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暁の勇者、宵闇に堕ちる。  作者: 篁 香槻
序章 宵闇と暁の狭間で
3/8

宵闇の空と彼方

その瞳に同じ色を見た。

あまりに哀しい空色の瞳。



迫り来る剣閃はあまりに美しく、眼前の「魔王」たる私を斬り伏せることにのみ集中した輝きに満ちている。

こんなに光も昏い城の中でさえ、金糸の髪は暁の輝きを帯びて輝く。その名に違わぬ暁たる輝き。

勇者は他3名の仲間を連れ立ってやってきた。彼らは、いずれも幾度も死線を潜り抜けた者ばかりなのだろう。かなりの実力と信念を備えている。その証拠にこの玉座に辿り着いてなお、誰一人として力の落ちているものがいない。

民草が命を脅かされ恐れる「漆黒の魔物」達は彼らにいとも簡単に消し去られていく。

まぁ、根源たる私を消さぬことにはキリはないだろうが、その力は流石と称するべきだろう。


彼らは生ける希望。その存在こそが他者の安寧と幸福の象徴。

私とは真逆だ。この存在こそが憎悪と恐慌を形取った人の姿をした絶望……。


私の少しの他所見を狙って、両断のため振り下ろされた真っ向の一閃を右に傾いて避ける。

「はぁっ!!」

勇者はそれを追うように即座に剣先を(ひるがえ)し、上方に剣を薙ぐ。見事な反応だった。

剣閃を追うように、剣が纏った陽光は勇者を包む様に広がる。そうしてその勇者は「暁」のように光輝く。

「暁の勇者」その名に相応しい美しい輝きと立ち姿だった。

寿命にも殺せない私を殺せる唯一の剣を手に、私を殺すためにその剣技と勇気を磨き、長い旅と辛苦の果てにこの終焉の谷に辿り着き……。勇者はその称号と共にそこに立つ。


今まで幾度となく、勇者と名のついた者達がこの谷に辿りつき、暁と呼ばれ私の打倒を掲げて襲いかかってきた。

しかし、いずれの光もここまで眩く澄んだものではなかったと記憶している。

それ故か、過去の勇者のその刃が私に届こうと致命傷を負わせることなどできなかった。そして皆、私が殺し屍とした。

栄光や我欲を孕んだ光はここまで美しく煌めかない。目の前の「暁」は紛れもなく濁りのない暁光を宿している。


しかし、その中、一見揺るがぬ暁の光の中に私は「見て」「聞いて」いた。

見た目には迷いのないその姿の奥に潜む、彼の心の今にも千切れそうな悲壮な記憶と決意を。

欲がないというよりは、多くのものを喪って渇ききった空の瞳。

捨てざるを得なかっただけなのだろうな、平穏も喜びも。己が「希望」であるが故にか……。

どこかそれは、生まれから希望も喜びも刈り取られ「絶望」そのものとなった己自身に重なって見えた。

真逆なはずなのに。


私が「宵闇の王」と呼ばれるに至ったことには多くの理由が絡んでいる。

私はそもそも、何の変哲もない、平凡な農村でただの人間の親から生まれた、平凡な人間だった……はずだった。


しかし、生まれながらに備わっていた特性は酷く普通の人間からはかけ離れていた。

己が不幸だと、その生まれと特殊な生を恨んだこともあったが、生まれ落ちてから数年間、古の記憶だ。


まず、備わった特殊な力は生まれてすぐに発露した。

生まれ落ちた瞬間の産声と共に、私の体や周囲からは漆黒の人間、動物、植物をかたどった影がぼろぼろとこぼれ落ちるかのように湧き上がったそうだ。生き物の形をしたものはその目の位置に灰色の昏い光を宿している。

それが危険なものであると、見た目からすぐにわかっただろうが、大人達は私がその魔物の産みの親だとは気付かなかったようだ。魔物に狙われた哀れな子と私を判じた。そんな子どもはこの世界で初めての存在であっただろうし、魔物などという名のつく存在を見たのも皆一様に初めてだっただろう。平穏で、揺らがぬこの世界。それが「私」の誕生に伴い根底から崩れ落ちた。


私から産み落とされた魔物は一様に生けるものに殺意を持っていた。まるで、自分たちが生けるものにとって変わろうと、その存在の権利を主張でもするように。

そして、その魔物の消滅過程も人間と似通っている。実際の生物と同じように命を絶つほどの損壊を受ければ消えた。その場にいた大人達は、わけも分からぬまま皮肉にも必死に子どもの私を守ってくれたそうだ。


……そうして、私の父と母は私がその顔を覚える間も無く死んだらしい。

私が生み出した、後に「漆黒の魔物」と呼ばれる魔物に殺されたのだという。

私など守らなくても、私が産んだものだから、私が襲われることなどなかったろうに。

きっと、私はとても悲しかったのだろう。

けれどそれは、遠く彼方の生まれ落ちたあの土地に置いてきてしまった。

もう何も感じはしない。


その後、村の大人達に育てられた私は、腹が減ったなどの理由で泣く度に魔物を生み出し、寂しいと泣いては魔物を生み出し、物心着く頃にはすっかり幽閉生活となっていた。

「君の激情は漆黒の魔物を産み出すのだ。」

と、感情を荒立てぬようにと、まるで腫れ物のように、しかしながら決して存在を大切にはされず生かされていた。


物心がつくとさらに面倒な特性が発露した。唇は動いていないのに人の声が聞こえる。

『恐ろしい忌子だ。』

『呪われた命だ。』

『あんな子ども捨ててしまえ。』

本来なら聞こえぬはずの人心が全て聞こえるのだ。表向き笑顔の人々に裏に隠匿された、欺瞞、恐怖、苦痛。

私は、忌むべきもの思われて当然だったと思う。故に、それで特段傷つきはしなかった。それでも私が村の外へ捨てられなかったのは、未知の存在故に報復を恐れてのことだったのだろうし、この村から忌むべきものを出したという事実を隠匿したかったからにすぎなかった。そう、聞こえていた。


しかし、優しさも愛情も到底向けられる事なく、恐慌と不安を向けられ、その種になり続ける私は、もうここにいてはいけないと密かな決心を自らの内に秘めていた。

何度も魔物を制御しようとした。感情を殺そうにも、そこだけは不都合なくらいしっかりと人間で、自覚では小さな感情の波が漆黒の魔物を産み、こんな自分は死ぬべきかと葛藤してはさらに魔物は増え、それは徐々に抑えきれず野にも放たれ、それに恐怖する人々の感情は己が頭の中に垂れ流される。だからといって私の意思で魔物は消えないし、思いどおりにも動かない。


そして、私自身、殺害も自死も餓死すらできぬ体質であった。

村人も私自身も試したが、この体はすぐに回復再生し、その度に抗うように漆黒の魔物を産み落とす。

食わずとも生命は続く。


私は人の形をした絶望だと己を呪い、恨んだ。私がいることで、村に、近辺の土地に平穏は戻ってこない。全てが悪循環でしかない。


ここにいては、いずれ私はいずれ全てを滅ぼすだろうとそう判断し、ある夜こっそりと村を抜けて「終焉の谷」と人々が呼んでいた、人も動物も寄り付かぬ最果ての地へ旅立った。当初の判断としては、そこにいた方が人の声を聞くこともなく、人を傷つけないだろうという思いから来る旅立ちであった。


人間的活動を必要としなかった私はなるべくと人里を避け、数年の時間をかけ終焉の谷に辿りつき、たった一つ寂しげに聳えていた廃城に居を構えた。


終焉の谷周辺は、一帯が古に滅びた王族の所有していた土地であったが、血塗られた最期を迎え没落し、一族は絶えたようで、忌み地として呪いに巻かれており、陽の光も仄昏い不毛の谷だった。

自分の終焉には丁度良い。ここで静かに余生を過ごし、息絶えて眠りにつこうと決めていたが、私は歳さえ取らなくなり、25歳辺りで時を止めた。それが、私の生まれながらにしての特性の一つだったのか、この地に巣食う呪い故だったのかはもう確かめようもない。殺せもしない、死ねもしない、寿命でも死なない。名実ともに完全な不死者となった私は、世界の敵でしかない。

そうして、永い時の中、この地に巣食いどうしようもなく漆黒の魔物を産み出す私は、いつしか「魔王」と「宵闇の王」と呼ばれるようになった。


一度平穏な世界に破滅をもたらす魔王が誕生すると、外界ではある事もない事も様々に流布され、伝説や伝承が生み出され、凶悪な魔王を倒すためのものが現れ始める。


それから、幾年経っただろうか。勇者を名乗る討伐者が定期的に私を殺しに来るようになった。

彼らが携えたまるで陽の光を帯びた剣で斬られると私の傷は再生せず、人と同じように死に近づくことが分かった。

殺してくれるものが、やっとやってきたのだ。待望の存在だったはずだ。

素直に死ねば良いものの、私は勇者のために死にたくなかった。

別に世界を滅ぼしたり、征服したりしたいわけではない。

『こいつを倒して評価されるんだ!』

『こいつを倒せば英雄だ!一生安泰だ!』

と私欲を垂れ流しながら、見た目には光輝く剣を振りまわす目の前の勇者の踏み台になりたくなかったのだ。このプライドのようなものさえ捨て去れば、世界から魔物は消え平和になる。そう、知っている。

しかしながら、面倒臭いもので、人間であって人間に迫害されるしかなかった己の人間らしい心は、悲しいほどに易々と死ぬことを許せなかった。

このような下らない人間の野心に殺されてたまるか、こいつの称号の一部になってなどたまるかと、私は気づけば多くの勇者を葬っていた。

そもそも、私は「ただ生きている」だけで、取得した全ては望んで得た力でも特性でも何でもない。

私を愛さないどころか、私に過酷な宿命を一方的に負わせた世界に、なぜ私が屈し、見ず知らずの勇者の称号に成り下がるだけの生になれとされるのかと問うと、この心は軋み咆哮を上げた。


そうして、暁という名を冠した人々の希望達が幾度も終焉の谷の闇に呑まれ、谷はさらに終焉の名を色濃くし、民草が希望を失うたびに少しずつ討伐に訪れる者の数も減ってきた。人々に諦観やこの魔物のいる現状が当たり前になってきたこともその要因だろう。


そうしているうちに、私の人間性も少しずつ名付けられた「宵闇の王」のそれがとって変わるように、人間としての己からも遠ざかり、人間であった己の名を捨て、出生地の名も親の名も忘れ、名実ともに魔王へと成り果てた。これ以外選べぬ、これが私の宿命だったのだ。



そうして今、目の前に立つ空色の瞳に己の姿が不思議と重なる。ぜいぜいと剣撃に重なるように呼吸が聞こえる。それにさらに重なるように、迷いない激しい剣閃の間に、過去の勇者達とは違った苦しい叫びが聞こえる。

『僕は喪ってきたもののためにも負けられない!負けられないんだ……!喪って、たくさん喪ってここまで来た!……だから、だから……バラッドのためにも!僕は!僕は……!』

と断続的に悲しい悲鳴をあげながら斬りかかって来る。今までに見た事のない、鮮烈で美しい光。

目の前の騎士然と凛とした勇者はまるで、自問するように、己を励ますように、咽び泣き喚くように私を斬りにくる。


周囲の漆黒の魔物を振り払いつつも、己に向けられる連撃で皮膚に刻まれる切り傷、紛うことなき熟練者の剣捌き。この者に殺されるのかもしれない、という予感があった。

そして何より、目の前の勇者は今までとは違って、どこかそれでもいいと思える、澄んで乾いた決意をその腕に心に抱く者だった。


この者に殺されるなら嫌悪も恐怖もない。



だが、無意識に私がとった行動は、私にとっても予測の域を超えていた。

気づけば彼に手を伸ばし問うていた……というより有無を言わさぬ誘いに近かった。


「私と共に来い。」


その手は過去の己に伸ばされた手であったのか、同じ悲哀を掬い上げる気まぐれだったのか、終焉の谷にたどり着いたあの日から何百年という孤独を埋めたかったエゴなのか、未だ自分でもわからない。


目の前の勇者は、一瞬はっとした顔をして、その心の声がぱたりと無になった。

そうして無言のまま、真っ直ぐに私の目を見つめて来る。疑うこともせぬ真っ直ぐな視線。心の声も依然として無言のままだった。

それは人に相対しては久方ぶりの静寂だった。

勇者とは似ても似つかぬ私の漆黒の長髪と紅い瞳が、少し私より背の低い勇者の空色の瞳に映り込んでいる。

実際はそう長くない時間だったろうが、とても静かで長い時間、勇者の瞳は私を捉えていたように思えた。

瞳の色が重なった箇所が混ざり合い、紫に染まるように滲んだと思うと、やがて、乾いたその瞳が潤み、彼は剣を取り落とした。

放心していたのか、無であったのか、その後に溢れ聞こえた勇者の心の中は謝罪ばかりだった。

『ごめん、ロンド。ごめん、ワルツ。ごめん、フーガ。ごめん……バラッド。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。』

そうして剣を持っていた手は私の手を取った。

「みんな、ごめん。」

そう発して仲間を見遣った瞳からは涙が溢れ落ちている。仲間たちは一様に酷く動揺し、私と勇者を凝視し叫ぶ。

「「「オラトリオ!!」」」

そうか、君はオラトリオと言うのだな。私は思わず保護するように腕の中にさっきまで相対していた敵をおさめていた。勇者の足元には寄り添うように漆黒の蔦が絡みついていた。


自分にもよく分からなかったが、この感情は「守りたい」に近しく、それ以外の理由をつけ難いものだった。

魔王である自分が?戸惑いと共に勇者と私の足元からは、城をとてつもない勢いで覆っていく真っ黒な蔦が伸び葉が生え、花を咲かせる。

この城から他のものを、何ならこの世界から自分たちを傷つける全てを追い出すように途轍もない勢いで、伸び拡がる。

私の意思など反映してこなかった漆黒の魔物の中で、唯一私の意思と同じにこの城を包んだ、うら悲しい漆黒の花々。


この感情を私は知らない。けれど、目の前のこの者を無性に守りたい。それだけだった。


勇者の仲間たちが追い出されるように去った城には、宵闇の王と暁の勇者という関係だけが歪な残響のように残って、咲いた花から真っ黒な花びらが散り落ちてくる。


私が支えた腕の中で、勇者は静かに泣いていた。

なぜ手を伸ばした?どうして守るなどと思っている?

なぜお前も私の手を取った?なぜ私を選んだ?

自身の行動でありながら、疑問と動揺のおさまらぬ中、ただ謝罪を繰り返しながら涙する彼を落ち着くまで静かに見守り続けた。

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