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となりの悪魔  作者: 錦燈籠
名前のない前奏
11/16

Impuls―熱、炎―

左手首から、『プツリ』と、穴のあく音と感覚がした。

直後、痛み。

(え?え??)

端正な顔の男が自分の手首に噛みついている、という光景に思考がおいつかない。

そしてなによりの驚愕が、

(この人、牙がある…!!?)

手首に鋭い何かが突き刺さる感触がある。

人に身体・・を噛まれるのは実は初めてでない・・・・・・のだが、この感触は今までの、人に噛まれるそれではない。

犬や猫のものと違い、人の歯は先が鋭くない。おかげで噛みつかれたときの痛みは鈍く、それを無理矢理おしつけてくるものだった。

なのに今、手首に感じるものは鋭く、おかげで余計な痛みはない。

そしてなにより、先程ちらりと見えた。男の口の端から、人より長く伸びた…


「いっ!?」


そこで今まで感じた痛みとは別の、おかしな・・・・感覚が手首から躰全体に広がった。


体中の、中にある何もかもが手首の噛まれている箇所に向かっていく(・・・・・・)ような。

(何これ何これ何コレ…!!??)

ジルドレはいったい何をしているのだろう。

体中のぐるぐるとした感覚に頭も巻き込まれて、くらくらする。

思考もいつしかぐるぐるする。前後の感覚がなくなる。

姿勢が保てない…

―――落ちる・・・―――


「おっと」

後ろへ倒れる直前、つい先程まで手首に噛みついていた筈のジルドレが、すんでのところで背を支えた。

「すまない、子どもにはキツかったな…」

「ぅえ……?」

ラクにしていろ。あいつも直に戻ってくるだろうから」

体中の力が抜けて、身を起こすことすらままならない。

息をすることで精一杯な、そんな疲労に身体が支配されている。

今のは一体なんだったのか。

さっきまでの妙な感覚を思い出して考えようとしたが、頭を使うのすら億劫だ。まともに思考が働かない。

自分の背を支え、膝にかかえてくれるジルドレを、少年は見上げようとした。

視界がぼやけていた。透明ななにかが目の前全てを覆っている。

(何これ…)

訳も解らず瞬きをすれば、そのぼやけは瞼の動きに合わせて視界の下部分に集まり、目からするりと落ちた。頬を何か温かいものが滑る。濡れる感触があった。

「すまない、無理をさせた」

ジルドレが再び謝罪の言葉を口にする。何をしたのかは解らないが、原因は彼であるらしい。申し訳なさそうな、切ない表情をしている。

背中を、ぽんぽん、と優しく叩かれる。大きな手の、その動きが心地よかった。

「確かに、これは名前が必要だな」

反対の手で頭を撫でてくる。この手つきも優しかった。

ジルドレの突然の態度の豹変に、正直戸惑う。

先程までは(本人は不本意そうだったが)威圧感を遠慮なく醸していていたというのに、今はそんなものはすっかり失せて、それどころか少年を優しく抱えている。

何が何だか、何もかも解らない。

(手首…あつ…)

かろうじてそれだけ考えられた。

指先を動かすのすら億劫なのだが、なんとか左手を持ち上げる。

折り曲げて丈を合わせた袖口が、一部赤く染まっていてぎょっとした。

手首の、おそらく穴が空いているであろう箇所。そこから赤くなっていた。

それが己の血であると自覚して、やはり今のは牙を突きさされたのだ、と鈍くなった思考で確信する。

(牙がある人間なんて、初めてみたなぁー…)

先の視界のように頭もぼやけてきた。

また頬に濡れる感触がおこる。

はて、ここは屋内の筈なのに雨でも降っているのか、と疑問に思った。

するとジルドレの指が、少年の頬の濡れを拭い取る。

「泣かないでくれ……すまない…」

また謝罪。『ナカナイでくれ』とは、どういう意味なのだろう。

言葉の意味が解らずジルドレをぼんやり見ていると、切ない表情がより一層、その端正な造りを悲壮に歪ませる。

頭を持ち上げられ、胸に抱え込まれた。

「わからないよな…すまない……辛いだろう」

そしてまたすまない、すまない、と申し訳なさそうに繰り返す。

先程から謝ってばかりだ。

ジルドレにそれをやめさせたくて、口を開いて声を出そうとしたが、喉もうまく機能しない。

このままでは彼の言葉を止められそうにないな、と思った。


「…私がいない間に何をしているんだい?」

背後から、声。


(アル様――――)

違う。ヴァルゲンだ。

なんとか顔をそちらに向けると、なんとも不機嫌をあらわにした顔をしている。

手には大きめの籠。中に果物とパンがいくつか入っているようだ。

黒マントを身に着けている。どこかで見たことのあるマント。

同じものであろう布を、籠を持つのとは反対の手で持っている。

「用意できたのか」

「先に質問に答えてほしいね。我が主に何をしている、否、何をした・・・・?」

「大方予想はついているだろう」

「…噛んだのか、やはり」

やれやれ、とヴァルゲンがこちらへやってくる。

手に持っているマントを、未だ抱えられたままの少年に羽織らせる。

「不快に思うかもしれないが、我慢してくれ」

「…例の集団のものか?これ」

「……ちっ、そうだよ」

(なんで今舌打ちしたんだろ…)

やたらとヴァルゲンの纏う空気が険悪だ。

その理由が解らなくて、とにかく今がそういう事態なのかが知りたい。

視線だけをヴァルゲンとジルドレ、交互にやる。

「死体はどうした」

「ああ、これマントだけ拝借して、あとは燃した」

(もし……?)

そういえばヴァルゲンから焦げ臭い香りが。何故だ。

「あれだけの数を一斉にとか、お前…」

「放っといても腐るだけさ」

ジルドレが立ち上がって大扉の方へ歩き出す。

少年を抱えたままだ。

まだ身体は怠い。

「…おい、私が運ぶ」

「お前はその荷物を持っているだろうが」

「………ちっ」

(あ、また…)

何がそんなに気に入らないのか。

そういえばさっきから、パチパチと、何かを焼くような音がする。

…焼く?


「おい、さっき言った、火が広がっていないか」

「廃城のようだし、別にいいだろう」

「ここにはいくらか書物があったんじゃないか?いいのか、本は貴重な物だろう」

「心配せずとも全て【収納】してきた」

「…そうか」

さっきから二人にしか通じない会話しかしていない。

ジルドレの腕の中少年はそれについてささやかに抗議したかった。

だが、力の入らないまま、ジルドレが歩くまま大扉の外に出た。


外は、灰の森だった。

生気が抜けきってしまったような色彩。

岩の壁と、緑のない不気味な背の高い木々。

こんな処に自分はいたのか、と今更ながらに驚いた。

ジルドレが、くるりと城の方へ向き直ったので、少年も同じくそちらを向くことになった。


「……ぁ……」


ようやく声が出た。

どこからか上がった火が、城の半分を燃え上がらせている。

かつては力を持つ者が住んでいたのだろう、大きく堂々とした佇まいの、その半分が真っ赤で明るい炎に包まれている。

その炎も今まさに城のもう半分を飲み込まんと、さらに勢いを増していく。


「…どうした?」


少年の様子に気づいたジルドレの声は少年には聴こえていても、頭に入ってこなかった。


城を包む赤い炎。

それは古い記憶の中で。

少年の故郷の村を包んだ光と、同じ輝き。

赤く、熱く、忌まわしい、強い輝きだった。

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