平穏
あれから、約二ヶ月が過ぎようとしていた。季節は秋から本格的な冬になり、生い茂っていた草木は心なしか元気がなさそうにうなだれている。厳しい寒さが始まる中、彼らは平穏な生活を送っていた。
突き刺さるような寒さに月夜は目を覚ました。
「さ、さみぃ・・・窓あいてんじゃねーか」
誰に言うでもなく独り言を言いながら、布団をまとったまま立ち上がり窓をしめる。
「そういや昨日の夜暑かったからあけといたんだった・・・油断してたな」
またしても風邪をひくところだった、と月夜は溜め息をついたが、楓が看病してくれるしそれもありか?などと不謹慎なことも考えていた。月夜は布団に戻って寝なおそうとしたが、ふと気になったので時計を見てみる。短い針が八を少し過ぎた辺り、長い針が四ちょうどを指し示していた。
「・・・あれ?」
八時二十分、完全に学校に遅刻する時間だった。
「まじかよ・・・」
覚めきっていない目をしょぼしょぼとさせたまま、月夜は急いで身に纏っていた布団を放り投げる。
「さっさと着替えないと、いやいやその前に楓を起こしに行かないと、というか楓まだ寝てるのか?まさか置いてかれてないだろうな」
慌しくタンスに走り寄ったりドアの前で悩んだりと、月夜の覚めていない頭は混乱していた。
「とりあえず楓を起こそう」
自分が起こされていないということは、楓もまだ起きていないという結論に達し、月夜は早々に自分の部屋を出て楓の部屋に行く。
「楓、起きてるか?朝だぞー、遅刻だぞー」
部屋のドアをノックしながら呼びかけてみるが、返事はなかった。仕方ない、といった感じで月夜はドアノブに手をかける。鍵はかかっていなかった。ドアを勢いよく開けて月夜は中を見る。
「楓ー、あれ?いない・・・やっぱり置いていかれたのか・・・?」
切なそうな顔をして立ち尽くしている月夜の背後から、声がかけられた。
「朝からうるさーい!何やってるのよお兄ちゃん」
月夜が振り返るとそこには眠そうにまぶたをこすっているリミーナがいた。吸い込まれそうな青い瞳が月夜を睨んでいる。
「リミーナか、お前も今日学校だろ?遅刻だぞ、説教されるぞ」
月夜の言葉にきょとんとしながら、リミーナは呆れた様に口を開く。
「何言ってるのよ、今日から冬休みでしょ!」
「あ・・・忘れてた」
ははは、と笑いながら月夜は楓の部屋のドアを閉める。
「じゃ、俺は寝るから」
びしっ、と片手を顔の前にあげて逃げようとする月夜の腕をリミーナはつかむ。
「人を起こしといてそんなことさせないよ・・・私の睡眠を返せーー」
「悪かった、悪かったって!グーはやめろグーは!」
傍目から見たら、小動物がじゃれあっているような光景だった。ポカポカと何回か月夜を殴った後、リミーナは月夜の腕を引っ張って歩き出す。
「おい、どこ行くんだ?」
「目が覚めちゃったから、ご飯食べに行くの。嫌とは言わせないよ」
「外食か?それなら金はない、しかもパジャマのままだろ俺ら」
「リビングに決まってるでしょ!」
コントをやっているような二人は、早々にリビングへと歩いていった。
「あ、おはよう。どうしたの?今日は早いね」
先ほど部屋にいなかった楓はリビングにいた。ご飯を食べながら、入ってきた二人を物珍しげに見る。
「お兄ちゃんが楓の部屋で騒いでるから起きちゃったの」
「ばっか!誤解を招きそうな発言するな」
「私の部屋で?何してたの月夜」
楓のいぶかしむ様なじとーとした視線に気づき、月夜は慌てて誤解をとこうとする。
「誤解だってば、別にやましいことは何もしてない!」
「楓も早く起きてて助かったね」
からかいながら火に油をそそぐリミーナの言葉に、楓の視線は蔑みの目に変わった。
「月夜のへんたい」
「へんたーい」
女は三人集まればかしましいというが、実際は二人でも十分だった。月夜は溜め息をつきながらすねて言う。
「いいよいいよ・・・どうせ俺はへんたいさー」
吹き出しながら二人はそれを見ている。
(こいつら・・・)
朝から月夜の疲労度が大きく上昇したのだった。
「おい、それは俺のだぞリミーナ!」
「早い者勝ちでしょ?」
「く・・・ならこのから揚げの命がどうなってもいいんだな?」
「あ、ずるいー!」
楓が作ってくれた朝食を、二人は子どものように取り合っていた。そんな二人を見て、楓は呆れながら止めにはいる。
「はいはい、まだあるから。月夜も子どもじゃないんだから、リミーナちゃんに譲ってあげなさいよ」
「楓の言うとおりだよ、お兄ちゃん大人気ないよ」
勝ち誇ったように次々と食べていくリミーナ。
「朝食は戦いだ、妹でも容赦はしない!」
負けじと箸をのばす月夜。
「いい加減にしなさい!」
二人を止める楓の声が響く。朝から賑やかな食卓だった。
「ふー・・・食べた食べた」
「もう少し静かに出来ないの?全く・・・」
朝食を食べ終えた三人は、日当たりの良い窓際の絨毯に座っていた。右から、月夜・リミーナ・楓と並んでいる。
「賑やかでいいだろ?」
「お兄ちゃんの場合はうるさいって言うのよ」
「お前に言われたくないぞ」
またしてもじゃれあうようにペチペチと叩き合っている二人。呆れた様な顔をしながらも、楓はそれを微笑ましそうに見ていた。
「どうしたんだ?楓」
リミーナの腕を両手で押さえながら、楓の視線に気づいた月夜が言う。
「んーん、なんでもないよ。やっぱり兄妹って、いいなぁって思っただけ」
どこか懐かしむように言う楓に、月夜は真面目な顔で言った。
「俺が、いるだろ?姉弟として・・・そして、」
「私もいるよ、楓」
月夜の邪魔をするように割って入り、声をあげるリミーナ。
「なんなら、お姉ちゃんって呼ぶようにするけど?」
月夜の恨みがましい視線をものともせずに、リミーナはそう続けた。
「二人とも・・・ありがとう。お姉ちゃんか、ちょっとむずがゆいね」
照れ笑いを浮かべながら、微笑む楓。こんな日常がまた戻ってきた嬉しさを感じながら、楓は幸せに思っていた。月夜もそれを感じたようで、微笑みながら遠くを見つめるような目をした。
「色々、あったよな。ほんとに・・・」
「うん・・・」
高校生になってから一年間、正確にはまだ八ヶ月だが、二人の間には色々なことがあった。時には傷つき、時には笑い合い、そして元々あった恋慕の念は大きく成長していた。
「二人とも、年寄りくさいよ。まだまだ先は長いんだから、そんなんじゃもたないよ?」
リミーナの言葉に、月夜と楓は笑ってしまった。
「そうだな、色々あったけど、これからも色々あるんだもんな」
「そうだね・・・まだまだ、これからだよね」
来年になれば二人は高校二年生になる。今まであったような事件はもう起きないかもしれないが、それでもやらなければいけないことがたくさんあるのだ。リミーナも同様に、今まで失ってきたものを取り戻すかのように平穏を送っている。丸く収まったかのように見えるが、実は一つだけ、三人には問題が残っていた。
「そういえば、兄貴は?」
「まだ寝てるんじゃないかな?起こしにいこうか?」
「私が行こうか?」
立ち上がろうとする二人に月夜が、
「いいよ、俺が行くから・・・姉妹でゆっくりしてなよ、俺も・・・ゆっくりしてくるから」
意味ありげに言った言葉に、二人は頷いた。
月夜が去った後、楓が、そういえば・・・、と切り出した。
「覚えてる?前にリミーナちゃんが私に言ったこと」
リミーナは不思議そうな目を楓に向けて、
「なんのこと?」
と返した。
「ほら、二ヶ月前のあの時・・・私がすごいとかなんとか」
「ああ・・・そうだね、お姉ちゃんはすごいと思うよ」
「どうしてそう思うの?」
楓は首をかしげる。この二ヶ月間、忘れていたわけではないのだが聞き出す暇もなかったのだった。
「普通の人間なら、自分を殺そうとした人を庇うのも許すのも出来ないと思うよ」
「なんだ、そんなことかー・・・うーん、言うのもなんだけど、別に庇ったわけじゃないよ?」
「知ってるよ、あんなお兄ちゃんを見ていられなかったんでしょ?でもどんな理由があったとしても、私はお姉ちゃんに助けられた。なんていうのかな・・・そしたら、自分がやってることがとてもばかばかしく思えたの」
自分でもなぜそう思ったのか分からない、といった感じで出されたリミーナの言葉に、楓が笑いながら返した。
「私は何もしてないよ。そう思ったのは、リミーナちゃんが人間だからだよ」
「そうかな?・・・でも結局、ママを助けたくてやったことがママを苦しめちゃった。人間失格かな」
アメリカは未だに大統領暗殺の混乱から立ち直れないでいるが、なぜかリミーナたちのことを秘密裏に隠し通した人間がいた。しかし、それを知っている一部の上の人間が、ティアーナ博士に終身刑を課したのだった。死刑ではないことが、唯一の救いだったのだが・・・。結果として、リミーナがやったことはティアーナ博士を苦しめる形となったのだった。
「それどころか・・・私は途中から、ママのことなんて忘れていたのかもしれない。人間が許せなくて・・・ただ、私は世界を壊したかっただけなのかもしれない・・・」
泣きそうな顔で言うリミーナを、楓は抱き締めた。驚くリミーナに、優しい声で言う。
「人間だから、間違えちゃうんだよ。やっちゃったことは元に戻せないけど、反省して、次は失敗しないようにすることは出来るから・・・何が善くて何が悪いのか私には分からないけど、悪いと思ったのなら謝ればいい。そしたらいつかきっと、自分自身がそれを許せる時が来るよ」
子どもを諭す母親のような楓の声に、リミーナは涙を浮かべた。
「ごめんなさいお姉ちゃん・・・ごめんなさいママ・・・ごめんなさい・・・」
その場にいる楓、その場にはいないティアーナ博士・・・そして、巻き込んでしまった数多くの人間にリミーナは謝った。子どものように、楓にしがみついて泣いている。そんなリミーナの頭を、楓は優しく撫でた。
「辛かったんだよね?苦しかったんだよね?泣いていいよ、たくさん泣いて・・・そしたらきっと明日は笑顔になれるから」
楓の左頬にはリミーナにつけられた傷がまだ残っている。その傷は深く、一生消えることはないだろう。そんな傷をつけられてもなお、楓はリミーナを許している。両親を奪ってしまった月夜を許したように、楓はリミーナを許している。それはリミーナが言ったように、決して普通の人間にまねできることではなかった。
「うっうっ・・・」
「よしよし」
泣き続けるリミーナを、楓はただ優しく抱き締めていた。
月夜は今、ランスの部屋の前にいた。心なしか、表情が硬い。軽く深呼吸をしてから、月夜はドアをノックする。返事はなかった。本来の月夜ならばその時点で勝手に入ってしまうが、今日の月夜はそれをしなかった。仕方なく根気強くノックをしていると、中から、
「どうぞ」
と声が聞こえた。月夜はその声に、ほっと安堵の息をついてから、ドアノブを回す。ドアの向こうにいたのは、布団から上半身だけ起こしたランスだった。
「おはよう、調子はどう?」
いつもの気兼ねない口調ではなく、どことなくよそよそしい口調で月夜は尋ねる。同様に、ランスもよそよそしい口調で返した。
「体の方は大丈夫なんですけど・・・こちらは、いつも通りです」
自分の頭を指さしながら、ランスは辛そうな顔をする。
「まだ、自分自身全く分からないんです・・・弟の君には、辛いことかもしれません」
「いや、気にしないでいいよ。一番辛いのは、ランスさん、あなた自身なんでしょうから」
平静を保ちながら月夜は言う。その実、一番傷ついているのは月夜だった。
「悪いね、迷惑かけてしまってるみたいで・・・あ、どうぞ中へ」
「それでは、遠慮なく」
月夜は心の内を相手に悟られないようにしながら、ドアを閉めてランスの少し前に腰をおろす。距離は近いのに、月夜にはなぜかランスが手の届かない場所にいるような錯覚を感じた。特に話すこともなく、居心地の悪い雰囲気が流れる。
「医者の話じゃ、どこにも異常はないらしいのですぐに治るそうですよ」
その場の空気に耐えられず、月夜は今まで何度も言ってきたことを口にする。
「そうですよね・・・どうして僕は、記憶喪失になんてなってしまったんでしょうか・・・」
ランスのこの言葉も、月夜は何度も聞いてきた。
「事故じゃしょうがないですよ。こんな言い方はなんですが、怪我がないだけましだと俺は思いますよ」
月夜には自分の言葉が他人のもののように聞こえた。それどころか、自分自身が他人の様に感じてしまう。今の月夜にとってランスが知らない人であるように、ランスにとって月夜は知らない人だ。ランスには自身のことすら他人のようで、そんなランスの前にいると月夜も自身が他人のように感じてしまっていた。
「そうかな?自分の記憶がないというのは、自分の体がないよりも不安なことだと僕は思います。結局、体がなくては記憶もなくなってしまうんですけどね。・・・すいません、分からないですよね、こんなこと言っても」
「分かる気はしますよ。自分が自分じゃない感覚は、なんとなくですが分かりますから」
インフィニティの時の月夜は月夜であって月夜ではない。だからこそ、月夜にはランスの気持ちがなんとなくだが分かっていた。
「こんな自分が、どうにも歯がゆいものですね・・・」
ランスの言葉に、月夜は胸を締め付けられた。ランスがこうなってしまったのは、自分に非があると月夜は思い込んでいたからだ。蘇生は確かにうまくいった、サーシャは記憶もあり、元気そのものだった。しかし、ランスは違った。自分は散々ランスを苦しめた挙句、殺し、記憶を奪い取ってしまった。それが、月夜を大いに苦しめた。
「ランスさんが悪いわけじゃ・・・ないですよ」
自分が悪いのだ、全て・・・しかし、月夜はそれを言うことができなかった。
「そうです・・・ね。悲観的になっても仕方ありませんよね。すいません、もう少し休みたいので・・・」
「分かりました、また来ます」
自分の家の一室なのに、月夜はこの部屋がまるで違う家のように言い残し、部屋を出て行った。ドアを閉めた後、少しの間月夜はそこから離れることが出来なかった。
「俺は・・・どうすれば、いいんだろうな?答えてくれよ、兄貴・・・」
月夜はドア越しにいる他人のランスにそう呟いた。返事はない、聞こえていないのだから、それは当たり前のことだった。
そう、一つだけ問題は残っていたのだ。ランスの、記憶障害という大問題が。
あの戦いの後、色々なことがあった。まず、事件の首謀者だったはずのリミーナは月夜たちの家に住み、歳相応の少女として平穏に暮らしている。リミーナにはもう戦いの意志はなく、月夜や人間への復讐心もすっかり消えていた。そして、リミーナによって力を与えられたものたちもまた、みな普段の暮らしに戻っていた。月夜がランスの蘇生を試みた際に出た光の力かどうかは分からないが、彼らは力を失いただの人間に戻っていたからである。例外なく力を失ったサーシャも散々月夜に文句を言った後、記憶を失ったランスの軍除名やリミーナの学校の編入手続きなどをしっかりと手伝ってから、いつもの笑顔で本来自分がいる場所に帰っていった。その中でリッダは最後まで抵抗していたが、リミーナに懇願されしぶしぶと戻っていった。余談だが、戦争に巻き込まれ命を落としたリッダの娘ミーナは、リミーナによく似た肌の白い少女だったらしい。
ここまでは特に問題はなかった。それぞれが、帰る場所に帰ったのだから。しかし、記憶を失ってしまったランスはそうもいかなかった。今のランスには、帰るべきはずの場所が分からなかった。だからこそ、血は繋がっていないが弟の月夜がランスを引き取った。もちろんこれも、サーシャの根回しのおかげだった。
戦いから二ヶ月たった今も、ランスの記憶は一向に取り戻せておらず、そして現在に至っていた。
月夜がリビングに戻ると、楓が笑顔で迎えてくれた。
「どうだった?」
「だめだった・・・」
溜め息をつきながら楓の隣に腰をおろす。月夜の顔は暗鬱としていて、見ている方が痛々しい。そんな月夜を励ますように、楓は強く言う。
「絶対大丈夫だよ、また前のランスに戻ってくれるよ。だからその時のために、月夜も落ちこんでじゃだめだよ?」
隣の楓を見ながら、月夜は再度溜め息をもらす。それは悪い溜め息ではなく、感嘆の溜め息だった。
「楓はすごいな」
「そうかな?すごくなんてないよ・・・私は」
楓は視線を落とし、泣き疲れて楓の膝の上で寝てしまったリミーナの頭をなでる。その姿は母親のようだった。
「十分すごいと思う、俺やリミーナを許せるんだからさ」
月夜の呟きに、楓は笑ってしまった。
「やっぱり兄妹だね、同じこと言ってる」
「そりゃ言うだろうさ、俺らには無理なことだからな」
そんな月夜を、楓は不思議そうな目で見る。
「ん?どうした?」
その視線に気づいた月夜は疑問の声をあげた。
「それなら月夜だってすごいよ、人間を許せてるんだもん。私なら、出来ないよ」
「そういえば・・・そうか、すっかり人間社会に生きてたら忘れてたよそんなこと」
実際に忘れてなどいなかったが、月夜はそう嘯く。そう言っておいたほうが、月夜としては気が楽だったからだ。
「誰かを殺したりするのは、もう嫌だしな・・・ま、今の俺じゃもうそんなこと出来ないけど」
月夜はその言葉に実感がないまま、笑った。そんな月夜に心配な顔をしながら、楓が聞く。
「やっぱり・・・力、なくなっちゃったの?」
「そうだなぁ、羽は出ないし力も出ないし・・・今まであったものがぽっかりと抜け落ちた感じ」
あの戦い以来、月夜は力を失っていた。月夜だけではなく、リミーナもまたそうだった。それが一時的なものかどうかは分からないが、別に月夜はそれを不安には思っていなかった。
「それでも、俺は俺だしね」
喜んでいるような泣いているような微妙な表情をしながら、月夜は笑う。月夜は忌々しいその力を憎んできたが、なければないで自身の体の一部をなくしてしまったような哀しみを抱いていた。
「そうだね、月夜は月夜だもんね・・・ちょっと頼りないけど」
からかうような楓の言葉に、月夜は胸を痛めた。なぜなら月夜は貧弱で、力がなければ確かに頼りなかったからだ。
「筋トレでもすっかなぁ・・・」
悩むように呟く月夜は、多少どんよりとしていた。
月明かりの下、月夜は庭にある椅子に座っていた。その前には、いくつかのお墓がある。最近は忙しかったので、家の中とはいえここでゆっくりしている暇がなかったのだ。
「ふう・・・色々あったよな、本当に」
誰に話しかけるわけでもなく、月夜は一人呟く。月夜は特に何も考えずに並ぶ墓標を虚ろな瞳で見ながら、ぼーっとしていた。
「どうしたの?」
不意に声をかけられて、月夜はそちらを見る。月明かりにきらめく白い髪をなびかせながら、リミーナがそこにいた。
「お前か・・・いや、別に何もしてないよ」
「嘘つき、誰を待ってるの?」
月夜の隣の椅子に座り、リミーナも同様に墓標に目を向ける。
「楓もそうだけど、なんでお前らは変なところで鋭いんだよ」
核心をつかれた月夜は、別段誤魔化しもせずに言う。
「乙女の勘、かな?」
真顔で言うリミーナに、月夜は呆れた声を出した。
「あっそ・・・そう言えば、お前は力のほうはどうなんだ?」
「全然かな、お兄ちゃんもでしょ?」
「だな、特に困ることもないけど・・・」
「私もだよ。あってもなくても変わらないものなら、最初からなければ良かったのに・・・」
切なそうに呟くリミーナに月夜は共感を覚えた。
「仕方ないさ、それがなければ俺らは生まれて来れなかったんだから」
月夜の前向きな言葉に、リミーナは驚いた。
「そっか・・・そういう考え方もあるんだね」
感心したように言うリミーナの言葉に、月夜は何も返さなかった。静寂の中、冬の冷たい風が二人を包む。
「そろそろ戻らないと、風邪ひくぞ」
短い静寂を破ったのは月夜の優しい声だった。
「ありがと、でもお兄ちゃんも風邪ひいちゃうよ?」
「俺も少ししたら戻るよ、だから早く部屋に帰れ」
優しい声だったが、その中には有無を言わせない強さがあった。
「やだ」
すねたように断るリミーナに、月夜は困ったような視線を向ける。
「兄の言うことは素直に聞いておこうぜ、大体から子どもはもう寝る時間だぞ」
「お兄ちゃんが戻るまで私もここにいる」
頑ななリミーナに頭を悩ませながら、仕方ない、とばかりに月夜は自分が着ていた灰色の上着を脱いで放り投げる。
「着てろ、少しはましだろ」
「ありがとう・・・でも、寒くないの?」
リミーナは大きめの上着に袖を通しながら聞く。
「寒いに決まってるだろばか」
月夜の格好は、薄手の黒い半袖のシャツ一枚に薄手の黒い長ズボンだった。大抵は黒一色のパジャマ姿の月夜だが、今日も例外ではなかった。
「ばかって言う方がばかなんだよ、大体からどうして半袖なの?」
「俺は寒い方が好きなんだよ、だから結構軽装が多いんだ」
とはいいながらも、さすがに十二月半ばの夜の寒さには月夜も震えていた。それを見たリミーナは何かに気づいたように手を打った。
「あ、ばかだから風邪ひかないの?」
「そんなに殴られたいのか・・・?俺はばかじゃないし風邪だってひいたことある」
むしろ風邪をひいたことのない人間の方が少数だろ、と言い足して月夜は両手で両腕をこする。リミーナといると、どうにも月夜は調子が狂いっぱなしだった。
「・・・くしゅん」
「ほら、上着着てても寒いんだろ?早く部屋に戻りな」
「う゛ー」
鼻水をすすりながらリミーナは首を横に振る。
「どうして、そこまでここにいたいんだお前は?」
月夜の問いに、リミーナは少し寂しそうに言う。
「だって・・・お兄ちゃん消えちゃいそうだったんだもん」
内心どきりとしながら、月夜はそれを押し殺して聞く。
「どうしてそう思うんだ?」
「んー・・・」
頭をかしげながら考えるリミーナ。その姿は小動物のようだった。
「よく分からないけど・・・そう、思っただけ」
「曖昧だな」
それを言った月夜自身、自分が一番曖昧だということを分かっていた。
(ここに俺がいるのは・・・なんでだろうな?)
別に誰かを待っているわけではない、かと言って墓参りというわけでもない。こんな寒空の下、月夜は自分がここにいる理由が曖昧だった。
「とにかく、お兄ちゃんが戻るまで私もここにいるからね!」
「はいはい、好きにしろ」
諦めたように言う月夜に、リミーナが聞く。
「そう言えば・・・ここって誰のお墓?」
「・・・家族、かな」
悩んだ末に、月夜はそう答えた。血はつながっていなくとも、確かに彼らは家族だったのだから。
「そうだったんだ・・・お兄ちゃんの家族なら、私の家族でもあるよね?」
間違ってはいないのだが、根本的に何かおかしいことを言いながらリミーナは手を合わせて目を瞑る。月夜は神妙な面持ちでそれを黙って見ていた。
「ねぇ、お兄ちゃん」
合掌を終えたリミーナが、憂いを帯びた目を月夜に向けて聞く。
「大切な人を護るために、多くの人を殺すのはやっぱりいけないこと、だよね?」
「何言ってるんだ、当たり前だろ?誰かが犠牲になる幸せなんて、辛いだけだ。偽善と言われても、俺は嫌だ」
ふと、月夜は何かを思い出した。前にも、この場所で、誰かと、こんな会話を交わしたことがある。月夜のそんな様子に気づかないで、リミーナは続ける。
「じゃあどちらかを犠牲にしなきゃいけないなら、どっちを選ぶ?」
「第三の選択肢を選ぶよ、誰も犠牲にしない。自分を犠牲にしてでも、どちらも護り抜くさ」
嫌な汗を背筋に感じながらも、月夜は答える。
「質問の答えになってないよ・・・でも結局、自分が犠牲になっちゃうんじゃ、誰も犠牲にしてないことになってないよ」
月夜は息が詰まるのを感じながら、口を開く。
「犠牲のない平和なんてないんだ・・・罪のない人間が死ぬぐらいなら、罪を持って生きる人間が出てしまうのなら・・・俺は、全ての人の罪を背負って死ぬ」
決して驕りのある言葉ではなかった、月夜は本当にそう思っていたのだから。しかし、その言葉に月夜は思い出してしまった。かつてここで、今の自分と似たようなことを言った人物を・・・そしてその人物を、月夜はここで待っていたのかもしれない。あの時再会を果たした、この場所で。その人物はもういない、生きているのに、死んでいるようなものだった。
「論点がずれちゃって・・・どうしたの!?お兄ちゃん!」
リミーナの動揺を見て、月夜は自分が涙を流していることに気づいた。頬を伝う涙は、そっと地面にこぼれ落ちていく。
自分のせいで記憶喪失になってしまった兄貴、その姿を見て胸を痛めて苦しくて・・・気づけば自分は兄貴の面影を追っていたのかもしれない。再会を果たしたこの場所にいれば、また昔の兄貴に会えるんじゃないかって、俺は思ってたのかもしれない。それは罪だ・・・今の兄貴を否定して、辛いから逃げようとしている俺の・・・。
どうしようもなく情けなくなって、月夜は涙を流し続ける。
「お兄ちゃん?ねぇ、大丈夫!?」
寄り添って心配しているリミーナに、月夜は優しく言った。
「だい・・・じょうぶだよ。二ヶ月も気づけなかったなんて・・・俺はやっぱりばかだな」
流れ出る涙を拭い、凛とした表情をする月夜。ランスの記憶が戻らない理由なんて、月夜はとうの昔に気づいていた。涙の理由が分からずにおろおろとしているリミーナに、月夜が言う。
「戻ろうか、風邪をひくから」
月夜は立ち上がって、リミーナの冷えた手をとる。
「・・・うん」
リミーナはそれ以上深く追求せずに、月夜に従った。二人が去った庭には、小さな風の音だけが残っていた。
宿命の兄妹対決も終わり、マッタリモードな話となりました。というかこれから延々とマッタリモードが・・・まぁそれはさておき、二ヶ月以上投稿忘れてたため、前話を覚えてくれている人がいるか・・・むしろ見てもらえるかどうか_| ̄|○




