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初めての『人』

 

 

  プロローグ

 

 

 こんな筈じゃなかった。あのイヤでイヤでしょうがなかった毎日を、自分の人生において最大の勇気と決断でもってピリオドを打ったあの日から、私は楽に――本当はもっと凄く頭のいい感じに聞こえるうまい表現があるんだろうけど――なる筈だった。けど、これは何? ここは何よ? どうしてまだここに居なくちゃいけないの?これってもしかして最悪パターン……って、違う! そんな訳無い! あんなゴミみたいな人生なんかよりすっごくマシに決まってる!

 

 あの時、私は今まで経験した事無い程ハイテンションだった。いや多分、他人が見てもそれには気付かなかったと思う。だって体は静止状態だったし。でもちょっとは震えるくらいしてたかも。家の、自分の部屋で、椅子に座って。何も書いてない真っ白なノート広げて、勉強するみたいに、でもそれは見てなくて。少し震えて、でも頭の中はきっと脳ミソが、あの、何だっけ? 寝てる時に眼球がガーッて動くあれ。あれの数倍の動きをしていたと思う。グルグルと。多分、怪しいクスリをやったらあんな感じなんじゃないかと思う。で、ずっと妄想にふけってた。

 絶対絶命のピンチに陥ったら私の中に眠ってる超能力が覚醒する。私は強くなる。何を言われてもへこたれない精神力。あんな痛みをものともしない身体。凄い! 凄いよ私! それが手に入るかも知れないじゃない! 漫画の世界? フン、もしそうなったらきっと誰もが私を、私の力を漫画に描きたいって言ってくるに違いないの。映画化とかさ。手に入れたら宝くじの一等が当たった様なものよ。もっと凄いけど。

 はずれたら――それでも私は全然構わない。だって、その瞬間私はこのイヤな世界から消えるんだもの。絶対、絶命のピンチなんだから。

 

 あれからもうすぐ一ヶ月――。私の目の前には、代わり映えのしない街の風景が広がってる。ほんとは建物とかごちゃごちゃした街で全然広がってるって感じじゃないんだけど。この一ヶ月近く、毎日同じ風景を見てる。もう飽きたんだけど、でもここにいなきゃ、って感じがするから、今日も。『今日』とか、変だな。『今』も。私はずーっと、ずーっと、ここに立ってる。夜になったら帰って寝るとか、もう私には関係の無い話。二時間立ち続けたから十五分休憩とか無いし。『じゃあ、何で?』とか聞かれると思う。それは私が教えて欲しい事。ほんと、教えて欲しい。ていうか、もう命令して。あれやれ、これやれって。二十四時間一ヶ月近くぶっ通しで同じ場所に立つよりも辛い事なんてある訳が……。

 いや――ある。あった。そうだ……あんな想いはもうしなくていいんだもんね……。まだ、マシか……。

 私に命令どころか、話し掛ける人なんて居ない。第一、もうこの場所には誰も近付きたがらない……。

 

 私はあの妄想の直後、真っ直ぐこの場所へ来た、と思う。で、その後はどこにも行ってない。最初の数日ここには普通に人が来てた。朝になったら通勤するおじさんとか学校行く小学生やら中学生か高校生か分からない制服の子達が。それだけじゃないけど。昼は買い物でも行くのか自転車にのった主婦みたいな人とか。夕方は帰って来る人。いっぱい居た。でもさすがに夜は……太陽が完全に沈んで真っ暗になる頃にはもうまばら。でもそれも数日だけ。夜には完全に人が途絶えた。だって、ここには私が居るから。

 凄くおかしく思えた。私は朝も昼も、明るい間もずっと居るのに。私に真っ直ぐ向かって歩いてくるおばさんとかをじっと睨みつけたりしてるのに。明るいうちは私が見えてない。完全無視。時には事もあろうに私の身体に重なってくる変な男まで居る。幾人もの男が私を通り過ぎていくゴニョゴニョみたいな詞があったっけ。確かにあの男どもは何も感じないらしく通り過ぎていくけど。

 どこか凄く田舎の村で村人総出のお祭りの日に朝からハイテンションなお子様達の様にワクワク……じゃないけどこの身に起こった超革命的な出来事を境にかなり興奮気味だった私。でも、沸いていた私の血はわりと早くに治まった。ていうか、血なんて私には無かったんだ。

 この身に起こった云々ていうのは確かだけど、その『身』はもうここには無い。私の血は最初の日に無くなってた。お揃いの作業服みたいなのを着たおじさん達が私の身体を全部かき集めて拾い上げて持って行っちゃったし、辺りを染めた私の血は綺麗さっぱり洗い流された。それを思い出したのは最初の日から数日後。

 改めて思い起こせばその時、私は色んな感想をほぼ同時に持った。後悔とは違う。でも似てるかもしれない。まずは、何となくガッカリな感じ。だって、身体が無くなって全てが変わると期待してたのに、全てじゃなかった。私の時間が、繋がってる。『今』はあの辛い毎日の延長線上にある。もうあのイヤな出来事は起こらないとは思うけど、繋がっているのがどこかイヤ。あと、期待。変化した部分もあるのだからこれから何かいい事が起きるかも知れない。どこか楽しい場所に神様か誰かが連れて行ってくれるかも。身体を無くす前はすぐにその場所へ案内してもらえる事を切望してたんだけど、どうやらまだみたいだから、こればかりはどうしようもない。で、とりあえずはどうにもこうにもなりそうに無いし、その時に言えた事は、

(私はもう、生きていないんだなぁ)

  

声にはならなかったけれど。

 

 

  初めての『人』

 

 

 ここには花がある。多分、一ヶ月程前のあの日から。その前には無かった筈。何度も通ってるけど見てないから。

 今日の花は、新しい。一応女の子してきたのに花の名前に疎くてよく分からないんだけど、なんだか可愛らしい花が多いかな? 可愛くない花なんて無い! とかいう人居そうだけど、ほら、お葬式で献花するやつとか地味なのあるでしょ? ああいうのじゃないやつ。で、ここの花はどこかのおばあちゃんが置いていく。新しいのに変えるのは毎日じゃないんだけど、おばあちゃんは毎日ここに来てこの花を眺めてから、通り過ぎていく。杖をついてゆっくり歩いて行くから、なにかリハビリみたいなのかな? これまた分からないけど。

 この花は、私に、だ。かなりの確率で。他に理由なんて見当たらない。私の事はきっとこの周辺の人なら知ってる筈。新聞とか多分載っただろうし、テレビだって。私に、お供え。

 今日の午前中、おばあちゃんは新しい花を持ってここに来た。いつもの様に花を取り替えて、おばあちゃんは手を合わせたりしないけどやっぱり今日もじっと花を見つめて無言だった。私はきまっておばあちゃんの隣にしゃがんで、一緒に花を見る。おばあちゃんの正面に立つべきか? とか考えたけど、花は電柱とガードレールの間にあって奥はゴミだらけの小さな草むらだし、おばあちゃんは花を挟んで電柱を向いてるわけ。電柱とおばあちゃんの間はとても入る隙間は無いし、電柱の後ろじゃあ、変でしょさすがに。

だから、隣で見る。肩があったら触れるくらい近くで。でもおばあちゃんはずっと真顔でこれといった表情が無い、みたいな感じ。

 おばあちゃんは知らない人。記憶にない。でも、どっちかと言うと、好き、かな? だって毎日来てくれる。昼間ならまだここを通る人は居るけど、立ち止まる人はそう居ない。私がここに来て最初の頃、私と同じクラスの子とかが親と一緒に来た。で、何か拝んで帰って行った。それから見てない。ずっと来てくれるのはおばあちゃんだけ。私を知ってたのかな? わからない。

 おばあちゃんと話せないかな――。

 

 夜になって人の気配が無くなった。遠くに見える明るいコンビニの前を歩く人の姿が小さく見える程度。一人の夜は長い。寝ればすぐ朝なのに、どうも私は寝られなくなったみたい。休める身体がもう無いからかな? 辺りを改めて見回したら、溜息が出た。テレビや映画やその他諸々で見たり聞いたりした幽霊話を思い出す。夜な夜な近付く人間を怯えさせる悪霊達! 私は悪霊じゃないわ。全然。でも、やる気満々な悪霊達もお客が来なけりゃ食いっぱぐれだねぇ……。いわゆる『やれやれ』ポーズで首を竦める真似をしてみる。ん……?

「あの、ちょっと? 今いいですか?」

うわっ! 人だ! 人に見られた! え!? 何を? 誰!? ちょっ……。

「落ち着いて下さい。あの、驚かせてしまってすいません。って、落ち着いて!」

何!? 私が見える!? 子供!? 男子!? うわ何!?

「分かりました。待ちます。じっとしてここで待ちますから、落ち着きましょう」

男子が! 男子が! 私をじっと見るー!!

 そりゃもう並みの驚きじゃなかった。特上でも物足りないくらい。でもその男子、男の子がほんとにじっとして見てるもんだから私は大急ぎで言葉を探した。だって、知らない男の子が急に現れて沈黙のままずっと居るなんて、普通じゃない! 何か、何か会話して自然な感じで……。

「ごめんなさい。そんなにびっくりされると思わなかったから」

私のあたふた感が治まってきたの感じ取ったのか――治まってないけど――男の子が言った。

「えと、あの、私が見える……?」

変な質問をしてしまった。この子がまっとうな人間なら何も無い暗がりに話しかけたりしない筈。

「もちろん見えますよ。僕だけじゃなく他の誰もが見てると思います」

え? え? 見られてる? 大急ぎで周りを見回す私。

「いや、今は誰もいませんけど」

……紛らわしいこと言わないでよ。

「見えるから、夜は誰もここに来ないんですよ」

「あ、そうか……」

おっ、会話が成立したかな?これでなんとか普通にコミュニケーションが――。

「僕には昼でもあなたが見えるんです」

……。思い出せ、思い出せ私! 昼間何か変な事してないよね私!

「あなたがそうなるようにしてるんですけどね」

男の子はそう言うと細長い右手の中指を顔の前に持って言って、ついっとメガネのフレームを僅かに上げた。

 男の子はごく普通のジーンズにごく普通の白いTシャツ。細いなぁ。背は私よりちょっと高いかな? 歳近そう。髪は……暗くてよく見えないけど黒で、なんというかクリンクリンとハネてるな。メガネは銀のフレームで上下の幅が細いやつ。レンズ光ってる。かなり汚れを気にしないとあそこまで綺麗に光らない。私もちょっと前までメガネだったから分かる。今はコンタクトだけど。ん?今は違うか。でも何でこんなはっきり見えてるんだろう? ド近眼だったのに。って、そりゃそうだよね。その出来の悪い劣等生は二人揃って居なくなったんだし。えーと、何の話だったっけ?

「あなたの事はある程度知ってるつもりです。新聞でも読みましたし」

「あ、やっぱ新聞、載ったんだ……」

「佐藤明子さん。今年、十八歳になる筈だった」

……私の事調べて何するつもりなのよ?

「どうして――」

「この近所の人はみんな知ってると思います。だって、あなたが住んでた町ですから」

私という人間が居る――それだけでしょ。新聞で知った人の方が多い筈だわ。どんな毎日を過ごしてたのかも。

「僕は、杉田義雄っていいます」

「……どうも」

とりあえず会釈したつもり。ほんとにちゃんと見えてるんでしょうね? この子幾つかな? 質問してみようかな。

「あの、聞いてもいいですか? 歳」

年齢は重要。これによってこの男の子とどう接していくべきかを決定する。私が。

「んー、僕の歳は……」

ん? サバ読むつもりじゃないでしょうね?

「十……五、歳」

何? 今の間。

「本当に?」

「ええ。あなたの二つ下ですね」

「今年、十五になるの?」

「……えっと、もう誕生日過ぎましたし、十五ですよ」

「じゃあ、違う。三つ下よ」

フッ、いくら背伸びしたってそれが厳然とした事実なのよ!まだ中学生じゃない。

「でも、あなたは、十八にはならないでしょ?」

 

 杉田君とかいうこの男の子は妙に大人びたというか、変な感じ。なんだか、『何でも知っていますよフッフッフ』とか今にも言い出しそう。まあいいわ。何でも知ってるなら教えて頂戴。で……この杉田君は何しに来たんだっけ?

「何か……言ってたよね? あの……私に何か用事とか?」

用事って。自分で言っといてなんだけど、用事って。この子は私がもう人間じゃないって知ってるのに何の用事よっ!

「あー、何て言ったら……。気になったというか……」

「私が?」

そりゃ気になるわよね。見えてたなら。でも普通話しかけないでしょ。取り憑かれたらどうしようとか考えるんじゃないの?

「あなたをずっと見てて、ちょっと様子が変だな、と」

「変……かな?」

「ええ、まぁ。あなたは――、あの名前で呼んでもいいですかね? あー、明子さん、とか」

え! いきなり下の名前? ちょっとそれは早過ぎないか少年!

「イヤですか?」

「えーと……佐藤で」

「わかりました。佐藤さん」

……残念がるとかはしないのね。

「佐藤さん、ずっとここに居ますよね。ここに来た日から、ひと月近く。で、ただ立ってるだけ。普通の表情で。普通の格好で」

普通でいいじゃないの。何か悪い?

「どうしてだろうと思ったんです。ここにこだわる何かがあるのかな? って」

「別に……何も無いけど」

「何も無いのに居ちゃいけないとは言いませんけど、本当に何も無いなら驚きです。あ、いや、……そうだ。佐藤さん、この世界に未練があるとか、恨んでいる人や物あります?」

物に恨む? どう恨むの? ちょっと電車! 痛いじゃないの! とか? 違うか。でも、そうだよね。私が今もここに居るのって、天国に行けないのって、未練や恨みを残してるからって事になるよね。

 変だな……確かに憎い人が何人もいる。この世界で楽しく生きたかった。でも、あの憎たらしい顔なんてもう見たくない。関わりたくない。遠くへ行きたいって願ったのに、この世界はもういいと思ったのに、何でここに居るんだろう? どうして空から光が降ってきて私は浮き上がらないんだろう? 神様は私をほったらかしにして何してるんだろう?

「佐藤さんがここで不慮の事故に遭ったというなら、何となく分かります。でも、……そうじゃない。だから不思議に思ったんです。ここに居続けるのを」

「聞かれても私にも分からないよ……」

沈黙。彼、杉田君は何か考えている様にも見えるけど、これを聞いてどうするつもりだったんだろう? はっ、もしかして霊能力者!? 私を救いに来た!? 十五歳!? ……なんて、何考えてるんだろ私。そんな馬鹿馬鹿しい。

「佐藤さんって、面白いですね」

「は?」

「だって、全然恨めしそうにしてないし」

杉田君は笑った様だった。よく分からないけど唇の端っこが上がったから。

「不思議です。どうして……」

どうして……生きるのを辞めたのか、だろうな。多分。もっと悲愴感漂う雰囲気で居るのが常識というものかな?

 自分でも正直驚いてた。この杉田君が初めて会話した人なんだけど、話してみてはっきりと実感した。私、あの日以前と全然違う。喋り方はそんなに変わってないかもだけど、なんていうか、頭の中ではポンポンと言葉が浮かんでくる。ちょっとハイな感じ。どうしてかな? 私って昔は頭も結構動きが鈍かった――成績は悪くなかったけど良くもなかった――と思う。うん。これは私も不思議。

「急にこんな事言って失礼だとは思いますが」

杉田君なんだかサワヤカ笑顔。暗がりで。

「佐藤さんが気になって仕方ないんです。また、会いに来てもいいですか?」

…………告白? 人ではない何かに告白ですか? もしかしてヤバイ人? いやいや、最初からヤバイ人決定でしょ。

「まだ当分ここに居ますよね? イヤですか?」

「いえ……いいんですけど……」

「良かった。じゃあまた来ます。あ、僕の事は『よっしー』と呼んで下さい。聞き慣れたあだ名なんです」

よっしー?義雄のよっしー? 会ったばかりの私にそう呼べと? 君にはSの気が?

「それじゃ」

よ、よっしーはくるりと回れ右をしてキザな感じで持ち上げた手をヒラヒラと振ってここから立ち去った。

 あの子、よっしーの家は近いんだろうか? よく見かけた、みたいな事を言ってたしこの辺をいつも通ってるのかな? 私は今居る道のちょっと先にある公園に立ってる時計を見た。照明付き。今は夜の――十一時前か。十五歳……受験は? 勉強は? あ、塾……でもないか。何も持ってなかったもんね。でもあの話し方といい、受験とか学校とかそういうの全然似合わない子だったなぁ。よっしーは。

 はぁ。私は溜息をついて、そのまま長時間――普通の人の『長時間』より遥かに長い時間――固まった。



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