜とリミーナの言葉は、誰よりも重いものがあった。

「あ、そういえば」

ふと気づいたように、月夜は声を上げる。

「戦争はどうなったんだ?」

本来ならば何も知らない月夜は焦るはずなのだが、なぜかその声は落ち着いていた。まるで、結果を知っているかのように。

「戦争は無事・・・でもないか、とにかく、終わったみたいだよ」

「過去に類を見ないほど早く終わった、ってニュースで騒いでたね」

ランスと茜が答える中、楓とリミーナは愁い顔で俯いている。

「葉月、か」

月夜の言葉に、楓とリミーナがビクッ、と震えた。やっぱりそうか、と月夜は嘆息する。

「なんとなく、そんな気がしたんだよな・・・それで、あいつ今どこにいるんだ?」

礼の一つぐらいは言ってやろう、と思った月夜は、楓とリミーナに尋ねた。

「・・・分からないよ」

楓が、弱弱しくそう呟く。月夜は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐにその表情を険しくする。

「分からないって、まさか・・・?そんなこと、あるはずないよな?」

自分が考えてしまったことを認められないように、月夜は聞く。しかし、楓とリミーナは答えない。

「戦争を止めたのは、葉月っていうやつなのか?ニュースで聞いた限りじゃ、翼の生えた人間のような生物が、争う両軍の何割かを壊滅させた挙句、総司令部を潰したらしいけど・・・そう言えば、そいつは、日本の総司令部で死んでいたらしいな・・・」

黙っている二人の代わりに、ランスがそう説明した。

「え・・・?」

ランスの言葉を聞いて、月夜は驚きを隠せなかった。死んだ?誰が?・・・葉月が?

「な、何言ってんだよ兄貴、あいつが・・・あいつが、死ぬわけないだろ?」

「そ、そんなこと僕に言われても・・・」

取り乱している月夜に、今まで黙っていた楓が口を開いた。その声は、とても弱弱しい。

「多分・・・本当だよ、月夜」

「どうしたんだよ楓?お前まで・・・あいつが、死ぬようなたまじゃないことぐらい知ってるだろ!?」

言葉を荒くして叫ぶ月夜に、楓はどこまでも・・・どこまでも落ち着き払った哀しさを湛えて言う。

「私だって、そう思いたい・・・思っていたいよ・・・でも、最後のお別れの時・・・彼は、すごく寂しそうな顔をしてた・・・まるで、自分の未来を知っているかのような・・・そんな、寂しそうな、顔・・・」

その言葉で、月夜も思い出す。いつも笑っていた嘘みたいな顔・・・信用ないなぁ、と言った時、一瞬だけ見せた哀しそうな顔・・・あいつは、あの時から、こうするつもりだったのではないか?という疑念が、月夜の中に浮かび上がる。

「・・・ふざけんなよ」

月夜は、言う。葉月に対する、怒りと哀しみを込めて。

「・・・ふざけんなよ!決着もつけてないのに、勝手に人が倒れてる時に勝手にそんなまねして・・・しまいには、死んだって・・・?あいつは、どこまで、人を馬鹿にすれば気がすむんだよ!?」

「違うよ!葉月君は・・・」

「分かってるよ!あいつは、最初からそのつもりだったんだろ?あいつは俺らを裏切ってなんかいなかった、最後の最後まで・・・悪者演じて、誰にも何も言わず・・・馬鹿だよ、大馬鹿やろうだよあいつは・・・!」

信用してもらえないと、哀しそうに言っていた葉月。人を騙すのは得意だと、嘯いていた葉月・・・その全てに、月夜は強い苛立ちを覚えた。

「葉月君、言ってたよ・・・本当は、ルシファーが隙を見せた時点で終わらせるつもりだった、って。月夜の手を、汚させるつもりはなかった、って・・・!」

利用した、葉月はそう言った。しかし、結局月夜に何かをさせる気はなかったのだ。戦争を止める犠牲になることも、ルシファーを殺すことも、結局は全て、自身で片をつけようと葉月はしていたのだから。あの時、葉月に対して怒った楓も、今はそんな気持ちは欠片もなかった。

「・・・結局あいつは、何がしたかったんだろうな?」

「分からないよ・・・そんなこと」

うなだれながら呟く月夜に、楓もうなだれながら答えた。葉月がどんな気持ちでその道を選んだのか、本当の葉月はどんな人物だったのか、今となっては、二人には知る術はなかった。

「・・・僕には、よく分からないけどさ。一応、全て片付いたんだ、少しは・・・元気出して、いかないか?」

今まで黙っていたランスが、見かねてそう言った。

「・・・そうだよ、二人がそんな調子じゃ・・・その、葉月、って人も嫌な思いをしちゃうんじゃないかな?」

励ますように、茜もそう言った。

「・・・そう、かな?・・・いや、そうかも、な」

疲れきった様に、月夜は声を絞り出す。結局のところ、悩んでいたって何も分からないし始まらないのだ。

「・・・とりあえず、ご飯、食べるか。悪いんだけど、何か作ってくれないか、楓」

「・・・うん、ちょっと待っててね」

台所に消える楓の後姿を見ながら、月夜は大きな溜め息をついた。



月夜が目を覚ましてから一日経った後、それぞれが今までの生活に戻った。月夜と楓とリミーナは学校に、ランスと茜は家で家事をするという、いつもの日常が始まった。


「なんか、懐かしい気がするな。全然、日もたってないのに」

二月という寒空の下、見慣れてるはずの通学路を月夜は楓と並んで歩いていた。

「そだね・・・色々なことが、あったからね」

二人は、まるで何ヶ月ぶりかのように、通学路を歩いた。実際は、一週間もたっていないはずなのに、それはとても懐かしく、そして新鮮に感じられた。

「結局さ・・・あいつには、助けられたな」

「うん・・・」

二人は思い出す、葉月という少年を。短い間に、二人の関係を、生活を引っ掻き回しまくった少年のことを・・・。

「あいつは、俺には出来ないことばっかりやってのけたよな」

女の子へのキザなセリフ、面白い話・・・そして、戦争を短時間で止めるということ。なるべく犠牲を出したくない月夜には、葉月がやったことは決してまねできない。それが良いか悪いかはともかく、グダグダな長期戦にすることを、世界を巻き込む戦争にするのを止めたのは、純粋にすごいことだった。

「でも、彼は彼で、月夜は月夜だから・・・」

うん、と月夜は頷く。今楓の隣にいるのは葉月ではなく月夜で、そして戦争を止める為に死んだのは月夜ではなく葉月・・・それは、変わり様のない事実だった。

「俺さ・・・みんなを護るためなら、死んでもいいって、ずっと思ってたんだ」

月夜は、とつとつと語り始める。

「でも・・・それってやっぱり、間違いなんだよな。哀しむ人が・・・辛くなる人が、いるから」

人は人として生まれた限り、死を正当化することは難しい。意味のある死も、意味のない死も、結局残された誰かを哀しませるものにしかならない。

「私は、月夜が死んだりしたら嫌だよ?」

「でも、だからといって代わりにあいつが死ぬなんてことも間違ってるんだ」

だって、人の命は平等なんだから。そう呟いた月夜は、誰よりも人間らしさを持っていた。

「私・・・嫌な子かもしれない」

楓は、哀しそうにそう言った。

「どうして?」

「だって・・・葉月君が死んで、哀しいと思う反面。月夜じゃなくて、良かったって思ってる・・・」

そう言う楓にも、同様に人間らしさがあった。矛盾を孕み、その矛盾に試行錯誤する。それが、人間なのかもしれない。

「それで、いいんじゃないかな」

「え・・・?」

「全てを想ったり、掴み取ったりすることなんて出来やしないさ。何かを、諦めないといけない時もあるさ・・・なんて、単なる詭弁なんだけどね」

月夜は、ばつが悪そうに頬をかきながら言う。

「楓がそう思ってくれて嬉しい、って俺は思ってるよ。あいつには、悪いけどさ・・・」

月夜のその言葉には、理屈も何もなかった。ただ純粋に、楓がそう思ってくれるのが嬉しい、そういう気持ちだけだった。

「うん・・・ずっと、一緒にいてね?」

屈託のない微笑みを浮かべながら言う楓に、月夜は顔を赤らめた。

「ああ、任せろ」

「ふふ」

色々なことがあった、それでも一緒にいられる幸せをかみ締めながら、二人は学校へと歩いていった。



久しぶり(に思える)の学校にも関わらず、月夜は相変わらず授業中に寝息をたてていた。いつもは静かに寝ているため、大体の教師が諦めて放っておくが、今日は勝手が違った。うーんうーん、とうなされていたり、ぐおーぐおー、といびきをかいたりしている。疲れてるのか?と教室の全員が思う中、さすがにうるさいので教師が月夜をゆすって起こそうとする。しかし、一向に起きる気配がない。教師が諦めようとした時・・・ペチン、といい音が教室に響いた。教室のほぼ全員の視線が集まる中、ペチペチと続けて音が響き、最後に、ゴスッ、という鈍い音が響いた。

「・・・痛い」

ようやく目を覚ました月夜は、頭をさすりながら口を尖らせる。

「何すんだよ、楓」

「何するんだ、じゃないでしょー。寝るのは勝手だけど、みんなに迷惑かけちゃだめよ」

月夜の頭を叩きまくっていたのは、いつの間にかその隣に立っていた楓だった。サーシャの件で、何かとやばい噂がたっている月夜の動向を教室のみんなは息を呑んで見守った。

「うーむ・・・うるさかった、俺?」

「ああ。楓、楓!って寝ながら叫んでたぞお前」

隣の席の利樹がからかうように言う。楓は容赦なくその利樹の頭もはたいた。

「利樹君?」

そう言う楓は、なぜか笑顔だった。

「嘘です、ごめんなさい」

なんとも言えない威圧に気圧され、利樹は素直に謝った。

「どこぞのコントみたいだな・・・あいたたたた」

ペチペチと再度頭をはたかれる月夜。

「月夜のせいでしょうが!」

「悪かった悪かった、うるさくしてすいませんでしたごめんなさい」

「もう寝ちゃだめだからね」

「はいよ」

そう言われ、楓は満足気に席に戻っていった。楓の隣の窓際の席に座っていた女生徒は、楓すごいね、と呟き。楓はそれに対し、いつものことだよ、と返していた。

その後の授業も、月夜がうるさく眠っているたびに、楓は四回ほど続けてやり、そして一日が終わった。一日の間に、楓の位置づけが、猛獣使い、になっていたことに本人は知る由もない。



放課後、月夜の席付近に、いつもの面子がそろっていた。月夜を始め、楓、利樹、紫の四人だ。

「なんか今日は、やけに攻撃的じゃないか、楓?」

何十回と叩かれた頭をさすりながら、月夜は不満の声をあげる。

「月夜が寝てるからでしょ?進級できなかったらどうするのよ・・・」

楓は楓なりに、月夜のことを心配しての行動だったが、実はもう一つ理由があった。月夜と学んだり、一緒の時間を共有したい、というものだったが、それは楓にとってわがままなことで、恥ずかしいことでもあったので口には出さない。

「月夜はともかく・・・俺も被害多いんだけど・・・」

「利樹は自業自得ね。余計な軽口ばっかりたたいてるから悪いんでしょ?」

月夜と同じく頭をさすっている利樹に、容赦なく紫は言い放つ。

「ちょっとしたお茶目じゃんか、なぁ、月夜」

「俺に振るなよ」

「みんな冷たいなぁ、クスン」

クスン、とか言ってる時点で、もうなんだかなぁ、といった感じの利樹だったが、いつもこんな感じなので誰もつっこまなかった。

「まぁ、さっさと帰ろうぜ」

月夜はそう言いながら鞄を持って立ち上がるが、誰も動こうとはしない。

「ん?どうしたんだ」

「えーとね、今日は私、紫と本屋に寄ってから帰るから、一緒に帰れないの」

「なんだ、そういうことなら先に言ってくれりゃいいのに。んじゃ、先に帰ってるわ」

月夜は特に気にした様子もなく、言う。

「俺も部活だからな、悪いなー月夜」

「お前は俺と方向違うだろうが」

ノリが悪いなぁ、と笑いながら利樹は月夜の肩をバンバン叩く。

「悪いわね、月夜君。楓、お借りするわ」

「ああ、気にしないでよ紫ちゃん」

そんじゃ、お先ー、と言いながら、手をひらひらさせて月夜は教室を出て行った。

「それにしても、珍しいわね。楓が本屋に誘うなんて」

「んー・・・なんでだろ?別に欲しい本があるわけじゃないのに・・・なんとなく、そうしなきゃいけない気がしたの」

本当に分からない、といった感じで首をかしげる楓を見ながら、利樹と紫も首をかしげた。

「ま、とにかく行って来ればいいんじゃね。俺もそろそろ行くわ、またなー」

そう言い残し、利樹も教室を去って行った。

「じゃあ、私たちも行こうか」

「そうね、ついでに、色々見てまわりましょ」

残された二人も、話しながら教室を出て行った。



「寒いなー・・・」

灰色の空を見上げながら、月夜は帰り道を歩いていた。月夜は灰色の空を見て、自分の深層心理の世界のことを思い出す。曇った冬の景色のように、灰色の世界、見渡す限りは荒野で、まるで死んでしまっているかのような世界。そして、そこで再会したルシファー・・・。彼の記憶を見て、気持ちを共有して、結局、何が正しくて何が間違っているのか、月夜には分からなくなりつつあった。

(愛する人のために・・・か。もし俺が、同じ状況に置かれたら、俺はどうするんだろうな・・・)

何ものにも代えがたい愛しい楓。もし楓を護るために、人類を全て殺さなきゃいけなくなったら?月夜には、答えが出せなかった。

(いや、前提そのものが矛盾してるし、ありえないこと、だもんなぁ)

一人の人間と、世界の人間全てを秤にかけること自体がおかしい。そう思いながらも、その疑問は月夜を悩まし続けた。

「月夜」

月夜が悩んでいると、誰かに声をかけられた気がした。

「ん?」

辺りを見回しても、そこには誰もいない。

「気のせい、か・・・」

気のせいとは思いながらも、その声が聞き覚えのある声だったため、月夜は戸惑った。

「まさか、なぁ・・・そう簡単に、死ぬたまじゃないとは、思ってたけど・・・」

そう呟く月夜に、再度声が聞こえた。

「公園」

公園?そう言われ、月夜の頭に真っ先に浮かび上がったのは、幼い頃よく遊んでいた家の付近にある公園だった。

「まどろっこしいやつだな・・・ここで姿を見せれば、いいのによ」

そう言いながらも、月夜の声にはどことなく嬉しさが込められていた。死んだと思っていたばかりに、その感動は大きかった。

「仕方ない、行ってやるか」

月夜は急ぐように足を速め、公園へと向かった。


数分足らずで、月夜は目的の公園についた。相変わらず、幼い頃と違って人はおらず、園内は静寂に包まれている。月夜は公園の中に足を一歩踏み入れた、その時、妙な感覚が体に走った。まるで薄い水の膜を通り過ぎたような、そんな感覚だった。

「なんだ?・・・まぁ、いいか」

月夜はそう言いながら、公園にある数少ない遊び場、ブランコに腰掛けた。鞄を地面の上に置き、前のめりになりながら膝の前で両手を組んだ。

「さて、いい加減姿を見せたらどうだ?なぁ、葉月」

「折角の感動の再会なんだ、もう少し雰囲気を出してくれても良いんじゃないかな?」

いつの間にか月夜の隣、もう一つのブランコに腰掛けていた葉月が、いつもの軽い笑みを浮かべて言う。どことなく、幽霊のような、そんな感じにうっすらとしている。

「馬鹿言え、なんでお前相手にそんな演出しなきゃならないんだよ」

呆れたように月夜は言う。しかし言葉とは裏腹に、まるで久しぶりに会った友人に言うような、そんな声だった。

「君はいつだってつれないね、そんなことじゃ楓に愛想尽かされちゃうんじゃない?」

「ないない・・・多分、ない」

いまいち自信なさげに言う月夜に、葉月は笑った。

「くすくす、君は相変わらずだね・・・」

「うっせ、そういうお前は、どうなんだよ?」

「どう、って何がだい?」

聞き返されて、月夜は軽く悩んだ後口にした。

「学校とかだよ、来ないと進級できなくなるぞ」

「学校・・・ね」

「ああ、確かにお前はあいつに言われて編入して来たのかもしれないけど、高校ぐらいは出ておいたほうがいいんじゃないか?みんなも、色男のお前がいないと寂しがるだろうよ」

葉月の様子がおかしいことに気づかず、月夜は皮肉気にそう言う。葉月はしばらく何かを考えた後、言いにくそうに言った。

「誰も、寂しがりなんてしないさ。君は、気づかなかったのかい?ああ・・・寝てばかりいたんじゃ、気づきようもないかな」

「は?何言ってんだよお前・・・?」

月夜の疑問を尻目に、葉月は続ける。

「いや、君達にももう影響が出てる、ということかな・・・」

寂しそうに、葉月は笑みを浮かべる。

「どういうことだよ・・・?」

「今なら、まだ分かるかな?学校で・・・教室で、変に思ったことはなかったかい?」

「変に・・・思ったこと・・・?」

そう言われ、月夜は元々回転の良い頭をフルで動かした。そして、すぐにいつもと違った異常な光景を、思い出した。

「あれ・・・そんな、なんで?」

「気づいた?・・・良かった、まだ完全に忘れられたわけじゃないみたいだね」

「待て、おかしいだろ?なんで・・・」

お前の席に、違う誰かが座っているんだ?

自分の声が、月夜には他人のものに感じられた。それ程、自分が言ってることがおかしく、信じられないことだった。

「でも、誰もそれを気にもとめていなかったはずだよ」

確かに葉月が言うとおり、誰もそれを気にしてはいなかった。周りの人間も、自分の席だと言わんばかりに座っていた人間も、月夜や楓でさえ、その異変に気づけてはいなかった。

「僕は・・・この世界にいてはいけない存在なんだ。ルシファー云々じゃない、もっと大きな、そう・・・世界そのものの道具として、使われる限りは、ね」

呆然としている月夜に、葉月はそう言った。いてはいけない存在・・・?そんなの、おかしいだろ・・・?

「道具って・・・なんだよ?世界そのもの?お前は・・・何を言ってるんだ!?」

「知らない方がいいよ、どうせ、言ったところで君は全てを忘れてしまうのだろうけど・・・」

「なんなんだよ・・・忘れるとか、一体お前は・・・」

「ありがとう」

月夜の言葉を遮り、葉月は突然感謝の言葉を口にした。

「は・・・?」

「だから、ありがとう。それだけを言いたくて、僕は戻ってきたんだよ。・・・楓には、未練を残してしまいそうで、会えなかったんだけどね」

いつもと違った微笑み、心からの笑顔を浮かべて、葉月は困惑する月夜に続ける。

「君達が忘れてしまう前に・・・言いたかったんだ。短い時間だったけど、僕は・・・君や楓、クラスのみんなと知り合うことが出来て、楽しかった。僕の短い命は、それだけで・・・意味を、持てたんだ」

うっすらと、葉月の姿が薄くなっていくような感覚に、月夜は身震いをした。

「何・・・言ってやがる!?感謝の言葉だ?そんなものいらねぇ!そんなもの・・・そんなものは、これからも、ずっと先も、言えるようなことだろうが!?」

今にも消えてしまいそうな葉月を引き止めるために、月夜はそう怒鳴る。

「君には分かるだろ?僕はもう・・・だから、最後に、言いたかったんだ・・・」

徐々に、空気に溶け込むかのように、葉月は薄くなっていく。まるで、最初から葉月玉という人間が、存在しなかったかのように。

「わかんねーよ!わかりたくもねーよ!」

分からなくても、いい。君には、そんな感覚、理解しないでもいい。

もはや、人の声なのかどうかすら怪しいほどに、葉月の言葉は現実味を失っていく。

「おい・・・葉月、待てよ・・・」

君達に会えて、本当に良かった。ありがとう・・・そして、さようなら。

その声は、月夜の耳に残る。

「おい!葉月・・・?おい!返事しろよ、おい!!」

それっきり、葉月の声はもう月夜には聞こえなかった。どんなに名前を呼んでも、叫んでも、葉月からの返答は一つとしてない。

「馬鹿やろう・・・この、大馬鹿やろうが・・・!」

涙を流しながら、月夜は叫ぶ。

「俺は・・・お前にまだ・・・ありがとうって、言ってないんだぞ・・・!助けてくれて、みんなを護ってくれて・・・自分を犠牲にまでして、戦争を止めたお前に、俺はまだ・・・自分だけ、好き勝手言って・・・消えちまいやがって!!」

どうしようもない気持ちになりながら、月夜は地面を殴る。どんなに涙を流しても、どんなに殴っても、葉月は月夜の隣にはいない。いや、もう世界に存在すらしていない。

「ありがとう・・・って・・・言わせろよ・・・!」

葉月が消えるまで、月夜はその言葉を口にすることが出来なかった。言ってしまったら、もう二度と会えない気がしたからだ。それが、最後の言葉になってしまうと、思ったからだ。しかし、結局月夜は葉月に礼を言うことは出来なかった。だからこそ、泣いた。虚しくて、切なくて・・・。ピキン、

「・・・な!?」

そんな月夜の気持ちを壊すかのように、何かが割れるような音がした。それは月夜だけに聞こえたようで、世界全てに聞こえたようでもある。時間にして、僅か一秒足らず。

「・・・あれ?俺、何してたんだっけ?」

僅か一秒足らずで、葉月の存在は・・・この世界から消え、そして、完全に忘れ去られた。

「なんで俺・・・泣いてるんだろ?」

月夜は、今どうして自分が泣いているのか分からなかった。それでも、忘れてはいけない何かを失ってしまったような・・・そんな気がした。

「なんだよ・・・どうして、こんなに・・・」

胸が痛いんだ?

涙は止まることを知らず、月夜はしばらくの間、胸を押さえ独り涙を流し続けた。



わけの分からない憂鬱を抱えたまま、月夜が家に帰ると、見慣れない靴が玄関先にあった。来客か?と思いながら声がするリビングに行くと、そこにはランスとリミーナ、そして、この家の住人ではない見慣れた顔がいた。

「サーシャ!?」

「やっほほー、月夜、元気してる?」

突然の再会に、月夜は驚いた。

「やぁ月夜、おかえり」

「おかえりなさい、お兄ちゃん」

「あ、ああ、ただいま・・・で、何でサーシャがいるんだ?」

月夜の言葉に、サーシャはむくれたように言う。

「何よ、私がいちゃいけないの?」

「いや別にいちゃいけないわけじゃないけど・・・俺は、なんでお前がここにいるんだ?って、理由を聞いてるんだよ」

「理由、それはねぇ」

サーシャはランスとリミーナの二人に目配せをした。二人は、なんとなく困ったような顔をする。

「上からの命令でね、そこの二人をうちの国に再びスカウトしにきたのよ」

「え・・・?」

「そういうこと、らしいんだよね」

ばつが悪そうに、ランスは頬をかく。

「色々あってさ、今は多くの国が不安定な状況なの。特に、その中でも日本とアメリカはね。お互い戦う意志はもうないし、平和協定やらなんやらの話が持ち出されてるみたいなんだけど・・・それでも国は混乱してる。だから、現役時代・・・いや、今も現役ね。優秀な人材であるランスを、軍に戻したいっていう要望が出てるのよ」

「今更?一度軍を辞めた兄貴を戻したいって、どういうことだよ」

サーシャは溜め息をつきながら、怒ったように言う月夜をとりなすように言う。

「それだけ、人材が不足してるってことなのよ。リミーナは、ティアーナ博士からの要望なんだけどね」

ティアーナ、その名前を聞いて、月夜も懐かしさを感じた。

「母さん、ね。服役中じゃなかったのか?」

「今はそんなこと言ってる場合じゃないのよ。彼女も優秀な人材の一人だからね、急遽牢の中から出れた、ってわけ。リミーナの場合は、国からというよりも、ティアーナ博士個人から、と思ってもらえればいいかしら」

「話は分かったよ。でも、スカウトしに来たってことは、強制じゃないんだろ?」

「一応ね、でも、二人は多少乗り気みたいよ?」

サーシャのその言葉に、月夜は驚いた顔で二人を見る。どちらも、ばつが悪そうな感じに答える。

「確かに、今の生活も悪くないんだけどさ・・・いつまでも、だらだらしてるわけにも、いかないかな、と思うんだよね。それに、なんだかんだで、あの国は僕の母国なわけだし」

「私も・・・友達やお兄ちゃん、楓お姉ちゃんと離れるのは寂しいけど・・・ママに、会いたい」

申し訳なさそうに答える二人だったが、同時に、かたい決意を感じさせるものがあった。

「二人が良いって言うなら、止める権利は俺にはないけどさ・・・少しぐらい、相談してくれてもいいんじゃない?」

「悪いな、その話自体急だったんだよ。僕もさっき、彼女に聞いたばかりさ」

当の本人、サーシャはゆっくりとお茶をすすっている。

「やれやれ・・・本当に、急な別れが多いな、今日は・・・」

自分が言った言葉に、月夜は疑問を感じた。多い?何で俺は、そんな風に思うんだろう?・・・まぁ、いっか。答えが出なかったため、月夜はすぐに諦めた。

「決まりで、いいのかしら?」

「ああ、思い立ったが、吉日ってね」

「そういや兄貴、姉さんのことはどうするんだ?」

月夜の指摘に、ランスは少し言葉を詰まらせた。

「あー・・・良ければ、一緒に来て欲しいんだけど・・・」

「なんで俺のほうを見て言うんだよ!大体から、姉さん今どこにいんの?」

「茜お姉ちゃんなら、さっき買い物行ったよ」

ランスの代わりに、リミーナがそう答えた。

「ということは、まだ何も知らないってわけか・・・姉さんなら、ついていきそうな気はするけどね」

月夜は大きな溜め息をついた。ランス、茜、リミーナ・・・三人がいなくなれば、また楓と二人きりということになる。それは月夜にとって嬉し恥ずかし的なことではあるが、同時に寂しいことでもあった。

「随分と、寂しくなるな・・・」

そう呟く月夜に、ランスは笑顔で言う。

「何言ってるんだよ、永遠の別れ、ってわけじゃないだろ?いつだって、遊びに来いよ、前みたいにさ」

「とはいっても、ねぇ・・・俺も学校あるし」

距離や休みを考えれば、精々、一年に一、二回会えればいい方だろう。月夜にはブラコンやシスコンの気はないが、それでもなんとなく寂しかった。

「私も寂しいよ・・・でもやっぱり、人間には帰らなきゃいけない場所っていうのがあると思う。私やランスは、本来ここにいて人間じゃないんだよ」

ここにいてはいけない人間、存在してはいけない人間・・・突然胸を締め付けられるような感覚に、月夜はその場にしゃがみこむ。

「ど、どうしたんだ?月夜」

「お兄ちゃん?大丈夫?」

心配そうに覗き込んでくる二人に、月夜は息も絶え絶えに言う。

「人間は・・・どこにだって、いても良いに・・・決まってるだろ?アメリカが・・・お前らの本来の居場所かも・・・しれない。でも、ここだって、お前らの居場所なんだから」

この場にいない誰かに言うように、もう言うことが出来ない誰かに言うように、月夜はゆっくりと言葉を続ける。

「だから、なんか会ったら、また帰って来いよ。お前らは大切な、家族だし。それに、少なくともここは、安らげる場所だったはずだぜ?」

月夜の言葉に、ランスとリミーナは照れたような笑みを浮かべる。

「お前がそんなこと言うなんて・・・驚きだよ」

「私も、びっくりしちゃった」

「俺のことを、いつもどんな目で見てんだお前らは・・・」

俺だって、みんなのこと大切に思ってるんだぞ。と言いながら、照れたように月夜はそっぽを向く。

「はは、悪い悪い・・・まぁ確かに、お前は優しいやつだもんな、うん」

笑いを押し殺すように言うランスに、月夜は、うっせ、と呟く。

「はいはい、別にすぐお別れってわけじゃないんだから、そんな感動の家族劇なんてやらないでいいから」

ぱんぱん、と手を叩きながら、今まで黙って見ていたサーシャが言う。心なしか、怒っているようにも見える。

「まーったく、少しは帰る場所がない者の立場にもなりなさいよね・・・とにかく、飛行機のチケットやらなんやら色々手続きもしないといけないから、三日はかかるわよ」

サーシャの言葉に、月夜は胸が痛むのを感じた。サーシャの帰るべき場所をなくしたのは、紛れもなく月夜本人だからだ。

(親のこととか、気にして無い風に見えて・・・結構、考えたりしてるのかも・・・な)

何か言うべきかどうかを迷ってる月夜をよそに、ランスが疑問の声を上げる。

「民間の飛行機で移動するのかい?軍の飛行機じゃなくて?」

「今は民間人であるあなたたちを軍の飛行機で運ぶわけにも行かないでしょ?・・・まぁそれは本当は建前で、ただ単にそんなものを出す余裕もお金もないのよ」

やれやれ、といった感じで、サーシャは溜め息を吐き出す。結構、苦労しているようだ。

「私も少し、ここで休ませてもらおうかしら。あなたたちが出発する、三日後ぐらいまでだけどね」

その言葉と共に吐き出された暗鬱な何かを見て取る限り、結構どころではなく相当苦労してるようだ。

「部屋は余ってるし、少しゆっくりしていけよ」

そんなサーシャの気持ちを汲み取ってか、月夜はそう言う。

「ん、ありがと。それじゃ私は早速・・・寝るわ。元々泊まる予定で荷物は持ってきてるしね」

椅子の横には、そこそこ大きめの鞄が置いてある。準備がいいやつだなぁ、と月夜はぼやいた。

「夕ご飯はいらないから、明日の朝にでも起こしてね。それじゃ」

てきぱきとした動作・・・の中に気が緩んだ怠惰感を見せながら、サーシャはさっさとリビングを去っていった。

「あいつも色々大変だなぁ・・・」

「戦争後なんてそんなもんだよ、平和が戻ったところで、事後処理やら何やら追われて当分は暇なし、といった感じさ。今は、人手不足だろうし尚更ね」

他人事のように言うランスだが、幼い頃より軍に所属している彼には、それが日常的なものなのかもしれない。

「そう言えば、楓お姉ちゃんは一緒じゃないの?」

「ん?ああ、紫ちゃんと一緒に本屋に行くとか言ってたけど・・・そう遅くならない内に帰ってくるだろ」

リミーナの問いに、月夜は心ここにあらずといった感じで答える。

「どうしたの?お兄ちゃん」

そんな月夜の様子を見て取ったリミーナは、心配そうにそう尋ねた。

「いや・・・うん、なんでもないよ・・・なんでも・・・」

そう答えた月夜だったが、頭はサーシャのことでいっぱいだった。

(結局どこまで行っても・・・俺が犯した罪は、消えないんだよな・・・)

初めて兵器としての力を発揮したあの頃のことを、月夜は鮮明に覚えている。それのみならず、今までの破壊・虐殺を一つとして忘れたことはなかった。月夜自身がどんなに変わったところで、その罪は消えることなく、常に月夜の心に居続け、そして縛り続けてるのであった。



その日の夜、月夜はサーシャの部屋の前に来ていた。色々悩んだ結果、月夜は謝ろうと思っていた。謝罪をしたところで何かが変わるわけでもないし、罪が消えるはずもない。それどころか、月夜自身のもやもやとしたものをただ払拭したいだけの、自己満足にしか過ぎないのかもしれない。それでも、月夜はサーシャのあの言葉に動かされ、今ここにいた。

「起きてるわけ・・・ないよな?」

軽くノックをしながら、月夜はそう呟く。しかし、月夜の予想を裏切るように、中からは、どうぞ、という声が返ってきた。月夜は軽く緊張しながら、ドアを開けて中に入る。

「よう、起きてたんだな」

「疲れてるんだけどね・・・どうも、寝付けなくって」

部屋は薄暗く、窓から差し込む月の光だけが部屋を照らしていた。布団の上で上半身だけ起こしているサーシャは、月の光を受け淡く輝き、どことなく幻想的な雰囲気を醸し出していた。月夜は軽くどぎまぎしながら、サーシャの近くに胡坐をかいて座った。

「それで、どうしたのこんな時間に。夜這いなら、かける相手が違うんじゃない?」

からかうような口調のサーシャに、月夜は困ったように言う。

「茶化すなよ・・・本当は分かってるんじゃないか?お前もさ」

「なんのことかしら?」

サーシャはとぼけるように言った後、真剣な月夜の目を見て溜め息をついた。

「はぁ・・・そんな性格で、苦労しない?」

「苦労しっぱなしだよ、でもまぁ・・・それでも嫌なものは嫌なんだ」

月夜の言葉に、サーシャは一度だけくすりと笑うと、少しだけ真面目な顔をして口を開いた。

「ほんと、私がなんとなく漏らした言葉で、わざわざ謝りに来るなんて、ね」

サーシャは、あの時の月夜の不自然さを見逃してはいなかった。ランスとは違った軍人としての鋭さ、女の勘が混じったそれは中々のものだった。

「あんなこと言ったけど、別に私は気にしてないのよ。そりゃ、親がいなくて不自由だった時もあったけど、今更そんなことどうでもいいし。何よりあなたは、私にそれ以上のものをくれたんだから」

「でも、俺がサーシャの帰る場所を無くしたのは事実だろ?いや、帰る場所だけじゃない・・・なんていうのかな、家族とか友達とか・・・心のよりどころ?みたいな、そういうやつ」

もちろん月夜は、意図してやったわけではない。しかしそれでも、失われた多くの命があり、失われた多くの絆が確かにあったのだから。

「確かにそうかもね・・・あの頃の私はね、全ての物事に対して無気力無関心だったの。自分を含めて人間が嫌いで、世界の終わりをよく望んでいたのを今でも覚えているわ。それは、今でもそうかもしれないけど・・・」

とつとつと、サーシャは昔のことも踏まえながら、誰にも見せたことのない心情を語っていく。

「全ての人間が、つまらない生き物だって思ってた。でも、あなたは違ったわ・・・あなたは私に見せてくれた。変わることがないと思っていた世界が、一瞬にして変わる様を」

その言葉に、月夜は胸がズキンと痛んだ。

「前にも言ったわよね?あなたなら、この世界を壊してくれる、人間を壊してくれる、って。両親も友達も、誰一人何一つ私に与えてくれなかったものを、あなたは私にくれたわ。それは本当に感謝してるわ・・・私に、生きる意味を与えてくれたのは、あなたなんだから」

違う、それは違う。月夜は、そう言いたかった。しかし、月夜が望んでいるいないに関わらず、彼がもたらした結果は多くの人間に影響を及ぼした。その事実が、月夜に口を開かせなかった。

「でも・・・でもね?最近よく思う時があるの、もしあなたがいなければ、あなたが私の世界を変えなければ、私はどうなっていたんだろう、って」

そんなこと今更考えても、仕方のないことなんだろうけど・・・と、サーシャは続ける。

「両親がいて、友達がいて・・・つまらない生活があって・・・でもそれは、とても大切なもので・・・いやね、歳とると、そんなことばっかり考えちゃって。今更、どうなるわけでもないのに」

月夜の体に、嫌な汗が噴き出る。覚悟はしているつもりだった、責められるのも恨まれるのも・・・しかし、本当は覚悟なんてしていなかったのかもしれない。月夜が犯した罪の大きさは、生半可なものではない。殺してしまった人、生き残った人、その一つ一つの全てを受け入れてしまっていたら、人は人でいることなんて出来はしない。罪に押しつぶされないように、心のどこかで自分を納得させる。それは人としての、精一杯の抵抗であった。

「・・・どうして、泣いてるの?」

「え・・・?あ・・・」

月夜は言われて初めて、自分が涙を流していることに気づいた。それは罪の意識からなのか、それともただ単に哀しかったからなのか、月夜には分からなかった。

「泣かないでよ・・・あなたの弱いところなんて、私は・・・見たくない」

首に腕を回し、サーシャは月夜を抱き締める。サーシャは月夜の細さに驚いてしまった。それは外見だけではなく、中身も含めてだ。触ったら折れてしまいそうな、そんな月夜の弱い部分に初めて触れ、サーシャは切なくなってしまった。神、とまではいかないにせよ、自分が特別だとずっと思い込んできた少年・・・しかしそれは単なる幻想だった。今ここにいる月夜という少年は、インフィニティと呼ばれていたあの頃とはもはや別人であり、弱くて脆いただの人間だった。そう、所詮はただの人間なのだ。サーシャの腕に、不意に力がこもる。

「殺したいか?俺のこと」

消え入るような月夜の声で、サーシャは我に返った。自分は何をやっているんだろう、と思いながらも、サーシャは気持ちとは裏腹な言葉を口にする。

「ずっとあなたは特別だと思ってた。世界を変えれる人間だと思ってた・・・でも、あなたはこんなに弱く、脆い人間・・・ただの、人間なのね」

相手に自分の理想を押し付ける。それは単なるわがままだと、サーシャは分かっていた。それでも、どうしても許せなかった。

「俺は・・・人間じゃない。その気になれば、世界だってなくせる、変えれる。そんな生物は・・・人間じゃ、ない」

「じゃあどうして、泣いているの?あなたが人間だからでしょ、弱くて脆くて・・・でも、生きていこうと、強い意志を持っている。それを人間といわなくて、なんていうのよ」

サーシャの心に、崇拝や尊敬とは違った、別種の感情が浮かび上がっていた。弱い月夜を護りたい、励ましてあげたい、という、一言で言えば恋慕に近い、そんな感情だった。本当はその気持ちは、昔からあったのかもしれない。ただ、尊敬などの恋慕とは違う種類の感情が邪魔をし、サーシャ本来のその気持ちが、見えなくなっていた、だけに過ぎないかもしれない。

「私は・・・あなたに落胆したわ。でも、そんなあなたも・・・私は好き、なのかもしれないわ」

先ほどとは違う意味で、サーシャは腕に力をこめる。支えたい、そんな気持ちが、強かった。

「・・・俺は、」

「良ければ、私たちと一緒に来ない?」

月夜の言葉を遮って、サーシャの声が響く。サーシャ自身、それを口にしたのは自分でも驚いていた。

「もちろん、危険なまねはさせないわ。私があなたを護るもの・・・一緒に来れば、みんなともお別れせずにすむわよ?」

それは月夜にとって、悪くないものだった。それでも、月夜には絶対にそれをよしとしない理由があった。

「・・・それも、悪くないかもしれない。でも、俺はさ・・・今の状況が気に入ってるし・・・何より、」

「分かってる、それ以上言う必要はないわ」

どうあがいても、サーシャに勝ち目はない。それは誰よりも、サーシャ自身が分かっていることだった。月夜には楓が必要で、そして楓には月夜が必要なのだから。

「あーあ・・・妬けちゃうなぁ」

サーシャはそう言った後、ごめんね、と呟き、月夜にキスをした。突然のことに、月夜は驚いて身動きが出来なかった。

「な・・・っ」

ようやくそう言った時には、既にサーシャの唇は月夜から離れている。月夜は先ほどの落ち込んだ様子も見せないほど、顔を赤くしてまくしたてた。

「お・・・お前、何してんだよ!そういうのは好きな人とやるもんであって・・・」

「アメリカじゃ、これぐらいは挨拶よ?」

真っ赤になってる月夜とは対照に、サーシャは至って冷静だった。

「それに、私はあなたのこと好きみたいだし・・・まぁ、あなたは私のことなんてなんとも思ってないでしょうけどね」

「いや別になんとも思ってないわけじゃないけど・・・」

しどろもどろになっている月夜は、今時の学生には珍しく、初心で可愛げがあった。

「さ、難しいお話はもう終わりにしましょ。とにかく、私は気にしてないわ。あなたには、気にするなって言う方が無理かもしれないけど・・・あんまり、考え過ぎて落ち込んじゃだめよ?どんなことだって、過ぎて歳をとっちゃえば良い思い出になるんだから、ね?」

優しく、励ますようにサーシャは言う。真っ直ぐに見つめてくるサーシャの瞳から、いまだに恥ずかしがっている月夜は顔をそらしながら、言う。

「良い思い出には・・・絶対にならないだろうけどな」

「そんなもの、個人の考え方次第よ。忘れろ、なんて言わない。でも、それをいつまでも引きずり続けたんじゃ、いつか壊れちゃうわよ?」

サーシャの言っていることはもっともだった。過去や思い出は、現在や未来の自分を作り上げるのには大切なものだ。それは良い影響になることもあり、反面悪い影響になることもある。

「分かっては、いるんだけどさ・・・それでも、やっぱり、ね」

月夜の心の闇は、晴れない。サーシャは業を煮やし、月夜の顔を両手で挟んだ。

「年上の言うことは素直に聞いときなさい。大体から、あなたがそんなんじゃあの子も哀しむわよ?」

「痛い痛い・・・んなこと・・・分かってるよ」

切なそうに言う月夜だが、両側から顔を挟まれているため面白い顔になっている。

「まぁ、それでもうまくやれて来たみたいだし・・・大丈夫そうね」

サーシャは月夜の顔を離し、ふぅ、と溜め息をつく。

「もうほんと、言っても埒があかないし。今日は終わり、私は寝る。それじゃおやすみ」

きっぱりとそう言い放ったサーシャは、月夜がいるにも関わらず横になって布団を頭まで被った。

「ああ・・・邪魔して、悪かった。おやすみ、良い夢を」

多少気持ちは晴れたが、月夜の心はいまだ暗鬱としている。元より気持ちの切り替えが早い月夜だからこそ、そこまで心配する点はないのかもしれないが。月夜が部屋を出て行った後、サーシャはピョコ、と布団から顔を出した。その瞳は、微かに潤んでいる。

「あーあ・・・ふられちゃったなぁ・・・私だって、初めてだったんだけど・・・ね」

いまだ熱い感触が残る唇に指で触れながら、サーシャは呟く。

「どうして・・・出会ってすぐ、言えなかったんだろ・・・馬鹿・・・ほんと、馬鹿・・・」

言えなかった理由なんて、本当は分かっているサーシャだったが、後悔するようなまねは、したくなかった。そして、誰にいうでもなく、馬鹿、と呟き続け、そして深い眠りに落ちていった。



サーシャが来てからは、それこそ毎日が嵐のようだった。お別れ会という名目上、毎晩毎晩のめやさわげやの宴会続きだった。茜が飲んで暴れ、サーシャが飲んで笑い転げ、ランスが飲んでぶっ倒れ、リミーナが飲んで騒ぎ、楓が飲んでみんなを小突き回し、そして月夜が飲もうとすると茜と楓が、絶対にだめ、と言って止めた。結局、手続きやらなんやらが長引き、ランスたちが家を出るのはサーシャが来てから五日後になるらしいとのことだった。


そして、最後の夜。月夜を除いたみんなは、酔って暴れていた。

「やあ〜月夜〜〜飲んでる〜?」

一人素面の月夜は、被害に合わないように壁際に座ってちびちびとジュースを飲んでいた。

「のんでねーよ、そろいもそろって止められるし」

酔っ払い同士の壮絶な光景に笑いをもらしながらも、隣に来た茜にやや不機嫌そうにそう答えた。

「だって〜〜〜月夜はのんじゃめっなんだよ〜〜?だって〜高校生だもんね〜〜」

けらけらと笑いながら月夜の肩を叩く茜、どうやら相当酔っている様だ。

「楓も高校生だしリミーナに至っては小学生だぞ・・・つか、酒臭いよ」

「なにお〜〜〜うちは臭くなんてないも〜〜〜ん、そんなこと言うなら〜〜かいでみなさいよーー」

酔っ払いには常識が通用しなかった。しかしどうでもいいことには過敏なようだ。服がはだけてる茜が抱きつくように体を寄せてきたので、月夜は赤くなった顔を背けながら体を押し戻そうとした。

「よ、酔っ払いに興味はねーっつうの、つか服ちゃんと着ろよ」

「あによ〜〜あ〜〜、もしかして〜〜照れてるの〜?」

ふふふ、と嫌な笑いを浮かべながら、茜は更に体を寄せてこようとする。

「ちげーっつうの!」

「あー!おにいちゃんが浮気してるーー!!」

月夜がそう叫んだ瞬間、リミーナが月夜を指差しながら叫んでいた。ひどく嫌な予感がする・・・月夜は本能で感じ、とっさに逃げようとした。しかし・・・

「月夜ーーーー!」

逃げる前に、楓が叫びながら月夜に体当たりをかました。酔っている為力の調整が出来ず、それは本気の体当たりだった。

「ぐはっ・・・」

引っ付いてた茜と本気で突っ込んできた楓共々、月夜は吹っ飛んだ。背中を打った痛みで、月夜が呻きながら転がっていると。

「浮気なんて、ぜぇったいゆるさないんだからねーーーー!」

痛みを感じていないのか、楓が月夜にしがみついた。

「ばっか!誤解だ誤解!!」

どうにか釈明しようとする月夜だが、茜と楓につかまってる挙句、酔っ払いには常識が通用しないため意味を成さなかった。どうにか助けを求めようと、首だけ回して辺りを探る月夜だったが、ランスは倒れ、サーシャとリミーナは何やら月夜の方に向かってきている。今までにない程の絶望が、月夜を包んだ。ああ、これはまじ・・・死ぬかもなぁ・・・。

「月夜は私と、ずーっとずーーーっと一緒にいるんだからねーーー!」

「楓ばっかりずるい〜〜〜!」

「むーーー!私もおにいちゃんと一緒にいるの〜〜〜!」

「私だってー!」

月夜は四人にくっつかれた。正確には、潰されている。女四人に男一人、ある意味羨ましい状況だが、当の本人はそれを考えている余裕は欠片もない。

「はなせーーー!つか、ちょ!?お前ら!誰だ、服脱がしてんのは誰だ!?」

それぞれが何やら口々に言いながら、月夜の服を剥いでいく。酔いに濁った八つの瞳、そこには正気の文字は一つとしてなかった。

「やめろつってんだーーー!!」

ズボンを半脱ぎにされ、シャツは完全に脱がされ貧弱な上半身が外気にさらされている。さすがにまずいと思った月夜は、そう叫びながら容赦なく力をぶっ放した。小規模な爆発が起こり、煙がたちこめる。キャー、と各々が悲鳴をあげ、次いでバタバタ、と何かが倒れる音がした。煙が晴れると、月夜を除いた全員はみんなのびていた。

「やれやれ・・・ほんと、こいつらは・・・」

ぜぇぜぇと息をしながら、月夜は顔を赤くして呟く。そして、すぐに素早い動作で脱がされた服を身に付け、一息ついた。

「酒癖悪いのなんのって・・・ったく」

どうしよもうないなぁ、と呟きながらも、その表情には柔らかな笑みが浮かんでいる。明日にはお別れか・・・そう思うと、こんなドタバタした騒ぎですら、月夜には愛しい時間のように思えた。

「だからつって、服脱がされるのは勘弁だけどな・・・」

皮肉気に言いながら、月夜は立ち上がる。布団かけてやらないとな、そう思いながら、月夜は各々の部屋へと足を運んだ。


「ふいー・・・」

各々の部屋から回数を分けて布団を運んできた月夜は、散らばって倒れてる一人一人に丁寧に布団をかけた。部屋からとってくるぐらいなら、茶室にある布団を使った方が早いが、月夜は前に押しつぶされた経験があるためそれはしなかった。

「ほんと、迷惑なやつらだよ・・・全くさ」

最後の一人にかけ終えた後、月夜も壁際に座り持ってきた布団を自分にかけた。どうにも、一人で部屋で寝る気にはなれなかったからだ。

「はぁ・・・」

小さな溜め息をつきながら、月夜は惨状を呈しているリビングを見回す。その心情は、誰が片付けると思ってるんだ?ではなく、修理代がなぁ・・・でもなく、ただ純粋な気持ちで、楽しかった。ただそれだけだった。短い時間ではあった、しかし、この家で作られた数々の思い出・・・ろくな目にあってない場合のほうが多かったが、今では月夜にとって良い思い出である。

「サーシャが言ってたように・・・いつか、俺が犯した罪も、良い思い出になるの・・・かな?」

それは分からない。月夜自身にも、誰にも、その答えを出すことは、今は出来ない。

「それでも・・・うん、そうだな」

生きていこう、生きていたい・・・月夜は、そう強く願う。

サーシャのように、自分を責める人がこれからも出てくるだろう。この力のせいで、また敵対しなきゃいけないやつも出てくるだろう。その度に悩んで傷ついて・・・でも、また、立ち上がって笑いながら、生きていこう。そう思う月夜は、誰よりも人間らしく・・・そして、人間だった。



次の日の朝、学校のために月夜と楓が家を出る少し前。お別れの時間がやってきた。

「それじゃ、今まで世話になったな、月夜」

「ああ、ほんと、世話させられっぱなしだったな」

玄関先で、別れることの哀しさを微塵も感じさせないランスに、月夜は笑いながら言った。

「うー・・・元気でね、お兄ちゃん・・・楓お姉ちゃんも」

「お前に言われるまでもないさ」

「リミーナちゃんも・・・元気でね」

ランスとは裏腹に、寂しそうに言うリミーナに、月夜は素っ気無く、楓は寂しそうに言った。

「二人とも仲良くやるんだよー?またねっ」

「姉さんも、ランスと仲良くね」

「お姉ちゃんも、あんまりランスに迷惑かけないようにねー」

朗らかに別れの言葉を口にする茜に、月夜は微笑みながら、楓は子どもに注意するような態度で言った。

「さて、別れの挨拶も一通り終わったのなら・・・行くわよ?」

ランス・リミーナ・茜、それぞれが口を開いた後、三人の後ろに控えていたサーシャはそう言った。

「ああ、それじゃ行こうか」

サーシャが開けたドアを、ランスは何の未練も見せずにくぐり抜けた。茜も、またね、ともう一度言ってから、その後ろに続く。

「むー・・・」

リミーナだけが、その場から動こうとしなかった。

「どうしたの?早くしないと飛行機に乗り遅れるわよ」

サーシャが促すが、それでもリミーナは動こうとはしない。

「だって・・・だってぇ・・・」

今にも泣き出してしまいそうなリミーナを、楓は抱き締めた。

「大丈夫、いつでも会えるよ・・・お母さんに、会っておいで、ね?」

「・・・うん」

少しの間だけ、リミーナも楓を抱き締め返した後、その体を離した。

「聞き分けの良い妹で、兄として嬉しいねぇ」

「・・・ふんだ、お兄ちゃんの馬鹿」

リミーナはそう言った後、またねー、と言い残し、ドアから外へと出て行った。外にはタクシーが待機しており、リミーナは乗り込む。先に行っていたランスと茜は、既に乗っていた。

「さて、私もおいとまさせてもらうわ」

出て行こうとするサーシャの背に、月夜は言葉を投げた。

「おい!」

「何?」

振り向かずに答えるサーシャに、月夜は言った。

「お前も、一休みしたい時は・・・いや、それ以外の時でも、暇にでもなったらここに来いよ?」

その言葉に、サーシャの体は一度だけビクン、と震えた。そして、サーシャは振り向いた。

「言われなくても、いつだってお邪魔させてもらうわよ」

その表情は、とてもにこやかで、晴れ渡っていた。見つめ合う二人の間に、ちょっとした熱っぽい雰囲気が流れる。

「ああ、待ってる。じゃあ、またな」

「うん、またね」

そう言い残したサーシャは、もう月夜を見ることをせずに、ドアを閉めて、去っていった。

「静かに・・・なっちまったなぁ」

閉められたドアを見ながら、月夜はそう呟く。

「そうだね・・・でも、永遠の別れじゃないから・・・大丈夫だよ、うん」

そうは言っているものの、一番寂しそうな顔をしているのは、誰でもない楓だった。

「んじゃ、気を入れ替えて、学校行こうか」

一度リビングに引き返そうとした月夜の袖を、楓が引っ張って止めた。

「どうしたん・・・だ?」

振り向いた月夜は、楓の顔を見て言葉につまった。泣いてるわけでもない、ましてや笑ってるわけでもない。なぜか、楓は不機嫌そうな顔をしていた。

「サーシャと、何かあったの?」

突然の楓の言葉に、月夜は動揺した。

「な、何かって、なな、なんのことだよ?」

明らかな動揺を見せた後、月夜は、まずい、と思ったが、どうやら手遅れだったようだ。

「何したの?」

月夜の動揺を見て取った楓は・・・にこやかに笑っていた。しかし、それが逆に怖い。

「さあ、学校遅刻しちゃうから急がないと・・・」

わざとらしく言いながら、月夜はリビングへと向かおうとする。しかし、しっかりと袖を握られているため、動けなかった。

「さっきは、とっっても仲良さそうだったよね?」

月夜はもう振り向けなかった。だって怖かったから。

「気のせいだよ、うん・・・」

しばしの沈黙。二人の間に流れる空気は、重苦しいなんていう表現じゃ現せないほどのものだった。

「・・・ごめんなさい」

耐えられなくなった月夜は、謝った。

「どうして謝るのかな?ちゃんと理由を言ってくれないと」

その後、月夜の弁解やら楓の攻撃やらが続き、二人が遅刻したのは言うまでもない。



ぼろぼろになった月夜は、今日も元気に寝ていた。もちろん授業中である。毎晩毎晩のどんちゃん騒ぎに、疲れてたのは言うまでもなく、更に楓からの精神攻撃と肉体攻撃のダメージで、月夜はすっかり参ってしまっていた。

その日、一日の授業の八割程眠っていた月夜は、気づいたら放課後になっていた。


「・・・寝すぎたっぽい?」

「うん、寝すぎだね」

寝ぼけ眼で月夜は辺りを見回す。隣の席、利樹の席に楓が座っているが、他には誰一人いなかった。

「起こしてくれれば良かったのに・・・」

「気持ち良さそうに寝てたんだもん、起こしたら悪いかな?って」

朝はやりすぎたかなー・・・なんて思った楓の気遣いだったのだが、月夜はそれに気づかなかった。

「ずっと待っててくれたのか?悪いなぁ・・・」

「いいよ、月夜の寝顔見てるの面白かったし」

楓にそう言われ、月夜は仄かに顔を赤くしながらそっぽを向いた。寝顔を見られるのは恥ずかしいことだと思ったからだ。この二人にしたら、今更かもしれないが。

「んじゃ、帰るか」

鞄を持って立ち上がろうとした月夜を、楓は止めた。

「あ、月夜。ちょっとこっち向いてよ」

「何?」

そっぽを向いていた月夜が楓の方に顔を向ける。

「よだれの後、ついてるよ」

「え、まじか!?」

とっさに制服の袖で拭こうとした月夜の手を、楓がつかんで止めた。

「だめだよ、汚くなっちゃうから・・・私が、拭いてあげるね」

「ああ、うん、悪い」

ポケットからハンカチを取り出して、月夜の顔を拭くために楓の手が顔に触れる、と思った瞬間、月夜は顔を両手で挟まれた。

「え?何を・・・むぐっ」

月夜が言葉を口にする前に、唇が塞がれた。すぐ目の前には、楓の顔がある。唇と唇が触れ合う感触・・・月夜が、キスされた、と理解するまでに、数秒の間があった。月夜の顔はすぐに真っ赤に染まるが、楓は手も、唇も離さなかった。楓もまた、真っ赤になっている。

どれだけそうしていたのかは分からない。十秒にも満たない時間にも感じられたし、永遠にさえ感じられた。ようやく二人の顔が離れた後も、お互いゆでだこのように真っ赤になっている。

「か、帰ろうか」

照れ隠しをするように、楓が言う。

「そ、そうだな」

月夜もまた、照れ隠しをするように言う。今までで何回かキスをしている二人だが、する度にどんどん恥ずかしさが増えているように見えた。

「なぁ、楓・・・」

そそくさと教室を出ようとする楓の背に、月夜が呼びかける。

「何?」

振り返った楓は、夕焼けの光に照らされ、赤く輝いている。そんな姿を見て、月夜は自分が何を言おうとしたのか忘れてしまった。

「えーと・・・うん、これからも、よろしく」

その場しのぎで出した言葉だったが、それは月夜が一番言いたかったことを単純にまとめたものなのかもしれない。

「うん、これからも、よろしくね」

仄かに顔を赤くしながら、微笑み、うたうように言う楓は、何よりも誰よりもきれいだった。この少女を護りたい、ずっと、そばにいたい。月夜はそんな想いを胸に秘めながら、照れ笑いを浮かべ、楓と一緒に教室を出て行った。


常にめまぐるしく変わりゆく日常・・・時には厳しく、時には楽しく・・・そんな日常を、これからも月夜は、楓とともに歩んでいくのだろう。

・・・なんかようやく終わりましたorz

と言っても第二部があるんですが、個人的にはあれは黒歴史なんで正直アップする気はあったりなかったり・・・。

こんな無駄に長いものにここまで付き合ってくださった方々には感謝の言葉を捧げます。

二部をあげない場合当分は大人しくしてる予定ですが、もしまた投稿することがありましたら、その時は再度よろしくお願いいたします。


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