氷片と火の鳥
時計は深夜三時を回った頃、自室に戻ったロンドの目の前では、ワルツが死んだように眠っている。ベッドサイドについた間接照明のみに照らされた薄暗い部屋の中、いつもより血の気のない白い顔。なんでいつも一人で戦うのかとロンドには酷くもどかしく、同時にあの時、ワルツの静止を無視してでもアウグストを止めなかった自分の判断と無力を悔やんだ。
ワルツは普段から静かに眠るタイプではあるが、耳を澄ましても寝息もすら聞こえない。死んでやいないかと酷く不安だった。思わず体温や脈があるか確かめたくなり、ワルツに手を伸ばそうとしたその時。
「ロンド、お前も多少でも良いから休息をとれよ。遠征帰りだろう?」
ロンドは伸ばした手を引き、少し視線を上げる。前方にある窓には廊下からの光と、その光を逆光に立つ人影が映っている。ドアが開いたことにも気づかなかった。
「オスカー団長。お願いだから、扉を開けるときはノックくらいしてくれよ。」
「いつもの通り、気配で気づいてそっちからドアを開けてくれるのかと思ってね。自分で開ける事なんぞ中々ないから、逆に驚かされたよ。」
オスカー長官は静かにドアを閉め、ベッドサイドのロンドの隣に並び立つ。
「……。すみませんね、手間かけさせちまって。」
「そうだな、上官への態度としては減給対象だ、上官命令の休めが聞けない点も含めてな。」
「……。」
「オラトリオくんとバラッドくんは?」
「さっき声かけて、風呂場に行かせました。あいつらもずっと、心配だからってここから離れなくて。なんだかんだ理由をつけてやったら、やっと渋々行きましたよ。」
「類は友を呼ぶ、だな。」
「まだ、友と呼ぶにはもう少し親交を深めねぇといけない感じだが……。」
「そうか?既に割と仲良くやっているようには見えたが?オラトリオくんに至っては、恩人だとも今後お世話になる大切な人だとも啖呵を切って見せていたじゃないか、あの長官サマに。たいした根性だよ。」
「むしろ、俺より余程、根性あったな……正直あいつには感謝してます。」
「卑屈になるお前さんなんぞ初めて見るな、明日は雪でも降るんじゃないか?」
「このくそ暑いのにですか……勘弁してくれよ……。当分氷とか雪とか見たくもねぇ……。なぁ、ワルツ、大丈夫なんですよね?」
「さっきも言ったが、一旦一命は取り留めた。治療は施して、表面の傷は塞がって止血もできた。」
「それは聞きました。……にしては血の気も戻らねぇし、回復してるように見えないんだが……。」
「黙っててもやはりお前は気づくか……。分かった。ちゃんと伝えるべきだな。」
オスカーが一度深く息をつき話を続ける。
「治癒術師の話だと、あの長官サマの嫌がらせだろうな……氷の刃で切られた腕の傷跡は消しきれなかった。切られた箇所とその付近の血管に添って樹状の傷跡が残るそうだ。歯向かうな、忘れるな、追うなって置き手紙なんだろうさ……。」
「何だよそれ!!クソがっ!!趣味が悪くて反吐が出る!」
「後、もう一つ、更に悪い知らせがある。悪趣味以上にこっちは深刻な状態だ……。傷口から体内に氷魔法を流し込まれたと言っていたが、それが、ピンポイントに心臓や肺を狙って凍らせるやり口でな……。高位の術だったせいで、うち一番の治癒術師の治療では氷を消しきれなかった。意識が戻るかはワルツの抵抗力と体力次第……このまま氷が残り続けると少しずつ衰弱し、最悪今後の状態次第では死に至るとのことだ。」
「何だと!?ふざけるなっ!!それじゃあ、もし意識が戻ってもまともに動けるかどうか……!」
「あぁ、全くもって本当にふざけている。正直、真実に近づきかねないワルツを永遠に黙らせるつもりだったんだろう。ここまでされたんだ。上に訴えを起こしたいが、状況的リスクが大きい。ワルツが話してくれた内容を踏まえて判断すると、下手に逆らうと守護団に危険が及ぶこと、ワルツが目覚めた時に更に状態が悪化し、最悪権力を使ってワルツを処刑しにくることまでが予想される……。で、おかえり、お二人さん。立ち聞きしてると湯冷めするぞ。そんなとこで突っ立ってないで、部屋の中に入って話をしないか?」
オスカーが後ろを振り返り声をかける。風呂場から戻ってきたオラトリオとバラッドが険しい顔でドア前に立っていた。
「さっきの話、お前たちも聞いていただろう。」
「はい。ワルツさんの容態のお話あたりから……。」
オラトリオがバラッドと一緒にベッドサイドに歩み寄り、オスカーに話しかける。
「じゃあ話は早い。この話は他言無用にしてくれないか。もちろん守護団の中でもだ。知れ渡ることで、これ以上団員に危険が及ぶことは避けたい。」
「はい。他言するつもりはありません。きっとワルツさんの意向もそうでしょうし。」
「俺も、ワルツさんや守護団に危険が及ぶことはしたくない。後……」
バラッドは同意とともにおもむろに言葉を続ける。
「オスカー団長。俺、ワルツさんを助けられるかもしれない。まだはっきりと話していませんでしたが、俺は炎の魔法を扱える。」
「君、炎魔法使いなのか?しかし、長官クラスの魔法だ……」
「多分、あのアウグスト長官と同じくらいの魔法は使えると思う……。」
「何だと?お前、それは本当か?」
ロンドはバラッドが言うが早いか、バラッドの肩を掴んでいた。
「はい、訓練の話になったら話す予定で、黙ってるつもりはなかったんだが、あの長官の魔法の流れは見ていて分かった。流石にあの場ではどうしようもなかったが……ワルツさんの肺と心臓に残った氷を傷つけずに溶かせばいいんですよね?きっと、どうにかしてみせる。オスカー団長、俺にやらせてください。」
「分かった。バラッド君。君を信じさせてくれ。」
「……すまない……バラッド頼む……!」
「あぁ。ロンドさん、俺が必ずワルツさんを助けて見せるから。」
そう言うと、バラッドは逆側のベッドサイドに膝をつき、ワルツの右腕をとる。
「冷たい……。ワルツさん、でも、もう大丈夫だから、どうか戻ってきてくれ。」
傷口に掌を当てるように握ったバラッドの手の間から、眩く鮮烈な赤い光が漏れ、まるで鳥の両翼のように炎があたりに広がる。バラッドが目を閉じ、ワルツの手を自分の額あたりに寄せる。炎はやがて腕の傷口に集結し羽根のようにふわりと舞って、体内へ流れていくと、眠ったままのワルツの表情が少し動く。
「大丈夫。大丈夫だ。ワルツさん。」
小さく声をかけながらワルツを救おうとするバラッドの姿は、テイルバレイで見たワルツのそれと重なる。
「類は友を呼ぶ……か……。」
温かで優しい炎の揺らめきにロンドは安心感を覚え、思わずオスカーに言われた言葉が口をついていた。
オスカー長官は目を見張っている。
「バラッド君、君は本当に……。」
先ほど、氷魔法を流し込まれたこともあり炎魔法が体を這う感覚に抵抗があるのか、ワルツは無意識に体を捩り、険しい表情のまま目を瞑り「あぁ」とか「うぅ」と短く息を吐いている。
「ワルツさん。俺は燃やしたりしない。だから受け入れてくれ。」
様子を見たロンドが跪き、ワルツの左手を握って声をかける。
「あの時も、こうやって手を差し伸べたら、お前はこの手をとったよな。なぁ、もう一回この手を握ってみろよ。今度はちゃんと、守ってやるから。」
ワルツの呼吸や表情が穏やかなものに変わっていき、少しずつ頬に血色が戻る。
それからややあってバラッドが顔を上げ、ワルツの腕を静かに離しベッドの上に戻す。
「よし、これで……!終わりました。これできっと……!」
やがて、ロンドが一方的に握っていた手が微かな力で握り返され、凍ったように閉ざされていたワルツの瞼がゆっくりと開く。まだ焦点の定まらない瞳がロンドを捉え、掠れた声でワルツが呟くように話す。
「あぁ……ロンド……ですか……手……何だか……懐かしいですね……。」
「あぁ。そうだろ。なぁ、あの時、俺はお前を守ってやるって言っただろ。」
「えぇ……そうでしたね……ちょうど……あの頃の……夢を……見て……いました。寒かった……から……でしょうか……?あの頃……は……ずっと……寒かった……から……。」
「なのに、全然、約束守らせてくれねぇじゃねぇか……。」
「そう……ですね……すみません……。」
「だから、今後はちゃんと守らせろよ……。一人で戦うな……。何のために……戦える俺がいる……?」
「……ごめんなさい……。」
「お前が戻ってきてくれて……良かった……おかえり。」
「……ありがとうございます……ただいま……。」
ワルツの手を握ったまま俯いたロンドの頬に涙が伝う。窓の外から差し込んだ薄い朝日が、ロンドの頬に、ワルツの髪や顔に優しく降り注ぐ。ワルツは申し訳なさそうな困ったような表情でバラッド、オラトリオ、オスカーを見回して微笑んだ。
「ご迷惑を……おかけしました……ごめんなさい……。皆さん……本当にありがとうございます。」
各々、笑顔でワルツを見つめ声をかける、光を増した朝日が部屋の中を明るく暖かく包み込んでいた。




