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覚醒

初めてそれを見た時、今までの世界が終わり、そして新しい世界の始まりを感じたのを私は覚えている。

とある軍事施設、科学者の娘である私は、親の研究の成果とやらを見に来ていた。当時の私は十三歳、そんな研究の成果などに全くの興味はなかった。いや、それどころか私はこの世界の全ての事柄に無気力無関心だった。絶えず争い、誰かを傷つけ殺すことでしか自分を護れない人間のことを浅ましく思い、他の人間を嫌うどころか人間である自分自身にさえ嫌悪感を抱いていた。そんな時、私は彼に出会った。初めて見たとき、それは単なる幼い子どもにしか見えなかった。それも当たり前の話だった、なぜなら彼は当時四歳になったばっかりの幼い子どもだったのだから。防弾ガラス越しに見る彼は、人間味というものが全くなかった。ただ人の形をしていて、ただそこに在るだけ・・・私はこの時点で彼を好ましく思っていたのかもしれない。彼は、私と同じような生き物だったから・・・。

そんな彼の訓練を見ている最中、突如異変が起きた。大きな黒い一対の羽が、彼の背中から突然生えてきた。一瞬の出来事だったが、その美しさに私は見惚れていた。そして・・・何が起きたか、私には全く分からなかった。気がついたら数百メートル離れた海岸に、私は倒れていたのだから。所々傷む体を抱き締め、私は何かを直感した。きっと、彼がやったのだろう、と。痛む体を起こし、先ほどまで街が広がっていた場所に視線を向ける。・・・何もなかった、そこは真っ平らな荒野と化していた。なぜ私が生きていたのか分からない、ただ一つ分かることは・・・今まで感じたことのなかった高揚感を、私は感じていた。きっと彼ならこの世界を壊してくれる、浅ましい人間を壊してくれる、そして私も・・・。

一週間後、私は死んでしまった両親の知人の家に預けられる前に、もう一度彼と再会を果たした。

「初めまして、私はサーシャ・・・あなたは?」

浜辺に座り、海を見ている彼に私は挨拶をする。彼は意味を理解していないようで、虚ろな瞳をこちらに向けてくる。

「サーシャ?」

「あなたは、なんて呼ばれているの?」

「インフィニティー」

そう無機質に呟いた後、彼はもう興味がないというばかりに海に視線を戻す。海すら、彼には興味がないものかもしれなかった。私は時間がなく、最後に一言だけ言ってからその場を離れることにした。

「分からないかもしれないけど一つ・・・次会うときがあったら、私を殺してね。それじゃ」

「・・・?」

彼がこちらを振り向いたかは分からなかった。私はその言葉を言った時点で、既に彼に背を向けていたからだ。死にたいと思っていた私がなぜ次会った時に殺して欲しいと願ったか、それは・・・彼が創る世界を一度でも見たいと心から願っていたからだ。そして私は、彼と別れた・・・。



「ほんと、私は全く変わってないのに彼は変わりすぎたなぁ」

昔を懐かしむように、一人呟くサーシャ。そんな彼女に、不満の声をあげた少年が一人いた。

「・・・本人前にして他人事のように言うのやめてくれない?というかなんでサーシャが俺の部屋にいるんだよ」

布団の上で眠そうに目をこする月夜。時刻はまだ朝方、休日なので学校もなくゆっくりと休もうとしていた月夜は、サーシャの独り言によって起こされていた。サーシャは機嫌を悪くした風もなく、そして悪びれた様子もなく飄々と言う。

「だって暇なんだもの、貸してもらってる部屋にいてもすることないし」

「・・・だからって俺の睡眠を邪魔すんなよ。くそ、目が覚めちまったじゃねーか」

溜め息をつきながら悪態をつく月夜。サーシャはそんな月夜を楽しそうに見ていた。

「覚めたからにはしょうがない、電話してくる」

立ち上がって部屋を出て行こうとする月夜の後ろに、サーシャもついていく。月夜は何か言いたげな顔をしていたが、言っても無駄なことを悟っていたので特に何も言わなかった。

リビングにて、月夜は受話器をとって番号を入れる。起きてるかなぁ、と呟きながら相手が出るのをしばし待つ。数秒後、聞きなれた声が受話器から響いた。

「・・・レンフォードです、新聞と宗教はお断りしてますよ」

眠そうな声を発したのは、ランスだった。無駄な電話だったらすぐにでも切ってしまいそうな勢いをしていた。

「月夜だよ、悪いな起こしたか?」

切られないうちに早々と名前を述べ、一応気遣う声をあげる。実際は月夜も起こされた立場だったので、その声に気遣いの色はなかったのだが。

「月夜か・・・仮眠中だったんだよ、最近は何かと忙しくてな。で、なんの用だ?」

明らか声に元気のないランスが、どれだけ寝ていないのかを月夜はなんとなく察した。だからこそ、用件を手短に話す。

「この前の事件、犯人は間違いなく人間じゃない。俺のところにもその一部のやつが来たしね」

横目で見る月夜に対し、サーシャは視線を合わせないでいつもの軽い笑顔を保っている。

「やっぱりそうか・・・もしお前と同じだとすると、一体いつどこで生まれたんだろうな」

「さーな、どうやら首謀者にはかなり恨み持たれてるみたいだぜ、俺」

「ヒントあげようか?」

今まで黙って会話を盗み聞きしていたサーシャが、唐突に口を開いた。

「ん?誰かいるのか?」

疑問の声をあげているランスの声を無視し、月夜は押し黙ってサーシャを見る。その視線はサーシャの次の言葉を促していた。

「戦争が終わった後、あなたは国に追われ逃亡したのよね?もちろんそれは当たり前の話、戦争が終わったら兵器は必要ないものね。でももし、戦争が終わる直前にあなたと同じ兵器が生まれていたとしたら?」

サーシャの言葉を聞いて、月夜はすぐに理解した。そしてすぐにまとめた文章を、ランスに伝える。

「・・・兄貴、大統領でも当時の兵器研究者でもいい、戦争直後に生まれたもう一人の生物の情報を集めてくれ。・・・間違いなく、そいつが全ての元凶だ」

それを言いながら、月夜自身信じれないような気持ちだった。サーシャの言葉ではないが、月夜は確かに唯一無二の存在で、似たような過程で生み出された生物・・・アダムやイブなどといった生物はいたが、月夜程の力は持ち合わせてはいなかった。だがしかし、月夜とほぼ完全に同じ生物がいる。それは言ってしまえば、世界を消せる力を持っている者がいるということだった。

「まさか、そんなことが・・・?分かった、すぐに調べてみる」

目が覚めたように、ランスは了承の言葉を口にする。それに対し、月夜は言いようのない不安を感じ電話を切る前に最後に言った。

「気をつけろよ・・・死ぬな」

「そう簡単には死なないさ、らしくないなそんな言葉。それじゃ、追々連絡する」

そう言い残し、ランスは急ぐように電話を切った。ツーツー、という受話器から吐き出される音を聞きながら、嫌な感覚を拭えずに月夜も受話器を置いた。



「ランス=レンフォードです、失礼いたします」

ノックをしてから、豪華な作りをしているドアを開け部屋にいる人物に一礼をする。男は椅子に腰掛けて、待っていた、と言わんばかりにランスを見る。

「そうかしこまることでもないだろう?急な用事とはなんだね」

威厳の中に親しさを混じえる男の言葉に、それでも丁寧にランスは口を開く。

「先ほどは電話でしたので、詳しいことを言えずに申し訳ありませんでした。・・・単刀直入にお聞きします、戦時の例の研究についてですが・・・二人目がいたのですね?」

その言葉に、男は多少顔色を変えて口を開く。

「ああ、とはいえ実は私も詳しく知っているわけではない。確かティアーナ君がいる研究所の地下に監禁されているはずだ、気になるのならば行ってみるといい。しかしまた、どうして急にそんなことを聞くのだね?」

「インフィニティが狙われた事件は先日お話したと思いますが、もしかしたら最近我が軍でも起きている事件にも何か関係しているのではないかと思いまして」

男は何かを思案してから、口を開く。

「なるほど・・・無責任かと思われるが、実は私もここ数年様子を見にいってないのだよ。ティアーナ君にも、よろしく伝えてくれ」

「分かりました、それでは失礼いたします」

来た時と同じように、一礼をしてからランスは早々と部屋を出て去っていく。ランスは嫌な胸騒ぎを感じながら、それが監禁されている研究所へと急いだ。


「レンフォード中佐ですね、話は聞いています。右手の奥の部屋でお待ちください」

研究所の受付でそう指示をされたランスは、言われたとおりに奥の部屋に入る。そこには誰もいなく、こざっぱりとした部屋だった。その部屋は来客者用の接待部屋みたいなもので、ランスは多少の焦りを感じながらソファーに座った。

「失礼、遅れました」

待つこと数分、凛々しい声を響かせて部屋に入ってきたのは声と同じく凛々しい雰囲気を持った女性だった。ランスは立ち上がって挨拶をする。

「初めまして、あなたがティアーナ博士ですか?」

「そうです、ランスさんですよね?」

お互いが握手を交わし、向かい合ってソファーに座る。ティアーナは容姿端麗といった感じの美人だった。実年齢を感じさせない落ち着いた雰囲気と外見は、決して三十○歳には見えず、十歳ぐらいはさばを読んでもばれなさそうだった。

「早速ですが、お話聞かせていただいてよろしいですか?」

「かまいません、二人目のことですよね?まず言っておきますが、あの子は特に変わった点はありません。牢の中という狭い場所にいるものの、大人しくしていますよ」

ランスにとって、その言葉は別段驚く程のことでもなかった。何か事が起きれば、軍人である自分の耳に入らないわけがないからだ。しかし、だからこそ怪しくもある。

「その子の生まれについて聞いて良いですか?」

「かまいません。あの子が生まれた・・・正確に言えば造られたのは1998年の一月、第三次世界大戦が終戦を迎える直前のことですね。詳しい研究内容は言えませんが、最初の子・・・インフィニティとは多少違った造り方をしました」

ティアーナ博士の言い方から分かるように、一人目も二人目も彼女を筆頭に彼らは生み出された。もちろんそれを知っているランスは、その点に疑問や驚きを口にすることもない。ティアーナ博士は続ける。

「単なる物質であるなら材料を同じにし、比率も一緒であればほぼ同じ物が出来るのですが・・・やはり生物的要素が混じっていたせいか、同じ作り方をしても一人目と同じものにはなりませんでした。それどころか、生物としての機能すら持っていないのがほとんどでした。それ故に、私たちは常に材料や比率を変えなければならなかったのです。・・・すいません、もしかして話題それてますか?」

つい聞き入っていたランスは、

「いえ、重要なことだと思います」

と相槌をうった。その言葉に勢いづいたティアーナは、長々と語りだす。

「一人目が成功した時点でもはや奇跡でした。確かに生まれた時は、普通の人間の子どもと同じです。しかし、彼がすさまじい力を持っていたことはあなたもよくご存知だと思います。多くの犠牲を生み、多くの批判を浴びていた私たちですが、彼の誕生によってそれが無駄にならなかったと私たちは喜んだものです」

ここで彼女の言った犠牲とは、精子や卵子、普通の人間として生まれる可能性を持っていたものたちのことだ。

「私たちは自分の子どものように可愛がりましたが、成長してからは軍にとられ悔しい思いをしたのもまだ覚えていますよ。別にあなたに嫌味を言っているわけではないのでご安心を。それはさておき・・・二人目のことですよね?確かに私たちが作ったものは兵器なのかもしれない、しかし人間の形をしているそれを力があるから、生まれがおかしいからといって危険物扱いし、狭い牢屋に監禁するのを私は納得できません。確かにあの子も強大な力を持っていますが、それを使うとは思いません。それは生み出した親として、研究者としての両側からの意見です」

ランスの反応も気にしないまま続けているティアーナは更に続ける。

「確かに最近は軍内部で不可思議な行方不明者が出ているなどの事件もありますが、あの子は関係ないと思いますよ。よろしければ、会ってみますか?柵越しになりますが」

ようやく一段したところで、ティアーナはランスにそう問いかける。

「そうですね、会ってみなければ分からないこともあるので」

ティアーナの親心を分からないランスではない、だからといって彼女の言葉を鵜呑みにして疑惑を消すのは尚早過ぎるとランスは考え、その言葉を肯定した。

「ではついてきてください」

立ち上がって部屋を出て行くティアーナにランスはついていった。


研究所の地下、太陽の光が差し込まない暗い牢獄にその少女はいた。鉄格子が二重になっており、危険な肉食獣を隔離しているかのような感覚にとらわれるランス。

「今牢屋内の電気をつけますね」

そう言ってからティアーナは鉄格子の近くにあるスイッチに手を伸ばす。どうやらここは、牢の内側と外側で電気が分かれているようだった。中の電気がついていない状態では、鉄格子の内側は暗い闇で中を知ることは出来ない。内側の電気がつけられ、ランスは息を呑んだ。ランスが目にした少女は、かつて夢の中で見た少女にそっくりだったからだ。

「目にするのは初めてですよね?一人目のあの子を黒い天使と名づけるのなら、さしずめ彼女は白い堕天使と言ったところですね」

優しいような哀しいような微笑みを浮かべながら言葉を発するティアーナの声は、ランスには全く届いてはいなかった。彼は、少女に目が釘付けになっていたからだ。言うなれば、闇夜に月明かりを受け輝く白き薔薇。透き通るような白い肌は牢屋の中にいてもなお美しいが、生物が持っている温かさは微塵も感じられない。流れるような長い銀の髪は目を惹かれるが、触れてしまえばその鋭さに指が切れてしまうかもしれない。青く澄んだ瞳は見ていると引きずり込まれそうになる程魅惑的だが、その奥には深海よりも深い闇をたずさえている。凛とした少女は、超然とそこに存在していた。

「おはようリミーナ、調子はどう?」

一人呆然としているランスを訝しげに思いながらも、ティアーナは牢内の少女に声をかける。リミーナと呼ばれた少女は座ったまま、歳相応な声で答えた。

「いつも通り、何も変わってないよ。そっちのお兄ちゃんは?」

リミーナの青い瞳がランスに向けられる。ランスは一瞬身を硬くしたが、その悪意の全く感じられない瞳にどこか気が緩んだ。

「初めまして・・・かな?ランス=レンフォード中佐です。その・・・君は・・・」

言いよどむランスに、リミーナは心底不思議そうな顔をする。

「初めまして、リミーナです。どうかしたの?お兄ちゃん」

「い、いや、なんでもないよ」

なんとかそう言い繕うランスだが、相手に対する不信感を拭うことは出来なかった。

(単なる偶然・・・なのか?知らないフリをしてるには、あまりにも自然すぎる。・・・そういえば、あれ自体が夢、だったんだよな。ならこの子は本当に関係ないのか・・・?)

考え事をしているランスの横で、ティアーナは心配そうにリミーナに声をかけている。

「体調がおかしくなったらすぐに言いなさいね、いつでも診てあげるから」

その声には母親のようないたわりがあった。その気持ちを理解しているように、リミーナは無邪気な顔で微笑む。

「大丈夫だよ、ママに苦労をかけさせるわけにはいかないから・・・」

国によって監禁されている彼女を下手に牢屋から出してしまえばただではすまない。リミーナとティアーナはお互いそれを理解していて、お互いが心配しあっているのが少ない会話からでも読み取ることが出来た。

「本当の親子のようですね」

つい口から出たその言葉にランス自身も驚いていたが、その光景は確かに心配をしあう親子のようであった。ランスはそんな二人に、いつの間にか警戒心を緩めていたようだった。ティアーナはランスを見て、切なそうに言う。

「生み出した者、生み出された者・・・普通とは異なる形ではあるけど、私たちは親子みたいなものですよ」

そう思っているからこそ、ティアーナは辛いのだろう。この親と子の間には、冷たく無機質な鉄格子があるのだから。

「そうです・・・ね。残念ながら、僕はあなたたち親子の力にはなれませんが・・・」

この時のランスには、もう疑う気持ちはなかった。完璧に違うという証拠はないが、この人たちは違う、と心の底で思ってしまったからだ。

(やっぱり偶然、か。・・・あれ?)

自分の気持ちに納得をつけそうになったランスは、一つだけ腑に落ちない点があることに気づいた。今回の犯人を示したのは紛れもなくあの月夜で、なんの証拠もなしに疑うわけがない。仮に首謀者ではなかったとしても、何かしら接点がなければおかしいはずなのだ。危うくその場の雰囲気にのまれそうになっていたランスは、気を引き締めなおす。そして口を開いた。

「そういえばリミーナちゃん、最近変わったことはない?」

「変わったこと?」

本当に何も知らないような無邪気な顔を、リミーナはランスに向ける。

「そう、例えば・・・」

そこでランスは気づいた、自分が告げる二の句がないことに。

(例えば・・・なんだって言うんだ?まさか直接聞くわけにはいかないし、こんなところにいたんじゃ世間的なことは何も知らないだろう・・・)

「例えば・・・なんですか?」

全く分からない、といったような表情をして、リミーナはランスに問いかける。

「例えば・・・外に出たりとか」

「質問の意味がよく分かりません。外に出ようと思えば簡単に出れますが、ママに迷惑かかるようなまねを私はしません」

その言葉に、矛盾や悪意は全くなかった。もちろん、何かを装っているようなこともない。上手い言葉が見つからずに、ランスは苦悩して、そしてようやく口を開いた。

「じゃあ、夢を見たりとかは?」

その言葉にリミーナは考え込み、そして頷いた。

「夢は見ます。夢というよりも、何かふわふわしたような感覚を伴う現実にいるような・・・そんな夢です」

「ふむ・・・」

(なんだろうこの感じ・・・何かが分かりそうで分からない。・・・ともかく、今のままじゃだめだな。月夜の言葉も気になるけど、こんな曖昧な状況じゃ何も解決できそうにない)

仕方なしに、ランスは一度出直すことを決めた。

「変なことを聞いてごめんね。・・・一度、出直させてもらいます。ティアーナ博士」

「だから言ってるでしょ?リミーナはそんなことをしないわ。でも、来たければいくらでもどうぞ。リミーナごめんね、後でまた来るから」

「ううん、私は大丈夫だよ」

母を気遣う子どものような微笑みを見せるリミーナ。それを目の当たりにするランスは、どうにもやるせなく、そして複雑な気分だった。



その頃、月夜宅にて。

楓の作った昼ご飯を食べながら、月夜を除いた二人はやんわりとけんかをしていた。

「楓が作った料理はおいしいわねぇ、お店開けるんじゃない?路地裏とかで」

「何言ってるんですか、サーシャさんが今朝作ってくれた物には劣りますよ。カラスの餌みたいで」

ニコニコとしながら毒どころか猛毒を含んだその会話に、月夜は頭を痛ませていた。いつもは案外真面目な楓だが、毒を吐く時だけは容赦はない。サーシャはサーシャで、楓を敵視しているのかからかっているのか、どちらともとれずによく楓につっかかっていた。

「サーシャさんみたいな女性は憧れますよね、活動的でたくましくて・・・まるで男の人みたいですよねぇ」

「そういう楓も可愛いわよ。小ぢんまりとしてて、無駄な脂肪がついてなくて羨ましいわぁ」

大抵こういう時は、口を出すと被害に合うことを理解していた月夜はわざわざ墓穴を掘るようなまねはしなかった。居づらい雰囲気の中、一人静かにもくもくとご飯を食べる。もちろん、味はしない。

「あはは・・・」

「ふふふ・・・」

ランスとは差のある悩みだが、今の月夜にとっては十分頭を悩ませるものだねだった。



それから、何事もなく一週間が過ぎていた。忙殺されるように仕事と事件に関して調べ回っていたランスは、相変わらず確実な物を得ることができていなかった。それどころか、あれから数回リミーナの元に足を運んだランスは更に混乱しているのであった。

「くそ、全く分からない」

夜遅くに自室で悪態をつくランス。顔色は悪く、目の下には隈を作っている。

「人間の仕業じゃないなら、元より人間である僕が解決できるわけないんだよ・・・」

疲労と苛立ちから、ついランスは弱音を吐く。軍内での行方不明事件は確かにランスに関わりがあるものだが、月夜が狙われている件については実際は他人事なのだ。それを仕事と両立して調べなければいけないランスにとっては、かなり困難なことだった。少しでも解決が近づいているのならまだしも、月夜が言っていた犯人・・・リミーナに会えば会うほど、その答えが分からなくなっていった。ランスは何回か会ったリミーナのことを考える。自分を犠牲にし、血がつながっていない親を大切にしている彼女のことを。

「彼女は嘘をついてない・・・外に出ることすらしていないはずだ。・・・なら、犯人は違うのか?」

そして同様に、月夜が嘘をつくはずがないこともランスは理解していた。月夜の情報源が確かなものである確証はないが、少なくとも完璧に間違っていることを月夜は言わない。リミーナと月夜、二人の間に挟まれたランスは大きく苦悩していた。

「情報が少なすぎる・・・行方不明者にしても軍以外では共通点はないし、そもそも理由はなんなんだ・・・?」

虚ろな頭でランスは考える。もちろんそんな状態で答えが出るはずがない。例え頭がしっかり働いていたとしても、答えを出すには情報が少なすぎた。

「あー・・・もう、くそ・・・」

(僕は何日寝てないんだろう・・・明日も仕事だってのに・・・つかれ・・・た)

ランスは机に頭を垂らし、いつの間にかすやすやと寝入っていた。


ドンドン、とドアを叩く音と、

「レンフォード中佐!」

という声が部屋に響き渡る。その慌しい声とは裏腹に、ランスはゆるやかに頭を起こす。瞼をこすりながら、迷惑そうにドアの方に声を投げる。

「どうした、こんな夜遅くに」

多少の嫌味を含みながらも、しっかりと返す辺りは幾分大人だろう。しかし相手は、軍の厳しい上下関係すら忘れたように慌て、ドアを開ける。

「大変なんです!大統領が・・・」

「大統領がどうしたって?」

勝手にドアを開けて入ってきたことを咎める余裕は、その言葉を聞いたランスにはなかった。

「大統領官邸が、何者かに襲撃され・・・」

その言葉に耳を疑いながらも、ランスの行動は早かった。

「重要度A1の警報ですぐに官邸前に招集をかけろ、装備もA1だ!僕もすぐに行く」

「了解です!」

その指示を聞いてからその兵士はすぐに部屋を出て走っていった。重要度A1とは国家レベルの問題事件対応のことで、それからA2、A3、B1、と続いていく。最低ランクはC3、対応する問題ごとにランク分けがされていた。余談だが、この世界のアメリカでは戦争事はその上のS1、S2、S3に分かれている。

「問題続きだな、全く」

落ち着いた口調の割には、急いで椅子にかけてあった上着を羽織って部屋を出る。多少の睡眠をとり、脳はそれなりに元気を取り戻したようだ。自室・・・実際は軍部にある士官各自に分けられた専用の部屋、から早々に出て、官邸前へと足を速める。

ランスは外に出て苦笑した。もう陽が顔を出し、時刻は朝方になっていたのだから。

「寝てたのか僕は・・・でも、これなら十分動ける」

ランスという一個人から、ランス中佐という軍人に頭を切り替えた。


大統領官邸はランスがいた軍部から近く、走って数分もかからない場所だった。官邸前にはもう数十、数百という軍人が集まり、各々物々しい装備を携えている。ランスは官邸入り口から十数メートル手前、最前列に出てそこにいる兵士に声をかける。

「状況は?」

その兵士は敬礼をしてから説明をする。

「はっ、内部の状況は詳しくは分かりませんが、大統領の部屋に大統領が捕らえられているそうです」

いまいちよく分からないその兵士の説明に、ランスは顔をしかめる。

「偵察部隊は出したのか?」

「いえ・・・捕らわれている大統領が、先ほど電話でそう仰っていたので。犯人により電話をかけさせられた様です。相手は、レンフォード中佐をご指名だとか・・・すいません、実は私にもよく分からないのです」

その兵士の言葉に余計頭を悩ませるランス。

「・・・要するに、僕に来い、そう言ってるんだな?犯人は」

「そのようです」

「分かった」

ランスは最前列から一歩前に出て、並ぶ兵士達を見ながら声の大きさに注意して叫ぶ。

「最前列の数人は僕についてこい、残った者はここで様子を見ながら待機だ!」

案外てきとうな物言いだが、ランスにとっては適当でもあった。先ほど話していた兵士から銃を借り、官邸入り口に走り出す。選んだわけでもなく、最前列の数名がランスに続いて動き出す。ランスは中佐という比較的上の方の地位にいるが、決して一番上ではない。しかし、それでも彼の指示を的確に理解出来るものはこの軍の中では九割を越えている。それ程彼は有能だった。それ故にA1、A2レベルの問題事は彼を中心に軍が動く。

(全く・・・損な役回りだと思うな)

そんなことを思いつつ、入り口を抜け大広間を抜け・・・大統領の部屋の前に着いた。もちろん、先ほど来た数人もついて来ている。ランスは既に事の奇怪さに気づいていた。そして、ぽつりと漏らす。

「なんだこの静けさは・・・?ここまで何もないなんて、中で一体何が起こってるんだ」

ランスは背筋に流れる冷や汗に嫌な顔をし、部屋の外側から中の様子を探ろうと聞き耳を立てる。物音はしない、自分自身の呼吸の音ですらひどく耳に聞こえてしまう感覚に、ランスは嫌な予感を拭えなかった。

「こうしていても仕方ない・・・か」

ランスは自分に言い聞かせるようにした後、意を決してドアを開ける。後ろに続いている兵士達に比べれば、銃一つという心もとない装備だが、ランスにとってはそれだけで十分だった。

[命のやり取りに重々しい装備はいらない、戦争でなければ銃だけで十分だ]、それが、彼の持論だからだ。

ドアの向こうに待っていたのは、椅子に腰掛ける一人の男性だった。部屋は薄暗く、シルエットしか見えない。しかしランスにはそれで分かった、そこにいるのが、大統領だということを。

「・・・?ご無事でしたか」

ランスは部屋に入り、そしてその部屋の異常な寒さに気づいた。気温が低いわけではない、その部屋だけが異質な空間のように、現実世界から浮き彫りにされてしまったような、そんな寒さだった。張り詰めている空気の中、ランスは変な感覚を肌に感じながら、無言で椅子に座っている大統領に近づく。

「一体何があっ・・・!?」

薄暗い部屋の中、近づいてやっと視認することが出来た。瞬時に、ランスは見なければ良かったと後悔した。椅子に座った男性は、胸部を赤く染め上げ、既にこときれていたのだから・・・。その死体から、ランスは目を離すことが出来なかった。見たくないのに、目も体も動かない。

「何が・・・?そんな、そんな馬鹿な・・・」

今は亡き父の友人、そして自分によくしてくれた恩人・・・ランスは今、その男性の死体をただ見ることしか出来なかった。人の死はいつだって見慣れない、赤の他人でも仲の良い知人でも・・・ランスは多くの人の死を見てきたが、いつだって見慣れたことなんてなかった。軍人としては失格かもしれない、しかし、それは子どもの頃の純粋な夢を失ってしまった今のランスにとって、かけがえのない大切な感情だった。

涙は流さない、泣いてしまえば自分は何も出来なくなってしまうから・・・ランスは瞬時に思考を切り替え、全神経を使いその部屋を注意深く見渡す。薄暗い部屋の中、視覚ではなく研ぎ澄まされた肌の感覚で、ランスはそれを見つけた。

「出て来い、そこにいるのは分かってる」

自然体で椅子の後ろに銃を構えるランスの動作には、怒りもなく、哀しみもない。椅子の後ろに隠れていた人物は、無言でその姿を現した。

「・・・お前は」

薄暗くて顔は見えない、しかしランスにはそれが誰だかわかってしまった。そいつは超然とそこに佇み、静かに笑っていた。

「やっぱり・・・そうだったんだな?」

相手は無言でランスを見ている。その視線に含まれる物は、嫌な生暖かさだった。

「君を・・・僕は殺す。国家反逆罪だ、リミーナ!」

ランスは向けていた銃を発砲する。もちろんそんなものが通用するほど、リミーナが甘い相手ではないことをランスは理解している。当然のように、リミーナはゆっくりとこちらに歩いてくる。弾は命中している、しかし彼女に傷はつかなかった。一歩ずつゆっくりとした足取りで間合いを詰めていくリミーナ。ランスは焦った様子もなく、弾が切れるまで撃ち続ける。リミーナが四歩程歩いた時に、ランスの後ろのドアが開き、完全武装した数人の軍人が部屋に飛び込んできた。瞬時に敵を判断し、各々が持っている武器をリミーナに叩き込む。何百発の弾が部屋を蹂躙し、破壊尽くしていく。ランス達は煙で何も見えなくなった部屋を飛び出し、とどめとばかりにバズーカを部屋に撃ち込む。部屋は大爆発を起こし、外で待機している軍人たちは何事かとその爆発した一部を凝視する。

「これで・・・終わってくれれば楽でいいんだけどね」

小さく呟いたランスの独り言は、周りにいた数人の部下が切り刻まれる音にかき消された。悲鳴はなかった。ただ、どしゃ、と物が地面に落ちた音が響いただけだった。

「やっぱり、全く無駄みたいだったようだね・・・」

ランスはそれを予想していた為、大して取り乱しもせずにすぐ近くに立つ少女に話しかける。少女は楽しそうに笑みを浮かべ、ランスを見上げる。

「分かっていたのならなぜやったの?」

「少しでも可能性があるのなら僕らはやらなければならない。仕事だから、な」

ただの肉片と化して地面に落ちている元仲間を、ランスは哀しそうな目で見る。

「やっぱり、あなたは違うのね。あなたは私の見込みどおりの人間だわ」

「嬉しくもない褒め言葉として受け取っておくよ」

ランスは死を身近にしても平静だった。多くの人の死は、彼自身の死の観念を大きく変化させてしまっているのかもしれない。

「そう・・・残念だけど、あなたはここで殺さない。一緒に来てもらうわよ」

「冗談、誰が一緒に行くものか」

リミーナの誘いを、ランスは跳ね除ける。リミーナは本当に楽しそうに顔を歪ませ、言う。

「冗談を言っているのはあなたでしょ?」

「僕は冗談なんて・・・な・・・?」

くらり、とランスは頭が揺れる感覚を感じる。脳を直接手で揺らされているような、気が狂いそうな感覚だ。

「どちらにしても、ここでは外野がうるさすぎるわ。行きましょう」

リミーナは倒れそうな感覚に苦しむランスに触れた。リミーナとランスの体は空気に溶けていき・・・そして姿を消した。



子どもの頃、戦争を失くしたいと心から願っていた。誰かが死ぬのが嫌で、誰かが殺すのが嫌だった。大人になって偉くなれば、人が争わない世界を作れると僕は信じていた。でも、それを叶わない幻想だと分かってしまったのはいつの日だっただろうか?

初めて人を殺したあの日?仕事に忙殺されて何も出来ないと感じてしまったあの日?その全てが、僕を変えるには十分過ぎるほどだった。何をしても人は争い、殺し合いをする。何のために?

護るために、生きるために、生物として勝ち上がるために。人は戦争の哀しみを忘れていく、人は誰かが死んでいく辛さを忘れてしまう。そして僕らはまた戦争を起こす、どうしようもなく意味のない、人の死を大量にはらむだけの負の歴史を刻んでいく。

力があれば、世界を変えられる。人としてではなく、神としての力を・・・僕はいつから、そんなことを思い・・・そして、あいつに嫉妬をしてしまっていたのだろう。


『なら、あなたにも力を上げるわ』

いらない、僕は力なんていらない。

『でも彼は言ったわ。破壊する力だけが全てじゃない、護る力だって力なんだ。と』

僕にはそんなこと言えない、出来ない。僕は・・・きっと全てを壊してしまうだけだ。この、醜い世界を・・・。

『それでもいいじゃない。人間に生の救いがないなら、死の救いしか残っていないわ』

死ぬことはだめなんだ、生きているから・・・僕らは人間でいれるんだ。

『ならあなたの夢は一生叶わない、力なき者には夢を語る資格すらないわ』

僕は人間だ・・・人間なんだ・・・出来ないことは、たくさんある。

『本当に?しっかりと自分の姿を見てみなさい』

自分の・・・姿?

自分の手を見てみた、その手は多くの人の血によって濡れていた。自分の足を見てみた、その足には多くの手が絡みついていた。それに恐怖し、手や足を振ってみたけどそれはとれなかった。いや・・・それは自分の体の一部かと思うほど、違和感のない物になっていた。

『あなたは人間じゃない、もう人間には戻れない』

やめろ・・・やめてくれ・・・。

『あなたはもうこちら側の生物なのよ』

やめろ・・・やめ・・・て。

小さな子どものように泣き叫ぶ。現実は辛すぎて、自分が醜すぎて、目をつぶってそれを頑なに否定することでしか僕はもう生きれない。

『手を、とりなさい。楽になれるわ』

意思とは裏腹に、僕はそのてをつかんでいた。苦しくて哀しくて・・・助けて欲しかった。

『今は休みなさい・・・ゆっくりと、ね』

その温かい微笑みを見ながら、僕は安心感を覚えたのと同時に、もう戻れないことを自然と理解していた。

一話一話が長いせいで、まだ十話目だというのにやたら長く感じてしまいますね・・・_| ̄|○

いい感じに事件性が高まってきました、どうなるランス・・・的な感じで、はい(・ω・)

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