その森は魔女の庭
翌朝、約束の九時。誰も遅れることなく五人は酒場一階に集まっていた。戦闘準備完了の完全防備の状態で。
各々の防具に胸当てや武器、防寒と自身の身体の形を気取らせないためのマントやローブに、今は着用せず首から下げている呼吸を守るための装具。目と目を合わせて、行くぞと頷き合う。
朝食にありつこうとやってきた客たちは朝食を口に運ぶことを忘れ、何事かと、物々しい姿の五人を珍しそうに見ている。
マスターは軽快に朝食を作りながらも、五人に気づくと激励を飛ばしてくれる。
「おぉ!守護団の兄さん達!ご苦労さん!昨日の今日で出陣かァ?すまんな!ソラリアの街のために森の魔物討伐へ行ってくれるんだろ?俺たちみたいなのはあんたらに頼るしかねぇ。森を、この街をよろしく頼む!」
その声に、酒場にいた客達も次々続く。
「あぁ!そうなのかい!助かるよ!最近は迂回路を使うせいで商売にも影響がでちまってて困ってたんだよ。」
「俺には嫁もガキがいるからよ、いつ魔物が村へ来るか気が気じゃなかったんだ!兄ちゃん達、頼む!森を元に戻してくれ!」
次々と客の声が重なる。気づけば酒場は願いと感謝、激励の声に満ちていた。しばしガヤガヤと口々に激が飛んでいたが、マスターが再度大きな声で言う。
「前にも守護団の奴が来てくれたが、ここへまだ戻って来てねぇ。あの人たちも帰ってきてくれたらいいんだけどなぁ……あんたらも気をつけてくれ……!もし、あんたらが魔物をとっちめて無事に帰ってきてくれた日にゃ、うちのメニューなんでもご馳走するからよ!」
その言葉を受け、五人は再度顔をを見合わせる。ロンドがトンとオラトリオの背中を小突き、オラトリオはしっかりと同意を示して、五人を代表し話し出した。
「マスター!皆さん!ありがとうございます!皆さんのご不安やご苦労を取り去るため、僕たちはこの街に来ました。死力を尽くして森に潜む脅威を払います!」
オラトリオの凛とした声が響き渡ると、まるで空気ごとオラトリオの光に包まれた心地がした。実際には光ってなどはいないが、その心地に浮かされ、酒場にわぁっと歓声が上がる。オラトリオの言葉には不思議な説得力がある。実際のところ、森の中は未知数で情報も足りないままの五人での初任務だが、オラトリオができるというならできると思えてしまう。それは、オラトリオが勇者になりうる者であるのと同時に、オラトリオの言葉の裏にある確固たる決意に心を動かされるためのだろう。
「これは失敗はできないな。」
バラッドがぼそりと呟く。
「大丈夫だ、僕らは五人で戦うんだから。」
フーガがそう呟き返す。そのやり取りを聞いていたワルツとロンドも決意を新たに、それぞれの武器を強く握りしめた。ロンドが、名残惜しいが、と前置きして酒場の皆へ向かって切り出した。
「じゃあ俺らはそろそろ行くな!あんたらも、マスターもありがとな!期待して美味い酒を用意しといてくれ!」
ロンドが景気良く言い放ち、五人はそれぞれ礼をしたり手をひらひらとさせたりと各々の挨拶をして酒場を出た。
外は晴れている分、昨日よりは寒さも和らいでいるが、夜の吹雪のため、深めに雪が積もっている。足を取られないようしっかりと踏みしめながら、街へ来た時とは逆方面の北の森へ続く道を行く。
市街には相変わらず多くの人が行き交っていたが、門を出て森の方へ続く道に進路をとった瞬間、露骨に他に人がいなくなった。賑やかさから切り離され、五人の間に緊張感が増す。
森の入り口に立つと、その緊張感がまるで蛇のようにじわじわ喉元に絡みいてくるようだった。森から明確な気配がする、漆黒の魔物が放つ殺気だ。確かにそこに魔物がいて、立ち入る者の命を狩るという意志無き殺意。
「いますね。それもすごく嫌な気配です。ここにいても肌がざわつくような嫌な殺意を感じます。」
「ここから射ることができればいいが、流石に木々が邪魔だし、あちらも簡単に射抜ける射程には入ってこないか……。」
「あぁ、魔物に意思はねぇが、人の命を狩るための行動を最優先にするからな。おちおち消滅はしてくれねぇぞ。」
「やはり、俺たちがこちらから出向かないといけないんだな。」
「行きましょう。僕は覚悟出来ています。」
そう言いながらオラトリオが首に下げていた装具をずり上げ、口と鼻を覆う。一見薄い布に見えるも、一般的な毒を通さぬ特殊な縫製が施されている。四人もそれに続き、装具で顔半分を覆うと、武器を手に取る。誰も通ることのなかった新雪を五人の足で散らし、森の中へ歩を進める。
踏み入れた森の中では、五人がそれぞれ周囲を警戒しながら、そろりそろりとなるべく音を立てず、しかし素早く移動した。先頭を近接で戦うロンドが行き、その少し後ろににオラトリオとバラッドがそれぞれ左と右を分担して見つつ続く、次に弓を構え上からの襲撃を警戒するフーガ、最後にワルツが皆とその周囲、背後を用心深く気取りながら行く。
肌を刺すほどに気配と殺意はするのに、まだ漆黒の魔物の姿は見えない。不気味でキンと張り詰めるような静寂。息もなるべく浅めに吸って吐く。空気中に何かが舞っていれば、装具はつけているとはいえ肺までの深い呼吸は危険だ。
フーガが辛うじて聞こえる音量で皆に話す。
「前に来た時の記憶が正しくて、その後地形が大きく変わっていなければ、例の花、ベラドンナの群生地はもう少し森を入ったところだ。」
「なるほど。でしたら、経験則ですが、魔物もそこにいる可能性が高いかと。魔物に意思や思考はないとされていますが、自分たちに都合のいい土地に定着する姿を何度か見たことがあります。生存本能?みたいなものでしょうか。侵蝕した植物や土地を利用し、少しでも自分たちに有利な環境に居座るのです。」
「奴らの本懐は、人の命、動物の命、植物の命、とにかく命あるものを狩ることだろ?だから、そのために有利になることは本能的に分かってやがるみたいなんだよ。」
ワルツとロンドも声を顰めつつ続ける。
「漆黒の魔物……は……そんな動きをするのか……。」
バラッドが青い顔する。目が泳ぎ、動揺を隠しきれないその様子は、基本的に恐怖心が薄そうなバラッドにしては珍しい反応だった。テイルバレイのことがあったためだろうか、と皆がバラッドに少し注意を取られ、張られた緊張の糸がほんの僅かにたわんだその一瞬の隙を、森に潜む魔物は見逃さなかった。
前方の雪を割って、何かがこちらへ向かってくる。ものすごい勢いで雪が押し上げられ、地を這う何かが来る。ロンドが盛り上がった雪の軌道をよみ、そこにいるであろうものを狙って地面を思い切り殴りつけるも、ただ雪を叩いただけで雪の下のそれを捉えた感覚はない。拳が割った雪が周囲に派手に舞い、ロンドとオラトリオ、バラッドの間に煙幕を張る。ロンドは体勢を立て直し次の一撃を繰り出そうと動き、バラッドは煙幕含め周囲の雪を溶かすために炎魔法を展開、ワルツは防御壁を築きながら弾かれたように叫ぶ。
「ロンドッ!後ろッ!!」
ワルツの張る防御壁が僅かに間に合わず、ロンドの背後から三本の真っ黒な何かが地面を穿ち立ち上がる。
「ロンドさん!!」
オラトリオが鞘から剣を抜き放ち、その軌道の一閃で黒い三本線を素早く切り捨てる。暗い森の中に暁の如き光が閃き、僅かに周囲を照らす。切られた三本線はそのまま霧散したが、バラッドの魔法で溶けた雪の下の地面が露わになると、五人の周囲にはぐるりと真っ黒な蛇がとぐろを巻いたような何かが取り囲んでいた。その距離、半径三メートル程。背中合わせに集まった五人を守るようにワルツが五人の周囲に防御壁を張るが、その黒い何かは五人を縛り上げるようにずるずると音をたて徐々に迫ってくる。相当な力で相手はこちらを締め上げようとしているらしい。ワルツがぎっと歯を噛み締め障壁で対抗する。フーガは弓を弾き搾り、真っ黒なそれに向かって矢を放つ。弓で射抜かれた一本はのたうち回るようにしてぶんぶんと動き回った後、ボロボロと崩れ落ちる。その様子と形状を見定めるようにフーガが睨み、声を上げる。
「こいつら、植物の根だ!さっきの矢には強めに調合した除草薬を塗りこんでおいたんだ。」
フーガは次々と矢を番え、周囲の根に打ち込んでいく。
「はぁ……。助かります。このまま防ぎきれるかどうか……!……ッ!!」
少し減った根にワルツが一息つこうとするも、また猛スピードで雪を割って追加の根が迫り五人をギリギリと締め上げるように取り囲む。息もつかせぬ猛攻にワルツの額に冷や汗が流れる。
「はあっ!!!」
オラトリオが少し前に出て剣を振るい、根を断ち斬る。そこに追撃するようにさらに数本フーガが矢を打ち込み、ロンドも前に出て根を殴りつける。少し根を減らせたか思いつつも規格外なサイズ感にロンドが呻く。
「おい!植物の根にしてはデカすぎるだろうがッ!!……なっ!?」
ロンドが悪態をついた途端、ガクンと弛緩したようにその場に膝をつく。
「ッ!ロンドッ……駄目です!バラッド!ロンドをこちらへ!!引きずってでもいいので下がらせてください!!」
バラッドはワルツの指示通りにロンドの腕を掴んでワルツの側へ下がらせる。
「ぐっ……すまん、まずった……。」
「ロンド症状を!」
「めまい……吐き気……鼓動がおかしいくらい早い……後多分、ここにいないはずの俺の両親が、死んだ守護団の連中が見えている…。」
この状況でもロンドはかなり冷静に自身の症状を把握し伝える。ロンドの精神の強さと守護団としての場数がそれを可能にしていたが、容体がすこぶる悪いことは一目瞭然だった。
「幻覚だ!ワルツさん!症状からしてもやっぱりこの根ベラドンナのだ……!ベラドンナの毒性が最も強い場所は根と根茎!これ以上下手に攻撃するのはまずい!倒すたび毒を撒いてる!多分、漆黒化して毒性も強化されてる!特に近接戦闘はこの装備で防ぎきれない濃度の毒を吸ってしまう!」
「なら、僕ができる限りこの矢で根を抑える!近接戦闘ならオラトリオも危険だ!下がれ!こいつの急所は根じゃなくて別のところにあるはずだ!植物型の漆黒の魔物の弱点は銀色の核!それを壊さなければ多分キリがない!下手しなくてもこのままいくと全員中毒死、もしくはワルツが押し負けて圧死だ!僕が時間を稼ぐ!」
「でも!フーガさん!あなたが!」
オラトリオがフーガの身を案じるが、フーガはオラトリオに迷いなく言い放つ。
「問題ない!オラトリオ!僕は諜報のため過酷な環境に適応する訓練を受けている。毒にも皆より耐性がある。それに、僕の武器は君より距離が取れるし、斬るよりは枯らす方が毒の飛散も抑えられると思う。」
フーガがオラトリオに視線で信じろと訴えかける。それを受け、オラトリオは素直に背後に下がる。
フーガは素早く一気に三本の矢を弓に番え、迷いなく放つ。三本の矢は見事に別々の根を射抜き、ボロボロと根を枯らすが、なおも休む暇なくフーガは矢を番え放つを繰り返す。ワルツはロンドの解毒魔法と防御壁を同時に行使し守備に徹する。
オラトリオとバラッドは核を探さねばと、一旦ワルツとロンドを庇うように二人の側に立った時、森のさらに深い闇の中から昏い銀の光がグラグラと不気味に左右に揺れながら近寄ってくるのが目に入った。
禍々しい気配と殺気、その悍ましさに目を奪われ、ロンド以外の全員が目を見張る。鐘のような下向きの漆黒の花、花と呼ぶにはあまりに巨大で、花の部分だけでも優に五人を包み込んでしまえるサイズ感のそれが、不気味に傾いで、葉を手のように横へ広げ、まるで女性がゆったりとしなを作ってを歩くようにこちらへ近寄ってくる。途中の木々に積もっていた雪が葉に引っ掛けられて散り落ちる。少しずつ少しずつ、だが決して遅くない速度で近づいてくる異様な光景に生理的な嫌悪が走り、思わず皆一様に総毛立ち、息を詰めていた。
目視でその姿の全てを確認できる距離に迫ったそれは、おもむろに鐘型の花の中心部分の銀光で、花を見上げる五人を見据えるように動き、見つけたと言わんばかりにばかりに不気味に傾いで輝きを増す。それはまるで女性が悪戯っぽく微笑みかける仕草を連想させた。
「ベラドンナ……その別名は……魔女の花……。俺たちは魔女の狩場の只中にいる、格好の獲物なのかもな……。」
堪えきれぬ嫌悪に押し出されるように、バラッドの口から思わずそんな言葉が落とされていた。




