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やまんば茶屋

 花のお江戸から荒川を越え、さらに東に進むと旧江戸川があります。この川、当時は太日川と呼ばれてたんですが、その太日川を越えてすぐの海沿いに、ある日突然小さな島がもりもりっと現れたそうでございます。

 巨大な亀の背中か、それともあやかしのしわざか。人々はたいそう不思議がりましたが、島は陸地にドーンとつながっただけで、その後は何も起こりません。

 そこでお上は、試しに人々をここに住まわせてみようと考え、移り住んで定期的に様子を報告する者は税を安くする、というお触れを出しました。

 一旗揚げてやろうという者たちが少しずつ移り住み、やがて江戸での競争に敗れた廻船問屋がここで起死回生の商売を始めると、半島は一気ににぎわい始めました。

 半島の真ん中から温泉がこんこんと湧き、そこを中心に町が広がっていったことから、住人たちはその半島を「湯の出る若い里」、『湯若里ゆもり』と呼ぶようになりました。

 そんな風に始まった土地ですから、湯若(ゆも)っ子たちは老若男女誰でも、新しいことや珍しいことが大好き。百年が経った今も、いつ面白いことが起こるか、いや面白いことをやってやろうと、楽しく暮らしております。



『やまんば茶屋』



 さて、江戸から東に向かって湯若里に入るには、太日川を越えたところで半島の根っこにある山を越えなくてはなりません。この山は、湯若里の島が突然現れたとき、陸地にどかんとぶつかった拍子にできた山ということで、「どっかん山」と呼ばれておりました。

 どっかん山を東にぐるっと回り込んでも湯若里には入れますが、大して高い山でもありません。急ぎの用事のある江戸っ子や湯若っ子は、山道の方を行き来しておりました。

 このどっかん山の峠には、「やまんば茶屋」と呼ばれる小さな茶屋がございます。名前は剣呑(けんのん)ですが、茶屋を開いているばあさんはいたって愛想が良くて、とても「やまんば」といった風体ではありません。

「やまんば茶屋」と呼ばれるようになったのは、こんなわけがございます。


 湯若里で絵師の弟子をしている新太が、師匠のお使いで、はるばるお江戸まで絵の具を買いに出かけました。

 無事に用事を済ませ、三日ぶりに湯若里に戻ろうとどっかん山を登っていきますと――

 行きには何もなかったはずの峠に、小さな茶屋ができておりました。そのあたりで切った木を突っ立てて(むしろ)を回しただけのようで、何ともみすぼらしい様子。縁台も、二つの切り株の上に木の板を渡しただけなので傾いでいる始末。一応、石のかまどでやかんがしゅんしゅん言っています。

 余分なおあしなど持っていない新太は、その横をさっさと通り過ぎようとしました。


「おや、小僧さん」

 不意に、筵の陰から一人のばあさんが出てきました。

 赤い鈴を染め抜いた手ぬぐいを深くかぶっているので顔はよく見えませんが、ほくろのある口元が笑っています。

「お使いかい、ご苦労さん。ちょっと休んでおいき、おあしなんざいらないから」

 そして、さっさとやかんから茶碗に注いで、差し出してきます。新太は遠慮しました。

「でも」

「見ての通り、茶屋を始めたばかりでね。おあしの代わりに、ここに茶屋があるって湯若里でふれ回っておくれよ」

 それなら……と、新太は茶碗を受け取りました。

 ただの白湯かと思ったら、中身は濃い緑色。ちゃんとした茶を飲んだことがない新太は、

(これが茶なのかな?)

とわくわくしながら、一口。

「うぐっ」

 まずい!

 渋くて、苦くて、変な匂い。たまったものではありません。

「も、もういいよ」

 茶碗を返そうとしますが、ばあさんは両手を後ろに回したままニコニコと、

「全部お飲み」

と言います。

「いらないよっ」

 茶碗を縁台に置こうとしたとき。


 不意に、ばあさんが右手を前に出しました。その手には、何と、よーく研がれた(なた)が!

「全部、お飲み。でないと命はないよ……!」

 左手で払い落とした頭の手ぬぐい、ざんばらの髪が垂れ、くわっと開いた口には鋭い牙!


「ひいっ!」

 やまんばだぁ!


 新太は膝をがくがくさせながら、もはや味もわからないまま茶碗の中身を必死で飲み干し、放り出すように置いて逃げ出しました。

 転げるように山道を下り、途中で振り返ってみます。やまんばは追ってきません。

(ああ、鉈では殺されなかったけど、わけのわからんものを飲まされちまった。毒に違いない。おれはきっと死んでしまうんだ!)

 吐いてしまおうとしましたがうまくいかず、新太は泣きながらどっかん山を駆け下りました。湯若里のはずれにたどり着くとその辺の井戸で水をがぶがぶ飲んで、それから絵師の家まで一目散。

「師匠ー! 師匠、お助けを!」

 泣きつく弟子に師匠はびっくり、訳を尋ねれば、どっかん山でやまんばに変なものを飲まされたとか。師匠はあわてて医者を呼んでやりましたが、新太の身体はどこも悪い様子がない。元気そのものです。


 二日経ち、三日経ち、何も起こらないまま五日が経ちました。最初はビクビクして布団をひっかぶっていた新太も、そうなりゃケロッとしたもんです。何か飲まされたから言う訳じゃございませんが、喉元過ぎれば何とやら。新太はご近所中に、

「どっかん山にやまんばが出た。まずい飲み物を出して、飲めと脅かしてきたが、堂々と飲み干してやったらおそれをなして逃げ出した」

と、まあ少々格好をつけて言いふらしました。


 さあ、ここで怖がらずに面白がるのが湯若っ子でございます。

 やまんばに会ってみたい! と、いつもならどっかん山を回り込んで行き来するような連中が、わざわざ山の中を通るようになりました。

 峠にはやはり、あのぼろっちい茶屋があり、手ぬぐいをかぶったばあさんが茶碗を出してくる。飲むのを渋ってみせると正体を現し、鉈で脅してくる。まずい飲み物を飲み干してヒャーッと逃げ出せば追ってこないが、飲まずに立ち去ろうとすると意外なほどすばやい動きで回り込み、鉈をつきつけて飲むまで帰さないのだそうで。

 が、そこまでして飲ませるのに、飲んだ方にはなーんにも起こらないんですよねぇ。むしろ、身体の調子がいい気がする、なんて言い出す者までいるくらいで。


 害がないなら、肝試しも同じこと。

「いやー、まずいまずい! 酢が入ってねぇか?」

「あの苦みは、魚の肝かもしれねぇ」

「色からいって、小松菜かねぇ」

 飲み物の中身を当てようとする者から、何かの集まりの余興で峠に行く者まで出始め、とうとう『やまんば茶屋』は湯若里で流行りの話題のひとつとなりました。


 そんな頃。

 江戸から船で湯若里にやってきた、一人の娘がおりました。たどり着くなり熱を出して船宿で寝込んじまって、数日してようやく起きあがれるようになりました。

「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません! 江戸で流行りの熱病にかかっていたようです……」

 りん、と名乗った娘は布団の上で頭をすり付けるようにして、船宿の主人夫婦に謝りました。何でも短い間に次々とうつるやっかいな病だそうで、同じ家で暮らしていれば免れることはできないとか。

 りんはしきりにすまながりますが、りんの世話をした者も、りんの乗ってきた船の持ち主も、ひとりも熱など出しておりません。江戸とはかなり行き来のある湯若里ですが、そんな病などこちらでは流行っておりません。

「えっ? 湯若里では流行っていない?」

 気の抜けた様子のりんでしたが、とにかく湯若里に来た理由を宿の主人夫婦に話しました。


「実は、人を探しにきたのです。私の祖母で、すず、と申します。祖父を亡くして一人で暮らしてたんですが、変な飲み物をご近所さんに無理矢理飲ませようとして、江戸を追い出されてしまって……もしかして湯若里に来てはいやしまいかと」

 りんは、すずの人相風体を説明しました。

「口元に、大きなほくろがあります。あ、あと、赤い鈴を染め抜いた手ぬぐいを大事にしていて……」

 それを聞いた宿の主人夫婦が、声を揃えて、

「やまんばだっ」

と声を上げたのは、言うまでもありません。


 どっかん山に登ったりんが茶屋に行ってみると、果たしてそこで旅人にまずい飲み物を飲ませていた「やまんば」は、探していたすずばあさんでした。

「だから、病の流行り始めにあたしの言った通りだったろ!? この病は絶対広がるから、今のうちに『(にが)()』を食えって!」

 すずばあさんは、再会したりんにそう言って怒りました。


 かつてずっと南の方で暮らしていたすずばあさん、同じ病が流行った時に、その土地で採れる苦っ葉という青菜をよく食べていた者は病にかからなかったのを覚えていたのだそうです。

 そこで、最近江戸市中でも売られるようになったもののあまり人気のなかった苦っ葉を買いあさり、すりつぶして身体にいいものをあれこれ混ぜてご近所さんに無理矢理飲ませようとしました。

 が、ただでさえ江戸で暮らし始めたばかりの余所者、しかも女医者などいなかった頃で、とても信じてもらえない。ご近所さんには変な目で見られ、元々折り合いの悪かった近所の偉いお医者も激怒させ、とうとう住んでいた長屋を追い出される羽目になったのでした。


 このままでは病が広がってしまう、せめて江戸と行き来の多い湯若里には広がらないようにしなければ。

 すずばあさん、江戸から湯若里への山道に茶屋を開き、通りかかった旅人に苦っ葉の飲み物、まあ青汁みたいなもんでしょうか、それを飲ませようと考えました。で、最初に通りかかったのが新太だったわけです。


 最初から「私は医者で、これは病にかからない薬だ」と言えば良かったのかもしれません。この時代、医者になるのにお上の許可などいりません、誰でも医者になれましたからね。でも、すずばあさんは、亡くなったご亭主をいい加減な医者に診せてしまったことを後悔しておりまして、自分が軽々しく医者を名乗るのも嫌だったのです。けれど、新太みたいな小さな子が熱病で命を落としでもしたら……

 板挟みになったばあさん、嫌がっても無理にでもと思いあまって、やまんばの振りをして脅しつけてまで、新太に飲み物を飲ませたわけですね。あ、牙があるように見えたのはただの八重歯で、新太の思いこみだそうですよ。


 が、すずばあさん、新太が逃げた後で我に返った。これじゃあ茶屋に人が寄りつかなくなっちまって、大勢には飲ませられないじゃないか!

 けれども、そこは湯若っ子。何の害もないことがわかってからは、面白がって峠の茶屋に行くようになり、かえって話題になって皆に飲み物が行き渡った、ってわけです。


 湯若里のみなさんにお詫びを、とりんに引っ張られてしぶしぶ町まで降りたすずばあさんでしたが、

「ばあさん、ありがとうよ!」

「おかげでぴんぴんしてらぁ」

「またまずいもん飲ましてくれな!」

なんて言われていい気分。すっかり気のいいばあさんになって、峠で普通の茶屋を続けることにしたそうです。



「お疲れさん、休んでおいき!」

 今日もすずばあさんの明るい声が響く、どっかん山の「やまんば茶屋」。手ぬぐいに染め抜かれたのは赤い鈴、鈴は古くから澄んだ音で邪気を払うと申します。「やまんば」には似合いませんねぇ。

 茶屋はその名に似合わずうまい茶を出すと評判ですが、実はばあさん特製のとんでもなくまずーい「裏のおしながき」なんてもんが、あるとか、ないとか。



【やまんば茶屋 おしまい】

ファンタジーで「カフェもの」って人気だなぁ、「魔女カフェ」とか面白そう、と検索したら、やはり既に商業作でありました、魔女カフェ。じゃあ、それを和風にひっくり返したら……「やまんば茶屋」だ(笑) まずいもの出した方が絶対面白いわ(笑) というところから考えたお話です。

あ、それと、湯若里の位置を実際の地図で確認してみるとちょっと面白いかも?

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