果ての向こう側
マサキの脳内で侵食される意識の一部が、精一杯の力を使い、此処に来た目的を思い出そうとする。
「そ、そうだ鳶谷院長。
彼女の精神は既に壊れたと仰った。
それは、裁判で罪にかけることは不可能を意味するのでしょうか?
あなたの、予想する理由動機で、殺しをしたならば相当に彼女は危険極まりない殺人鬼。
然るべき罰を受けなければならない。
そのためにも、彼女に責任能力があることを、何としても証明はできないものでしょうか。
これでは遺族の無念も晴れず、私も責務を果たせません」
紡がれた尋常ならざる解説に気圧されながらも、声を振り絞った、つもりであった。
デスクの鉢の花は今にも花弁が落ちそうだ。
「その答えは残酷かつ明快だね。
まず、彼女に責任能力が問うことは出来ない。
壊れちゃってるんだもの。
次に、彼女は既に、然るべき以上の罰を受けている」
花の花弁がはらりと落ちた。
やはり、やはり私は私の責務を果たせないのだろうか。
耳が、目が、鼻が。全ての感覚受容が遠くなった気がした。
否、でも
「然るべき以上の罰、とは何でしょうか。
彼女は実刑など未だ受けては・・・」
そこで鳶谷が人差し指を立てて静止する。
「刑に処すだけが必ずしも罰ではない。
彼女の罰、その第一は精神的死。
既に語ったとおり元々の人格など、罪の重圧から死んでしまい、新たに2つの人格を生じた。
一つは、淑やかながら、淡々と遺体を処理する女性。
そうだな新黒久とでも言うべきかな。
もう一つは最愛の幼馴染そのもの。
こちらを偽津王としよう……2つの人格はまるで二人旅をしているかのように会話をし、入れ替わっては旅行記を書き綴った。
だが、偽津王は殺人の記憶を持っていない。
報道と旅路を照らし合わせて、変に勘付いた果てに新黒久を殺人鬼ではないかと疑ってしまった。
結果、偽津王がトランクを開けた時、2つの人格が共に罪を突きつけられ、自覚した」
と、言うことは
「その時、また2つの人格が同時に死を迎えた、ということですか」
恐る恐るマサキは尋ねる。
何故だろう、気味が悪いのに無性に真実が知りたい。
「おそらく偽津王の人格は終わりを迎えた。
しかし、新黒久の人格は壊れきらなかった。
一度精神の死んだ体、脳が生きるため本能的に順化したことにより二度目の完全な精神の死を食い止めた。
その先には……」
その先には、なんだろうか。
蓋が、開く。
「その先には、精神だけが逃避の手段として急速に老いる結果を招いた。
己を軽度痴呆の老人と思い込むのは、そのせいだ。
逆説的に、身体機能も全く問題がないのに、老人のようになってしまった。
介護なしでは生きられない。
その様に、脳が自身の精神と肉体を5年間騙している。
それは、おそらく死ぬまで解けないだろう。
解けることは自分の罪と向き合うこと。
しかし、彼女は向き合う心の強さは……残念だが。元より持ってない。
今月中に裁判が終われば、彼女は無罪。
だが無論、誰からも一定の介護はされないはず。
己の脳が見せる幻想を抱いたまま衰弱死するか。
はたまた夢から醒め、受け止められない罪の重さで心が死ぬか、自殺するか。
どうあがいても彼女の人生は詰んでいる。
これが第二の罰、此処で終わりの行き止まり。
誰も救えず、誰も裁けない」
これが。
これが……然るべき以上の罰、か。
『ヒト』ならば、その身に受けるには、重い罰。
本来なら哀れだが、マサキはもう一つも同情できなかった。
それ以上に、そんな余裕も無い程に、想像の範疇を超える話だからだ。
「有難うございました。
僕が此処に来るまでもなく、もう総ては終わっていたのですね」
身動き一つせず、冷たい表情の鳶谷。
「えぇ。そのことを素直に認めて、そして僕の推論を聞いてくれた検事さんは5年間で初めてです。
これでキチンと公判が進みますね。
研究対象としては非常に面白い5年間でした」
あぁ、やっぱりこの先生もどこかズレてるな。
と、ぼんやりと頭の片隅でぼやいた。
人を人と思わない人間なんて、この世に幾らでもいるのかもしれない。
「あぁ、あと。」
立ち去ろうとする時、鳶谷はマサキを呼び止めた。
「最後に質問なのですが、彼女が犯行に用いた包丁、どの位の長さだったんですか」
「15センチ、です」
「そうですか、ありがとうございます」
最後は、簡単なやりとりだった。
その言葉を聞き届けると、軽く一礼して居室を出た。
もし二人が15年前に。
学生の時にたった15センチの距離をゼロにできていたら。
その距離は刃へと変わらなかったのだろうか。
否、『もし』とか『あの時』なんて考えても意味はない。
この先彼女に待ち受けているのは……。
それがどんなものか、赤の他人の自分には関係ない。
そう結論づけながら、精神病院内の厳重な隔離病棟を足早に後にした。
隔離病棟内。
虚ろな目で、斗和乃は戸棚に飾ってある写真を見た。
そこには、色あせた写真。
幼い津王真央と黒久斗和乃が映る。
隣には壊れて針の進まない時計が、ずっと1時5分をさしていた。
とある蒸し暑い年、7月11日のことである。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
ちょっとした解説をば。
・津王真央→「走馬灯(sounatou)」のアナグラムになった名前です。
ある意味この旅は彼の走馬灯として、修学旅行の思い出が想起されたものなのかも知れません。
・黒久斗和乃→クロックタワー=時計塔から来ています。
壊れた時計塔はもう時を前に進めることが出来ません。
美しいですね。
この話は純粋すぎた女の恋愛小説であり、同時に他人が観察すればホラーミステリーにしか見えなくなります。
人間にはどんな人も二面性を持っています、それは小説とて同じこと。
幼馴染に向ける二面性。
虚構と現実という二面性。
旅の楽しさと、思い出の儚さ。
表裏一体のものを色々と含めた作品に仕上げることに決めて、2017年の春に描いたことを今でも覚えています。
皆さんはこの作品からどんな気持ちを抱いたでしょうか?
そしてその気持ちの裏にあるもう一つの感情は……?
どうか皆さんも二面性と向き合ってみてください。
それでは、ここまで本当にありがとうございました。