表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
回路の彼方、0秒の永遠  作者: 光闇居士-Twilight Master


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/6

終章:NEON CIRCUIT+ (Story'sオリジナル特典)

挿絵(By みてみん)

 ――あなたの時間は、今、どちらに進んでいるだろうか。

 あなたが今立っているその現実は、本当に「正規版」の人生だろうか――


【しおの】


 午前三時十四分。都内某所、雑居ビルの地下二階。

 あの日と全く同じ時刻、同じサーバールームの暗がりの中に、貴仁タカヒトは座っていた。

 巨大な空調ファンが、無機質な轟音を立てて冷たい人工の風を吐き出し続けている。並列する黒いサーバーラックのLEDランプが、暗闇の中で緑や赤の小さな瞬きを無数に繰り返していた。それはまるで、意思を持たない機械たちが交わす、冷たく乾いた星空のようだった。


 貴仁は、Dellの黒いモニターの前に静かに佇んでいた。

 姿勢は真っ直ぐに伸び、かつてのようにモニターへすがりつくような猫背ではない。その横顔には、納期に追われる二十八歳の末端システムエンジニアが持つべき「疲弊」や「焦燥」は微塵もなかった。

 代わりにそこにあるのは、途方もない年月を生き抜き、愛し、喪失し、そして全てを受け入れた老人のような、底知れぬ「静謐」だった。


 彼はゆっくりと息を吸い込み、冷たいオゾンの匂いを肺に満たした。

 この数週間、彼は狂気と正気の境界線を反復横跳びしながら、現実世界に散らばる「あちらの世界(三十年の幸福)」の断片フラグメントを拾い集め、己の脳内で再構築デフラグし続けてきた。

 プログラムの片隅に残された息子の名。ネオンの瞬きに隠された妻の子守唄。化学調味料の味の奥底に感じた光の果実の甘み。

 それらを一つ一つ、丁寧に拾い上げ、繋ぎ合わせる作業は、血を吐くような苦痛と、天にも昇るような歓喜の連続だった。


 そして今、彼の内面世界は、一つの絶対的な真理へと到達していた。


 貴仁は、スリープ状態の黒いモニターに映る自分の顔を見つめた。

 物理的な肉体は、隈の落ちた二十八歳の若者だ。だが、貴仁の「目」が捉えている自身の姿は違った。白髪が混じり、目尻に深い笑い皺が刻まれ、その奥に宇宙の深淵を湛えた、五十八歳の建築家アーキテクトの顔だ。


 ――人生の時間とは、一体何なのだろうか。


 貴仁は、虚空に向かって、あるいはこの物語を観測しているであろう「誰か」に向かって、静かに問いかけた。


 時計の針が刻んだ長さこそが、人生の価値なのか?

 地球が太陽の周りを何周したかという物理現象の回数が、人間の命の絶対的な尺度だと言うのか。

 だとしたら、あの〇・〇五秒の間に彼が体験した三十年は、無価値なバグなのだろうか。

 違う。断じて違う。

 時間が相対的なものであるならば、命の長さとは「脳が感じた密度の濃さ」で決まるはずだ。

 あの一瞬の間に、貴仁はレイラという魂の伴侶を見つけ、互いの欠落を埋め合った。アルトという光の結晶をこの世に生み出し、彼が空を舞う姿に涙を流した。一つ一つのレンガの重みを感じながら塔を建て、老いていく妻の皺を愛おしく撫でた。

 そのすべての瞬間に、彼の心臓は激しく脈打ち、魂は燃え上がるような歓喜と安らぎに包まれていたのだ。

 物理的な時間の長さなど、ただのインデックス(目次)に過ぎない。重要なのは、そのページにどれだけの情報(愛)が書き込まれているかだ。貴仁の〇・〇五秒は、この退屈な灰色の世界の一万年よりも、遥かに長く、重く、尊い。


 ――ならば、幸福の実存とは何なのだろうか。


 「現実世界」の戸籍謄本には、レイラの名前はない。アルトの出生証明書もない。彼が建てた光の塔を証明する物理的なデータは、この宇宙のどこにも存在しない。

 彼らは「事実」としては存在しない。

 だが、貴仁の脳神経のシナプスには、レイラの髪の匂いが、アルトの手のひらの温もりが、光の果実の甘さが、完全な電気信号クオリアとして焼き付いている。

 もし、「事実としては存在しないが、記憶として確かに存在する幸福」を『偽物』だと切り捨てるのなら。

 今、この灰色のオフィスで、誰とも心を通わせず、ただ呼吸をするだけの有機物としてキーボードを叩いているこの「事実」は、果たして『本物』と呼ぶに値するのか?

 記憶が偽物だと言うのなら、人間の心そのものが偽物だ。

 貴仁にとって、レイラとアルトを愛した記憶だけが、この宇宙における唯一の「真実」だった。


 ――僕は、発狂したのだろうか。


 精神科医に診せれば、重度の解離性同一性障害か、過労による統合失調症だと診断されるだろう。「ありもしない三十年の妄想に囚われた哀れな男」として、大量の薬を処方され、この素晴らしい記憶を「消去デバッグ」されるに違いない。

 だが、貴仁は微笑んだ。

 他人が彼を狂人だと謗ろうが、一向に構わない。

 愛を知らずに死んでいく正気よりも、永遠の愛を抱きしめたまま生きる狂気の方が、どれほど美しいか。

 彼らは知らないのだ。絶対的な孤独の中で削られていくだけの正気など、魂の緩やかな自殺に等しいということを。

 貴仁は発狂したのではない。彼は、この閉塞した三次元の牢獄から、愛という名のパスワードを使って、五次元の涅槃ニルヴァーナへと「悟りを開いた」のだ。


「……さて、仕事をするか」


 貴仁は静かに呟き、キーボードに手を伸ばした。

 彼がこれから行うのは、政府の極秘プロジェクト「イザナミ」システムの最終メンテナンスだ。あの日、彼を向こう側の世界へと誘った、あの深層領域へのアクセス。


 カタ、カタカタカタ……。

 エンターキーを叩く。

 黒いモニターに、緑色の文字列が滝のように流れ始める。

 認証コードを突破し、セキュリティの壁を抜け、システムの最深部――あの「ワーム」が巣食っていたであろう、今は何もないはずの空白のディレクトリへと潜っていく。


 息を呑む。

 心臓が、あの日のように早鐘を打ち始めた。

 画面は漆黒に染まっている。ただ、プロンプトのカーソルだけが、心電図のように冷たく点滅している。


 ――もう、二度と会えないのだろうか。


 貴仁の五十八歳の魂が、微かに震えた。

 システムはリカバリーされ、脅威は排除された。物理的なデータとしては、あの美しい世界は完全に消去されている。

 だが、彼は信じていた。

 自分がこの脳内に、あちらの世界の断片を再構築したように。

 あの世界もまた、自分という「観測者」の存在を、このシステムの奥底で記憶してくれているはずだと。


 その時だった。

 点滅するカーソルの奥。

 液晶画面の物理的なドットの、さらに向こう側の次元で。

 暗闇の底から、一筋の光が走った。


「……ッ!」


 それは、エレクトリック・ブルーの閃光。

 続いて、フューシャ・ピンクの脈動。

 交差する光の線が、コンマ一秒の間に複雑なグリッドを描き出し、幾何学的な「奥行き」を持った空間を形成した。


 ――NEON CIRCUIT(ネオンの回路)。


 間違いない。あの日のワームだ。

 いや、それはもはやエラーコードなどではなかった。それは、次元の壁を超えて貴仁を迎えに来た、レイラとアルトの意思そのものだった。

 光の回路は、画面の中だけで収まらなかった。

 貴仁の網膜を焼き、視神経を逆流し、彼の脳内へと直接展開される。


 サーバールームの灰色の壁が、半透明のワイヤーフレームへと変貌していく。

 無機質なファンの轟音が、遠くで響くレイラの子守唄と、虹の橋を渡るアルトの足音にフェードアウトしていく。

 蛍光灯の冷たい光が、黄金色の夕暮れへとオーバーラップする。


 それは、物理的なダイブ(侵入)ではなかった。

 現実世界と、五次元の記憶世界が、貴仁の脳内で完全に「統合マージ」された瞬間だった。

 世界が二重写しになる。

 彼は、冷たい椅子に座る二十八歳のSEでありながら、同時に光の庭園に立つ五十八歳の建築家となった。


 画面の奥底で瞬くネオンの回路を見つめながら、貴仁は微笑んだ。

 その顔は、長い長い旅を終え、ようやく愛する家族の待つ我が家へと帰り着いた、老人のような穏やかさに満ちていた。


「ただいま」


 タカヒトは誰もいないサーバールームで呟いた。

 その声は空調の音にかき消されたが、ネオンの回路を通じ、次元の彼方にいる彼女たちへ間違いなく届いた。


 現実は相変わらず冷たく、明日の朝には容赦のない納期が迫り、二十八歳の身体は重く軋むだろう。彼はこれからも、このバグだらけの荒野のような現実世界で、しがないSEとして生きていかなければならない。満員電車に揺られ、味気ない飯を食い、孤独に耐える日々が続く。


 だが、彼の手の中には確かな重みがあった。

 幻肢痛のように残る、レンガの肌触り。愛する者を抱きしめた時の、あの絶対的な温もり。

 〇秒の中に圧縮された、永遠とも呼べる三十年の愛。

 その記憶の質量が、彼を現実の重力から解き放っていた。


 もし、この胸に宿る熱い感情が妄想だと言うなら、愛も痛みも感じないこの灰色の現実こそが悪夢だ。

 偽物の世界で本物の愛を抱きしめるか、本物の世界で偽物の自分を生きるか。

 タカヒトの答えは、とうの昔に出ている。


 彼はゆっくりと両手を上げ、キーボードの上に降ろした。

 カタッ、ターン。

 力強いタイピングの音が、サーバールームに響き渡る。

 カタ、タターン。カタ、ターン。


 そのリズムは、あの日、彼が五次元の空に向かって、愛する家族のために光の橋を架けた時の、ハンマーの音と全く同じだった。

 彼はコードを書いているのではない。

 現実世界の裏側で、ネオンの回路を繋ぎ、二つの世界を結ぶ新しい橋を構築しているのだ。


 彼は生きている。

 誰も知らない回路の中で、二つの世界を重ね合わせながら。

 永遠の愛をその胸に抱き、静かに、そして狂おしいほど美しく、灰色の日常を打ち砕き続ける。


 ――あなたの時間は、今、どちらに進んでいるだろうか。

 あなたが今立っているその現実は、本当に「正規版」の人生だろうか――


 タカヒトの叩くキーボードの音が、暗闇の中で、いつまでも、いつまでも、光のハンマーのように響き続けていた。


(end)

物語のイメージソング「残酷な社畜のテーゼ」は音楽配信になりました。

ぜひチェックしてみてください!全四曲配信です! by 【光闇居士】


挿絵(By みてみん)

「残酷な社畜のテーゼ」:https://linkco.re/CBmCnCdF


挿絵(By みてみん)

タカヒト爆唱:https://linkco.re/bG7tUaFy


挿絵(By みてみん)

with DJ.あや:https://linkco.re/AMtN3qBu


挿絵(By みてみん)

強力版:https://linkco.re/m1aF7Dxv



歌詞:

午前3時 ここは現代の賽の河原

地下2階 空調ファンだけが俺の相方

湿度管理は完璧なスペック

だが俺の精神メンタル 仕様書外のパニック

大手から流れる 4次請けの残骸

エナドリ3本 流し込む限界

伸びきったペペロンチーノ

油とプラスチックの味が 俺の命の


会話はSlack スタンプ3種でコンプリート

「了解」「確認」「修正」だけのニート...じゃないエリート?

いや、俺は有機質の周辺機器

キーボード叩くための 生きた肉の危機

埼玉から都内 灰色のループ

太陽見ぬまま デバッグのスープ

もし俺が死んでも 代わりは即座にログイン

同じ椅子で 同じパスタ啜るドッペルゲンガー・レイン


ドライアイの奥 砂利が擦れるノイズ

生きてる心地なんて 2年前からロスト・ボイス

ログの海で 光る幾何学のワーム

エレクトリック・ブルー 俺を呼ぶアラーム

「……綺麗だな」


残酷な社畜のテーゼ 窓のない部屋を突き破れ!

肉体ハードウェアなんて脱ぎ捨てて 0秒の彼方へダイブしろ

修正パッチじゃ直せない 魂のバグを解き放て

指先から溶けるニューロン 脊髄走る電気信号シグナル

灰色のループを終わらせる 極彩色の特異点シンギュラリティ

さらばペペロンチーノ 俺は今、データになる——!


Upload Complete.

Welcome to Eternity.

……カチリ。


【しおの】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ