深雪の下に
翌朝、昨夜までの雪はすっかりと止み、よく晴れ渡っていた。朝の光が雪に反射し窓から差し込む強い光を眩しがるようにしてバラッドが目を覚まし、その夕暮れにワルツも目を覚ました。それぞれ、目を覚ますとオラトリオに向かって、何日経った?皆の具合は?と全く同じことを質問してきた。両者の起き抜けに立ち会ったオラトリオとロンド、フーガの三人は、ワルツから質問を受けた時、ロンド、フーガと同じことを……と顔を見合わせて苦笑しながら、オラトリオが代表して、あれから四日、皆大事ない旨を答えた。それは良かったとの返答まで二人して同じ内容だったこともあって、三人は笑みをこぼす。ワルツの目覚めをもって全員が無事に目を覚ましたこともあり、安心から来るものも大きかった。その様子を見たワルツは不思議そうにしていたが、皆の様子につられるように微笑んだ。
酒場のマスターから数日前、
「皆が元気になったら声をかけてくれ!お礼の飯と酒を用意するからな!約束しただろ?魔物討伐してくれたらご馳走するって!あそこにいた連中だけじゃなくて、街の奴らは数が森の魔物に困ってたから本当にあんたらには感謝してんだ。あの森に咲いてる花はうまく扱えば薬にもなる。あの花を使った商売してた奴らもこの街には結構いてな。森に立ち入りができないのは死活問題だったんだよ。あんたらのためになんかやりたいって、預かってるものもあるから、盛大に祝わせてくれよ!あ!あと、お前さん、そこの金髪の兄さん、かっこよかったぞ!あの啖呵は勇者様って感じだったな!」
とオラトリオとフーガに声をかけてくれていた。オラトリオはそんなとんでもないですなどと言いながらたじたじと恥ずかしそうにしていたが……。
祝宴といえど、今日目覚めたばかりのバラッドとワルツにとって、流石に病み上がり翌日にというのもという話になり、マスターの準備も含めて明後日に宴を催そうという話になった。
その日の夜、二階のラウンジにて久々に五人が一堂に介した。今日も夜からは雪が降っている。深夜なので灯された明かりは昨日より薄暗いが、それぞれがコーヒーや茶、ブランデーなど、好みの飲み物を持ち寄り、暖を取りながら窓の外の景色を見たりとゆったり過ごしつつ歓談していた。
「何だか眠りすぎて体が痛いな……。」
「私もです……。こんなに眠ったの人生初かもしれません……。何だか関節がぎこちない感じがします。」
バラッドとワルツは椅子に座りながら伸びをしたり肩を回してみたりと調子を確かめつつ話す。
「俺も昨日まで寝たきりだったからなぁ……一時はどうなるかと思ったが、こうして皆無事で何よりだ。」
「正直、特性も生理的にもゾッとしたよ……あの漆黒ベラドンナ……。改めて申し訳ない。あの場で思いつく方法があれしかなくて、皆に危険な立ち回りをさせてしまった……。下手すると命を落としていた可能性も……」
フーガが自分の手にしていた茶に視線を落とす。昨日と同じでカモミールの香りがする茶だ。
「フーガさん、多分既に散々皆からも言われてると思うが、もう謝らないでくれ。こうして皆ここにいられるのはあんたのおかげだ。だから、もうこの先謝らなくてもいいし、罪悪感も持たなくてもいい。……まぁ、あの魔物に関しては……見た目と言い、動きと言い、性質と言い、凶悪だったし、結構きつい思いをさせてももらったから、あまり思い出したくはないが……。」
「まぁ、ちょっと二回は遠慮したいような苦戦はしましたが……。皆、傷もしっかり癒えてますし。私も何の問題もありません。それに、オラトリオから聞きましたよ。今後、一緒に旅に出てくださるんでしょう?これからも頼りにしてますから。よろしくお願いします。」
「……ありがとう。……すまない。」
軽い調子で穏やかにフーガに告げるバラッドとワルツの言葉を受けて、フーガは顔をあげて礼を言った後、暗い瞳になり少し間をおき、また下を向いて噛み締めた唇の端から漏らすように、もう一度だけ謝罪の言葉を漏らした。やや沈黙があった後、オラトリオがおもむろに話し始める。
「あの……。皆さん……僕、やりたいことがあるんです。先に森へ行った守護団の方や森で行方不明になった皆さんを探しに行きたくて……。」
「あぁ、俺もそれが気がかりだった。無事でいてくれりゃいいが……。」
「えぇ、魔物を倒した後、あわよくば捜索を思っていましたが、あの時は倒して帰ることが精一杯で叶いませんでした。」
「あぁ、雪もかなり深かったしな……。僕とオラトリオで捜索するのも中々難しそうな状況だった。行方不明の報せからかなりの時間も経っていて、あの魔物の凶暴性から最悪の事態も想定されるが、助けられる者がいるなら助けたい。」
「俺も放って喜べないと思ってる。いまだに彼らの帰りを信じて待っている人もいるだろう。積もった雪なら俺の魔法で溶かして捜索もできる。」
「では、皆さんが良ければ明日、もう一度ソラリアの森へ行って探しましょう、行方知れずになっている皆さんを。バラッドとワルツさんは病み上がりで申し訳ないですけど……本当に大丈夫ですか?」
「えぇ、十分すぎるくらい眠りましたし。」
「俺もだ、体力は有り余るくらいに戻っているし、昼間試していたら問題なく炎魔法も使えた。気にするな。」
全員が同意した後、この街で見つけたものや美味かった料理の話しなど軽い雑談をした。まずは酒を楽しんでいたロンドが船を漕ぎ出したのをワルツが部屋に引っ張って帰り、そのままワルツも自身の部屋へ帰っていった。程なくしてオラトリオもうとうとし出す、バラッドが
「無理するな。」
と声をかけると、
「ごめん限界かも、おやすみ……。」
と観念して立ち上がる。オラトリオは全員が起きるまであまり睡眠も取らずに付き添っていたため睡眠不足だったらしい。ふらりふらりと横揺れで覚束ない足取りで部屋へ帰っていった。バラッドは心配そうに後ろ姿を目で追っていたが、オラトリオが部屋のドアを無事に開けたのを見て、視線をテーブルの飲み物に戻し、茶を一口煽った。
ラウンジに残るのはフーガとバラッドのみになった。フーガは窓の外を見つめて茶を啜っている。バラッドがポツリと呟くように切り出した。
「なぁ、フーガさん。俺が多分、あんたとどこか似ているところがあるから、ちょっと変な勘繰りかも知れない。だから、今から言う事はそんなに重く受け止めず、場合によっては聞き流してくれ。」
フーガはバラッドの出方を伺うように視線向けて来る。
「あんた、何か俺らに隠して……背負ってやしないか?別に確証があるわけじゃない。たまに見せる表情とか仕草とか、言い草とか……見てて思うんだ。さっきの最後の謝罪だって、あれ、今回の件に関してじゃないだろ?」
「その根拠は?」
「さっき言ったように勘だよ、同族っぽいって勘だ……少なくとも俺は、何かしら別の意図を感じたってだけだ……。他の人が見てもきっと今回の件、責任感じてるんだろうとしか思わないと思う。……俺は、フーガさんや皆に……何なら幼馴染のオラトリオにすら言えないことがあって……これを、この先も言わずに過ごしていくと思う。大切なもののために言えないんだ。そんな俺と重なるところがあった。だからこうして聞いてる。」
「その事情をバラッドは僕なんかに明かしていいのか?」
「あんただから……多少、上澄みくらいなら明かしていいと思った。あんたは多分この話を他のメンバーにはしないだろ?」
「……そうだな……。」
「その返答で、あんたその心の中にも何かがあって、それが悲しいものだという事は分かった。やっぱり、俺と同じだ。」
「嫌な洞察力だな……ここは僕の負けを認めよう……そういう話なら、似た者同士だと言うのは概ね当たりだよ。」
フーガは字面上は少し棘のある言葉を選んで吐いたが、少し肩の荷が降りたような、自嘲するような表情で答える。外では先ほどまでふわりと舞っていた雪が、気付けばぼたぼたと落ちる重い雪に変わっていた。フーガから外の景色を隠すようにバラッドは立ち上がって窓枠に凭れかかり、赤い瞳で真っ直ぐに、少し低いところにあるフーガの瞳を捉えてくる。
「別に、俺はあんたと腹の探り合いをしたいわけじゃない……何が言いたかというと、その裏にある何かを、あんたは抱えきれなくなる日が来ると思う……あんたがお人好しだからだ。だからって、事前に詳細を話して欲しいわけではない、打ち明けろなんて簡単に言わない。話せない理由があると思うから。でも、危険な橋を渡る選択肢をとったり、それがフーガさん自身をすり減らすくらいなら、俺だけでも良い。相談してくれ。俺も皆も、もうあんたのことを仲間だと思ってる。……大切で、失いたくない人の一人だ。過ごした時間の長さじゃない。感覚で、皆あんたをかけがえ無い、代わりのいない仲間だと思ってるんだ。あんたについて気づいていそうなのは俺だけだったから、早めに言っておこうと思って。この先、少しでもあんたが気楽になれたら良い……。」
フーガの紫の虹彩の手前で水の膜が揺れ動く。それを悟らせまいと目を閉じ、自分の体を抱くようにうずくまった。耳にかけていた紺の髪がたらりと力なく顔へ垂れる。バラッドはその様子を見て、フーガに歩み寄る。外の雪あかりが薄暗いラウンジの中のバラッドの紺の髪に重い降雪の影を重ね、影は上から下へ上から下へと繰り返し重たく落ちていく。
「……俺ももう部屋に戻る。……気の利いた楽しい話じゃなくてすまない。」
そこまで言うとバラッドは一度言葉を切り、フーガの丸くなった背に軽く手を乗せて、
「……フーガさん、無理、するなよ。おやすみ。」
と言って部屋へ戻っていった。ラウンジに残されたフーガは中身を飲み終え冷たくなったマグカップを両手でぐっと握り締める。対称的に背中に微かに残ったフーガの掌の温かさが体を貫通し、包み込むように心臓を掴まれている心地がしていた。
「……ありがとう……すまない……。」
誰にも届かないが、ここにいない四人へ向けた言葉は、喉の奥に詰まったように掠れていた。この心臓を捉えている氷雪が溶ければ、真っ直ぐに彼らと向き合えるのだろうか、そもそも溶ける日は来るのだろうか……。気付けば階下の酒場の営業も終わり、完全に静まり返ったラウンジで、フーガはしばらく独り自問し続けていた。




