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希望

注:多少グロイシーンもあります

あれはいつのことだっただろうか?いつの間にか忘れてしまっていた、大切なこと・・・。優しい笑顔を浮かべていた女性、哀しい瞳をしながらも自分を息子のように大事にしてくれた母。そしてそんな母が、自慢げに見せてくれた生まれたばかりの赤ん坊・・・。自分にとって思い出したくない過去の中で唯一良かったのはランスとの出会いだけだとどうして俺は思っていたのだろう。どうして親に優しくされた記憶がないなんて思い込んでいたのだろう・・・。母も妹も、無感情の俺が護りたいと感じていた者たちだったのに・・・。



「どうして・・・忘れてたんだろうな」

暗い牢獄の中で、意識を取り戻した月夜の最初の言葉はそれだった。リミーナとの戦いから一週間弱、破壊し尽くされた月夜の体はようやく元通りになっていた。

「あいつが俺を恨む理由も、なんとなく分かっちまったな・・・」

「ご無事で何よりですわね、お兄様」

一人呟く月夜の前に、小さな足音を響かせリミーナがやってきた。鉄格子越しに全快した月夜を見ているリミーナの体は、まだ右腕しか治っていない。

「治り、遅いんだな」

それを見た月夜は、自嘲気味に言った。リミーナは特に気を悪くした様子もなく、淡々と言う。

「それ程お兄様が強かったということだわ、生命力もね」

「褒め言葉にもならないなそんなの。で、俺を生かしておいた理由はなんだ?お前ならとどめぐらいはさせただろ」

自分の死ですら他人事のように言う月夜に、多少温かみのある笑顔でリミーナは言う。

「私たちと一緒にきませんか?思い出してもらえたのなら、理由は十分過ぎるほどだと思うわ」

月夜は溜め息をつきながら、右手首に着けられている銀のブレスレットに触れる。

「やっぱりお前のせいか、勝手に人の記憶を引き出すようなことをしやがって・・・親の顔が見てみたいもんだな」

皮肉な物言いとは反面、月夜の言葉は兄妹に話しかけるような冗談混じりの言葉だった。リミーナは心外そうな顔で笑った。

「捏造したわけじゃないんだから、そう言わないでよ。それはお兄様の記憶に違いないんだから、忘れてた方が悪いんじゃない」

リミーナもまた、兄妹に話しかけるような物腰柔らかな口調になっていた。先日殺し合いをしたばっかりには到底見えない、仲の良い兄妹がそこにいた。

「まぁおかげで、お前がこんなことした理由がちょっとは分かった気がするよ・・・母さんの為、か」

言い馴れない単語に、月夜は多少の感慨を覚えた。

「そうね、ママはいつだって苦しんでいる。息子は家出同然、娘は鉄格子越しにしか会えない・・・私たちを作り出した主任者だからといって、どうしてママが迫害されなければいけないの?私はママを助けたい、世界を敵に回してでも」

その言葉は、決して冷酷な兵器の言葉ではなかった。一人の人間として、自分の母親を護りたいという強い願いを持った人間のそれだった。

「だからって、この国を潰すのか?そして、世界すらも」

「人間の汚さはお兄様だって知ってるでしょ?人間は学習しない・・・また戦争を起こし、そして第二、第三の私たちが作られて、また苦しむ人たちが大勢増える。それなら、全て壊してしまったほうがいい」

哀しい瞳の中に強い意志を抱いて、リミーナは言う。しかし、月夜はそれを否定した。

「矛盾してる。確かに人は死ねば現実の辛さから解放されるかもしれない、でも、それだって結局大勢の人が哀しむ結果しか生まないんだ。自分を正当化するなよ、リミーナ」

いたずらをした子どもを諭すように月夜は言う。

「私と同じお兄様に言うのもなんだけど、それでも言わせてもらうわ。兵器としての自分を捨て、のうのうと生きて来たお兄様には私たちの辛さは分からない」

「分からないし、分かりたくもない。自分が辛いからって、誰かを巻き込むことを俺は許せない」

「・・・どうしても、私と一緒に来てくれないんだね?お兄様」

青い瞳を切なそうに歪め、リミーナは呟く。

「確かに、母さんを助けたいのは分かる。人間は救いようがないのも知ってる。でも、俺はやっぱりお前とは一緒に行けない。不完全な世界が、不完全な人間が好きだから・・・そこにある日常は、大切なものだから壊しちゃいけないんだ」

自分が甘いことを言ってることを月夜は理解している。自分が背負っていかなければいけない罪も理解している。それでも、月夜は人間であることを望んだ。

「そっか・・・お兄様なら、きっと分かってくれると思ってたの、でも私が甘かったんだね・・・」

落ち着いているはずなのに、抑揚のない声で言うリミーナ。その様子は、心が壊れてしまった人間のようだった。

「さようなら、お兄様・・・」

そう言い残し、リミーナはスイッチが変わったかのように、先ほどまでの兄への温かみを消した。後に残ったのは、月夜を恨んでいる冷たい雰囲気の冷たい瞳をした少女だった。

「出なさい、最高に苦しめて・・・あなたを殺してあげるから」

牢の鍵を外し、冷たい声で言い放つリミーナ。ひどい哀しさを胸に感じながら、月夜は牢を出て前を歩くリミーナについていった。



月夜は目の前が真っ暗になった、そして反面、頭は真っ白になっていた。あまりの驚きに、声が出せなくなっている。なぜなら、リミーナに連れていかれた部屋で月夜を待っていたものは、鉄製の椅子に両手両足を縛り付けられ意識を失っている楓だったのだから。

「くすくす・・・大切な人なんだよね?」

立ち尽くす月夜をよそに、リミーナは楓の隣に立ち、その頬に右手を当てる。人をいとも簡単に殺すことが出来る、その手を。

「やめろぉ!」

とっさに月夜は動いていた。しかし、その動きに速さはない。まるで、人間のような遅さだった。月夜はそれに気づくことなく、気がつけば頭を鷲づかみにされ体が宙に浮いていた。

「なっ・・・かは・・・」

頭を締め付けられる力に、月夜はひどい痛みを感じる。骨がミシミシと軋み、あと少し力を加えれば潰れてしまいそうだった。

「弱いだろ、月夜・・・それが人間だよ」

月夜を片手で持ち上げているルインは静かにそう言った。部屋に隠れていたルインの気配を、月夜は全く気づくことができなかった。

「にん・・・げん・・・?」

ルインが言っていることは分からなかった。月夜は一応人間ではあるが、身体能力などは人間のそれを大きく上回っている。月夜はルインが掴んでいる腕を必死で掴むが、全くびくともしなかった。

「程ほどにしなさいルイン、お兄様が死んでしまうじゃないの」

冷ややかなリミーナの言葉に、ルインが掴んでいた手を離し月夜は床に落ちる。何が起きているか分からない、どうして自分は力が使えない?という月夜の疑問に答えたのは、リミーナだった。

「あなたがつけているブレスレット、それは私たちの力を抑え、ほぼ人間に戻す力を持っているわ。とはいっても、お兄様の蘇生能力は抑えられなかったようだけどね」

月夜は痛む頭を押さえながら、信じられない、といった感じでその言葉を聞いていた。だが実際に、今の月夜はルインにすら抵抗することが出来ず、惨めに床に尻餅をついている。すぐ目の前にいる、大切な人に触れることもかなわないまま・・・。

「くそ、こんなもの・・・」

月夜はとっさに右手首に着けられたブレスレットを外そうとするが、体の一部になってしまってるかのようにそれは外すことができなかった。

「無駄よ、普通の人間じゃ外すことは出来ないもの」

見下すような冷たい視線、この圧倒的な力の差を今の月夜に埋めることは到底不可能だった。リミーナの手が楓の頬をゆっくりと撫で上げ、心底楽しそうな笑みを浮かべる。月夜はそれをただ見ていることしか出来なかった。捕食される寸前の動物のように、その体は恐怖に縛り付けられ動くことが出来なかった。ルインはそんな月夜を、感情のない瞳で見ている。

「力がなきゃ何一つ出来ないのに、力があっても何一つお前はしようとしなかった・・・それが生んだのが、この結果だよ」

吐き捨てるように言うルインの気持ちを、月夜は理解することが出来なかった。それを聞きながら、動かない体に苛立ち、ただ楓を見ていることしか出来ない。

「寝ていたらつまらないわ・・・起きなさい」

魔法のような力をもったリミーナの声で、楓は、

「ん・・・」

と小さく声をもらして目を覚ました。眠そうな顔できょろきょろと辺りを見回しながら、何が起きているのか分からないといった表情をする。

「どこ・・・ここ?・・・月夜?」

月夜の姿を視認した楓は、小さくそうもらす。

「目は覚めたかしら?」

耳元から聞こえるリミーナの声に、楓はびくりとしてとっさにそちらを向く。

「あなたは・・・誰?」

拘束されている楓の体は震えていた。今の月夜と同じように、捕食される立場なのだと本能が感じ取ったからだ。

「初めまして、お兄様がお世話になったようだからたくさんお礼をしたいと思ってるわ」

「やめろ・・・やめろ!」

動かない体を懸命に動かそうとしながら、月夜はそう叫ぶ。それでも、絶対の恐怖に体は動いてくれなかった。今にも泣き出しそうな楓の頬に触れているリミーナの手が、小さく動く。

「あ・・・」

頬の痛みとこぼれる赤い雫を感じながら、楓はそう小さくうめくことしか出来なかった。ななめに切られた楓の左頬からは、生物が生きている証の温かい液体がじわじわと溢れ零れ落ちている。

「やめろつってんだよ!」

とっさに月夜の体は動いていた。ルインはそれを止めることをせずにただ見ていた。

「遅すぎるわ、お兄様」

リミーナは腕を横薙ぎにし、月夜の脆い体を弾き飛ばす。

「がはっ・・・」

壁に背を打ちつけ、苦しそうに嗚咽をもらす月夜。それでもその瞳は、リミーナを真っ直ぐ睨んでいた。

「月夜、月夜ぁ!・・・どうして、どうしてこんなことするの!?」

楓の問いにリミーナは答えない。視線を月夜に固定し、冷笑しながら言い放つ。

「くすくす、本当に弱いわねお兄様・・・この子を助けたい?」

リミーナは小さな手で楓の頭をつかみ、少しだけ力をこめる。

「い、痛い・・・!やめて・・・!」

痛みに顔を歪める楓を見て、月夜の理性ははちきれた。先ほどの痛みなど忘れ、再度リミーナに走り出す。しかし、今度はルインがそれを制止した。走り出していた月夜のみぞおちに軽く拳を突き入れる。それだけで、今の月夜の意識が落ちるのには十分だった。崩れ落ちる月夜を抱き支え、ルインはリミーナの方を見ないで言う。

「外に置いてくるぞ、お前の予定通りな」

「ランス!?どうしてあなたがこんなことを・・・!」

何も言わずに出て行こうとするルインに、リミーナが歪んだ笑みを浮かべて言う。

「止めたのは、私の復讐のため?それともあなた自身のため?」

「・・・さあな」

ルインは一度だけ立ち止まってから呟き、再度歩き出し部屋を出て行った。部屋に残されたリミーナは楽しそうに笑う、楓はそんなリミーナに怒りのこもった目をぶつけた。

「あなたが全ての元凶ね・・・どうしてこんなひどいことをするの!?」

「あなたには分からないわよ、それよりも自分の心配したほうがいいわ。後少しであなたは死ぬんだから」

不気味なリミーナの言葉に、それでも楓は負けじと叫んだ。

「私は死なない、月夜を哀しませないために死ぬわけにはいかない!」

両手両足を拘束され、頬から血が出ているのにも関わらず楓は気丈に言う。自分が何も出来ないと分かっているから、せめて弱気でいるのだけは嫌だと楓は思っていた。そして何より、月夜を信じているからこその強さだった。

「お兄様が戻ってこれるかしらね・・・五日以内に、全てが決まるわ」

鳥肌が立つような歪んだ笑みを浮かべながら言うリミーナを、楓は負けるもんか、とただ見据えていた。



肌にまとわりつくひんやりとした風に、月夜は目を覚ました。

「ここは・・・?いたっ・・・」

体を起こそうとして、痛みに顔を苦しそうに歪める。不意に、聞きなれた声が月夜の頭上から聞こえた。

「久しぶり、元気?」

「なんでお前がいるんだよ」

顔を上げた先には夜の明かりに照らされ、ショートの青い髪を微かに揺らしているサーシャがいた。

「先に言っておく、ごめんね。あなたたちのこと嫌いじゃなかったけど、私は私だから」

サーシャの言っていることを月夜は全く理解出来なかった。

「何言ってるんだ?いきなり」

月夜の疑問に、サーシャは伏せ目がちに答えた。

「楓をさらって来たの、私なんだ」

「サーシャが・・・?」

月夜が愕然と相手を見る。サーシャはそんな月夜と視線を合わせないように続ける。

「そうすれば、あなたが殺してくれるかな、って思った。あの子からも、そう指示を受けたしね」

あの子・・・もちろんリミーナのことだろう。月夜は全てに裏切られた気分になり、怒鳴った。

「結局お前もそうなんだな・・・ルインもお前もリミーナも、どうして自分の欲望で人を平然と傷つけられるんだ!」

「それが人間でしょ?」

少し前にリミーナが言ったようなことを、サーシャは口にする。

「だからって、何をしたっていいわけじゃないだろ!?」

「それでも私は、私だもの」

先と同じことを、サーシャは口にする。体が自由に動いていたら、月夜はサーシャに殴りかかっていただろう。

「用件は・・・それだけか?」

怒りがありありと出ている月夜の言葉に、サーシャは無表情で返す。

「まだあるわ、あの子からの伝言。時間にしたら後百十五時間後に、あなたがつけてるそれがあなたを殺すわ」

サーシャは月夜がつけているブレスレットを指し示した。銀のブレスレットは月明かりを受け、禍々しく輝いている。月夜の驚きを無視し、サーシャは続ける。

「そしてあなたの死と同時に、楓を殺す。伝言はそれだけ」

月夜は頭がぐらりと揺れたのを感じた。殺す・・・?誰を・・・?

「それじゃ私の用件はおしまい、あなたが死ななくて私たちを殺しに来てくれることを、私は願ってるわ」

サーシャの、私たち、という意味ありげな言葉に月夜は気づくことなく、ただサーシャが去っていくのを黙って見ていることしか出来なかった。

「・・・なんだよ、それ」

一人残された月夜は、呟く。

「楓が・・・だって、俺何も出来ない・・・」

くやし涙が浮かんでくる、今の月夜には何も出来ないことを、本人が一番理解していたのだから。絶望したように表情を歪める月夜。アメリカの夜の静かな町の中、月夜はどうすることも出来ずただ一人泣いていた。



(あれから・・・どれだけたったんだっけ?)

虚ろな頭で考えながら、月夜は太陽の下一人で町を歩いていた。サーシャとの会話から約二日、残された時間は三日あるかないか程だった。月夜は自分がどれだけの間何も食べていないかもう分からなかった。ただふらふらと歩き、疲れたら路地裏で寝るだけの生活。全てが、どうでも良くなりつつあった。

「ほんと、無力だよな・・・」

自虐的な笑みを浮かべながら、月夜は楓のことを思い出す。初めて出会った時の怯える顔をした楓。二度目に出会った時は笑って話しかけてくれた楓・・・走馬灯のように、二人が過ごした思い出が月夜の頭に思い返される。護ると言ったあの日、初めてキスをしたあの日・・・全て覚えているのに、それは現実味を伴ってはくれない。いつも横にいてくれた、彼女が今はいないから。

「大切なものを・・・本当に一番大切なものを護れないで、何が兵器だ。所詮、人を傷つけることしか出来ない」

いつでも自分を支えてくれた、元気付けてくれた楓はもう隣にはいない。そして、それがもう永久に失われることになるのが、月夜には耐えられないことだった。

(俺は死んだっていい・・・でも、楓は護りたい)

そう思うが、今の月夜がリミーナに挑んだところで殺されて終わりだ。そしてそれは同時に、楓の死期を早めることにもなる。月夜は色々な感情と現実に苛み、死んでいるように生きている人間のごとく、ただ町を歩いていた。

これこそがリミーナの最高の復讐だった。母を忘れ、妹を忘れ、のうのうと生きて来た月夜に対するリミーナの復讐。そしてその復讐が終わったら、次は人間に対する復讐をリミーナは始めるだろう。生物兵器という禁忌なものを生み出し、都合が悪くなったからといってそれを閉じ込め、誰かに責任を押し付けることによって自分たちは何知らぬ顔で生きている人間たちに・・・。

あの時牢内で兄妹のように接してきたリミーナを、月夜は忘れることが出来なかった。強い意志を持っているくせに頼りなくて弱く、触れてしまったら壊れてしまいそうな繊細さを持ったリミーナ、あれが本当の彼女なのじゃないかと月夜は思っていた。そしてそれを壊してしまったのは、人間と・・・自分だった。色々な想いが錯綜し、色々な考えがこんがらがって迷う。月夜はそれに疲れ、まだ明るいのにてきとうな路地裏に入って眠りについた。



俺はよく夢を見る。内容は覚えているものもあれば覚えていないものも様々だ。明晰夢というものを知っているだろうか?簡単に言えば、自分が夢を見ている、夢の中にいる、と自覚出来ている夢のことだ。大抵俺が見るのはこの明晰夢で、それを見たときは大体どんな内容だったのか覚えている。だから・・・俺が今見た夢も、覚えているんだ。


「人間には救いがあるよね。死だけじゃなくて、誰かを護ることや、」誰かを好きになること、日々を面白いと思ったり、自分の人生を満ち足りたものにすること。そして最期に死を迎える時に、人間は積み立ててきたもので救われる。あれ?結局死が救いになっちゃうね」

馬鹿だなぁ、一時の感情や一時の楽しみでも、人は救われるんだよ。不完全なものだけど、それを積み重ねてる時点で人は救われてるんだ。まぁ、僕の持論だけど。

「そうだね・・・うん。じゃあさ、私たちの救いって何かな?兵器にとっての救いって何?人を殺す時?」

兵器に救いも何もないだろ?だって兵器は感情をもたない、何かを護ったり何かのためにどうするっていう意思がない。結果、何をしても救われない。そうだな・・・物はそれに適った使われ方をした時に、報われるんだと思うよ、救われはしないけどね。まぁそれは置いといて、感情を持っている俺らは、兵器とは言い難いところだと思うぞ俺は。

「じゃあ私たちはなんなんだろう、人間でもない兵器でもない」

感情があるなら、何かのためにどうしたいと思う気持ちがあるなら、十分人間だと思うけどね。少なくとも生物であることに間違いはないだろ?

「そっか・・・そうだよね。じゃあ間違えちゃった時は、人間みたいにそれを正せばいいのかな?」

度合いにもよるけどな、でもやり直しは効くだろ。それが例えゼロからでも。

「本当にやり直せるかな?私は今でも、間違えちゃってるんだ」

それが間違いかどうかは分からないけど、それなら俺がその間違いを直すよ。お前と同じ俺にしか出来ないことだしな。

「うん!じゃあ待ってるね・・・とても辛いから、早く私を止めてね」

なんか変な言い方だな・・・まぁ、いいか。今まで、何もしてやれなかったからな。

「そんなこと・・・あるけど。今の私を助けてくれるなら、許してあげるよ、お兄ちゃん」

はいはい、それじゃ、またな。

「うん!またね」



それが夢だったのかすら、曖昧なものだった。辛いから止めて欲しいと願った雪のように白い少女は、幼い顔に終始切ない色を浮かべていた。

「止めて欲しい、それがお前の・・・本当の望みなんだな」

自分は今まで何を腑抜けていたんだろう・・・力がなくなってしまっても、自分が自分であることに変わりはないのに。護らなければならないものが、いるというのに。月夜は自分に八つ当たりをするように、路地裏の壁を殴る。思いっきり強く、肉が裂け血が飛び散るほどに・・・。何度殴ったか分からなくなるほどやった後に、月夜は血まみれになった自分の手を見る。

「はは・・・やっぱり弱いな、人間の体は」

今までに感じたことのない人としての強い痛みに、月夜は微かに笑ってしまう。

「でもやっぱり、力が欲しい・・・例え兵器でも、今までそうであったように」

いらないと思っていたはずの力を、今月夜は望んでいる。そんな矛盾に、月夜は笑ってしまった。それなら、やることは一つだ。月夜は想いをかため、路地裏を出て走った。走り出した月夜を、夜空の月が冷たくも温かく照らしていた。


目当ての物を見つけ、それを携えた月夜はリミーナがいる城のような建物の前に立っていた。そのやたらでかい建物を見ながら、月夜は呟く。

「いつの間にこんなもん建てたんだろうなぁ・・・ってそんなこと言ってる場合でもないか」

自分のお気楽さに苦笑しながら、月夜は右手に持っていたのこぎりを左手に持ち替える。

「のこぎりが見つかったのは幸いだな、包丁やナイフじゃ無理だもんなぁ」

月夜はそれを右手首・・・ブレスレットよりやや下の部分に刃をあてがい、一度だけ深呼吸をする。覚悟は決まっていた。

「誰かが傷つくより、はるかにましだ」

その言葉に押されるように、月夜はのこぎりを動かす。刃が折れてしまわないように、慎重に、ゆっくりと・・・。ギザギザした刃が腕に食い込む、その痛みは月夜にとって想像を絶するものだった。すぐに終わってしまう痛みではなく、絶えることなく続く痛み。月夜は痛みに顔を歪めたが、それでもその手は止まらない。偶然は二度起こらない、今失敗してしまえば次はないのだと、月夜は思っている。だからこそ、止めることは出来なかった。

「中々・・・切れないもんだねぇ」

余裕のある言葉とは裏腹に、月夜の体中には汗が噴き出していた。その激しい痛みに、気を緩めたらすぐにでも気を失ってしまいそうだった。上下に刃を動かし、自分の肉を切っていく。肉が裂け血が噴き出るその様は、三流のスプラッター映画のようだった。

・・・切り始めてから、月夜にはどれだけの時間が経過したのか分からなかった。絶えず続く痛みは、短い時間を永久に変えてしまうのに十分過ぎるほどだったのだから。

「くぅぅ・・・もうちょい・・・か?」

息も絶え絶えに言葉をもらす。何かを喋っていなければ、自分の気を保つことが出来なかった。一番難関だった骨は、刃に削られもう断たれている。後、わずかだった。

「やべ・・・意識が・・・」

噴水のように噴き出す血液は、人を死に至らしめるには十分だった。それでも月夜は、左手に力を入れ続ける。そして・・・どさ、という小さな音と共に、月夜の右手首から先が落ちた。もちろん、ついていたブレスレットも。

「やっとか・・・これで力戻んなかったら・・・無駄死にだな」

のこぎりを地面に落とし、力尽きたようにその場に崩れる。体や服に付着した血に、月夜は少し顔を綻ばせた。

「生きてるって感じだよな・・・いつもは、血なんて平気なのに」

失われていく体温と血液が、月夜には愛しく感じられた。生きているという感覚、死ぬことがほとんどない月夜にとっては、それはとても大切なものだった。でも・・・、と月夜は言葉をもらす。

「いつまでも・・・それじゃだめなんだ、大切なものを、失うわけにはいかないから」

もう少し生の実感を感じていたい、月夜はそう思いながらも、ゆっくりと立ち上がった。既に血は止まっている、痛みは感じても、今の月夜にとってそれは些細なものだった。死んだ魚のような目に、再び力がこもる。

「行くと、しようか・・・!」

散歩をするような足取り、しかし、その速度はすさまじいものだった。かつてインフィニティと呼ばれたものではなく、月夜という一人の生物は、強い意志の元再び生き返った。



「けりをつけにきたよ」

大広間の扉を開けて中に入ってきた、死の匂いをつれた黒い天使は再びリミーナと対峙した。

「やっぱり、素直に死んではくれなかったんですね」

驚いた様子もなくリミーナは言う。その両側には、切なく微笑んでいるルインと笑顔のサーシャ、両手両足を拘束されたまま嬉しそうな顔をしている楓。そして、リミーナの前には数人の側近がいた。

「諦め悪いんでね、俺だけならまだしも・・・楓や、妹が壊れていくのを許すことが出来ない。おかげで、右手なくなっちまったよ」

右腕をひらひらと顔の前で振りながら言う月夜に、リミーナは楽しそうに笑う。

「私が壊れる?何を言っているの?・・・私は、もうとっくの昔に壊れているのだもの」

「辛かっただろ・・・俺が、すぐ楽にしてやるから・・・それが、兄としての償いだ」

月夜自身が一番辛そうに言う。今の月夜には、リミーナが泣いている幼い少女にしか見えなかった。

「・・・やれるものなら、やってみなさい!」

リミーナの言葉に数人の側近が動く。各々速度は違うが、そのどれもが人間を超えた動きだった。

「邪魔、すんなよ」

月夜は歩きながら片手でそれらを薙ぎ払う。純粋な兵器の月夜と、中途半端な彼らでは、力の差は歴然だった。何より、今の月夜は心持ちが違った。一人一人確実に、無力化しながら月夜は歩き続ける。殺すことはせずに、全てを一撃で気絶させて歩くその様は、正に心を持ちえた最強の兵器だった。

「だらしないやつらだ!」

月夜とリミーナの距離が半分程縮まった時、数人いた側近は一人を残し全て倒れていた。そして最後の一人、見覚えのある男が叫んでいた。

「こうして顔を合わせるのは二度目、か・・・でも、お前じゃ俺は止められないよ、リッダ=フィーア」

「ほざけ!」

数人の中では確かに一番動きが良いリッダだが、それでも月夜に触れることは叶わなかった。リッダの攻撃を避けながら、月夜は冷たい視線を向ける。

「無駄だよ」

「貴様に何が分かる!戦争のせいで、私は妻を失い子を失い・・・多くの戦友を失った。人は滅びなければならない・・・浄化されなければいけないんだ!」

リッダの叫びに、月夜の動きが止まる。そして、頭を狙ったリッダの拳が月夜に当たった。しかし、それは当たっただけだった。傷一つつかず、ましてや血を流すこともない。

「どうしてお前らはそうなんだ。奪われた痛みを知っている癖に、どうして奪おうとする・・・!」

強く言い放ち、月夜は手のない右腕を横薙ぎに振るう。ただそれだけ、しかし強い力を持ったそれにリッダは吹き飛ばされる。壁に背中を強打し、ぐったりと倒れこむ。

「確かに悪いのは人間だ。戦争を起こし、罪のない命を奪っていく・・・でも、それを正さなきゃいけないのは人間自身なんだ。俺やリミーナ、そして力に流されたお前らがすることじゃないんだ!」

「「それでも、人間じゃ何も出来ない・・・」」

「僕のように!」

「私のように!」

リミーナの両側にいたルインとサーシャが、月夜に襲い掛かる。月夜は軽やかにそれをかわし、叫ぶ。

「じゃあ力があれば出来るのか!?世界を変えることが、人が死なない世界を生み出すことが!?」

「力がなければ何も出来ない、お前だってそれが分かっただろ!?」

ルインの叫びに悲痛な表情をする月夜。しかし・・・

「じゃあ人が死なない世界を作るために、多くの人を殺すのか?お前らが欲しかった力は、本当にそんなものだったのかよ!?」

強い意志を持って月夜は怒鳴り返す。ルインとサーシャはめまぐるしく月夜に攻撃を仕掛けるが、その全てが当たっていない。

「私はそれでいい。私は人間が嫌い、自分が嫌い。世界なんて、なくなってしまえばいいのよ!」

サーシャの叫びに、月夜は諭すように返す。

「本当にお前は自分が嫌いなのか?人間が嫌いなのか?・・・自分や誰かを愛す努力もしないで、そんなこと言ってるんじゃない!」

「「うるさい・・・止めたいのなら」」

「僕を殺せ!」

「私を殺して!」

「この・・・ばかやろうどもがっ!」

かっとなった月夜は、二人を吹き飛ばした。手を使わずに、見えない力で。もちろん殺す気は全くない、他のやつらと同じく気絶させるためだけのものだった。しかし・・・

「「その程度?」」

壁や床に背中を強打しても、二人は気を失わなかった。すぐに立ち上がり、月夜に執拗に食い下がる。ダメージがないわけではない、二人とも、明らかに速度が落ちていた。しかし、二人の異常さに月夜は体を震わせた。

「やめろお前ら!どうして分からないんだ!?」

「分かってないのはお前だ、人間の醜さを・・・本質を!」

「あの子を止めたいのなら、私たちを殺しなさい・・・今までそうしてきたように!」

二人の攻撃をかわしながら、月夜は見てしまった。冷酷な笑みを浮かべたリミーナが、身動きの取れない楓に手を伸ばしている姿を・・・。二人は死ぬまで月夜に食い下がるだろう、時間が、なかった。

「もう・・・誰にも、楓を傷つけさせるわけには・・・いかないんだ・・・!」

月夜の中で何かが弾けた。深い闇の色をした黒い羽が大きく羽ばたく、躊躇はしなかった。一対の羽がそれぞれ月夜に襲い掛かる二人に狙いを定める。

「だめぇぇーーー!!」

楓が叫ぶ。しかし遅かった、黒い羽は確実に二人の心臓を貫き、死に至らしめた。倒れる二人を顧みることなく、月夜は走る。冷酷な笑みを浮かべた、リミーナの元へ・・・。

「リミーナぁぁぁ!!」

月夜の叫びが建物を震わせる。疾走しながら、迷うことなく一対の羽でリミーナを狙う。

「くすくす、お兄様はやっぱりそうじゃないと」

リミーナは王座から立ち上がり、瞬時に白い羽で月夜の攻撃を防ぐ。黒い天使と白い堕天使・・・相反し合う二人の、最後の戦いが始まった。

「もう・・・楓を傷つけさせない・・・俺はお前を、殺す!」

月夜は体に力が湧き上がるのを感じた。それの力は言うなれば、月夜の意思を持ったインフィニティだった。リミーナから放たれる光の矢を避けながら、近くにいる楓を巻き込まないようにリミーナへと力を放つ。具現化された幾本もの鋭く細い闇が、リミーナに襲い掛かる。リミーナはそれを跳び退いてかわすが、闇は意識を持っているかのように追いかける。

「くっ・・・どうして?私のほうが勝っているはずなのに!?」

リミーナは直感していた、その闇を防ぐことが出来ないことを。だからこそ、月夜に向かって光の矢を放ちながら逃げ続ける。しかし、その全てが月夜の前で四散していた。

「お前じゃ・・・俺には勝てない」

それは確かに月夜の声なのに、月夜の声には聞こえなかった。

「どうして?どうしてなの?」

リミーナは追い詰められていた、防ぐことも出来ず、かといって攻撃することも叶わない。ただ、惨めに逃げるだけ。

「鬼ごっこは終わりだよリミーナ・・・さようなら」

深い闇の底から聞こえるような月夜の言葉に、リミーナは恐怖した。死ぬことよりも何よりも、その月夜に、ただただ恐怖した。動く影に、月夜は気づいていなかった。だからこそ、鋭い闇から未だ逃げ回っているリミーナに止めを刺すために、月夜は動いていた。時間の流れがゆっくりとなった気がした。リミーナをはるかに上回る速度でリミーナに疾走する月夜、恐怖に顔を歪めているリミーナ。どすっ、という嫌な音が響いた。

「・・・え?」

月夜は何が起きたのか理解出来なかった。月夜の腕は確かに貫いていた、細い少女の体を・・・リミーナの前に飛び出した、楓の体を。

「・・・え?」

そう呟くことしか出来なかった。月夜の腕は、楓の腹を貫いて背中から出ている。ぬめりとした血の感触、温かい血の感触を、月夜は真っ白になった脳で感じていた。

「だめだよ・・・月夜・・・」

後ろに倒れる楓を、月夜はただ見ていることしか出来なかった。楓の血を被ったリミーナも、何が起きたのか分からず呆然とそれを見ている。

「かえ・・・で・・・?」

ようやく脳が正常に思考した月夜は、すぐに楓に寄り添い抱き寄せる。

「なんで・・・どうして・・・楓・・・?」

「私にも・・・分かんないよ・・・でも・・・あんな月夜・・・見ていたく・・・なかった・・・げほっ」

弱弱しく呟く楓、その瞳はとても哀しそうな目をしている。血液が流れ出るたびに、楓の体温が下がっていくのを月夜は感じた。

「月夜・・・そんな哀しそうな顔・・・しないで・・・ほら、見て・・・私、自分で・・・拘束されてたの・・・とれたんだよ」

月夜を哀しませないように、精一杯笑顔で言う楓。そんな楓の頬に、涙が零れ落ちる。

「泣いてるの・・・?・・・やだよ、月夜・・・ないちゃ・・・いやだよ・・・・・・私・・・死なないから・・・・・・泣かない・・・で・・・」

徐々にかすれていく楓の言葉に、月夜は声を出すことが出来なかった。強く抱き締めながら、ポロポロと涙をこぼすことしか出来ない。

「・・・月夜・・・・・・私ね・・・幸せ・・・だったよ・・・・・・大好き・・・・・」

「楓・・・かえ・・・で・・・!」

月夜は必死で呼びかける。しかし、楓の口は小さく動くだけで、言葉を発してはいなかった。呆然とそれ見ていたリミーナが、我に返ったように言う。

「お兄ちゃん・・・どいて、早く・・・!この子を助けたいのなら!」

月夜はその言葉にとっさに楓から離れた、楓を助けられるのなら、なんだって出来た。リミーナの白い羽が、楓に触れる。

「うまく出来るか分からないけど・・・」

今にも生命活動を停止してしまいそうな楓が、小さな光に包まれる。そしてその光が大きくなるにつれて、リミーナの羽が小さくなっていった。不安げにそれを見ている月夜は、自分自身の力の無さに悔しさと哀しさを感じることしか出来なかった。

ゆっくりと大きくなった光は、ゆっくりと小さくなっていった。その光が消えると同時に、リミーナの白い羽も消えてしまった。そして・・・楓の体は、元に戻っていた。血は出ていなく、どこにも穴は開いていない。

「良かった・・・うまく、いった・・・みたい」

呟いてから、リミーナは倒れる。月夜は混乱しながら、まず楓を抱き起こした。

「楓・・・楓・・・!?」

その声に反応するように、楓はゆっくりと目を開ける。

「つき・・・や?あれ・・・私・・・」

「良かった・・・ほんとに良かった・・・」

月夜は楓を抱き締める。

「そんなに強くしたら、痛いよ月夜」

楓もまた、月夜を抱き締め返す。

「あ・・・そうだ!リミーナ、おい、リミーナ!」

とっさのことに忘れかけていた月夜は、楓から一度体を離しリミーナを抱き起こす。心臓は動いていた、むしろすやすやと寝息をたてていた。月夜は安堵の息をもらしてから、更に忘れていたことを思い出し立ち上がる。

「ルイン、サーシャ!」

自分が殺してしまった相手の元に走りよる。自分と同じ生物なら、きっと・・・という淡い期待を抱いて・・・。

月夜の期待は裏切られなかった。サーシャもルインも、心臓を貫かれたはずが、生命活動を停止してはいなかった。しかし、二人は生き絶える寸前だった。

「サーシャ・・・おい!おい!!」

返事はない、辛うじて生きている彼女には、言葉をかわす気力どころか意識がなかった。哀しそうな表情をしながら、今度はルインに走り寄り、サーシャと同じように呼びかける。

「ルイン、おい!」

「・・・うっせー、聞こえてる」

弱弱しくも返事があった。月夜はルインを抱き上げ、涙をこぼす。

「何・・・ないてるんだよ・・・」

「馬鹿やろう・・・兄弟を殺して・・・泣かないやつが、いるかよ」

月夜の声は震えている。ルインはそれを聞きながら、いつもの笑顔を浮かべた。

「兄弟・・・か・・・本当は・・・僕はこうしたかったのかも・・・しれない」

「何、何言ってんだよ!」

「僕は・・・あいつを止められなかった・・・それどころか・・・自分の意志に・・・負けてしまった・・・兄弟に手をかけたのは・・・俺が先さ・・・ごほっ」

「兄貴のせいじゃないだろ・・・!」

弱弱しくふるふると首を振るルイン。

「お前が死んだと思ったとき・・・気づいたんだよ・・・だから・・・僕は、お前に・・・殺して欲しかった・・・僕はもう、戻れなかったから・・・自分勝手で・・・ごめんな」

それは兄弟を捨て力を得たルインではなく、かつての優しい兄、ランスの謝罪の言葉だった。

「悪いと思うなら・・・勝手に死ぬなよ、馬鹿!」

「殺しておいて・・・死ぬなよ・・・か、はは・・・」

ぜえぜえと辛そうに息をしながら、不器用にランスは笑う。

「僕の人生・・・うまくいかないこと・・・ばっかりで・・・」

虚ろな目をしながら誰に言うまでもなくとつとつと語りだすランス、その目はもう見えていなかった。

「もう喋るなよ・・・すぐに病院につれてくから」

ランスがもう手遅れだということを分からない月夜ではなかったが、それでもそれを認めたくはなかった。そんな月夜の声が聞こえてないかのように、ランスは続ける。

「いつも・・・辛かった・・・悔しかった・・・」

その瞳には涙が浮かんでいる。それは自分の人生の辛さのせいなのか、兄弟に手をかけさせた罪の涙なのか、月夜には分からなかった。

「・・・でも、違ったんだな・・・僕は・・・幸せだったんだ・・・きっと」

ランスの笑顔は、とても安らかだった。辛さの涙じゃなく、罪の涙でもなく・・・それは、

「生きてて良かった・・・お前と、出会えて・・・良かった・・・」

産まれてきたことへの、月夜に出会えたことへの、感謝の涙であり喜びの涙であった。

「今更・・・何言ってんだ!俺だって、お前と出会って幸せだったんだ」

月夜も涙が止まらなかった。大切な何かを護るために、別の大切なものを失ってしまう・・・そんなのは嫌だ、と月夜は強く思った。

「つき・・・や・・・」

だんだんとかすれていくランスの声、終わりが近かった。

「おい!勝手に・・・死ぬなよ馬鹿!」

言いたいことは山ほどある、一緒にやりたいことだってもっと見つけたい。月夜は最後の最後まで諦めなかった。

「くそっ・・・リミーナに出来るなら、俺にだって・・・!」

月夜の黒い羽が開く。やり方は分からないが、かつて日本の哀しい生物を葬った時のように月夜は羽でランスを包み込む。蘇生か抹消か、いちかばちかの手だった。闇に包まれたようにランスの姿は見えなくなる。月夜は破壊の力を行使し続けてきた黒い羽を見ながら、ただただランスの蘇生に意識を集中させ力をそそぐ。

「なんで・・・どうして、出来ない!」

直感的に分かってしまった、破壊の力を持った羽はどうあがいても蘇生の力にはなり得ない、月夜は悔しくて唇をかんだ。

かつてティアーナ博士は言った。一人目と二人目は違う生物だ、と。似通った力はあるものの、二人の本質は全く違うに等しいのだから。

「どうして・・・いつもいつもいつも、壊すことしか出来ない!殺すことしか出来ない!?」

「月夜・・・」

いつの間にか隣に立っていた楓が、哀しそうな目で月夜を見ている。楓の服は血で汚れているものの、体に怪我はなかった。

「月夜はいつだって・・・私のこと護ってくれた、月夜の力は破壊するだけじゃないよ」

楓のその言葉は今の月夜にはひどく痛々しかった。ランスを殺しサーシャを殺し、故意にではなくとも楓すらをその手にかけた。自分自身の力に、月夜は何より憎しみを抱いた。

「護ってなんかない!俺は壊してきただけなんだ!護るなんて言葉、誰かを殺して誰かを幸せにしてきた俺の言い訳にすぎないんだよ!」

「どんなに力があったって・・・私たちはいつも何かを犠牲にしなきゃ護れない、自分自身ですら。そうでしょ?お兄ちゃん」

月夜の叫びに反応したのは先ほどまで眠っていたはずのリミーナだった。ゆっくりと月夜へ歩きながら、リミーナは憂いを帯びた目で言う。

「自分自身を護るために、私も・・・いつの間にか、自分を殺してた」

今にも泣き出しそうなリミーナ、その表情は歳相応の小さな女の子だった。

「自分を・・・殺した?」

月夜の問いにリミーナは答えず、数秒の後に月夜の元にたどり着いた。リミーナは月夜の肩にそっと手を置き、言う。

「その話は後で、もう手遅れかもしれないけど・・・お兄ちゃんの力なら、きっと間に合うよ」

それは先ほどまでのリミーナではなく、牢屋で話したときの妹のようなリミーナだった。

「どうすればいい?」

月夜は自然と落ち着きを取り戻していた。焦ることなく、リミーナの言葉に耳を傾ける。

「切り替えの早さは戦いじゃ大事、よく分かってるねお兄ちゃん。・・・集中して、焦らず、冷静に」

リミーナの言葉に月夜は目を閉じる。視界が遮断され暗くなる代わりに、その他の感覚が鋭くなるのを月夜は感じる。

「力を抜いて、意識をランスに・・・死を、破壊をイメージしちゃだめ。彼の生きている姿を強くイメージして」

月夜はランスを思い描く。子どもの頃のランスやさっきまでのランスが、走馬灯のように浮かんでは消える。

「そっか・・・」

月夜は小さく呟いた。月夜の思い出されたランスはいつだって笑っていた。哀しそうな表情をしていても、どこか、人生を楽しむようにそれを楽しんでいた。

「もう、大丈夫だね」

イメージは力に変わり、力は光となり広い部屋を温かく包み込んだ。数秒の後、光が消え視界が良くなる頃には、ランスも・・・そして、サーシャも生気を取り戻していた。

「・・・ここまですごいとは、思わなかった」

ランスだけではなく、サーシャすらも蘇生してしまった月夜の力にリミーナは驚きの声をあげた。

「はは、俺も・・・びっくり・・・」

安堵の息を吐き出しながら、月夜はゆっくりと崩れ落ちる。背中から生えていた黒い羽は、光と共に消滅してしまっていた。

「月夜!?」

倒れた月夜を抱き締めながら、楓は心配そうに顔を覗き込む。先ほどのリミーナと同じように、すやすやと安らかな寝息をたてていた。

「良かった・・・」

「ほんと・・・世界なんてどうでもよくなるぐらいに、あなたはすごい子だね」

リミーナの言葉に楓は首をかしげる。

「私がやってたことがばかばかしく思えちゃうよ」

楓の隣に座り、リミーナはそう続ける。楓にはその真意が分からなかった。

「どういう意味?」

「教えてあげない、私も・・・疲れちゃった」

口をとがらせながら言ったリミーナは、座っている楓の膝に頭を乗せる。

「ええっ?・・・ちょ、ちょっと!」

楓の言葉も虚しく、リミーナは早々にすやすやと寝息をたてはじめる。

「えっ?えっ?どうすればいいの!?」

みんなが寝ている中、一人身動きのとれない楓はおろおろと狼狽していた。長いようで短かった一つの争いが、楓にはよく分からないまま幕を閉じたのだった。

多少曖昧(というか強引?)ですが、一つの節目が終わりました。まだまだ続きますがこれからは少しマッタリモードに移行します(´・ω・`)マターリ

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