広大無辺の、自由なカゴ
私は眠くならない。こうなってからまだ一ヶ月程だけど、眠くならないと、寝ないと、一日がものすごく長い。正直言って、時間を持て余す。もし普通に身体があって、ただ睡眠だけは必要ないって状態に突然なったら、きっと、人は疲れ果てる。恐らく深く考えないまま今までの倍の量、時間、動こうとするから。今までやっていた仕事なり何なりを、速度を半分に落としてのんびりやれば――つまり仕事の量は同じで――きっと問題ない。でも、我慢出来るかな? 許せるかな? あまりにも怠惰な自分が。ほんとは怠惰でも何でも無いんだろうけど。
私は眠くならない。しかも疲れもしない。じゃあ、今までの倍、動くのが当然で、同じだったら怠けてる事にならないだろうか? でもそんな事言ったって、私は会社に勤めてる訳でも無いし、学生でもない。今は。何をすればいい?
自分で見つけろって? ねぇ、私さ、生きるの、辞めたんだよね? ちゃんと、辞められたんだよね?
よっしーは、全くと言っていい程、勿体ぶらなかった。本当に私の聞きたい事、聞きたい言葉を、私に、告白した。でも、初めて聞く言葉じゃなかった。おばあちゃんの家に行った時、よっしー、言ったもん。
『僕は、あなたと違わない』
既に聞いてた言葉なんだけど、でもね、凄く、ドキドキしたんだ。
普通の、生きている人には、『それが何?』なのかなぁ? 反発してしまうかも。『同じって何よ! 私はあなたとは違うのよ! 私の事何にも知らないくせに!」とか。でもね、私には違った。それは、凄く聞きたい言葉だった。言ってくれたら、私、その、何ていうか……。まるでよっしーが、私の事を『好きだ』って言ったってくらい、嬉しかったんだ。
……ん? あ、違う! そうじゃないって! よっしーは好きだなんて言ってないしだから私も嬉しくなんか、ってまた間違えてるし! 『好き』と『嬉しい』は忘れて! あーもうこの話はおしまいっ!
「佐藤さん」
「ん?」
「佐藤さんも慣れたら、昼間だってここに来れますよ。ここはちょっと離れてるし、知ってる人に会う事はそう無いんじゃないかなぁ?」
「昼でも人に、見えるようになるって事?」
「ええ」
結構広い綺麗な喫茶店。よっしーと二人で、本当に朝を迎えた。コーヒーだけでほんとに大丈夫か? と思ったけど、さすがに深夜から明け方にかけては店員さんも気力が落ちるようで、ほとんど私たちは捨て置かれていた、って感じ。
コーヒーをどうするのか? 私も真っ先に思った。コーヒーは私の身体とは別な物。飲んだら、やっぱり、おトイレ?
「まぁとにかく、普通に飲めば良いんですよ。心配いりません」
そう、何度もよっしーが言うから、まぁ、飲んでみた。
「飲みましたね? 今、飲みましたね?」
なっ、何!?
「佐藤さん……。この一ヶ月の間、トイレに行った事は?」
「無い……けど」
「何も食べたり飲んだりしてませんよねぇ?」
「うん……何よ? どうなるのよ?」
「……トイレに行きたくなります」
「……まぁ、いいわ」
「佐藤さん」
「ん? トイレくらい別に――」
「コーヒーが出ます」
ぶっ!! って、何とか盛大に吹き出すのは堪えたけど、ちょっと、こぼれた。
「コーヒーぃ? ……まさかそのまま?」
「はい。淹れたてなら、淹れたてが」
……ヤダ。コーヒーは汚いイメージ無いけど、でもそれはイヤだ。
「だから、飲み物はまだいいですが、固形物を飲み込むのは止めた方が良いでしょう」
……そうだよね、ヤバイよ。……こんな話はもう止めよう。
「ねぇ、お金、持ってるの?」
よっしーの事だから『心配ない』って言うんだろうけど。
「あー、今は持ってませんけど、心配要りません」
「無いのっ? どうするのよこのコーヒー!」
「まぁまぁ、大丈夫ですから。僕に任せて下さい」
……私、逃げるからね。もし騒ぎになったら。壁のすり抜けしてでも。まさか! 二人して逃げるつもりじゃないでしょうね!? よっしーも、私と……。
「夜が明けましたね」
「えっ? ああ」
「たまには布団が恋しくなる事もあるんですけどね」
よっしーは射し込む朝の光に目を細めてる。……十五歳……おかしい。
「じゃあ、そろそろ出ましょうか。ちょっと待っててください」
よっしーはそう言って立ち上がって、レジのある方へ向かっていく。私は首を伸ばして、一体どうやるのかを監視。だけど、普通に店員がレジに入って、何か受け渡しして、レシートも? ほんとはお金持ってたんでしょ? よっしー。
「じゃ、行きましょう」
すぐによっしーは戻ってきて私に言う。レシートをひらひらさせて。
「差し上げましょう」
私はすぐにそれを掴んで、まじまじと見つめた。私達何杯コーヒー頼んだっけ? げ、四千二百円。お預かり……五千円でお釣り八百円。
「お金持ちね」
「はは。おこずかいが結構……って言っても、もう通用しませんよね」
「そうね。またあらためて説明してもらうわ」
外に出て朝日でキラキラしてる街を眺めた。
「まだ病院行くには早いですけど、歩きだし、いろいろ散歩しながら行きましょうか」
「うん」
「佐藤さん、また手を繋いで行きますか?」
「……繋ぎたいんでしょ?」
「そうですね……。僕が十五になる前だったら、とても恥ずかしくて出来なかったでしょうけど、今は、違います。佐藤さんと、手を繋いで歩きたい。人に見せたい位ですよ」
「……見せてまわるのは勘弁して欲しいけど、そうだね。何だか、堂々と手を繋いだり、楽しいよね」
そうよ。私は自由になったんだから。したいと思う事をしよう。だから、また、よっしーと手を繋ぐ。
病院までの道のり、どこも見知った風景だったけど、やっぱり印象がちょっと違う。昔の私と違うからなのか、よっしーと手まで繋いで歩いたからなのか、どっちかな? んー、どっちもかな。今日が良い天気で良かった。
市立の、この辺りでは一番大きい総合病院。風邪で何度も来た事のある所。風邪ごときでこんな大きい所、来ない方がいいんじゃないかと健康な時には思ってしまう。だって外来の患者さんいつも一杯で、ちょっと受付遅れたらもう診察終わるのが午後の二時とか三時とか。でも、自分が風邪で辛いとどうしても来てしまう。何となくだけど、安心感。ここに、おばあちゃんが居る。
まだ早い時間だったけど、おばあちゃんは近くに身寄りが無いし、よっしーが第一発見者だったのと、おばあちゃん、どこも悪くなかったらしくて、すぐに会わせて貰う事が出来た。向かったのは三階の相部屋。六つのベッドはみんな埋まってて、全員、お年寄り。寝てる人も居たから、私とよっしーは黙ったままちょっと会釈をしてカーテンで囲まれたおばあちゃんのベッドに向かう。
おばあちゃんは横になってたけど、すぐに私達に気付いた。
「おばあちゃん……」
「お加減はどうですか?」
おばあちゃんは私達を見て、ちょっと頷いた。
「体には異常無いそうですね。安心しました」
よっしーが優しく声を掛ける。おばあちゃんがゆっくりと上体を起こそうとしたから私がその背中を支える。あ……、出来る。出来た。私はちょっとびっくりして、よっしーを見てしまう。よっしーは、ただ笑うだけだった。
「おばあちゃん。私、分かる?」
「……ごめんなさい。ごめんなさいね」
おばあちゃん、涙、流してる。私が見えないからじゃない。おばあちゃん、私に向かって言ってるから。
「あの時、私ね。聞こえたのよ、見えたのよ。佐藤さん、あなたが」
「え? でも……」
「あなたが、必死で言ってくれてるのに……でも、でもね。ケンジが……ケンジもあの時……」
……ケンジ?
「それは……もしかしてあなたのお孫さんですか?」
よっしーが訊ねる。冷静に、静かに。おばあちゃんは頷いた。
「ケンジは、……寂しいの。小学校に上がったばかりで、まだ小さな子供よ。寂しい、怖いって、泣くの。私が、行ってあげないと……」
「おばあちゃん、そのケンジ君が、あの時あそこに居たの?」
私は感じなかった。見えなかった。あの踏み切りからおばあちゃんを見た時、もう私は興奮状態で、周りの事なんて、おばあちゃんがどこを見てるかなんて考えてなかったからかもしれない。
「ケンジが、私に早く来て欲しいって、泣くの」
それは……そんなのダメよ……。確かに寂しいかも知れないけど、そんなの……。
「お孫さんが亡くなったのは、二年前ですよね?」
よっしー、ちょっと声が大きくなる。ほんのちょっとだけど。
「お孫さんは今までもあなたにそう言ってましたか? あなたに……姿を見せていた?」
「いいえ、一度も……。もう、ケンジはあそこには居ないんだと思ってたわ。きっと成仏して、幸せになってるんだと」
……私は、なってない。ずっとあそこに居続けた。ケンジ君は、成仏したの? だから居なくなったの? 私は出来なくて……。
「お孫さんの姿は、はっきりと見えていましたか? ……そう、はっきりと?」
おばあちゃんは力なく首を振った。
「ただ、何か光りが見えて、でも、声は聞こえてたの。佐藤さんが私の前に立ちはだかったけれど、私は、ケンジが居ると思って夢中になって……」
何て言っていいか分からない。あそこに居たというケンジ君が本物なのかどうかも私には分からないし、それ以前におばあちゃんが本当に見てたのか、それとも、そう思い込んでしまっただけなのか……。このままではまた、おばあちゃんは……?
「あなたの、お孫さんへの想いがとても強くて、幻を見てしまったんですね」
……よっしー、そんなはっきり言ってしまっていいの? 本当に幻なの?
「他の人が言えば信じられないかも知れない。でも僕等はちょっと違うから、信じて下さい。お孫さんが二年もの間、一度も姿を現さなかったのに、昨日いきなりお婆さんを呼ぶなんてありえないんです。お孫さんは、あなたと一緒に暮らしてきて、きっと、大好きだったでしょう。だけど、突然、引き裂かれて……。でもお孫さんは、さっき言われた通り、成仏して、幸せになってると思います。もしそうでないのなら、きっとお孫さんが亡くなったその日に、あなたの所に、泣きながらでも、姿を現したに違いないんです。あなたには今、佐藤さんが見えるでしょう? 同じ様に、お孫さんを見た筈です! 抱きしめた筈です!」
おばあちゃん、泣かないで。おばあちゃんは何も悪くないんだからね? 二年も、辛かったね……。
「佐藤さんに会ったから、お孫さんも居ると思っちゃったのかも知れませんね」
私に……会ったから……。
「でもほら、成仏せずに居るのなら、やっぱりこうして佐藤さんと同じ様に、会いに来た筈なんですよ。来ないのは、お孫さんが、空の上からお婆ちゃんを見守ろう、そうする事に決めたからじゃないんですか?」
「ケンジィィ――!」
おばあちゃんは、ケンジくんの名前を搾り出すように、泣きながら、呼んだ。
私はそっと、おばあちゃんの細い肩を抱いて、背中を撫でて、おばあちゃんの頭に頬を寄せて。
「ちょっとどうしたの? お婆ちゃん大丈夫? あなた達、一体何を?」
看護士さんがやってきて私達を睨みつける。
「どうしたの? どこか痛い? あなた達はちょっと出て!」
……説明は難しいよね。この状況では。
「やめて! その子達は来てくれたのよ! あなたが出て行って!」
おばあちゃん……。潤んだ瞳で、看護士さんを睨みつけてる。よっしーが看護士さんに、
「もう少ししたら帰りますので。すいません」
「そう……ですか」
本当にすいません。看護士さんとしては当然の事よね。患者さんが泣かされてるんだもん。
「おばあちゃん……」
「私がどうかしてたのね。ごめんなさい。許して……」
「おばあちゃん、大丈夫だよ。私達、全然平気だから」
「佐藤さん」
おばあちゃんが私の腕を掴まえる。
「あなたは、急に居なくなったりしないで欲しいの。ケンジとは、もう二年も経ったんだし、頑張って、理解するように頑張るから。でもあなたは、まだ居るんでしょ? いつかあなたも、ケンジの様に幸せになる時が来る。でも、その時は急に消えたりしないで欲しい。あなたを、祝福して……それで……」
「おばあちゃん……ありがとう……。約束する。約束するよ」
しばらく、おばあちゃんと抱き合ったまま。……絶対、急に消えたりしない。勝手に居なくなったりしないよ。
「入院は長くならないようですけど、聞いておられますか?」
「ええ、先生が今朝、今日は休んで明日退院でいいでしょうと仰ったから、明日には」
「そうですか。じゃあ、明日迎えに来ますよ。時間は看護士さんに聞いて早めに来ておきますから」
「でもよっしー、車とか無いと……」
「タクシーがいっぱいあるじゃないですか」
「あ、そうか」
もう、タクシー使うとかそういう感覚がここ一ヶ月無かった。『人』の様に生活するという事が。
「じゃ、ゆっくり休んでください」
「おばあちゃん、また明日ね」
「ありがとう。ありがとうね」
随分、久しぶりのおばあちゃんの笑顔。良かった。ほんと、良かったよ。
「ちょっと座りませんか」
病院の建物を出てすぐのところにベンチがあって、周りは緑が一杯で、ちょっとした公園みたいになってる。私とよっしーはベンチが汚れてないか確かめて、腰を下ろす。
「さて、あのお婆さんのお孫さん、どこに居るんでしょう?」
「……何それ?」
「お孫さん。どこに行ったのか、気になります」
「よっしーさっき自分で、ケンジ君が成仏した筈だって……」
「ええ。そう考える方が良いし、それと同様であると考えるのが妥当な段階に至っている、という可能性が高いから」
何言ってるの? 意味が分からない。
「……ちょっとまだ佐藤さんには難しいかと」
「何よそれ! 私には分からない? あなたには分かって私は理解出来ないって言うの!?」
私は思わず立ち上がって、よっしーに怒鳴った。まだ難しいって、馬鹿にして! そりゃ色々私の知らない事をあなたは知ってるみたいだけど、私だって、理解出来るわよ! 三つも年下の癖に! 説明したらいいでしょ! 早く言いなさいよ!
「佐藤さん、僕も……どう、あなたに言えばいいか、迷ってるんです。いや、言わなくてもいいんじゃないか、とも考えたり。でも……」
よっしーはそう言って、頭を抱える。な、何よ。余計に不安になるじゃない。
「あの、佐藤さん、座ってもらえませんか? 失礼な事言って、ごめんなさい」
「う、……うん」
何だろ? ほんとに頭抱えちゃう様な事って、何なんだろ?
「あの、人って、死んだらどうなると思います?」
「え? それは、あれでしょ? 死んだら――」
「あー! いや、今の無しで。言います。おかしかったら笑って結構。大いに笑ってください。でも、怒るのは、……無しで」
……。
「人は、死んだら、体が無くなります。物質的な体が」
……それで?
「それだけ」
…………。
「あ、それから、また体を持ちます」
「え?」
「それだけ。以後繰り返し」
「はあっ?」
「あ、最初の体が無くなるってのは、今の佐藤さんの状態です」
「……よっしーも、でしょ……?」
「ええ……まぁ」
「分かったわ」
「え? ……それは……良かった」
「私の今の段階が、よ。で? 次は体を持つと。その間、どこに行くの?」
「いや、だから、次は体を再び持つ段階で……」
「それまでよ! どこに居るのよ!」
「どこって……、佐藤さん、今ここに居るじゃないですか」
「天国とか! 行きたくは無いけど地獄とかよ! そこはいつ行くのよ!?」
「それが……ありません」
……無い? そんな訳ないでしょ?
「佐藤さんは、いや、僕達はこうして現実の社会に体だけが無い状態で、生きてます。どこにも行かない。行く所も無い。この世界の中だけで、体を持ったり、無くしたり、それを繰り返すんですよ。そして、ずーっと、生きている」
「神様とか……居ないわけ?『成仏』っていうのがダメならキリスト教とかはダメ? 神様の所に行くとか……」
「神が居るかどうかは、分かりません。いや、絵的には居る方が分かりやすいかな?」
「んん?」
「神が居て、自分の部屋だかどこかに、鳥カゴをぶら下げてて、その中にこの世界がある。というか、その鳥カゴが、この世界。でも、ものすごく広いんです。何でも出来るし。でも、鳥カゴ。檻、ですかね」
「でも、でもさ、この世の中の人、みんな天国とか成仏とか信じてるんだよ? 私も信じてるけど、これって大昔から言われてる事じゃない。色んな国でも。それが無いなんて……」
「言ってるだけですよ。願望です。体があると苦しんだり痛い思いもするから、死んだら軽くなって神様の所に行って、遊んで暮らしたい。そう思えば、まぁ苦しいのにも少しは耐えようかなって」
「何で! 何でよっしーにはそれが分かるのよ! それが間違いかも知れないじゃない!」
「間違いだったらどれだけいいか……」
「私、信じられない。信じないからねっ!」
「ええ、まぁこれは信じても信じなくても、同じ様なものですから。それに多分、お孫さん、もう次の体を持って、どこかに居るというのが僕の予想ですが……」
「え?」
「僕の説では、天国で遊ぶという部分が無い。なので、今も僕達と同じ様にしているのか、もしくは次の段階である再び体を持って生活を始めたか――どんなに早くその段階に移行してもまだ二歳ですけどね。で、僕達と同じ段階には無いと考える根拠は、彼はまだ幼かった。家の近くで体を失う事になって、どこに行くでしょう? このあたりで迷子にはならないんじゃないですか? お婆さんは近くに居る。何故か遠くに行ってしまうなんて考えにくいんです。えーっとこれはですね、佐藤さんや僕がどこかに行くには、自分で行かないといけない。光が降って来て連れて行かれる事も無い。彼も同じです。僕は体を失った段階の人がすぐ分かります。かなりの範囲で。でも彼は居ません。じゃあやっぱり、僕達とは違う段階に居るという事になる訳です。そしてそれが僕の考える、いわゆる『成仏』と同等と判断してもいいだろうと思う状態です。ただしそれは僕達の段階から次へ移行したから『僕達はそう捉えよう』という考え方であって、実際は『成仏』よりも『誕生』でしょうか。いや、『回帰』かな? そして、それは、『出来た! 良かった!』という類の物ではなくて、そうならなくてはならないんです。義務、みたいな」
「あ、あのさ、今度、紙に書いて説明してもらってもいい?」
「あー、はい」
よっしー、今ちょっとがっかりしたみたいね。……ごめん。
「あ、檻のイメージは分かったよ? 鳥カゴか。でももしそうだったら、何だか悲しいよね」
「んー、でも無限に広いんですよ? 端を見ることなんて一生、いや、どれだけ時間があっても無理です。だから、そのカゴの格子を目の当たりにしてストレスを感じる事は、あり得ないと言って良い程ですよ。それよりも大変なのは――」
「何があるの?」
「僕達が体を失う直前に持っていた期待。あれが、全く見当違いだったという事です」
期待。苦しい想いから逃れて、全て消し去って、柔らかい光に包まれて、幸せを感じる私。何度も想像したんだ。そして私を苦しめた人達を高みから眺めて、鼻で笑ってやるの。せいぜい傷付け合ってなさいって。私は嫌な毎日を、人間の生活を捨ててやる。そう思った。
でも、それは出来ない? よっしーの話はまだよく分からないけれど、確かに私はあの日から一ヶ月経った今も、期待した状態になってない。ただ体を失っただけで、まだ生きている。この世界に。このまま続く可能性は十分にある。
よっしーは体を失ってどれくらいになるんだろう? まだ、自分からは聞けない。だってそれは、彼の、苦しみや悲しみのピークの時の事を聞く事だから。
このまま、どういう風に生きていけばいいんだろう? だんだん知り合いも増えて、体があった時と同じ様に、私の人生の第二幕が作られていく。次は、失敗出来ない。だって、もう逃げ道が無いから。私が鳥カゴに居るのなら、次の段階は、あの死にたくなったあの生活。信じないって言ったけど、不安になる。
「佐藤さん?」
「えっ? あ、何?」
「今からそんなに考え込まなくても時間はたっぷりありますよ」
「いやー、別に考えてる訳じゃないけど……」
「とにかく、僕達は、生き続けなきゃいけないんですよ。僕達は今、自由になったようにも思える。だけど、これはちょっと問題のある自由なんです。……えー、ここのところはまた追々話していきましょう。いずれお互いに、真剣に考えなければいけない部分で……って、まぁ、今の所は、腹が減らないのと病気にならないのが『救い』だったなー、くらいにしときまして」
「はは、もうちょっと豪華なのが良かったんだけど」
「今の間に、この世界の事をもっともっと知っておくべきだと思います。お互いに。僕達はまた、この世界で生まれるんだから……今の状態になって思ったんです。僅か十五歳で自分が認識してた世界がなんて狭かったのか、を。何度も何度も苦しみにぶつかって、それでもそれを破ろうとこだわって。世界は一直線の棒なんかじゃない。丸いんです。前に進まなきゃって言うけど、じゃあお前は後ろの一番端っこから走ってきたのかと。どうせ途中からだろ? 端を見たことある奴なんていないのに。広大な鳥カゴに止まり木が横たわってて、その上をみんな進みたがってる。壁があったらもうお手上げで、あきらめてしまう。でも鳥カゴですよ? おまえは鳥じゃないのか? 飛べよ。回り込めよ。いや、止まり木の端っこ目指してどうするんだ? 世界は無限に広いのに。好きな方に飛べ。どこもかしこも『前』なんだよ。体を捨てて終わろうなんて思うような苦しみは足で泥でもひっかけて放っといたら良かったんだ。別な方へ飛んでいったらいい。この世に『逃げる』なんて無い。この鳥カゴに逃げる場所は無いから。『諦めずに突っ込め、逃げるな』としつこく言ってくる奴は、ただそこに僕を留まらせたいだけの連中だった!」
「よっしー、……熱いね」
「……少しすっきりしましたよ。たまにはこういう面も見せて、佐藤さんの乙女心をくすぐらないとね」
「……それ、言わなけりゃ、かなりいいトコまで行ったのに」
うん。ほんと、いいトコまでいってるよ。よっしー。もう一息かもね。
「では行きましょうか。世界を知る旅へ」
は? どこに? どこで分かるのそんなの。歩いて行く気?
「とりあえず、今日は佐藤さんにサービスしましょう。遊園地でも行きますか。まだ時間もたっぷりあるし」
「……そこでどんな世界の謎が分かるのかな?」
「その前にまず己を知らないといけません。しかし、自分で自分はよく見えないもんですよ。ですから、お互いを観察する事にしましょう」
……何だか、ヤだ。
「コーヒーカップってあるでしょう? あれにカップルで乗って、『アハハハハ』としっかり発音しながら廻ってると、その世界の神が憑依して、本気でそう笑えるようになって幸せになれるそうですよ」
「イヤ! 絶対やらない! その世界ってどこの世界よ。そんな神、絶対居ない!」
それに、お互いを知る事と関係ないじゃない。
「んー、勿論、信仰に関する自由は僕達にも許されるべきですから、尊重します」
ようやく私達は病院のベンチから立ち上がって、歩き出した。本当によっしーは遊園地に行くつもりらしい。電車に乗るって言う。ほんと、変わらない。何も変わってない。こうやって今、ここに居ると、やっぱり私は『生きてるのか。生きなきゃならないのかぁ』って、思う。また辛い事が起きるんだろうか? でも、出だしは順調かな? おばあちゃんはいい人だし、よっしーも居るしね。あの難しい話は、まぁぼちぼち考えよう。その内、よっしーがまた解説しだすわ。
私達は電車に乗る。人の波に乗って。切符をよっしーが買って、並んで地下のホームへの階段を下りていく。よっしーの、ちょっと熱くなった左手を握って。
下から吹き上げる風に、私達は少し押された。
エピローグ
ある日、よっしーが会わせたい子が居るって突然言った。近くに居るからって。その子も、私達と同じらしい。前に行った喫茶店。あそこに居るからって、私は連れて行かれた。一人で喫茶店に入れるって事は、どうやら私よりも経験豊からしい。変な表現だけど。
「よう」
よっしーが声を掛けたその子は、……女の子。よっしーと同じくらいの。ふーん。そう、女の子。私、邪魔じゃないかしら?
「ねぇよっすぃー、凄く暇なんだけど」
ん? 今なんて言った? よっすぃー? それがネイティブの発音てわけ?
「じゃあ寝てろ」
「フン」
……よっしーの喋り方が、違う! 普通の男の子っぽい!
「佐藤さん、どうぞ」
席に着くよう促すよっしー。
「フーン、あなたが佐藤さん? 災難ねー、よっすぃーに捕まるなんて」
「え? はは……」
うーん、慣れるのに時間掛かりそう、この子。
「こっちは木原みゆき。んー、友達です」
「佐藤、明子です。初めまして」
「よろしくー。ねぇねぇ、あきちゃんてさぁ、高校生だったんでしょ?」
あ、あきちゃん?
「彼氏居なかったの?」
「いきなりそんな質問するな。明子さんに失礼だろ」
「あきちゃん十七だっけ? 私、十三なんだ」
「へー、そうなんだ」
しまった! よっしーが私を明子って呼んだのに突っ込むきっかけが持ってかれた!
「いつもよっすぃーと一緒にいるでしょ? どこがいいの? こんなの」
いや、いいとも何とも言ってないけど……。確かに一緒に居る。だって、帰る場所だって無いし……。そういえば、二十四時間ずっとだ……。これは、そうなるよね、普通。
「普通、私達みたいな若い女の子は、よっすぃーみたいなの相手にしないんだからね。よっすぃーは感謝しなさいよ」
「……わかってますわかってますよ」
「……はは、てっきり木原さんが杉田君の彼女なのかと思ってたけど、違うの?」
「杉田君て、何でですか! 今まで『よっしー』だったのに!」
「何ででしょうねー」
勝手に名前で呼んだ罰なんだから。
「あきちゃん、よっすぃーの歳、聞いたことあるのぉ? 彼女なんてありえないって」
「え? 歳……十五、だよね?」
「みゆき! もう止めろ! もう十分だ! 佐藤さん、そろそろ行きましょう。ちょっと紹介したかっただけですから」
「フ、よっすぃー、会わせといて私が何も喋らないとでも? あきちゃん、よっすぃーはねぇ、十五歳だけど……」
何? 十五歳だけど? 思わず身を乗り出す私。
「最後の誕生日が来たのは、二十年前でしたぁ〜。う、うはははははははは」
……………………。
「佐藤さん! 僕は十五なんですって! いやホント。歳、取らないんですから!」
「でね、体が無くなって便利になっちゃったもんだから、何したと思う?」
「み、みゆきっ! 黙れっ!」
よっしー本気で木原さんの口を塞ぎに掛かる。……余程後ろめたい事の様ね……。
「十五歳は」
「色々おー」
木原さんの口は、レジスタンスの猛攻をくぐり抜けて、確実に、情報を吐き出す。
「街中の若っ」
「女」
「裸をっ! 全」
「覗」
……私は静かに立ち上がる。よっしーの体が固まるのが見えた。
「いくらなんでも、いかんよね〜これは。若気の至りとはいえ、うん。いかんよ、三十五歳独身」
彼女は戦いを終えて休息のジュース。
「独身は当り前だろう! 俺は十五だっ」
「……私、今日はもう帰るわ」
「さ、佐藤さん、あの、はるか昔の……」
「さよなら。変態親父の杉田さん」
私はにっこりと微笑んで。
喫茶店を出る。ああ、今日も空気が美味しい……街がキラキラしてる。今日は何しようかなぁ。
「佐藤さん! 佐藤さぁぁぁん!」
この叫び声を聞いてから丸々四十八時間、私はよっしーとは口を聞いてやらなかった。短い? あなた、四十八時間がどれだけ長いか知ってる? 表に四十八時間立ってみるといい。勿論立ったまま寝るなんて論外だからね。私がもし、よっしーを罰として立たせるなら、そうね、数万時間でも足りない。だって彼、そんなの全然堪えないんだもん。私の気が済むまで、って事。
待ってる私も退屈だから、私の方が先に話したくなって、一緒にどこか行きたくなるって訳よ。
完
あとがき
現在、投稿連載中の「流浪一天」という武侠小説が私の初めての作品なんですが、そちらを目にした事のある方は、この「無辺の鳥かごで」を読まれて、『あぁ、ムシャクシャしてやったんだな』と感じておられるのではないかと思います。確かにそんな感覚もありまして、武侠小説では表現も堅くなりますし、ちょっと弾けたい、みたいな気になった訳です。ですので、かなり勝手し放題な文章を短時間で書きなぐったというのが本当の所です。
物語は「え? これからじゃないの?」と自分でも思ったりしてますが、ひとまず終わりです。ですが、いずれまた時間が取れれば続きを書きたいと考えています。今回のように衝動的に書くか否かはまだ定かではないのですが、何とか形にして、また読んで頂く事が出来ればと思います。




