やたら中毒性の高いパンの話
カオスです。
7月18日 行頭にスペース入れました&少しだけ整えました。
「ふっ、面白い。この私、パンの使徒が直々に相手をしてさしあげましょう」
「な、なんだってー!?」
ここはホーグワーツ魔法学校。五百年前、別世界から来た勇者が直接名付けたという名門中の名門である。そんな由緒正しき学校で今、熾烈極まる争いが始まろうとしていたッ……!
ことの始まりは十分前。至る所で学生の楽しげな話し声が耳に入る昼休み中、平凡な一学生、ヘイ・ボンは廊下に〝夢見パン〟が包みもなく落ちているのを発見したのだ。
購買を買いに行く途中だった彼は当初、自身の目を疑った。何故ならこのパンは毎日販売開始から僅か数秒で売り切れるという、超という言葉では言い表せない人気パンだったからだ。
夢見パンとは名前の通り夢かと思うほどの濃厚で奥深い味に香り、綿菓子のような食感をしており、多くの学生の心を惑わせ、全体的に紫っぽい毒々しい見た目により踏み止まらせた。一度口にすればこのパン無しでは生きていけなくなり、一日でもそれを抜けば禁断症状が出るという。だが合法だ。
ヘイは迷った。勿論人並みにこのパンに興味はある。食べてみたいが、このまま拾ってもいいのだろうか。その迷いの原因はパンから抜け出せなくなるのを恐れているのではなく、はたまたパンの落とし主に遠慮している訳でもない。夢見パンの魔の手に墜ちた者───通称〝パン中毒者〟の存在を警戒しているのである。
パン中毒者とは、簡単に言えば夢見パンの下僕である。具体的には授業中、休み時間を問わず常に周りに夢見パンの素晴らしさを語り、昼休みになれば何処からともなく夢見パンを取り出し獣の形相で貪るのである。
夢見パンを机の上に放置、ましてや廊下に落とそうものなら物陰に潜む中毒者によって一瞬で掻っ攫われる。なのに、この夢見パンは己の目の前にずっとある。何かおかしい。
「……ハッ」
ヘイはハッとした。これは罠だ。パン中毒者が、夢見パンを広げるべくわざと落としたものだ。しかし、鼻腔をくすぐるいい香りに思わず喉を鳴らしてしまう。それだけで紫色のパンが魅力的に見えてきてしまう。己の意思と反し、手を伸ばす体。これが合法であることに疑問が溢れる。
何故だ。彼は思った。何故ただ昼飯を食おうと廊下を通っていた僕が、こんなことに巻き込まれなくてはならないんだ。
「くっ……!」
このままでは僕も、あのパン中毒者のようになってしまうのか。ヘイが諦めかけたその時だった。
「ドッックェエエエエエ゙エ゙エ゙エ゙エ゙エ゙ッ!!」
「!」
怪鳥のような叫び声を上げながら夢見パンを掻っ攫っていく、やたら血走った目をしている脂ぎった中年。いつも疲れた顔をしていた魔法薬の先生だ。パン中毒者と一括りにされているが、その中でもパンを広める派と独占派があるという。あの噂は本当だったのか……! とヘイは安堵すると同時に驚愕した。
しかし、ヘイの顔は更なる驚愕に染まることになる。角を曲がろうとした魔法薬の先生が、不自然に倒れるのがヘイの目に映ったのだ。合法じゃ無かったのか? とヘイは戦慄したが、どうやら合法らしい。倒れた先生の奥に立っている人物は、恐らく先生が倒れた要因の手には、たった今ヘイの目の前から消えた夢見パンが握られていた。
流れるような金髪。凹凸のはっきりした肢体。顔は整っている。ブレザーであることから、学生であることが分かる。同学年だろうかヘイは、彼女の豊かな胸につけられた沢山の夢見パンが描かれたワッペンに見覚えがあった。
「広める派、だと……!?」
思わず後ろに一歩下がる。それに呼応するように、広める派が一瞬でヘイの目の前に現れた。ヘイは息を吐くのを忘れ、大きく仰け反った。勢いで尻もちをつく。ヘイは大きく息を吸って叫んだ。
「て、テレポートぉ!?」
テレポートとは習得難易度がとても高い高等魔法である。使える者は一握りしかいない。そんなとんでもない魔法を廊下を移動するために使うというのは、ヘイには理解出来ないことだった。
テレポートしてきた広める派はなんてこともないように、
「ごきげんよう」
と言ってニコリとパンをヘイに差し出した。当然ながら彼女とヘイに面識はないし、パンをくれる仲ではない。ヘイはこんな学校来なきゃ良かったと後悔した。
「僕今お腹空いてなくて」
「あら? 今日は朝から何も食べていなかったのでは?」
ヘイは動揺を顔に出さないよう努めた。
「い、いや……食べたよ」
「嘘でしょう? 分かっていますよ」
パン中毒者に嘘は通じない。いや、パン中毒者にとってそれが真実かどうかは関係はない。無理矢理食わせればいいのだ。
「ほら、手を出して」
ニコニコと能面のうな表情を崩さない美人。ヘイは、苦肉の策を取ることにした。
「そうです。正直でよろしい……なに?」
ヘイは手を出した。上向きのパーではなく、グーだ。美人はそこで始めて感情らしきものを見せた。
「まさか、貴方……」
「あぁ」
ヘイは手が震えていることを気取られないよう、力強く言った。
「じゃんけんだ」
じゃんけん。それは遥か昔、別世界からやってきた勇者が伝えた決闘方式である。その勇者は、魔王とじゃんけんで勝負したと書物に残されている。それぐらい真面目で神聖な決闘なのである。
ルールとして、グー、チョキ、パーの三種類の指の形で勝負をする。グーはチョキに強く、チョキはパーに強く、パーはグーに強い。
美人はぽかんとしていたが、すぐに気を取り直した。心なしか目に光が宿っている。
ここで冒頭に戻る。
「ふっ、面白い。この私、パンの使徒が直々に相手をしてさしあげましょう」
「な、なんだってー!?」
ヘイは耳を疑った。美人が勝負を受けてくれたことではなく、パンの使徒という謎単語にだ。ここに来て新ワード。何がなんだか分からなかった。よって深く考えることはやめにした。
美人は腰を捻り、片手を隠した。この殴る寸前みたいなのがじゃんけんの構えである。目は此方を見ている。曇りの無い綺麗な目だった。それが夢見パンは合法だということを証明しているようで、ヘイは少しイラッとした。しかしここで怒ってもしょうがないのでヘイも美人にならい腰を落とし、真っ直ぐと目を見る。
「では、私が勝てば貴方はこのパンを食べ、貴方が勝てばこのパンを食べるでよろしいですね?」
「あぁ、それで……いや違う。訂正だ。俺が勝てばそのパンは食わない」
「ちっ」
戦いは静かに火蓋を切った。
「じゃん……」
「けん……」
「「ぽんッッッ!!」」
ん、と同時に、二人は自身にありったけの強化魔法を掛けた。途端に引き伸ばされる時間。感覚が冴えっきているのがよく分かる。
ヘイはグーにすることにした。全身が熱く感じる。強化魔法で代謝が活性化しているからだ。
対する美人はチョキ。勇者の世界ならば、このまま行けば勝てるだろう。が、この世界のじゃんけんはそんなに甘くはない。
美人はヘイの手を視認するや否や、手を素早くパーに変えた。速すぎる動きにより、風が生まれる。
そう、この世界のじゃんけんとは相手の手を捉え、それによって自分の手も変えるという究極の後出しじゃんけんなのだ。ただし、後出ししていいのは腕を体と垂直にするまでである。
しかしヘイはグーのまま。美人は混乱した。彼女の知っているじゃんけんは、一瞬でバババッと交互に手を変える激しいものだったのだ。
もしや、これが彼の作戦だろうか、と美人は思った。最後まで粘りに粘り、直前で手を変える、といった作戦か。チラとヘイの顔盗み見る。目が死んでいた。何も情報が得られそうになかったので、すぐに視線を下げた。
ヘイはいつ拳を緩めるのだろうかと美人はチラチラと見やるが、一向にその気配がない。
そのうち美人は思考の海に落ちていった。警戒を緩めた……いや、正確に言えば飽きたのだ。
(彼は何考えているのでしょうか?)
(暇……)
(パン食べたい……夢見パン……)
(パン)
(夢見パン)
(夢見パン夢見パン夢見パン夢見パン夢見パあンパン夢見パン夢見パン夢見パン夢見パン夢見パン)
(あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ)
彼女は禁断症状が出る寸前に陥っていた……。
「ハッ」
そこでハッとした。まさかこの人は、はなからこれを狙いに……!? 驚きでヘイの目を見た。拷問に掛けられたゴブリンの目をしていた。
まだまだ勝負はつかない。時間の経過が遅く感じるからだ。美人の卓越した強化魔法による、情報処理能力大幅上昇のせいである。
美人は優しかった。優しかったので、他人に夢見パンの素晴らしさを伝えようと努力してきた。だけど、それも、もう……。
そして、遂に決着がついた。その結果は……
「勝ったぁあああああ!?」
ヘイの勝利であった。全ては賭けだった。最初から最後まで一切変えない。意表は突けるが、通用するかは五分五分であった。
「はい。私は負けました。なのでこのパンは貰っても?」
「いやいや、いらないっす」
「良かったわ」
美人は何処か吹っ切れたような顔で夢見パンを貪っている。顔中に紫色のパンが張り付いている。せっかくの雰囲気が台無しだ。
「じゃ……」
「えぇ、またね」
そこでチャイムが鳴った。ヘイはるんるんで廊下をスキップして教室に帰って自分の席に座り、頭を抱えて叫んだ。
「僕の昼飯ッ!!」