Name―命名―
少年がまだ何か言おうとするのを、青年は手で口を塞ぐことで止めた。
「ん、もご(何)?」
「もういい」
「ふぁっへ、ふぁなふぇっへいっふぁ(だって、はなせっていった)」
「おおかた、そういったことが何年も続くんだろう?だからもういい」
青年が言うと少年は目を丸くした。なぜわかったんだ、とでも言いたげに。
頭を抱えた青年は寝台の布団へそのまま顔を埋めた。
ちらりと見えた青年の顔が、まるで泣きそうなものだった。
「…何年も続いたのは、本当だけど、たぶん、もうないよ」
「《多分》じゃない。確実にだ」
「そうなの?」
「私は誓ってお前にそんなことはしない」
「…そうなの?」
「ああ。約束する。絶対にしない」
「……うん」
まるで不思議なものでも見るように、青年を見る。
自分を虐げない者がそんなにも珍しいということなのか。
少年がそんな目をしてしまうことに、さらに心状が悪くなる。
「なんて人間に降りてしまったんだ、まったく……これまでで最も反吐が出る……」
ぶつぶつと、まるで呪詛のように宣った。
「…もう少しだけ、訊く」
「え、あとはだいたい同じことの繰り返しなだけだよ?」
「違う、そうじゃない。この人間が私を召喚する為の生贄にされた経緯について、だ」
「ケイイ?」
少年の聞き返しに、また胸糞が悪くなる。
先程の話もそうだったが、情操的な言葉に欠けている。
それだけ、今までの人間との会話が劣悪なものであったことを如実に物語っている。
否、会話ですらないだろう。
この少年は、今までに聞いた人の言葉のその大半が、浴びせられた罵倒と侮辱しかなかったのだ。
この分では、読み書きもできていないのだろう。
先刻も「同じことを何年も繰り返した」といっていた。
まずまともに人として扱われていない。
この小さな少年に対して、よくもそこまでの加虐ができたものだ、と、青年は己の『宿主』を心中で軽蔑した。
「こいつは聞いた話から推測するに、貴族かいいところ大商人の息子か、そんな人間だと思うんだが、なぜそんな人間が生贄だなんて人としては不名誉なものに成り下がることになったんだい?」
「えっと…」
青年の幾分か苛立ちの混じった声色に萎縮したのか(青年が苛立っている理由は少年にたいするものではないのだが)、少年は僅かに体を強張らせた。
しかし訊かれたことにはちゃんと答えるつもりらしい。何かを考えているのか、暫し眼が泳いでいる。
「なんか、よくわかんないけど、オレをおやしきにおいてちゃだめだっていうことになったらしくてアル様に連れて出されたの」
「ほう、それは何故?」
「えーと、アル様のおちちうえの、それよりずっとえらい人が『ひがしのたいこく』に戦争で負けて、それで、勝った方のいちばんえらいひとが、負けた方に『どれいの使用とばいばいをぜんめんてきにきんしする』っていったんだって。それでオレがおやしきにいることがえらい人にばれたら、せきにんをついきゅうされる、って」
アルテュールの家が属する国が戦争で負け、勝った側である大国が奴隷を解放したということか。
といことは今は一応、自由の身ではあるらしい。
「…それだと普通、お前はただ追い出されるだけなんじゃ…?」
「オレのことがばれるよりも前に、なんか、ほうりついはん?とかこっかはんぎゃくこうい?とかをないしょでたくさんやってたみたいで、そっちのほうがばれて、家とかくらいとかのけんりをぼっしゅーされたんだって」
家名と権限を没収。これは私服を肥やすものには大打撃である筈だ。
当然のことだが、没落したのだろう。
しかし、それではなぜまだ【アルテュール】がいるのか。
「…で?」
「それだけだとまだろーやで死ぬまで閉じ込められるだけらしいんだけど、オレのことがばれたら、つみが重くなりすぎてきょっけーになるんで、だからアル様は自分のみのあんぜんといんぺーのために、オレだけを連れて逃げたの、おやしきから」
「ふむふむ」
なぜ自由の身になっているのに未だ【アルテュール】とともにいるのかが解った。
「で、ほとぼり?ってのがさめるまで『うら』っていう、なんだがひみつにしてることが多い人間のたくさんいる街に行ってね、そこでなんかニコニコ笑ってる奴が近づいてきて、『いい話をしてやろうか』ってアル様に言ったの。アル様、なんでかそいつについてくことにして、オレも一緒につれてったの。そいつが言うとおりに、渡された紙にいろいろ書いてて」
「紙?契約書か何かかい?」
「よくわかんないけど、『名前を書いたらけいやくはかんりょう、あとは自分でうまいことやんな』ってそいつは言ってた」
「…契約書だな、それもヤバい方面の」
「そうなの?」
「十中八九そうだろうね。それからは?」
どうやらうまい言葉に乗せられて、よくないことになる誓約書か契約書かなにかに言われるまま名前を書いたのだろう。
容姿は人並み以上だが、頭の悪いものであったらしい。このアルテュールという男は。
「しばらくしたら、黒いかっこうの奴らが五人くらいでオレとアル様を捕まえて、バシャに似てるけど違う乗り物、に乗せられて、ここに連れてこられたの。すごく長い間乗せられてたとおもうんだけど、乗り物に窓みたいなのが一つもなくて、中が真っ暗だったから、どこをどうやってきたのかはぜんぜんわからない」
「そうか、…なるほどね」
そして、怪しげな集団に連れてこられ(実質は人身売買の類だったのだろう)、ここで召喚の儀の生贄とその際の道具として使われ、今現在に至る。
ということだろう。
(随分壮絶だな、今回の主人は…)
どうしてこんな幼い者が自分を召喚できたのか疑問に思ったが、儀式の実行が他の者による干渉であったことが理由らしいことだけは判った。
召喚に必要なのは儀式の主体となる魔法陣と用意された肉体。
主人であるこを決定するのは陣を描いた者で、それにこの少年の血液が用いられたから、この少年が今回の自分の主となったのだ。
肝心の契約の完了がまだ済んでいない状態ではあるが…。
ここまでの会話で、どうにもこの少年はいろいろとあやふやなものであることがわかる。
自分が『何』であるかの認識が定まっていない。本当に解っていないらしい。
自我の発達が、あまりに未熟すぎる。
「お前、歳は?」
「とし?」
「生まれてから何年生きたか」
「…わからない」
青年は深くため息をついた。
いよいよ危篤な状態だ。
これほどまでにあやふやでは、とうてい『願い』を持たせることなど、今この場では土台無理な話である。
そう。今この場では。
「とりあえず、一番古い記憶では、何歳だったと思う?」
「…2つ、いや3つと少し…だったかな?」
「この男に買われて、屋敷にいた間はどれぐらい?」
「……6年?くらい…」
「…おおよそ10歳といったところか…」
青年はそこで天井を仰ぎ、腕を組んで何か考えこんだ。
「…よし」
元の姿勢に直る。
「決めた」
「…何を」
「外に出る」
「…ぁ?」
今は無理でも、これからちゃんと人間として生きて、いろんなものを見て、聴いて、そこで何かを思えば、願うものは必ずできる、と青年は言う。
人間はそういうものだ、とも。
「それ、って…」
「旅に出るぞ。私がお前の共だ」
「たび…」
青年は今一度立ち上がり、少年と僅かに距離をあけ、跪いた。
胸に手を当て、仰々しく頭を垂れる。
まるで尊いなにかに対してそうするような。
「あなたが願いをみつけ、それを私に命じ、私がそれを叶えるまで、決して離れず、この存在を賭して守ることを誓います」
「なに」
一体なんだというのだろうか、と少年が口にする前に。
青年は顔をあげて言う。
「我が真名は ヴァルゲン 」
欲望を司る者、と名乗った。
立ち上がって、少年の頭に手を置いた。
「まずは、あなたの名前を作りに行こう」
少年が黙ったままでも構わないのか、ヴァルゲンは笑った。
頭を撫でようとした直前、少年が身を固くしたのを、ヴァルゲンは見逃さなかった。
些細な、その程度のことである筈なのに、どうにもそのことが忘れられそうにない。
そう感じたのだった。
やっとこさ青年名前出ました
少年の名前はまだまだ。テラカワイソス




