おわりと、そしてはじまり
ああ、この旅もやっと終わる。
ようやく、ここまで辿り着けた。
傍に蹲る彼を抱きしめて、ここまでありがとうと呟き、よろよろと立ち上が……ろうとして、腕を掴まれた。
「待って」
さっきまで蹲り、荒く息を吐いていた彼が、わたしの腕を掴んでいた。
「やっぱり、行かせない。行かせたくない」
「だめよ」
だって、行かなければ、救われない。皆、救いを待っている。そのために、わたしはここまで来たのだから。
「放して」
きっぱりと言うわたしに、彼は顔を歪める。
「どうして、君なんだ」
そう、掠れた声で、囁くように吐き出す。
「どうして、君が」
渾身の力を込めて引き寄せられ、わたしは彼の胸に倒れこんだ。
「……放して」
「いやだ」
ぐいと押し返そうとしても、わたしをしっかりと抱き締めた腕はびくともせず……はあ、とひとつ息を吐く。
「わたしは、そのためにここへ来たの。あなたは、わたしをここへ連れてくるまでで役目は終わりよ。さあ、帰って」
彼は俯き、腕を緩め……わたしの手を握ると、自分の額に押し当てた。
「君を、行かせたくないんだ。本当は、ここへ来る途中で、何度も──」
「それ以上言ってはだめ」
彼の手に指を押し当て言葉を止めると、びくりと震えた。今にも泣き出しそうな顔で、「ほかに、方法は……」と小さく呟く。
「無いの。他には、何も。だからわたしがここまで来たのよ。それが、わたしが生まれたときから定められていた、役目なの」
彼の頬にそっと手を添えて、彼と目を合わせ、それから微笑む。こつりと額を合わせて、目を閉じて……それが、わたしが彼にできる精一杯だった。口付けさえ、贈ることができないなんて。
「わたしは、そのために、生きてるの。だから」
本当にありがとう、と、もう一度微笑んで、彼の手を振り解くと優しく突き飛ばした。
この腕からすり抜けて、奈落の……“穴”の底へと身を踊らせる彼女の腕を、もう一度掴もうとした手は空を切った。
ふわりと微笑んで、暗闇に呑み込まれる彼女を見て……どうして、こんな瞬間に微笑むことができるのか、と視界が滲む。
どうして、彼女なのか。
どうして、英雄は現れなかった。
どうして、自分は英雄になれなかった。
ここへ辿り着くまでの間、何度、彼女を連れてこのまま役目など忘れ、どこか遠くへと考えたことか。
手を伸ばしたまま呆然と見下ろす“穴”の底から、何かの断末魔のような悲鳴が、かすかに上がったように感じて──彼女が“使命”を果たし終えたことを知った。
これで、確かに皆救われたのだろう。この世界に住む、皆が。
だけど、彼女はいない。彼女は救われて……いや、自分だけが救われていない。
何が、聖女だ。こんなの、体の良いただの生贄ではないか。
ひとりを犠牲にして、効率の良い救いを求めただけじゃないのか。
皆よりも、彼女を救いたかったのに──彼女を救いたいと思いながら何もできず、結局この場へ連れてきてしまった自分も、彼女を生贄に差し出した皆と変わりはしない。
むしろ、皆なんかよりも、自分はずっと罪深く最悪だ。
喉の奥から嗚咽が漏れ、すぐにそれは慟哭へと変わる。苦しい後悔の念が自分を苛み蝕んでいく。なぜ何もしなかった。なぜ力が無いと言い訳をした。
血を吐くような、抉るような痛みとともに、慟哭は、彼女の落ちた“穴”へと降り注ぐ。その嘆きひとつごとに新たな何かが“穴”から湧き上がり、彼の身を覆っていく。
こんな、最悪な自分など──
その日、旧い魔王は滅び、新たな魔王が誕生した。




