キプロス島の薬草園
第2章
キプロスに着いて、ジェローム王と初めてお会いしたときは、とても緊張した。
女子修道院を出てから、殿方とそれなりに会話したりする機会はあったけれど、自分の夫だと思うと、どう接して良いかわからなかった。
するとジェローム王はとても優しい微笑みを浮かべ、「そなたの父とも兄とも思ってほしい。まだ幼いそなたは、子を成す身体にはなっていない。ここを我が家と思って安寧に暮らしなさい。」と言ってくれた。
そして、はるばるやってきてくれたお礼だといって、私に花畑をプレゼントしれくれた。こここで、好きな草花を育てるといい。薬草園にしてもよい」と言ってくれた。
私は早速、マリアンヌ様から習ったことを忘れないように、薬草を育て、薬を作り始めた。朝起きるとまず薬草園に行って、植物の世話をしていると、故郷を離れた寂しさを忘れることができた。王は私にサラセン人の言葉を教える教師をつけてくれたので、午後はその授業を受けていたが、私にはいつでもイタリア語で優しく話しかけてくれた。
毎週金曜日の夕餉は、王と取ることになっていた。そこで王はいつも私の語学の上達状況や、薬草園の様子などを詳しく尋ねて、褒めてくれたり、アドバイスをくれたりした。薬作りに必要な材料があれば、いつでも言いなさい、と言われ、始めて自分で切り傷用の軟膏薬ができあがったときは、とても喜んでくれて、ご自分の侍医を私に紹介し、私は薬作りにとても有益な知識を得ることが出来、新しい試作品ができるたびに、王の侍医は検証してくれ、時には王も一緒にその効果や使い心地などを確認してくれた。
私にとって表むきは夫であるジェローム王は、寛容な父であり、熱心な教師であり、私を心から慈しんでくれる保護者であったのだ。
私はこの生活に環境に全く不満はなかった。そして、誰に言われたわけでもなく、ジェロ-ム王の言動から、彼が心から愛している女性はマリアンヌ様に違いないと自然に感じ取っていた。
そして、私の父がジェローム王であり、母やマリアンヌ様だったら、と思うようになったのだ。
今、私がいるこの環境は、何か私の仮の居場所というか、いつわりの人生というか、本当の自分は別のところにいるような感覚がどうしても抜けなかった。
たまに会えるジェロームは優しかったけど、忙しいのか、よく王宮を不在していた。地中海各地を密かに飛び回っているようだった。王宮にいるときでも、夜遅くまで執務しているようだった。私はキプロスでの生活に慣れると、寂しいというより、そんなジェロームがとても疲れているのではないかと、とっても心配になっていた。
ある金曜日、私は思い切って、疲労回復のお手伝いができないかと申し出た。それ以来、夕餉のあと、ジェローム王の自室にそのまま一緒に向かい、疲労回復のためのマッサージを行うことになった。ジェローム王は慈愛に溢れた瞳で、マリアンヌの思い出を語り、私も彼にマリアンヌ様との思い出を語った。
時々、マッサージを受けたまま、ジェローム王は眠りに落ちてしまったことがあった。そのとき漏らしたジェローム王のつぶやきは、私だけの秘密にしておこうと思った。
毎週金曜日がとても楽しみだ、とジェローム王に言ってもらえて、少しでも自分がジェローム王の役に立てているのかと感じ、初めて、自分がここにいる意味を感じることができた。
その頃は、大きな建物の中を歩き回る夢を見ることはなくなっていた。孤児修道院にいたときのように、気軽におしゃべりする同性の友達もいず、身の回りの世話をしてくれる召使いと、zジェローム王の侍医と、副官だという男性くらいしか、話す相手はいない毎日だったが、一日のほとんどを薬草園で過ごし、週に一度、ジェローム王と語り合うという日々に、それなりに充実していたのだと思う。
それからしばらくして、ジェローム王は、毎週のマッサージのお礼だ、と言って、ヴァネツィア商館長との面会時に私を呼んで同席させた。もちろん重要な商談が終わった後だが、懐かしいヴェネツィアでの話などを聞かせてもらえた。やっとサラセン人の言葉が少しずつ分かるようになってきたときに、なぜわざわざイタリア語で会話させようとしたのかがわからなかったが、ヴァネツィア商館長は私に、ヴェネツィア特産の美しいレティセラの装飾品などを持ってきてくださった。
ヴァネツィア商館長との面会の同席は、4回ほどだったと思う。初回はとても和やかな雰囲気であったのが、回を追うごとに、ジェローム王と商館長の表情が硬くなっていくのがわかった。そして4回目の面会のあと、ジェローム王が、不安そうな私に状況を説明してくれた。
その日から、また、私はあの夢を見るようになった。