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メリ  作者: ぽーよら
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第8章 メリ(後編)




一方、れいと。

彼は無事だった。



2日間。


れいとはせつなの手配で、これまでにせつながなぎとライブをしたという会場を見て回るという旅を続けた。

飛行機まで使った。

せつなの目的はわからない。

それでも、従った。

せつなから今は敵意も感じない。


「ここはね、なぎと僕が最後にライブをした場所、、、」


小さめのビルのホール。

せつなの靴がこつこつと鳴る。

「、、、」


これまでの流れも同じだった。

せつなに言われるがまなに、ホールやライブ会場を回った。

せつながなぎとの思い出を懐古する。それだけだ。

時計がない。スマホもない。なので、今日が年末ライブの日だというのはわかるが、

時間がわからない。


「それで?」

せつなが最後、と言ったのでここが旅の終点のはずだ。

れいとはずっと、考えていた。

旅の目的を。せつなの目的を。

「、、、なぎといるの、辛くはないかい」

「は、、、?」


ぽつりとせつながつぶやく。

「何、、、を。どういう意味だ」

「君は何のために作曲をするの?」

せつなはその窓際に腰掛けた。窓は防音素材の、分厚いアクリルだ。

太陽の入射角度かられいとはだいたいの時間を想定した。

おそらく、昼すぎごろだ。

まだライブに間に合う。

「何のために創作するの?」

「、、、」

れいとはこれには答えられない。

いや、答えがまだない。

作詞や作曲とは無縁の人生だったし、本来はファーレンハイトに入るつもりだった。

「あんたは?」

「そういうあんたは何で、歌を作る」

「、、、」


せつなのことは表面的にしか知り得ない。

天才音楽家。

「僕か、、、」

せつなが遠くを見る。

「君だって、水の中じゃ生きられないよね。呼吸しないと、もう生きていけない」

「、、、?」

「そういうことだよ。溺れるのは怖いよね。、、、海は嫌いだ」

「は、、、?」

れいとは考えた。何を言っているのだろうか。

「つまり創作は、僕にとってはライフワークなんだ。呼吸や睡眠と同じ。義務であり、惰性。精神の昇華のサイクルであり、ルーティン。、、、そこに感情はない。いや、、、無かった、、、かな、、、」

無かった。それは、つまり。


「離れてわかることがあったんだ」


この2日間、れいとは考えていた。

白鳥せつなは敵か、どうか。

どうしたらいいのか。

今はっきりと、敵だ、と感じていた。


「僕がこっちで個人事務所を立ち上げる、、、か。この噂、信じた?、、、間違ってるよ。」

しかし、実際せつなは、れいとたちを勧誘した。僕の事務所、とはっきり言った。

「僕の事務所はね、櫻井が出資してる。櫻井にくれてやるものを揃えただけだよ。まぁ、全員に反対されたけど、これは想定内。計画は年単位で考えているし。僕も気が変わってさ。今の、

僕の計画はね、、、」


れいとは、問題を解決しなくては、ライブに行けない、とはっきりと理解した。

それは時間だとか距離だとか目的だとか、そういう物理的な話ではない。

この問題を放置したままライブに行っても、何も解決しない。

たとえメリの存続が決まっても、

今ここで、この、敵と、

白鳥せつなと、決着をつけなくてはならない。

そうしなくては、なぎとの、メリの、未来が、ない。


「なぎを連れてアメリカに行きたいんだ。」


白鳥せつなはすべての真相を語り始めた。





ーーーーーーー





これは、白鳥せつなの回想である。

なぎと出会う前。いや、白鳥せつながこの世に生を受けてからの挿話である。


白鳥せつなは、世界を飛び回る音楽家の両親のもとに生まれた。自身も幼少期から両親と世界を飛び回ることになった。

当然のように楽器と、楽器を手足のように扱う大人たちに囲まれて育まれたのは、音楽の才能、センスであり、それは生涯の高下駄であり、同時に足枷のように重い鉄の下駄であった。


物心ついたころには「創る」ことが、当たり前に存在していて、それは呼吸ほどの距離で、法律のような義務で、生活の中心だった。


一日に何時間もピアノや、バイオリンと過ごした。

勉強もした。スポーツもした。自発的にできたことだった。素地があった。両親の期待に応えるだけの。



やる。


やるしかない。


他の選択肢は、なかった。


ーーーーーーー


「日本へ行く?」

「はい、お母さん。日本で、芸能界で活動をしたいんです」


年齢でいえば高校に入る頃だったが、飛び級で海外の高校を卒業していたため、大学に行くとしても余暇ができた。時限つきで、旅をしたいと決めた。


「失礼ですが、せつなさん。日本の音楽業界は低俗でレベルも低い。あなたの将来に必要な道程でしょうか?」

せつなの母親の問いは、最もだった。

「低い、とは?」

「サブカルチャー依存の拝金主義、流行を無理やり作り出して消費する資本主義の澱のような点です」

せつなの家は、カリフォルニアの10億円ほどの邸宅だった。広く、無機質で、母親の声が遠い。

「それでは、クラシックやオペラの世界は、そうではないと?」

「少なくとも」

「まぁ、否定はしませんけれど、、、旅なのですから、苦労も一興だと思いませんか?時間を下さい。3年、、、そのくらいで、構いません。20歳には戻ります。大学へ行きます。あなたたちの後を継ぎます。」

「、、、約束ですよ」


時限つき。

せつなの旅は、思いつきだった。海外が拠点とはいえ両親は日本国籍だ。自分のルーツを見てみたかった。

せつなは帰国した。初めての日本だった。


空港では、マスコミがせつなを待ち構えていた。せつなは既に有名な作曲家で、たとえばプロのスケーターにオリジナル曲を提供したり、ハリウッド映画の主題歌を作ったりしていた。それが既に日本でも有名だった。

そのせつなの来日はしっかりとニュースになっていた。


「白鳥さん、今回の来日のご予定は?」

「白鳥さん、ご両親は?」

「白鳥さん、日本のファンへひとこと」


マスコミの喧騒に笑顔を向けて、せつなは考えた。何をしようか。

どうせなら、面白いことがしたかった。

では、面白いこととは?自分が面白いと感じることは?


「白鳥さん、音楽のどのような点が好きですか?」


ひとり、若い記者が、スーツケースを片手に進むせつなに話しかける。

せかせかとした様子に、おろしたてのようなスーツはまるで新品だ。


好き?


音楽が好き?


選択肢がなかった。

音楽の道に進む意外の道がない僕に、どこを好きかと問うというのか。


「、、、今度答えるよ。君、名前は?」


記者の所属する会社と名前を覚えた。どうせ忘れる。せつなは空港を後にした。

ホテルでpcをチェックすると、仕事の案件がいくつもきていた。楽曲制作依頼や、芸能事務所に所属しないか、というものがあった。


これは逃避行だった。

生まれた頃から、上質、価値が高い、ハイコンテクトで、階級主義的で、階層化した思想に傾倒した両親といた。

ありがたいことはネットの発達した時代だったことだ。

くだらない、下世話でポップなサブカルチャーに、興味を持ったのは、両親へのアンチテーゼだった。

もし、自分が、音楽を捨てて、両親が嫌うような低俗な世界に身をやつしたらどうなるだろうと夢想する。

しかしきっと、どうにもならない。

両親はせつなを見捨てる。それだけだ。想像に難くない。


空港であった記者の質問が脳内でこだました。

ベッドに仰向けになる。

どうしたら。

これから、輝かしい未来が待つはずの身は、たまらない閉塞感と気だるいモラトリアムに潰されそうだった。


音楽なんて、たぶん好きじゃない。

自分が好きなものなんて、わからない。

呼吸ができなければ死ぬから、ひとは無意識に呼吸をしている。


ただできるだけだった。ひとよりも。

生まれつき容姿の良い人間を褒めることと同じだ。

両親に恵まれただけだ。

そこにアイデンティティはなかった。

ないものねだりでそれを追い求める人間の方が、誠実で、美しいと思った。

できれば、叶うのならば、一度、泥にまみれてみたかった。

地を這い、汚泥に濡れ、何度も傷ついて、それでも立ち上がる、そんな人間になりたかった。

自分にはそんな壁は訪うことはなかった。這い上がるような人生ではなかった。もともと上にいた。つまり、地の利があった。人生そのものに。


純粋なものを、見たかった。

見つけたかった。

人生で、両親の影響なく、これだけは、自分が自分の力のみで手にしたものだという、何かを、作り上げたい。


そのための旅だ。


3年。

作ったものをどうするかなんて、考えていなかった。

どうでもよかった。


ひとりになると哲学に夢中になれる。

悩むのは嫌いではない。


日本で、話題のアーティストを幾人か調べた。せつなのお眼鏡にかなったのは、わずかだった。

熊谷のあ。音楽性に共感した。聡くて、やや繊細なことがうかがえた。精神の昇華。彼の音楽は儀式だった。憐憫と、泥。美しくて、美しくない所が好きになった。しかし、しばらく新曲がない。


七星ひゅうが。歌が抜群に上手い。才能だ。しかし、自分と真逆の人間性に嫌悪感があった。光の存在だった。愛され、真っ当に育まれた人間にしかないそれを感じた。美しいだけのものを見ると、なぜか自分が責められているよな気分になって、鬱屈とした気持ちを持った。


そのあたりにちょっかいを出してみるか、と考えた。

旅の終わりには両親は結果を求めてくる。わかりやすいものさしは、金だった。

ビジネスホテルの安っぽいシーツの布擦れの音が不快だが、スマホを見る。動画サイトを適当に開いて時間を無駄にしていると、新着動画が目に入った。


「、、、」

子供がいたずらで投稿した、ホームビデオだ。

お兄ちゃん、と呼ばれる少年が歌う。カメラはぶれていて、音質も悪い。


笑える話だ。

自分とは隔絶した世界の別の生き物。

歌っているのはさきほどの七星ひゅうがのソロだ。

きっと何も考えていない。

こういう奴らには、僕の音楽なんて、理解できない。

創作とは、魂の問題だ。

商業主義に左右されなくては作品を作れないなんて愚の骨頂だ。

資本主義が、自由主義が、芸術の意義を殺す。

大切なことは、こんなことじゃない。

スマホを放り投げて、シャワーを浴びて、考えることにした。

しかし。




先ほどの動画が頭から離れない。



「、、、」


何が魅力的なのだろう。

言語化できなくては意味がない。

考える。

自分と違う所かもしれない。

何が、、、。



「、、、」


早々にシャワーを終える。

何もかもが不愉快だった。

外を見る。狭い空は暗くなっていて、地獄の入り口のような色の夕焼けに街が焼かれているように見える。

ひとつひとつの、マンションや民家から漏れるあたたかい光の中に、ひとつひとつ、家庭という機能が存在していて、その中で人々はあたたかい食事を囲んで団欒という人生で最も尊ぶべき時を過ごしている。自覚もなしに。


この時間帯は苦手だった。

悲しい気持ちになる。


ベッドの上でしん、としているスマホを見る。

あの動画のどこに、そんな魅力を感じた?


それこそ、理由はないのかもしれない。

良い所、なんて明確にわからない、それでも好きだと言えるものが、この世にはある。

それこそが、真に、魂の呼ぶ声なのかもしれない。

他者にはわからない、滑稽でおろかな選択肢かもしれない。


もし、そんなものが、自分にもあるとして。


いや、わからない。

こんなことは初めてだった。初めて自分への信頼が揺らいだ。


試すしかない。


この子供は生贄だ。

僕に、僕に、、、僕のために犠牲になってもらうしかない。


それに理由を見つけなくては。

自分が凡人と同じなのか、確かめる必要がある。

創作とは何か。

なぜ、作るのか。今、音楽を作る理由をこれからも貫けるのか。


なぜ、この動画が頭から離れないのか。


スマホを手に取る。

もう一度、動画を見ようとしたら、削除されていた。やはり、子供がおふざけで投稿したのだろう。再生回数、1。画面には、この動画は削除されました、と表示される。


せつなはpcを立ち上げた。

旅の始まりだった。

まずは、熊谷を使おうと思った。それから、熊谷がPPCという事務所に所属しているとわかった。ひゅうがもだ。代表は意外にもまだ若い女で驚いた。、、、面白くなる、と思った。




ーーーーーーー




熊谷のあは、実に「惜しい」男だった。

だが鏡を見ているようで哀れだったので、救ってやろうと思った。もし並行世界なんてものがあって、創作に潰された自分がいるとした、こんな感じだろうな、と思った。


PPCの代表に、事務所に所属したいと願い出た。当然、二つ返事で話が進んだが、代表としか話さないことと、熊谷のあに会いたいとも申し出た。せつなほどの大物であれば、許される程度のわがままだった。

代表、波々伯部悦子が、熊谷を連れてきた。

PPCの一番良い会議室があてがわれた。


「はじめまして、白鳥です」

「はじめまして。私は波々伯部悦子。」

熊谷は悦子の横でこちらを睨んでいた。タッパがあるので迫力がある。悦子が熊谷を小突いた。


「ごめんなさい。熊谷をご指名のようだけれど、彼は、、、最近体調が良くないの。ちゃんと話し合いができるかどうか、、、」

「、、、熊谷です。はじめまして」

ようやく熊谷が口を開く。にこり、完璧に胡散臭い笑顔だ。

せつなはこのふたりが、そういう関係なのかとも考えたが、悦子は隙のあるタイプに見えなかった。体調、とはメンタルの方だというのは、せつなは察していた。なので、少なくとも本当に熊谷が不調なのだと信じたのだ。ほくそ笑む。使える。人生はチャンスの連続だ。


「かまいませんよ。日本で活動するにあたり、、、僕のスタイルは知っていますよね?クラシックだとか、大衆受けしないジャンルばかりなので、ポップやロックを勉強したいんです。日本のアーティストを何人か調べて、、、熊谷さんは、いいな、と思ったんです」

「日本で活動、、、ですか。それで、PPCに所属したいと?」

「はい」


会議は、顔合わせのようなものだ。

せつなは窓際に移動して空を眺めた。

「もちろん、独断で決めるわけにはいかないかと思いますが、力添えいただけますか?」

「、、、PPCの現状をご存知で?」

悦子は聡く、賢いと、せつなは思った。リスクヘッジのとれるタイプだ。

PPCの現状。そう、この頃のPPCは決して、飛ぶ鳥落とす勢いの会社ではななかった。と、いうのも、2年前、GGI、つまり櫻井の会社のひとつのグランレーベルへ、アーティストの大量の引き抜きがあった。

PPCの経営は傾き、役員は責任を取って辞任。たいした経歴もない悦子は、いやいや出世した。人身御供。よくやっている方だ。

残ったアーティストの筆頭の熊谷を切らずに面倒を見ているのは、彼にかけているからだろう、と考えた。それとも、個人的な感情か。

つまりせつながPPCに入ることは大きな意味があるし、悦子が疑うのも無理はない。GGIの方が良い。


「帰国してすぐにGGIからも打診があって、好きにさせるから、グランレーベルに所属しろって言われましたよ」

「そうなの。」

「海外展開を中心にした新しい企画を僕に任せたいって。まぁ、でも、やめました。使えそうな人間がいなくて、、、」

「使えそう、とは?」

「熊谷さんとふたりで話がしたいんですけど」

「!」


悦子が身構える。熊谷は悦子の後ろから、せつなを見た。無表情だ。

「白鳥さん、熊谷は、、、」

「いいですよ」

「熊谷!」

「時間をもらえますか」


悦子は黙って退出した。せつなと熊谷のふたりになる。

熊谷はゆっくりと、適当な椅子に腰掛ける。


「それで?」

不遜な態度。

「、、、熊谷のあ。君には僕の手足になってもらいたい。僕がいなくなった後の保険でもある。具体的にはアーティストは引退だ。マネージャーに転向するように」

「できるとでも?」

それは、いろいろな状況を鑑みて、だった。ひゅうがではなく熊谷を選んだ理由は単純に学歴でもあった。それから、近しい肉親がいなかったこと。

が、当然、熊谷を動かすにはそれなりの理由かいる。悦子が熊谷を繋ぎ止めているのは、PPCのためだろう。七星ひゅうが率いるファーレンハイトは駆け出しで、今年が勝負だろう。

「君次第だ。君も、、、僕は知っているだろう?」

「昨日連絡を受けた時点で調べました。それだけです」

熊谷からは、せつなはどう映ったのだろうか。きっと鏡のようだとは思っていない。むしろ、同族嫌悪めいた感情だった。信用ならない男。他人を支配して、傷つけることを難なく、むしろ楽しんでできる、そういう、生来のもの。

「手足だなんて、良く言いすぎたね。奴隷が欲しいんだ。馬車馬のように働く、ね。」

「それほどの対価が出せますか」

「君に、後生、人生の光になるようなものをプレゼントするよ」


しん、と室内が静まり返ったような気がした。



「光?」

「そう、光」

光、とは。熊谷は、わけがわからなかった。

「自分が嫌いだろ。汚くて、価値が低いと思ってるだろ。自分自身と、アーティストの自分が乖離してるだろ。寄ってくる連中が見てるのは本当のお前じゃなくて、ミュージシャンの熊谷のあだよ」

「やめろ、、、」

せつなが熊谷に近寄る。逆光で、表情はまるで見えない。薄明光線が差し込む空を背負うせつなはまるで、運命の使徒のように見えた。後光が訪う。死か生か。返答に、人生がかかっていると熊谷は気づいた。気づいたが、遅かった。逃げるという選択肢はもぎ取られていた。

「代表取締役は、仲がいいのかな?君に入れ込んでいるね。まぁ、PPCを立て直すのにお前が必要なんだと思うよ」

「、、、違う、彼女は、、、」

「へぇ、そう。そうだといいね。実現しよう。欲しいものは全て手に入れる。そうだろ?お前に僕は欲しいものをプレゼントする。だから、お前は僕のために働くんだ。」

「、、、」

「光を見せてやるよ。お前は後生、その光を頼りに、どんな暗い森も、嵐の海も、もう迷わない。それは、誰もが喉から手が出るほど欲しがるけれど、手に入れることのできないまま人生を終える、そんな宝物だ。それから、代表取締役も、お前を見直すよ。彼女も手に入る。人生のすべてが良くなる。」

「、、、」

「PPCを立て直すきっかけを僕が作るよ。僕が事務所に所属する、、、それだけで十分話題になる。年末ライブだっけ?僕の計算だと、あれがもっと盛り上がるとPPCは一気に回復すると思う。ファーレンハイト、、、七星が使えるよね。」

「それ、は、、、」

せつなには、すべてが見えていた。

熊谷は、どうして、創作が、曲を作れなくなったのか、わからなかった。わからなかったが、対処療法を心得ていた。何もしないことだ。一年、作曲ができなかった。創作を人生の羅針盤にしたことのあるものでないと、わからない。精神を食むものが、急に解決することはない。何年、何十年、廃人かもしれない。悦子の家にやっかいになっていた。ただ寝たり起きたりをしていただけだが、このままでもいいも思っていたし、このままではいけないとも思っていた。

悦子が、昨晩、せつなとの件を熊谷に話した。悦子は、熊谷に無理をしなくていいと言った。せつなに会えば、何らかのきっかけになるかも、とも言った。

それが、熊谷のあ本人のためなのか、アーティストとしての熊谷のためなのか、この時の熊谷には、わからなかった。

目の前は常にぼんやりと薄暗くて、何かの途中だと駆け抜ける雑踏に、つまされる。

自分の現状を分析できる程度には、頭が働いていた。

だから、これがとてつもない暁光だと、理解した。

せつなの提案に乗る意外なかった。


廊下で待っていた悦子に、せつなは声をかけた。交渉が成立した、と言った。

「熊谷、、、?」

何の交渉だと言うのか。会議室の中の空気が、先ほどまでと違うことに、悦子は気づいた。せつなの発言の前に、熊谷を今日ここに連れてくるべきではなかったと、後悔した。

「代表取締役、熊谷と交渉が済みました。彼には引退してもらって、僕のマネージャーになってもらいます。僕はPPCに入社します。PPCを立て直すことに貢献しますよ。まずは年末ライブを成功させましょう」

この件は、悦子の意見は関係なしに、役員会議で即座に決まった。


ーーーーーーー


数週間後、せつなは熊谷とともにとある民家へ向かっていた。



「これを見て。この動画。このコに会いに行くよ」

「、、、」

熊谷は運転しているので、横目でその動画を見た。特段、感想もない。いったい何だと言うのか。

「大丈夫大丈夫。僕のやることは一見目的とは何も関係ないように思えるけれど、いずれわかるよ。君は僕に従う。それだけでいい」

せつなのPPC所属は大いに話題になった。マスコミはその件で持ちきりで、すでにCMのタイアップや、取材の仕事を取り付けた。

熊谷はマネージャー業は当然初めてだが、芸能事務所では元アーティストや元アイドルや元タレントがマネージャーをしていることは珍しくない。熊谷は難なく仕事を進めた。意外にも、こういった仕事が合っているように感じた。

PPCで、せつなに課せられた使命がひとつあった。年末ライブを成功させること、だ。どんな形でもいい。しかしせつなは年末ライブに出る気はないらしい。

連日、せつなはユニットを組むのか、とか、ソロでやっていくのか、とかせつなの今後についての話題でもちきりだ。

いったいどんな手を使うというのか。

「調べるのに苦労したよ。この動画サイト、サーバーが東南アジアでさ。そこから情報もらって突き止めたんだ。凪屋家。」

一軒の、平凡な民家の前で、車を停めた。

家の車があるのと、土曜日なので、在宅の気配だった。リビングの窓の向こうのレースカーテンの奥で、小さい子供が走っているのがうっすらと見える。

「書類は持ってきた?」

「はい、どうぞ。スカウトですか?」

「そう。援護は頼むよ」

ふたりは車から降りて、アポなしで、この日はじめて、凪屋家に足を踏み入れることになった。


ーーーーーーー



「え、、、?」


凪屋家には、母親、長男、長女、次女が在宅していた。

今、本当に心の底から驚いている、という表情で固まっているのが、長男の凪屋なぎ。せつなと熊谷が訪ねた目的の、渦中の人物だ。


「もう一度話すね、凪屋君。僕といっしょにデビューしよう」


熊谷はたいして話を聞かされていなかったので、内心驚いていた。

たったひとつの短い動画で、あの白鳥せつながいっしょにユニットを組む相手を決めて、自ら勧誘しにきた、というのだ。

凪屋家は、本当にごく一般的な、普通の家庭だった。車はありきたりなワンボックスカーで、安っぽいカーポートに、庭は子供用の自転車や、ガーデニング用のプランターなどがあった。決して汚いわけではないが、生活感があった。室内もそうで、使い込まれた靴が端に寄せられていて、ソファにはクレヨンのらくがきを落とした汚れが残っていて、ダイニングは子供のいる家庭のにおいだった。

母親と、なぎ、それから向かい側にせつなと熊谷が対面した。

妹たちはうろうろとしいた。テレビにでているお兄ちゃんだ、と下の妹は言った。

せつなは熊谷とともに、まずアポ無しでの訪問を謝罪した。それから目的を話し、熊谷は横ですでに書類を用意していた。暗に断れない雰囲気を出す。


「動画を見て、一目で君だって思った。どうかな、凪屋くん」

「なぎ、動画って?」

母親はどうやら動画の件を知らないらしい。

「えと、、、」

「ママ怒らない?」

長女の方が話に入ってきた。

あの動画は、子供がふざけて撮ったものを、子供がふざけて投稿した、そういうものに見えた。実際にすぐに動画は削除された。どうやら親には話してもいなかったようだ。

「待って、かれんもみあも悪くないんだ、俺がちゃんと、、、えーと、、、」

なぎは、妹たちをかばった。

せつなは既になぎの性格を見抜いていた。あえて動画の話を出したのだ。

なぎは動画投稿の経緯の説明をした。

「動画、、、すぐ消したのに、見たんですか?」

「うん。見たよ。とても良い動画だった。それで、君に会いたくていろいろ調べたんだよ」

せつなの笑顔はまるで救国の騎士のようだった。完璧な態度。熊谷はスーツだが、せつなは綺麗めの私服だ。威圧感もない。

「あの、、、俺、そんな、プロとかそういう気なくて、、、」

「だろうね。けど、考えて欲しい。凪屋さん、こちらは契約書の雛形です。本契約の場合は別途書類にサインをいただくことになります。」

なぎの母親は書類を受け取るものの、なぎがあまり乗り気ではないのを受けて、困っている様子だった。

「これは私の名刺です。何かあればこちらへ」

「これは僕の個人的な連絡先。」

熊谷はふたりにそれぞれ名刺を。せつなはなぎに、メモを渡した。電話番号だ。

「良い返事を期待してるよ」

ふたりは凪屋家を後にした。


ーーーーーーー


熊谷は、いまいちピンときていなかった。

ただの子供だった。

彼のどこに、せつなは何を感じたというのか。

「熊谷、彼が連絡先してきたらよろしく」

「はい」

「GGIへ送ってくれるかい?櫻井って、、、会長だっけ?話があるって呼び出されたんだ。帰りはいいよ」

「どういうことですか?」

「脅されてる」

「、、、そうですか。」

「冷たいなぁ。他にないの?」

「ありません」


熊谷はせつなにさほど興味が無かった。そう、この時は、なぎにも。ただ淡々と仕事をしていた。

悦子の家を出て、また一人暮らしだ。

身なりも整えた。精神を病んでいた頃より持ち直したはずだが、悦子の反応はあまり良く無かった。

熊谷はせつなに従った。

「ねぇ、そうだ。七星ひゅうがに会ってみたいんだけど。代表の秘蔵っ子。どんな奴?」

「ひゅうがですか。無口で、おとなしい男です。ファーレンハイトのフロントマンの時の彼とは印象がだいぶ違いますよ」

「へぇ、、、」

ファーレンハイト。悦子肝入りのグループだった。リーダーの七星を中心に、どのメンバーもプロフェッショナルだ。一体どうやってあれほどの鬼才を集めたのか。PPCの立て直しの重要な要。


使えるだろうか。


せつなの計画は順調だった。

あとは時間が答えをくれる。


ーーーーーーー





「はじめまして、櫻井さん」

せつなは呼び出された側だが、ひょうひょうとしていた。正直なところ、せつなは怖いものがなかった。全能全知。これは決して、若者の妄想ではなかった。


「はじめまして、白鳥君。」

「えーと、僕に、GGIに移籍しろとのことですが、、、」

「みなまで話さなくても、君ならわかるね。PPCを潰したいんだ」

「ふーん、、、」


2年前にGGIのGレーベルは、PPCのアーティストを秘密裏に大量引き抜きして、大きな話題となった。

「君のために会社を作る。君が代表だ。いくらでも出資する。どんなアーティストが欲しい?用意しよう。」

「うーん、、、」


どんなアーティストが欲しい。

考える。それこそそれは、実力的には、熊谷かひゅうがが頭に浮かんだ。

「PPCを裏切ってそっちにつくようなアーティストはいらないかな」

革張りの高級なソファにだるくもたれかかったまま答えた。櫻井は窓際に立っている。

Gレーベルに移籍したアーティストは売れっ子もいたが、せつなのお眼鏡にかなうものはいなかった。

「ふむ、、、」

「プロデューサー業は楽しそうだから興味があるけれど、、、」

「白鳥君、これは、交渉ではなくて、脅しだとは思わないかな?」

「もちろん。」

櫻井の声は、冷たい。

「あなたのような、、、創らない、側の人間にはわからないかと思いますけど、、、」

せつなは体勢を直した。


「アーティストって、売れているから正義、というわけではないんですよね。売れている、生活できている、なんて、所詮、流行りの稼ぎ方に乗れるかどうかですよ。それよりもっと、アーティストとして大事なことがあって、僕はそこを重視しているので、、、」

「大事なこと?」

「人間性」

「、、、」

せつなはふざけているようで、これは真剣な話だった。

せつなの本心だった。

「知ってる?本当の人間性って、僕やあなたのような者は持ち合わせていないんですよ」

「、、、」

櫻井は微動だにしない。ふたりは互いを探り合っている。空調の音がしずかにこだまする。


「生まれた時から両親や周囲の人間に心から愛されて育てられた者だけが、持ってるんですよ。他人を心から思いやる気持ちや、愛すること。善悪や利益に囚われない無償の、人間性をね。」

せつなも立ち上がる。

「PPCにどんな恨みがあるか知りませんけど、、、潰したいから、協力しろ、ですよね。仕方ないな。あなたみたいな人に恨みを買うと怖いからなぁ。まぁ、あなたが集めたの程度のアーティストじゃPPCを潰せないって自覚あるのはさすがですけど。」

そう、櫻井自身、わかっていた。PPCを裏切り、GGIにきたアーティストたち。今は売れているかもしれない。しかし、先がないように感じた。10年、20年人々の心に残り続ける。そういうアーティストでは、なかった。今、PPCを倒せるかもしれない。しかし、どうだろう。本当に勝ったとは、言えなかった。

「僕が、、、本当のアーティストを集めますよ。後はあなた次第。どうです?ピックアップのお手伝いと、、、そうだな交渉のテーブルにつかせる、そこまでかな。」

「、、、いいだろう」

「僕の働きに、対価は?」

「何か欲しいのかな」


せつなの欲しいもの。

それが、櫻井程度に用意できるものではないことは、せつなはわかっていた。

櫻井を舐めていたのだ。


「自由、かな?」


せつなは驚いた。

「、、、」

櫻井ならやるのだろうと思った。

両親に恨みはなかった。

「できるの?」

「できますよ。白鳥さんは、できないのですね。だから、人間性などと言うのですね」

「、、、そうかもね」

「では、私に見せて下さい。あなたの言う、真のアーティストを。対価はそれからです。それに納得できたら、にしましょう」


この時から、せつなは考えることが増えた。

どうすれば、自分の理想のアーティストをあつめることができるか、である。簡単なことではない。しかし、櫻井の提案は魅力的だった。どんな手法を使えば、それが手に入るのか。


自由。


すると、せつなの携帯が鳴った。

なぎだった。

せつなは櫻井との話を切り上げて、ビルを後にした。電話にでる。



「も、もしもし、、、?」

「やぁ。」

「白鳥さん、、、?」


こんなに早く連絡が来るとは思ってもいなかった。

「今、話せますか?」

「大丈夫だよ」

櫻井のいた時の自分と切り替える。できるだけ、声を優しくした。


「あの、せっかく、家まで来てもらって悪いんですけど、お話を断りたくて、、、」




ーーーーーーー




夜。

といっても、まだ20時くらいだ。せつなはなぎに従って、なぎの自宅の近くの公園へやってきた。誰もいない。目の前のコンビニはちらほらと人の出入りがあった。



「白鳥さん!」

「やぁ」

「すみません、呼び出したりして、、、」

「僕も君とふたりで話したかったから」



せつなは公園の、なんともいえない像の形のオブジェで待っていた。子供の頃、こんなもので遊ぶことはなかった。


「あ、懐かしい、、、。昔よくこれで遊びました」

「昔?今も子供でしょ」

くすり、と笑う。

雑談をするだけの余裕はあるようだ。初対面の時は家族がいたこともあり、気を遣っていたのだろう。屈託のない表情。


「それで、あの、、、」

「歌ってよ。」

「えっ」

「僕の申し出を断るなら、選別に、君の歌が欲しい。」

「えっ、、、」


せつなにとって、なぎひとり操ることなど、容易かった。しかし、それでは意味がない。


「は、恥ずかしいからやだ、、、です。」

「ふふ、そう?」

人並みの反応。からかっているわけではないが、困惑が見えて、安心する。

なぎからは、裏表や、計算や、打算、そういうものを感じない。ただ子供だから、純粋なだけかもしれない。


「歌うことは好き?」

「え、、、ど、どうだろう。ファーレンハイト、、、知ってますか?妹が好きで、、、えと、メインボーカルのひとがかっこいいって。」

「あぁ、、、」

「あの」

「ん?」

「なんで、俺を、、、選んだんですか?俺、何の才能もないんですけど、、、」

「、、、」


才能。

そんなものに、どれほどの価値があると言うのか。結局、人間、わがままだ。欲しいものは無償のものだ。承認、賞賛、愛。

愛される側でありたい。

選ばれる側でありたい。

間抜けな妄想だけは人種を問わない原罪なのだ。


「僕はね、曲を、、、歌を作る側なんだ。」

「あっ、は、はい。調べました。すごいひとだって知らなくて、、、びっくりして、、、」

「だから、どんなひとに歌って欲しいか、の基準で考えて、君を選んだんだよ」

「、、、はぁ」

なぎはまったくピンときていない様子だった。

「熊谷のことも調べた?僕の隣にいたでしょ」

「あっ、はい。有名な人で、、、やめちゃったんですか?マネージャーって、名刺に書いてあったから、、、」

「そう。僕のためにね。話戻すけどさ、君は、もし僕の立場だったとして、どんな人に、自分の作る歌を歌う許可を出す?上手い人?だれでもいい?犯罪者とかでも?」

「え、、、」

創作者は、作品を世に出すだけだ。誰にそれを受け入れてほしいか、そんなことを選ぶおこがましい権利はない。ましてや、受け手の感想がどんなものであろうと、それを制限するなどはありえない。選民意識。許されないことだった。

「どんなひとにも僕の作品を受け入れてもらいたい。だからこそ、歌うひとを選ばないと。誰が歌うかも含めて、作品なんだよ。それで僕はね、小賢しい人間が好きじゃないんだ。できれば、清廉潔白で、嘘をつかなくて、自分に正直で、しっかりと意見をもっている、、、そんな人間がいい。」

「、、、?」

せつなの条件に、なぎは自分はあてはまらないと思った。そんな、大層な人間ではない。

「君は、直接僕に会いに来たよね。えらいね。やっぱり、君と歌いたいな」

「あ、、、でも、俺は、、、」

「そうだ。じゃあ、僕、一曲作ってくるよ。君のために。それを聞いて、それでもっていうのなら、諦める。どう?」

「え!?」


あの白鳥せつなが、自分のために、曲を。

「そうしよう。あー、、、明日も会える?」

「あ、会えます。けど、、、」

「じゃあ、今日と同じ時間ね。よろしく」


気まぐれだった。

なぎと話していると、なんとなく、なぎのための曲が頭に思い浮かんだ。

せつなはホテルに戻って、一晩で曲を仕上げた。


ーーーーーーー


「はぁー、、、」

一方。

なぎは帰宅して、うまく断れなかったことを後悔した。気を持たせてしまったかもしれない。


「お兄ちゃんが芸能人かぁ〜、、、」

なぎの隣で、みあが笑う。しかし、そんなつもりはない。

「断るよ、、、。俺そんな、、、」

「そう言うと思った!」

「あはは、、、」


せつなの話は要領を得ない。

なぜ自分を選んだのか。

自分のどこが良いと思ったのか。

自分とこれから、どんなことをするつもりなのか。

当然、いきなり芸能人にならないかとスカウトされて、おいそれと返事はできない。両親は、なぎの好きにするといい、と言ってくれた。


歌が好きか?

、、、人並みだ。作曲とも無縁だ。学校のリコーダーと鍵盤ハーモニカも、うまくはない。ピアノもできないし、なんなら楽譜もさっぱりなのだ。

「明日、、、会って、断るよ。ごめんね、みあ。楽しみにしてたりした?」

「お兄ちゃん、、、ううん。いいの。お兄ちゃんが選ぶことでしょう?」


「うん、、、」



ーーーーーーー



翌日、同じ時間に公園でせつなを待っていただが、現れたのは熊谷だった。


「乗って下さい」

「え、、、」

社用車。白いバン。あまり親しくない人間についていっていいのか、なぎは迷った。

熊谷を見る。無表情だ。どんな人間なのか、わからない。しかし、せつなにも熊谷にも、誠意を示す必要がある。自分を選んでくれたのに、断るのだから。

なぎは意を決して、車に乗り込んだ。

車内は無言だった。

なぎは熊谷を観察した。

運転はスムーズで、あまりにも静かだ。

「、、、あの」

「はい」

「ぐ、具合わるい、感じですか?こないだもあんまり、顔色良くなさそうだなって、、、」

熊谷は怪訝そうになぎを見た。

するも、なぎは持っていた鞄からペットボトルのお茶と、飴をとりだした。

「どうぞ!」

にこりと、なぎが笑う。

子供と接するのは、久しぶりだったので、熊谷はたいした気遣いもできずに、ただどうも、と答えた。

車が向かった先は、ホテルのプールだった。


「白鳥さん」

「や、なぎ。」

「プール、、、?」

「もうすぐ、プール解禁で、きれいにしたばっかりなんだってさ。」

そこは夏にはナイトプールとして女性に人気になるスポットだった。今はライトアップも無く、ただ水がはってあるだけだ。夜なので、水は暗闇をたたえていた。


「ほんとは海に行きたかったけど」

「海、、、?」

「僕、泳げないんだよ。海が嫌いなんだ。子供の頃に溺れたから。笑えるでしょ?」

「そ、そんなことないです。」

「そう?それでね、僕は君とユニットを組むなら、メリ、っていう名前にしたいんだ。フィンランド語で海って意味だよ」

「、、、?嫌いなものの名前をつけるんですか、、、?」


夜のプールが珍しいらしく、なぎは辺りをうろうろとした。

せつなはギターを準備する。

熊谷はただ立っていた。なぎを帰りに送迎しなくてはならない。

「じゃあ、聞いてもらおうかな。」


せつなが歌う。なぎはせつなの前で、ただ歌を聴いていた。なぎのためのせつなのワンマンライブ。贅沢な時間だった。

水面は静かに揺らめいていた。

なぎはせつなの誘いを断るつもりできた。

しかし、どうだろうか。

せつなの曲を前に、そうもいかなくなった。




、、、自分のために、この曲を?



ギターの調べは魔法のようだった。せつなの声は幻の鳥のさえずりのようだった。

せつなはなぎに、なぎを選んだ明確な理由を伝えなかった。伝える必要がなかったからだ。聞けばわかる。せつなは音楽家なのだ。創作者なのだ。

自分の主張は、作品を通してできる。

雄弁も、準備も、計算もいらない。

せつなの音楽を前に、すべては陳腐な茶番だった。

プールの水面は、キラキラと、強く揺らめく。

なぎの瞳に光が入る。


せつなは、自分を知っていた。

面倒で、やっかいな性格だった。

音楽は自分を表現する術だった。精神の昇華であった。魂の叫びであった。幼い頃からそれが当たり前になってしまったことが幸か不幸かわからない。人間は意見を言ってぶつかりあわなくてはならない。だからせつなは、自分の性格だとかいう理由で意見を言わないような人間を軽蔑していた。人と人の関係の本質は争いと和解の繰り返しでしか見えないのに。

なぎを説得するつもりはなかった。せつなは負けたことがなかった。

最初から、自分そのものをぶつける気でいた。それで、十分だった。わかるはずだ。

音楽が手段になることが、少し悲しい。できれば、この世に、何の杞憂もなく、ただ歌うことそれを楽しむこと、そんな営みが当たり前のように続く幸福を祈る。


「す、、、すごい!すごいです!」

歌が終わる。なぎは拍手喝采を送った。

「ありがとう」

「一晩でこの曲を?すごい、、、!すごい!」

笑顔ははじめて見た。

年相応の、幼い表情。

「話すより、やっぱりこっちだな」

「白鳥さん、、、」

「せつな、でいいよ。だってこれから、僕たちふたりでやっていくんだから」

「えっ」

「君の心は変わった。そうだろう?」


せつなが問う。

いや、もはや、その必要はなかった。

「、、、」

なぎは答えない。

「そうだ。ファーレンハイトだっけ?君の歌ってた曲、練習した。歌ってよ」

「えっ」

「一曲づつ。公平にね」

「えっ、えっ」

「いいんだ。なぎ、楽しんで!」

せつなのギターが鳴り響く。いつのまにか、せつなに合わせて、なぎは歌っていた。

それからまた一曲、もう一曲と続く。

帰る頃には、すっかりなぎは心変わりしていた。



楽しい。


それ以外に理由はなかった。




ーーーーーー




それから本社の方で、なぎの両親を交えて難しい書類のやりとりがあった。ちなみになぎはこの時はじめて割り印を知った。

せつなが仕切っていたので、いろいろと話はスムーズに進んでいった。

せつながなぎのために作ったあの曲が、デビュー曲になった。しばらくは練習生だ。デビューまでは時間がある。せつなはなぎのために、ゆっくりとしたスケジュールを組んだ。


「なんか実感ないなぁ〜」

「楽しくやっていればいいよ。最初のうちは難しい仕事もしないつもりだから」

ふたりでのユニットの名前は、メリ、になった。当然、マネージャーは熊谷だ。せつなはメリとしては、最初のうちは、過度のメディア露出やCMタイアップなどは断るつもりで、ゆっくりと、実直に活動をすることにした。ライブも最初は小規模に。ファンを重視して。せつなの計画どおりだった。なぎが楽しいかどうかを重視した。それでいい。どうせ、時限がある。それまでに、答えが出せればいい。

なぎのその後の人生だとか、そういうものは考える必要はない。

己の今後に、指標として残るものをこの3年で作り上げる。

疑問への答えを探す。

なぜ、なぎの動画が頭から離れなかったのか。



ふたりでスタジオへ向かう。なぎのボイストレーニングだ。プロがいるが、せつなも同行する。送迎の熊谷に、なぎは挨拶をした。ぺこり、と頭を下げる。

「おはようございます」

「はい。おはようございます」

まだ他人行儀のふたりを見て、しょうもない気持ちになった。熊谷が疑っているのはなぎではなく、多分僕だな、と。僕の計画を察知してなんとか自分の心に抗っているのだ。愚かなことだ。

「暑いね」

「ええ、そうですね」

まだ真夏ではないが、確実にじりじりと肌を焼く季節だ。

「妹がね、夏風邪ひいちゃって。熊谷さんは大丈夫?」

「ええ」

せつなはなぎについて気づいたことがある。おしゃべりだと思ってはいたが、その大半は、おはよう、とかおやすみ、とかの挨拶と、ありがとうとか、それから大丈夫、とか無理をしないように、という気遣いだった。おそらく母親や、家庭全体がそういう雰囲気なのだろう。せつなも、そのように、なぎに返した。挨拶と感謝をのべて、気遣い。笑えるのは熊谷だ。会話がたいてい一方通行なのだ。悦子といた時はどうしていたのか、聞きたいほどだ。


ふたりにしてやる必要があるな。


「なぎ、熊谷、悪いんだけど、今日はふたりでボイトレに行ってもらえる?個人の仕事で、急用なんだ」

「え?」

「!」


「なぎ、僕がいなくても平気?」

「う、うん」

「熊谷はね、知ってると思うけど、元ミュージシャンだから、わからないことは彼に聞いてね」

「う、うん!」

「、、、せつな。戻ってきますか?」

「戻らないよ。なぎを送ってね。それじゃあ」


熊谷は苦虫を噛み潰したかのような表情だ。

なぎとふたりきり。この、子供と。

「熊谷さん、よろしくお願いします」

「はい。では、行きましょう」

正直に言うと、せつなのいう、光、の意味はもはや身に染みていた。

なぎと接するのを義務的なものに留めた。

せつなの思惑にハマるのが灼だったからだ。

じりじりとした気持ちになるのは、この季節のせいだ、と思うことにした。


ーーーーーーー


この日ボイトレに当たったのが、黒瀬だった。黒瀬教官。PPCの新人は大抵、この男の指導を受ける。

「なんだぁ、白鳥はいねえのか?毎日毎日金魚のフンみてーに付き纏ってきてたのによ」

「本日はせつなは急用で外しています。」

「おはようございます。黒瀬教官」

黒瀬はなぎの挨拶に、豪快に笑って挨拶を返した。熊谷はなぎを置いて、自身はオフィスへ向かうことにした。仕事がある。

しかし、去り際の熊谷をなぎは、行かないで、という風に、見つめていた。

熊谷はこれに心当たりかあったが、無視をした。

黒瀬がなぎの背中をばしばしと叩く。

「そうだ、お前と同期のふたり。今レッスンが終わったばっかりなんだ。紹介してやる。おい、水島、音村!」

PPCの多目的ホールには、黒瀬のほかにふたり、人がいた。

「凪屋、こいつらは水島と音村だ。水島、音村、こいつは凪屋。あの白鳥せつなのご指名だからな。お前ら同期3人、仲良くしろよ!」

黒瀬に紹介されて、ここで初めて、なぎはななみとぎんたと出会った。ただし、この時は、社交辞令的な挨拶を交わしただけで、交流は終わった。

音村ななみ。なぎと同じ歳で、これからツインテイル、というユニットで活動をするとのことだ。楽器が得意で、作曲の才能がある。

水島ぎんた。なぎと、ななみより年上だ。友人らと結成したバンドが、PPCからメジャーデビューする、とのことだった。

ふたりは好印象だった。ふたりともにこやかに挨拶をしてくれたし、仲良くしようとも思えた。しかし、なぎはこの日はあまり、良い気分ではなかった。レッスンは楽しい。ただし、せつながいれば、である。なぎは、黒瀬が苦手だった。この日も、黒瀬のスパルタ的なレッスンを受けて、終わる頃にはなぎはへとへとになっていた。





「なぎ君」

「あ、、、熊谷さん、、、」


レッスンが終わる頃に、熊谷がなぎを迎えにきた。なぎを送る、そこまでが熊谷の仕事だ。


「黒瀬教官にしごかれたようですね。」

「う、うん。俺、、、あはは、がんばらないとね、、、」

成り行きだが、やると決めた。せつなは楽しくしていればいい、となぎに言うが、そんな時ばかりではない。人前に立つと緊張するし、レッスンはこのように、辛い時もある。


黒瀬は引き上げて、既に多目的ホールはなぎひとりになっていた。

「あの、熊谷さん」

「はい?」

「俺、居残りで、練習をして帰るので、送迎は大丈夫です。ひとりで帰ります。ありがとうございました!」

「、、、そうはいきません。ご自宅まで少し遠いでしょう。」

「大丈夫です!白鳥さ、、、あ、せつな君といて恥ずかしくないように、がんばりたいから。」

「、、、」

メリは歌のみのユニットなので、特段ダンスの練習などはないが、体力作りやリズム感を育てる一環として、ダンスや、運動もさせられたようだ。

熊谷はため息をついた。

「、、、この間」

「?」

「私に飲み物と、飴をくれましたよね。お返しをしないといけませんね」

「え」

熊谷は、その辺にあったキーボードのそばに移動した。スーツの上着を脱ぐ。いくつか、多目的ホールには楽器が置いてある。

「居残り、付き合いますよ」

「えっ、でも、、、」

「せつなの思惑に乗ってみよう、と思います。どうなるかはわかりませんけど」

「?」

「こっちの話です。」



それからふたりは1時間ほど、ふたりきりのレッスンをした。

なぎにとって、熊谷のレッスンは、黒瀬のレッスンよりも楽しく、有意義だった。なぎの性格や特性にあわせてボイスレッスンやリズムレッスンをしてくれたのだ。


「すごい!熊谷さん、楽器、上手いんですね!元ミュージシャンだって聞いてて、、、知ってる曲もあったけど、ほんとにすごい!」

黒瀬といた時の消耗した顔はどこはやら、なぎはすっかり元気になっていた。

安心した。居残り練習の申し出はなぎのためではなかった。なぎに何かあったとして、それを理由にせつなに面倒な絡み方をされるのがいやだったのだ。

なぎが機嫌を取り戻したのなら、それでいい。

「まぁ、人並みには」

熊谷は抑揚のない声でかえした。

はしゃぐなぎとは対照的だ。

すると、なぎが熊谷をじっと見つめる


「せつな君のところ、歌ってほしいな、、、」

「私が、、、?」

なぎの提案に、熊谷は自分が1年以上歌っていないことに気がついた。それから、実は楽器を触るのも久しぶりだったことに気がついた。

「、、、」

「熊谷さん?」

「、、、私は、一年以上歌ってないんです」

「そうなんだ。、、、どうして?」

「、、、歌えなくなった、からですかね。少し難しいかと思いますが、気持ちの問題なんです」

「気持ち、、、」

大人の、創作論と人生観のからんだ小難しい哲学は、なぎにはわからない。熊谷は適度に話を濁した。たいていの大人なら、ここで訳ありだと考えて、追求はしない。しかし、なぎは近づいてきた。

「熊谷さんはどうしてミュージシャンになったの?」

多目的ホールは、ふたりで使うにはあまりにも広くて、夕焼けが差し込む窓辺は意味深なほどに色めいていた。

「強いて言えば、、、ロックの精神とか、そんな所の実現でしょうか」

「ろ、、、?え、、、?」

熊谷はふふ、と笑った。あえてなぎにわからない話をする。こんな子供に、本当の自分のことを話すことはない。

「生き方、です。つまり、自己実現です。虐げられた環境にいた人間が、実力のみで這い上がって、新しい理想のライフスタイルを実現する。夢があるでしょう?それを、やってみたかったんです。」

「はぁ、、、?」

なぎには当然、ピンとこない話だった。たとえば熊谷はこの後に、たとえばこんなグループがいて、、、などと、前例を挙げることもできた。わかりやすく。しかし、しなかった。

「夢を叶えたってこと?」

「そんな所です」

「ふーん、、、?」

「もう、歌う必要はないんです」

なぎが大きな鏡の方へ向かう。

熊谷は、なぎとの会話で、気づいた。

そう。モチベーションの問題だった。自分のろくでもない生い立ちへの反骨や、絶望感や、閉塞感や、憐憫、他者への嫉妬や社会への不満、、、。歌を作るきっかけは、精神の昇華だった。感じたことがテーマであり、モチーフだった。それは決して、明るい、キラキラした綺麗なだけのものではなかった。


マネージャーに転向して正解だったと思った。

もう、歌えない。自分は達成してしまった。成功を、夢みた理想の自分の姿を。

いや、想像よりも矮小で、ずさんだが、生活水準が向上したのが大きかった。数十円、数百円を数えることがなくなった。保険や年金が痛い出費だとも思わなくなったし、スーパーで見切り品を手にすることない。随分と、庶民的な話だが、熊谷にもそんな頃があったのだ。外国の大学に行っていた時はもっと悲惨だったが、もう過去のことだ。

高いスーツ、時計、靴。家賃の高いマンションに質の良い家具や物。食事の値段なんて見ない。


すべて、手にしてみたら、たいしたことはなかった。

金で買えるものなんて、いつでもゴミにも変わった。

精神を病んで、悦子の家にいた、少し前の時を思い出した。片付いてはいたが、狭い部屋だった。彼女の作る料理がまずかったことを思い出した。一番に、思い出した。


「じゃあ、やめてから、もう一回歌うはじめての日だね」

「え、、、」


壁一面の大きな鏡の方から、なきが窓際に移動する。

夏の夕暮れの日差しは鮮烈で、フレアがかった光がなぎを包んでいた。


「俺、熊谷さんとも歌いたいなぁ」



熊谷は、もはや何も言えなかった。

歌ってほしい、と言われたことはたくさんあった。

それが、金になるから。

悦子は、歌わなくてもいい、と言ってくれた。でもそれは、自分を保護して介抱してくれたことは、PPCの再建のためだと思っていた。


違う、と今、わかった。


悦子に謝罪しなくては、とも思った。

今まで、わからなかった。

信じてこなかった。

あるとは知ってはいたが、自分とは関係が希薄すぎて実在の証明に至らなかった。


せつなは言った。

光だと。


それは、何も、ヒーローめいた慈善的な行為や、劇的でドラマチックな瞬間でもなかった。

常日頃から、社会の中に漠然とただ存在していて、だれにでもふりかかるもので、それでいて意識しないと見えない物だった。


光。


ひととひとの間にある、なんの駆け引きも計算も裏表もない、触れ合い。


ひとが、無意識に、求めるもの。


なぎは今、ただ、楽しいから、という理由で、熊谷を誘っているのだ。

自分が歌っていると楽しいから、熊谷もそうだろう、と。

せつなに初めて会った時を思い出した。

しかし、そんなものは今この瞬間をもってして、過去の物に成り果てた。セピアに色褪せた古い写真のように、もはや止まった思い出だった。

光輪。

光あれ、と誰が言ったのだろう。


そして、ひとはなぜ歌うのか。

なぜ、創るのか。


「ええ、、、」

熊谷は、少しだけ、微笑んだ。無意識に。なぎは熊谷の笑顔をはじめて、見た。


「、、、何に、しましょうか。デビュー曲の練習にしますか」

「えっ、えー、、、うん、それと、あ!ファーレンハイトの新曲!」

「七星君の?」

「うん!熊谷さん、会ったことあるの?」


この日、時間の許すかぎり、熊谷はなぎに尽くした。

求めること、求められること。

心地よい時間はあっという間だったが、その短い間に、なぎは熊谷を「熊ちゃん」と呼ぶようになった。それからである。メリのマネージャーとして、なぎに公私ともに過保護なほどになったのは。すべては、せつなの計画どおりだった。それでも、良かった。せつなの計画に、乗ると決めた。いつかすべてが頽落し、罰をうけるその日まで。



ーーーーーーー



なぎを送迎した帰りに、熊谷はPPCに戻り、悦子のオフィスへ向かった。

悦子はまだ会社にいた。秘書はもういなかった。

「ノックしなさいよ」

「ひとりだとわかっていましたので」

悦子は怪訝そうに熊谷を見た。

いつもの余裕のある態度には見えなかった。

「大丈夫?何かあったの?」

「ええ。凪屋君を送って、急いで来たので、、、」

「あぁ、白鳥君の、、、。」


白鳥せつな。

悦子にとっては会社の再建のジョーカーだ。どう働くか、まだわからない。せつなはずっと年下だが、得体の知れない、掴めない何かがあった。

それで、悦子はここ最近の熊谷の動向をあまり好ましく思っていなかった。

せつなとどんな話をしたかわからないが、表面上は、精神を病んでいたミュージシャンが持ち直した、そう見えるだろう。しかし、そうは見えなかった。

デスクチェアから立って、熊谷に近寄る。

しかし、今日は、せつなといる時の、心を殺したような表情ではなかった。

「何か、いいことでもあった?」

「!」

熊谷が驚いた表情を見せた。感情を面に出さない男なので、悦子はくすりとした。

「、、、わかり、ますか、、、」

「どうだろ。いいことと、悪いこともあったみたいな、複雑な顔をしてます。まぁでも、最近の中じゃ一番マシかも」

「マシ、ですか」

マシ、そう。好転ではない。そうは、言えない。せつなのたくらみに乗る。それが、なぎにとって、どういうことなのか。

いつか、せつなが、なぎを傷つけた時に、そばにいようと誓った。何食わぬ顔で、何も知らないふりをして。彼が、自分よりも頼れる人間を見つけるまで。


「謝りたくて、、、」

「え?」

「私を家に置いて、面倒を見てくれましたよね。」

「あぁ、、、。だってそうでもしないと、あなた死んでたでしょ。自分がどれだけ酷い状態だったか覚えています?そのくせ人の料理に散々文句言って。まぁ、私も、あれ、人に振る舞うものじゃないとは思ってたけど」

「私は、あなたが、、、PPCの代表だから、よく接してくれていると思っていたんです」


悦子のオフィスには花が飾ってある、彼女も秘書も花が好きだからだ。

熊谷は花の名前も知らない。興味もない。けれどたまに悦子が話すと、覚えてはいた。

悦子は熊谷の世話を焼いてくれた。

食事を一緒にした。悦子の料理は、野菜を切っただけだったり、ゆで卵だったり、出来合いの惣菜だった。味噌汁はだしがないし、適当にこねたすいとんが入っていた。一日中寝ていても何も言われなかった。汚物の掃除も無言でしてくれた。無理やり風呂に入れられて丸洗いされた後は、ドライブに連れ出された。ただ、運転していたのは熊谷だ。よく精神を病んでいる人間にハンドルを預けるな、と思った。高速に乗って、降りて、知らない土地の道の駅についたのを覚えている。悦子はそこで果物を買う。旬のものがおいしい、と教えてくれた。悦子なりに、食卓を整えることを楽しんでいたのだ。その概念を、熊谷は知らなかった。それは、きっと自分ひとりの時にはしないことで、他人と共有するためにある行いで、これも、自分のためだったのだと後から気づいた。それから、飼っている猫も見せてくれた。熊谷には懐かなかった。たまに猫の世話をした。やることを与えてくれていたのだ。何もかもが、後から気づくことばかりだった。


「今更、、、そうじゃないと、気づいたんです」

「どうして?きっかけは?」

これほど。

これほどしてくれたのだ。

見返りなど一切求めずに。

当然過去にどうしてここまでしてくれるのか聞いたことがあった。

ただそうすべきだと思ったから、と悦子は答えた。

「凪屋君が、、、教えてくれました。」

「そう」

「子供は、すごい、ですね、、、」

「ええ。そうね。そうよ。若い子は、すごいのよ。」

「久しぶりに歌いました。」

「良かった。」

「、、、せつなの、考えに乗ります。」

「、、、」

「きっと良くないことも起こるかと思います」

「、、、」

「凪屋君を守りたいと思います」

「ええ。そうして。」


悦子もせつなを無碍にできない。乗るしかないのだ。選択肢はない。

悦子に恩返しができるとしたら、共に戦うことだった。

これだけは、せつなの思い通りにはしない。

熊谷は、なぎの笑顔を思い浮かべた。

自分なりに、せつなに抵抗ができるだろうか。

自分にも何かができるだろうか。

水をあげたばかりのピンク色のゼラニウムの鉢が、ふたりを見守っていた。




ーーーーーーー





メリの、なぎのデビューが決まった。来年の1月だ。

メリの一年目の活動は、クリエイティブイベントへの参加などもなく、年末ライブも参加はなし。なぎが「楽しく」やれる程度に活動をセーブして行うことも決めた。学業も重視した。

会社はせつなに稼いで欲しい、と暗に伝えてきたので、その分せつなは、年内から、練習生としてのなぎのデビューまでの面倒を見ながら、個人での活動でPPCに大いに貢献した。曲を作るほかに、CM、雑誌の出演、音楽番組、ラジオ、他アーティストへの楽曲提供、、、。

年末ライブも参加はしないものの、参加アーティストへ楽曲を提供した。

せつなは年末ライブに出ないことについて、ファーレンハイトのためだと言った。ファーレンハイトのための舞台であるべき、だと。ファーレンハイトは売れる。そのための布石のひとつが年末ライブであり、自分はノイズになる、と。


それとは別に、ファーレンハイトはこの一年、GGIから妨害と呼べるレベルで困難を強いられていた。

アルバムを出せば、GGIのアーティストもまた同日にアルバムをリリースする。似たような楽曲や仕事の連発、マスコミは対立を煽り、どちらのアルバムが売れるかを競い合う方向の報道をした。ライブも、ファーレンハイトのライブにあわせてそれより大きな規模のライブを行った。

そして、年末ライブ。

これも、GGIはまた同じような、GGIのアーティストが集結するという一大イベントを同日に被せて打ってきたのだ。


「やるなぁ」

駅前のビルに、堂々と、GGIのアーティストの広告が貼られている。

せつなはそれを見てぽつりとつぶやいた。

12月の雑踏はあわただしくて、せつなは外出が嫌になっていた。どいつもこいつも、季節性のイベントに浮かれる虫のようだった。

櫻井がファーレンハイトを目の敵にしているのはなかなかの心眼だが、自社アーティストは宣伝効果で売れているにすぎない。実力はファーレンハイトの方が上だ。見た目も、センスも良くない。せつなは笑い飛ばした。


せつなはその日徒歩でPPCに来た。もうすぐクリスマス。年末年始は予定を入れない。日本人は働きすぎだ。

「熊谷、なぎは、、、ん、それは?」

今日は来年の活動に向けてのミーティングだった。会議室へ入ると、熊谷がクッキーの袋を持っていた。手作りらしい、かわいらしいラッピング。

「なぎ君の妹さんからです。せつなの分もありますよ。」

「へー、、、家でこんなことしてんのか、あのコ。で、肝心のなぎは?」

「飲み物を買いに行きました」

「、、、僕が連れてくるよ」

PPCには無料で使える自販機がある。なぎはそこへ行ったという。せつなはなぎを迎えに行くことにした。



ーーーーーーーー



「うーん、、、熊ちゃんはコーヒーかな。せつな君は、、、紅茶かな」


休憩スペースの自販機で、なぎは飲み物を選んでいた。熊谷が行くと言ったが、なぎが行きたいと言った。会社の自販機、なんて、なぎには新鮮で面白いものだった。

休憩スペースは誰もいないかのように静まり返っていた。厳密には、ひとり、いた。

パーカーのフードを深く被った男。椅子に前屈みになっている。具合が悪いように見えた。

「え、、、」

なぎは飲み物を選ぶ手を止めた。

それから、近寄ってみる。

「だ、大丈夫ですか、、、?」

男の様子を観察する。男だ、と思ったのは、体格だ。多分立てばかなり身長が高いだろう。顔はまったくわからないが、白い手は血色を感じない。

「あの、、、」

「大丈夫だ。頭痛、、、低血糖。なんでもない。」

「!」

男からの反応がなかったので、もう一度話しかけようとして、そうしたら反応があった。

けだるげで、小さい声だった。ほんとに具合が悪いんだ、となぎは思った。頭痛はわかる。低血糖とはなんだろう。

「あの、これ」

「、、、」

なぎはしゃがんで、鞄から、妹の作ったクッキーを出した。男の手をとる。ひどく冷たい。手のひらに、クッキーの袋を乗せた。

「手作り、大丈夫だったら、どうぞ。」

「、、、あぁ」

「何か、飲み物いりますか?」

「、、、いや、、、、」

「、、、」

ほかに、できることはないか、なぎは考えた。

「なぎ」

「!」

背後から声がする。

せつなだ。

「せつな君!」

「あれ、誰?」

「わかんない!具合悪いみたいで、、、」

「、、、僕が、対応するよ。なぎは熊谷のところに戻って、先に話を進めておいて?」

「俺も手伝うよ!」

「大丈夫。まかせて。ね。」

「う、うん、、、」

せつなが言うと、なぎは飲み物を持って、会議室へもどった。

完全になぎがいなくなる。その足音は、パーカーの男にも聞こえていた。

目眩で地面がかすむ。その視界に、せつなの靴が映り込んできた。

「お前、七星ひゅうがだろ」

「、、、」

男が顔をあげる。

丹精な顔立ち。強いて言うなら、顔色が悪い。

「働きすぎだよ。」

せつながクスクスと笑う。

それを、ひゅうがはじろりと睨んだ。

「会いたかったよ。多忙でずっと断られていたけどね。」

「、、、俺は用はない」

そう言うとひゅうがは椅子から立って、なぎが向かった方とは逆へ歩き出した。

せつなは特に何も言わずにそれを見送った。

せつなはたいてい、顔をみるか、一言二言で、相手のほとんどを理解できた。ひゅうがの印象は、これもまた熊谷とおなじような感想だった。惜しい男だ。哀れな男。

どうやったら計算だとか、狡猾さだとか、利益だとか、そういうのと無縁なままでいられるのだろう。

せつなは、ひゅうがは使えない、と感じた。

ひゅうがは、どちらかといえば、なぎと同じ方の人間だ。

もう少し早く見つけていればまた違った道があったかもしれない。

せつなは休憩室を後にした。


ーーーーーーー




「はい、これ!せつな君のぶんです。妹と俺で作りました」


会議室に戻ると、せつなへなぎから、クッキーが手渡された。

「さっきのひと大丈夫だった?」

「あ、あぁ、うん。」

「良かった」

「クッキー、さっきのひとにあげちゃったのかと思ってたよ」

「あげたのは俺の分なんだ。でもまだ家にあるから」

「そう、、、ありがと。クリスマスだからね、あ、そうだ、年末ライブの日、予定は空いてる?」

「え、、、」

「年末ライブに僕らは出ないけど、見てく?ファーレンハイトの出るとこだけでもさ。なぎ、練習生として半年すごくがんばっただろ。ごほうびに」

「え!いいの?」


なぎの目が輝く。ライブに出ないのはせつなの方針でもあるし、なぎのためでもあった。

なぎのいうファーレンハイトが好き、は家でCDを聴く程度のことだった。それから、なぎの両親がまだ夜遅くの活動を許していない。ライブなどに行ったこともない。


「俺、ライブ行ったことない、、、!」

「だから、少しだけ、ね。練習。そのうち、ご家族や友達と行く機会ができるよ。」

「関係者席を抑えます。外出の許可は下りますか?ファーレンハイトの出演は、遅くない時間ですから」

「う、うん。全部は無理だと思うけど、ちょっとなら。」

「それではご両親には私からも連絡しますので」

「えっ、えー、、、やった!ファーレンハイトのライブ、うれしい!ライブってどんな感じ?」

「どんな、、、うーん、そうだね。来年からは僕たちも積極的メディア露出していこうと思う。ライブもしたいよね。だから、お勉強だね。」


こうして、年末ライブを、ファーレンハイトの部分だけ見る、そういう運びになった。



ーーーーーーー




年末ライブ当日。


「やだやだ。ほんと年末って車があわただしくて、最悪だよ」

「すごい人だね、、、」


会場までの道は年末特有の空気にごった返していた。間に合いはするだろうが、すでにせつなはうんざりした気持ちだった。

「せつな君は、人混み苦手?」

「うん、、、日本は、どこも狭くて、、、まだ慣れないよ」

「そっか、、、。無理しないで?俺ライブ見れなくてもいいよ?」

「いや、、、」

実のところせつなが苦手なのは人混みだけではなかった。ライブ、なんてものも正直好きじゃない。うるさい会場。バカみたいなネオン。やかましい観客の喧騒。

「もうすぐ着きますよ。、、、事故があったみたいですね」

カーナビに、事故の情報が流れてきた。高速道路なので、せつなたちの車には関係ない。

だが、熊谷は、なんとなくだが嫌な予感がしていた。ファーレンハイトだ。ファーレンハイトは前日まで別の仕事で他県にいて、ギリギリに会場に着く算段だったのを、悦子から聞いていた。

「、、、何もないといいのですが」

熊谷のつぶやきは、残念なことに打ち破られる。



ーーーーーーー



「え、ファーレンハイトがまだ到着しない?」


先程の高速道路の事故で、渋滞に巻き込まれたらしい。

「ファーレンハイトの出演って、どのあたり?」

「、、、最初です。」

せつなの問いに熊谷は難しそうな顔で答えた。

せつなたちのいる関係者席はざわざわとしていた。

「事故って、、、」

「はい、高速道路で車の事故があったんです。怪我人がいないのが幸いですが、それで付近が渋滞しているそうで、ファーレンハイトのメンバーも巻き込まれたらしいんです」

なぎに熊谷が説明をする。

もうすぐライブが始まる。ファーレンハイトは今年かなりの躍進を遂げた、ライブの目玉だ。そしてこのライブはPPCの威光がかかっているといっても過言ではない。

せつなは真っ先に、ピンと来た。

櫻井だ。

奴が、何かをした。

「ふーん、、、どうするんだろ、もう完全に間に合わないよね、これ。他のメンバーは?」

「それが、ファーレンハイトの前座が嫌なのか、アドリブに弱いのか、代わりを務める気がないそうです」

「ど、どうなるの?」

単純に、開演を遅らせるか、ファーレンハイトを飛ばすか。ファーレンハイトが間に合えば、途中にねじ込めばいい。

が、櫻井のことだ。おそらくしくじりはしない。

「間に合わない、、、か。」

「社員が直接迎えに行ったようなので、あとは運ですね」

「そんな、、、」

「なぎ、せっかく見に来たのに、残念だったね」

せつなは横のなぎに声をかけた。

なぎは不安そうにステージを見つめている。

ここでせつなは、あることを思いついた。

そうだ、なぎを、試せばいい。

今、ここで。


「ねぇ、なぎ。この年末ライブって、PPCにとってすごく重要なライブなんだよ」

「え、、、?」

熊谷はせつなの思惑に気がついたのだろう。眉間に皺がよる。

「なぎ、さっき聞いたんだけど、社員の話によると、個人的にライブを見にきているうちのミュージシャンに、前座の出演について交渉しているらしいよ。」

「そ、そうなの、、、?」

「会社も往生際悪いよね。まぁ、仕方ないよね。このライブでファーレンハイトを売り込むことができるかどうかがPPC再建のカギだもんね」

なぎには、難しい会社の事情はわからない。

「、、、個人的に来てるひとが、ファーレンハイトが来るまで代わりに出てくれるの?」

なぎが、せつなを見た。

そう、なぎの性格なら、助けになりたいと思うはずだとせつなは考えた。しかし、こんな規模の人数の前で歌ったことなどない。当然、易々と、気持ちを口にできない。探り探り、なぎは話す。

「会場に、水島君と、音村君が来ています。ふたりとも今年デビューした新人ですから、、、」

「!」

熊谷が返答する。

そのふたりに、なぎは会ったことがある。ふたりの実力はなぎよりも上だとなぎはかんがえていた。もしふたりが出てくれたら、、、と。

「でも、メリットないよね。練習もしてないだろうし、、、」

どうしたら。

自分なんて、何もできない。それでも。

「あ、、、あの」


「なぎ、だめだよ。」

「!」


せつながなぎの言わんとしたことを止める。

「僕たちは力になれない」

「、、、」

「俺ひとりじゃ、そうかも、けど、ほら、せつな君、、、」

なぎは、困ったようにせつなを見つめた。懇願するようなそんな態度だ。つまり、せつななら、と言うのだ。

、、、すごい子だな、と肝心した。

自分にはない概念だ。他者は従わせるものであって、「お願い」して、話を通すものではない。

「、、、ステージに上がって、ファーレンハイトを助けたいんだね」

せつなは椅子にもたれかかっていたが、体をゆっくりと起こして、それから前屈みになって、なぎに視線を合わせた。

「歌えるの?目の前に何万人っているのに。、、、僕が嫌だって言ったらどうする?」

「、、、で、でも」

「ファーレンハイト、君、知らないだろう。見ず知らずのひとに、施すのは、どうして?」

「、、、」

「それって正しい?楽しい?」

熊谷がなぎの背中ごしにこちらを睨んでいる。熊谷め、もはや完全になぎの味方か。

会場内はトラブルを察知した観客のせいかざわざわとし始めた。このままではまずい。


「せつな、君」

「ん?」

「た、、、俺は、正しいというか、そうしたい。楽しくは、、、ないかも、けど、、、で、できることをしたい。だめでも。」


反応に困る。

子供だから、じゃなくて、単純に性格だろう。なぎは物怖じしない。誰にも、こんな状況でせつなにも、媚び諂うことはないし、食い下がらない。失敗を恐れないし、自分の意見を言う。


「、、、僕はステージには行かない。けど、君に付き添うことはできる。途中までね。どうする?」

「、、、!」

「せつな!」

熊谷が止める。

何かあればなぎのキャリアに、会社の維新にかかわる。冷静に考えればリスクを負えない。

しかし熊谷も、せつなを止めることはできない。なるようにしかならない。


「面白くなってきた」

「え?」

「だって、デビューもこれからの新人を、こんな、数万人の前に立たせるなんで、面白いでしょ」

「そ、そうかな」

「驚かせてやりなよ。」


さぁ、行こう!と、せつながなぎの手を引いた。関係者へせつなが直接話を取り付ける。関係者は、悦子も含め、なぎひとりではなく、せつながなぎといっしょにステージに立つと思った。それなら、前座どころか、ファーレンハイトに勝るとも劣らないサプライズだ。

しかしせつなはなぎをひとりステージに立たせると決めていた。

理由はひとつ。なぎを試す。それだけだ。

見ず知らずのの他人を助ける、なんてそれだけのためにそこまでできるか。

口先だけじゃないと証明できるか。

できたら。

できたら、計画は次の段階へ進む。


「せ、せつな君、歌、どうしよう、何歌おう。」

「動画で歌ってたでしょ」

「えっ」

ステージ袖へやってくる。突貫で、前座の準備が進められた。すぐに歌える。ファーレンハイトは、まだ来ない。

「ファーレンハイトの歌。僕はあれが聞きたいな。ほら、動画だと途中だったから」

「えー、、、うーん、、、」

「できるよ。怖い?」

ちらりと、ステージを見る。めまいのするような光景だった。ひとが星のよう。何万人という観客の前に、立つ。

「どうしてファーレンハイトを助けてあげる気になったの?妹がファンだから?」

「えっ、、、」


スタッフから声がかかる。

準備ができた。ステージへ。時間だ。

なぎが去り際にせつなへ返答した。

「えと、同じ事務所の仲間、あっ、先輩だから、、、」


せつなは笑った。

行っておいで、となぎの背中を押した。



驚いたのはライブを見に来ていた悦子だけじゃない、スタッフらもだ。せつなもステージに立つ算段だった。なぎひとりだ。

「どういうこと!?」

「、、、」

悦子は、関係者席の後ろから、熊谷を見つけて詰め寄った。

あの夜、オフィスで話したことを思い出す。

「こんな、、、どうして!」

会社の維新、それだけではない。もし、何かあればなぎに一生立ち直れないような心の傷を残すかもしれない。

悦子はスタッフを探した。

「止めさせなきゃ、、!」

「待って」

なぎのステージの中止を求めようとした悦子の腕を熊谷が掴む。

「あなたね、、、!」

「なぎ君に賭けます」

「、、、」

熊谷は、期待と高揚と、焦燥と不安と、、、。

どうしようもない感情だった。

それは悦子もまったく同じ感情だった。

イントロが始まる。少しキーが高めだ。


会場には前座としてPPCの新人が歌うと言うアナウンスが流れた。


なぎが、歌い始める。


存外、一番驚いていたのはせつなだった。

なぎをひとりで送り出したはずなのに。

ついうっかりなぎのもとに駆け出して隣に並びたくなった。


「へぇ、、、」


観客はなぎの歌声に聞き入っていた。

ファーレンハイトの最近のシングルのB面でひゅうがのソロだ。

なぎが動画で歌っていたあの曲。


「、、、、、、」

悦子ももはや言葉はなかった。

この状況で。

なぎたった1人に数万人が注目している。

なぎの様子が心配だった。どんな気持ちで今ひとりで歌っているのかと。

しかし、緊張しような歌声ではない。佇まいっも自然体だ。

そう、むしろ、、、。




「楽しそうに、歌うのね、あのコ、、、」




その時だった。

「代表、七星が、、、」

「!」

社員が先にひゅうがを連れてきたのだ。

「間に合ったのね!」

「遅れました」

ひゅうがが悦子の元へやってきる。息が上がっている。よほど急いで来たのだろう。

幸いなことに他メンバーももうすぐ到着すると連絡が入り、スタッフはいよいよ本番だと慌ただしく動く。

「!あいつは、、、」

ひゅうががステージで歌うなぎに気がついた。

「訓練生の子よ。1月にデビューする予定の、、、知り合い?あなたがいれば場を十分繋げますね。他メンバーが到着するまで、、、」

なぎを下がらせてひゅうがをステージへ。

当然の選択だ。しかし、、、。

「、、、」

「ひゅうが、、、?」

ひゅうがは微動だにせずにステージに見入っていた。


なぎが歌い終わる。もう一曲だ。

会場からは拍手喝采だ。


やったのか。やれたのか。

なぎはできるだけ意識しないようにしていた観客席をこの時ようやく見た。


真っ暗な会場に、何万の人がいるはずなのに、ひとりひとりはよく見えない。

暗い、夜の空と、海のようだった。

ここに漕ぎ出すのはあまりにも心細いことだった。

急に不安になった。

ファーレンハイトは着いたのか。

自分はいつまで歌えばいいのか。

イントロが始まる。歌わなければ。やりきらなくては。



その時だった。



「な、凪屋さん!」

背後から声がして、いつの間にか隣に人がいた。

「!あ、、、」

PPCの多目的ホールで挨拶をした、音村ななみだった。

「俺も参戦するぞー」

さらにもうひとり。なぎの肩を支える手。

水島ぎんた。

なぎを挟む形で2人がなぎに並ぶ。

「ふ、ふたりとも、、、!」

「あの、覚えてますか?この間挨拶した、音村です。よ、よく頑張ったね!アドリブで前座なんて、、、ほんとにすごいよ!協力できればって思って、、、」

「ひとりで頑張ってるの見過ごせないわな。改めて、俺は水島。じゃ俺がコーラスで。」

「メインは凪屋さんね。あのね、ファーレンハイトの人たちが今会場に着いたって教えてもらったの。もう大丈夫だよ。だから、、、頑張ろう!」


「、、、!」


2人とも急遽前座の打診をされていたのだ。

しかしぎんたもななみも迷っているうちに、なぎが歌った。

同期だ。まだデビュー前だ。なのにたったひとりで。数万人の前で。

こうなれば、ただ見ているわけにはいかない。

2人は走り出した。スタッフに無許可で、なぎの隣へ来た。



ひとりじゃない。途端になぎは、歌える、そう思った。

Bメロが始まる。3人が歌った。


せつなはその様子を遠巻きに眺めていた。

関係者席にひゅうがを見つける。間に合ったのか。

ひゅうがは、何を考えているのだろう。

なぎのステージを見つめていた。

ばかなやつ。

そんなものくれてやる。

上々だ。ここまでうまくいくとは。


なぎの後ろ姿を眺める。

ついこの間出会ったばかりの子供。

でも、ずいぶんと大きな拾い物をしたと感じた。

使える。

これほど上手くいくとは。いい札持ちになる。

いよいよ自分の人生に光明が差したのだ。

なぎを照らすスポットライトが軌跡に見えた。


せつなはその場で櫻井に連絡をした。

つい、スマホを操作する手が震えた。

計画ははじめは大味だった。今は違う。必ず成功する。

なぎの周りには、これからもひとが集まる。

それも、本物の才能と人間性を兼ね備えた稀代が。

それを櫻井に差し出す。代わりに自分は自由になれる。

白鳥せつな、を辞めることができる。

想像する。どこへ行こう。誰でもない自分が、名もなき場所で旅をしている。

そんな夢想はまるで本物のようだった。


歌が終わる。万雷の喝采の中、なぎたち3人はステージを

後にした。


「おつかれ」

「!!」

せつながなぎに声をかけると、ななみとぎんたが驚いた顔をしていた。

それもそうだ。せつながいながら、あえてなぎをひとりにしてステージへと

送り出したのだから。


「せ、せつな君、、、」

せつなはなぎをぎゅ、と抱きしめた。

息が上がってせかせかとしていて、温かい。

犬みたいだな、と思った。

「君に会えて、本当に良かった。」

「、、、、、?」


褒められていることはなぎにも伝わった。

「あの、、や、俺ひとりじゃなかったし、、、ふたりが、、、」

なぎはななみとぎんたを見た。

ふたりともせつなとは初対面だ。

「、、、どうも」

「は、はじめまして、、、」

「やぁ、ふたりとも。素晴らしいね。なぎを助けてくれてありがとう。」

せつなはなぎを離して、それからにこやかに挨拶をした。

ななみもぎんたも、あまり反応が芳しくない。

なんとなくカンが働いているのだろう。せつなに対して。それもまた才能のひとつだ。

音村と水島。せつなはふたりともこの時点で良い商品の候補だと思った。

計画のあかつきにはわかるだろう。

すると、スタッフの声がかかった。

「ファーレンハイトが全員到着したよ!すぐにステージに出る。さあ君たちはこっちへ!」


スタッフの誘導に従う。別の通路から、ファーレンハイトのメンバーがステージへ向かうのが見えた。

なぎは一瞬、ひゅうがと目が合った気がした。


「はー、、、」

「ゆ、夢みたい。現実感ないや。」

なぎとななみはここでようやく、我に帰った気がした。

とんでもないことをした。


「あ、あの、僕勝手に、、、凪屋さん、白鳥さん、怒られない、、、?」

ななみが問う。それもそうだが、ななみとぎんたからしたら、なぎがひとりでステージに立たされている、と思ったのだ。(実際そうだが)

駆けつけるのはもはや無意識だった。

「問題ないよ。何も心配しなくていい。」

答えたのはせつなだ。

「ライブ始まるなら俺は戻ろうかな。椅子いまいちなんだけどな。それじゃおふたりさん、また」

ぎんたが伸びをした。彼がおそらく、1番平常心だった。

ぎんたが緊張した素振りを見せないから、場が持ったとまでそこまで考えた。彼はライブには個人的に来ていたのだ。一般席らしい。

「あ、あの、ありがとう!水島さん!」

なぎが声をかける。ぎんたはひらひらと手を振って去っていった。

「凪屋さん、俺も戻ります。あの、、、またね。」

ななみがにこりとした。

なぎも笑う。

「俺こそ、、、ありがとう!」

ななみも手を振って去って行く。せつなとふたりになる。

「戻ろうか。代表の反応を見てやろうよ。」

「え、、、お、俺大丈夫かな、、、」

「ふふ。君は彼女に大きな貸しを作ったね。」

「ふたりとも」

熊谷だ。ふたりを連れ戻しに来た。

「く、熊ちゃん、、、」

「なぎ君。素晴らしいステージでしたね。」

「、、、!」

熊谷が認めてくれた。なぎの表情が明るくなる。

3人でステージを後にした。

それから、ファーレンハイトの出演する部分だけ鑑賞して会場を後にした。

なぎはなんだかどっと疲れてしまって、家に帰って

泥のように眠りについた。


結局、ライブは世紀の大成功に終わった。

トラブルがあったにもかかわらずファーレンハイトは世間に実力を知らしめた。

なぎの臨時のステージは収録もされずに、この日ライブに訪れた者のみが記憶の中で知るだけの伝説になったのだった。




ーーーーーーー




「え、、、」


数日後。

年が明けた。

メディアは連日ファーレンハイトの話題で持ちきりだ。そんな中、ひっそりと、メリはデビューした。

それに際して、悦子からはなぎは個人的に感謝を言われた。ライブの前座の件だ。

だがなぎは正直なところあまりにも必死で、夢中で、あまり実感がなくて、そんなに感謝されることをしたとも思っていなかった。

それよりもななみとぎんたと連絡先を交換したことが嬉しかった。悦子が仲介してくれたのだ。さっそく話をしたところふたりとはとても気があって、実績を作ったことよりも、同期の仲間と仲の良い友人になれたことが、なぎにとってはライブでの一番の収穫となったのだ。

メリの活動はといえば、1年目はメディア露出無し。マスコミ受けしなかったのか、どちらかと言えばせつなの個人的な活動の方がよっぽど話題になっていた。年末年始はせつなが働きたがらないのでなぎも予定はなし。年末ライブでファーレンハイトが一気に話題になったことで、PPCも当然その名を上げた。メディアは連日ファーレンハイトについて報道した。

なぎはぼんやりとテレビの向こうのファーレンハイトを眺めていた。


2日。母親が妹ふたりと初売りに行くというのだが、なぎは学校の勉強が遅れていたので取り戻すために外出を遠慮した。父親は親戚と会う予定があり出かけた。なぎは家でひとりだ。


そんな時、凪屋家にとんでもない訪問者が訪れた。



ひゅうがだった。



「急に来て悪い。熊谷に聞いた。すぐ帰る。」

「えっえっ、あの」


ひゅうがのファンのみあがいたら卒倒していたかもしれない。

玄関先に現れた人物は明らかに場違いだった。

いわゆる、芸能人のオーラ、とかいうものだろう。

高身長。細長い手足。花の美貌に声までいいのだから。

インターフォンに映ったひゅうがを見て、なぎは驚いて飛び上がって玄関へ走ったのだ。


「わかる?俺」

ひゅうがが自分を指差した。

「え、ハイ!同じ事務所の、、、」

同じ事務所の先輩。ファーレンハイトのボーカル七星ひゅうが。

ありきたりな、正確な回答。それを察知してか、ひゅうがは話を遮った。

「クッキーありがとう。」

「へ、、、」

クッキー。

そう、あのPPCの休憩室での一コマ。

「あ、、、!え!?あれ、あの時の、七星先輩なんですか!?」

「そう。、、、助かった、本当に。ひかるにも怒られたし。」

ひかる。睦月ひかる。ファーレンハイトのサブリーダーだ。ひゅうがと違い、体調を整えることが大切だと知っている。

「それから、ライブ。」

「ライブ、、、」

ちなみになぎはもうライブのこともすっかり頭から抜けていた。


「あ!いえ、えーと、、、」

「楽しそうに歌うんだな。」

「え!?」

ひゅうがが、ふ、と微笑んだ。

なぎはえらく驚いた。

ひゅうがはメディアの前で笑わないことで有名だ。それが。あの、ひゅうがが。

つられて、なぎも笑った。

へへへ、と、ひゅうがに比べたら絵にもならない、そんな笑顔。

「そ、そうかな、、、あんまり、その、覚えてなくって、、、。少しでも、七星先輩たちの助けになれてたら、、、」

「ひゅうがでいい。」

「え!?」

なぎはまた驚いた。この日2回目だ。

「復唱。」

「え!?えと、、、ひゅうが先輩、、、。」

「微妙だな」

「ひゅうが、、、さん?ひゅうが君、、、?」

「、、、それでいい。これ、俺の連絡先。何かあったら言え。、、、借りは必ず帰す。俺だけじゃない。ファーレンハイト全員で。それからこれ、菓子折り。家族とどうぞ。ちゃんとカギかけろよ。寒いのに悪いな。じゃ。」

「あ、、、は、はい!」

ちなみに菓子折りは高級どらやきで、アリスのチョイスだったが、ひゅうがはこのこと言わなかった。なぎがアリスを知るのはだいぶ後になる。

ひゅうがの背中を見送る。

この後から、なぎはひゅうがと仲が良くなった。

ひゅうがはよくなぎの面倒を見てくれたし、なにかと気にかけてくれた。

その仲は今も続いている。



ーーーーーー




さて、メリがデビューしてからの経緯は知ってのとおりだ。


派手なパフォーマンスや広報活動を省き、音楽を楽しむことそのものにフィーチャーしたマイペースなスタイルでの活動。幅広く奥深いせつなの音楽性は誰にでも受け入れられた。ファーレンハイトの成功からPPCの再建はあっという間で、メリも当然その波に乗ったが、メディアに期待された爆発的な売り上げや流行化というわけではないものの、拝金主義に左右されない地に足のついた確実なクオリティの音楽性で活動数ヶ月でしっかりと話題になり、(最初の一年こそ、なぎを気遣ってライブや音楽活動以外の仕事をセーブしていたが)二年目からは映画の主題歌に選ばれたり、cmタイアップが決まったりと、売り上げ以上に着実に実力派として、PPCそしてPレーベルの中でも一目置かれる存在になっていった。



、、、裏でせつなの「計画」が着々と進んでることを、誰も知らずに。


せつなは簡単に、公私ともに、なぎをコントロールできた。

優しいせつな君、を演じた。なぎを適度に成長させて、適度に成長させすぎないように、完璧に育てた。

なぎを利用して、ひとを集める。

生来の魔性だ。せつなにも理由はわからなかったが、なぎの周りにはたくさんのひとが集まった。

せつなの計画通りに。


そして、なぎをひとりにした。


熊谷がなぎを支えた。それからは予想通りになぎは行動した。

クリエイティブイベントを通して、才能ある選ばれし人間が選抜された。

櫻井などでは100年かかっても集めることはできない、そんな素晴らしい人材だ。

せつなは約束どおり、それらを櫻井に引き渡すことにした。

メリを人質に、だ。

自分の事務所に来るように、なんて詭弁だった。そんなものはあくまでお飾りだった。本気でプロデューサー業をやる気ははない。


自分は自由だ。

自由になった。

櫻井もまた約束どおりすべてを手配してくれた。

もう白鳥せつなでいる必要もない。

なんでも選べる、なんでもできる。どこへでも行ける。

もう音楽はいらない。もう苦しくてもかまわない。

溺れて、呼吸ができなくなって、死ぬ。

そうして、生まれ変わる。

作ったものに興味ももうない。おもちゃがなくても眠れる。



なのに。



なのに。




なのに。


回想は終わりだ。

せつなと、れいと。現在のふたりの戻る。







「なのに、なんだよ」

これから紡がれるであろう言葉に予想がついて、れいとはせつなを睨んだ。


そんな勝手が許されるものか。

「うまくいかないよね。みんな移籍しないって言うし。」

せつなはそれでも十分に仕事をこなした。櫻井との約束は人材のピックアップまでだ。

「自由になって、、、わかったんだよね。」

「、、、」

「ひとりになると、音楽のことを考えてしまう。この世は音で満たされていて逃げられなくて」

「、、、」

「ここまでは想定済だった。、、、ここからは、予想外すぎて、自覚したらほんと、本末転倒で笑えたよ。こんなミス、僕がするなんてね。」

「、、、、、、」



「なぎの歌が、、、聞きたくなったんだ。」

異国の調べに身を委ねるとき。

波の音や砂浜の感触を覚える時。

木々と鳥のざわめきに目覚めえる時。


せつなが遠い所を見つめる。




なぎの顔が、浮かんだ。


「、、、あんたにその権利はない」

れいとの声にたしかに怒りが混ざっていた。

せつなはなぎを利用して、捨てた。

「まぁね。けどさぁ、なぎだよ?僕の悲しい生い立ち聞いたら同情しちゃって、僕を許してくれるよ。」

「どこに悲しい生い立ちなんてあったんだよ。、、、なぎに近づくな。もう消えろ。」

「、、、僕は欲しいものは手に入れる。ゲームには負けない。」


「、、、私もな」

「!」


第三者の声がする。

すると、コツコツ、と革靴の音がした。


聞いたことのある声、見覚えのあるスーツ。



「櫻井、、、!」


櫻井。

れいとの実父。

許すべきではない、相手。


「あれ、、、何しに来たんです?」

せつなが問う。

せつなにも予想外の人物の登場らしい。

その後、ああ、ここ、あなたのビルでしたっけ、と続けた。陽が翳る時間帯で、ホールが薄暗くなる。


「、、、白鳥君、また私と取引をしよう。君は欲しいものを手に入れる。私も。」


れいとはじり、、、と、数歩引いた。

良くない状況だ。不利だ。ライブに行かなくてはないのに。

なぎのもとに行かなくてはならないのに。

「私はれいとを手に入れる。君は凪屋君を。どうかな。」

「へぇ、、、」

「、、、」

三つ巴ならまだしも、1対2。

れいとは、考えた。白鳥せつな。櫻井。ふたりとも、なんとかしなくてはならない。

メリの今後のために。自分のために。なぎのために。


「だってさ、ほら、お父さんの所、行きなよ。」

「、、、聞くとでも?」

せつなが雑にれいとに指示を出した。

「察しが悪いな。話聞いてた?君のお父さん、正直僕嫌いだよ。美学がないよね、他人のこと何とも思ってないんだよ。僕は自由になれたけど。、、、意味わかるよね?」

せつなの話はずっと聞いていた。どの口が。ふたりとも最悪だと思った。

常識が、性善説が、ひとの善性を持たない獣だった。

「れいと。お前が私のもとに来るなら、もうPPCには手を出さない。」

「、、、」

「あはは。良かったじゃん。じゃ、僕はなぎをもらってくよ。」

ふざけるな、と思った。自分もなぎもモノじゃない。さらに、櫻井の発言は信用ならない。たとえ自分がこの身を犠牲にしたとしても、PPCに手を出さないなんてことは保証されない。


どうにか、手を考えなくてはならない。

戦わなくては、ならない。自分が、今ここで。


考える。

ふたりのお得意の弁舌も、取引なんてものも、自分にはできない。

武器がない。

それでも。


「、、、、、、」


なぎは何をしているだろうか。熊谷とは和解できただろうか。

なぎのことだ、大丈夫。ひゅうががいる。るきもいる。ななみやぎんたがいる。

きっと今頃ライブ会場にいる。自分を待ってくれている。


自分はどんは手を使えば、今その場を切り抜けることができるのか。

考えた。

帰りたい。

仲間のもとに。なぎのもとに。


「、、、、、、俺は、、、」


すぅ、と息を吸う。

「俺はあんたらみたいに、駆け引きだの取引だの、計算だのはできない、、、」

それから、ゆっくり吐く。


ふたりがれいとを見る。


「はっきり言わせてもらう。、、、俺は、なぎと、これからもずっと、歌いたい。櫻井、あんたの所に行く気はない。、、、白鳥、あんたになぎを渡す気もない。、、、どうか、俺たちを、ほっておいて欲しい。、、、頼む。」

「、、、交渉でわかりあえたら人類は発展してなんだよ。」

せつなの方が先に発言をした。れいとはせつなを見た。

誰もが己の欲望のために動いている。利己と利己のぶつかりあいが起きる。

だから手回しをして、折り合いをつける。それぞれのカードを切って。

しかし、今の自分には手札がない。平等にカードが配られるなんて幻想だ。

素直に気持ちを話す、そんな子供みたいな手段しか、残されていなかった。

あきらめと、青い希望のきざし。


「あんたらが納得してくれるまで、、、言うしか、俺はにはもう、、、ない。」

「あはは、じゃあここまでだね。メリは解散する。結果オーライだ。」

「、、、頼む。」

「嫌だよ。」

「、、、」

「僕は、幸せになりたい。満たされた状態のことだよ。わかったんだ。なぎが必要だ。」


せつなが笑う。

なぎが必要。

自分のために?

違う。


間違っている。

間違って、いた。

せつなも、自分も。

自分のことばかりだ。




、、、違う。


「、、、違う。」

「ん?」

櫻井はふたりを黙って見ている。様子見だろう。この中で1番賢いのが櫻井なのかもしれない。


「あんたは、そんなんじゃ、一生孤独で、満たされない。たとえ、なぎがいっしょにいても。」


「、、、、、、は?」


暗く静まり返ったホールの冷えた空気に、れいとの吐く息が白く染まる。

寒い。

しかし不思議と冷静な気分だった。

それは、どうあがいても勝てない強大な敵を前にした自棄でもあった。

玉砕する覚悟に似ていた。


せつなの声色が変わったのがわかった。


「あんたのこと、、、得体の知れない化け物みたいに思ってたけど、違うんだな。」

「、、、」

「けっこうフツーの、望みを持ってるんだな」

「、、、そうだね。それが?」

れいとは周りを見た。ライブに行かなくてはならない。どうやったらここから逃げ出せるのか。なぎと、ビルからビルへ飛んだあの夜を思い出した。なぎが先に飛んだ。自分を導いてくれた。それを思い出した。

なぎがここまで自分を連れてきてくれた。

なぎが、与えてくれた。

もし、自分に指標があるとすれば、それはきっと、自分の隣で歌う相棒のことだ。

なぎの真似をしたい。それが、良いことだと、正しいことだと思うから。


「白鳥せつな」

「、、、何」

「俺と、、、」



「俺と歌おう」






ーーーーーーー





れいとの口からあまりに突拍子のない言葉が出てきたので、せつなも、櫻井さえも面食らっていた。

「は、、、?」


「俺といればいい。俺が、あんたにくれてやる。人生の答えってやつ。」

「はぁ、、、?」

「なぎを追いかけてるだけじゃ手に入らなんだよ。俺が、、、あんたの理想の人生の手助けしてやる。俺と歌えばいい。どうだ。あんたの欲しいものを与えてやれる」

「な、、、何言ってんの、、、?」


れいとがせつなに一歩、また一歩、近づく。櫻井は驚いた。せつながこんな表情をするとは。

せつなが後ずさる。

「なぎじゃない。俺を選べ。自信がある。俺はなぎから、、、周りの人間から、家族から教わったから。できるから。大丈夫だ。だから、、、櫻井なんかと手を組んだりするな。もう、わかったから。」

「、、、、、、」

「俺を選べ。」


完全に日が落ちる。

ライブがもう始まった頃だろう。

諦めたくはない。しかし、れいとは、ここで、なぎに、心の中で謝罪をした。

なぎを、メリを諦めるかもしれない。

それでも。

それでも。

今、目の前の、白鳥せつなを、助けたいと思った。

ひどい奴だと思っていた。なぎへの、友人への、仲間たちへの仕打ちを許せない。

しかし、それでも。

せつなをわかっていなかった。

得体の知れない化け物が、今は自分と同じくらいの、いや、それよりも小さい子供にすら

見える。

自分のことばかり考えていた。なぎなら違う。きっと、違う。




音楽は彼に何を与えたのか。

何を奪ったのか。

何故、創るのか。


どうして海の中で息ができないのか。

なのにどうして、ひとは海へ向かうのか。

水に足を取られて、それでももがくのか。


ずっと、暗い海で彷徨っていたのは誰なのか。

ずっと、光を探していたのは何故なのか。




「俺と、歌おう。また、作ろう。何度だって、同じことができる。できなくなっても、誰に認められなくても、ひとりでも、また、歌える。歌い続けるかぎり、誰かが来てくる。一緒に歌える。

苦しいのも。わかる。それでも、、、」


れいとはふ、と笑った。


手を、差し出した。

せつなに必要なもの。掛け値無しのそれ。

与えてやる、なんて、おこがましいことだ。

4月、PPCの多目的ホールで、なぎがれいとを見つけた時の気持ち。

それがわかった気がした。なぎがあんなにはしゃいでいたのがわかる。今の自分のそれはきっと違うのだけれど、それでも、この、真似が、正しいと思った。

嘘はない。




「俺と歌おう。」


れいとはもう一度、はっきりと、真っ直ぐにせつなを見て、伝えた。


光の衝撃。

せつなは、光を、見つけた。





次の瞬間。


がたん!と大きな音がして櫻井が急に走り出して、ホールから出た。

そしてドアを閉じる。


「あ!?」


れいとは驚いて後を追った。扉を叩く。施錠されていた。閉じ込められたのだ。



「いや、何なんだよあいつ!」

ガンガンと扉を叩く。防音設備の一つも兼ねている。びくともしない。

急に櫻井はどこへ行ったのか。

れいとのもとにせつなが近寄る。

「、、、僕が君に付くと思って作戦変更したんじゃない?」

「はぁ?」

「僕は櫻井の秘密を知ってるからね。」

それはつまりせつなを「自由」にした件のことだろう。

「、、、君と歌いたかたったな。僕、消されるのかも。」

「!」


せつなはまるで憑き物が落ちたかのような表情をしていた。

尊大で全能全治の天空の使徒のような、浮世離れした雰囲気はもうない。

等身大の、怯えた青年に見えた。

「させるかよそんなこと!」

メインのドアは諦める。

あたりを見渡す。非常口を見つけた、、、が、外側から何かで押さえつけられているようで役目を果たしていない。

「!」

通気口を見つける。まるでハリウッド映画だ。だがあそこからなら脱出できる。

しかし、椅子がない。というかモノが何もない。

どちらかがどちらかを肩車するなりすれば、なんとかなりそうではあった。

「ねぇ、、、」

「何、、、なんだ、この臭い、、、」

「焦げ臭い、よね」


最悪の選択がふたりの頭をよぎった。

櫻井はどこまでもやる男だ。せつなの口ふうじ。れいとのことだって

手に入らないのなら、、、。

その瞬間、火災報知器の爆音が響いた。


「ああくそ!やっぱりな!」

「まずいね。焼死はごめんだ。」

「通気口がある!来てくれ!」


ふたりで通気口へ向かう。

れいとが壁に手をついた。

「は!?」

「いいから!あんたが行け!外から鍵を、、、いや、助けを呼んでくれてもいい、何でもいい!とにかく早く!」

「し、正気?、、、君が先に行けばいい。ライブにも間に合う。僕を見捨てて行けば邪魔者も消える。ハッピーエンドじゃないか!」

せつなが声を荒げる。

床を見ると、ドアの隙間から室内に煙が入ってきた。時間がない。

「まだンなコト言ってんのかよ!ふたりでライブ会場に行くんだよ!」

「僕が逃げたら!?君が消えたら、なぎを手に入れることができる!このことを証拠に櫻井を消して、僕が完全に勝利する!」

「そうしたいならそうしろよ!俺はあんたを信じる!早く!」

「、、、、、、、っ」

「この部屋から脱出して俺を助けてくれ!」



せつなはれいとの背中を登って、通気口の入り口のカバーを外した。そこから通気口へ侵入した。

がたがたと鈍い音がする。狭くて、暗くて、何も見えない。

少し先にあかりが見えて、そこまで四つん這いで進んだ。

明かりの正体はダクトの途中に存在する点検用の入り口のカバーでそれを蹴破って廊下へ着地した。


「!」


廊下はもう煙が充満していた。それどころか、ごうごうと、壁や天井が燃え、ボヤではすまされない規模になっていた。

櫻井め。

あらかじめガソリンか何か、燃えるものを用意していたのだろう。

正面のメインの扉はもう近づけない。

ホールの非常口へ向かう。

非常口は不自然に椅子が積まれて、開かないように細工されていた。

「くそっ!」

椅子をかたっぱしからどかす。早く脱出しないと、焼死の前に煙で死ぬ。

「う、、、げほげほっ、、、」

廊下がどんどん煙で薄暗くなっていく。

椅子の山を崩して、ようやくドアノブが見えた。もう少し、、、、、、。



「ぐあっ」


「!」


非常口の内側から、せつなの動向を伺っていたれいとに、悲鳴が聞こえた。


「白鳥!?」

返事がない。ドアノブを力任せに動かす。

「う、、、」

「白鳥!どうした!?」

廊下の様子はわからない、それでもただ事ではない、そう感じた。


一方、煙で薄暗い廊下。

絨毯にぽたぽたと、鮮血がこぼれた。


せつなが、頭部から血を流して地に伏していた。


「櫻井、、、」

「逃げたかと思ったかね。」

櫻井の手には、消化器。それで、れいとを助けるために障害物をどかすのに懸命になっていたれいとを背後から殴りつけたのだ。


やられた。

せつなは、周りが見えていなかったことを後悔した。れいとを助けようと必死だったからだ。

けたたましい火災報知器の音がうるさい。

首と後頭部がズキズキと傷んだ。

めまいがして、上手く立ち上がれそうにない。

早くれいとを助けなくてはならない。

すると、櫻井が再び、消化器を振りかぶる。

咄嗟に顔を庇おうと手が前に出て、モロに消化器を受け止めてしまった。骨がみしりといったのがわかった。


「うぁ、、、!!!!」

床にのたうちまわって、二撃目を避けることができたのはまぐれだった。しかし、今度は櫻井の革靴が腹を的確に狙ってきた。やわらかい臓器の部分に蹴りを喰らうと、灼熱の痛みが襲った。その場で丸くなるしかできなかった。

しかし、煙に櫻井が咳き込む。

チャンス。せつなは這って、逃げた。非常口といえば、すぐそばにあるもの。そう、非常階段だ。誘導灯の先に、屋内型の非常階段を見つけた。

ろくに立ち上がれないまま、なんとかドアノブを回す。非常階段の空気は新鮮だった。ドアを開けたまま様子を伺う。れいとをここまで連れてこなければならない。

しかし、すぐに櫻井が追いつく。

「しつこいな、、、!」

「白鳥君、ここまでだ。君も、れいとも、もういい。」

「やりすぎだよ。痛い目見るよ。行きなよ。手を切ろう。僕も、、、忘れる。」

せつなは背中から壁にもたれてなんとか半身を起こした。指先がひどく震えていた。恐怖。それでも、櫻井を睨みつける。そうはいかないさ、と、櫻井が笑った。

猛獣使いと猛獣なら、どちらをしつけるべきか。なんにせよ、過去の自分を嫌悪した。櫻井と手を組むなんて、ばかなことをした。間違えた。間違えていたのだ。すべてが。


「、、、こうしよう。」

せつなが提案を申し出る。口の中は血の味がした。頭が痛い。腕が痛い。

「僕のことは、好きにすればいい。、、、僕を殺した後で、れいとは、、、彼は助けてやってくれ、、、」

「、、、ほぉ」

「まだ、中学生だ、、、!助けてやれ、息子だろう!これから、彼には、未来があるんだ、、、!」

せつなは心の中で笑っていた。こんなに必死になったのは、生まれて初めてだった。しかも、こんなボロボロで、自分の命とひきかえに他人の命乞いをしている。

「頼む、、、!どうか、、、!」

心から、櫻井へ訴えた。もはや自分はどうなってもいい。


「いや、貴様もれいとも死んでもらう」



「、、、!」


絶望感。

こんな感情は、初めてだった。

それだけじゃない。

怒りだ。

れいとは何も悪くない。それなのに。

櫻井が近寄る。もう消化器は持っていないが、強かにせつなの横っ面を蹴った。せつなは地面に這いつくばった。


「うっ、、、!」

櫻井がせつなの胸ぐらを掴んで、そのままひきずって、非常階段に連れ込む。

床にせつなを投げ捨てる。横たわったまま抵抗もできないせつなに足を乗せて、踏み躙る。

「黒焦げになれば打撲の後などわからん。君の死因は、火事に焦って逃げて、階段から落ちた、、、そういうことになる。」

「、、、下手なシナリオだな」

せつなは笑った。

「、、、死ね!」




その時だった。

「させるか!」



バキ、と鈍くて重い音がした。

れいとだ。

せつなが椅子をどかしてくれたおかけで、ホールから脱出できたのだ。

れいとが櫻井に、拳を入れたのだ。

「!!」

その瞬間、せつなは力を振り絞って、櫻井の足に飛びついた。櫻井がバランスを崩す。


「あっ、、、」

そのまま櫻井は階段から落ちて、踊り場まで転がって動かなくなった。


「、、、」

「あっ、お、おい!」

れいとも踊り場へ向かう。

櫻井はぴくりともしない。

脈をはかる。

「い、生きてる、、、」

せつなははぁ、とため息をついた。

「良かった。正当防衛でも殺人なんて後味悪いしね」

れいともため息をついた。

すると、どこからともなくサイレンの音がする。せつなは手すりを使って立ち上がる。れいとのもとへ行く。その様子を見てぎょっとした。かなり重症に見えた。

頭から出血していて、腹と背中と顔も、どこもかしこも痛々しい。

「だ、大丈夫か!?」

れいとはすぐさまにせつなの体を支えた。

「、、、ま、ちょうどいい罰でしょ」

「あほか!すぐ病院いくぞ!」

階段を降りる。幸い出口は空いていて、外にでると野次馬が驚いて集まってきて、まだ中に櫻井がいることを伝えたら、消防がすぐに救助に向かった。

せつながどう見てもボロボロなので、救急車へ向かうように言われる。

「れいと、、、車に戻るよ」

「は!?」

「うまく言って逃げなきゃ。ライブに、、、」

「いや、あんたは病院だ!付き添うから、、、」

「れいと、、、頼むよ」

「だめだ!」

「君たちの歌が聞きたいんだ。、、、さっきの、僕を懐柔する嘘じゃないだろ?来年メリがなくなってたら、どうやって、、、」

「それは、、、」

「頼むよ、、、」

「、、、」

救急車の入り口に腰掛けていたら、すぐに隊員が来て、手当を始めた。

頭の傷は、病院に行かないといけないらしい。手配するというのを、れいとは、断った。

「き、君たち、だが、、、」

当然隊員はそれを認めない。

「よし、白鳥。捕まれ。駐車場まで行くぞ。」

「おんぶ」

「、、、あー、ほら!」

「君たち!」

「すいません、ライブ行くんで!何かあったらPPCに連絡下さい!俺は白樺れいと、こいつは白鳥せつなです!熊谷のあってやつが対応します!」

れいとはせつなをおぶって走る。めんどくさいことは熊谷に押し付けることにした。これは八つ当たりだったが、このくらいは許される。

野次馬が、せつなとれいとの正体に気づき始めたところなので、ちょうどいい。路地へ走り始める頃には、救助された櫻井とすれ違った。これでいい。すると、ホールの方で大きい音がした。脱出できて良かった。死んでいたかもしれない。近くの有料駐車場へ走る。

「てか、僕運転できないかも。目眩やばいし、肋骨折れてる。腕も多分、、、」

「はぁ!?」

「僕が支持するから、れいとがハンドル操作をする。、、、どうだ」

「フツーに捕まるだろ!」

駐車場に着く。車を探す。キーはせつなのポケットだ。ドアロックのボタンを押すと音がしてそちらへ向かう。

背中のせつなが静かになったので、ぎょっとして話しかける。

「白鳥、大丈夫か!?」

「いき、、、てるよ、、、車、、、」

「大丈夫じゃねぇな!くそ、、、」


「おふたりさん」



「!」



ふたりが乗ってきた車のボンネットに誰かがこしかけていて、ふたりに声をかける。上体を起こす。すると、ビルの灯りに照らされて、顔が照らされて、正体が判明した。


「!あんたは、、、、」


「ほら、急ぐぞ〜」

アリスだった。

ひゅうがの兄。


「ど、どうして、、、!」

れいとは驚いて固まるが、アリスが近寄ってくる。

「ひゅうががね、白鳥せつななら絶対このビルには来るだろうって言ってて、張ってた。なぎとの楽しい思い出の場所だからね。、、、で、この極悪人どうするの?俺はれいとを探しにきたからさぁ。こいつは置いてく?」

「、、、アリス」

「、、、わかってるよ。連れてくんでしょ。言っとくけどみんながそいつを許すとは限らないよ。お前が庇っても。それでも、いいの?」

「、、、いい。こいつは許されないことをした。罰は受けた。罪なら、、、俺も背負う。だから、アリス、あんた運転できるのか?頼む、俺たちをライブ会場に連れて行ってくれ!」

「しょーがないなぁ!」

アリスが笑った。

せつなを乗せる。れいとはせつなの介抱のために後部座席に同乗した。スマホをしまえと言われた箱があって、開ける。連絡をとらないといけない。しかし、電源がもう無い。アリスが自分のスマホをれいとに貸した。


「飛ばすよ!」


れいとがスマホを見るか見ないかのうちにアリスがアクセルを踏む。ものすごいスピードで発信する。

アリスの運転は、、、かなり見た目に合わないタイプの運転だった。

電話をかける。なぎに。出ない。熊谷に。出ない。両親に。留守電を残す。心配をかけた。それからせつなの血をぬぐったりした。せつなはぐったりと、れいとにもたれかかって動かない。


「ライブ間に合うか!?」

「うーん、ギリギリ!メリの出演は間に合わない!メリが最後になれば、、、わからない!とにかく急ぐから、捕まってな!!」



安っぽいレンタカーは師走の末に賑わう街を走り抜けた。




ーーーーーーー





「円陣組もう!」


ライブ会場。いよいよライブが始まる。ライブ出演の、れいとを除く全員が集まっていた。

提案をしたのは、いおりだった。

「そんな暑苦しいことウチはしないんだが?」

たかひろが反論する。

「ミーハニアは必ずやるぞ?」

「ファーレンハイトはやらない」

このふたりはいつもこのような感じなので、誰も気にしない。採決はリーダーに委ねられる。

「ぼ、僕はいいと思う!」

「そうだなぁ。せっかく今年は全員仲がいいし」

ななみとぎんたが賛成する。

「仲良くねーよ!いや、やる時はやるけど、隣に誰が来るかによる!」

「いいんじゃねーの?」

とうまは複雑なことを言っていたが、あつしは皆に任せるようだ。

「、、、なぎが決めるといい」

ひゅうががそう言ったので、いっせいに視線がなぎに集まる。

なぎの横にいたるきがなぎにどうするかを尋ねた。

なぎが声が出なくなったことは皆知っている。

「なぎはやりたいって」

るきが答えると、渋っていたメンバーも混ざって大きな円陣を組んだ。


掛け声は、言い出しっぺのいおりだ。

ライブ成功させるぞ、おー!、、、と、熱く青い掛け声。


「よーし、テンション上がってきたわぁ」

「よろしくお願いします」

にこにこと楽しそうなあやは常連だけある。つきはは周囲に挨拶をしていた。

そして、もう本番だが、れいとがまだ来ない。

るきはなぎを見た。何を考えているのかわからない。しゃべらないでおとなしそうにしてるなぎを見ているとなんだか不思議な気分になる。


「あー、ちょっと待って欲しい!実は一個、提案がある」

解散し始めていたメンバーに声がかかる。

とうまだ。横でりおとゆうやががんばれ!と応援をしている。

とうまはなぎと、今回の演出を担当した。


「なぎ、、、と皆。今日まで問題が解決しなかったら、っていう場合に備えて、実はもう一個、案を考えてたんだ。聞いて欲しい!」

問題。れいとのことだと誰もが察した。


「メリの順番を最後にしたい」

「!」

つまり、セトリの変更だ。ここにきて、である。

「と、いうと、、、ミーハニア、ツインテイル、サンライズ、ファーレンハイト、、、そしてメリ、の順番か」

ゆうひが確認をとる。とうまが頷いた。

「いや、今日まで白樺が見つかんねーなんて思ってなかったからよ。けど、、、あいつ、いや、言わなくても皆はわかってると思うけど、無責任に逃げ出すやつじゃねぇ、から。来ると思うんだ。」

とうまのは真剣な表情で、全員を見回した。

「それに、、、メリは最後になるかもしれないよなぁ。確かに、歌わせてやりてぇな」

ふれいがそう言うと、皆が納得した雰囲気だ。こうなることを予見していたのかもしれない。

しかしなぎはあわてて、持っていたスケッチブックに迷惑をかけられない、と書いた。それから身振り手振りでも伝える。

「その後は?メリを最後にして、それでも、、、白樺君が来なかったら?」

エリックが不安そうに聞いた。

しかし、それに即答した人物がいた。


「俺が歌う」

「!」

ひゅうがだ。

「ギリギリまで、俺が歌って、繋いでやる。あいつは、必ず来る。」

なぎは驚いたようにひゅうがを見た。

あの時の、3年前のように。ひゅうがが歌うと言うのだ。

、、、恩返しだ。ひゅうがはいつもそう言っていた。必ず恩を返す、と。


なぎの目に涙が溜まるのにるきは気づいた。ひゅうがが言わなくても、るきがそうするつもりだった、いや、、、。


「そうなった時は俺たちも出るから。泣くな、なぎ。不肖の弟子の始末は取る」

たくとだ。なぎの横にきて、なぎの肩に手を乗せる。

「いいね。アドリブ嫌いじゃないよ」

ほまれが笑う。

「使徒と使徒は呼び合うんだよ。れいとは間に合うと拝火の儀が告げている、、、!」

とらちよが意味不明なことを言う。

「おい!提案者は俺だぞ!ポップコーンが歌う!なぁ!」

「リーダーがそう言うなら!」

「なぎたそ、泣かないで〜!」

ポップコーンの三人も乗り気だ。


みんながメリのために力を貸してくれる。

なぎは、自分がこの空間にいる奇跡を、噛み締めた。こんなにも素晴らしい仲間に恵まれたことを、感謝した。せつなは自分を利用して人材を集めたと言っていたが、自分にそんな能力はない。仲間たちは音楽を通してここまできたのだ。ものを作ること、せつなといた時はそれがどんなことか考えもしなかったが、一日一日、考えるようになった。心との対話。自分は、今日この、日の感動を伝えるためなら、100曲だって作れる。そう思った。


スタッフの声がかかる。ミーハニアのメンバーはなぎに手を振って、ステージへ向かった。


できることは、ない。

待つ他に、ない。

れいとのことを考えた。

どこにいるのだろう。安全だろうか。困っていないだろうか。どうか無事でいてほしい。



なぎはるきとライブを見守ることにした。

ミーハニアの曲が始まる。新曲だ。

「、、、!」


るきがなぎを見ると、なぎの目がキラキラと輝いていた。

そうだ、この状況で心が躍らないわけがない。

れいとさえいれば。完璧に楽しめたはずなのに。


ミーハニアの曲が終わると次はツインテイルだ。

るきはなぎに「そろそろ行く」と言ってそばを離れた。

ひとりになる。

ツインテイルの曲が終わる。ポップコーンがステージへ。

新曲だ。ミーハニア、ツインテイルは年末ライブの常連だけあり流石の貫禄だった。

ポップコーンは初参戦。しかも今年一気に躍動した時のひと。会場が熱気を帯びる。


ライブはあっという間に後半だ。

楽しい時間は過ぎていくのが早い。

しかし、れいとの姿は見えない。


ひとり。

スタッフがざわざわとしている。

観客の熱狂。

なのに、なぎは、自分の周りだけが静寂に、闇に包まれたように、

音までもが無くなってしまったかのような虚無の錯覚に包まれたように感じた。


こんな機会はない。

PPC肝入りの実力派ユニットによる歴史に残るライブ。

なのに、自分はそこに行けない。

れいとが心配でたまらない。

行くことができない。


指先が冷たい。

二律背反する心が警鐘を鳴らす。

どうしたらいいのかわからないいのだ。




「なぎ君!」


「!」

ななみとぎんたが戻ってきて、なぎのそばに寄った。

ふたりともステージを終えたばかりだ。

なぎが心配で戻ってきたのだ。

「なぎ君、大丈夫だよ、、、!」

「なぎ、大丈夫。」

ふたりがなぎのそばに寄る。


ふたりが側に来た途端、音が、空間が戻ってきた。いや、現実に引き戻された。そんな気がした。根拠のない言葉。だがそれが、なぎには十分力強い応援だった。



「なぎ、あのな、、、なぎは今れいとのことが心配なのと、ライブを楽しみたいのと、どっちも感じていて、どうしたらいかわからない、こんな感じだろう?」

「、、、、、、」

ぎんたがなぎの心境を言い当てる。

かがんで、なぎに目線をあわせる。ぎんたはいつもこうだ。マイペースで、優しい。

「あのね、どっちも正しいと思う。だから、れいと君を待つのを、楽しめないかな。」

ななみがなぎの手を握った。

楽しむ。れいとの消息も安否もわからないというのに?

そう言いたかった、

「れいと君は、白鳥さんに会うって言っていなくなっちゃったけど、、、僕は白鳥さんには1回しか会ったことないけど、悪いひとじゃないって思うんだ。」

「俺も同感。少なくとも、完全な化け物じゃない、、、そう思いたい。いや、思ってる。」

ぎんたもななみに続く。つまり、れいとはせつなと一緒にいて、安否は確かで、そして必ず間に合う。だからこのピンチも余興として切り替えて楽しもう、そういう話だ。

ふたりの意見が、すんなりと頭に入ってこない。

せつな。

そう、せつなだ、、、。


せつな君。

なぎは心の中で、彼の名を呼んだ。

もう一度。

せつな君。



せつな。本当の彼はどんな人間だったか。考える。

優しい姿は、自分を騙すためだった。

今はもう、記憶の中のせつなの輪郭がぼやけてさえ見える。

わからない。


「!」


なぎの後ろから手が伸びて、なぎの目を隠す。

驚くが、すぐに誰だかわかった。

ひゅうが君?と心の中で答えた。

手の正体、たしかにひゅうがだった。


「なぎ、考えるな。聞くんだ。ただ、、、待ってろ、それでいい。」

「!」


なぎは言う通りにした。

目を閉じる。それでも隣に、ななみとぎんたの気配を感じた。

それからひゅうがが去っていくのがわかった。


聞く。

サンライズの歌だ。あつしの声。力強い歌。

そういえば、せつなの帰国の知らせを受けたのは、サンライズとのコラボの最中だった。


「、、、、、、!」


聞く。

何を?

せつなのことがわからない。すべてが嘘だった。それでも。

せつなの、、、。

せつなの曲を思い出す。

それなら明確に思い出せた。


せつなの曲。それは決して、冷たいものではなかった。

なぎを騙している、そんなものではなかった。

せつなのことなど何もわからない。

騙されていた。

それでもわかる。


せつなの歌は、

創るものだけは、

本物だった。





「、、、、、、、!」


目を開く。前を見る。

あんなに遠くに感じていたステージが目の前に見える。

すぐ近くだ。手を伸ばせば、届く。

行きたい。行ける。

ステージだけがまばゆい。

歌を届ける場所だ。自分が立つべき、場所。


サンライズの曲が終わる。

ステージが暗くなる。そしてまた明るくなる。

ファーレンハイトだ。


ひゅうがが歌う。


れいとは来ない。

だが、しかし、先ほどまでとは違う。


れいとは、来る。

確信した。

そして、それを待つことができる。


なぎの表情が変わったことに、ななみとぎんたが気づいて、笑った。

メリの出番だ。しかしまだれいとは来ない。

すると、曲の合間にるきがなぎのもとへ戻ってきた。

ななみとぎんたが背中を押す。るきに手を引かれる。

ステージへ向かう。先日の有言実行だった。たとえ歌えなくても、ステージでれいとを待つ。るきが隣にいる、、、と。



関係者席も、ステージの一挙一動を見守っていた。

クリエイティブイベントも年末ライブも、アーティストの自主性を重んじるスタイルだ。

悦子も熊谷も、見守るしかない。


観客もざわめいていた。

予定とは異なるセトリに、メリの順番が最後に変わったこと。

るきに手をひかれて来たなぎの様子。

ひとりなこと。れいとがいないこと。

さらに予定を変更して、ファーレンハイトが続けてステージに残る。

るきは、ずっと、なぎの腕を掴んでいた。しっかりと。

ひゅうががソロを歌う。

なぎが過去に好きだと言ったB面の曲だ。

待つしかできない。

たとえ、れいとが来ても、歌えない。声が出ないのだ。

それでも。

すると、ステージへ、出演が終わったはずのユニットのメンバーが現れた。

ツインテイル、ミーハニア、ポップコーン、サンライズ、、、。



「、、、、、、!」


ここにいてもいい。

歌えなくても。皆がなぎの、メリの味方だった。


言葉はいらない。

舞台は整った。

れいと。

最後のピースが届けば。


彼を待つ。

皆で。


ライブは、もうすぐ終わりを迎える。

歌が終わる。

それでも、れいとが来ない


会場の観客の戸惑いが手に取るようにわかった。メリは出演しないのか。なぜなぎは何も言わないのか。

本来ならば説明しなくてはならない。


なぎは前へ出ようとした。

しかし。

るきがそれを押さえた。


すると、

もう一曲、イントロが始まる。

ひゅうががもう一曲、歌うのだ。

メリのために。

なぎのために。れいとのために。


3年前のあの時と同じ光景だった。

今度はひゅうががなぎに。メリに。

なぎはひゅうがを見た。泣きそうだった。いや、涙がもう溢れそうで、堪えた。


ステージ、スポットライト、音響機材、観客、力強い歌声。

なぎの目の前のすべて。しっかりとなぎは、この一瞬一瞬を、記憶すべく脳裏に焼き付けた。



待つ。それだけだった。





ーーーーーーー





ライブ会場の関係者向けの駐車場に一台のレンタカーが風を切るような速さで侵入した。

カラーコーンを薙ぎ倒して、どう考えてもスピード違反のまま、急停止する。停止するかしないかの所でドアが乱暴に開く。


「れいと、これ関係者パス!ひゅうがにもらった!行け!」

後部座席からひとりの少年が降りてきた。

れいとだ。運転席のアリスから声をかけられる。

ライブはもうすぐ終わる。いやもう終わっているかもしれない。

それでも走るしかない。

ステージを目指すしかない。

しかしれいとは車から降りると、自分が座っていたのとは反対の座席を目指した。ドアを開ける。

「白鳥が、、、」

後部座席でぐったりと動かなせつなを心配して、れいとは戸惑う。

このまま置いて走り去っていいものか。

「行けよ!なんとかする!早く!」

「でも、、、」

「早く!こいつは僕にまかせろ!」

「、、、っ!頼む!」

せつなを見る。顔面蒼白で、ぞっとするほど静かだった。

れいとは駆け出した。

行かなくては。

関係者用の通用口へ向かう

全力で走った。

途中すれ違ったスタッフがれいとの登場の驚いて、あわてて連絡を始めた。


間に合った。

間に合ったのだ。


れいとは走った。






ーーーーーー



「おい!起きろ、オマエ!死んでないよな!?」

アリスは自分も車から降りて後部座席へ向かい、懸命にせつなを起こそうとした。息はしている。しかし呼吸が浅い。

れいとはライブ会場への到着までに、ここ2日間の出来事、せつなとの間にあった顛末を話してくれた。

約束したのだという。せつなを会場に連れていかねばならない。

なぎを、、、れいとを。ふたりのステージを。せつなは見届ける義務がある。

アリスはせつなのシートベルトを外して、ゆっくりと上体の重心を自分のほうに寄せる。重い。

意識のない人間の弛緩した体を運ぶのは至難の技だ。しかし、せつなをライブ会場に連れていかなくてはならない。


「あっ、、、」

バランスを崩してしまった。

まずい!




、、、その時だった。


アリスの体を誰かが支えた。


「!」


熊谷だった。

「マネージャー、、、、!」

「ご苦労様でした。」

熊谷の支えでアリスは体勢を直した。

「君!ライブは!?観客はまだいる!?れいとに会った!?なぎは、、、」

アリスは疑問をすべて一気にぶつけた。

しかし熊谷は意外な行動に出た。

せつなの頬をしたたかに叩いたのだ。

「おいおい!」

驚いて怪我人だぞ!と続ける。

「起きなさい、せつな。ほら、行きますよ」

「、、、、、、」

せつなの目がうっすらと開く。それを期に熊谷がアリスと場所を交替した。

せつなの体に腕を回して車から降ろす。

「アリスさん、ありがとうございました。」

「手伝うよ」

アリスは熊谷と逆の方向からせつなの体を支えた。

「彼、大丈夫?ライブ終了と同時に満足してあの世に行っちゃったりしない?」

「そんなにヤワな男じゃありませんよ。死なせたりしません。私が無理にでも三途の川から引き上げます。」

「聞こえてるからな、、、」

ようやくせつなが声を発した。

3人で関係者席へ向かう。

足取りは重く、まるで水に囚われているかのようだった。


歓声が聞こえる。

まだだ。

見届けなくてはならない。


ーーーーーーー


ひゅうがのソロ、2曲めが終わる。


ひゅうがはまだ下がらない。いや、れいとが来るまで絶対に引き下がる気はなかった。

歌い続ける。何時間でも。観客を繋ぎ止める。

メリのふたりを、この場の全員に見届けさせる。

ひゅうがはこの日喉を潰して、後生歌えなくなってもいい、そう、覚悟をしていた。


観客がざわめいているのがわかった。

もう一曲。


すると、スタッフがやってきた。

ステージの後方のユニットにこそりと話しかける。会場を使える時間は決まっている。今、れいとが来なければ、もうタイムアウトだと伝えられた。

ステージの全員が苦い顔をした。

、、、間に合わないのか。


すると、なぎがるきの手を振り払い駆け出す。

ひゅうがの元へ行く。


なぎは歌い続けるひゅうがの腕を掴んだ。


ひゅうががなぎを見た。

なぎの言いたいことは伝わった。

タイムリミット。

それでも、、、、。




ひゅうがはマイクを下さなかった。

なぎは驚いた。


そう、

まだ、終わりじゃない。



そう、伝わった。


なぎはここで、自分が泣いていることに気がついた。

ひゅうがは歌い続けている。

、、、なぎはゆっくりと、前を見た。

歌えなくても、いい。みっともない泣き顔でもいい。ひゅうがの隣に立っていよう。


最後までステージにいる。そう、決めた。




観客席では、悦子はステージと時計を交互に見ていた。

そしてスタッフを呼ぶ。

「タイムリミットだと、、、私が伝えます。」

悦子は踵を返してステージへ向かった。ステージまでの道のりで、つい思わず、涙ぐんでしまった。

全員、よくやった。だが、ここまでだ。この年末ライブに参加したユニット全員が、誇りだった。PPC、Pレーベルのことを心から自慢に思った。この先にどんな未来が待っていても、今日この日のことを絶対に忘れない。


悦子が舞台袖へ着いた。

なぎと、ひゅうがを見る。

まばゆいライトの中、歌うひゅうが。

隣に立つ、なぎ。

悦子は目を閉じた。この光景を忘れてはいけない。脳裏に焼き付ける。

そして、口を開いた。


「ふたりとも!ここまで、、、」




その時だった。



悦子の横を、誰かが、走り抜けた。



その人物が、大声で、ステージへ叫んだ。







「なぎ!」








ーーーーーーー




声が出なくなった。


病院では、ストレス、心的要因だと言われた


大事なライブを前にれいとが消えた。自分は歌えない。

メリは事実上瓦解していた。

不思議と、絶望感が無かった。現実感が無かった。れいとはどうしたのかとか、これからどうしようとか、考えなくてはならないことがたくさんあるのに、しゃべれないと、いつもより思考が、別な方によく回るような気がした。


これまでのことを思い描いた。

4月、せつなとの別れ、れいととの出会い。

路上でのゲリラライブ。

クリエイティブイベントへの参加。

コラボしたツインテイル、ミーハニア、ポップコーン、サンライズ、そしてファーレンハイト、、、。

課題を乗り越えて仲間ができた。

年末ライブへのチケットを勝ち取った。

なのに。


せつなの裏切りを知った。自分のせいで仲間に迷惑をかけた。

それでも。


自分の周りにはひとがいてくれた。

家族。友達。ひゅうが。熊谷。アリスやるき。ななみやぎんた。、、、たくさんのひとが。


円陣を組んで、この場にいるひとりひとりの顔を確かめた。

側にいてくれるひとから力を貰った。

待つと決めた。

ライブが始まると、期待と不安が降り混じる。

まだ、まだだ、という諦めたくないという気持ち。

ここまでやった。もう諦めてもいいという気持ち。

何度も挫けそうな気持ちになった。


いや、

もうとっくに、ひとりだったら諦めていたんだ。

マイクを下ろさなかったのは自分じゃない。

数万の観客のいる席は夜の海のように真っ暗だった。

灯台は、光は、ひとつ。

自分がいるのは闇に燻る大海原ではない。

光のふもとだ。

強い光。光の衝撃。


どんな結果になっても立っていようと決めた。

タイムリミットを数えた。

あと、1秒。











声が、聞こえた。





わっ、と歓声が上がった。

れいとがステージに間に合ったのだ。

ステージにいた全員が背後を振り向いた。

れいとだった。


「れいと!」

「れいと!?」

「白樺!」

おのおのが声を上げる。

間に合った。間に合ったのだ。

「いや、なんで血!?」

るきが驚いてれいとに駆け寄った。

れいとの服はところどころ血がついていた。これはせつなの血だ。

走ってきたので、息が上がっていて、答えられない。

だが、ここへ来た理由はただひとつ。

明確だった。


歌うため。


「おい、大丈夫か!?顔見せろ!」

るきがれいとの安否を気遣う。

しかし、がくり、と膝が笑う。

るきが腕をつかんで、れいとを支えた。

歌える状態には見えない。他にもそう思ったメンバーはいたはずだ。しかし、るきは何も言わなかった。れいとの望みが、1番わかっていた。れいとを引っ張って、ステージの前の方へ連れ出す。

「しっかりしろよ、、、!」


まぶしくて、よく見えない。

れいとは瞬きを繰り返した。

視界の先に誰かがいるのはわかる。

足元が早くなる。駆け寄る。

よく見えない。けれど、わかる。


「なぎ、、、!」




相棒の顔が、見える。




「れいと君、、、!」



声が、聞こえた。





その声に真っ先に振り返ったのが、なぎの隣にいたひゅうがだ。

「なぎ、声、、、!」

「えっ、あ!」

なぎが自分の喉を抑えた。

れいとは何も知らない。

「なぎ、、、!」

るきの顔が綻ぶ。ふたりを1番といっても過言ではないほど心配していた張本人。

すると、ひゅうががなぎにマイクを渡した。肩を軽く叩いて、微笑む。るきは驚いた。笑っている。そして気づいた。なので自分も、持っていたマイクをれいとに渡して、ひゅうがの後を追って、ステージの後方へ下がった。




ステージは、メリふたりになった。



「はぁ、、、」

「れ、れいと君、、、」

「悪い、フツーに、、、話すと長いんだけど、、、」

「血が、、、」

「俺の血じゃないから、大丈夫。」

なぎは実に2日ぶりに声が出た。上手く話せない。涙や鼻水で顔がぐしゃぐしゃだった。

「お、俺、、、」

「ん?」

聞きたいことがたくさんあった。

、、、もう、過去のことだ。

「あんたこそ大丈夫か?声って何の話だ」

「えと、、、話すと、長く、、、なるんだけど、、、」

「そっか、、、」



ふ、となぎが笑った。

れいともつられて笑った。


年末ライブがどれほど重要かわかっている。なのにふたりともこの状態だ。万全じゃない。

それでも。


ふたりは並んで、歌い出した。


なぎは声が出るようになったばかりで、れいとも完全なコンディションとは言い難い。

それでも精一杯に歌った。





ーーーーーーー



「せつな、起きてますか?」

関係者席。

あの白鳥せつなが現れたのだ。

その場の社員やスタッフは騒然とした。

しかも血まみれで。


「なんとかね、、、」

椅子に座ると全身の痛みが強くなった。

特に後頭部はひどい痛みだった。肋骨が臓器を傷つけていないことを願った。満身創痍だ。それでも、ここに来た。


なぎとれいとのステージに耳を傾ける。

目を閉じる。

自分が作った曲ではなく、なぎとれいとが作った曲だ。

なぎにもっといろいろ教えてやればよかった。まだまだ荒削りだ。


そのうち睡魔が襲ってきた。疲れた。ここまで来るのに。だいぶ遠回りをした気がする。

せつなはいつの間にか意識を手放した。


「え、動かなくなったんけど」

体の弛緩したせつなを見て、アリスが心配そうに熊谷に尋ねる。

「眠ったのでしょう。、、、病院に連れて行きます」

もう十分だ。

熊谷はせつなの顔を見た。

眠っている表情は、年相応に見えた。


メリは歌いきった。

仲間たちに支えられて。

そして、ライブは少し時間をオーバーして、無事に終了した。







ーーーーーーー




年始。1月1日。ライブから数日経った。なぎは家族と初詣に来ていた。


「お兄ちゃんが喋れないままだったら、お兄ちゃんが治りますようにって神様にお願いするつもりだったの。」

「あはは。ありがとう。それじゃあ、もう自分のことお願いできるね。」

神社の境内には列ができていて、なぎはみあと並んでいた。かれんは並ばずに、両親と買い物をしている。

「お、、、願いは、、、やっぱり、お兄ちゃんのこと、かも。メリが解散するのやだから、、、」

「ありがとう。結果発表、、、もうすぐだけど、どんな結果でも、満足してるよ。やり切ったんだ。」

だから、自分ことを願いしていいよ、となぎは続けた。

1月にしては晴天で、しっかり着込んでいれば寒さは感じない。

なぎの笑顔は空のように清々しいものだった。

さて、年末ライブの後の顛末を話さなくてはならない。


ライブの後すぐに、メリのふたりがステージから戻ると、当然れいとは全員に詰め寄られた。どこにいたのか何をしていたのか、なぜ服が血で汚れているのか、心配かけさせやがって、後すこし焦げ臭い、、、などである。

れいとがけがをしているわけじゃない、とわかると、るきやたくとやつきはにどつかれていた。

また、なぎも、声が出るようになったことについて、まだ心配されたり、ひとまず安心したとか、とにかく大混乱だった。

れいとはここで、なぎが声が出なくなっていたことを知った。

なぎも、れいとがに何があったかを聞こうとして、そこで、せつなを病院に連れて行く、と言ったので、一同はまた混乱した。

ライブが完全に終わる頃には、悦子からせつなの件には説明があり、なぎ、れいと、それからメリのために全員が奔走したこともだいたいが説明されて、事件のすべては終わった。

なぎは終始、泣きながら全員に、ありがとう、と言い続けていた、、、。



ーーーーーーー


列がすすんで、なぎとみあの番になった。

なぎは特に今更メリの進退への願いは無かった。なので、家族と自分の友人たちについての健康とか、交通安全とか、ありきたりなことを祈った。

「みあ、何お祈りしたの?」

「、、、ひゅうが様が今年も活躍しますように。」

控えめな願い。会いたいというのなら手配もできるのに。みあは推しには接近しない主義なのだ。本当は会いたいはず。だが、迷惑になる気もない。そんなところだろう。

が、すぐにその願いが叶うことになる。

「なぎ」

「!」


意外な人物。

ひゅうがだった。

「え、、、!」

なぎもみあも驚いた。仮にもファーレンハイトのリーダーだ。フツーにいる。

名前を呼ぶわけにもいかず、とりあえず近づく。神社とか来るんだ、とも思ったが、ひょこ、とアリスが顔を出してきたのだ。

「アリスもいるぞ〜」

納得。ひゅうがはこういう所に来たがらない。アリスだ。

「ひゅうが君。アリス、えーと、あけましておめでとうございます!」

なぎは定番の挨拶をした。

「あけおめ〜、あ、、、妹?はじめまして、アリスです。なぎのお友達です」

アリスがにこりと笑う。

「みあ、ご挨拶して?」

「あ、は、はい、みあです。兄がいつもお世話になってます、、、」

みあは呆然としていた。憧れのひゅうがが目の前にいるので、仕方もない。

「わー、礼儀正しいコ!これは弟のひゅうがです。ひゅうが、ご挨拶して?」

アリスがふざけると、ひゅうがは鼻で笑って、みあの目線にあうようにしゃがんだ。

「ひゅうがです。」

「は、は、、、い」

微笑む。みあが一気に真っ赤になった。

「みあ緊張してるみたい。ひゅうが君に会えてよかったね」

「ふたりで来たのか?」

「ううん、家族もいるよ。」

「なら良かった、みあちゃん、お兄ちゃんを貸してもらる?」

アリスの発言になぎは「え?」と返した。

「ほら、俺が入院してた病院に、今、白鳥せつなが入院してるんだ。、、、恨み言のひとつやふたつ言いに言ってやろうよ。ほんとは年末年始は面会はやってないんだけど、俺はコネあるから、任せて。どうする?」

「、、、、、、」


れいととせつなとそれから櫻井との間の顛末はざっくりと聞いた。

「せつな君、俺に会いたいかな、、、」

「あいつにそんな権利ないよ。行こう?」

「アリス、先に車に戻ってろ。」

ひゅうががアリスに車のキーを渡す。

アリスの後押しもあって、なぎはせつなへの面会を決めた。

みあを家族のもとに連れて行って、家族に事情を話した。ひゅうがも付いてきて、家族に会って、話をしてくれた。突然現れたひゅうがに、当然家族は驚いていた。

駐車場へ行くと、ありきたりな乗用車で、意外なことに運転はアリスだった。

今日は安全運転を心がける、とアリスは冗談っぽく笑った。




ーーーーーーー



「櫻井と話をした?」


病院。広い個室だ。

白い壁、カーテンは水色。いかにも入院用の取手のついたプラコップ。

せつなはライブの後すぐに入院になった。肋骨は折れていた。腕はひびで済んだ。頭は4針縫って精密検査もしたが、脳などに影響はなかった。

ベッドに座るせつなに、れいとと、熊谷がいた。

質問をしたのはれいとだ。

「うん。実はね。僕。あの時の会話とか全部録音してたし、君いたしね。PPCからも君からも手を引けっていったよ。」

「、、、で?」

れいとが神妙な面持ちで続ける。


「頷いてはいたね。大怪我らしいじゃん。僕より重症らしいよ。ほんといい気味!痛い目見てしばらく、、、少しはおとなしくしようと思ったんじゃない?」

「、、、だといいな。」

せつなはからからと笑った。しかし笑うと傷が痛むようで、苦い顔をした。

「櫻井の敗因は、欲張ったことだよ。PPCを潰すか、君か。どちらかにするべきだった。焦って僕とまた手を組もうとした、、、。」

「ひとまずは、という所でしょうが、安心していいと考えましょう。」

せつなは腕を動かせないので入院のめんどくさい書類などは熊谷が代筆した。もう、ふたりは何の関係もない。だが流れでそうなった。

解決したのだ。すべてが。メリの存続の結果発表を除いて。

「僕がやるべきはあとひとつ、、、てことだね。」

せつなが窓を見る。晴天。うざったいくらいだ、とせつなは思った。曇り空の方が好きだ。

なぎにちゃんと謝れ、とれいとが言ったのだ。当然、異論はなかった。が、ここで、熊谷の口から驚くようなことが明かされる。


「なぎ君、これから来るそうですよ」

「は!?」

熊谷が微笑む。せつなが珍しく大きい声を出した。

「ひゅうがと、ひゅうがのお兄さんのアリスさんと、今からこちらに来るそうです。」

「オマエ、性格悪いぞ。心の準備ってものがあるだろうが。」

「ええ、そうですね。」

熊谷は動じない。なぎが来る。

「、、、、、、ど、どうしたらいいんだ」

「はぁ?」

本気で困ったような表情のせつなにれいとは呆れた。

「ごめんなさい、だろ」

「僕は人生で他人に謝罪をしたことがない」

「、、、じゃあ人生初ってことだな。なぎだぞ。別に緊張しなくてもいいだろ。」

「じゃあ、私たちは外しましょうか」

「!ふたりきりにする気か‼︎?れいと、居てくれ!」

「、、、喉乾いた」

「裏切りもの!」


れいとは熊谷と、せつなの病室を後にした。廊下に出る。

すると、、、。

「れいと君、熊ちゃん!」


なぎだ。

「なぎ」

「あけましておめでとう!」

「あけましておめでとうございます、なぎ君 。」

「あ、あけましておめでとうございます。」

定型な挨拶。いつもの3人だ。

「七星兄弟は?」

「カフェにいるよ。、、、せつな君は」

「話せますよ。寝たふりしていたら叩き起こしてかまいません。私たちは席を外しますから、ごゆっくりどうぞ。」

「カフェで待ってる」


「、、、うん。」


熊谷とれいとが去っていく。

病室の扉を見つめる。白鳥せつな、と、名前がある。

せつながここにいる。

考えていても仕方がない。少しばかり心がざわめく。


「入るよ、、、」


なぎが病室に入る。

せつながいた。

「、、、」


なぎは不思議に思った。ベッドの上のせつなが気まずいような表情をしているからだ。こんな顔をするひとだとは思っていなかった。せつなのことを何も知らないと思っていたが本当に自分は何も知らないのだと改めて感じた。


「せつな、、、君、ひさしぶり。けが、大丈夫?」

「、、、大丈夫だよ。よく来たね、なぎ」

「うん、、、」

せつなに近寄る。加湿器を兼ねた空気清浄機が静かに音をたてている。

「、、、、、、」

「、、、、、、」

話すことがない。困った。

なぎは、何をどう切り出すか考えた。謝罪などはいらない。れいとが無事に帰ってきたので、後のことはもうよかった。

「、、、、スペインに」

「へ?」

「スペインの田舎にさ、海沿いで、、、ニワトリとか道にいて、田舎なんだ。そこに、行くんだ。退院したら行く。一日中砂の上でぼーっとしてる。」

「あ、、、そうなんだ、、、海外に、、、」

「れいとがさ、、、僕に、言ってくれた。一緒に歌おうって。、、、あいつ、ああいう奴なの?最初から」

「へ?れいと君?」

「まぁいいや。、、、なぎ」

「え」

「ごめんね。いろいろと。もう消えるから。、、、がんばってね。」

「、、、、、、」

せつなとこの日初めて目があった。自分の感情がわからない。まだ整理がついていないからだろうと考えた。せつなと別れてから、再会するまで、1度も連絡を取らなかったのだ。なんとなく、その必要もなかったから。自分のことに忙しかったからだ。自分はその程度の人間だ。謝罪されるようなこともないし、せつなを断罪する権利もない。

「うん。、、、帰国する時とかあったら、、、良かったら、また会おう」

「、、、気が向いたらね。」

「じゃ、、、また」

「元気でね、なぎ」

社交辞令だった。

なぎは手を振って退出した。

特段すっきりしたとか、そういうこともない、普通の面会だった。

なぎはもう一度ドアを見て、皆の待つカフェへ向かった。


しかし、立ち止まる。

まだ、自分がどんな気持ちかわからない。

怒っている?悲しい?辛い?

、、、そういえば先ほど、せつなは言っていた。れいとがいっしょに歌おうと言った、と。

ふたりはそんな約束をしたのか。それが、せつなが、以前と変わった理由なのか。れいとが、せつなを変えたのか。


自分の相棒が誇らしい判明、せつなに嫉妬した。羨ましい。


「なぎ」

「!」


「れいと君、、、!」


れいとは、カフェに行かずに、まっていたのだ。

「どうだった?」

「、、、うーん、、、」

「そんなもんだろ。」

「うん、、、」

「言っておくけどさ」

れいとが切り出す。

「相棒はあんたひとりだよ」

「えっ!」


なぎは驚いた。まるで心を読まれたかのような発言。

「な、なんで、どうして」

あたふたとするなぎに、れいとは笑った。言わなくても、顔に書いてある。なぎのことは何でもわかる、と。


「でも、白鳥とも歌うって言ったのは本当だし、実現したい。、、、今すぐとかじゃないけど、俺の生涯を、かけて。」


羨ましい。せつなは、れいとから、とてつもない大きなものをもらったのだ。

「あんたに教わったんだぞ」

「へっ」

「あんたが、白鳥を救った、、、」

間接的に、だ。

せつなのことを考える。早く病室を出たのは、もう一つ理由があった。ベッドの上のせつなが今にも消えてしまいそうなほど、儚く、脆い存在に見えたからだ。あんなせつなは、知らない。途端にどう接したらいいかわからなくなった。


「俺は、、、」


もし、風の無い、凪いだ海のように、いつでも穏やかにいられたらと思う。けれど日々の出来事が風のように、感情にたやすく波を立てる。

せつなのことを、どうしたらいいのか。せめて、なぁなぁにしてはいけない、となぎは思った。

せつなのに恨みはない。では、どんな感情なのだろうか。




なぎはもう一度、病室のドアを開けた。今度はひとりじゃない。れいとと一緒に。


「せつな君!」

戻ってきたなぎに、せつなは驚く。


「俺に、音楽を教えてくれてありかとう!」





ーーーーーーー




1月4日がライブの人気投票の結果発表だ。

時間は例年10時ぴったりに発表になる。


「おはよーございまーす!」

午前8時、ようやく会社員が出社するような時間帯、ここPPC、、、Pプロダクションクリエイツは人もまばらな時間帯だ。フレックス制にリモートワーク、この時間、挨拶を返すのはシルバーワークの派遣で早く来ている清掃係だけ。広く大きい吹き抜けのロビーは静寂に肌寒いほどだが、そこを2人の少年が駆け足で通り過ぎる。


なぎとれいとだ。

メリのふたり。


「なぎちゃん、れいと君も、おはよう」

「なぎちゃんはいつも元気に挨拶してくれるね」


初老のふたりがなぎにあいさつを返した。なぎは急いでいて駆け足だが、にこやかに手を振ってお疲れ様です!と返した。そしてエレベーターに乗り込む。清掃員たちはなぎを見送る。それはまるで孫を見るかのような温もりのある眼差しだった。実際、その場があたたまったような気さえした。


「結果発表、、、10時だよね。呼び出されたってことは、良いこと、悪いこと?」

この日はPPCの仕事始めだ。さっそく代表取締役の波々伯部悦子に呼び出されたのだ。代表取締役のオフィスへ向かう。ドアの前で熊谷が待っていた。

「熊ちゃん!おはよう」

「おはようございます、ふたりとも。心の準備はよろしいでしょうか。年末ライブの結果発表があります。」

「、、、、、、」


3人でオフィスへ入った。

悦子がいる。

「あけましておめでとうございます」

なぎが挨拶をした。悦子も返事をする。着席を促される。

「早速ですが、年末ライブの結果について、私から話します」

熊谷にはもう結果を伝えてあります。と悦子は続けた。

なぎは驚いて熊谷を見た。先ほどの挨拶の時、熊谷があまりにもいつも通りだったからだ。それが、何を意味するのか。

「まず、フォトブックは非常に売上が良く、重版もかかりましたので、この点は評価します。」

フォトブック。道明寺が予約段階でランキング1位だと教えてくれた。これもメリの存続の重要なポイントだった。良い評価をもらえた。しかしまだ、わからない。


「ふたりとももう体調は大丈夫なの?」

「あ、はい」

「大丈夫、、、です」

悦子の質問が遠く聞こえる。

メリは、自分たちはどうなるのか。

「人気投票の結果発表をします。1位ファーレンハイト。2位ツインテイル。」

たんたんと、事実が発表される。


3位以内。3位以内に入れなければ、メリは解散する。






「3位。メリ」




「、、、、、、」

「えっ」


「以上です。ライブの人気投票は3位までの集計なので、、、。おめでとう。メリは結果を出しました。」


「、、、、、!」

「や、、、ったーーーーーー!!」

「、、、ほ、本当か?」


なぎが横のれいとに抱きつく。首が閉まって苦しいが、それどころではない。


やった。

やりきったのだ。

メリは存続する。また、これからも、ふたりで歌える。


「れいと君れいと君!熊ちゃん!俺、、、やった!」

「あぁ、、、」

「おめでとうございます、ふたりとも。さっそく今年の活動について打ち合わせしましょうか」


はしゃぐなぎに、珍しくれいとも笑顔だった。悦子と熊谷はそんなふたりを見守っていた。

10時ぴったりに、PPCのHPで結果が発表された。

なぎやれいとには、友人や仲間たちから次々と祝辞が届いた。



こうして、なぎたちの大冒険は幕を閉じた。


船は戻り、波は穏やかだ。

それでも、なぎたちの日常は、変わらなかった。メリ。

今年も、これからも、ふたりで歌う。





ーーーーーーー



はぁっ、はぁっ、、、」

見覚えのある河川敷だ。ふたりの少年が走っている。朝6時半。まだ少し空は薄暗くて、月が見えるほどで、それでいて太陽が存在感を表す頃合いで、徐々に街が照らされてゆく。



「はぁ、、、!」


橋の袂でふたりが止まる。片方はだいぶ息が上がっていてバテている様子で、腕を自分のひざについた。

だがすぐに持ち直して、もうひとりに追いつく。


「俺もだいぶ体力ついたよね、、、!」

「そうだな、、、」


ふたりは並んで走る。

「そういえばさ、俺この河川敷でれいと君が中学生って知って、最初すごくびっくりしたんだ」

「そんなこともあったな」

「なんかさーもっとさ、俺が驚くようなことある?」

「ないよ。、、、あんたに秘密とかないんだ。」

「俺もなーい」



ふたりは走りぬける。

太陽光の反射する水面。せせらぎ。いつもの、日常。


メリの存続を達成するという目標を果たしたが、なぎもれいとも相変わらずだった。るきの家へ行く。ジョンの散歩をする。なぎはななみやぎんたと会って、ひゅうがやアリスとも過ごした。れいとはたくとに師事を続け、クリエイティブイベントを通して仲良くなったほまれやふれいとたまに会う。あやがつきはとコラボしていた動画を見たり、本社でいおりとたかひろの言い争いに遭遇する時もあった。とうやは挨拶をしてくれる程度にはなってくれた。ひかるがモデルをするハイブランドの広告を駅で探した。すずがエリックの新刊を見せてくれた。とうまの出演するアニメや、りおが宣伝するゲームをチェックするようになったし、ゆうひが言っていた難しい本を図書館で借りた。たまに、バイクで走り去って行くあつしととらちよに遭遇する。つきはとゆうやの関係は秘密にしている。



ふたりは走り抜ける。

ほかにも、この他愛も無い話をした。これからの、未来の話をした。







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