一章「はじまり」
俺は部屋を出た。肌を刺すような寒さのせいかどうも部屋を片付ける気にならなかった。
箱を一つを開くと本がぎっしりと敷き詰められていた。その殆どが小説だった。
小説を箱から出すと、部屋の隅に平積みをすると片付けたような気になって、勿論ただの気のせいだという事は、自分でも自覚はしている。丸まっているコートを羽織ると部屋を出る。
部屋を出て改めて部屋の寒さを実感する。再び部屋に戻ろうかと本気で悩みコンビニで温かいコーヒーでも飲もうと結論しそちらに足を向ける。途中でコーヒーショップでもあればそれでもいい。残念ながら、コーヒーショップはおろかファーストフード店も暖をとれそうな店もなかった。寂しい街だなとか思いつつ歩いているとコンビニに到着してしまった。してしまったというのもおかしな話だがなんにせよ到着した。
コンビニの前には、不思議な少女が鎮座していた。見た感じ若そうだ女子高生だろうか。
今日は、氷点下だ、先程までは降っていなかった雪もここに来る途中にしとしとと降り始めている。そんな寒空の下その少女は、文庫本を開き寒そうな仕草もせずに本を読んでいたのだ。内容が面白いのか時折思い出したようにクスリと微笑む。
しばらくそんな事を思って彼女を見つめていると彼女がこちらの視線に気がつきこちらを見上げてくる。不思議そうに首をかしげるとやおら立ち上がると折り目正しく深々とお辞儀をすると
「六車陽花と申します」
「六の車に太陽の花で六車陽花です」
彼女は、こちらを見て何か反応を待っているようだった。俺は、はっとなって。
「南谷冬弥と言う」
「南の谷の冬のえーと、や・や・弥生だ、弥生時代のやで南谷冬弥と言う」
納得したのか彼女は、ふふっと微笑むと先ほどと同じように座り込んでまた本に視線を向けていた。本の背表紙には、『雪国』と書いてあった。
なんだったかな“国境の長いトンネンを超えると雪国であった”だったっけ。
しかしこの街はおろか日本が島国である以上日本に国境などない、あるとしても海の上。雪国といえば雪国だけどゲレンデのような白銀の世界ではなくうっすらと雪が層を作っている程度が、東北の方へ行けばもっと積もっているのだろうがこの街はあまり雪は積もらない……と思う。正直な話引越し来てきたばかりでこの街が雪が積もる土地なのかどうかもわからない。
そんな事を思っていると訝しそうに彼女が上目遣いに見上げてきたので俺は、取り繕うように首の後ろを書くと彼女の横を素通りしてコンビニの中へ入る。
店内に入ると思わず溜息を漏らす。不思議な少女だったな。
ちらっと入口の少女を方を見やる。
何故だか分からないが缶コーヒーと小さな三百ミリリットルのペットボトルの紅茶を手に取るとレジで会計を手短に済ませるとコンビニじゃ長居もできないな、暖を取りたかったのにと胸の中で愚痴るとコンビニを出た。
実をいうとさっき迷惑な行為をしたお詫びにでもと紅茶を買ったのだが不思議な少女の姿は、もうそこにはなかった。紅茶無駄になったな。
一陣の風が凪ぐ。コートにしがみつくようにして身を縮める。寒さも堪えてきた事だし家に戻ろう。
自宅まで足を向けると不思議なことにさっきコンビニの前で鎮座して本を読んでいた少女は、俺の家の前に六車とか言ったかが座って本を読んでいた。本が好きなのはわかるが所構わずと言った感じだな。活字離れが囁かれている現代においてはいいことなのかもしれないがこれはどうなのだろうな。というか何故こんなところにいるのだろうか、実はご近所さんだったのか。
俺は、見えていないだろうなと思いつつ軽く会釈するようにして横を素通りする。
いや正確には、素通りしようとする、すると六車が足首をがっと掴んだ。
そんな事をされるとは想像もしていなかった俺は、踏ん張ることもできずにそのまま地面に顔面から突き刺さるようにして激突した。飲みかけだったコーヒーは、頭上からかぶる結果となる。コーヒーは、既に冷め切っていてぬるま湯というよりも水に近い温度となっていたのは不幸中の幸い……なのだろうか。
――やっぱり不幸だと思う。
だがそれ以上に腹が立つ、何故引っ越してきて間もない俺が突然こんな仕打ちに合わないといけないのだ、この街に嫌われているのだろうか。
しかしだ女子高生怖い、怖いが説教はしなければならない。
俺は、立ち上がると六車の方へ向き直るとにっと不敵に微笑むとすっと自然な動作で立ち上がる。
「いきなりなりしやがる」
俺は、そう六車に噛み付くと。六車は、淡々として口調で
「私は、呼び止めただけ転んだのはあなた、私、悪くない」
むっとなったが平常心、平常心と心の中で唱えると。二言目を繋ごうとすると六車に遮られた。
「そんなことよりあなたに話があるの、部屋にあげて」
「なっ……」
この子が変わり者だということは寒空で本を読んでいる時点で理解していたつもりだがこれは、想像以上だった。警戒心とかないのだろうか。
「寒い……風邪ひく」
と非難するような目つきて言ってくるので悩む暇もなく彼女を部屋にあげることになった。
――不可抗力だ。
部屋に上がると六車は、警戒もなく靴を脱ぐと反転して礼儀正しくかかとを揃える。
そのほっこりするような仕草をみて怒っていた事に恥ずかしくなった。
もういいや。
六車は、俺が部屋でどっしりとあぐらをかいて座ると二の腕を引っ張って再び立ち上がらせると小動物のように俺の周りでスンスンと鼻を鳴らす。
「コーヒー臭い」
と可愛らしく鼻を摘む。
誰のせいだよ全面的にあんたのせいだ。
顎に手を当てるとうーんとひとしきり悩むとキョロキョロと部屋を眺めると目的の場所を発見したのが、笑顔になると俺の背中に回ると両手でぐいぐいと洗面所まで押し込むとぱたんと扉を閉めると。
「とりあえず入ってからね」
と透き通った声で言うと足音は、離れていく。
動物みたいなやつと失礼なことを思いながら服を脱ぐと。
「わー、本がいっぱい」
と隣の部屋から聞こえたので
「適当に読んでいてもいいよ」
とやや声を張り上げてそういうと
「わーい、ありがとう南谷さん」
と声が帰ってきた。俺の名前覚えていたのか。あの自己紹介に意味があったのか疑問だったが一応相互に名前を覚える程度には意味があったらしい。
風呂場に入ると俺も自身の身体をクンクンと匂いを嗅いでみた、コーヒー独特の匂いがした。
しかしそんなに嫌悪する程のものだろうか。
バルブを捻るって高い位置からシャワーを浴びるとそのまま近場にかけてあるタオルで石鹸の泡を立てるとゴシゴシと身体を乱暴に洗う。ついでなので頭も身体も一緒に洗うとシャワーで泡を流し落とすと。六車を待たせている事もあるし、とそのまま風呂場を出た。
風呂場の前に積んであるタオルで身体を乱暴に拭いて水滴を拭うとそのままタオルを腰に幕と着替えがないことに気がついてそのままの状態で部屋を出た。
部屋に戻ると俺の姿に動揺したように六車がきゃっと小さく悲鳴を上げるとそのまま百八十度反転、後ろを向いてしまった。
「もーなんでそんな格好で出てくるのよ」
と消え入りそうな小さな声というより独り言のように呟いて、後ろ姿からでもわかるように俯いてしまった。
こうして後ろ姿を見て気がついたか、綺麗な髪だ。外では雪化粧と比較されて黒髪は綺麗に見えていたが、室内でもその黒髪は色褪せる事なく優美だった。
そんな風景を後ろから眺めると軽く聞こえないように注意しながら溜息を吐くと近場から手当たり次第に箱の中身を漁る。
本に食器類に家電に小物。玄関側に積み上げられたダンボールの壁の中には一切衣服類は、見当たらない。
「おかしーなどこに仕舞ったのだろうか」
「まだなんですかー」
と恥ずかしそうに非難するようにそう声をかけられたのでそちらを見やると六車の背中ごし、窓際のすぐ下の置かれたダンボールの中に衣服がはみ出ているのが見えた。
俺は、六車のすぐ後ろまで近づくと手を伸ばして服を引っ張り出そうとした。
それが間違いだったのだろう。六車は、くるっと、振り返ると俺の姿に目を剥くと俺を軽く突き飛ばす、前方手が届くか届かないかぐらいの距離のダンボールに手を伸ばしていた俺は、身体を支えることができずそのまま後ろに倒れ込んだ。
結果、足を開いたエム字開脚の格好になった、都合六車の正面だ。そして、俺の現在の格好は、バスタオル一枚でその下は、何も履いていない、というか履くべきものを今探していたのだから。
六車は、先ほどの透き通るような声が嘘のように声にならない声で叫び喚くとダンボールの中から衣服を手当たり次第にこちらに投げ込んでくる。
そしてトドメと言わんばかりにダンボールを持ち上げるとこちらに狙いを定める。
「ちょっとまて、やめっっっ」
「…………」
無言、無視というよりも完全にキレている。
そのまま六車はダンボールを俺に向けて遠投ならぬ近投。
ダンボールは、一番尖った殺傷能力のある部分から俺の顔面に直撃、俺は撃沈。六車は号泣。
ひとしきり泣き終えると六車は、背中に怒髪天のオーラを纏わせると壁の方へ向いてしまう。
六車が放り投げた衣服類を適当に拾い上げると、適当に着衣。
「六車怒ってる? ごめん」
謝罪をしても聞こえていないかというように無言。しかし聞こえている証拠に耳だけがピクリと動く。
わざと聞こえるように明るい声を意識して話しかけても完全に無視。
俺と六車との戦いが始まった。
勝敗は、簡単に着いた。五分も経たないうちに俺の方が心が折れた。
俺は、六車の機嫌が直るまで無言に付き合うことにした。
ひとしきりに無言でいたことで足が痺れたのか足をモジモジとする。
六車は、小さくはぁっと吐息を漏らすと、ゆっくりと立ちあがる。
俺の方へ一歩足を向けるとぐらっと身体が傾いた。
慌てて立ち上がると俺は、六車の両肩を持って支える。
「大丈夫か」
「……ありがとう」
顔が真っ赤だった、まだ怒っているのだろうか。
するともう一度俺の顔を見ると、俯くと。
「あの……」
なんだろうか。
「お……お手洗い借りてもいい」
どうやら足がしびれていたわけじゃなかったらしい、いやそれも原因の一つかもしれないがそれ以上にトイレに行きたかったらしい、どんだけ怒り心頭していても生理現象には勝てなかったらしい。結果オーライでいいのかな。
困った顔でこちらを見ている六車で苦笑しつつトイレの方を指し示す一向にそちらに行こうともせずその場でモジモジとしている。
するとやや前かがみになると
「耳塞いでいてね、絶対だよというとぱたぱたとトイレの方へ駆けていった」
そんな事気にしなくてもいいのに。
これ以上怒らせるのも嫌なので俺は、耳を塞ぐと外を見る。
さっき外へ出た時に振っていた雪は、いつの間にか本降りに変わっていた、そしてその奥には、真っ赤な太陽が今日の役目は終わりと言うふうに沈む準備をしていた。
すると後ろから水洗の音が聞こえてきた。
出てきた六車は、はっとした表情になり、居住まいを正すと、パタパタと俺の前までやってくると。左手でお腹に手を当てると
「あのっ!」
と突然大きな声を上げる。
「すいませんでした!」
と再び大声で謝罪をすると深々とお辞儀をするとそのまま姿勢を元に戻そうともせずに床を睨んでいた。
そういえば、会った時もそうだったな相手の反応をずっと待っていたな。とコンビニの前で自己紹介をした時の事を思い出し、急ぎ反応を示す。
「別に、悪いのは、多分俺だったわけだから、ほら因果応報ってやつだと……思う」
六車は、その言葉を聞くとやっと姿勢を糺すとにっこりと笑顔を見せると。
「ありがとうございます」
と今度は謝辞を述べた。なんていうか礼儀正しい娘だ。それでいて天然だとも思った。
俺も破顔する。と目の前の六車の表情は、また固く強ばっていたというよりも神妙の面持ちでこちらを見据えていた。
すると悪事がバレた子供のような上目遣いの表情で
「お話があります」
そういうとその場に正座するとスッと背筋を伸ばす。
俺はというと正座なんて長時間持たないと思いいつもどおりに乱雑に胡座をかく。
そんな俺の心境を知ってか知らずかクスリと一つ微笑みを漏らす。
すると一転して表情を元に戻して
「と言っても私が言いたいことは、一つだけです」
目を瞑ると深々と深呼吸をするとゆっくりと目開き
「会って欲しい人がいます」
そういうと半目で床を眺めるようにしたまま動かない。
こういう時は、流石の俺でも分かる、こう行動を一貫してくれていれば理解できる。
――彼女は、答えを待っている。
俺は、六車の言った言葉の意味を反芻する。
まず何と言ったか、確か話があると言った。それから何だ。そうだ会って欲しいと言ったんだ……あれ?
それだけか……。
再び反芻を試みるが何度反芻しようとも内容は、変わらない。
聞き逃した訳では、なさそうだ。
俺は、鼻から息を吐き出す。
沈思しようにも何も考える事がない。というよりも情報不足だ。
一体誰と会って欲しいのか。どうして会って欲しいのか。といったそういう肝心の目的語の部分がない。ただ一言会って欲しいと言われても肯定も否定もできない。
考えるふりをして窓の外を見る。
先程まで灼熱色をしていた太陽は、その姿を隠してしまっていた。
――日は落ちた。
聞こえないように「ふう」と息を漏らす。
六車には、悪いがどうすれば行かないで済むか、なんとか追い返せるかという前向きとは程遠い事を考えていた。
そして、単刀直入に切り出すことにした。
「悪いけど」
本当は、悪いとは思っていない。ただ面倒だと思っただけだ。外は氷点下を下回る程に寒く太陽も沈みこれからは更に冷え込む。
「今日は、日も沈んだ、会って欲しいといのなら明日にでも――」
「ダメッ」
まただ、子供のような純粋な真っ直ぐとした瞳でこちらを射抜く。
「外を見てみろよ、すごい吹雪だぞ」
六車の視線を俺の脇をすり抜けて窓の外を見る。
「…………」
よし、諦めろと心の中で念じる。だがその思いは叶えられることはなく、表情を変えることなく淡々と――。
「そんなに降ってない」
嘘つけ!
思わず怒鳴りつけそうになる。
視線は、再び俺を射抜く。
「これくらいなら大丈夫、私、寒くない」
「はぁ~~~」
と隠しようのない溜息を吐き出すと俺は、自らの意思とは裏腹に薄手のコートを掴むことになる。
行動は、殆ど諦観し外出の準備をしていたが頭の中では、まだ行かないで済む方法を模索していた。
そんな俺の心の中を読んだのか六車は、とどめの必殺の一撃をお見舞いする。
準備中の俺の動きを止めるために手を取ると。祈るようにして胸の前にもってくる。
そして……。
「お願い――」
日本美人、黒く艶のある髪に、優しく優美な顔立ち。生まれの良さは柔らかい所作から見て取ることが出来た所謂大和撫子、文学少女そんなイメージが風貌な少女、そんな少女にお願いをされてしまえば、男子ならば誰であろうともどんな願いでもブラジルまでコーヒーを買ってこいと言われても行くだろう。
それは、流石に断るだろうけど。
「はぁ~~~」
本日何度目かになる溜息を吐くと頭の中のスイッチを完全に切り替える。
「わかったよ……」
敢えて邪険にするような雰囲気を出してそう告げると。
悪意を知らなそうなそのお嬢さん――六車は、満面の笑みで握った手を強く握り
「ありがとう」
これまた何度目かわからない謝辞を述べた。
突き刺さるような寒さに耐えながら向かった先は、古ぼけ西洋風の建造物だった。
道中で聞いた事だが、元々は公立の小学校だったらしく錆び付いた外れかけの標識を視認することが出来た。そこには、「比嘉小学校」と掲げられていた。
でもいかに廃校になった小学校といえど不法侵入は、まずいのではなかろうか。
廃校になれば取り壊しは行われる建設会社の人間がやってくるのではないのか。政府は、仕事はしないと言われているが、国金となる事となると仕事が早い、要するに払うのは嫌だが貰うのはどんだけ遅延しようとも貰い受けるというそういう事だ。
その懸念を払拭するように六車は、高い金属の門の横の小さな人間用の扉に手を掛けると軽く押す――と驚いたことに扉が開くことは、なく金属製の門は、ゆっくりと前に倒れ耳を聾する轟音と共に砂煙を巻き上げる。
「さ行きましょう」
いやいやいやいや、こりゃ明らかに器物破損だから。
俺は、門には指一本触れてないけどやっぱ共犯者になるんだろうか。
「南谷さん、置いていきますよ」
いつの間にか校舎の入口まで進んでいた六車にそう声をかけられる。
その声に反応したように校舎の二階の廊下側の窓の隙間から無数の除く人影が見えた。
後ろめたい現在の心境からか、あまり好意的な視線には感じなかった。
「はやくー行きますよー」
再びそう声をかけられて俺は、六車に手を挙げて応えると再び二階の窓を仰ぎ見るがそこにはもう人影は見当たらなかった。
校舎中に人影は、なかった。
だとすればさっきのは……?
校舎の中は、外からの見た目通りに西洋風の礼拝堂といった感じだった。
程なくして暗闇の奥から燭台を持った少女の顔が暗闇に浮かび上がった。
見えてはいけないものが見えた。
「ひっ」
と自分でもどこから出たか分からない声を上げて腰が抜けそうになった。
「ウフフフフフ」
という女性の声が響いていた、天井が高いのか声は十重二十重から響いて聞こえてきてどこから聞こえているのかその場所も距離もまるでつかめなかった。
鼓動の音が大きくなる、動悸が収まらない。存在のつかめない幻影に惑わされながら俺は、その場で立ち尽くしていると。
背中から声を掛けられたかと思うと、振り返ってもそこには誰の姿もなく、次に右から左から上から下から同時に声を掛けられたかのように第一声から遅れて幾重にも声が追いかけてくる。
「そこまでにしておけ」
淡々とした腹に力の篭った太い声が空から降ってきた。
それとほぼ同時にパチンという音。すると廊下の一番遠い場所で明かりが点灯すると時間差で明かりが一番遠い場所から迫り来るように順々に点灯していく。最後に自身の頭上にある電気が点灯すると自身に置かれている状況を理解した。玄関の正面は、螺旋階段、そして左右は長い廊下。そしてやや高い位置に二階の踊り場。そこから伸びる手すり付きの廊下。見える範囲だけでも入り組んだ建物だということは、理解できた。そしてなにより目を瞠ったのは、左手の廊下には、一人の少女が燭台を持って佇んでいた。二階の手すり付きの廊下には、ずらっと服装・性別・背丈・年齢に統一感のない人々がずらりと並びこちらを睥睨していた。
その状況に戦慄していると螺旋状の階段から代表とおぼしき十代と言えば若すぎ、二十過ぎといえば老けているといった美丈夫が六車と共に降りて来た。そこで気がついた、六車こうなる事を事前に理解した上でどさくさに紛れて身を隠していたのだ。
その事実を知って自身の沸点が下がるのに気がついた。その男がこちらを注視してる視線に向けて手を振るような仕草を見せるとその視線の主たちは、三々五々に散っていった。
「失礼をした」
その男は、歌うようにしてそう一言告げると、慇懃な態度で深く一礼をして見せる。
「リーゼ」
男は、六車を除けばただその場に残っているリーゼに嗜めるような視線を向けるとそう呼びかけた。
「あは、ごめんねお兄さん、中庭に陽花と一緒にやってくる見知らぬ人が来たのが見えてついついからかいたくなってさ」
そう言うといたずらっ子の表情で舌をペロリと出すと体をやや傾けた。六車とは、違う意味で天然そうな娘だと思った。
「リーゼ自己紹介」
相変わらずカタコトな言葉でそう六車が言うと。それで言いたいことを理解したように所帯を糺すと。
「私の名前は、リーゼ・レイン・フォルテと申します。アイスランド人と日本人とのハーフです。年齢は二十歳でスリーサイズはヒミツです」
と微妙にいらん情報を混ぜ込んだ自己紹介を終えるとベージュ色のロングスカートの裾を摘むとそこの男とも六車とも違うお淑やかに一礼。
暗がりでは、わからなかったが、金髪の髪に白皙の肌、ある一点、日本人らしい黒い瞳。
お世辞なしでとても綺麗な女性だった、訓練や付け焼刃とは違い完璧な身にしみこんだ所作、この娘は本物のお嬢様なのだろうなと思った。
三人の視線が俺を射抜いている事に気がついた。リーゼに関しては、身を揺らして待ち遠しいといった感じで俺の発言を待っていた。そのせいで別の部分も揺れていたけれどそれは、凝視する訳にもいかないので一番聞きたそうなリーゼに視線を合わせると。
――深呼吸。
「俺の名前は、南谷冬弥」
相手が外人……いや、ハーフという事を考慮して六車にしたような文字の説明を省く。
「二十二歳で……だ」
リーゼがしたような蛇足な説明を入れようと悩んだ結果思いつかなかったのでそのまま切った。一仕事終えたように、安堵の吐息を漏らしていると、リーゼが近づいて来て。
「よろしくね」
そう言うと手招きのジェスチャーをする。屈んでと言いたいらしい。リーゼの身長を合わせると。リーゼは、キスをするように頬と頬を合わせてくる。
「うぉっ……」
俺は、自分でも驚くような素っ頓狂な声を上げると二三歩後ずさる。
リーゼは、もうっと頬を膨らませてご立腹。
「ただの挨拶よ挨拶、あなたも」
と瞳を閉じて頬を向けて指でツンツンと自身の頬を指し示す。
「お、おう」
戸惑いながら先ほどリーゼがしたように頬と頬を合わせる。自分でも頬が紅潮しているのがわかった。
「ふふっ可愛い」
年下の女の子にそんな風に言われて紅潮のレベルがワンランク上がった。
「ふふっまた赤くなった、でもヒゲはもう少し剃ったほうがいいと思いますよ、チクチクします。」
優しげな口調で苦言を呈す。
「ごめんっ」
「いいですよ」
すぐに許された。
「お二人さんよ、それぐらいでいいかい」
男が突然話に割って入ってくる。
「リーゼ、三階の――」
と最後まで言わずに男は踵を返し階段を上っていく。
「あとで」
と最早定番となりつつある言葉足らずの発言をすると六車も踵を返し階段を上っていく。
「んっ~~~っと」
リーゼは、胸を張って大きく背伸びをする、そうやると身体の出る部分が強調されて目のやり場に困ってしまう。
「さてさて、これでいつもどおりに話せる~っと」
ついでとばかりに首を左右に傾けると骨を鳴らす。
「どうしたのお兄さん?」
「冬弥でいいよ」
リーゼの変化に戸惑いつつもそう絞り出すと。
「わかったトーヤね」
するととリーゼは、意味もなく「トーヤ」、「トーヤ」確認するように繰り返す。
「よしっ」
「よーわからんが、いいのか」
「うん名前覚えた」
闊達な笑顔を見せる。ドキリとした。
取り繕うようにして質問を投げかける。
「で、どこに行けばいんだ」
「…………」
彼女から笑顔が消えた、怒っているようでもなく冷め切った絶対零度というわけでもなく完全に温度のない無表情になる。
「あっちへ行きましょう~」
とロングスカートをなびかせながら二階に上るとくるりと回って見せる。
俺もつられて登る、というか目的地を知っているはリーゼなので俺にはどうすることも出来ないので付いていくしかない。
「ここは?」
一階とは、違った空気がそこには漂っていた。香水のような頭痛を催しそうな甘い香りがどこかしらからしていた。
「ふふふふ」
リーゼは、含み笑いをする。
「ここは、花園」
「は?」
意味のわからない答えに間の抜けた声を漏らす。
「ここはね、というか二階は全部男子禁制で女子しか入ってはいけないの」
女子の部屋・更衣室が集中しているから男子がいたらそれだけで殺されるよ。と付け加える。
俺は、思わず引き返そうとするがそれを制するように
「だめだよ」
リーゼは、俺の腕に絡みつく、程よい大きさの柔らかいモノが当たる。視線を逸らす。
「……?」
「大丈夫、今は皆上の階だからね」
前を向いていた視線を上目づかいにして続ける
「逆に言えばね今日だけの特権なの」
そう言って長い廊下を歩き続けると突き当りに差し掛かる、そこには観音開きの大きな扉が凛然と存在感を放っていた。
「ここだよ」
と言うと組みっぱなしだった腕から離れると。
扉の前まで歩み寄ると力いっぱいに扉を解き放つ。
「ここが私と陽花のCastleだよ」
英語の部分が妙に流暢な発音でそれがキャッスルだと理解するのに数秒かかった。
中に入ると、惨憺たる惨状が広がっていた。
室内は図書室だった、扉のすぐ横のフロントとおぼしきカウンターテーブルの上には薄手の毛布がクシャクシャになって乗せられていて、その前の長テーブルの一つには、本の墓というのが正しい表現だと思う、裏も表も縦も横もなく雑然と重なっている。
そうまるで山のようだった、そしてもう一つのテーブルには、洗濯後なのかどうかもわからない衣服類が団子状に重ねられていた。
リーゼは、その洗濯物の墓場に近寄ると上着のカーディガンを脱ぐと墓場の一員に加えた、どうやらそれは、洗濯前の脱ぎ散らかした衣服だったらしい。
「あっ」
思い出したよな声を漏らすと
「そっちの本は、触ったらダメだよ、それ陽花のだから陽花怒ると怖いんだよ」
「知ってる……」
と呟いた。
「何々、もう陽花怒らせたの」
と興味深々に身を乗り出す。
「いや……」
口ごもる、当然だ。入浴後にバスタオル一枚で現れて、不慮の事故とはいえ下半身を見せてしまったなんてことどの口が言えるのか。
「ふーん、まあいいや」
すぐに興味を失せたリーゼは、長机に広がった衣服をぐいっと押してスペースを作るとそこに座る。
で、いつになったら目的の場所に連れて行ってくれるのだろうか……。
「ねえ、無気力症候群って知ってる?」
「ああ? そりゃな、受験勉強に燃え尽きた学生が入学してから突然学校に行かなくなるっていうあれだろ」
厳密には、少し違う、選んだ学校が自分の理想と現実との間に齟齬があり、目的を見失って不登校になるっていうやつだ、入学が四月で不登校になるのが五月それで五月病とも言われている。
「うん……」
寂しそうに長いまつげを伏せる。
「ここにいる人たちって皆、身内がそれになってるの」
要領を得なかった、そんな奴らがひとかたまりになっているという事実が。
身内が不登校になってたりするやつは、少なくないが、原因は色々だろう。
リーゼは、身体を倒して完全にテーブルの上に寝転がる姿勢になる。
ロングスカートじゃなければ中身が見えてしまいそうな体勢だった。
そんな姿勢だから表情は、わからない、近寄って覗き込むような悪趣味はない。
「聞かないんだね……私の身内の事も」
リーゼよ初対面でそれを聞く奴はどうかと思うぞ。
それに初対面じゃなくても人の裡を覗き込むようなこと俺はしたいとは思わない。
――それに
それに、リーゼは、俺を二階に連れてきたとき何といったか。
花園と言った、それはいい、
――二階は全部男子禁制で女子しか入ってはいけないの
そのあとだなんといったか、確かそうだ
――女子の部屋・更衣室が集中しているから男子がいたらそれだけで殺されるよ。
そうリーゼは、確かにそう言ったのだ、つまりリーゼだけじゃなくここにいる人たちは皆この礼拝堂のような建造物で衣食住をこなしているということは、容易に想像ができた。
どうして、何故、こんなところで数十人の人間たちが共同生活などをしているのかそんなこと聞けるわけがない。
――聞いたところで俺には、どうすることも出来ないのだから。
カチカチと静かな図書室に鎮座する大きは柱時計が時を刻む。
「昔ね、あるお金持ちの女の子がいたの」
「その女の子には、ボディガードが四六時中身辺警護をしていた、朝起きて一番最初に出会うのはボディーガードの青年で、学校から帰ってきても最初に会うのは、その青年で、家の中でもわからない勉強を教えてくれるのはボディーガードの青年だった」
突然前ぶりもなくリーゼは語る、天井を見つめたまま、滔々と。
「そのくせに、家の人間が帰ってくるのは、数日おきで、数ヶ月家を空ける事だってあった」
「女の子も高校生になって、もうそんなのも慣れてしまっていて文句の一つも言わない、それが無意味な行動だと理解してしまっていた」
息継ぎをするように微かに息を漏らす。
「だから彼女は、親の代わりにボディーガードの青年にうんと甘えた。親との溝を心の隙間を彼で埋めるように」
「そんな毎日が続き、ボディーガードの本分は、雇い主とその家族を守る事」
一度言葉を切る
「にも関わらずボディーガードである彼もが彼女に心をほだされてしまっていた」
「そしてそれが仇となる」
「それから一週間後彼女は、この世からいなくなった」
「どうして?」
俺は、思わずその原因を問いただしていた。
身を乗り出して、寝そべったリーゼを、上から見下ろしながら。
そんな時、七度の重低音が腹に響く。
どうやら柱時計の針が丁度七時を報せているようだ。
するとリーゼは、無表情から回帰するとにこりと再び闊達な笑顔を向けると手を伸ばしてきた、俺はその手を掴むと寝転んでいるリーゼを起こしてやる。
「いこっか……あんまり遅いとリーダーに怒られちゃう」
「まったくだよ……」
気がつけば図書室の入口には、身体の線の細い黒く長い髪が魅力的の少女が茫洋した表情で立っていた。六車陽花がいつの間にかそこにいた。
「どれだけ待っても来ないからどうせここだと思った」
独白のように案の定ねと付け加えると。視線だけを横に流すと髪を揺らしながら踵を返した。
リーゼを呼びに来たんじゃなかったのか。
「ほらねっ怒るとおっかないんだよ」
っといつの間にか横に立っていたリーゼが俺にだけ聞こえる小声で呟くと、どこの酔っぱらいだよという感じに頭の上に両手の人差し指を覗かせ、ボディーランゲージを披露して、俺の手を取ると引きずるようにして図書室を退室。
テーブルの上に寝転んでいたことで髪がやや乱れているのが気になるように手を繋いでいる方じゃない手でしきりに髪を手櫛で整えていた。それでも人の背中には目は付いていない、後ろから見るリーゼの髪は、まだところどころが乱れていた。
俺が繋いだ手を離すとリーゼが驚いたように振り返る。両手を肩を掴んで前を向かせると髪を手櫛で整えてやる、といっても何ができるわけでもない髪のほつれている部分をほどいてやるぐらいしかできない、歩きながら見れる程度に整える。髪から手を抜くとやはり外人といった感じにキラキラと煌くような金髪が指の間に絡まっていた。
「人の抜けた髪の毛をまじまじと見つめてもしかしてトーヤは、変態?」
ジト目で睨んでいる。
「ちゃう、俺は変態じゃないぞというか別にそんな気で見てたわけじゃない」
「ふふっ冗談よ、ありがとね」
そうからかうように言うと髪をわざとらしく揺らすと髪を内側に巻き込むようにまとめてしまう、確かツイストとかいうまとめ髪だ。外人的なリーゼは妙に似合っていた、というか似合い過ぎていた、不思議な事に髪型が変わっただけでリーゼは、とても大人っぽくなり二・三歳は上がったような気がした。
髪をまと止め終えるとリーゼは、手を後ろ手に差し出す、俺はそれに応えて手を絡めると並行に歩き出す。そういえば自然な感じで手を繋いでしまっていたけれど俺たちは、今日初対面だったのだよな。
リーゼには、不思議な魅力を感じていた、外人らしく年相応の日本人よりも大人っぽく上品で気品があるそれでいて鉄の女や絶対不可侵的な雰囲気はなくて柔らかく優しいようなそんな雰囲気だ、それでいて内面的なことを言えば、かなり子供っぽい、悪く言えば馴れ馴れしくて気がつけば懐を許しているそんな感じだ。
敢えて、図書室で見た憂鬱そうな表情は、頭の中から隅へ追い出す。
人の過去なんて知って良いことなんてない。リーゼだって多分、俺が初対面だから、明日になれば何処にいるかもわからないような人畜無害だから話したのだろうから。
そんな事を考えていると手を引くリーゼに釣れられるがままに三階の部屋の前にたどり着いた。
三階のまたも観音開きの一際存在感を放つ扉。ここが元学校だと言うのを信じるならば、生徒会室とか理事長室といった感じの豪奢なレリーフをあしらわれた荘厳な雰囲気の扉だった。
こちらが心の準備をする前にリーゼは、勢いよくその重そうな扉を開け放つ。
中は、生徒会室とか社長室とかそういった感じを想像する造りなのだが、置いてある物の一つに違和感があった。
確かに書物をするような大きな机や机上にはノートパソコンや、散らばった紙媒体の資料などがあった、壁際に隙間なく本棚が並べられてその本棚にも隙間なく分厚い本やファイルが陳列されていた。
違和感があったのはその中央ガラスでできた透明なグランドピアノが鎮座していた、その透明なグランドピアノの中には、蒼く透き通った液体が流れていた。その部分だけ妙に幻想的で場違いな印象を受けた。
俺たちが入ってきたことに気がつかないのか無視しているのか、ノートパソコンに齧り付くようにして向き合っている。助けを求めるようにして六車の方を見る、ザ・無表情。ついでリーゼの方を見えると、片すをすくめる。
リーゼは、つかつかとグランドピアノに近寄るとそれを開く。
考えるよに親指の爪をカリカリと齧ると、歯車が合ったのか鍵盤に指を置く、流石に鍵盤は透明ではなく俺のよく知っている黒と白の鍵盤が精緻に並んでいた。
奏でられる旋律は、交響的練習曲。ドイツ生まれの作曲家ロベルト・シューマンが作曲した荘厳でどこか哀しみを湛える曲目だった、交響的独奏曲は、ロベルト・シューマンの遺作だ。確かこの音楽は、初版は「十二の交響的練習曲」という名で発表され改訂を繰り返すたびに「変奏曲形式による練習曲」になり彼の死後は、確かブラームスが編纂した「五つの遺作変奏曲」なんてものもあった筈だ。どれもテレビで見た請け売りだけども。
演奏が始まってから気がついたことだけどリーゼが鍵盤を叩くたびに透明なピアノの中に貯まった蒼い水溶液は、振動に共鳴するように波紋を作り波打っていた。
驚いたことにリーゼの奏でる旋律は、素人が聞いてもかなり上手いということが判った。撫でるような指使いと叩きつけるような指使いを巧みに使い分けている、一つの章が終わり次の章へ行こうとしたところで邪魔が入った。
「待たせたな、そろそろ話に移って模様かな?」
立ち上がると男は、女性的な切れ目を俺に向けている。もう暫らくはリーゼの奏でるピアノの旋律を聴いていたい衝動に駆られたが俺はそれを無視する。
「ああ、リーゼありがとう、いい時間だったよ」
「ええ、私も弾いたのは久しぶりだから少し不安だったのだけれど」
と言ってることは満更でもないといった感じだが、その表情を見るとやや頬を頬を膨らましたような不服そうな表情。
旋律が止まったのか合図になったように六車も部屋の隅で大きなハードカバーの本を閉じると無言で近寄ってくる。
幽霊のようにすーっと俺の横までやってくると
「六十点です、リーゼさんを褒めるのを忘れていますよ」
と意味深な事を言うと秘書よろしく男の横で直立不動、六車の言った意味が理解できず視線を合わせてみるが六車はというと全くの無表情。
何も汲み取れないと諦観して俺は、男の方に表情を向けた。
男はそれに軽く手を上げて応えると書斎の机の前まで歩き出すと
「君は、無気力症候群もしくは、五月病という言葉を聞いた事はあるか?」
リーゼと同じようなことを言うな。いや、リーゼが確か言っていたな、ここに居るのは皆、無気力症候群によって家族が被害を受けた人たちだと。
「私たちは、それを操り人形症候群とそう呼んでいる」
「操り人形?」
なぜ操り人形なんだ? 漠然とそんな疑問が脳裏に浮かぶ。
「ああ、そうだ、君の知ってる無気力症候群ってどんなものなんだ?」
瞳を覗き込むようにして男は、詰問をする。俺は、一般論的に誰もが知ってるような当たり障りのない内容を語る。
「受験戦争に身を投じたような学生が、希望の高校に入学すると忘失したように目標を失くし最終的に引きこもりやニートになってしまう、或いは、入った学校が自分が思っていた理想と現実に齟齬がありそこからは、同じように目標を失ってしまう、といった感じかな」
それを聞き終えると納得いったように胸の前で腕を組むと
「それは、あくまでも一般論で間違いでもないが正解でもない、強いて言えば及第点と言ったところかな」
だったら最初から聞くなよ。
不服に顔を歪める俺。
それを素知らぬ顔で受け止める男。
そういえばこいつの名前って何って言うのだろうか、どさくさで聞くのを忘れていた。
男は、話を続ける。
「その話には、続きがあるのだよ、無気力になり、何もしなくなる……それで? それでどうなるんだい?」
引っ張るように胡乱な笑みを浮かべる。
「無気力になれば、元に戻る、だが元に戻ったあとが問題なんだよ、彼らは、リビドーのような衝動だけを活力源にしたようにして日々を生きる」
「……?」
いい事なんじゃないのか、失くしていた目標を見つけたんだから。
「なにか問題なのか?」
思わずそう問うた。心外そうに溜息を吐かれた。
その答えは、リーゼが引き継ぐ、
「考えても見てよトーヤ、衝動だけが活力源なのよ皆脳みその入っていない脳足りん、脳筋、ひきこもりのニートみたいなのばかりなのよ」
最後のやつは、頭が痛かった、俺も引きこもりのニートだから……。
「法律とか秩序とかの意味がなくなっちゃう、衝動の赴くままに女の人を襲ったり、人を殺したり、この街は、無秩序な地獄絵図になっちゃう」
「今は、この街だけだけど、いずれどこの街に蔓延するかも判らない日本全土に広がれば本当に日本は終わるよ」
最後のは、リーダーらしき男が付け足した。
「リーダー」
ぼそりと六車が呟いた。六車の十八番となった、主語のない断片的な言葉の欠片、初対面な俺にだけそういう言葉なのではなくて誰にでもそうだったらしい。
「ああ、わかっている」
それだけで言葉の内包する意味を理解したらしく、リーダーと呼ばれたその男は、六車に対し深く頷くと俺の方を再び見るというよりも半ば睨んでいる。だけどやっと本題のここに連れてこられた意味がわかるらしい。
やっと解放される。
男は、長い髪をかきあげると、頭を振るナルシストのような仕草をする。
「南谷冬弥、君を私たちの自警団“曼珠沙華”に招待したい」
その言葉が脳に浸透するまでに数秒の時間を要した気がした。
「は?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
「どういう意味だ、ていうかここ事自警団の集まりだったのか」
「そうよ、私とそこのリーダーと陽花の三人で結成したの、今ではこんなに大規模よ!」
心底楽しそうに程よい大きさの胸を張って彼女はそう高らかに宣言した。
正直なところ突然初対面の女の子にここまで半ば強引に連れてこられて、リーゼには、誰のとは言わなかったが、哀しい過去を話されて、そしてリーダーと呼ばれたこの男には、自警団に入れと勧誘されて、俺の脳みそはキャパシティを超過して着いてこれないでいた。むしろ自警団なんて言われても一体何から何を守るのか、俺は着いてこない脳みそを叱咤してどうやれば断れるのかを必死に考えていた。そして絞り出す。
「こんな素人に一体何から何を守れというんだよ」
考える間の時間稼ぎのつもりの質問だった。だが俺の意に反し
「さっき話したろう五月病――操り人形症候群から勿論市民を民衆をだよ」
リーダーは、即答してきた。結果おれは、断る算段ではなく質問内容を考えなければならない方向に持って行かれた。
「どうして俺なんだよそもそも警察に任していればいいだろう?」
解答などどうでもよかった、時間が伸びるならそれで。またしてもリーダーは、矢継ぎ早に解答をよこす。
「リーゼ、あの話はしたのか?」
男の詰問にリーゼは、何も答えない、代わりに睫毛を伏せて僅かに頷くことで答えを返した。
「ならばそれが答えだよ南谷冬弥、ここに居るものたちの身内がそうなった事実、一件や二件ならば警察を謗り疑うのは間違いかもしれないがここの居るのは、私たちを含めて百人程の反政府の因子だよ」
最後の質問は、殆ど絞り出すように言った。
「俺がもしその反政府の因子がないとすれば? 警察に何の疑いも恨みも疑念がなかったとすれば、それでもお前たちは、俺を誘うつもりなのか?」
リーゼから聞いた話を思い返して、胸に穴が空いたような罪悪感に苛まれた。
「どうして!どうしてよ!トーヤは、トーヤだって思い当たる節があるはずだよ!」
リーゼは、噛み付くようにそう叫んだ、最後の方はほとんど絶叫でリーゼの透き通るような美声は、微塵も感じられない。
俺は、無言のままリーゼの脇をすり抜ける。
心の中で呟く
ごめん……。
俺は、逃げるようにその場を去った、いや、実際にその場から遁走した