8話 『誕生』(side:『幼竜』)
『ア…………ウ……ル?』
誰かの声が壁越しに聞こえる。
今居る場所は暗くて狭い。
だが、そこに閉じ込められたという訳でも、ここに居ることに驚きがある訳でもない。
むしろ、ここに居て当然、なまじ知能があるが故に普通の生物では意識しない様な状況を分析出来ているだけだ。
とにかく、今はこの壁を物理的に壊すのが、今求められている行動だ。
「グガァ!」
掛け声と共に右腕を壁に叩き付ける。
内側に丸みを帯びたその壁には、ある一定の強度はあった様だが、流石に力を込めて放った威力には耐えられなかった様だ。
その一撃で壁には穴が空き、そこから光が入り込んでくる。
こうなってしまえば簡単だ。
その穴に首から身体を捩じ込むと、その穴は勝手に拡がっていく。
そして意図も簡単に外へ出られた。
後ろを振り返って見れば、茶色い卵形の残骸――いや、卵そのものが転がっている。
つまり今この時点で、おいらが誕生したという訳だ。
『オ…………ド……ン……』
さて、とりあえず今注目すべきはおいらの直ぐ近くに居るこの存在だ。
姿形からすれば神族の子供と同じだが、髪の色が黒い。
闇属性の神族は稀ではあるが、どうやら今回は別のレアケースのようだ。
この少年の背中には翼が無く、頭にも光輪が無い。
つまり、神族ではなく、反転世界から紛れ込んだ人間の子供と言う事になる。
言葉がよく判らないのもそういう事情だろう。
『ア……ダ。コ……ベルカナ。タブン……行けるよな」
だが、不思議と急速にその言葉への理解が及び始める。
神族が使う翻訳魔法の様な変化だが、あれは使う側に掛けるものであって、受け取る側へ知識を植え付けるものではない。
この機能については、恐らく神族の造った世界の基本ルールだろう。
世界そのものを構成するルールで、特別害を成すものでは無いので、竜種とはいってもそう簡単に抗えるものでもない。
とは言え、とりあえず言語の知識については特別困るものでもないので、そこは素直に受け入れる。
「グガァ!」
「うわっ。びっくりした。ほら、これ食うか?」
誰かを問い質そうとしたが、その声は唸り声になってしまった。
言語の知識は得たが、それを発声出来るかと言えば別のようだ。
話すならば、念話の様な能力が必要な訳だが、知識はあれどまだ使いこなす程の力が溜まっていない。
とりあえず、この少年からは何かを隠している様な匂いを感じるが、特別敵意は感じない。
差し出された手には何やら袋状の物体が何個か乗っているが、それが何かは判らない。
「ウガ?」
「え、あ、いや、別に毒とか変な物じゃないぞ? ほ、ほら、こうやって食べられるし」
少年は何か焦る様に慌てて手に乗る袋を一つ破くと、中に入っていた玉状の何かを口に入れた。
別にそんな事は疑っていない。
世の中には竜種の行動を縛る様なアイテムが存在する事も知識として持ち合わせているが、その手の上にある物からはその様な気配を感じない。
「あ、そうだ。このままだと食べられないよな。ほら」
少年は何かを勘違いしたのか、2つ目の袋を破き、その中身の玉を地面に置いて少し後ろに下がった。
正直、食べ物だというなら地面に置かないで貰いたいところだが、向こうから見れば魔物なのだからそこは仕方がないかもしれない。
何はともあれ、誕生後の初めての多種との遭遇だ。
邪険にするつもりもないし、置かれたものにも多少は興味もある。
仄かに青いその玉に近づいて匂いを嗅ぐ。
匂いとしては甘い。
食品であることはほぼ間違いないが、竜種は捕食を必要としていないので食欲と言う意味では何も湧いてこない。
だが、ここまで綺麗な形状への加工、そして珍しい甘味であるのは、神族でもなかなか用意できるものではない。
そんな興味が湧いてきたので、少年に言われた通りにそれを口にする。
「お! やった!」
少年が何故か喜んでいるが、それを無視して口に入れた物に集中する。
確かに甘い。
だが、それだけではなかった。
その物体からは別の何かが溢れだして、それがシュワシュワと口の中を刺激する。
なるほど、面白い。
人間とは寿命の短い存在であるが、短いが故かその時間効率はすこぶる高い。
こんな食料1つに面白さまで注ぎ込んでいる。
「い、いけるかな。お、お手」
少年が再び手を伸ばして来る。
ただし、今度はその上には何も無く、代わりにしゃがみ込み、おいらの前脚の先へ手のひらを置いた。
あぁ、なるほど。
握手という奴だ。
反転世界から稀に召喚される人間の知識は稀薄だが、それが挨拶と言う事は知っている。
広げられた手のひらへ前脚を置いてやると、少年が笑顔になった。
どうやら正解だった様だ。
「よし、ドラゴンゲットだー! なぁ、付いてこれるか? あ、ただ、他の人に見つかったら駄目だからね。きっと怒られちゃう」
まぁ、産まれた直後であるので特別やりたい事も無い。
周りを見渡しても何やら整然としたフロアが広がるだけで特別面白みもない。
この少年に付いていった方が何かと興味深いものに遭遇出来る様に感じる。