予兆、そして始まり
夏休みが終わり、新学期が始まっていた。木々は夏の緑色から、秋の紅色へと変化を遂げていく。未だに暑さは残る物の、太陽の日差しはやんわりと弱まっていき、夏の面影はゆっくりと失われていくだろう。
相変わらずのほほんと教室の窓から外の風景を眺めながら、月夜は数日前のことを思い出していた。
ハワイの空港にて、見送られる側の月夜と楓、そして見送る側のランス。
「短い間だったけど、楽しかったな」
「うん・・・また、来たいね」
名残惜しそうに呟く二人を、ランスは笑顔で送る。
「いつでも来ればいい、夏じゃなくてもここは出来ることがたくさんあるからね・・・なんて、僕もあまり来ないから確かなことは言えないんだけどさ」
苦笑気味に言うランスに、月夜が疑問を投げかける。
「そう言えば、兄貴も仕事だろ?いつまでハワイにいるつもりなんだよ」
「あの別荘を空けてる間の手続きやら何やら色々あってね・・・二日もしたら、僕も実家に戻るつもりさ。月夜の言うとおり、仕事もあるわけだし」
相も変わらず毒がある月夜の言い方に、普段どおりに返すランス。この二人にとってはそれが普通のことなのだろう。
「冬でも春でも、そっちが長めの休みがとれるようなら僕もそれに合わせるさ。戦争事がなきゃ、結構暇なんだよ、これでもね」
「そりゃ兄貴だけの場合だろ・・・」
「ばれたか、それだけ仕事も早くて有能だってことさ」
自分で言うことではないようなことを、笑いながら言うランス。言っている人間が人間なだけに、本音か冗談かは見当がつかないところだった。
「ほれ、喋ってる時間もそんなにないだろ?早く行かないと乗り遅れるぞ」
「はいはい、分かってるよそんなこと・・・またな、兄貴」
「すごく楽しかったですよ、また招待してくださいね!」
促すランスに、各々別れの言葉を告げ、二人は飛行機へと歩いていった。
それが十数日前の話で、気づけば夏休みも終わり新学期が始まっているのだった。
月夜はだるそうにしながら、机に突っ伏し窓の外を見ている。時々教師に怒られるが、それも日課となっているので別段月夜もクラスメイトも気にしない。夏休み中に外国に行ったという日常外の出来事もあったが、気づけばいつもの日常へと戻っていた。
「おーっす、相変わらずやる気がなさそうだな月夜」
三時限目の終了後に、利樹が声をかけてくる。頭についていた包帯はとっくの前にとれていて、少し伸びた茶色の髪がいつものように立っている。利樹の後ろには、いつものように紫がついてきていた。
「あー・・・お前も相変わらずだな」
机に突っ伏したままの状態でだるそうに答える月夜の頭を、隣の席に座っていた楓が軽くはたく。
「もう、久しぶりに会うんだから顔ぐらいあげなさいよ」
「うー・・・」
月夜は気だるげそうに上半身を起こして言う。
「あんまり叩くなって、馬鹿になったらどうするんだ?」
反応を返さない三人。無言の視線は、もうこれ以上馬鹿にはならないだろうなぁ、といったような意味合いが込められている。それを感じ取った月夜は、
「お前らなぁ・・・いいさいいさ」
すねた子どものように再度机に突っ伏してしまう。
「はいはい、子どもじゃないんだからすねないの」
一見冷たく聞こえる楓の言葉だが、声色に含まれている笑いが仄かに温かみを感じさせた。
「ったく・・・子どもはどっちだっつうの」
ぶつぶつと呟きながら起き上がる月夜。文句は言うものの、月夜は日常となっているこんなやりとりが嫌いではなかった。
「そんなことはさておき、どうするんだ?」
黙って二人を見ていた利樹が、口を開く。今日は二学期初日ということもあり、三時間で授業は終わりだった。その後は、学食で昼ご飯を食べるのも家に帰るのも生徒の自由ということになっていた。
「私はお昼学食ですませちゃおうと思ってたけど・・・月夜は?」
「楓がそうするならそうするさ、家帰ってもすることないしな」
「俺らも学食ですませるし、一緒に行こうぜ。いいだろ?紫」
「もちろんかまわないわよ、みんなで食べた方がおいしいからね」
「んじゃ、行こうぜ」
先頭を行く利樹に続いて、久しぶりに会い楽しそうに話し合う楓と紫。そしてその後ろをのろのろとついていく月夜ら四人は学食へと向かった。
「で、夏休み中に何があったんですか?君達は」
まず利樹が咳き込んでご飯粒を飛ばした。それとほぼ同時に、紫が箸で持ち上げていたうどんをつゆの中に落とし汁を飛ばしていた。そんな二人を見て、カツカレーをつつきながらにやにやと笑っている月夜は、からかう様に対面側に座っている利樹と紫に言った。
「な、何をいきなり言い出すんだお前は!?」
「そうよ!月夜君ってば一体何を・・・」
焦る二人を見ながら、月夜は隣に座っている楓に声をかける。
「見りゃ分かるよなぁ・・・なぁ、楓?」
「そうだね、二人ともかなり親密になってるよねぇ・・・元々仲良かったけど」
月夜に同意しながら、楓も意地の悪い笑みを浮かべている。
「どこが、いつもと違うって言うんだよ!?」
明らかな狼狽を見せながら、利樹は二人に問いかける。
「その一、ご飯食べてる間随分と仲良さそうに話してた」
「その二〜、椅子がとっても近い」
冷静かつからかうように二人は説明する。月夜と楓は人をからかう時だけは息がぴったりな上に、そういう時だけどちらも目聡いのである意味最低かつ最凶だった。
「もう!二人ともからかわないでよ!」
「そうだぜ、たちの悪い冗談はやめろよ」
必死で否定しあう利樹と紫。結局二人は、昼食が終わるまで月夜と楓にからかわれ続けたのだった。
「しかしまぁ・・・まさかそこまで進展してたとはな」
家に着いた月夜は着替えを済ませ、リビングで椅子に座りテレビを見ながらそう呟く。隣にいる楓も、それにうんうんと首を縦に振っていた。
「びっくりだね・・・」
結局のところ、からかわれ続けた紫がつい口を滑らせてしまったのだった。
「やっぱり高校生はキスぐらいするのかな?」
「さてね、人それぞれじゃねーの」
二人は人の恋愛には目聡い割に、自分のことに関しては疎かった。お互いの距離は縮まっているものの、恋愛や恋人といった類の関係とは遠く離れている二人だった。
「楓も、やっぱりそういうの羨ましいって思うか?」
自身の口からついこぼれた呟きに、月夜は焦った。それを聞いてしまった楓も焦ったが、しっかりとそれに返答する。
「どうだろ・・・羨ましいって言うよりは、憧れちゃうかな」
なんとなく気まずい雰囲気が二人の間に漂う。日常にはなっているものの、二人きりという状況は意識してしまえば危うい物でもある。そんな雰囲気を壊すように、突然電話が鳴り響いた。
「俺が出るよ」
救いの手を差し伸べられたように、月夜が受話器をつかむ。
「はい、如月ですけど」
「月夜か?」
受話器越しから、少し前に聞いたばかりの聞きなれた声が届く。
「なんだ兄貴か。何か用?」
「少し聞きたいことがあってね・・・最近、そっちで何か変わった事件みたいなのはないか?」
「いや特に、何かあったのか?」
顔つきを変えた月夜を、楓は心配そうに見ている。受話器越しのランスは、安堵するような息をもらした。
「そうか、ならいいんだ・・・こっちじゃ最近変な事件が多くてね、もしかしたら日本でも、と思って電話したんだ」
「変な事件・・・?」
「ああ、軍内部での行方不明者が続出してるんだ。四日程前からで、もう九人の被害者が出ている」
「確かに数は異常だと思うけど、特に変っていうわけでもないんじゃない?」
「それなんだが・・・」
ランスは悩んでいるようにしばし黙り込み、そして口を開く。
「痕跡が全くないんだ。目撃者もいない、まるで人が消えたかのように次々と行方不明になっていくんだ」
ランスのその言葉を聞いて、月夜は不意に五月の誘拐事件を思い出す。多少の違いはあったが、なんとなくそれに似ている気がしたからだ。
「もしかしたら、人間の手口じゃないかもしれないと思ってな。思い当たる節とかないか?」
「だから俺に電話してきたってわけか・・・思い当たる節はあるよ」
そう言ってから、月夜は五月の事件のことを話した。目撃者のいない誘拐、現場に残された一つだけの証明品、そして、狙われていたのは自分かもしれないということと相手が人間ではなかったということ。ランスはそれを聞いて、何かを考え込むように黙った。
「どう思う?」
「・・・難しいな、似ている犯行とはいえ、日本とアメリカじゃ離れすぎているし、それにそいつはもういないんだろ?」
「うん、でもそいつの大元が日本にいるとは限らない。少なくとも、目撃者も証拠もなしに人を消すだなんて、人間には出来ない。俺の類の生物だと思うよ」
月夜はそう言ってから、アメリカの学校で出会ったリッダのことを思い出す。嫌な感覚を呼び起こさせたあの姿、月夜の疑念は確信に変わっていた。
「とにかく、何かあったら連絡をくれ。こっちはこっちで、なんとか対策を練っておくよ」
「分かった、こっちは任せろ」
「それじゃ、またな・・・気をつけろよ」
「言われなくてもな、兄貴も気をつけろよ。また」
受話器を置いてから、月夜は溜め息を吐く。心配そうに隣で見ていた楓が、月夜に話しかける。
「ランスから?何かあったの・・・?」
「また面倒ごとが起きてるみたいだよ。近いうちに、また何か起きるかもしれない」
鬱陶しさを滲ませた月夜の言葉に、楓が小さく震える。
「五月の時みたいに・・・?怖いよ・・・」
争いや戦争を恐れる楓には、あの時のことはあまり思い出したくないものだった。ましてや、自分にとって大切な人が殺し合いをしている場面など見たくもなかった。そんな楓に、月夜は優しく、そして力強く言う。
「俺が護るよ、何があっても、絶対に。俺は死んだりしない」
月夜の力強い言葉を、楓は多少複雑に感じていた。だから言う。
「無茶しないでね?・・・月夜が傷つくのは見たくないから」
「大丈夫だよ、俺は絶対平気だから」
言いながら軽く楓の頭をぽんぽんと叩く。楓は月夜にしがみつき、しばらくの間そうしていた。
それから数日間、変わった様子もなく日常が流れていた。いつもの授業風景、友達とのいつもの馬鹿騒ぎ。今の日本は戦争ボケしているなどと他の国からは言われるが、みんなみんながそうであるはずがない・・・いや、本当は心の底から争いを望んでいる者などいるはずがない、と月夜は常々そう思っていた。そんな月夜の考えを嘲笑うかのように・・・事件は起きた。
新学期開始から一週間後のことだった。時刻は十二時を少しまわった程、学校の全員が四時間目を受けている最中、突如その声は響き渡った。
「初めまして、諸君等に告げる。唐突だがこれから私が言うことに耳を傾け、冷静に判断をして行動して欲しい」
各教室に設置されているスピーカーから流れた声は女性のものだった。突然の事態に授業は中断され、教師も生徒も唖然とスピーカーを見上げている。
「この学校にいくつか爆弾を仕掛けさせてもらった、命が惜しければ各個人が今いる場所からは動かない方が良い。動きがあれば、すぐにこちらで爆弾のスイッチを押させてもらう」
その言葉に、学校内が騒然とした。生徒たちの中には、
「何これ?避難訓練か何かか?」
と呟いている者もいる。いたずらか本気か、その者の真意は分からない。戦争を体験している教師たちは、疑心を持ちながらも冷静に生徒たちに指示を出した。
「静かに!反日本政府のテロリストかもしれん、うかつに動いたり騒いだりするのは控えるんだ!」
その言葉に騒然としていた教室は静かになった。他のクラスは分からないけど、この教室は大丈夫っぽい・・・かな?と月夜は誰に気づかれることなく呟いた。そして、隣の席を楓見る。案の定、突然のことに何が起きたのか分からない、といった感じで不安な表情をしている。無理もない、月夜自身そうなのだから。
「大丈夫か?楓」
それを見かねた月夜が、こっそりと楓に聞く。楓は不安そうに月夜を見てから、呟き返す。
「私は大丈夫だけど・・・何が起きてるの?」
「俺にも分からない。でもテロリストにしては手際が良すぎるし、日中誰にも気づかれずに爆弾を仕掛けるなんて無理だよ」
月夜の物言いに含まれる言葉に、楓は理解した。
「また五月の時みたいに、人間離れした人・・・なのかな?」
「さてね・・・」
「おいそこ、うるさいぞ!」
教師に一喝され、二人は会話を止める。教室内部にはピリピリとした緊張感が張り詰めていた。最初の放送から、すでに三分の時間が流れていた。それから約三十秒後、再度スピーカーから放送が流れた。
「臆病なのか賢いのか・・・中々冷静な判断が出来るようですね。それはさておき、こちらとしても無闇やたらに切り札を使うのは気がひけるので、諸君等の協力には感謝の言葉を贈ります」
全く要領を得ないその放送に、教室の全員が不審顔でスピーカーに顔を向けている。スピーカーは先ほどとは違って、間を空けずに次の言葉を吐いた。
「諸君等には人質となってもらう。学校中の生徒たちの命が惜しければ・・・早々に校庭に出てくると良い、インフィニティ」
その言葉に、びくりと体を震わせながら楓は月夜の顔を見る。月夜は落ち着いた様子で、心配ない、といった感じで笑いかける。放送の意味を理解できていない他の生徒たちは、周りを見渡しながら、
「インフィニティー?」
と呟いている。月夜はそんな騒然としている中、一人立ち上がり窓を開ける。後ろからは、
「何をしているんだ月夜、危ないから早く席に戻りなさい!」
と教師の言葉が聞こえたが、月夜はそれに対して反応を返さずに、窓枠に手をかけ飛び降りた。きゃー、という声があがる。当たり前だ、なぜならそこは四階で、普通の人間ならまず死ぬ高さなのだから。しかし月夜にとってはさほどもない高さだった。空中でバランスをとり、膝を曲げて足から着地する。すたん、という響きの良い音を響かせ、月夜は校庭に降り立った。
「名指しで来るとは・・・迷惑な話だよな。今の俺の名前じゃないだけ、ましだけどさ」
校舎の窓から、いくつもの視線を背中に浴びながら月夜はゆっくりと歩く。広がる校庭の中には、目に付くような人影はなかった。
「自分から呼んでおいて、そっちが来てないんじゃ意味がない」
ぶつぶつと文句を独りごちながら、月夜は校庭の真ん中辺りで止まり立ち尽くす。空は青々とし、秋の空の高さを感じさせる。月夜はそんな青空を見上げながら、しばし待っていた。
「あなたがインフィニティなのね」
校舎の玄関からゆっくりと歩いてきた人間が、月夜にそう話しかける。月夜は視線をそちらに移し、待ち合わせに遅刻した友人を睨むような目で見る。
「手際が良いかと思えば、遅刻かよ。で、用件は何?」
「単刀直入に言うと、君に死んで欲しいんだ」
にこりと裏表のなさそうな笑顔を浮かべ、その女性は言う。髪はショートで青い。身長はそこそこ高めで肌が黒く、実年齢よりは若干若く見えそうだ。月夜からの初めの印象は、活発な女性、だった。
「それで、人質までとったってわけ?裏でこそこそやられるのもうざいけど、堂々と卑怯な手段とられるのも気に食わないね」
月夜の皮肉に、女性は笑顔で答える。
「争いにも殺し合いにも、卑怯なんて言葉は存在しないでしょ?それは負け犬の台詞じゃなくって?」
「否定はしない、けど俺は負けたわけじゃない。それにしても日本語が上手なんだな。そう言えばいつか話したリッダっていう男も、なぜか日本語を話してたな」
「彼も私の仲間だもの、色々な言語が使えないようじゃ活動が出来ないわ・・・と、これ以上は喋る必要はないわね。死にゆくあなたには、意味のない話だものね」
終始笑顔で喋り続ける女性に、月夜は特に敵対心を持たなかった。一応人間ではあるが、彼女も月夜寄りの人間なのだ。それならば、別に敵対心を持つ対象にはならない、と月夜は考えていた。そしてその考えに、いつかのヘンタイは別、と付け足すのも忘れてはいなかった。しかし、
「別にあんた自身に恨みがあるわけじゃない、同じ生物なら尚更仲間意識みたいなものもある。でも、俺は殺されるわけにもいかないし、何より他の誰かを巻き込むあんたたちのやり方は気に食わない。死ぬのはあんたのほうだよ」
敵対心を持っていなくても、殺らなきゃ殺られることを月夜は十重に理解していた。瞳が闇に染まり、相手を睨みつける。
「何を勘違いしているの?あなたはただ、いたぶられ殺される側の人間。不審な動きをしたら、人質には死んでもらうわ」
笑顔が冷淡な微笑に変わり、冷たい目で月夜を見る女性。もちろん月夜だってそれを理解していないほど馬鹿ではなかった。だからこそ、相手が何かをする前に消してしまう気でいた。その考えも、次の言葉でかき消される。
「私が爆弾を爆発させる前に殺す気なんでしょう?やめたほうがいいわよ、そんなことをしたら全て爆発してしまうから」
月夜はそこで初めて、動揺の色を見せた。相手にばれないようにすぐに気を張るが、相手はその小さな動揺を見逃さなかった。その隙に付け入るように、女性は追い討ちをかける。
「試してみたらいいんじゃない?あなたにとって、人間なんて生きる価値もないゴミのようなものでしょう?」
「黙れ!」
月夜は感情を露に叫んでいた。思い出したくない過去をひっかきまわすような女性の言葉に、月夜は怒りを抑えられなかった。それでもなお、女性は続ける。
「かつて最強であり最凶だった生物兵器。そんなあなたが人間の心配をするなんておかしいことだと思わない?」
「黙れって言ってるんだ!」
完全に闇に包まれた瞳に力がこもる。月夜は怒りに任せ、標的である女性に空間が歪むほどの力を飛ばす。音速を超え放たれた力の奔流は、音を立てながら女性に襲い掛かる。女性はそれを避けることなく右手を前に突き出し、見えないその力をかき消す。
「この程度なの?・・・私はかつて最凶と呼ばれたインフィニティに恋をしていたわ。圧倒的な力を持ち、破壊と殺戮の超越者・・・あなたなら、この醜い世界を壊してくれると私は願っていたのに」
月夜の戸惑いの視線を受けながら女性は哀しそうに続ける。
「なのにあなたは変わってしまった。世界に流され情に流され・・・人間に溶け込み堕落していくだけの存在になってしまった」
「違う、俺は・・・」
「違わない。現にあなたは私程度を消すことも出来ない。あの頃のインフィニテイはどこにいってしまったの?」
女性の言葉に月夜は拳を握り締める。確かに今の自分は弱くなった、護るものがなく、ただただ破壊を繰り返していたあの頃に比べれば・・・でも、それは違うのだということを月夜は理解していた。
「破壊する力だけが強さじゃない、護る力だって、強さなんだ」
「それでも、今のあなたじゃ護ることすら叶わない、そうでしょ?」
月夜は突然寒気に襲われた、嫌な感触が体にまとわりつく。そして次の瞬間、校舎の一部が爆発した。
「な・・・」
校舎からは多数の叫び声が聞こえる。爆発した部分は、切り取られたかのように小さな穴を穿っていた。女性は冷酷に微笑みながら、月夜に告げる。
「これでもあなたは護れるの?か弱くて、すぐに死んでしまう人間なんていう生き物を」
「・・・うるっさい!」
月夜は突発的に湧き上がる怒りをなんとか抑える。自分が冷静にならなければ、学校のみんなを護ることなど不可能なのだと彼は理解していた。呼吸を整え、声を押し殺して月夜は問いかける。
「俺がターゲットなんだろ?なら、俺だけを狙えよ」
「半分正解で半分はずれ、私も私の主も、あなたを殺すことだけが目的じゃないもの」
少女のように楽しそうにいう女性は、心底楽しんでいるようだった。
「あなたが苦しんで悔しんで・・・そして死んでいくのが私たちの目的、俗っぽい言い方をすれば復讐みたいなものかしらね」
「復讐だって?そんなものの為に、見知らぬ誰かを巻き込むのかお前達は!?」
怒鳴る月夜に、初めて女性は怒りを露に怒鳴り返した。
「あなたに何が分かるって言うの!?あなたが悪いのよ、変わってしまったから・・・破壊と殺戮の唯一無二の存在から、平和に逃げのうのうと暮らしていたあなたが悪いのよ!苦しんできた私たちの気持ちも知らずに!」
それは単に女性個人の逆恨みからでた言葉だったが、その言葉の意図を読み取れない月夜にとっては致命傷となる程の言葉だった。恨まれていることに異論はないし、否定もしなかった。むしろそれを受け入れて生きてきた月夜だったが、彼のせいで泣き苦しんだ人が大勢いることを直接言われるのには耐えられなかった。結局・・・自分は何一つ理解していなかったのかもしれない。と、月夜は胸を痛める。それでも・・・
「それでも、俺以外を巻き込むのは許せない!・・・あんたを殺す以外にみんなを助けられないというのなら、本気でやってやるよ」
後半の言葉には生気が感じられなかった。むしろ、人間のものではない響きを持っていた。女性は体を震わせ、恍惚とした表情を浮かべる。
「戻ってくれるのね?あの頃のあなたに・・・」
月夜の背中からはゆっくりと黒い羽が生え、人としての感情を消していく。戦争終了後も幾度となく力を使ってきた月夜だったが、今までとは違い、護る力ではなく破壊する力を象徴にしたかのような重々しさを持っていた。
「すごくぞくぞくしちゃう。・・・あの頃のあなたに殺されるのなら本望だけど、私も仕事だから本気でいかせてもらう」
女性は間合いを一瞬で詰め、肌が触れるほどの近さで力を放つ。普通の人間ならば触れただけでひしゃげる程の力が、月夜の頭部にめり込む。音はしなかった、そして月夜の反応もなかった。女性は手を休めることなく、月夜の全身を打ち付ける。しかし、そのどれもが月夜にダメージを与える物にはならなかった。月夜がゆっくりとした動作で、無感情に言う。
「・・・うざいきえろ」
近距離で女性に向けられる月夜の力は、先ほどの力をはるかに上回っていた。女性を弾き飛ばし、素早く動いて倒れた女性にとどめをさそうとする月夜。空間すら消しとばしてしまいそうな力を持った右手が女性に振り下ろされる前に、またしても校舎の一部が爆発した。右腕を振り上げたまま、一瞬止まった月夜を女性が下から蹴り飛ばす。しかし、岩を蹴ったかのように月夜は動くことがなかった。楽しそうに笑いながら倒れたまま月夜を見上げる女性、かたや無感情に黒い瞳で女性を見下ろす月夜。二人の視線が交わる。
「甘いわね、私を殺さないの?それともさっき言ったことを気にしているの?」
「・・・」
無言を保つ月夜に、女性は心底つまらなさそうに言う。
「そんなに人間が大事?あの頃のあなたなら、何も気にせずに、無感情に私を殺したはずなのにね」
女性は自分が死ぬ間際でも冷静だった。なぜなら、最後の切り札は彼女が持っているのだから。とはいえ、形勢が逆転したわけでもない。人質を盾に立ち上がって動くことも出来るが、月夜自身に彼女の攻撃が無意味だというのならそれは全く意味を成さなかった。だから、女性は倒れたまま不適な笑みを浮かべてとつとつと語りだす。
「どうして私たちがあなたと近しい力を持っているか知りたい?」
「・・・」
月夜の無言を無視し、女性は続ける。
「ある人物が私たち一般人に力を与えているのよ、ただそれだけ・・・結局、先天的な力を持っているあなたには勝てないけどね」
嫌になる、といったような表情で女性は溜め息をもらす。
「私は子どもの頃からこの世界が嫌いだった。人間が嫌いだった。自分を含めた全てが嫌いだった。でもあなたを見たとき、私は初めてこの世界に存在する物を美しいと感じれた・・・絶対無二の破壊神、インフィニティを。あなたは覚えてないでしょうけどね」
「・・・サーシャ」
今まで無言だった月夜の口からそんな言葉が漏れた。女性は驚いた顔をし、そしてすぐに嬉しそうに顔を綻ばせる。なぜなら、それは今の月夜に名乗ったはずのない女性の名前だったからだ。
「覚えててくれたのね・・・本当はあいつの目的なんてどうでも良かった、どんな形にせよ私はただあなたに会いたかっただけだった」
「俺はもう、あの頃の俺じゃない」
無感情の兵器から、月夜はもう自分を取り戻していた。瞳は黒く、羽は生えたままだが、その体に持つ雰囲気は人のそれだった。
「それだけが心残りだけど・・・でもいい、最後に一つ良い事を教えてあげる。私が死んだら全部爆発するの、あれ嘘だから」
その言葉は彼女にとって死を決意するものだった。これで月夜が彼女を殺さない理由はなくなったのだから。目を瞑り、死を望む者独特の落ち着いた雰囲気を醸し出すサーシャに、月夜が聞いた。
「本当にいいんだな?」
「最後まで甘いね、私はもう戻ることが出来ないし・・・何より死ぬことが一番望んでいたことだから」
「・・・爆弾を取り除いて、大人しく帰ってはくれないんだな?」
最後の最後に念を押すように聞く月夜に、サーシャはあどけない微笑みを浮かべて言い放つ。
「私にとっての救いは、あなたからの死しかない。それにあいつは私よりもはるかに強い、だから・・・甘えは捨ててほしい」
「・・・分かった」
それ以上口を開くことはなく、月夜は相手を見据え・・・そして、腕を振り下ろした。
それからは色々と大変だった。月夜の正確な正体がばれたわけでもないが、明らかに人間外の姿形、そして人間外の戦闘、そのせいで教室内でも月夜は居心地悪そうに席に座っていた。楓や利樹は理由を知っていたからいつも通りだったが、何も知らない紫に説明するだけで昼の時間は終わってしまった。その他の特に親しくもない生徒たちは、何かを聞きたそうな表情をしていたが、自ら月夜に近づいていく者たちはいなかった。そして何よりこの事件は、月夜自身の気持ちに大きく揺さぶりをかける結果となっていた・・・。
「悪いな、俺のせいで・・・お前らも変な目で見られるだろ?」
下校時に、いつものように月夜の周りに集まってきた紫と利樹、そして楓に月夜は謝る。
「お前が悪いわけじゃないだろ、他のやつ等はどう思ってるか知らんが、俺は気にしてない、なぁ紫?」
「そうね・・・月夜君が悪いわけではないわ」
二人の友人の優しい言葉に、月夜は嬉しく思うが、それを否定したくなる。
「いや、狙われたのは俺なんだから俺のせ・・・」
「そんなことないよ!」
月夜の言葉を、楓が強く否定する。
「月夜は悪くない、悪いのは月夜を生み出した人たちでしょ?それなら月夜は悪くなんてない!」
「違う、違うんだよ!楓!」
月夜の突然の叫びに、三人は固まる。楓は唖然と口を開いたまま、そんな月夜を見つめている。
「悪い・・・でも、俺が歩んできた道は俺の物なんだ。知らなかったじゃすまされない、分からなかったじゃすまされない、俺はたくさんの人間を・・・そして、俺はまた誰かを巻き込んでしまっている」
苦しそうに吐き出される月夜の言葉に、三人は黙ってしまった。分かっていたと思っていたのに、本当は全く分かっていなかったなんて・・・どれだけ皮肉だろう。と、月夜は心の底で自分を罵る。
「あんまり、関わらない方が良い。俺は俺のせいで、誰かが巻き込まれるのは嫌なんだ」
そして立ち上がり、後ろを振り返らないで教室を出て行く。残された三人は暗鬱とした表情で、しばらくそこから動くことができなかった。
「どうすればいいんだろうな・・・破壊する力もなければ、護る力もない。ただ無為に誰かを巻き込んで、犠牲を増やしていく・・・これなら、あの頃のほうがましだったのかな?」
自分の部屋で横になりながら、月夜は独り言を呟く。その独り言に、返事を返すものがいた。
「甘くなったもの、あなたは」
ノックもせずに部屋のドアから顔を出したのは、サーシャだった。
「勝手に部屋に入ってくんなよ、今は・・・誰とも話したくない」
月夜の言葉などおかまいなしに、サーシャは部屋にあがり床に座り込む。
「いいんじゃない?別に、少なくとも今のあなたは人間より人間らしいわ」
「でも人間じゃない、だから狙われるしみんなに迷惑をかける・・・本当にだめだな俺は」
自虐的に自分を責める月夜に、サーシャは冷淡に、それでも温かみのある言葉をかける。
「自分で決めたことなら、周りのことを考える前にそれを優先させなさい。私を殺さなかったのもあなたが決めたことでしょう?」
月夜はあの時、サーシャの頭めがけて腕を振り下ろした。しかしそれは殺す為ではなく、しばらくの間眠ってもらうためだった。その間に、月夜は爆弾を全て処理した。
「それに、結果としてあなたは護りきったじゃない。誰一人死ぬことはなかった」
「あれはサーシャが甘かったからだろ、わざと人がいないところ爆破しやがって・・・そうまでして俺に殺されたかったのかお前は?」
楽しそうに笑いながら、サーシャは口を開く。
「甘くなったあなたでもあそこまでやれば殺してくれると思ってたんだけどね、私の考えが甘かったなぁ」
「俺はもう誰も殺したくないんだよ、約束もしたしな」
嘆息しながら呟く月夜の言葉に、サーシャは疑問を投げる。
「約束?」
「色々あるんだ、気にすんな」
月夜はそっぽを向いて押し黙る。つい先日まで命のやり取りをしていた相手に、平然と背を向ける月夜。
「ふーん・・・まぁ、大事にならなかったし良かったんじゃない?日本政府が上手く隠蔽してくれたみたいだし」
「日本でもどこでも、国にとっては俺の力は迷惑だから隠しておきたいところなんだろうな。というか、お前が人事のように言うな・・・それで、わざわざ人の部屋に何の用だ?」
部屋に来たからにはそれなりの用件があると月夜は思っていた。しかし、
「特に用はないよ。そろそろあなたが一人で考え込んでるんじゃないかって思って来てみただけ」
そう平然とサーシャは言ってのけた。
「なんだそりゃ・・・今回の事件の首謀者に励まされたって嬉しくないぞ俺は」
「別に励ます気もないし、義理もない。とは思うけど、落ち込んでいるあなたなんて見たくないもの」
飄々と言うサーシャに、月夜はむっとした様子もなく言う。
「さいで。俺の命を狙ってるやつの情報でもあればそれが一番励みになるんだけどな」
「それは無理、私が消されちゃうもの。あなた以外に殺される気はないのよ」
悪びれた様子もなく言うサーシャに、月夜は溜め息混じりに返す。
「全く・・・いつまでこの家に居る気なんだお前は」
「それはもちろん、月夜が殺してくれるまでに決まってるでしょ」
月夜は頭が痛くなるような気持ちを抱いた。自分の甘さに、いい加減反吐が出る。そんな中、部屋のドアがノックされた。
「月夜、いる?」
楓の声だった。今月夜は楓に会いたくなかったが、サーシャが勝手に、どうぞ、と部屋にあがるように指示する。その声に驚いたように、楓はドアを開けて部屋の中に入ってきた。
「サーシャさん、どうしてあなたが月夜の部屋にいるの?」
楓の第一声はそれだった。月夜に対して恋慕に似たような感情を持っているサーシャを、楓は快く思ってはいない。今回の事件の首謀者なら尚更のことだった。自然と口調もきつくなる。そんな楓に、悪びれた風もなくサーシャは言う。
「彼が落ち込んでいるときに手助けできるのは、人間じゃないもの。私が一番彼の気持ちを理解してあげられるんだもの」
よく言うよ、と小さく呟いた月夜の言葉は、二人には完全に無視された。
「あなたのせいで月夜が落ちこんでるんでしょ!これ以上私たちの生活をかきまわすようなことをしないで!」
むきになって言い返す楓に、サーシャはくすくすと笑い声をあげる。その笑い方は、新しい玩具を手に入れた子どものような笑みだった。
「それならあなたに彼の何が分かるの?彼の悩みを少しでも理解してあげることができて?」
サーシャの言葉に気おされる楓だが、退くことはなかった。
「私は・・・確かに月夜の本当の気持ちを分かってあげることは出来ないかもしれない・・・でも、そばで支えることは出来るよ」
最後の言葉は月夜に向けられたもので、楓は月夜に目を向ける。切なく物哀しそうに、しかし強い意志を秘めた瞳だった。念を押すように、サーシャが問いかける。
「月夜のそばにいたら死ぬかもしれないのよ?それでもあなたは本当に言い切れるというの?」
楓に迷いはなかった。確固たる意志を持って、口を開く。
「私は死なない、私が死んだら月夜を苦しめるだけだから・・・私は絶対死んだりなんかしない」
人間は脆くて弱い生き物だ。月夜たちに比べればその体はあまりにも脆弱で、すぐに死に至ってしまう。でも楓は言う、私は死なない、と。結局人間の強さの本質は、何者にも屈しない意志の強さなのだと、月夜は分からされた気がした。だからこそ、今まで黙っていた月夜は呟く。
「楓は強いよ、でも、意志の強さだけじゃだめなんだ・・・」
「でも・・・!」
反論しようとする楓を遮り、その瞳をまっすぐ見つめ、月夜は言う。
「だから、俺が護る・・・絶対に」
月夜は落ち込みながらも、理解はしていた。確かに自分は誰かを巻き込んで怪我をさせ、死なせてしまう。それは自分が生きている社会に存在している人間が、脆弱な生き物だからだ。それでも、自分はそんな弱い彼らに助けられ、支えられてきていた。それを理解していても、実際に事件が目の前で起こってしまった今では納得することを月夜は出来なかった。でも今は違う、月夜を支えてくれる楓の存在を、月夜自身は何より嬉しく思ってしまったから・・・。だから・・・
「そばにいて支えて欲しい」
月夜は本心を口にしていた。孤独だったあの頃とは違う、もう・・・俺は戻れないから。
「言われなくてもそうするつもり、だって私は月夜のことが・・・」
夏休みのあの日、月夜から遊園地でもらった星型のペンダントに触れながら楓は言葉を紡ごうとする。しかし、
「そういうのは二人きりでやってほしいなぁ」
と大げさに言うサーシャによって止められた。その顔は笑ってはいないものの、嫌な表情はしていなかった。
「私が邪魔なだけかしら?それなら二人の世界が始まる前に言って欲しいなぁ」
今までとはうって変わって、からかうように言うサーシャに二人は顔を赤らめた。そんな二人を、楽しそうにサーシャは交互に見ている。
「それじゃ、これ以上いても邪魔になるだけだから私はお暇させてもらおうかな、それじゃお二人さんまたね」
サーシャは特に急ぐ風もなく、いつものままの動作でゆるやかに部屋から出て行った。月夜には、彼女の本心がよくつかめていなかった。
残された二人は、お互いに相手をちらちらと見ながら気まずそうにしていた。沈黙に耐えきれずに先に口を開いたのは月夜だった。
「どこまでやれるかわからないけど・・・がんばろうか」
「うん、一緒にがんばろう」
多少のぎこちなさはあったものの、二人は笑い合った。
この時の月夜は知らなかった、自分に力があるからこそ、気持ち以外は余裕があるのだということを・・・。
ついにこの物語も佳境に・・・いくんですかね?(おい