騎兵戦線「三騎兵」
飢えていた。
畑は枯れ果て、木々に実りもない。すでに数年、不作が続いていた。だが、課せられる税は緩まず、むしろ増していくばかりだった。
民は困窮を極めた。
自然の流れとして、彼らは手に鍬や棒を持った。圧政に対する抵抗である。
鎮圧にあたらされたのは、徴兵された男たちだった。
愚行である。
兵士たちが、国のために、親や友人と戦うわけがなかった。
瞬く間に、民だけだった勢力が、農民出身の兵と合流した。蜂起は大きなうねりとなり、国土を乱し始めた。
軍部の愚かさを指摘する者はいない。
指摘する才を持った人材は、すでに見切りをつけ、隠棲するか他国へ旅に出ていた。
国を国として保つ壁が崩壊した。
「突撃!」
将校の叫びに、矛や槍を構えた軍兵たちが歩みを早めた。整然とした隊列は、横一列の横陣だ。一人も逃す気はない。
ぶつかった。
怒号と悲鳴が混じり、いくつもの命が失われた。ほとんどが農民である。徴兵によって軍隊の訓練を受けた民兵も混じっていた。だが、戦うことを職業としている軍兵の力はさらに上だった。槍のひと突きで、数人が突き崩された。
「追い立てろ!」
将校の指示で兵たちは、同国人を殺戮して回った。あとに残ったのは、やせ細った死体だった。圧勝である。
撤収の鉦の音で、軍兵たちは後退した。死の臭いが立ちこめる戦場から離れる。臭いの漂ってこない位置まで下がり、幕舎を建てた。
誰もが無言だった。
気づいているのだ。自分たちの行っている戦いの無意味さを。戦の勝利に価値のないことを。
だが、やめられない。戦う以外に、生き方を知らないのである。
騎影が三つあった。
まもなく陽が落ちようとする頃合いである。
「ここもか」
死戦場に蹄の音が響く。ろくな武器も持たない男たちが、無惨な骸を晒していた。痩けた頬、細い身体が、飢えによるものだと物語っていた。
「狂っている」
別の影が怒りを吐き捨てた。
「同国人を手にかけて、何とも思わないのでしょうか」
落ち着いた声が呟いた。
「思わぬ。感じぬ。考えぬ。病んでいるのだ」
先頭の騎兵が、戦いの愚かさをなじった。
「往く」
言葉少なに指示し、駆けた。二つの騎影も間を置かず続いた。
「敵襲?」
見張りの報告に、将校は怪訝な顔をした。昼間の戦いで、農民兵の脆弱さが明らかになった。夜襲をかけようという気配は欠けらもなかった。
「ありえないだろう」
否定した途端、幕舎の外で騒ぎがあがった。剣戟の音も聞こえ始めた。
「馬鹿な」
あわてて外に出たとき、馬が目の前を通り過ぎた。喉が熱い。手で押さえると、生暖かく濡れていた。
闇の中を駆ける騎兵。
将校の見た最後の光景だった。
歩兵は無視した。数は少ないが、馬に乗ろうとする兵だけを狙って倒した。騎兵が少ないのは、軍自体の飢えも深刻と推測できた。騎兵にとって、友である馬を食す行為は許し難かった。
「東へ向かいます」
一騎が幕舎を縫って駆けた。遮ろうとする軍兵を一太刀で斬り伏せた。
「俺は南に行くぜ」
大柄な男が戟を振り回して幕舎を破壊した。
「潰す」
散開した仲間に言うでもなく、残った騎影は奥まった天幕を目指した。
反り身のある剣を振るい、立ち塞がる兵を斬り飛ばしていった。だんだんと、兵が多くなってきた。軍を預かる人間が、先にいることを意味している。
愛馬に股で合図を送った。それに呼応し、馬が地を蹴った。急激な加速が戦士を振り落とすかと思えたが、騎上の姿は揺るぎもしない。
「止めろ!」
「お守りするんだ!」
騎兵の狙いがわかったのか、軍兵たちが即席の防御陣を組み立てた。だが、指揮する者のいない陣は弱い。騎兵の剣が首をふたつ飛ばすと、あっけなく崩れ去った。あとは駆けるだけである。天幕の前まで、大きな抵抗はなかった。
甲冑を着た壮年の男が叫んでいた。騎兵に気づき、驚愕の顔を見せた。
「一軍の将とお見受けする。無益な戦いはやめ、民と和解する道を模索する気はあるか」
剣を下げ、冷たく言い放った。
「貴様、何者だ。この狼藉、生きて帰れると思っているのか、女」
甲から垂れる長い髪と、細い顔立ちは女を形作っていた。剣を握った女騎兵は冷淡な視線を投げる。
「聞く耳は持たぬか」
会話が成立するとは思っていなかったが、案の定だった。最後通牒をせずに、問答無用で潰すのは気が引けたが、どちらにしろ同じことだったようだ。
「殺せ!」
何本もの槍が伸び、矛が振るわれた。
女騎兵は騎馬の動きだけで避けた。人馬が矛槍の合間を縫う。剣の先が伸び、兵士たちの喉を正確に切り裂いていった。
愛馬を狙った槍の穂先を斬り飛ばし、半歩踏み込んで兵の額を割った。倒れた男の後頭部を蹄が押し潰す。
「おのれ」
逃げようとした将軍の前に、蹄の音が回り込んだ。あわてて抜いた将軍の剣は震えていた。あまり得意ではないようだ。
「終幕だ」
横薙ぎの一閃が、大将の首を彼方に吹き飛ばした。
「お前たちの将は死んだ。これ以上の犠牲を出したくなければ、刃向かうな。さもなくば――」
横合いから躍りかかってきた男の頭を、甲ごと半分に断ち切った。
「こうなる。私はまだ、飢えているのでな」
微笑んだ。
男たちは恐怖に凍りつき、次いで逃げはじめた。
「脆い」
逃げ去る兵士たちを見送りながら、女騎兵は剣の血糊を拭った。
「人間なんてものは、そんなもんだぜ」
戟を肩に担いだ騎馬が寄せてきた。
「崩れるときは、早いものです」
もう一騎が近づき、静かに感想を述べた。
「この国自体がなくなれば、無駄に死ぬ者もなくなる」
それには、軍の力を削ぐのが手早い。武力を喪失させれば、民を抑え込むことができなくなる。国の崩壊を早める近道である。
飢饉に喘ぐ国を解体し、無能な権力者から解放する。国としての器がなくなっても、そこに生きる民や土地は消えてなくなりはしない。
民を救済することで、かつての国をまるごと併呑するのである。
不利益のほうが大きそうだが、先々を考えて、国力の増加になると踏んだ。援助をして外交的な優位性を得るより、過激でえげつないやり方である。
彼らは、崩壊の速度を速めるために送り込まれた精兵であった。
「受け入れ準備は整っているのでしょうか」
「そんなことは上の奴らが考えるさ」
男たちの会話に口を出さず、女は馬首を巡らした。
二つの騎兵は音もなく従った。
翌日、飢えに苦しむ農民たちの集団に、隣国から食糧が運び込まれた。
それから日を置かずして、ひとつの国の名が消えた。