一年の計は元旦に
一年の計は元旦にあり、とはよくいったもので、寒空の下多くの人々が神社に賑わう中、例外なく月夜と楓の二人もそこにいた。
「なんだこの人の多さは・・・」
一月一日元日、最寄の神社に足を運んだ月夜は、人の多さに目を点にしていた。そんな月夜の服装は、元日にも関わらずいつものラフな格好だった。
「それ、毎年言ってない?」
月夜の隣に並んでいる楓は、呆れ顔で口を開いた。そんな楓の服装は、珍しいことに着物姿だった。元々可愛らしい顔立ちの楓は、髪こそポニーテールで多少茶の混じった髪だが、着物を着ているその姿は小さな日本人形を連想させた。
「・・・まぁ、喋ってても仕方ないし、並ぶか」
「そうだね、止まってたら人の邪魔になっちゃうし」
どことなく不満気な顔で歩き出す月夜の横に、笑顔の楓は並んで歩き出す。ラフな格好の月夜、着物姿の楓、並んで歩いていても、別段違和感がないのは昨今のお国事情というやつだろう。現に、周りにいるカップルや家族連れの男性は私服が多い。
なぜ二人だけしか神社に来なかったのか、その理由は今日の朝に遡る。
月夜と楓は珍しく起きる時間が合い、廊下で朝の挨拶を交わしてから二人でリビングへと向かった。その時にはもう、リビングは大惨事と化していた。
「きゃー!やーめーてーー!」
「だめ〜」
その声に、リビングに入ろうとしていた二人の足が止まる。楓に促され、月夜は中からばれないようにそーっとリビングの中を覗いた。そして、月夜は小さな声で呟きながら踵を返した。
「さて、部屋に戻って寝ようか・・・」
月夜の言動に何が起きているのか察した楓は、月夜の後に続いて歩いていく。月夜が見たものは、悲惨極まる光景だった。ランスはぐでー、と顔を赤くしてテーブルに突っ伏し、同じく顔を赤くした茜がリミーナをいじくりまわしていたのだ。帰省して来た茜は、一度家に帰り荷物をまとめ、月夜たちの家に戻ってくることになった。なるべくお酒は控えるから、と言っていた茜だったが、元日から相変わらずのぶっ通しっぷりだった。
部屋の前まで戻ってきた月夜は、いつまでも自分の後ろをついてくる楓に疑問の声を投げた。
「楓の部屋はあっちだろ?」
月夜が指差す方を見向きもせずに、楓は下を見ながら何かを考えている。ん?と疑問に思ってそれを見ていた月夜は、楓の頭上にピコーン、と電球が浮かぶ幻影を見た。そしてすぐに顔を上げて、楓が言う。
「この家にいたんじゃ何にしても被害にあいそうだし・・・良ければ、みんなに内緒で一緒に初詣行っちゃわない?」
覚悟を決めてそう言ったかのような楓の言葉に、鈍感な月夜は、
「え、だるい」
と根も葉もない事を言った。
「みんながいた時は毎年行ってたけど、本当は人が多いからあーいうの嫌いなんだよな・・・ってちょっと待て、痛い痛い」
口を尖らせてペチペチと月夜の頭をはたき出す楓。なんか久しぶりだなぁ、とか思いながら、月夜は特に抵抗はしないで口だけを動かす。
「分かった分かった・・・ったく、今は普通の人間なんだぞ俺は。少しは手加減しろよ」
「そんなに強く叩いてないもん」
ぷー、と頬を膨らませながら怒ったように言う楓。その実、たまには月夜と二人きりで・・・、と考えていた。
「行くなら早く行こうか、巻き込まれる前に」
「そだねー」
二人は一旦別れ、各々が部屋で準備をしてくることにした。早々に外行き用の服に着替え、楓からもらったペンダントを首から提げる。その後月夜は、楓が準備に遅いことを知っているため十分程部屋でだらだらとしてから、部屋を出た。
「そういえば、待ち合わせ場所決めてねーや」
月夜は軽く舌打ちした。同じ家なのに待ち合わせ場所も何もないと思うけど、現状が現状だしなぁ・・・、と思いながら、こそこそと楓の部屋へと歩いていく。自分の行動に、なんとなく月夜は気恥ずかしくなった。
「おーい」
控えめな声で呼びかけながら、月夜は楓の部屋のドアをノックする。
「ちょっと待ってー・・・うー」
何やら試行錯誤するような声が部屋の中から聞こえる。月夜は不審に思いながらも、さすがにドアを開けるわけにもいかずそこでしばし待った。
五分が経過した、部屋の中からは相変わらず、うーとかむー、とか聞こえてくる。月夜は欠伸をした。
十分が経過した、部屋の中からは、もう少しー、と声が聞こえてくる。月夜は、これは一応デートなのかなぁ、と考えている。
十五分が経過した時、ようやくドアが開いて中から楓が出てきた。
「おそか・・・って、うわ」
楓の服装を見て月夜はつい、うわ、とか言ってしまった。
「うわ、って何よ・・・私が着物着てちゃおかしい?」
ぷー、と頬を膨らませる楓。今日の楓はハムスターみたいだな、と意味不明なことを月夜は混乱した頭で考え始める。
「やっぱり・・・変、かな?」
「ちょっと待て・・・ふー」
月夜はひとまず深呼吸をして冷静になってから楓を眺めた。実際のところ、月夜が楓の着物姿を見たのはこれが初めてではないが、今までとは違い、楓が好き、という感情を意識してしまった月夜には、それがとても新鮮に見え、可愛く見えた。不安そうに月夜を見ている楓に、月夜は純粋に感想を述べた。
「うん・・・似合ってるよ、それと・・・」
すごく可愛いぞ、と聞き取れない程小さな声で呟いてから、
「行こうか」
と言って照れ隠しをするように歩き出す。
「え?最後になんて言ったの?もう一回言ってよ、ねー」
月夜の後ろについてくる楓は、すごく嬉しそうな顔をしていた。本当は聞こえていたのに、もう一度・・・いや、何度でも言って欲しいと楓は思っているのだろう。
「言わない、絶対言わない」
顔を赤くしながら歩く月夜の横に並び、楓は、ねーねー、と微笑んでいた。その首には、月夜と同じペンダントが提げられ、淡く光っていた。
二人は茜に気づかれないようにそーっと玄関から外へ出て最寄の神社まで歩いてきた。そして現在に至る。
「なんっでこんなに人がいるんだろうな」
参拝客の列に並びながら、月夜はぶつぶつと文句をたれる。目的の場所までたどり着くには、およそ三十分はかかりそうだった。
「もう、文句ばっかり・・・私と出かけるの、嫌だった?」
隣にいる楓は落ちこんだ様に顔を伏せ、上目遣いに月夜を見上げる。
「いやいや、別に楓と出かけるのが嫌なわけじゃないぞ・・・ただ待ち時間も長いし、楓が寒くないかなぁ、とか。って俺、何言ってるんだろうな」
楓が見せた意外な技に、月夜はあたふたとする。いつの間にあんなの覚えたんだろう、と思いながらなんとか冷静さを取り戻そうとする。しかし・・・
「こんなに人がいればそんなに寒くないよ・・・それに、こうすれば、ほら」
楓はそう言いながら月夜に体を寄せる。微かに触れ合う程度の距離だったが、その楓の行動によって月夜の中から冷静という文字が消えた。
「暖かいんじゃないかなぁ、って」
頬を少し染めながらも、今日の楓はいつもより大胆だった。いつもの月夜なら、熱があるんじゃないか?と的外れな心配をするが、今の月夜にはそんな余裕すらなかった。楓の髪が揺れる度に香る匂いや、微かに触れ合う程度の微妙な距離が月夜の思考を遮る。いつもと違う楓に、月夜はつい見とれてしまった。
「どうしたの?列進んでるよ」
その言葉に、はっ、となった月夜は、照れ隠しをするように頬をかきながら足を進める。
「あー、うん・・・そっか」
一人で何かを納得するような月夜の呟きに、楓の頭上に今度はハテナマークがぴょこんと現れてはすぐ消えた。
「変な月夜・・・」
「変って言うな」
そう言いながらも、今日の自分が変であることを月夜は理解していた。
(いや、変、でもないか・・・俺ってこんなに、楓のこと好きだったんだな)
好きだからこそ、こんなにも楓に対してドキドキする。それを再認識させられ、月夜は苦笑した。しかし月夜も、やられっぱなしってのもな、と思いながら、無造作に楓の腕をつかんだ。
「きゃっ、ど、どうしたの?」
いきなりのことに焦る楓に、月夜は平静を保ちながら言った。
「こうした方が、もっと暖かいんじゃない?」
急がず、けれどゆっくりすぎずに、月夜は自分の腕を楓の腕に絡ませる。傍目から見たら、腕を組んでいるカップルにしか見えない。
「え、え・・・月夜?」
顔を赤くしておろおろとしている楓を見ながら、月夜も同じく顔を赤くしていた。これでおあいこかな、と心の中で月夜は微笑んでいた。
結局二人は腕を組んだまま、数十分の後賽銭箱の前に着いた。
「楓は何お願いするんだ?」
ふと気になった月夜はそう聞いてみた。
「秘密、言ったら叶わない気がしない?」
「そっか・・・そうだな」
妙に納得した月夜の隣で、楓は組んでいる腕を一度離して賽銭箱に五円玉を投げ入れる。軽く目を瞑って手を合わせているその姿には、仄かないじらしさがあった。そんな楓を見ながら、月夜は何をお願いするか考えた。単なる一行事に過ぎなく、簡単に願いなど叶うものではないが、やるからにはそれなりに真剣にやろうと月夜は思っていた。
(戦争がなくなりますように、とか?・・・真面目すぎるか。兄貴の記憶喪失が治りますように、とか?・・・いまいちしっくりこないなぁ、大体から願って治るなら俺も苦労してないし)
あれやこれやと考えながら、さりげなく神頼みを否定している月夜は、困った顔をしていた。
「どうしたの?」
願い終えた楓が、考え込んでいる月夜の顔を覗きこんだ。軽く集中している時に、いきなり顔を覗きこまれた月夜はちょっと焦った。
「い、いや・・・えーと・・・」
焦りながらも、楓の顔を見て月夜は何かピンと来た。そうだな、と呟いてから、五円玉を賽銭箱に投げ入れる。そして軽く目を瞑り、両手を合わせて祈る。数秒後、目を開いた月夜は微笑みながら楓の腕をとって腕を組んだ。
「行こうか」
「うん」
楓もまた、微笑み返し、二人は寄り添いあって歩いていった。
「さて、メインは終えたことだし、これからどうする?」
「んー、おみくじとか?甘酒も飲みたいし」
人込みの中を歩きながら、二人は今後のことを話し合っていた。
「そういえば、ご飯もまだだよね。うーん・・・どうしよう」
神社にはいくつかの屋台も出ていたが、主食になるようなものはなく、かといって綿飴やリンゴ飴などのお菓子を朝ごはんの代わりにするのは楓には多少の抵抗があった。
「俺はそこまでお腹すいてないから、ゆっくり回った後ご飯でもいいけど?家でもいいし、外食でもいいし」
「うーん・・・じゃあ、先に回っちゃおうか」
「楓は食べなくても大丈夫なのか?」
「平気だよ、ダイエットだと思えば軽い軽い」
三食しっかり食べないと余計太るんじゃねーかなぁ、と月夜は思ったが口には出さなかった。
予定を決めた二人は人混みの中ぶつからないようにのんびりと歩いた。行き交う人々は幸せに満ち溢れた顔をし、楽しそうに笑い合ったり、じゃれあったりしている。
(平和、だよな・・・辛い現実の中でも、一時の幸せを最大限まで楽しめるから人間は生きていける)
「っと!?」
行き交う人々を見ながらそんなことを考えていた月夜は、前から歩いてきた人にぶつかってしまった。月夜は多少よろけたが楓に支えられたおかげで倒れなかった。しかし、ぶつかった相手は後ろに尻餅をついてしまっていた。
「ごめん、大丈夫?」
月夜は楓から腕を離し、倒れた少年に手を差し伸べた。相手はそれをとって立ち上がって申し話なさそうな顔をした。
「大丈夫です。すいません、少々よそみをしていたんで」
「いえいえ、俺もよそみしてたんで・・・」
背は月夜と同じくらいで小柄。細くてきれいな白髪は鼻先辺りまで垂れ、耳を覆い隠している。顔つきはやんわりとしているのに、その赤みを帯びた目は細くて鋭い、そんな少年だった。人を寄せ付けないような雰囲気の少年は、それとは真逆の人懐っこい笑みを浮かべて月夜の顔を見つめている。白い髪の間からのぞく強い視線を感じ、月夜は怪訝な顔をした。
「どうかしました?」
「・・・いえ、僕の勘違いだったようです。それでは、また」
人懐っこい笑みを浮かべたまま、少年は月夜の横を通り過ぎていった。
「もう、月夜ってば、よそみして歩いてちゃだめでしょ?」
「・・・」
叱るような楓の言葉は、月夜の耳に届いてはいなかった。何かを考えているように、黙りこくっている。
「・・・月夜?」
「・・・ん?何か言った?」
今ようやく気づいたというように、月夜は楓に顔を向ける。楓は小さく溜め息をつきながら、ペチペチと月夜の頭をはたいた。
「よそみして歩いちゃだめ、分かった?」
「ああ、うん、分かってるよ」
「もう・・・」
楓は再度月夜と腕を組んで歩き出す。月夜もそれにつられて歩くが、気持ちは上の空だった。
(なんだろ、あの子・・・どこかで会ったような、懐かしい感じがした・・・それと同時に、少し、嫌な感じも)
月夜がいつも嫌な感覚を感じるときに出る悪寒は今回はなかった。だからこそ月夜は、まぁ気のせいかな、と自分なりに納得した。
月夜は心底分からない、といった表情で悩んでいた。その手元には、今さっき引いたおみくじがにぎられている。
「これは・・・どういう意味なんだろ?」
『今年のあなたの運勢は「大凶」です』。そこまでは月夜にも分かった、分からないはずがない。しかし、その下に書かれている一文に月夜は頭を悩ませていた。『運命の出会いがあるでしょう』。
(大凶なのに運命の出会い・・・?まさか楓と俺とその人の三角関係とかか?いやいやまて、そんなことあるはずもないし・・・)
「どうしたの?」
ただのおみくじ相手に真剣に頭を悩ませている月夜の隣に、楓が来た。その両手には、甘酒が入った紙コップが握られている。
「はい、これ」
「ありがと」
差し出された紙コップを受け取って月夜はお礼を言う。それを一口飲んで、甘酒の熱さに顔をしかめてから月夜は楓に聞いた。
「楓はおみくじどうだった?引いてきたんだろ?」
楓もまた、甘酒を一口飲んでから答える。
「私は大吉だったよ、運命の出会いがあるって書いてあって少しびっくりしたよー」
「・・・全部に書いてあるとかいうオチじゃねーだろうな」
「え?」
不思議そうな顔をしている楓に、月夜は自分が引いたおみくじを見せる。
「なになに・・・大凶、運命の出会いがあるでしょう?・・・何これ」
「なんかおかしいだろ、大凶なのに運命の出会いって。でも、全部、もしくは半分ぐらいのおみくじに書かれてるのなら、そういうこともあるよな」
「そだねぇ・・・運命の出会い安売りだね」
「だなぁ、なんか運命も霞むよな」
二人は甘酒を飲みながら、しみじみとぼやいていた。月夜にとって「大凶」の出会い、楓にとって「大吉」の出会い、運命というものは、その全てが良いものとは限らないということをこの時の二人は深く考えていなかった。
「そろそろ、帰る?」
空になった紙コップを何の気なしに見ながら、月夜は楓に聞いた。
「んー・・・どうしよっか」
楓もまた、空になった紙コップを手でいじりながら返答した。
「家出てから大分経ってるし、そろそろ平気だと思うんだよね」
楓が帰るかどうか悩んでいるのは、酔って暴れている姉さんのせいだろうなぁ、と思った月夜はそんな言葉を口にした。
「うーん・・・」
それでも楓は何かを思い悩んでいるようだった。
「どうかしたのか?」
鈍感な月夜は気づかない。冬休みの大半を家で過ごしていた二人は、周りに人がいるとはいえこんな風に二人っきりになることが数少なかった。だからこそ、楓はもう少しこの状況のままでいたかったのだ。
「そだね・・・帰ろうか」
どことなく落ち込んだ声を出す楓に、月夜はハテナマークを浮かべていた。
元日ということだけあっていつもより交通量や人の流れが多い道を、二人は歩いていた。もちろん、家に帰るためだ。相変わらず腕を組んでいるが、神社を出た時辺りと同じく楓の表情はあまり晴れてはいなかった。心配になった月夜は、楓に聞く。
「ほんと、大丈夫か?なんか元気なさそうだけど」
「なんでもないよ、大丈夫」
素っ気無く返す楓に、月夜は軽く頭を悩ませた。諺にも、結果良ければ全て良し、というものがあるが、今回はむしろ、過程が楽しかったのに結果はいまいち、といった感じだった。月夜としては、それが嫌だった。月夜にとっても、楓と二人の時間は大切なものなのだから。
だから月夜は頭を働かせて考えた、どうして楓は機嫌(もしくは体調?)が悪いのか、ということとそれの解決策を。
(・・・わっかんねーなぁ)
考えてみても、特に恋愛ごとに関してはうとい月夜には分からなかった。仕方なく、月夜はてきとうな話題をふってみた。
「そういえば、冬休みの宿題終わった?」
「まだ終わってないよ」
「そっか、じゃあやらないとな」
「うん」
それで会話が終わった。わずか十秒程度の短い会話だった。いつもの楓なら、月夜は?などの切り返しがあるのだが、今の楓はやっぱり素っ気無かった。
(・・・どうしろと?)
不機嫌そうな楓の隣を歩きながら、月夜は切なくなった。楽しくなかったのかな・・・、などと嫌な考えすら頭に浮かんできてしまった。元日から、重々しい雰囲気が二人を包む。月夜は諦めたように溜め息を吐き出し、仕方がないので今自分が気になっていることを聞いた。
「そういえば、結局楓は何をお願いしたんだ?」
「教えないよ?」
先ほどから一文を超えない楓の素っ気無い返答にめげずに、月夜は続ける。
「別に知りたいわけでもないんだけど・・・」
その言葉に、楓の体が震えた。どうやら怒っているようだ。しかし、月夜の次の言葉に楓は首をかしげた。
「同じ願いだったらいいな、って思っただけ」
「同じ願い?月夜は何をお願いしたの?」
楓も気になっていたようで、興味をひかれて月夜に聞き返した。
「当ててみ」
月夜はいたずらっぽい笑みを浮かべてそう言った。楓は少し悩んでから、口を開いた。
「ランスの記憶が戻りますように、とか?」
「それも考えたけど、結局それにはしなかったなぁ」
再度考え、楓は口を開く。
「戦争がなくなりますように、とか?」
「それも考えたけど・・・って俺が考えてたこと当てられまくりだな、そんなに分かりやすいのか、俺は?」
「付き合い長いからね、月夜のことはなんとなく分かっちゃうよ」
もっと私のことも分かって欲しいな、と心の中で思ったことは口にはしなかった。付き合いの長い二人でも、恋愛面のお互いの感情を理解するのは相変わらず鈍感だった。
「俺も楓のことは分かってるつもりなんだけどなぁ・・・」
少し哀しそうに言う月夜の瞳には、愁いの色が浮かんでいた。
「それで、結局月夜は何をお願いしたの?」
「んー・・・」
照れくさそうに頬をかきながら、月夜は小さな声で言った。
「楓とずっと一緒にいれますように、かな」
何度も言うが、月夜は恋愛ごとに関しては鈍感だ。鈍感というよりもはや天然で、その一言のおかげで楓の機嫌が良くなったことなど気付きもしなかった。
「同じだったらいいなぁ、なんて思うんだけど・・・自信過剰かな?」
照れ笑いを浮かべている月夜だが、内心は結構不安だった。軽く頬を赤に染め、楓はうつむいている。その表情は、嬉しそうだった。
「私も、月夜と同じだよ・・・月夜と、ずっと一緒にいたいってお願いした」
小さな声で恥ずかしそうに言う楓に、月夜も顔を赤くした。
「そっか・・・なんか、照れるな」
月夜もまた、嬉しそうに微笑んでいる。
「うん・・・恥ずかしい」
そう言いながらも、楓は組んでいる腕に少し力をこめた。ぎゅっ、と月夜の腕にしがみついている。月夜はそんな楓を愛しく感じながら、わずかに身を寄せた。傍目から見たらいちゃいちゃしているバカップルだが、いや実際バカップルみたいなものなんだが・・・照れ臭さがあり、それでも幸せそうな表情をした初々しさの残る二人は、微笑ましかった。
「少し、公園でも寄ってかない?」
二人が家の近くに来た時に、月夜が唐突にそう言った。
「行く行く」
楓は喜んでそれに頷いた。楓の気持ちを察して言ったわけではなく、ただ単に月夜も楓ともう少し二人っきりでいたかったからだ。
「それじゃ行こう」
真っ直ぐ進めば幾分もかからずに家にたどり着く道を、二人は途中で右に曲がった。そして少し歩いた先には、さほど広くもない公園があった。公園といってもそこまで遊び場があるわけでもなく、精々ブランコと滑り台、そして入り口付近にベンチがあるだけだった。
「人、いないな」
月夜は公園内にあるベンチに腰掛け、辺りを軽く見回してからそう言った。
「小さい公園だもん、仕方ないよ」
その隣に寄り添うように腰掛け、楓はそう返した。
「そうでもないだろ?俺らが子どもの時は、もっと人がいたと思うぞ」
昔を懐かしむようにしみじみと言う月夜に、楓は考えながら言う。
「今の子どもはあんまり外で遊ばないんじゃないかな?」
「時代の流れを感じるねぇ」
年寄りくさい月夜の言い草に、楓は笑ってしまった。
「年寄りくさいよ月夜・・・でも、そうだね。あれから、大分経つんだもんね」
楓もまた、昔を懐かしむように呟く。二人が子どもの時からあったこの公園に昔の面影はなく、当時二人が子どもだった時遊んでいたブランコの鎖は錆付き、寂しそうに風に揺られて動いている。
「よし、ブランコ乗るかー」
突然立ち上がってそんなことを言い出した月夜は、とことことブランコへ歩み寄る。そんな月夜の行動に楓は少し驚いたが、すぐにその後を追った。
月夜はブランコに座ったが、小さなブランコは今の月夜にはこげそうになかった。
「こんな、小さかったんだな・・・仕方ない」
行儀悪いなぁ、と思いつつ、月夜はブランコの上に立ち上がった。いつか月夜が見た風景よりも一段と高い風景が、月夜の目に映る。
「もう、月夜ってば・・・」
月夜よりやや右側にあるブランコに座り、楓はそんな月夜を見ている。言葉とは裏腹に、その表情は楽しそうだった。
「楓もやってみれば?案外、とっ、楽しいよ?ほっ」
徐々に速度を増し、振り子のように月夜は振られている。
「着物が汚れたらいやだから、やらないよ。それに・・・」
あの頃みたいな月夜を見ているだけで、私も楽しいから。と、心の中で呟く。そういえば、と楓は考え込んだ。月夜は幼い頃に一度、隣で楓が見ている中こんな風にブランコを強く揺らしていた。あの時・・・どうなったんだっけ?と楓の中に嫌な不安がよぎった。
「うっひゃー!」
月夜の突然の叫びに楓ははっと気づいた。隣にいたはずの月夜はそこにいなく、激しく振られているブランコだけがそこにあった。月夜は鳥に・・・なったわけもなく、ブランコより数メートル離れた位置に転がっていた。楓はそれを見てようやく思い出した。その時も、月夜は・・・
「鳥になったんだっけ・・・」
と呆れたように楓は呟く。もちろん羽ばたく翼がないので、引力に引かれて落下する。忘れていたことを思い出した楓は喉のつっかえがとれたかのような安堵の息を吐いてから、それどころじゃない!と思い月夜に走り寄った。
「大丈夫!?」
「大丈夫・・・じゃないかも」
なんとか手をついたものの、上半身から地面に突っ込んだ月夜は弱弱しく答える。着地後もころころと転がった月夜とその着ていた服は、土で汚れていた。
「もう、馬鹿!怪我したらどうするの!?」
倒れたままの体勢で楓に抱きかかえられた月夜は、もう十分怪我してるんだけど・・・、と聞こえないようにぼやいた。実際、月夜の体にはいくつもの擦り傷があった。
「いたたた・・・ん?前も、あったよな?こんなこと」
月夜は痛みを感じながらも、昔のことを思い出す。そういや、あの時も飛んで怪我して・・・ああ、こんな風に楓に抱きかかえられたっけ。俺何も変わってないなぁ、と月夜は落ち込んだ。
「ほんと、月夜は何も変わってないね・・・あの時と、同じままで」
心配そうに顔を覗きこむ楓は、決して悪い意味でそれを言ったわけではなかったのだが、勘違いした月夜はすねたように言う。
「子どものままで悪かったな」
「そういう意味で言ったんじゃないよー」
ついついそんな月夜を見て、楓は笑ってしまう。楓からしたら月夜はかっこいいというよりも、可愛い存在だったからだ。
「笑うなーー!」
「ごめんごめん・・・立てる?」
「どうだろ、うっ・・・」
体を起こそうとした月夜は、痛みに顔を歪める。着地(正確には落下)した時に頭は守ったものの、他の部分は擦り傷だらけだった。ついでに打撲もしており、月夜は体を少し動かすだけでも痛かった。
「大丈夫?痛いなら、もう少しこのままにしとく?」
「着物、汚れちゃうだろ?」
月夜を抱きかかえている楓は膝をついている、もちろん地面に触れている部分の着物は土で汚れていた。
「着物よりも・・・月夜のほうが大事だよ」
楓はためらうことなく地面に座り、月夜が楽になるようにその頭を膝の上にのせた。
「馬鹿、そんなことしたら・・・」
「月夜のほうが大事なの!・・・心配なんだからね」
尚も食い下がろうとする月夜だが、楓の剣幕に押されて口を閉じた。楓の気持ちを嬉しく感じるのと同時に、なんとなく情けなく感じて月夜は落ち込んだ。着物を汚させてるのは、結局俺だもんな・・・、と心の中で呟く。
「月夜は分かりやすいね・・・怒ってる時も落ちこんでる時も、すぐ分かる」
そんな月夜の気持ちを察した楓は、そう言いながら月夜の頭をなでる。公園の、しかも地面に直接座ってそんなことをしている二人だったが、それを冷やかすような観客はいなかった。
「俺が単純なのか、楓が鋭いのか、それとも・・・」
好きだから分かるのか、月夜はそれを口にはしなかった。口にしなくても楓には伝わるだろうな、と確信的な自信が月夜にはあったからだ。案の定、楓は特に追求せずに、頬を仄かに染めながら微笑んでいた。体の痛みを感じながらも、月夜は妙に晴々とした気持ちで心地の良い安心感に身を委ねていた。
「そろそろ、帰ろうか」
どれだけの時間そうしていたのか分からない、しかしある程度痛みのひいた体を月夜は起こした。
「こんなところでいつまでも寝っ転がってちゃ、変な人にしか見られないしな」
苦笑しながら言う月夜に、楓は、
「そうだね」
と遠慮なく言った。立ち上がった月夜は楓の手をとって立ち上がらせる。
「ごめんな、結局着物、汚れちまった」
自分の服はそっちのけで、月夜は楓の服をはたく。砂や埃と違って、表面上の土はとれても服に染みこんだ土の色はとれなかった。
「洗えばいいんだもん、気にしないよ」
「さっきと言ってること違うな」
からかうように言う月夜の頭に、いつものように楓の平手が・・・飛ばなかった。その代わり楓は月夜の服の裾を軽くつかんでいった。
「もう、危ないことしないでね?」
「わ、分かってるよ」
いつもと様子が違う楓に、月夜は面食らってどぎまぎしながら答えた。
(なんか今日は、調子狂うなぁ・・・)
神社で楓が見せた女の子っぽい(失礼)仕草やちょっとした大胆さ、そして優しさ(楓は元より優しいが)、それらが今日の楓はいつもとなんとなく違うと月夜に感じさせた。
「じゃあ、帰ろう」
「だな」
今日はずっとそうしてきたように、腕を組んで歩き出す二人。月夜が、今日の楓なんかおかしくない?と聞こうかどうか悩んでいる間に、家までの短い距離はもうなくなっていた。
人間の幸せの時間とは短いもので、もちろん人間である月夜と楓の幸せの時間も短かった。二人が家を空けている間、家の中は朝方よりも惨状を呈していた。茜・ランス・リミーナはリビングの床に転がり、意識を失っている。酒瓶はそこかしこに転がっており、テーブルは穴だらけになっていて無残な姿になっている。四本ある足も半分が折れ、斜めに傾いている。その周りにある椅子さえも、無事な姿で残っているのは五つの内二つだけだった。
「・・・さて、外食しようか」
月夜は痛くなる頭を抑えながら、何も見ていないかのように先ほど入ってきた玄関へと足を向ける。
「・・・うん、そうだね」
楓も同様に、すぐさま踵を返した。元日からこれでは先が思いやられる、と二人は頭を悩ませながら、家を出て行った。
「どうしたもんかね・・・何食べる?」
隣を歩く月夜の言葉は、楓には届いていなかった。心ここにあらず、といった楓に、月夜は不思議そうな顔をしてもう一度声をかけた。
「おーい、聞いているか楓?」
「え!?な。なに?」
それでようやく気づいた楓は、月夜に聞き返した。
「何食べるの?」
「えーと・・・月夜の好きなものでいいよ」
と、特に関心なさそうに言った楓は、また何かを考えているような顔をし始めた。
「俺の好きな物・・・ねぇ。それにしてもどうしたんだ?なんか様子が変だぞお前」
「そんなことないよ」
空々しく出されたその言葉に、月夜はハテナマークを浮かべながらも黙った。とりあえず、何を食べるのか決めようと思ったからだ。
そんな月夜をよそに楓は、朝自分が決めたことを思い出していた。一年の計は元旦にあり、その諺通りに、自分は今日うまく出来ていただろうか?と考えている。
茜が戻ってきたことによって、楓はやきもきしていた。当の茜がランスといい雰囲気なのは重々理解していた楓だったが、いつまた月夜にその気持ちが向くかどうかが、楓にとっては重大なことだった。茜からの月夜宛ての手紙を知らない楓は、そのことで悩んでいた。そして、決めたのだ。茜に負けないように、月夜に対して大胆に接しよう、と。
お姉ちゃんはきれいだけど、絶対に負けたくない。その気持ちが、今日の、そしてこれからの楓を後押しする結果となっていた。そしてその行動は、しっかりと月夜の気持ちをつかんでいた。元より月夜の気持ちは楓にあるのだが、いつもと違った楓に、月夜の心は更に楓に惹かれていた。
両想いの癖に何やってるんだこいつら?と思う人もいるかもしれないが、恋する乙女なのだから好きな人により振り向いて欲しいと思うのは、仕方のないことかもしれない。
うまく出来たかな?と悩んでいる楓の横で、それを露知らずの月夜は、何にしようかなぁ、と昼ご飯のことを考えていた。
微笑ましくも天然な二人は、お互い違うことに考えを巡らせながら、歩いていった。
上空から、月夜たちが住んでいる町を見下ろしている人影がいた。正確には、人の形をしているが人間ではない。その証拠に、その男は飛行機や気球などの人が飛ぶための道具を使わずに、まるでそこに床があるかのように、地面から数百メートル程離れた空に立っているのだから。
「目覚めてより幾度となく見てきたが、やはりこの世界は変わってしまったのだな・・・」
男は望郷の念を含んだ哀しみの声で呟く。貴族のようななりをしたその男は、かつて日本軍に籍を置く白髪の青年の前に現れた人物だった。
「あと少し・・・あと少しなのだ・・・」
近い未来を感じさせるその言葉には、今に対する悔しさや歯がゆさのようなものが混じっている。男の目には強い怒りと、深い哀しみがあった。
「現在の世界に神がいないと言うのなら、私が神になろう。この世界に、破滅と創造をもたらす神に・・・!」
空々しさのある声で叫び、男は青い空に吸い込まれるようにその姿を消した。