江島トオルと諏訪少佐
第一章「帰還ノ章」エピローグの一話目です。
自分は江島トオル。
自分の祖父がテキヤの組長だと理解したのは、中学に入ってからだ。
母は自分を生んだときに死に、浅草の祖父と祖母が引き取ってくれた。
父親は自分が生まれる前に死んだらしい。
祖父の家にはいろいろな男たちと女たちが出入りしていた。
そのなかで最も懐いたのは「兄さん」としたった神津吾郎。
まわりの若い衆が「アニキ」と呼ぶのを真似て「神津アニキ」と呼んだ時のことだった。
「トオル坊、自分は『アニキ』と呼ばれるのが好きではない。どうしても呼びたければ『兄さん』とよべ」
「でも、みな『こうづのアニキ』って」
「そういうがな、読みは『かみつ』が正しいんだ。『アニキ』は品がなくて好かん。いちいち正すのが面倒だから『こうづのアニキ』と呼ばれても返事をしている。お前だけは正しく『かみつのあにさん』と呼んでくれ」
小学校に上がる前。
近所で女の子が、男の子たちにいじめられていた。やめさせようと突っかかっていった。
殴られ蹴られ血を流し、三日間寝込むことになった。
布団を涙でぬらしながらちかった。
「なぐられるのはイヤだ。つよくなってやっつけてやる」
家に出入りする若い衆に喧嘩の仕方を教わった。坊なら噛みついて死んでもはなすなといわれた。
旅から帰ってきた神津の兄さんが話しを知って、自分を隅田川の河原まで散歩に誘ってくれた。
川面に浮かぶ屋形船を見ながら、兄さんが聞いてきた。
「坊、なぜ強くなりたい?」
「いたいのはイヤだ」
「それだけか?」
何度か問いかけられ、自分はいじめられてる女の子を守りたかったと気づかされた。女の子じゃなく男だったら、と聞かれ「まもる!」とさけんだ。
あの女の子がどこの子だったのかは憶えていなかった。中学に入ってから知ることになるのだが。
「坊、喧嘩は教えてやる」
そういって兄さんの家まで連れていかれた。
部屋に入るとタンスに縛り付けられ、身動きできないようにされた。
「いいか、喧嘩は度胸が全てだ。相手を必ず殺してやるという気持ちでいなきゃならん。坊の歳ではわからんだろうが体で覚えろ」
次の瞬間には眼の前に白刃があった。
「この長ドスは良くきれる。きられたら死ぬ。動くな。刃から目をはなすな。たえろ」
そう言って振りかぶって、顔ギリギリで刃を止める。再び振りかぶると、ぶぉーんと兄さんの体がふくれあがり、目がギラリと光った。股間が温かくなる。オシッコの匂いがしてきた。
「ハッ!」
ヒュッと白いものが鼻先を通り、畳に長ドスがつきささった。
「ひっ、ひっ、うわぁーん」
こわかった。
泣き叫ぶ自分にはかまわず、兄さんは長ドスで斬りかかるのをやめてくれなかった。
それが何日も続いた。
「神津の兄さん、目をつぶらずに見れるようになったよ」
「坊、これからも毎日続ける」
「うん、でもこれで強くなれるの? じいちゃんが空手の先生んとこいかせてくれるって」
「だめだ、やめておけ。坊、なぜ強くなりたいんだった?」
「女の子を守るため」
「道場やなんかで習うと『習うこと』が目的になっちまう。『守るため』ってことを忘れっちまう。それよりも体をきたえろ」
そう神津兄さんからいいつけられた。
長ドスでのガマン鍛錬。言問橋から吾妻橋の間を走って、毎日百回いってかえる。高市の露店で荷はこび。
とにかく体を動かせ。
夜寝る前には、必ず本を読むか映画をみろ。
小学校前の子どもに随分なやり方だったと気がついたのは大人になってからだ。
この頃からずっと自分につきまとって、隅田川沿いを一緒に走った女の子。
いじめられてたあの子だと分かったのは中学に入ってからだ。医者の娘だった……ああ、いや、これは別の話か。
私は芦田陸将補の副官、諏訪翠。
陸上自衛隊三等陸佐。
知らんふりをしたが……浅野ケントに「少佐ぁ!」と呼ばれた時は、ドキリと心臓が鳴った。
私が陸上自衛隊に入った理由は、「少佐」になりたかったから。
父の膝の上でみたアニメが、私の一生を決めた。
「てんにょさんだー! えほんといっしょ!」
「みーちゃん、天女に見えた?」
「うん! すごいね! みーもてんにょになる!」
せがんで何度も観た。
幼くて、細かい所まで理解できたのはだいぶ経ってからだ。
質問魔になったが、しばらくして自分で調べ、学ぶようになった。
「なんてしなやかなんだろう」
それが彼女を見たときに感じたことだ。
もちろん幼女が知っている言葉ではなかった。成長して、あれは「しなやか」と表現するとわかったのだ。
「天女のしなやかさ」を目指した。
サイボーグになりたかった。
日本で軍人となり少佐になること、全てをそのために行ってきた。
決意したその日から体力の向上に努めた。
筋肉ムキムキは目指すところではない。もっとも、幼稚園前の幼女はそうはならないけれど。
父のPCを使い独学で組んだシステムで、両親に投資をさせた。教育費を作りだした。
自分で手に入れた資金で、小学生で米国に留学。
ギフテッド教育プログラムを受け、MIT(※1)で数学・工学・物理学を学び、十五歳で卒業。研究職への進路を強く望まれたが、興味を引くものではなかった。
米国大学生が関心を示す、ユーモアや人付き合いは時間の無駄と一蹴した。
在学中は年齢と性別、国籍でトラブルにも見舞われた。物理的にも口が聞けなくなる報復をし、寄ってきて迷惑をかける者はいなくなった。
米国では軍事教育を行うPMCでも学んだ。
射撃はマークスマンになれる成績を目標とし、達成した。PMCが私に無断で競技会への参加を申し込んだが、出場はしなかった。
オリンピックを目指しているわけではない。アスリートになる気がないことをなかなか理解してもらえなかった。
MCMAP(※2)のインストラクター経験者から、ブラックベルトクラスだと評価を受けた。
サバイバル訓練はSASレベルを希望し、幼すぎると拒否された。デスバレー、アラスカ、南米ジャングルに出かけていき、ひとりで訓練した。
パイロットとしての教育も可能な限り受けた。ソロ飛行は認められなかったが、ヘリと戦闘機のシミュレーターは高成績だった。
スカイダイビングにクロスカントリー、スクーバダイビングなど、必要と思われる技能は貪欲に取得した。
帰国して総合型選抜で防衛大に入学。
成長しきっていない体では、クリアするのが難しかったモノもあった。それでも全学科、要員訓練で常にトップ成績を修めた。
米国でも日本でも粉をかけてくる男性は多かった。
暗がりに連れ込まれたこともある。ジャングルではゲリラとマフィア、ギャングに誘拐されかけた。全て退け、男たちを精神的にも物理的にも粉砕してきた。
天女ならどうするだろう? それが全ての指針だった。
そして運命的な出会いをする。
防衛大在学中に空挺訓練、レンジャー教育を願いでた。何度も強く願いでたおかげで、レンジャー教育の見学を許された。
その時は空挺団大隊長が特別指導教官だった。
彼はそれほど大柄ではない。顎ががっしりしていて、ある角度からは優しげにも見える。
空挺、レンジャー徽章持ち。
海外の特殊部隊に出向し、戦場で実戦経験を積んでいるという噂がある教官だった。鋭い目つきながら、時には訓練生を下品な冗談で笑わせていた。
それが芦田陸将補、その頃は三等陸佐だった。
そう、二等海尉ではなく「少佐」だったけれど。
「ああん? レンジャーを希望してるのか? うーん、キツイぞ?」
「SASクラスのサバイバル訓練は経験済みです」
「その歳でか? 体出来てなさそうなんだがなぁ、左利き用のキャッチャーミットじゃねえのか?」
「あっ!」
「なんだぁ?」
どうしたって「天女」にはなれない。
生身の体のままだ。
でもこの人、この渡来僧さんに付いて行くことはできるのではないか。
そう思うと鼓動が早くなった。
生まれて初めての経験。
この人を好きになったのだろうか?
※1 MIT:Massachusetts Institute of Technology マサチューセッツ工科大学。
※2 MCMAP:Marine Corps Martial Arts Program アメリカ海兵隊の近接格闘術。
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