終焉の始まり
葉月が転校して来てから、既に二週間が経過していた。多少の問題はあったものの、平穏無事に時は流れた。
月夜にとって悩みの原因となっていた葉月は、持ち前の天然さと、社交的な物腰の良さでクラスに大分打ち解けていた。最初は葉月を毛嫌いしていた月夜も、今ではそれなりに仲良くなっていた。
「それで、何の用なんだ?」
放課後、屋上に呼び出された月夜は呼び出した当の本人にそう尋ねる。
「君と大事な話がしたくてね」
葉月はいつもの人懐っこいような雰囲気ではなく、見るものを震えさせるような冷気をまとっていた。いつもと様子のおかしい葉月に、月夜は警戒心を抱いた。最近はそれなりに仲良くなったとはいえ、初めて会った時の恐怖や違和感を、月夜は忘れていなかった。
「君は、楓のことが好きなんだよね?」
おもむろにそう言う葉月に、月夜は警戒心を緩めないまま、
「ああ、そうだよ」
と答えた。葉月はそれを、当たり前だ、というように頷きながら、言葉を続ける。
「それなら、君は彼女のどこが好きなんだい?顔?性格?」
唐突な葉月の質問に、月夜は、こいつはいきなり何を言っているんだ?と疑問を持ちながらも、考えた。
(顔は結構好みだし、性格も好きだ。一緒にいると安心するし、楽しい・・・あれ?でも、なんだろう。どこが好き?って言われると、分からなくなる・・・何よりも、俺が楓を好きな理由がある気がするのに、それが分からない)
そこまで考えてから月夜は、はっ、となって口を開く。
「なんでそれを、お前に言わなきゃいけないんだ?」
クスクスと冷たい笑いを浮かべながら、葉月は楽しそうな口調で言う。
「そうだね、言う必要なんて全くないんだよ。なぜなら僕には、君が彼女に惹かれる理由が分かるからさ」
自分でも明確には分からない答えを、なぜ葉月が知っているのか、月夜は不審に思いながらも、それが気になった。
「分かる・・・?」
「顔よりも性格よりも、一緒にいて安心したり楽しかったりすることよりも、君が彼女に惹かれてる理由・・・僕と一緒なんだよ、君は」
葉月は、月夜が考えていたことを言いながら、何かを思い出すような遠い目をする。
「なんなんだよお前は・・・何が言いたいんだよ!?」
葉月のよく意味の分からない言動にしびれをきらした月夜は、そう叫ぶ。
「君は輪廻転生を信じるかい?一度死んだ者の魂が霊界に還り、そして現世に戻り再びその魂を持った肉体が生まれる・・・所謂、生まれ変わりというものだね」
月夜の叫びなど気にも留めず、遠い目をしながら自分のペースで話を進めていく葉月。突然切り替わった話題に、月夜はイライラとしながらも答えた。
「そんなのわかんねーよ、死んだことなんてないんだからよ」
「それもそうだね、何も知らない君に分かるはずがない」
月夜を馬鹿にしているようなその言葉には、深い怒りのようなものが混じっていた。しかし、その怒りは月夜に向けられたものではなかった。なぜか、月夜にもその怒りの矛先が自分ではないことが、分かった。
「気を悪くしないでくれよ、僕が話しているのはあくまで、君と僕が彼女に惹かれる理由だ。関係ない話に聞こえるかもしれないけど、少し我慢してくれ」
いまだ遠い目をしながらも、葉月はそう言った。関係ない話じゃない、と言われたら、気になる月夜としては黙ってる他なかった。
「続けるよ。例えば、前世・・・つまり今の肉体より前の肉体に魂が入っていた時のことだね。前世で好意を抱いていた人、魂といった方が分かりやすいかな?前世の魂が好意を抱いた魂は、その肉体が滅びて次の肉体に移っても、かつて好意を抱いていた魂に惹かれるのさ。そこまでは分かるかい?」
葉月のいまいち分かりづらい説明に、月夜は頷いた。頭の回転が早い月夜は、葉月の言いたいことは理解できていた。
「要するに、前世で夫婦だった人たちは、生まれ変わっても夫婦になる可能性がある、ってことだろ。それは、お互いの魂が惹かれあってるからな」
「全てがそうなるわけでもないけど、そうだね」
そこまで聞いて、月夜は最終的に葉月が何を言いたいのか理解できた。葉月の説明を長々と聞くのもめんどくさいと思い、月夜は結論を述べる。
「お前が言いたいのはこういうことだろ?俺の魂が、前世で楓の魂を持った人に好意を持っていたから、現在、惹かれている」
「半分正解で半分はずれだね。なぜなら・・・」
そこで葉月は言葉を区切った。少しだけ考え込んでから、再度口を開く。
「いや、今日はここまでにしておこうか」
「は?そこまで言っておいて、いきなりなんだよそれ!」
詰め寄ろうとする月夜を、葉月は諌めるように両手を前に出しながら、まぁまぁ、と言う。
「すぐに分かるさ、今はまだ、時機じゃない。今全てを話せば、君は僕に攻撃してくるかもしれないからね」
目の前でそう言われて、攻撃しない人間は少数だろう。月夜もその少数に該当せず、葉月のその言葉と煮え切らなさに強い怒りを抱いた。兵器としての力を失ったただの人間になっている月夜でも、距離を詰め葉月を殴ることは出来る。そして月夜は、それを実行に移そうとした。数歩分の距離を走り、月夜は葉月を殴ろうとした。しかし、葉月を殴るために突き出された拳は、何かに遮られるかのように葉月の顔に当たる直前で止まった。
「君と僕は仲間なんだ・・・だから僕は、君を殺したくない」
拳を目の前に突き出されても、葉月は顔色一つ変えることなく、おぞましい程の冷たい声でそう言い放った。
「仲間だって・・・?ふざけんな!」
そう怒鳴った月夜の声は、微かに震えていた。それは怒りからの震えではなく、恐怖によるものだった。何かにつかまれているかのように動かない腕に、数十本のナイフが突きつけられているかのような冷たい感触に、月夜は強がりを言うことしか出来なかった。
「仲間なんだよ、僕たちは・・・君の考えも、きっと変わるさ」
冷えた声、冷えた目、冷えた表情。それなのにその全てが無感情に見える・・・そしてそれは、かつてインフィニティと呼ばれていた頃の月夜にそっくりだった。
「それじゃ、僕はもう行くよ・・・」
絶対的な恐怖に、体がすくんで動けない月夜を屋上に残し、葉月は去って行った。もはや強がりを言うことすら、今の月夜には出来なかった。
「なんだよ・・・あいつ・・・」
その場にへたれこんだ月夜は、少し前にリミーナが言っていた言葉を思い出す。
私たちの存在の元となる何かが、いるんじゃないか、って・・・今の月夜には、それが実感出来た。もし俺の力が失われてなくても、あいつには勝てない・・・そんな絶望的な考えが、今の月夜を支配していた。
「目的は・・・?あいつは・・・?俺と楓は・・・?」
答えが見つからずぐるぐると思考する頭を抑えながら、月夜は屋上で一人うなだれた。
結局、月夜が家に帰ったのは陽が完全に沈んでからだった。校内の戸締りをするために屋上に見回りに来た教師に怒られ、追い出されるように校内から出された。それがなければ、月夜は屋上から一歩も動かなかったかもしれない。それ程、葉月に突きつけられた力量さと疑問が大きかったのだ。
家に帰ってきてからも、心配そうに声をかけてきた楓やリミーナに心ここにあらずといった感じで返事をし、今は自分の部屋で布団の上に寝転がりながら悩んでいる。
「何が・・・起きてるんだ・・・?」
時折そう呟きながら、頭の中ではいまだにぐるぐると答えが見つからない問題を考えている。今の月夜には、完全に冷静さが欠けていた。元より深く考える性格で、なおかつ深く考え出すと周りのことが見えなくなる月夜だが、今回のことはそんな月夜には絶望的な状況だった。考えても答えが分からず、答えが分からないから諦めよう、と笑い飛ばすことも出来ない。考えれば考えるほど分からなくなり、どんどんと深みにはまっていくのだった。
そんな風に月夜が悩んでいると、部屋のドアがコンコンとノックされた。音に気づかない月夜がしばらくの間無言でいると、ドアが開いて楓が姿を現した。
「大丈夫?月夜」
帰ってきてから様子のおかしい月夜のことが、楓は心配だった。楓が部屋に入ってきても、月夜は気づいていなかった。
「どうしたの月夜?おーい」
楓は仰向けに寝転がっている月夜の頬をペチペチと叩くが、それでも月夜の反応はない。その様は、目を開けたまま寝ている、もしくは目を開けたままの死人、といった感じだった。
「もう、また考え事・・・?」
どうすればいいかな、と楓は軽く思案した後、おもむろに月夜の耳を引っ張りながら耳元で鼓膜が破れない程度に声を張り上げる。
「つーきーやー!」
「おわっ!?」
ビクッ、と体を震わせ、それでようやく月夜は楓に気づいた。
「なんだ楓か・・・びっくりさせるなよ」
「だって全然月夜気づかないんだもん・・・それで、何かあったの?」
心配そうに顔を覗き込んでくる楓に、月夜は話していいかどうか迷った。何一つ確かなものがない状態で、楓を不安にさせるのが月夜は嫌だった。かといって、何も教えないわけにはいかないよな・・・、と月夜は迷った。葉月の言い方は、明らか楓にも関係があるといった感じだったからだ。
「ちょっと待ってね・・・」
月夜はそう言ってしばらく悩んだ後、楓に言うことを決めた。不安にさせるかもしれないが、なるべく葉月とは距離をおくようにして欲しかったからだ。
「実はさ・・・」
そして、今日の出来事を楓に話した。前世や魂のこと、葉月が月夜を仲間だと言ったこと、そして・・・月夜が葉月に感じた、絶対的な恐怖のこと。月夜の事情を色々知っていて、なおかつ月夜のことを信頼している楓だからこそ、月夜が話してる間変な顔一つせず、無言で真剣に話を聞いた。
「・・・というわけなんだよ」
月夜の長々とした説明を聞き終えた楓は、神妙な面持ちで、
「うーん・・・」
と唸った。その顔には、疑問の色はあったが不安の色はなかった。
「信じれないか・・・?」
その表情を見た月夜は、どことなく哀しそうに楓に聞いた。
「ううん、信じるよ。だって、月夜が言うことだもん・・・でもよく分からないよね、葉月君は、何者なんだろう?」
不安な感じを全く出さなずにそう言う楓に、つい月夜は弱弱しく聞いた。
「楓は、不安じゃないのか・・・?」
「え?どうして?」
不安になる理由が分からない、といった感じの楓を月夜は疑問に思いながら再度聞いた。
「だって、あいつは楓に関係のある話をしてた。しかも最後まで言わないまま・・・どうして、それで不安に思わないんだ?」
葉月との実力差を見せ付けられ、月夜はひどく弱弱しくなっていた。もし葉月が楓に手を出した場合、月夜は楓を護りきることが出来ないのを理解させられたからだ。そんな月夜とは対照的に、楓は微笑みながら強く言った。
「だって、月夜がそばにいてくれるもん。絶対に、護ってくれるって信じてるから」
月夜はその言葉で、胸が熱くなるのを感じた。確かに今の月夜は弱い、布団にすら勝てない。しかも相手は布団ではなく、かつてインフィニティと呼ばれていた月夜以上の力を持っているかもしれない葉月なのだ。葉月は仲間と言っていたが、その目的が月夜や楓・・・家族に害を及ぼすものなら、二人の衝突は避けられないだろう。そうなった時、今の月夜では万が一にも勝ち目はない。だからこそ、今まで月夜は考え、悩んだ。しかし、楓のその言葉で月夜の気持ちは変わった。
「・・・そうだよな、うん。絶対に護るよ、何があっても、絶対に」
楓からの強い信頼は、月夜に力を与えてくれた。葉月と月夜の力量差は、気持ちの力で埋められる程の問題ではないが、それでも今の月夜は、誰にも負けない気がした。
「うん・・・!」
楓も、そんな月夜を見て強く頷いた。
「・・・私ね、いつも月夜に護ってもらってばっかりで、何も出来ない自分が嫌だった・・・」
でも、と楓は続ける。その言葉には、強い決意があった。
「私だって月夜のために何かしたい、だから・・・何があっても、月夜を信じるよ。それしか出来ないけど、私はいつだって、月夜のそばで月夜を支えるよ」
月夜の瞳を真っ直ぐ見つめながら言う楓の瞳は、純粋で、そしてとてもきれいだった。
「楓・・・」
今まであった月夜の中の不安が、全て流れ落ちたように月夜は感じた。月夜は上半身を起こし、楓を優しく抱き締める。楓の温もりは月夜にとってかけがえのないもので、月夜を安心させた。だが、落ち着いたはずの月夜の心が突然ざわめき始めた。
「な、なんだ・・・?」
心のざわめきはすぐに体を震わせ、尋常じゃない量の汗が月夜の体から吹き出る。
「ど、どうしたの?月夜、ねぇ!?」
月夜の激しい異常を感じ取った楓は、月夜を強く抱き締める。しかし、月夜の震えは一向に収まらない。そしていきなり月夜の頭に、地獄から響くような声が聞こえた。
『始まる!始まる!!ついに始まる!!!』
「やめろ・・・」
月夜は震える声を出すが、頭に響く声は収まらない。
『ずっと待っていたんだ!私は!!私はぁ!!!』
「やめろ・・・やめろぉぉ!!」
月夜は両手で頭を押さえながら叫ぶ。聞いているだけで発狂してしまいそうな憎悪の声は、なおも止まずに月夜の頭に響き続ける。
『お前もだ!戻って来い!!私の元に、インフィニティと呼ばれし悪魔よ!!!』
「やめろ!俺を・・・その名で・・・呼ぶな・・・!!やめろ・・・やめろやめろぉぉぉぉぉぉ!!」
「月夜!?月夜ってば!?!?」
正気を失い、狂ったように叫ぶ月夜のその瞳は、かつてインフィニティと呼ばれていたあの頃より深い闇に覆われていた。頭を押さえながら、その苦しみから逃げるようにもがく月夜の体を、楓は振りほどかれないように強く強く抱き締めた。
「月夜!!落ち着いて、何があったの!?」
少しでも気を緩めたら弾き飛ばされてしまいそうな月夜の体を、楓は精一杯抱き締めた。
「ああぁぁぁ!ああああぁぁぁぁぁぁぁl!!!」
それでも月夜は正気に戻らなかった。それどころか、月夜の体に異変が現れる。背中の服の部分が徐々に盛り上がり、そしてそれはすぐに服を破って姿を現した。漆黒の闇に染まった一対の羽、月夜が力を行使する際に現れるそれが、久方ぶりに姿を見せた。
「月夜!やだよ・・・月夜ぁ!!」
今手を放したら、今までの月夜がいなくなってしまいそうな気がした楓は、必死で月夜の体にしがみついた。
「どうしたんだ!?」
月夜の叫びを聞きつけたランスと茜が、部屋に飛び込んできた。
「月夜が!月夜が!!」
楓は二人の方を振り返る余裕すらなく、今にも振り落とされそうになりながら月夜の体にしがみついている。二人は一瞬月夜の羽に目を奪われたが、すぐに楓と同じようにもがく月夜の体を押さえた。
「うぁぁぁぁ・・・うぅぅぅ!!」
徐々に力を増していく月夜は、三人がかりでも押さえるのがやっとだった。
・・・どれだけの時間そうしていたのか分からない。しかし、三人の疲労が頂点に達するかと思われた時、月夜は急に糸が切れた操り人形のように倒れこんだ。背中から生えた羽は急速に縮み、そして月夜の背中へと消えた。
「はぁ・・・はぁ・・・」
三人は汗だくになり、その場にへたりこんだ。茜と楓は髪がぼさぼさになっていて、ランスに至ってはシャツの第三ボタンまで外れて微かに胸元が露出していた。
「これは一体・・・どういう・・・こと?」
肩を上下に動かしながら、息をするのも一苦労といった感じでランスが楓に尋ねる。
「私にも・・・分かりません」
「楓に分からないんじゃ・・・うちらにも・・・分からないね」
三人同様に、部屋もひどい有様だった。布団は敷布団と毛布と掛け布団が各方向に散乱し、一部の布が破れ中身が露出している。元々物が少ない月夜の部屋は、そこまで散らかったわけでもなかったが、布団一つとってみてもどれだけ月夜が暴れたかは十分すぎるほどだった。
「ねえ、楓・・・」
疲れきった様子で、茜が楓の名前を呼ぶ。
「何?お姉ちゃん」
茜は聞くのをためらように少しだけ逡巡した後、思い切って口を開いた。
「・・・今までも何度か思ってたんだけど、家族だから、余計な詮索しないで楽しくやれればいいやって聞かないでいたの。・・・でも、今のを見て、あなたと月夜のことがすごく心配になったわ。だから、教えて欲しいの。月夜は・・・その・・・」
月夜を表現するうまい言葉が思いつかず、茜は最後の言葉だけ濁した。
「月夜は、人間だよ」
考えることなく、それが当たり前だというように楓は答える。
「ただ、少しだけ不思議な力を持っているけど・・・それでも月夜は、人間だよ」
楓は、茜に本当のことを隠すためにそう言ったわけではなかった。月夜は確かに人間とは言えない、生物ではあっても、その半分は兵器・・・いや、兵器として生み出されたからにはその存在全てが兵器なのかもしれない。それでも、楓は月夜のことを兵器だと思ったことなんて一度もない。楓にとって月夜は数多くいる人間の一人であり、そして同時にかけがえのない大切な人だった。
「そっか・・・色々な人間がいるもんね、不思議な力を持っている人間がいてもおかしくないよね」
楓の言葉を鵜呑みにしたわけではなく、楓の言葉の裏にある気持ちを汲み取り、茜はそう言った。月夜がどんな物であっても、茜にとって月夜は大切な家族の一人なのだ。
二人が話している間、ランスは一人何かを考えるように俯いて黙っていた。そんなランスの様子に気づいた楓は、気まずそうに声をかける。
「あの、ランスさん?」
「・・・はい?呼びました?」
考えごとをしている最中だったランスは、多少の間を空けてから楓に言葉を返した。楓を見ているランスの目に、どことなく翳りがあるような気がして楓は言葉につまった。そんな楓に助け舟を出すように、茜が口を開いた。
「ランス、何を考えてたの?」
「いや、何かを考えてたわけじゃないんだ・・・ただ、変な感覚がしたんだ。いきなりこんなことを言うのは自分でも変だと思うんだけど・・・聞いてくれるかい?」
焦っているような口ぶりのランスだが、つい長々と前置きを入れたのは自分が感じた何かに自信がないからだろう。月夜に異変があった時点で本来なら真っ先に気づかなければいけない楓は、え?、と呆けた表情でランスの言葉を待った。茜はランスを促すように、頷きながらその言葉を待つ。ランスはいまいち自信なさげに、自分が感じたことを短く言う。
「リミーナちゃんは、大丈夫でしょうか?」
「あ!?」
月夜のことだけでリミーナのことにまで気が回らなかった楓は、そう言われてすぐに立ち上がった。
「ど、どうしたの楓?」
楓は茜の言葉に返答をせず、代わりに、、
「月夜のこと、お願いね!」
と言い残し、月夜の部屋から駆け出していった。残された二人は何が起きているのか分からず、しばらくの間呆然としていた。
(そうだ、月夜に何かあったなら、リミーナちゃんにだって何が起きてもおかしくはない!)
どうして自分はそれに気づかなかったのだろう?、と楓は自分に軽い苛立ちを考えながら、リミーナの部屋へと走った。部屋がいくつもあり、一般家屋に比べれば多少広い如月の家だが、月夜とリミーナの部屋はさほどはなれてはいない。月夜の部屋を出て十秒とかからずに楓はリミーナの部屋の前についた。
「リミーナちゃんいる!?」
焦りながら部屋をノックするが、中から返事はない。楓はすぐにドアノブを手で回し、ドアを開けて中へと飛び込む。鍵は開いていた、しかし、その部屋の中には誰一人いなかった。
「リミーナ・・・ちゃん?」
楓は部屋の中を見回す。部屋は整然と片付けられていて、暴れたような痕跡は何一つない。ただ、暗い夜の闇に通じる窓だけが開かれていた。楓はすぐに窓に走り寄り、そこから顔を出して辺りを見回す。暗い闇の中、リミーナどころか人っ子一人周囲にはいなかった。
「そんな・・・どこに行ったの・・・?」
暗然とした表情で、楓はそこにへたり込んだ。自分を姉と慕ってくれたリミーナ、そんな彼女がいなくなってしまったことに、楓は深い哀しみを抱いた。楓自身何が起きているか分からない。しかし、何か良くないことが起き始めているのだけは理解が出来た。
しばらく呆然としていた楓は、おぼつかない様子で立ち上がる。月夜が心配・・・、とうまく働かない頭で考えながら、ふらふらと歩き出す。それは本当に偶然だった。足がもつれて転びそうになった楓は、手近にあった机につかまりなんとか体を支えた。そして、それを見つけた。机の上に何か硬い物で彫られた字に・・・。
「ごめんね、ばいばい・・・?」
楓は声を出してそれを読み上げる。時間がないような感じで稚拙に彫られたその文字には、死ぬ間際に残されるダイイングメッセージのような雰囲気があった。
「何が・・・何が、起きてるの?」
耐え切れない不安と嫌な予感から呟かれた楓の言葉に、返事をする者は誰一人としていなかった。
月夜に異変が起きる約三十分前のこと。
「ふぅ・・・」
薄暗い部屋に、溜め息が漏れる。質素な作りの椅子に腰掛けながら疲れた表情をしているその人物は、かつて月夜を襲った日本軍のトップである白髪の青年だった。しかしその顔は、以前とは違い老けて見える。
「本当に・・・これで大丈夫なのだろうか?」
最近は特に忙殺されていた青年は、不安気に呟く。多大な不安と忙しさ、それが青年を老けて見えさせた。
「準備は整っているのだろうな?」
突如部屋に響いた他者の声に、青年は、ビクッ、と体を震わせる。
「準備は万端だ・・・です」
声が聞こえた方に軽く視線をやりながら、恐縮して青年は答える。その視線の先には、相も変わらず中世ヨーロッパの貴族のような服装をした長身の男が立っていた。まるで最初からそこにいたかのように、男の存在感はうっすらとしている。
「ただの人間にしては中々な早さだな」
偉そうに言う男に、青年は反論したい気持ちが浮かんだが、すぐにその気持ちは消えた。この男に逆らってはいけない、と青年の本能が反応しているからだ。
「いくつか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
青年は静々と疑問の声をあげる。
「それなりに役にたった君には、私への質問を許可する。なんでも聞くといい、ただし、全てのことに答えられるわけではない」
男から質問の許可をもらった青年は、まず真っ先に聞きたいことを口にする。
「私がこの約一ヶ月の間にした行動が、これからのことにどう繋がるのかお聞きしたい」
青年はそう言いながら、あまりにも忙しかったその一ヶ月のことを思い出す。裏ルートで無理やりに捻出した費用を使い、軍備をある程度整えたこと。一週間に一回、自らが親善大使としてアメリカに出向いたこと・・・その他様々なことをした一ヶ月だったが、そのどれもが屈辱を味わい、危険な橋を渡ることとなった。逆らえない男の指示だったとはいえ、その理由を青年は知りたかった。
「いいだろう。君がこの一ヶ月の間にしてきたことは、君の望みを成就させるためには必要なものだ。しなくても可能性はあったが・・・私は慎重なのでね、確実性は多い方が良い」
男の声は無機質なようで、その実言葉の中には熱い何かが秘められていた。
「私の望みというと・・・やはりアメリカのことですね?」
慎重に青年が言うと、男は軽く頷いた。
「では二つ目です。なぜあなたは私の望みが叶うのを手伝うのですか?」
男と青年が出会ったのは約一ヶ月前のことだ。接点は何一つないし、男にとって利益がありそうでもない。そう青年は思っていた。しかし、
「利害が一致しているからだ。ただ、それだけだ」
男はそう淡々と答えた。男の正体もしたいことも分からない青年にとって、それはよく分からない返答だった。
「では・・・」
「待て、タイムアウトだ」
青年の言葉を遮り、男は言う。
「どうやら始まるようだ、これから私は忙しくなる。君に最後の指示だけ残す。それが、君の望みを叶える最後の一手だ」
そして、始まりだ。と男は誰にも聞こえないような声で付け足した。
「ま、まってくれ・・・」
いきなりの男の言葉に青年は焦るが、男はそれを気にせずに続ける。
「これより二十分後、彼の国で悪魔の祟りが起きる。それを機に攻めるのだ」
「悪魔の祟り・・・?」
男の言わんとしていることが全く分からない青年は、そう聞き返した。しかし、その言葉への返答はなかった。男の姿は闇に溶けて行ったかのように、いつの間にか消えていた。
「くそ!あの男は何が言いたいのだ!?ここまで来て手詰まりでは、全く話にならんではないか!!」
男がいなくなった早々、青年は声を荒げて机を叩く。
「くそ、くそ!」
その動作を数回繰り返した後、青年はどうにか落ち着きを取り戻した。
「・・・悪魔の祟りだと?」
皆目見当がつかない青年は、頭を悩ませ始めた。・・・そして、すぐに答えは出た。
「そうか、直接アメリカに電話を入れればいいのだな。親善大使として、それとなくその祟りとやらを聞き出せば良いのではないか」
彼の国がアメリカだということに青年は気づいていた。
「なるほど・・・この一ヶ月間は、無駄ではなかったようだな」
一ヶ月間の成果が始めからこの様子ならば、あの男が言ったように私の望みが叶うかもしれんな、と青年はほくそ笑み。二十分という時を楽しみ七割、不安三割で待ち続けた。
そして時間はリミーナが消えた以降に戻る。
「首尾はどうだ?」
うっそうと木が生い茂り、暗い闇に包まれた山の中、先ほどまで白髪の青年のそばにいた男が、隣にいる一人の少年に声をかける。
「四分の一は成功、といったところかな。やはり、黒の翼はだめだったようだね」
失敗に近い数値の言葉を発した少年は、言葉とは裏腹にその表情はどこか楽しそうだ。
「あちらに彼女を残したまま実行に移したのが失敗の原因のようだな・・・まぁいい、いずれは全て我が手中に収まるのだからな。・・・君の働きが良ければ、この時点で全てが終わっていたのだがね」
男も失敗を悔やむようなことはしなかった。しかし、失敗の元凶となった少年に嫌味を言うのは忘れない。
「それだけ彼らの絆が深いということですよ。それに、高みの見物しかしてないあなたに、僕を責める権利はありませんよ」
飄々とした態度で男の嫌味を受け流す少年は、全く悪びれた様子がない。
「それに、敵として来る白い翼をこちら側に引き込まなければいけないのは僕なんですから。しかも、人目がつくのが嫌だからと真夜中にこんな場所に来させられたんですから、文句ばっかり言わないで下さいよ」
「ふん、所詮簡単な仕事だ」
「それでも、あなたには出来ないでしょう?」
少年の反論をくらい、男は閉口した。少年の言うことはいちいちもっともだったからだ。
「さて、来ますよ」
気だるげに少年は視線を斜め上にあげる。うっそうと生い茂る木の間に、暗い夜空が映った。夜空にばらまかれた星のような一つの白い点が、徐々に二人に近づいてくる。
「女の子を傷つけるのは僕の趣味じゃないんだけどなぁ・・・」
やれやれ、と呟いた少年の前に、その白い点は降り立った。その様は、天使が地上に舞い降りたかのような光景だった。
「・・・あなたたちが、元凶でしょ?」
長く白い髪を冬の冷たい風にはためかせ、少女・・・リミーナは呟いた。
「よくあれに一人で耐えられたね」
感心したように、少年は拍手をする。リミーナは先ほどの狂いそうな感覚を思い出した。強い憎悪に自分を失ってしまいそうな感覚、深い哀しみに自分が壊れてしまいそうな感覚・・・そして、それと同時に失ってしまったはずの力が徐々に戻り、かつての力さえも凌駕していく・・・正に、力の暴走だった。しかし、リミーナはそれに耐え切った。リミーナにとって、幽閉され独りで苦しみ続けてきたあの頃の辛さの方がよっぽど耐え難いものだったからだ。
リミーナは相手を睨みながら、強く叫ぶ。
「ふざけないで!あれは一体何?あなたたちの目的はなんなの!?」
「失敗作の君に、それを聞く権利はない。ただ、その力だけは返してもらおう」
淡々と語る男を、リミーナは睨み続ける。
「勝手に与えて、今更になって返せですって・・・ふざけないでよ!」
リミーナの声が震える。それは強い怒りによるものだった。
「はいはい、そんなに怒らない怒らない。それに、君の相手は僕だよ?ねぇ、可愛いお嬢さん」
状況を理解してないんじゃないか?と思えるほど、悠長な言葉を少年は言う。
「人を馬鹿にするのも・・・いい加減にしなさいよ!?」
リミーナは少年に向かって駆け出した。失っていた力が戻った今のリミーナにとって、数メートルの距離などないに等しい。
「くらえ!」
目の前に来たリミーナを見ながら、それでも全く動こうとしない少年目がけて、リミーナは腕を振るった。しかし、その腕は少年ではなくただ空を切っただけだった。
「危ない危ない・・・僕としては、穏便にことをすませたいんだけど、だめかな?」
「な・・・!?」
少年はいつの間にかリミーナの背後に立ち、その華奢な首を軽くつかんでいる。
「残念だけど、君じゃ僕には勝てないんだ。だから、やめない?」
「や、やめるもんですか!例え勝てなくても、私は・・・」
強気な姿勢を崩さないリミーナだが、その声は怒りではなく恐怖によって震えていた。たったの一度交えただけで、リミーナの賢い本能はお互いの力量さをはっきりと理解していた。首を軽くつかまれているだけのはずなのに、まるで心臓を鷲づかみにされているような恐怖をリミーナに与える。
「分かっているだろうが、殺すなよ」
そんな光景を目の当たりにしながら、男は淡々と注意を促す。
「分かってますよ、一応ね。・・・ただ、ほら、相手が強情だとついつい、僕の手が滑りやすくなっちゃいそうなんですよね。こんな風に」
歌うように言った少年は、つかんでいたリミーナの首の後ろ半分を握りつぶした。
「ーーーー!!」
リミーナは声にならない悲鳴をあげた。血が吹き出る様を見ながら、少年は薄い笑いを浮かべる。
「抵抗しなきゃ、痛い思いさせずに気絶させてあげようと思ってたんだけどなぁ」
崩れ落ちるリミーナを見下しながら、少年は血に染まった腕をリミーナの腹部に振り下ろす。
「っーーーー!!!!!」
まるで豆腐を貫くかのように容易く、少年の腕はリミーナを貫いて地面に刺さった。飛び散る返り血に薄ら笑いを浮かべながら、少年は言う。
「まだ、抵抗する?」
リミーナは震え、涙を流しながら首を横に振った。強い死への恐怖は、男や少年に対する憤りを飲み込み、一瞬でリミーナをか弱いただの少女に変えてしまっていた。白い髪や服はリミーナ自身の血によって真っ赤に染まっている。
「最初から無駄な抵抗しなきゃいいのに」
少年は薄ら笑いを浮かべたまま、血をだらだらと垂れ流しているリミーナの体を抱き上げた。
(・・・ごめんねお兄ちゃん・・・お姉ちゃん・・・私じゃ・・・何も出来なか・・・った・・・)
月夜と楓が被害に合う前に、自分一人でなんとかしようと思い、元凶を叩きに来たリミーナだったが、自分の力の無さに悔しさと哀しさを強く感じながら、ぐったりと意識を失った。普通の人間なら即死の傷だったが、半分兵器のリミーナはなんとか死だけは免れた。それでも、放っておけば数時間もしない内に絶命するだろう。
「それじゃ戻りましょうか、四分の一の成功は、二分の一になりましたしね」
「お前はやりすぎだ」
一部始終を見ていた男は、少年を咎める。
「くすくす・・・満たされないんですよ、こんなんじゃ」
返り血で赤く染まった顔に、少年は子どものような無邪気な笑顔を浮かべる。そこには、悪意も他意も何一つなかった。
「黒い翼が、少しは楽しませてくれるだろう」
少年の行動に諦めがついたのか、男は気だるげにそう言った。
「くすくす・・・彼がどれほどやれますかね。所詮は一枚の失敗作に・・・それよりも僕は、」
少年はそこで言葉を切った。男は少年を睨みながら、淡々とした調子を崩さずに言う。
「私とやり合う、とでも言うのか?」
「そんなことしませんよ」
今は、ね。と小さく呟いた少年は、リミーナを抱えたまま、闇の中へと溶けていった。
「ふん、狐め。だが、所詮偽者。私には、勝てはしない」
男の呟きは暗い闇に消え、そして同時に男の姿も闇の中へと溶けていった。
ようやく物語が動きだ・・・すのか?




